熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

トマト栽培日記・・・(8)実成りも上々

2009年05月30日 | トマト栽培日記
   一番成長の早いトマトの背丈が150センチを超え、第6番花房まで見え始めた。
   植え付け時に、培養土を二種類にしたのだが、やはり、肥料を加えた野菜用培養土に、スイートトマトのベストマッチ肥料と言う特別の肥料を規定の半分だが加えた方の苗の方が、大分成長が良い。
   肥料のやり過ぎになるのではと心配したが、少し大きく成長しただけで、特に、肥料過多の現象を来たしている様でもないので問題がないのかも知れない。
   それに、普通の草花用培養土に、ベストマッチ肥料を適量混ぜて植えた苗床の苗も、少し小さいだけで、全く変わりなく普通に生き生きと成長し、同じように花や実をつけているので、これが正常なのであろうと思う。

   口絵写真だが、この栽培日記で最初から追跡しているミニトマトの第一花房の現在の状態で、青々とした綺麗な20個の実をつけて、枝もとの方の実は、既に、一人前の大きさと成り、色付きを待っている状態であろうか。
   花房によって、花や実の数はまちまちで、均せば、20個と少しくらいになるのであろうかと思う。
   一本の苗で、ミニトマトなら100個以上の実を収穫出来るということである。
   となりの、イエロー・ミニの方は、少し、実なりが少なそうであるが、重い花房は勢いよく天を指している。
   中玉から大玉になるにつれて、当然、花房に付く花が少なくなってきている。しかし、幸いなことに、受粉せずに落ちた花は、殆どなかった。
   この華奢な枝で、重い実を支えられるのかと心配していたのだが、この写真のトマトなど、実が結実して重くなるにつれて、枝がしっかりと強くなってきている。

   アイコ・ミニは、丁度、ごま塩程度の花房が見えてきたので、本植えした。
   今、園芸点では、ビニール袋をそのまま、鉢として使える培養土を売っており、これを使ってみることにした。
   袋の上部を10センチほど切り落として、ビニール袋を少し外側に折り返して縁を補強し、鉢底に当たる裏側に水抜きの穴を10箇所ほど開けて、植えつければ良いのである。
   支柱は、直接地面に差し込めば良く、しっかりと立てられるので楽である。
   しかし、一袋600円弱するので、二本植え用の大きなプランターと培養土を買って、植えるのと比べれば、コスト・パフォーマンスは、あまり良くないと言えるかも知れない。
   場所を取らなくて非常にコンパクトなので、アパートのベランダなどには最適であろうと思う。

   園芸店で、篠竹の支柱を見つけたので、何となく懐かしくなって、エコでもあるし買って使ってみることにした。
   不揃いで、多少いびつだが、鉄製の芯に緑のビニールを巻いた支柱よりは風情があって面白い。

   ところで、黄色く色づいたと思っていた庭の枇杷の実がみんな消えてなくなっている。
   まだ青いイチジクの実もなくなっているので、野鳥の仕業であろう。
   それは良いとして、園芸店では、トマトの支柱と一緒にネットも売っているのだが、トマトにも鳥除けのネットが必要なのであろうか。
   宝塚の農家では、ネットを見かけなかったので、いずれにしろ、そのままにしておこうと思ってはいる。
   木や草花の実を求めて野鳥が、私の庭を訪れてくれるのは非常に歓迎で、それを楽しみもにしているだが、やはり、せっかく育てたものをと思ったりするので、収穫(?)争いになるのは一寸残念ではある。
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グローバル食糧危機・・・マルサス的世界の復活か

2009年05月29日 | 政治・経済・社会
   ナショナル・ジオグラフィック6月号が、「人類は食料危機を克服できるか THE GLOBAL FOOD CRISIS」と言うタイトルの非常に興味深い記事(口絵写真は記事トップ)を特集している。
   世界的経済危機で多少緩和されたとは言え、食料価格の高騰は、世界の最貧国の貧しい人々の生活を直撃し、正に、人類の未来に限りなき暗雲を漂わせている。

   セブンイ・レブンが、売れ残りの弁当を値下げして売らせなかったとして独占禁止法に抵触している飽食日本人には別世界の話だが、世界の食料の消費量は、この10年間殆どの年で生産量を上回っており、更に、地球環境の悪化の促進で、食料増産にレッド・シグナルが点灯し始めるなど、食料危機は、死活問題だと言うのである。

   この問題を論じる前に、今、大型書店の店頭の経済書コーナーに平積みされ始めたグレゴリー・クラーク加州大教授の「10万年の世界経済史」の上巻で、「マルサスの罠 1800年以前の経済活動」と言うタイトルで、原始時代から1800年代初頭まで、すなわち、イギリスでの産業革命までは、人類の生活水準は殆ど変化がなかったと、マルサス的経済について、興味深い調査研究を披露しているので、これらを交えて論点を整理したい。

   マルサス的経済の世界では、出生率が上がれば実質所得は必ず減り、反対に、出生率が何らかの理由で下がれば、実質所得は増える。
   出生時の平均余命は、単純に出生率の逆数だったために、出生率が高い限り平均余命は必然的に短くなる。
   従って、産業化以前の社会では、出生率を制限することによって、物質的生活水準と平均余命の両方を引き上げることが可能だったのである。

   1800年以前のマルサス的経済の時代では、驚くなかれ、経済政策は現在とは逆で、現在の悪は当時の善であり、現在の悪は当時の善であった。
   実際にも、戦争、治安の悪化、病気の流行、衛生状態の悪化、母乳育児の放棄等による人口減少は、物質的生活水準の上昇を齎し、反対に、医療技術の進歩、個人レベルでの衛生状態や公衆衛生の改善、飢饉時の公的な食料配給、平和と治安の確保、暴力の抑制等々は、平均余命の伸びにつながり、必ず物質的生活水準の低下を招くこととなっていたのである。
   ヨーロッパでペストの嵐が吹き荒れて、多くの人々が命を落としたあの不幸な時代直後が、ヨーロッパ人の最も生活水準の高い時代であったとまで言われている。
   
   アフリカのサバンナで人類が誕生した原始的な狩猟採取社会から、1800年頃の定住農耕社会に至るまで、殆どの人間社会の経済活動は、他の動物と全く同じである「長期的には出生率と死亡率が必ず等しくなる」と言う厳粛なる経済法則・論理に支配され来た。
   しかし、幸いにも、この人間と他の動物との共通経済論理の分離、すなわち、人類のマルサス的経済からの脱却は、技術進歩の革新的な生起によって起こったイギリスでの産業革命以降に始まり、200年間続いて現在の人類のグローバル化された経済社会に至っている。

   クラーク教授は、下巻で、何故、産業革命が、中国や日本ではなく、イギリスで起こったのか興味深い論証を行っているのだが、もっと重要なのは、人間の幸福度と言う面から、果たして、現代人が享受する物質的に豊かな生活が、喜ぶべきことなのかを問うていることである。
   マルサス的経済の時代には、経済的に成功を収めるためには、他人より多く取り競争に勝たなければならないと言う強烈な衝動に突き動かされ来たのだが、現代人も、いまだに、生まれながらに満足を知らずに突っ走っており、そして、この世界を代々受け継いできたのは、実に嫉妬深い人々なのだと言うのである。

   さて、本論に戻るが、マルサスの人口論で、我々が知っているのは、俗に流布している「人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」ので、人類社会には無限の成長など有り得ないと言う、言わば、ローマクラブの古典版「成長の限界」説である。
   ところが、前述の産業革命後、人類社会は飛躍的に発展し、地球上の開発にこれ努め、科学技術の発展によって農業革命を引き起こすなどして、食料の増産に成功して、マルサスの罠、呪縛から開放されて来た。少なくとも、そう思ってきた。

   しかし、先の食料価格の高騰による貧困層の食料危機は、ともかくも、エコシステムの崩壊等深刻な問題を引き起こしている地球環境問題など、現在のグローバル経済社会は、新しい形で、マルサス的経済社会の挑戦を受けているのではないかと言う問題意識を持たざるを獲なくなったと言うことである。

   私が子供の頃は、地球上の人口は30億人だと教えられていたが、2050年には、90億人になると言う。
   少なくとも、食糧問題を解決するためには、化学肥料、農薬、灌漑の三種の神器に遺伝子組み換えと言う新技術を加えた第二次グリーン革命を起こす必要があろうが、しかし、この方法は、巨大な資本を利するだけで、地球環境を益々悪化させる心配があると言われている。
   世銀と国連FAOは、世界に9億人いる小規模な農家が恩恵を受けるよう、生態系に与える負荷の少ない、持続可能な農業へと発想を大きく転換すべきだと提言している。
   いずれにしろ、そんな悠長なことを言っていて、この地球船宇宙号の命が持つのかどうかが問題だと思っている。

