熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭の歳時記・・・クリスマスローズ咲き始める

2015年02月28日 | わが庭の歳時記
   我が庭に植えたクリスマスローズが、一株ずつ開花し始めた。
   千葉から持ち込んで移植したり、タキイなどで買ったりして、違った種類を20株ほど植えているのだが、まだ、それ程大株にはなっていないので、株によって異なるが、精々3~4芽くらいずつである。
   花に見える部分は、アメリカ・ハナミズキと同じように、「花」ではなく「萼片」ということだが、この部分が、八重だったり、色が違っていたり、結構、バリエーションがあって面白い。

   20世紀後半に、イギリスで品種改良されたと言うことだが、私のいた頃には、まだそれ程話題になっていなかったのか、全く記憶がない。
   キューガーデンにも良く通っていたので、気付いておれば、多少は、興味を持っていたかも知れない。

   花が勢いよく咲き始めると顔を上げるのだが、この花は、殆ど頭を下げたままなので、中々、花姿が見られないのに難がある。
   咲き始めたのは、4株くらいなのだが、あっちこっちで、少しずつ、花芽が伸び始めて、蕾が膨らみ始めており、2週間くらいで殆ど咲くのではないかと思っている。
   
   
   
   
   
   
   

   我が庭の梅は、殆ど終わりで、散り始めている。
   変わったところと言えば、沈丁花の花が、開き始めたことであろうか。
   それに、蕗の塔が立ち始めた。
   てんぷらにと思っていたのだが、気付かないうちに、残念ながら、塔が立ち過ぎてしまった。
   
   
   
   

   椿は、ブラックマジックが1輪だけ咲いていたのだが、他の蕾も開き始めた。
   先に咲いた花は、もう10日以上にもなるのだが、椿にしては珍しく、まだ、枝に残って咲き続けている。
   小さな鉢のエレガンス・シュプリームが、もうすぐに開花しそうである。
   前の千葉の家の庭には、30年に渡って育ててきた庭植えの椿が30種類もあって、恐らく、今は咲き乱れているのであろう。
   新しい庭で、花木のガーデニングに努めてはいるが、やはり、これも年季で、思うように花を咲かせるのは、努力の積み重ねが必要なのである。
   
   
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蘇ったヨーロッパの電気スタンド

2015年02月27日 | 生活随想・趣味
   イギリスで生活していた時、旅先で食器や花瓶などと一緒に、骨董店に立ち寄って、何の気なしに買った電気スタンドなどがあり、その内、いくらか日本に持ち帰った。
   電圧も違うし、差し込みのプラグも、それに、電球の口金の大きさも違うので、暫くは、持って行ってまた持ち帰った変圧器を逆さまに使って使用していたが、電球も切れるし、変圧器が邪魔なので、インテリア程度に考えて、ほっていた。
   何度か、電気部分をそっくり変えようと思ったのだが、簡単ではない。

   日本人は、明るいところが好きで、ホテルでもレストランでも明るすぎるのだが、欧米人は、どちらかと言えば、室内照明は暗い方を好み、間接照明などを活用して、夜のムードを楽しむ傾向がある。
   ヨーロッパの雰囲気の良いホテルや高級レストランなど、実に趣味が良く美しくて感激するのだが、インテリアのみならず、照明の果たす役割も大きいと思っている。

   さて、日常生活だが、読書灯で本を読んだり、喫茶などで憩っている時や、静かに室内で過ごしている時などには、明るい照明は不必要だし、気分的にも、日頃の生活とは違った雰囲気の照明に変えた方が落ち着くのではないかと思い始めた。
   日本製のスタンドもあるのだが、殆ど実用品だし、折角だから、先の3.11の大地震の被害から免れて残ったヨーロッパの思い出のあるスタンドを活用できないかと考えた。

   日本にも、外国製の電気製品を持ち込んで使っている人もいるであろうから、ヨーロッパ製のスタンド用の電球が、売られていないかと思って、インターネットを叩いてみた。
   商品に行きつくまでに、検索で多少苦労したのだが、パソコン上に出てきた電球の写真を見ると、私の遣っているスタンドの電球とよく似ている。
   どうせ、1球300円程度であるから、間違っていても良いと思って、
   TOZAI シャンデリア電球(海外口金) E14口金段付き ホワイト 25W C32 E14 W 110V 25W と言うのに決めてオーダーを入れた。
   E14口金段付きと言うところが重要で、口金の直径が14ミリで2段になっていることで、ほぼ間違いないと思った。
   秋葉原に行くなり、ヤマダ電機など量販店に行って聴けば良いのだが、それも厄介なので止めたけれど、ネットショッピングで買った電球が、うまく合ったのである。