   ところで、蛇足だが、今の北朝鮮の経済社会状況は、益々経済が疲弊して行っており、マルサス的経済より、もっとひどい状態にある。
   マルサス的経済下にあるとしても、生活水準のアップには、平均余命の縮小と人口減しか有り得ないと言うことになり、世界の国々から、食料等経済的支援を行わない限り、益々、餓死状態など国民の生活状態は悪化の一途を辿る。
   同じ宇宙船地球号の乗員である筈。飽食の先進国が、勝手な論理を展開して、現を抜かしているような状態ではないことを認識すべきだと思っている。
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北朝鮮は何を考えているのか?~ニューヨーク・タイムズ

2009年05月27日 | 政治・経済・社会
   今回の北朝鮮の核実験に対しては、世界のメディアもかなり厳しい論調を伝えているが、ニューヨーク・タイムズの「The Opinionator」と言うウエブ情報を集めてコメントするコーナーに、”What Is North Korea Thinking ?”と題するERIC ETHERIDGE氏の興味深い記事があった。
   問題の解決は、中国の対応次第だとする論調が多いのだが、打開策のひとつとして、日本が核保有国となって、あるいは、軍事大国となって、中国に脅威を与えて、中国を動かすのが最も良い方法だとする論調を紹介しているのに注意を引かれた。

   原爆の唯一の被害国である日本では、核アレルギーが強くて、当然のこととして、核武装への議論は、タブー視されている。
   しかし、極東が風雲急を告げると必ず欧米で取り上げられる問題で、数年前に、例の日高ワシントン・レポートの年頭インタビューで、ヘンリー・キッシンジャーが、日本が核武装の準備をしていないとすれば、それこそ驚きだと明言していたくらいで、欧米では、日本の核保有を当然視する識者もかなり多いのが実情である。

   論点に入る前に、何故、中国が、同盟国北朝鮮に対して、制裁の強化等強い態度に出られないかと言うことだが、中国としては、戦争ないし北の崩壊と言う最悪のシナリオを避けるためにも、現在のキム・ジョンイル体制を維持すべき理由が十二分にあるからである。
   中国が石油の供給を止めれば、あるいは、もっと徹底的な制裁を実施すれば、北の政権崩壊は間違いないだろうが、そうなれば、陸続きで国境を接する中国とロシアが、膨大な難民の流入により危機的な状態に直面する。
   また、この記事の識者たちは、中国やロシアは、自由圏の韓国が隣接しているので、北朝鮮を、アメリカン・パワーに対するバッファーとして温存したいとする強烈なインセンティブがあると指摘する。
   それに、イラクの教訓で明らかなように、独裁国家の存在よりも、もっと、最悪なのは、無政府状態だと言うのである。

   さて、日本の核保有論を押すのが、ナショナル・レビュー誌スタッフのCharles Krawthammer氏で、
   ”国連決議も、六カ国協議も、二国間協議も総て忘れろ。行動あるのみで、行動ナンバーワンは、日本の核パワー化(a nuclear Japan)。
   日本は、直接脅威に晒されている国である。
   我々は、日本人に、自分たちが、核保有国だと宣言する勇気を持つべく強力に説得すべきであると思う。
   打開策としては、関係国の利害をリシャッフルする以外になく、日本が核国家となれば、これが、特に中国へのメッセージとなって、中国は、何が本当の国益となるのかを再考せざるを得なくなる。
   そうでない限り、何も進展しない。”と説く。
   日本の核武装と軍事大国化が、中国には最も脅威となるので安閑としておられなくなる筈で、北朝鮮どころではなくなるであろうと言うのである。

   核保有国となる可能性はなかろうが、日本の軍事強化が中国に取って脅威となると言う議論を展開するのが、英国紙ガーディアンのRobert McFarley氏で、
   北朝鮮の挑発行為や核による軍事行動が加速化すればするほど、日本に脅威を与えて、日本のタカ派を力づけると同時に日本の軍事大国化を加速することとなり、これが、北東アジアでの中国の国益を危険に晒すこととなる。
   これまで、中国は、戦争や崩壊の危険を感じなかったので、北朝鮮を適当に泳がせていたが、北の恫喝軍事行動が日本を怒らせて軍事大国化すると、北朝鮮に対して厳しく対処せざるを得なくなると同時に、真剣に、米中協力に入ると言うのである。
   言うならば、北朝鮮の瀬戸際恫喝政策が、これから、中国には、益々コスト高となり、その重圧に耐え切れなくなると言うことであろうか。
   強力な再軍備国家日本は、中国にとっては最悪のシナリオであり、おそらく、北朝鮮の崩壊よりも、もっと、悪い筈。
   いずれにしろ、中国の協力なしでは北朝鮮問題は解決せず、中国が、可能な解決策を行使しようとするインセンティブを持っているのだと言うのである。
   
   以上の論理展開には、日本人として、多少の違和感を否めないが、欧米人のパワー・ポリティックスとしては分らないわけではない。
   このニューヨーク・タイムズの記事には、その他の識者やジャーナリストの見解が紹介されているが、北朝鮮は、危険極まりない破れかぶれの瀬戸際政策で、アメリカとの直接交渉を実現して暗礁に乗り上げた現状を打開したいと言う強い希望を持って臨んでいるようだが、果たして、国家を建て直すことが出来るような手段なり条件を勝ち取ることが出来るのであろうか。
   それに、どうも、オバマ政権にも、これと言った決め手、解決を図るべきはっきりとした戦略があるようにも思えないほど、問題は深刻化してしまっている。

   たとえ、成功裏にソフトランディングして、北朝鮮問題が解決したとしても、ここまで経済状態が悪化し、多くの人民が年々餓死して行く極めて深刻な最貧国状態となってしまい、グローバリゼーションの進展によって世界中の殆どの国が資本主義的に同化してしまった今、果たして、経済的にも、経済社会体制は勿論のこと、イデオロギー的にも、完全に世界の孤児となってしまった北朝鮮の人々が、新しい世界情勢にキャッチアップして行けるかどうか、大いに疑問である。
   
   
   
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福島旅・・・(2)会津若松

2009年05月26日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   遅い午後に喜多方をたち、会津若松に向かった。
   時間も限られていたので街の中心を目指して走り、白木屋漆器展の駐車場が空いていたので車を駐車した。この店では、以前に来た時に、雑煮用の漆器椀などを買っているので知っていた。
   あの時は、漆器を買うことも目的にしていたので、街の中で、丁度漆器などの新作展をしており即売をしていたので、ほかに酒器や重箱など何点か買った。折角来たので、郊外の漆器工場に出かけて工場見学もした。
   本当は、この日、その時の新進漆器職人であった酒器の作家の漆器店を訪ねたかったのだが、無理も言えないので断念した。

   今回は、知人との旅だし希望を入れて、時間も限られていたので、漆器店の向かいにあった昭和なつかし館に入り、その後、野口英世青春通りを少し散策しただけで、宿所のある湯野上温泉に向かった。
   野口英世が手の手術を受け書生をして勉強をしていたと言う会津壱番館(旧會陽医院、口絵写真の手前の建物)には入らなかったが、前回、2階の資料館に上がって野口英世の遺品などを見学した。
   野口博士が、アメリカで最初に行って勉強したのが、ペンシルバニア大学だと言うことで、その頃の品も残っており、私自身も、同じ大学のビジネス・スクールであるウォートン・スクールで勉強していたので、フィラデルフィアのキャンパスの同じ地面を歩いたかも知れないと思うと急に身近に懐かしく感じたのを覚えている。
   娘にも、通っていた幼稚園の近くの研究室で、博士が、医学の勉強をされていたのだと説明したら、目を輝かせていた。

   前回の会津旅は、猪苗代湖の周りも車で走ったので、野口英世の生家である野口記念館にも出かけている。
   赤ちゃんの時に囲炉裏に落ちて火傷した左手が固まって、てんぼう、てんぼうと言われて苛められていた野口少年が、手術の成功に感激発奮して医学を目指して一生懸命に勉強して、偉い医学者になったと言う話は、当時の子供たちにとっては、最も貴重な偉人話のひとつであった。

   さて、ペン大の後、野口英世が移動して20年以上も研究を続けていたロックフェラー研究所関連のページをインターネットで当たっていたら、野口博士にとって、あまり有難くない記事が載っていた。
   今は、ロックフェラー大学となっているホーム・ページの「ウエルチ ホール、旅行者のメッカ」と言う記事で、「今年(2004年)6月、ロックフェラーの細菌学者野口英世は、日本銀行券1000円札に現れた この図書館にもっと多くの旅行者が来ると言うことである」との書き出しは何の変哲もないのだが、その後の記事は、野口英世の業績評価が変わったにも拘わらず、偉人伝説に惹かれた熱心な日本旅行者が、ホール二階の入り口にある胸像(別コピーは猪苗代にもある)詣でに押しかけていると書いており、一寸揶揄的なのである。

   冒頭の記事を要約すると次のとおり。
   20世紀初期に、ロックフェラーで23年間滞在した野口英世は、今日では、もはや、このキャンパスの偉人(big name)の一人ではなくなっている。彼の研究――梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病などの伝染病――は、その当時は、賞賛されていたのだが、彼の研究の結果は、その後、実際とは反対であったり、混乱を招いたりしており、そのいくらかは、拒否されている。彼は、大酒のみで、プレイボーイだと言う評判であった。
   ところが、日本では、全く、反対の話である。・・・