   最後の説明の110Vを見過ごして、当然、ヨーロッパ仕様の電球だと思い込んでいたので、変圧器付きの220Vのスタンドに着けて、いくつかパーにしてしまった。
   しかし、コード先のプラグだけ変えれば、この電球に付け替えただけで、そのまま、スタンドが使えるのが分かって、大いに助かったのである。

   この口絵のスタンドは、ドーバーからの帰りに立ち寄った綺麗な小京都のような街ライの骨董屋に入って見つけたもので、残っていた2脚を買った。
   貴婦人が本を読んでいる姿を像にした綺麗なランプで、シェイドの色が違っていた。
   ガレ風のガラス製のランプなども、旅の途中などで、いくらか買ったのだが、使用中や移転、前の地震などで割れたり壊れたりして、幸い、これらは、ブロンズ製でハード・ガラスなので残った。
   私には骨董趣味がないので、雰囲気が良かったので、偶々入った店だったのであるが、今に思えば、ヨーロッパが長かったので、もっと意識して骨董店を訪れておけば良かったと思っている。



   もう一つ、このランプは、確か、パリ近郊の古い王宮サン=ジェルマン=アン=レー城に行った時に、城に置かれていた複製だと言うことで、買ったものである。
   
      いかにも、昔懐かしいランプと言う感じで、その前にオランダに住んでいたので、慣れ親しんでいたデルフト風の陶製が気にいった。
   いずれにしろ、旅先での買い物なので、ロンドンまで持ち帰るのが大変であったのを覚えている。

   
   昔からの習慣が治らなくて、夜遅くまで、本を読んだり、調べ物をしたり、パソコンに向かったりしていて、その静かな時間が、私の大切な憩いの時であり、この照明に変えてから、何となく、リラックスしたような気持ちになっている。
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国立劇場二月文楽・・・「国性爺合戦」

2015年02月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   近松門左衛門作の浄瑠璃「国性爺合戦」が、玉女の五常軍甘輝、玉志の和籐内、清十郎の錦祥女、玉輝の鄭芝龍老一官、勘壽の同妻などの人形、
   甘輝舘の段は、千歳大夫と富助、紅流しより獅子が城の段は、咲甫大夫と宗助の語りと三味線。
   で演じられて、充実した舞台を見せてくれた。

   「曽根崎心中」で和事の世界を開いた近松が、義太夫が逝って、24歳の政大夫を後継者に指名していたための内紛で下火になっていた竹本座を起死回生すべく、竹田出雲と協力して作り上げた異国情緒たっぷりの浄瑠璃。
   日本(和)でもない唐(籐)でもない(内)と言う「和籐内」を主人公にして、派手な中国風の舞台や衣装で観客の目を引いた面白い浄瑠璃であったから、17か月のロングランと言うのも当然かも知れない。

   日本の平戸で、中国人の父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に生まれた鄭成功を主人公とした浄瑠璃だが、史実はここまでで、和藤内(鄭成功)が、父母とともに中国に渡って異母姉の夫・甘輝と同盟を結んで韃靼に闘いを挑むと言う物語は、近松の創作である。
   鄭成功が中国に渡った時点では、既に、明が滅んで清朝の時代になっており、清の支配に対する抵抗運動にその存在意義があり、北伐軍を興して南京を目指すが、敗退している。
   むしろ、鄭成功の偉業は、当時オランダの支配下にあった台湾を解放したことで、途中で死去したが、大変な偉人扱いであり、台湾城内に明延平郡王祠として祠られていると言う。

   この浄瑠璃には参考となる前作があったようだが、近松は、スペイン文学などヨーロッパ情報にも造詣が深かったと言うから、むしろ、この鄭成功の台湾解放を舞台にした独自の浄瑠璃を書いた方が、中国のみならずオランダ風をも取り入れて、よりエキゾチックな異国情緒を醸し出して面白かったのではなかったかと勝手に思っている。
   当時は、鎖国状態で、庶民には、中国さえ、見知らぬ異国であったのであるから。