   この野口英世の胸像と写真を撮りたくて、年に何十回となく、礼儀正しい日本旅行者たちが、66番街のゲイトを訪れるようで、ある日など、旅行会社がセットした3台のバスを連ねた団体が来たと言う。
   旋風のような日本人団体が訪れてきて、一人一人胸像の前で写真を撮るのを辛抱強く待っているのだが、ロックフェラー側も、そのためにも専門の説明員を置いたと言うのである。

   記念写真を撮るのは、おそらく日本人だけの趣味のようで、ペン大の時に、色々な国の学生たちとフロリダ旅行をした時、団体写真を撮ろうと言ったら拒否されたし、とあるドイツの街角で、ベートーヴェンの銅像の前で、ドイツ人にシャッターを押してくれと頼んだら、ベートーヴェンと友達か?と言って怪訝な顔をされた。

   いずれにしろ、科学と言うものは、新説が出ると古い学説が放棄されるのはよくあることで、その研究に先頭を切って取り組み学者や研究者を先導して学問研究に貢献したと言うことが、偉大な業績であり、結果だけが総てではない。
   何十年も野口英世の業績で名声を博し、権威を維持し続けてきただけでも感謝すべきを、それはないだろうと言うのが先の記事への私の思いである。

   ところで、昭和なつかし館だが、いわば骨董屋なのだろう、色々、雑多な古物が集められているが、特に、価値があると思えるようなお宝はなさそうである。
   入り口にディスプレイされていた英国製の機関車の模型セットは、面白かったが、仕入れた時から比べると、ぐんと値段が下がってしまったと言う。
   2階が、入場料200円の展示館になっていて、昭和初期の街角や飲み屋などがセットされていて、良くこれだけガラクタを集めたなあとびっくりするするほど色々なものが雑多にディスプレィされている。
   考証的に正しいのかどうかが疑問だが、それなりに、擬古趣味を味わえることは事実だけれど、200円も取って見せる価値があるのかどうかは別問題である。
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片岡珠子展・・・天に献げる地上の花

2009年05月25日 | 展覧会・展示会
   103歳まで絵を描き続けたと言う文化勲章受賞の日本画家・片岡珠子を回顧する追悼展が、日本橋高島屋で開かれている。
   この口絵写真のような豪快なスタイルの富士や浅間の雄姿や、非常にコミカルな人物像・面構の数々、それに、78歳になって挑戦したと言うヌードなど、とにかく、80年間も描き続けたと言うのだから、興味深い作品が並んでいて面白い。

   場内で放映されているビデオを見れば、遠くの高台から富士を遠望して写生している姿が映し出されているのだが、マジックペンで、豪快に輪郭線を描き、マジックやパステルで色づけしている。
   私など素人から見ると、写生ならもう少し写実的なスケッチを描くはずだと思ってしまうのだが、最初からパッチワーク・キルト風の絵で、出来上がれば、原色の赤や青を使った極彩色の、それも、ゴッホもびっくりするようなエネルギッシュな大きな絵が出来上がるのである。
   大きな刷毛で絵の具を塗り、丸めたタオルで表面を叩き、指を使って色づけするなど独特の手法で描くのだが、自分の作品として、どこかに、必ず指紋を残すのだと言う。

   小田原の海を描くのに、最初は恐ろしくて何も描けず、一週間通い詰めてじっと海を眺め続けて、やっと、落ち着いて描けたと言う非常に繊細で優しい性格でありながら、自然風景を描いた絵は、絵の具が躍動しておりエネルギーが漲っている豪快な絵となっている。
   富士を描いた絵は何点か展示されていたが、随分、富士にはお世話になったので、綺麗な着物を打掛けるように、花を描いてお礼をするのだと言う。ひまわり、牡丹・芍薬、大山蓮華であろうか、踊るような花の姿と色彩が実に美しい。

   浅間山を描いた火山と言う絵だが、赤基調の荒れ狂うような山肌の天辺にはもくもくと噴火の噴煙が立ち昇る。しかし、手前の黄金色に輝く麦秋の麦畑の向こうには、静かに佇む民家の列が丁寧に克明に描かれていて、この絵を横に走る中景となっている。頭上では噴火しているのに、事も無げに生活している人々の日常を、愛情を込めて、しかし、爆発するような激しさで驚きを吐露しているような、この絵は感動的でさえある。

   還暦を越えてから、日本の過去の有名人を描いた面構(つらがまえ)と言う人物像のシリーズを始めて、漫画チックな雰囲気で描かれているのだが、その人物に関係する最も象徴的なものごとどもを背景に描いていて面白い。
   葛飾北斎などは、浮世絵の赤富士をバックにしており、写楽なども、歌舞伎役者を描いた絵を背景に据えている。
   写楽について、富豪か貴族で、徳川家に関係があり、外国貿易で富をなして外国へ移り住んだ人と考えて描いたと言う発想が面白い。
   秀吉などもそうだが、人物画は、残されている肖像画を参考にして描かれているので、お馴染みの絵であり説明を読まなくてもすぐに分かる。

   この面構シリーズは、等持院にある足利尊氏の木像をみて興味を持って描いたのがスタートのようだが、雀右衛門と交流があると言うので期待していたが、その絵は出展されていなかった。
   もう一枚、少し若い頃の人物画で、「雄渾」と名付けられた白衣の祈祷僧の絵が展示されている。この絵だが、最初会った時に、モデルになってくれと頼んだら断られ、指示に従って21日間の寒行を実行して許しを得て描いたと言うのだが、厳しい祈祷僧の激しい面構えを黒い輪郭線で鮮明に描いた力作で、その後の面構のはしりとしてはリアルである。
   
   晩年になって描いたと言うヌードだが、何故、こんな絵を描く気になったのか良く分らないほど魅力に乏しい。
   アクロバット風で動きは感じられるのだが、肝心の美しさが感じられないのである。

教え子の小学生たちを描いていた「落選の神様」と言われていた初期の絵と、60を越えてからの絵とは、様変わりだが、とにかく、80年の画業であるから、残した足跡は多様で大きい。
   久しぶりに、スケールの大きな迫力のある、そして、コミカルなほっとするような懐かしい絵を見た感じがしている。
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国立劇場五月文楽・・・昼の部

2009年05月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大阪日本橋に国立文楽劇場が開場されて丁度25年。
   その記念を祝して、冒頭の出しものは、「寿式三番叟」で、人間国宝の竹本綱大夫と鶴澤清治に加えて、人形は、千歳を清十郎、翁を和生、三番叟を勘十郎と玉女と言う次代を背負うトップ人形遣いが競演する華やかさで、正に、世界遺産たる文楽の今を象徴するような素晴らしい舞台である。

   この国立劇場の方が先に出来て、文楽の本場大阪にもと言う願いが叶って、それも、江戸時代に、文楽の名を残した植村文楽軒の芝居小屋のあった故地に建設されたと言うのだから、大阪弁で書かれて大阪弁で演じられている文楽としては、大変なエポックメイキングなイベントであったのであろう。
   杮落としには、やはり、寿式三番叟が演じられたと言う。

   ところで、この寿式三番叟だが、初めての海外公演で演じたらしいが、何をしているのかさっぱりわからん、と言うのがアメリカ人の反応だったと住大夫は語っている。
   千歳の登場と三味線の重厚な音が儀式の始まりを告げ、「それ豊秋津州の大日本・・・」といくら荘重に語られて、翁が威儀を正して登場しても、
   あるいは、千歳が颯爽として優雅に舞い、神となった翁が厳かに舞い、
   最後に残った二人の三番叟が、天下泰平、五穀豊穣、子孫繁栄を祈って、賑やかに激しく舞い狂っても、全く日本的で、話や筋がない様なお祝いの祝儀曲だから、欧米人に分かれと言っても無理かも知れない。
   めでたさの感覚が、全く違っており、理屈と美意識が勝ち過ぎた欧米と、このような目出度くて有難いパーフォーマンスを、理屈ぬきで喜ぶ日本人の落差の大きさが面白い。  

   私は、この寿式三番叟をはじめて観た時には、能舞台のような千歳や翁の舞いではなく、三番叟の、正に、人形だから出来る激しくて神業のような舞に感動さえ覚えた。
   今回も、勘十郎と玉女の激しくも華麗な舞を堪能させて貰ったし、清十郎と和生の人形も崇高ささえ感じさせてくれた。
   久しぶりの綱大夫の重厚な翁、素晴らしく張りがあり美声の文字久大夫の千歳、それに、何と言っても、鶴澤清治を真ん中に9人が一列に陣取って放列を敷く三味線の迫力は抜群で、やはり、私は日本人なのであろう、分かる分からないと言う以前に、良い気持ちになってしまって観ていた。

   「伊勢音頭恋寝刃」は、住大夫の語り、錦糸の三味線に乗って、女郎お紺の文雀、仲居万野の簔助と言う人間国宝の揃い踏みの豪華な舞台で、これがまた素晴らしい。
   1798年に、伊勢の古市の遊郭油屋で、医師・孫福斎が、なじみの遊女・お紺の心変わりに逆上して遊女や仲居を殺傷したと言う実際にあった事件を題材にして、これに、いつもの家宝の名刀が盗まれてどうのと言った話をくっつけて、近松徳三が書き上げたのが歌舞伎で、その後、人形浄瑠璃に移されたのが、この舞台である。