   さて、この舞台だが、今回は、和藤内が中国に渡る「千里が竹虎狩りの段」から、和藤内が甘輝と同盟を結ぶ「獅子が城の段」までで、中国風の衣装を身に着けた人物や異国情緒漂う城内など、異文化遭遇の舞台をバックにして、忠君愛国の公の倫理、そして、人間としての義理人情が演じられていて、観客を感激させる。

   元明臣であった甘輝は、和藤内に同心するのには異存はないが、いったん韃靼の王に忠誠を誓った以上、妻(和藤内の異母姉)への情に絆されて味方になったとしては義が立たない、味方になるのなら、錦祥女を殺してからだ。と言うことになる。
   錦祥女は、約束通りに、話決裂の合図の紅を川に流したので、それを見て怒った和藤内が甘輝の城へ乗り込んで来るのだが、紅と思ったものは錦祥女が自害して流した血であり、それを知った母も、義娘に義理を立てて、自害して果てる。
   自ら命を絶った妻の情に心を打たれた甘輝は韃靼征伐を決心し、和藤内に従う。

   この浄瑠璃では、囚われの身となって自ら獅子が城に入って、甘輝に、和藤内への同心を説得するのは母であり、甘輝の決心を決定づけるのは、妻の自害であると言うのであるから、ピボットは女性二人であり、何となく、勇ましく大見得を切って大仰な芝居を演じている甘輝と和藤内が、狂言回しの操り人形のように思えて面白くなる。

   中身はないが、舞台として面白いのは、千里が竹虎狩りの段で、獰猛な虎が、伊勢神宮のお守りを向けると猫のように大人しくなり、虎の首にお守りをかけると神通力を得て敵を蹴散らすと言う奇天烈さ、
   着ぐるみの虎が大暴れするので、舞台の衝立がなくなって、3人遣いの人形遣いが姿を現して演じる姿が見えて興味深い。

   錦祥女の衣装も、中々凝っていて綺麗だが、和議成立後、唐土の装束に変えて登場した和藤内と甘輝の雄姿も、見栄えがして素晴らしい。
   玉女の立役の颯爽たる偉丈夫ぶりは、この甘輝で終わって、再来月からの2代目玉男として、「一谷嫩軍記」の熊谷直実に引き継がれるのであろう。
   楽しみである。

   清十郎の錦祥女は、中々威厳もあり優しい女性らしさも備えていて、それに風格もあって上手いと思った。
   勘壽の老一官妻だが、縛られてからの2人遣いが、中々印象的で、重要な役柄を上手くこなしていた。
   玉志の和藤内は、タイトルロールとしての貫録十分で、玉女と渡り合って、舞台を盛り上げていた。

   勿論、千歳大夫と富助、咲甫大夫と宗助、大夫たちの浄瑠璃語りと三味線の熱演も忘れがたいのだが、今回は、客席の前方に座っていたので、残念ながら、表情をうかがうことは出来なかった。
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鎌倉・東慶寺と明月院の梅

2015年02月25日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   これまで、鎌倉の梅の風景を見たことがなかったので、我が庭の梅が満開でもあるしと思って、何時ものように、まず、東慶寺に向かった。
   しかし、咲いてはいるのだが、早梅だけのようで、まだ、本格的ではなく、殆どの梅が、蕾が固くて、梅見の時期には、少し早かった感じである。
   
   
   
   

   白梅と紅梅だが、詳しくないので良く分からないが、それ程、特別な梅の木はなさそうな感じで、山門を入ると金仏まで、参道の両側に並木状に梅が植えられているので、満開になれば、壮観なのであろう。
   金仏あたりから山門を望むと、対岸の円覚寺の山並みが展望できるのだが、向こうの弁天堂のある茶店からは、東慶寺の全景が良く見える。
   
   

   境内に、今咲いている花は、ロウバイ、サンシュユ、ボケ、福寿草、椿、水仙、ミツマタ、クロッカス、それに、早咲きの桜で、小さな木で小さな清楚な花を咲かせている。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   梅の木に、小鳥が飛んで来たと思ったら、ジョウビタキであった。
   すぐに飛び去ってしまったが、幸い姿を捉えることが出来た。
   万両が沢山の実をつけて、あっちこっちの木陰に植わっていて目を引く。
   小鳥が多い筈なのだが、殆どの木は実を落とさずにたっぷりと実が残っている。
   アオキも実をつけているが、鎌倉のアオキの実は、赤い色に緑の部分が残っていて、千葉のわが庭の全体真っ赤な実と違っている。
   
   
   

   東慶寺から歩いて、ほんの10分足らずで、明月院に着く。
   ここには、梅の木は少なく、今は、花が一番少ない時期の花の寺であろうか。
   まず、梅の花だが、竹林の前に大きな紅梅が一本あって、ロウバイの黄色の花越しに、綺麗なピンクの花を鏤めて、バックの竹林に映えて美しい。
   もう一つは、開山堂横、洞穴のやぐらの前に紅白の梅の木が植わっていて、綺麗に咲いている。
   山門の屋根から、リスが、梅の木に飛び移った。
   この寺では、リスの餌付けをしていて小屋を造っており、ウサギも飼っている。
   
   
   
   
   
   

   地面に沢山咲いているのが、クリスマスローズで、紫と白の2種類で、この花は地面に張り付いたような状態で植わっており、それに、花そのものがしたを向いているので、鑑賞に堪え難いのが難である。
   
   
   

   相変わらず、本堂の和室の丸窓からの庭園尾眺めは美しくて、今回は、白梅の花が彩りを添えている。
   それに、左手の生け花、そして、隣室の仏間の右手前の生け花も、いつ見ても素晴らしくて、日本の美意識に感激している。
   
   
   
   

   アジサイの季節なら、明月院ブルーの美しいアジサイが咲き乱れて、立錐の余地もない程の混雑ぶりなのだが、今は、訪れる人も極わずか。
   竹林もアジサイの参道も、ひっそりと静まり返っていて寂しい。
   
   
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国立劇場の「企画展示 文楽入門」

2015年02月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場に併設されている「伝統芸能情報館」では、定期的に順繰りに古典芸能関係の展示が行われていて愉しませてくれる。
   今回は、5月末まで、「文楽入門」。
   この口絵のように、人形の衣装や頭から、大夫の見台や座椅子、主遣いの舞台下駄、三味線等々、文楽関係の色々なものが展示されていて、見ていて面白い。

   大阪の国立文楽劇場の展示場は、文楽専用劇場なので、このような文楽関係の展示ばかりなのだが、東京の国立劇場は、展示室のある国立演芸場以外は、皆、この展示場で行われる。
   早稲田大学には、常設の 「演劇博物館」があって、中村歌右衛門など歌舞伎関係の資料などが展示されていて興味深い。

   さて、本質的な問題ではないのだが、人形の衣装については、豪華なものを見ていないので、何とも言えないが、錦で織り上げられている能や狂言、歌舞伎の衣装に比べて、少し、貧相な感じがする。
   主遣いの人形遣いが、人形に自ら衣装を縫い付けると言うのであるから、稼働性が重要なのであろう。
   また、人形の頭も、小さい所為もあろうが、能面と比べれば、やはり、精巧さにおいても芸術性においても、多少見劣りするような気がしている。
   例えば、好みの問題かも知れないのだが、典型的な若い女性の小面など、目を見張るような美しさに圧倒されることがあるのだが、文楽の場合の娘は、普通の美女と言った感じで一般受けする表情である。
   三味線の制作過程もそうだが、頭の制作過程が展示されていて面白い。
   
   
   

   日本の文楽が、世界に冠たる最高の地位を確立しているのは、やはり、三人遣いの精巧さと素晴らしさであろう。
   会場では、三人遣いの様子を写真で説明されていた。
   また、最も驚くべきは、人形の頭の表情を自由に変える胴串に仕組まれた精巧な子ザル(チョイ)であろうが、見ているだけでは、どのように、眉毛や口が動くのか良く分からない。
   顔の表情で演技をする歌舞伎役者と、全く変化せずに顔の位置関係だけで表情を現す能・狂言の中間が、文楽人形の頭なのであろうが、異国の人形劇の人形との大きな違いであり、日本の古典芸能の奥深さであろう。
   女性の頭の右上唇に牙のように上向きに釘が打ちつけてあり、忍び泣く時などに布を引っかけるのだが、ここの人形には、ついていなかった。

   何と言っても、文楽史上、聳え立つのは、義太夫と近松門左衛門であろう。
   掛け軸がかけてあって、二人の姿が描かれている。
   下の写真の上が近松、下が義太夫である。
   また、近松門左衛門の坐像が展示されていて、興味深かった。
   
   