   話も大分脚色されていて、殺されるのは刀を盗もうとする徳島岩次(玉志)に加勢する悪賢い万野の方で、逆上した主人公の福岡貢(玉女)が仲居や女郎たちを滅多切りにするも、貢を一途に思い詰めていたお紺の方は、刀とその折り紙を持たせて貢を逃亡させるのである。
   いずれにしても、この舞台で面白いのは、悪知恵の働くやり手婆の万野で、歌舞伎で見た福助の万野を思い出すのだが、この中年悪女は、町子の意地悪ばあさんとは一寸ニュアンスの違った典型的な関西風の女なので、そこは、流石に簔助は上手い。時々、コミカルで性格俳優的なキャラクターの人形を、人格の内面までを滲み出させるように遣っているのを観る機会があるのだが、実に女らしい振るいつきたいような魅力的な女形像を描き切る簔助の芸の奥深さは、計り知れない。

   住大夫だが、この万野のキャラクターを含めて、愛想尽かしをされたとして逆上する貢、恋心を押し殺すお紺等々色々な性格の登場人物を実に表情豊かに活写す。
   初めての海外公演の思い出で、「大夫は、シンガーって呼ぶんです。私、シンガーでっせ。」と住大夫は言っている。
   私は、歌舞伎よりも文楽の方が、オペラに近いと思っているのだが、やはり、アメリカ人は、大夫をナレイターではなく、タイトル・ロールを朗々と歌うシンガーと捉えたと言う事で、語りと言うよりは、沢山の登場人物の声音を、すみ分けて歌い上げる台詞回しに真骨頂があるのであろう。
   余談ながら、子役時代から七色の声で一世を風靡し、東大の学者がその秘密を熱心に研究したと言う中村メイコの浄瑠璃語りを、一度聞いてみたいと密かに思っている。

   最後の「日高川入相花王」は、例の安珍清姫の物語で、清姫が安珍に出会う「真那古庄司館の段」から、裏切られて安珍を追いかけて蛇に変身する「渡し場の段」までが演じられ、清姫を遣う紋寿の感動的な舞台が胸を打つ。
   人間国宝と次代を担うホープたちの狭間で、地味で目立たない感じだが、文吾亡き後、押しも押されもしない文楽界の重鎮で、その芸には感動的とも言うべき奥深さがある。
   「女形ひとすじ」と言う著書を読んで、益々ファンになったのだが、文楽軒のふるさと淡路の伝統を背負った女形人形遣いの魅力は孤高の魅力さえ醸し出す。
   
   この「真那古庄司館の段」の切を語るのが、最高峰の切場語りに昇進した豊竹咲大夫で、記念すべき晴舞台。名調子が冴え渡る。

   ところで、この安珍清姫物語だが、清姫が安珍憎しと安珍を鐘に撒きついて焼き殺すと言うのは分かるのだが、この浄瑠璃では、
   「エエ妬ましや腹立ちや、思ふ男を寝取られし恨みは誰に報ふべし・・・」と、恋敵のおだまき姫への恨みを一気に募らせて蛇に変身して川にざんぶと飛び込む。憎くて堪らないのは、恋敵の方なのである。
   女性は、子供を残すので、相手の選択には厳しいと言うことだが、男の方も、胤をばら撒くと言う本性の反面、やはり、相手に拘ると言う面も強いと言うことを、義理や人情、道徳モラル以前にあることを、清姫も知るべきであったかも知れないと変なことを考えてしまった。
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トマト栽培日記・・・(7)二番花房にも結果

2009年05月23日 | トマト栽培日記
   6本のトマト苗とも、見違えるように大きくなって、殆どの木の二番花房も立派に結実し始め、三番花房の花が結実して消えて行く木もある。
   頂上には、五番花房と思しき小さくて真っ黒な斑点が見えてきた。

   普通、トマトの花房、すなわち、トマトの実が結実して赤くなってぶら下る房は、上から下まで、枝の同じ方向・位置に付くのだが、やはり、天邪鬼な木もあるもので、一本、反対の方向を向いて花房が付いた。
   私の場合、まだ一番花房さえ付いていない幼苗を買ってきて、何処に花房が付くのか分からずに植えたので、花房は、あっちこっちしている。
   畑なら、収穫時の利便性を考えて、通路側に花房を向けて植えるのだが、プランターなので、どっちを向いていても大差ない。

   トマトのむーんとした匂いを感じて、子供の頃の宝塚の田舎を思い出した。
   歌劇場のある山の手とは違って、尼崎方面へ向かって下る武庫川の東側の平野部には、田園地帯が広がっていた。
   今では完全に都会化されてしまって昔の面影さえ残っていないが、当時は、今のように近郊農業とか言って都会型の田舎ではなく、何処にもあった普通の田舎で、毎日、かばんをほっぽりだして野山を駆け回り、真っ暗になる頃に家に帰ったので、勉強と言うか宿題などした記憶がない。
   竹とんぼ、水鉄砲、竹馬、つり道具、弓矢、それに、藁ぞうりなど、遊び道具は何でも自分で作ったし、正に、ウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川の世界で、からすが山へ帰るのも忘れて遊びほうけていた。
   そんな遊びグラウンドである畑には、季節毎に花が咲き農作物が実を結び、中でも、赤く色づいたトマトのむーんとする蒸せるような夏の香りが印象的であった。

   当時のトマトは、完熟しても、まだ、青みの残った白っぽい橙色で、すっぱさの勝った甘酸っぱいトマトで、今の真っ赤で美しくて美味しい桃太郎トマトとは雲泥の差であった。
   この黄色の勝ったトマトは、酸味と香りの強い赤色系トマトと言うらしく、その後の赤くて皮の薄い甘いトマトは、桃色系トマトと呼ぶらしい。
   味はともかく、一皮剥けば、中身は同じ色だと言う。

   農村地区であったので、季節になると係官が来て、集められた出荷を待つトマトを検査して、秀優良などと鑑定して段ボール箱にはんこを打つ。
   同じ地区で畑を並べて生産している農家ながら、品質はまちまちで、「○○はんとこのトマトは、いつ見ても、嫁入り前の別嬪さんみたいで惚れ惚れしまんなァ。」と秀を貰う農家もあれば、芋の子を並べたような不ぞろいのトマトでカツカツの良を貰う農家もあり、子供心にも、世の厳しさを感じてしまった記憶がある。

   西欧では、トマトと言えば、煮込んだりソースとして料理用に使うことが多いので、赤色系でも桃色系でもどちらでも良いと思うが、果物感覚で生のままで食べる日本人には、やはり、桃色系の皮が薄くて甘い真っ赤なトマトが良い。
   あの甘酸っぱい黄色がかった昔のトマトでないとトマトではないとのたまう御仁がいるが、余程、貧しい生活をしていてトマトばかりを食べていたのだろうと勘ぐっている。

   サンマルツァーノ・ロンドの方は、野放し状態でほってあるが、沢山付いた実が大分大きくなり、どんどん、花房が増えて来ていて、元気である。
   木の背丈があまり伸びなくて、ほかのプランター苗の方が、間延びと言うか、肥料が効きすぎて木ばかり大きくなって、実付きが悪いのではないかと心配になってきた。

   種植えのアイコ苗は、大分大きくなって、黒っぽいゴマのような一番花房が見えてきた。
   来週あたりに、地植えに変えようかと思っている。
   種蒔きの土は、種まき用のものを使ったが、ポットへの移植時には、花用の培養土を使った。その後、一度、液肥をやった所為か、草丈が、市販のアイコ苗より大きくなっているので、苗の段階では、肥料分を避けた方が良いのかも知れない。
   
   庭の芍薬は、完全に花が落ちて、その後に、紫色のホタルブクロが一面に咲き始めた。
   まだ、残っている都忘れとイングリッシュ・ビオラに加わって、青色系統の花に、主役が交代した。
   ゆり、フェジョア、アジサイなどの蕾が膨らみ始めて、スタンドバイしている。
   もうすぐ梅雨入り、夏である。
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福島旅・・・(1)喜多方へ

2009年05月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   ゴールデン・ウィーク明けの週日、運転上手の友人夫妻の企画に乗って、福島へ一泊旅行に出かけた。
   私の旅は、海外であろうと国内であろうと、団体旅行などは、社内旅行や視察団旅行などでない限り皆無で、旅の殆どは、私自身が計画準備した個人ないし家族旅行なのだが、今回は、親しい友との熟年のプライベート旅行なので、完全に任せて、おんぶにだっこで出かけた。