   会場では、舞台模型なども展示されていて、よく分かるのだが、下の舞台の横から写した写真は、特に、人形遣いの動きなどの様子が分かって参考になる。
   歌舞伎もそうだが、普通の舞台は、大体、上下二段になっていて、芝居が展開されているのである。
   

   この展示場の奥に小部屋があって、シアタースペースとなっていて、ビデオが上映されている。
   日本芸術文化振興会が、国立劇場での公演などを利用して、色々な教養番組的なプログラムに基づいて作成したビデオが、放映されている。
   10数人が座ってみられるスペースがあり、ビビッドな舞台映像も楽しめて勉強になる。
   この日は、「文楽を味わう」を見ていたのだが、咲大夫や玉女など技芸員の話が興味深かった。
   観劇の前後や休憩時間に訪れると結構面白いし暇つぶしになる。
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METライブビューイング・・・「メリー・ウィドウ」

2015年02月23日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりに、METライブビューイングで、レハールのオペレッタ「メリー・ウイドウ」を見た。
   全編ウィーン・サウンドの甘美な流れるようなワルツのメロディで、華麗な舞台をバックに繰り広げられる、大人のウイットに富んだ恋をテーマにした喜歌劇である。

   METの看板ソプラノ・ルネ・フレミングのハンナと、ポップスも歌うと言うバリトンのネイサン・ガンのダニロの華麗な大人の恋の駆け引き。
   それに、ハンサムのリリック・テノールのアレック・シュレイダー演じる若い伊達男カミーユが恋するツェータ男爵の妻ヴァランシエンヌに、ブロードウエー・ミュージカルのトップスター・ケリー・オハラが絡むと言う、素晴らしい布陣である。

   それに、ブロードウェイで活躍する人気演出・振付家スーザン・ストローマンが演出を担当しており、正に、METとブロードウエーがタッグを組んだ、ニューヨークでこそ生まれ出でた舞台であり、それこそ、湧き立つように美しくて華麗な舞台と、ウキウキする流れるようなサウンドが、最初から最後まで、観客の心を掴んで離さない。
   日本で上演された、正に本場のウィーン・フォルクスオパーの舞台を、録画したNHKのDVDで見たのだが、この地味な舞台と比べてみると、底抜けに明るくて楽しいMETバージョンのきらめきが良く分かる。
   旅先のジュネーブだったか、それに、ロイヤル・オペラなどで、何度か「メリー・ウイドウ」を観ているが、これ程楽しい舞台を観たことがない。

   この舞台で、狂言回しのキーマンを演じているツェータ男爵が、イギリスの名バリトンであるサー・トーマス・アレン。
   イギリスのロイヤルオペラなどで、ドン・ジョヴァンニなど色々な舞台で見て来た超ベテラン歌手で、久しぶりに見ると実に貫録と風格ある老紳士になっており、流石に、シェイクスピアの国の名優だけあって、コミカルな芝居も上手い。
   このトーマス・アレンは、ルネ・フレミングが、初めて、デビューして成功したヒューストン・グランド・オペラで、フィガロの伯爵夫人を演じた時に、伯爵を歌っていて、アレンの指導ヨロシキを得て、燃えたつような舞台を経験したと言う。

   このことは、私が10年前に、ロンドンに行った時の、ロイヤルオペラで、「オテロ」を観た時に、終演後、デズデモーナを歌ったルネ・フレミングが、丁度出版した著書「THE INNER VOICE Notes from a life on stage」にサイン会を催して、その時、サインを貰った本に書いてある。
   その時のフレミングが、この写真なのだが、流石にアメリカ夫人で、気持ち良く撮らせてくれた。
   余談だが、邦訳も出ているこのフレミングの本は、面白くて、読んで楽しい。
   

   その時のキャストは、指揮は主席指揮者アントニオ・パパーノ、オテロはイギリスの名テノール・ベン・ヘプナー、ヤーゴはルチオ・ガロ、エミリアはクリスチン・ライス。
   私は、ルネ・フレミングの舞台を観たのは、その後、来日したMETの「椿姫」のヴィオレッタである。
    アルフレードはラモン・ヴァルガス、ジェルモンはディミトリー・ホロストフスキー、指揮者はパトリック・サマーズであったが、フレミングのヴィオレッタは極め付きであった。

   さて、METライブビューイングのHPで、フレミングを、”「銀色の声」と称されるクリーミーな声とゴージャスな存在感で観客を魅了する”と紹介されているが、素晴らしく美しいソプラノが、流れるように軽快な歌声に、益々磨きがかかったようで、レハール節の魔力に取りつかれて息をのむほど素晴らしい。

   ところで、このルネ・フレミングだが、エリザベート・シュワルツコップとビバリー・シルスを尊敬していると書いていたが、私も、ずっと昔に、シュワルツコップをリサイタルで2回、シルスを「アンナボレーナ」で聴いたことがあるが、二人とも、大変な大歌手であり、分かるような気がしている。
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サントリーホールで都響プロムナードコンサート、国立劇場で文楽「国性爺合戦」

2015年02月22日 | 今日の日記
   今日の都響のプロムナード・コンサートは、私の一番好きな曲の一つであるモーツアルトの「クラリネット協奏曲 イ長調 K.622」、それも、小泉和裕指揮で、今最も注目されている若いクラリネット奏者アンドレアス・オッテンザマーが奏したのであるから、楽しくない筈がない。
   言わずと知れた、クラリネットの超名門オッテンザマー家の子息で、父エルンストは83年より、兄ダニエルは09年よりウィーン・フィルの首席奏者を務めており、2011年3月、22歳の若さでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者に就任した。
   もっと驚くのは、クラリネットのみならず、チェロ、ピアノ、室内楽部門においてオーストリア青少年音楽コンクールで12度の優勝。2007年、Musica Juventutisコンクールに優勝し、コンツェルトハウスでの受賞者演奏会に出演し、また、ハーヴァード大学にてリベラルアーツを修めたと言う。

   実にスマートな好青年で、舞台中央にすっくと立って、ハーメルンの笛吹きよろしく、長い脚をくねらせて巧みにリズムをとって、実に福与かで温かく慈愛に満ちた美しいモーツアルトを紡ぎ出していた。
   モーツアルトを聴くと、いつも思うのだが、特に、このクラリネット協奏曲やフルートとハープのための協奏曲を聴くと、天国からのサウンドのような感動を覚えて、たまらなく幸せを感じるのだが、私には、アンドレアス・オッテンザマーのそれは、正に、天国からの音楽であった。
   アンコールに、ハンガリー民謡の小曲を演奏した。

   父のエルンストの演奏は、ウィーン・フィルや小編成の室内楽などで、何度か実際に聞いており、CDなどもあって、楽しませて貰っている。

   この日のプログラムは、他に、ドン・ジョヴァンニ序曲と、ムソルグスキー(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」。
   小泉の精緻で重厚なサウンドが、場内を圧倒する。

   その後、半蔵門の国立劇場に出かけて、文楽第3部の「国性爺合戦」。
   五常軍甘輝を玉女、錦祥女を清十郎、和藤内を玉志
   素晴らしい舞台を見せてくれたが、残念ながら空席が目立った。

   開演までに時間があったので、伝統芸能情報館で催されている「企画展示 文楽入門」を鑑賞していた。
   この文楽については、後日感想を書くことにしている。
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国立劇場二月文楽・・・「天網島時雨炬燵」

2015年02月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   近松門左衛門の晩年の最高傑作のひとつ「心中天網島」の改作版が、今回の国立劇場の文楽公演の目玉「天網島時雨炬燵」である。
   近松版と比べて、この改作版の方の公演は少ないのだが、物語としては面白い。
   1720年に紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件がおこり、「国性爺合戦」でブームを呼んだとしても、竹本義太夫も亡くなって、少し落ち目になっていた竹本座を起死回生すべく、門左衛門が一気に書き上げた浄瑠璃なのだが、人気が出なかったと言う。
   とにかく、文学作品としては高級であっても、救いようのない程暗い作品だということであろうか、代わった筋を追って行くと面白い。

   中之巻の「天満宮前町紙屋治兵衛内の段」で、小春が身請けされそうで、治兵衛がおさんの母に小春と縁を切ると言う誓詞を差し出して安心させるのだが、炬燵に入って寝込んで泣いている治兵衛を、おさんが見て、まだ小春に未練があるのかと女房の懐に鬼が済むか蛇が住むかと苦しい胸の内をかき口説いて責めるところは、そのまま残っており、これが、この浄瑠璃の最高の切場である。
   