   福島へは、随分前になるが、家族と一緒に、千葉から車で、磐梯山や磐梯高原、五色沼などの裏磐梯、それに、会津若松にと2回ほど観光旅行に行ったことがあり、そのほか、郡山には出張で出かけているのだが、その程度であってよくは知らない。
   今回は、北関東自動車道を葛西から北上して東北自動車道に入り、まず、喜多方を目指す。
   その後、会津若松に入って、その日は、会津鉄道に沿って会津西街道を南に下って、湯野上温泉で宿泊する。
   翌日は、少し引き返して、大内宿を観光して、午後に、石仏が林立したような絶壁のある塔のへっつりを経て千葉に帰る。
   ざっと、そんな旅程だったが、連休の時には、車の渋滞で身動きが取れなかったと言う観光地も、殆ど客足が途絶えて、全く、静かになった新緑の美しい福島の休日を楽しむことが出来た。

   朝7時頃に家を出たので、高速道路が空いていた所為もあり、喜多方に着いたのは11時過ぎであった。
   途中の黒磯パーキングエリアなども閑古鳥が鳴いていたが、店員の気の抜けたような仕草や店舗の商品棚が空いているのを見て、ゴールデンウィークの観光客の殺到の凄まじさが分かる気がした。高速料金1000円効果の恐ろしさを身に沁みて感じたのだが、日本と言う国は、豊かなのか貧しいのか。
   民主党が政権を取れば、高速料金はタダとなる。ETC機を売りつけた関係者はあぶく銭を稼いだ勘定だが、その後は、壊滅状態となる。
   殆どの欧米がそうだが、私は、幹線道路は、税金で建設して、総て、通行料はゼロにすべきだと思っている。

   大噴火で頂上が吹っ飛んだと言う磐梯山が見えると、会津若松は近い。郡山インターを西に回りこんで、猪苗代湖の水面を左に見て少し走って高速を降りて、田舎道を北に走ると喜多方である。
   蔵の街として歴史と伝統のある会津の田舎町だと言う認識と、何故、ラーメンがそれほどまでにもポピュラーなのかと言う疑問を持った程度にしか意識のなかった喜多方だが、やはり、真っ先に来た駅の佇まいなども、鄙びた田舎町と言う感じで、まず、人通りが殆どない。
   駅の案内書で、市内地図を貰って、ラーメンを食べるなら何処が良いかと聞いてみた。勿論、仕事柄特定の店を推薦する訳に行かないがと言って、中年の店番風の婦人が、手馴れたもので、数軒、地図に丸印をつけて捲くし立てた。
   どんな味が好みかと聞いたので、友を差し置いて元関西人だと言ったら、薄味で女性だけでやっている古い店が良かろうと言って教えてくれた「上海」に行くことに決めた。

   私は、知らない街に行って、何処で食事を取るかは、観光ガイド・ブックなどの筆者も、総てのレストランを食べ歩きした筈はないし、どうせ店もバックマージンを払って書いて貰っているのであろうから信用せずに、地元の人に聞いて、地元の人が良く行く普通の店に行くことにしている。
   ヨーロッパの場合には、ミシュラン・ガイドを信用しているが、日本では、当たっているか当たっていないかは別にして、この方法で満足している。

   「上海」は、本通から外れた小さな店で、暖簾をくぐったら、10人も入ればいっぱいの一階は避けて二階に上がった。平凡な何の変哲もない店だが、店内には、小澤征爾や、名の通ったタレント、それに、TVのロケ写真などが飾ってあるから、人気店なのであろう。
   私は、一番人気だと言うので自家製のチャーシューめん大盛りを注文して食べた。元々、ラーメンは苦手なので、うまいかまずいか分からなかったが、連れは満足していた。
   会津の民芸品本郷焼の器を使っていると言うことを後で知ったが、普通の茶碗であったとしか記憶がない。

   蔵を見るのだが、時間が限られているので、大正期の豪邸で日本庭園もある国登録有形文化財だと言う「甲斐本家蔵座敷」に直行した。(口絵写真)
   7年の歳月を要し、現在換算18億円の巨費を投じての建造だと言う。
   最も素晴らしいのは、当時の日本建築の粋を集めた座敷蔵で、黒漆喰の外壁に、選りすぐりの銘木・ふしなし檜・紫檀・黒檀・タガヤサンをふんだんに使って、当時最高の職人技術を駆使しての外装・内装であるから流石である。
   庭からの展望だけで、中に入れないので、その良さは良く分からないが、日本中を回っていると、土地の実業で富をなした人たちの建てた、このような立派な日本建造物に出くわすことが結構ある。
   日本庭園は、まずまずの出来で感慨はない。
   擬古的西洋風の応接室が喫茶室になっているので、コーヒーを頂いたが、この蔵を建てた四代目がハイカラだったようで、ここだけが異空間で面白い。

   街道に沿って複数の蔵が残っていると言う南町のおたずき蔵通りまで歩いた。
   小さな古い建物が並んでいると言う感じだが、私の認識である蔵とは、倉庫や土蔵と言ったストレージのイメージだが、ここでは、商家やものつくりの工場などの建物コンプレックスを総称しているようである。
   蔵のひとつや二つ建てられないようでは男ではないと言う風潮が強くて、蔵建造競争が始まって蔵の街が生まれたらしい。

   ここで、2~3軒蔵(実際は店)見学を梯子したが、最後は、モーツアルトを聴かせて日本酒を醸造すると言う「小西酒造」に入って、酒蔵見物をした。
   先日書いた小布施のセーラ姫の樽醸造と違って、精米の大釜だけは古風だが、完全に金属製の機器にコンピュータ制御の近代的な工場で、何番か思い出せなかったが、モーツアルトのディヴェルティメントが流れていた。
   流石にモーツアルトを聴いて育った音楽酒 蔵粋(クラシック)の銘柄どおりである。
   ベートーヴェンや北島三郎など色々な音楽を聴かせて実験したが、モーツアルトが一番良かったとかで、私の買った一番上等なスーパー大吟醸マエストロ蔵粋は、モーツアルト最後の交響曲第41番ジュピターを聴かせて醸造したと言う。
   肝心なのは、誰の指揮でどのオーケストラが演奏したのかだが、野暮な詮索はやめるとして、とにかく、何とも言えない大らかな遊び心が貴重で嬉しい。
  16.5度、やや甘口、なかなかのものである。 

   余談ながら、モーツアルト鑑賞は、経営者の思考に役立つのかと言った大真面目な経営学論争がHBRなどで戦わされたり、モーツアルトを聞いて試験を受けた子供の成績が良かったとハーバードの先生が発表するなど何度も取り上げられているが、要するに、モーツアルトのあの天国的な美しさの宝石のような音楽は、人間に限りなくプラスであることは間違いなさそうなのである。 
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竹本住大夫著「なほになほなほ」

2009年05月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   三宅坂の国立劇場で、文楽観劇時に、剛直なサイン本を見て、住大夫の「なほになほなほ」を買って早速読んだ。
   日経の「私の履歴書」をベースにした本だが、今までに、住大夫の芸談など断片的に読んでいたのだが、一気に纏めて読めたので、人となり芸となりが良く分かって面白かった。

   この奇天烈なタイトルは、住大夫が人間国宝に認定された時に、薬師寺の高田好胤管主からお祝いに贈られた色紙の文句で、更なる精進を祈ったものとか。住大夫の最も好きな言葉だと言う。
   人間国宝を受けて真っ先に電話を架けたのが好胤管主。「いま、忙しいのに何やねん」といつもの口の悪さで応えた管主が、「へえ、とうとうなったか、そうか」と絶句して涙したと言う。
   昔、上野照夫教授の美学の授業で奈良に出かけた時、親しい間柄だと言うことで、三重塔前で好胤副管主の青空説法を聞いたことがある。
   若くて凄い美男子だったが、「男前やから罪が深いのや」と言っていたことと、天武天皇と持統天皇の夫婦愛がフローズン・ミュージックとして凝縮昇華したのが裳腰を付けた美しい三重塔であると言う話だけは、何故か、妙に鮮明に覚えている。
   
   住大夫は、1924年生まれだから、戦後の食うや食わずの苦しい時代を潜り抜けて芸の精進を続けてきた。
   簔助の書物などでも、当時の苦しい生活状況や、組合結成で分れた三和会と松竹に残った因会との分裂状態の文楽界の苦境などが書かれていて、その大変さが分かるのだが、文楽が、文楽協会発足で改組されるまで、この状態が、14年間も続いたと言う。
   尤も、この文楽界の併走状態が競争意識を高め、人不足故に、若手芸人に、思わぬチャンスが廻り来ると言う副産物が生まれた。
   人形遣いが足らないので、住大夫が、人形の足を遣ったことがあると言うのが面白い。

   しかし、やはり、感動ものは、こんなに苦しい苦難の時代にあっても、大夫、三味線、人形遣いの三業の人々は、必死になって芸の精進に励んで、技術の向上と伝統維持にこれ努めていたと言うことで、あの宮大工の西岡常一さんの匠の技の継承とともに、日本人の本物志向と芸術に対する限りなき執念には、驚かざるを得ない。

   食うために全国を回った地方へのどさ回りの泣き笑い人生も面白いが、止めを刺すのは、妻からの「ミツコキトク、すぐかえれ」の電報事件。
   夜行列車でまんじりもせず早朝タクシーをはりこんで家に駆け込んだら、危篤の本人が立っていて、「どないしたん」と聞く間もなく鍵をかけて締め出された。一日ごまかして家を出て祇園に直行し翌朝汽車に乗ったのがばれていたのである。
   元気な光子の顔を見た同僚に、言い訳するのが大変であった。
   この住大夫だが、人間国宝の東宮御所での認定式で、天皇皇后両陛下に妻光子の功を労われ、好胤管主肝いりのお祝いパーティで、「誰のおかげか」と聞かれて「もちろん嫁はんです」と答えた。
   賞を貰って顕彰される度毎に、妻に感謝感謝、「家内がいてこその栄誉」とのサブタイトルまでつけた。那智への幸せな夫婦水入らずの小旅行で英気を養っていると写真入で、履歴書を結んでいる。

   第二部では、米朝や仁左衛門などとの「文楽と上方と伝統芸能」異色対談、第三部は、浄瑠璃姫物語。
   とにかく、住大夫ファンには、素晴らしい本である。

   今、国立劇場で、住大夫は、「伊勢音頭恋寝刃」の「古市油屋の段」を、錦糸の三味線で語っている。
   住大夫の名調子に乗って、文雀の女郎お紺、簔助の仲居万野、玉女の福岡貢などの人形で、素晴らしい舞台が展開されている。

   
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B.リバート/R.フォーク著「チーム・オバマ勝利の戦略」

2009年05月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   冷静さを貫いたリーダーシップ・スタイルからインターネットのソーシャル・テクノロジー、そして基調に流れる変革のメッセージ。
   イリノイの片田舎から彗星のように現れた無名の黒人政治家バラク・オバマが、正に時代の申し子と言うべき選挙キャンペーンを展開して、奇跡とも言うべき逆転劇を演じて、超大国アメリカの大統領になった。
   全米を地殻変動のように動かしたネット戦略を駆使して勝利をおさめたオバマの選挙戦と政治哲学から、今こそ、ビジネス界は教訓を学んで、創造的破壊の大変革を志向して未曾有の大不況から脱出すべきだと、経営戦略学として書かれた小冊子が、このバリー・リバート&リック・フォーク著「チーム・オバマ勝利の戦略 BARACK,Inc. WINNING BUSINESS LESSONS OF THE BARACK CAMPAIGN」である。

   著者たちが説くオバマの傑出した特質であるとしてあげている3点の内、冷静さを貫いたリーダーシップ・スタイルと変革のメッセージについては、ある意味では、他の大統領や企業トップにも現れ得る条件なので、ここでは、正に、IT革命の発露とも言うべきソーシャル・ネットワーキングの巧みな活用が、如何に、オバマ選挙キャンペーンにおいて、破壊的なパワーとして炸裂し貢献したかについて考えてみたい。
   蛇足ながら、オバマ大統領が、未来志向の素晴らしい哲学と知力を具えた不世出の逸材でありトップ・リーダーであることは、疑いがないと思っているので、ソーシャル・テクノロジー活用のネット戦略選挙のみを強調しているのではないことを付記しておきたい。

   スマートフォン「ブラックベリー」愛用のネット世代であるオバマは、Facebook,Flicker,Twitter,YouTubeなどのウェブサイトと言ったソーシャル・ネットワーキングを巧みに使って、選挙には無縁であった数百万の若者たちに初めて有権者登録をさせ、皆が必ず投票に行くことを促した。
   ブログ、携帯メール、携帯電話網などインターネット技術をフル活用して、アメリカ全土にわたる草の根コミュニティ(My.BarackObama.com)を立ち上げ、支援者との瞬時のコミュニケーションを可能にし、一人一人の小さな協力者を献金者とボランティアの大軍勢に変えて、600億円を超える膨大な選挙資金を集めたのみならず、オバマの為なら何でもすると言う献身的な人材を糾合して結成された運動員チームを動員し、最初から最後まで徹頭徹尾オバマ・キャンペーンを推進し続けたのである。

   ヒラリー・クリントンが独走していたので、後を追うオバマには、草の根アプローチが残された唯一の道であり、オンライン・コミュニティを結成して、変革のメッセージを伝播して支持者の大津波を巻き起こす以外に選択肢はなかったのである。
   オバマは、フェイスブックの創業者の一人である24歳のクリス・ヒューズを引き抜いて、前述のMy.BarackObama.comを作成させた。
   アクセスした個人が、オバマ当選に協力の意思を示すと、エレガントでエンターテインメント性のあるフェイスブックと同じようなMyBoのページに飛んで、自分の個人ページを作成して独自にオバマ・キャンペーンが可能となり、これが、巨大な電子メガホンとなり、数億ドルの献金が集まり、数百万本の支持を呼びかける電話が架けられ、10万単位のオバマ支援イベントが組織されたと言う。
   とにかく、数え切れないほどのボランティアのオバマ・サポーターたちがが、寝食を忘れて、有権者たちに、携帯電話やインターネットで、オバマ支持を訴え続けて来たと言うのである。
   
   オバマのインターネットを駆使したソーシャル・テクノロジーを活用した選挙キャンペーンが、政治の世界を大きく変革してしまった。
   正に、フリードマンの言うフラット化した世界での大変革であり、ウイキノミクス時代におけるソーシャル・テクノロジーが大旋風を巻き起こしているグランズウェルの大波を如何にして乗り切って行くか、政治も経営も、全く新しい局面に突入してしまった。

   ところで、新生鳩山民主党が、選挙に抜群の威力を発揮すると言う小沢一郎氏を選挙担当の代表代行に指名したが、果たして、日本のために、そして、民主党のために、時代の潮流を見越した正しい戦術であったのかどうか、非常に興味深い問題でもある。
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イタリアより貧しくなった日本

2009年05月19日 | 政治・経済・社会
   今日、IBMのセミナーIMPACT2009で、森永卓郎獨協大教授が、とうとう、日本の一人当たり国民所得が、イタリアに抜かれてしまった、大変なことだと語った。
   あのイタリアに、と言った一寸、イタリア蔑視の日本人の視線からの発言のきらいが強いのだが、私自身は、世界の20位前後とかで、既に、OECDの殆どのヨーロッパ先進国と比較しても遅れをとっている日本であるから、何の不思議もないと思って聞いていた。

   もっと厳密に言えば、イタリアのアングラ経済、すなわち、国民所得統計には計上されていない闇の所得が、一説によると30%以上あると言うことだから、これを足せば、もう、ずっと以前に、一人当たり国民所得は抜かれてしまっているのである。
   それに、文化と伝統、文化歴史遺産などの国家財産の豊かさや、人生を謳歌する国民生活の質の高さなどを考慮すれば、はるかに、イタリア人の方が豊かな生活をしていると考えても不思議ではない。

   威勢の良い森永教授の発言には、いつも、それなりに保留条件をつけて聞いているのだが、今日のクリエイティブで付加価値の高いイタリア産業の生産性の高さについての発言は、全面的に賛成であった。
   久米宏の着ているジョルジオ・アルマーニの背広は、50~70万円するのだが、私の背広はアオキの9千円だと、聴衆を笑わせながら、ブランドもののイタリア製品が、何故、これほどまでに桁違いの価値を生み出しているのか、今日は、まともな経済学者としてその説明を行った。

   フェラーリは、中々エンジンがかからないので、エンジンがかかった時の喜びは大変もので、最高の技術を保持しながら、この「ふざけ」が、価値を付加する源泉。
   イタリアの価値ある商品は、すべからくアートであり、言うならば、職人がプライドを持って創り上げた芸術品。etc.
   
   経営はアートであり、クリエイティブ・クラスの時代である今日では、創造的な人間の知的な営みによって生み出されたハイ・センスな財やサービスが、真の価値を作り出すのだと言った議論は、このブログで、リチャード・フロリダやダニエル・ピンクその他の学者の説を引きながら何度も論じて来たし、そのような時代の潮流に対応した経営革新の必要性についても語って来た。
   更に、世界中の国や企業が、最高の頭脳を求めて熾烈な争奪戦に明け暮れていること、世界中のトップ企業がブランド戦略に如何に腐心しているか、そして、クリエイティビティを生み出すためにはどのような戦略が有効なのか等々も論じてきた。

   蛇足となるので、これ以上論じることは止めるが、ここで、森永教授は、スポンサー企業に敬意を表して、イタリア企業のITへの取り組みについても語った。
   イタリア企業の経営者は、決してITに対して消極的ではなく、むしろ、積極的であり、最高度にITを活用しており、人間の感性に関係のない事業分野は一切ITや機械に任せて合理化して生産性をアップし、人々は、浮いた時間で、クリエイティビティの活用、価値ある富の創造のために、エネルギーを傾注するのだと言うのである。
   仕事をせずに遊んでいるように見えるが、仕事をする時の集中力は大変なもので、私自身、欧米人の途轍もない創造性や使命の追求に向かってのエネルギーの爆発を具に見ているので良く分かる。
   要は、仕事も人生もメリハリだと言うことであろうが、今日の企業経営においては、クリエイティビティとテクノロジーの融合、ベスト・マッチが、大切だと言うことでもある。

   この科学技術と芸術の融合を説明したくて、森永教授は、「モナリザ」の素晴らしさは、画家であり、科学者であり、医学者であり、色々な分野の技術者であったレオナルド・ダ・ヴィンチの多能な才能とインテリジェンス故であったことを強調していた。
   私自身は、ダ・ヴィンチのみならず、フランスやスペインなどもそうだが、ラテン系の人々の、アートやクリエイティビティなどを生み出す感性の豊かさは、群を抜いていると思っている。
   これらは、殆どカソリック系だが、科学と技術で秀でた業績を残している英米やドイツなどが新教であるのは、風土だけではなく宗教観も感性に大きく影響するのであろうか。

   ところで、わが日本だが、クリエイティビティにおいても、テクノロジーにおいても、両方優れている、正に、両刀使いの達人だと思いたいのだが、どうであろうか。
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御用聞きと出前の時代:百貨店の凋落

2009年05月18日 | イノベーションと経営
   先日、伊藤洋一氏の講演で聞いた一時代一技術:電気自動車時代の到来について書いたが、この講演はIT関連企業の主催であった所為もあり、伊藤氏は、IT時代の到来で、商業そのものが大きく変化してしまったことを語った。
   現在の商業は、江戸時代に主流であった御用聞き・出前の時代に回帰した。
   楽天やヤフーのネット・ショッピングは、御用聞き・出前そのものだと言うのである。

   富山の薬売りのように顧客を回ってものを売る時代になったのであって、立派な店舗を構えて、店に来いと言う時代ではなくなった。
   まず、第一に、若者の人口が大きく減ってしまって、老人の人口比率が増加の一途となると、店になど行かないから、百貨店など、いくら改装工事をして飾り立てても、閑古鳥が鳴くだけで、今、あっちこっちでばたばた潰れているように、百貨店の明日は限りなく暗いと言うのである。
   最近、コンビニさえ、老人たちの電話やネット注文を受けて、商品を自宅まで届けていると言うから時代も変わったものである。

   余談だが、最寄の京成の駅から、毎朝決まった時間に、大きな農産物の籠を背負った行商のおばさんたちが専用の特別車両に乗って行商のために東京に向かっている。
   時代の波に翻弄されながらも、律儀にお得意さんに新鮮な農産物を届けて、僅かな生活の糧を稼いでいる初老のおばさんたちの心意気に感じ入って見ているのだが、IT時代とは違った商売の原点が、まだまだ健在で生き続けているのであろうか。

   伊藤氏は、直接語らなかったが、レジメに、
   日本が勝ち組で有り続けるために、
   「品質」「低価格」「アイデア」「新奇性」がポイント。顧客の購買意欲刺激こそ商売の基本であり、「時代のせい」にすることは負けを意味する。ITの活用こそカギ。と書いている。
   顧客の購買意欲が減退し、需要が完全に落ち込んでしまった以上、起死回生を図るためには、新しい需要を生み出す努力をしない限りブレイクスルーはない。
   このためには、既に、ウイキノミクスやグランズウェル時代に突入して、インターネットなどのIT技術が猛威をふるって市場を席巻している以上、IT技術をフル活用して、新規需要を掘り起こすこと以外に道はないと言うことである。

   私の場合には、最近、贈り物をする場合とか、デパ地下とか、その他特別な買い物をする場合を除いて、展覧会は別として殆ど百貨店に行かなくなってしまったが、百貨店の楽しみは、店に行って、何か新鮮なわくわくするような楽しみなり出会いと言った魅力的な経験が得られなければ、殆ど魅力はないと思っている。
   企業相手の外商や特別な金持ち顧客を相手にすると言った上澄みのビジネスモデルで勝負を続けるなら別だが、若者顧客がネットショッピングに流れてしまい、老人が店に来なくなると、先は暗い。
   欧米で、新しいジャンルの商業ビジネスに蚕食されて、どんどん市場と顧客を失って、多くの百貨店が潰れて行った現実をつぶさに見ているので、なぜ、日本の百貨店が、離合集散を繰り返しながら、店舗を改装して品揃えを多少変える程度で、あいも変わらずに、同じビジネス手法を続けているのか、競争相手の市場を食う以外に、全く、道がなく、所詮ジリ貧で滅びて行くだけなのに、と疑問に思い続けている。

   私は、本の買い方だったら人様よりは分かると思うので、この視点から考えて見ると、大型書店が百貨店だとすると、いくら立派な工夫を凝らして飾り立て万巻の書籍を揃えて素晴らしい店舗を構えても、所詮は、アマゾンやネット・ブック・ショップに顧客を蚕食されて追い詰められてしまうと言うことである。
   まず、その前に、半分は、iPod革命と同じで、インターネットや携帯で読めるeブックの普及で市場を失ってしまう。
   私は、たまたま、東京近郊と言う場所に恵まれていて、素晴らしい大型書店にアクセス出来るので、両方を都合よく使っている。アマゾン以外にも使っているが、ネット・ショップでほぼ充足出来ると思っている。
   翻訳本や英語の書籍は、米国と英国のアマゾンの、特に、専門家やメディアのレビューを読めば、最も簡単に適切なブック情報が得られるので重宝している。(誤解を避けるために付記するが、日本のアマゾンのブック・レビューは、私自身は、完全に無視している。)
   本そのものもそうだが、知識情報の取得の多くは、インターネットで事足りる場合が多い。
   活字メディアだが、雑誌の廃刊・休刊が続いているが、この傾向は継続し、次には、大衆新聞などが、消えて行くだろうと思っている。
   
   もう一度、本題に戻る。
   伊藤氏が説くように、今の百貨店は、少しずつ時代の潮流から取り残されて行くとしか思えないのだが、
   アメリカで最も権威があり素晴らしかった書店であるバーンズ&ノーブルが、アマゾンの挑戦を受けて、ネット・ショップを開設したものの、共食い状態で苦渋を舐めていたが、
   百貨店のIT活用も、本業との競業を避けながら如何にビジネスモデルを変革しながら、明日への脱皮を図るべきか、難しい選択が迫られているような気がする。

   いずれにしろ、蒸気や電気のように、ゼネラル・パーパス・テクノロジーとなったITによって、完全に、経営環境が変わってしまった市場において、IT革命に乗って行けないとすれば、百貨店は、所詮、天然記念物になると言うことであろうか。
   
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五月大歌舞伎・・・海老蔵の「暫」

2009年05月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   改築への派手なカウントダウンのデジタル時計の数字が踊り始めた五月の歌舞伎は、恒例の團菊祭で、菊五郎と團十郎が素晴らしい舞台を見せてくれる。
   これに、「毛剃」で、團十郎に、藤十郎と秀太郎が加わって東西名優の共演が実現していて、一寸、違ったニュアンスが楽しめて面白い。

   冒頭から、團十郎家の十八番の内の「暫」が舞台にかかり、八反の布で縫い上げたと言う角ばらせた巨大な濃柿色の素襖を身に纏って、五本車鬢に派手な筋隈の厳つい顔で、仁王襷を背中で蝶結びにした、正に、江戸歌舞伎でしか楽しめない凄い出立ちの鎌倉権五郎の海老蔵が登場。
   「暫く」と声をかけて登場し、花道で大音声で、團十郎家の故事来歴・芸の道を、歌舞伎座改築のお祝いを述べるなどのサービスを加えた長台詞「ツラネ」を滔々と捲し立てて、その場にどっかり座って威嚇する海老蔵は、やはり、今を時めく市川家の若旦那の風格十分で、江戸の絵師たちも感激するような雄姿である。
   

   当然、親父さんの團十郎の「暫」が決定版ではあろうが、特に、心理的かつリアルな芸が求められるような役柄ではなく、見せて魅せる舞台であるから、やはり、爆発するような気迫とエネルギーの充満したスピードと迫力が命で、今の海老蔵にはぴったりであると思って見ていた。
   この荒事の典型とも言うべき凄い舞台を見せた海老蔵が、夜の部の、「神田ばやし」では気の弱い朴訥でしまらない男を演じ、「おしどり」では、旧三之助の一人として水も滴るような美形の若侍として舞っているのであるから、恐れ入る。

   この「暫」だが、正義の味方・鎌倉権五郎が、「暫く」と言って登場する以外は、話の筋や舞台展開も、先年團十郎が復活上演した「象引」と殆ど同じなのだが、要するに、当時の江戸の庶民は、勧善懲悪、弱きを助けて悪人を懲らしめる、正に、胸の空くような素晴らしいスーパーマンを演じてくれる團十郎を、神様のように見ていたのかも知れない。
   江戸の庶民は、黒白、善悪、どちらが良いか悪いかの判断は、気風良く一挙に決めてしまうのであろうが、余談ながら、社会が文明化したのか複雑になったのか、今回の民主党代表の選挙は、どうも、邪念が入り込みすぎて、すっぱりと明朗ではなかったのが悔やまれるような気がしている。

   この「暫」での鎌倉権五郎の隈取が凄い。
   欧米の舞台では、仮面を使うようで、このような隈取を見たことがないので、日本や中国などアジア独特なのであろう。
   團十郎の「歌舞伎案内」で、團十郎は、市川家で、この独特の化粧法を見出したとして、「人間の筋肉に沿って、その隆起をより強調してみせる」効力があると述べている。二代目團十郎が、庭の牡丹の花からぼかしのヒントを得たと言う伝説がある。
   目の周りに紅を塗るのだが、本洋紅と言う顔料は、メキシコにいる小さな虫のおなかにある、ほんの少ししかない赤い物質をかき集めるので、随分高いのだと言う。
   そんな訳で、紙に隈取を取る訳ではなさそうだが、名優の押し隈が残っているのが面白い。

   服部幸雄氏の説明によると、東洋画の技法に、遠近や高低を表し立体感を出すために、墨や色の濃淡で境界をぼかす「くまどり」と言うのがあって、この手法を使って、肉体に生じた陰を誇張し、さらに、様式美を加味しつつ舞台の化粧法に応用したのが歌舞伎の隈取だと言う。
   日本の仏像や、ミケランジェロの彫刻には、筋肉や血管の隆起がビビッドに彫られているが、平面の顔には、隈取と言う補強が必要だったと言うことであろうか。
   この「暫」の舞台には、権力悪の典型と言われる公家悪の隈取の清原武衡(左團次)の白塗りに青々としたドギツイ隈取もあり、対照的で面白い。

   しかし、興味深いのは、中国の京劇役者の隈取に似た「瞼譜」は、全く、歌舞伎の隈取とは違って、顔にべったり色を塗って絵を描くと言うか、仮面の代わりをしている。
   お互いに影響があるのだろうが、文化の違いが出ていて興味深い。

   この「暫」は、花道に座り込んで動こうとはしない鎌倉権五郎を追っ払おうと、男鯰、女鯰、四天王、奴などが、入れ替わり立ち代り試みるのだが埒が明かず尻尾を巻いて退散すると言うコミカルな演技が続き、権五郎が、権力悪の権化である清原武衡を裁くために舞台中央に躍り出て、強大な素襖を開いて元禄見得を切り、その後、向かってくる沢山の仕丁の首を、2メートル以上もある湾曲した大刀で一気に切り落とすと言った場面など面白い見せ場があり、馬鹿馬鹿しいと言えばそうだが、結構、見ていてそれなりに面白い。
   最後は、勧善懲悪をなし、権五郎が、大刀を肩に、威勢の良い掛け声で花道を入って行くのだが、やはり、これは江戸の歌舞伎の舞台で、現在では有り得ないような、様式美を凝縮したようなシーンである。
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トマト栽培日記・・・(6)ミニトマトの実が肥大・5番花房芽が出る

2009年05月16日 | トマト栽培日記
   プランターに植えてから丸5週間、大きな苗は、背丈1メートルを超えて、第3花房まで、枝にぶら下るようになり、第4、第5花房もはっきりしてきた。
   どのあたりで摘心すれば良いのか問題だが、第5花房をめどにして、支柱のある180センチくらいまで伸ばそうと思っている。
   園芸書や、インターネット記事のトマトの写真よりも、私のトマトの方が、葉の張りや木の幹も大きく元気に育っている感じで、今のところ、病虫害に侵されずに順調なので、このまま、成長を続けて欲しいと思うが、水分を嫌うので、梅雨時の乾燥維持が問題だと思っている。
   
   受粉した実が、大分、大きくなって、ミニトマトでも、直径1センチを超えるほどまで充実してきた。
   この花房には、20個程の実と花が付いているが、色づき始めると綺麗であろうと思う。
   イタリアン・トマトF1サンマルツァーノの方は、背丈はそれ程でもないのに、実の成長が早くて、それに、ミニでもないので、実もかなり大きく、どんどん、花房が出ている。鉢植えで観賞用にもなるらしい。
   日本では、支柱仕立てだが、南米などの工業用トマトは、イタリアの一部のワイン葡萄のように、地はえが普通であるから、トマトでも何千種もあることが分かる。

   ところで、トマトは、やはり、ジャガイモやナスと同じナス科の野菜だから、萌芽力が強くて、摘んでも摘んでも後からわき芽が出てくるので、丹念に摘み取らなければならない。
   一番下のわき芽に気づかなかったので、20センチ近く伸びていた。
   サンマルツァーノの方は、わき芽摘みの必要がないと言うことなので、そのまま、放置しておこうと思っている。

   
   このトマトだが、アンデス山中で生まれて、アズテック文明の頂点であったメキシコで品種改良されて、あの新世界の幕開け時代16世紀に、メキシコを征服したフェルナンド・コルテスによって、ヨーロッパにもたらされた。
   ジャガイモと同じで、西欧文明国の人々の命を助け食生活を豊かにした、インディオたちが育てていた貴重な新大陸の野菜なのである。
   節操がないので、所構わず胤を撒き散らしたスペイン人が持ち込んだ例の花柳病と同じだと言うのが、一寸、悲しい。

   しかし、品種改良して現在のすばらしいトマトにしたのはアメリカ人で、日本には、それまでにも、ポルトガル経由の南蛮渡来のトマトはあったが、20世紀に入って本格的に導入したのは、このアメリカトマトだと言う。
   チューリップ・バブルで味をしめて、品種改良これ努めた美しい花にしか興味のなかったオランダ人が、利に聡い筈なのに、野菜の改良などには目もくれなかったのが面白い。
   
   
   
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一時代一技術・一挙に電気自動車時代へ突入か

2009年05月15日 | イノベーションと経営
   「危機後の世界と日本の進むべき道」と言う演題で、伊藤洋一氏が、オバマ大統領の「グリーン・ニューディール」と絡ませながら、イノベーションによる世界の経済社会の潮流変化について、興味深い話を展開した。
   世の中を変えるのは、テクノロジーで、国家の命運も、企業の命運を決めるのも、すべからく、テクノロジーである、と言う伊藤氏の確信は、このブログでも論じ続けている「国家も、企業も、発展成長の原動力は、ことごとく、創造的破壊を伴うイノベーションである」と言う私自身の考え方と一致している。
   この講演で語った伊藤氏の自動車や商業分野での新技術による新展開について、私なりの理解を交えながら、将来像を考えてみたい。

   オバマのグリーン・ニューディールは、いわば、世界に向かっての、人類の未来に対する哲学と挑戦への宣言であって、このシナリオに触発されて、一挙に、グリーン・テクノロジーの開発に拍車がかかる。
   現代技術社会の核たる自動車だが、1920年代以前の自動車のエンジンは、蒸気、内燃、電気夫々が三等分の力関係にあったのだが、アメリカで安くて豊富な石油の開発に成功していたので、一挙に、石油がぶ飲みの内燃機関が主流になって現在に至っている。
   しかし、石油の枯渇や環境破壊故に、ハイブリッドや燃料電池等、脱化石燃料化が進み、自動車産業が大きな転換期に直面している。

   伊藤氏が、ポルシェより凄い電気自動車を開発中の慶大清水教授の「一時代一技術」と言う言葉を引用して、自動車産業の、一挙に電気自動車への転換を示唆した。
   ハイブリッド・カーは、化石燃料の節約にはなるが、あくまで、経過措置、つなぎの技術であり製品であり、要するに、これまでの自動車の持続的イノベーションの延長にしか過ぎない。
   ところで、はるかに優れている電気自動車の唯一の難点は、リチウム電池が高くて大きいことだが、イノベーションによって、安くてコンパクトで性能の高いリチウム電池さえ開発されれば、一挙に、雪崩を打って電気自動車がブレイクスルーして、自動車市場を席巻する。
   
   電気自動車だと、夜間電気で充電すれば、1キロメートル1円のハイ・コストパーフォーマンスだと言うし、バフェットが株を取得した中国のBYDオートは200万円で、三菱も300万円程度で本格的な電気自動車を近々に売り出すと言う。
   電気スタンドが、町に広がれば、一挙に電気自動車普及に弾みが付く。
   電気自動車は、エンジンが車輪に付き、車体には電池を収容するだけなので、社内には大きな空間が取れるなど、これは、正に、自動車の破壊的イノベーションであり、一時代一技術だとすると、電気自動車への転換に拍車がかかり、早晩、ハイブリッド車は駆逐されてしまう筈である。
   本来、イノベーションは、不定期に不覚的な環境の中で生まれるのだが、電気自動車用の電池開発と言う、これほどニーズとウオントが明確なイノベーション技術はないので、ブレイクスルーは、瞬時に近いと思っている。

   トヨタが、ハイブリッド車の天井に太陽電池用のパネルを張る研究をしているようだが、電気自動車のエネルギー源として太陽電池技術との融合が実現出来れば、大変なイノベーションとなろう。
   エコカーに対する政府の補助金制度を利用して、私の古いトヨタ車を、プリウスに買い換えるように、販売店から強く勧められているのだが、安いホンダにするか、三菱やニッサンの電気自動車まで待つべきか、思案中である。

   IT技術と百貨店など商業との関わりについて、伊藤氏は、江戸時代の「御用聞き・出前」に戻ったとして面白い話をしたのだが、別稿に譲って考えることにしたい。
   
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