   ところが、その前に、小春を争っている太兵衛と隠居坊主伝界が、治兵衛が借金して返した金が贋金だと怒鳴り込んで来るのだが、なれ合いの悪事がばれて退散すると言う、曽根崎心中ばりの挿話を付け加えて、伝界に「ちょんがれ」で治兵衛を揶揄させるなど、観客サービスか、蛇足だと思える話が付加されている。

   また、この段の父親五左衛門がやって来て、おさんを無理やり連れ帰るところあたりまでは、近松版と殆ど同じである。
   近松版は、これで終わっているのだが、今回の舞台は、
   その後、この世の別れに一目治兵衛に会おうと、小春がやってくる。
   おさんに言われたと言って、丁稚の三五郎が二人の祝言を行うが、二人は末期の水杯として酌み交わす。
   そこに、尼姿の娘のお末が現れて、纏っている白無垢には、おさんの字で、小春への礼と二人が夫婦になるよう、五左衛門の字で、箪笥に小春身請け用の金子が入れてあること、おさんを尼にした旨が書かれている。
   折から門口に、小春を探しに太兵衛たちが現われて治兵衛を殺そうとしたので、逆に切り殺す。

   近松の下之段の「蜆川新地茶屋大和屋の段」では、おさんを連れ戻され、小春の身請け金もなく万策尽きた治兵衛が小春との始末をつけるために、大和屋に行き、くぐり戸から抜け出してきた小春と手を取り合って死出の旅へ。
   そして、道行名残の橋づくし 大長寺藪外の段に繋がって行く。

   今回の改作版では、小春身請け金も手に入り、妻と義父の好意で治兵衛と小春の結婚には、何の障害もなくなったのだが、二人は、小春が尼になったと聞いて絶句し、心中すべく、網島に向かう。
   近松版を近松半二が増補して、更に改作されたのが今回の「天網島時雨炬燵」だと言うのだが、大分、筋書が観客受けを狙った感じであり、字余りの門左衛門節が、七五調の流麗な浄瑠璃になっていると言う。

   この段は、小春もそうだが、健気で人情が厚くて優しいおさんの心の軌跡を最大のテーマとした浄瑠璃であるので、一人寝の寂しさをかき口説き、治兵衛を諦めてくれと言って差し出した自分の手紙のために死を決意した小春を助けようと、必死になって金を工面すべく立ち働く健気な姿や、父親に引きずり出そうとされながら、幼い子供のことに心を痛める健気さ等々、これらのストーリー展開だけでも十分だと思っている。
   小春をこの家に入れたらお前はどうするのだと言う治兵衛の能天気な言葉に対して、「ハテ、何としょう。子どもの乳母か飯たきか、・・・」とわっと泣き伏す。
   ガシンタレで商才もなく女郎にうつつを抜かして家を省みない治兵衛に代わって、紙屋の仕事を、一切取り仕切って切り盛りしている健気なおさんの涙である。
   小春を受けだす金がないと言われて、金子50両に加えて、殆ど何もなくなった箪笥から最後に残った子供の着物まで総てをかき集めて、ほぼ20両分を、「夫の恥と我が義理を、一つに包む風呂敷の内に、情けぞ籠りける」、と言う夫に立てる貞節。

   さて、平成19年の「天網島時雨炬燵」は、通し狂言で、今回の「紙屋内の段」だけではなく、前に、「北新地河庄の段」そして、後に、「道行名残の橋尽し」が演じられていて、治兵衛が勘十郎、小春が和生、おさんが簑助で、粉屋孫右衛門を玉女が遣っており、「河庄」の切場を住大夫と錦糸、「紙屋内」の切場を嶋大夫と清助。
   今回は、治兵衛が玉女、小春が簑助、おさんが和生で、切場は嶋大夫と錦糸が務めている。

   これまで、おさんは、文雀が遣っていることが多かったので、一番弟子であり文雀の芸を一番忠実に継承しているのは和生であるから、文句なしのおさん遣いと言えよう。
   この舞台のタイトルロールと言うべき人形で、おさんの健気さ優しさ一途の姿が胸を打つ。
   近松物をやりたいと語っていた玉女の東京最後の舞台が紙屋治兵衛、大阪の襲名披露公演でも、この治兵衛を演じる。
   派手な動きが少なく、誠心誠意姿で見せる心理描写が真骨頂か、存在感を示した舞台であった。

   簑助の小春の神々しさ女らしさ。
   曽根崎新地の安遊女と言う設定の小春なのだが、黒ずくめのパリッとした衣装で登場して、簑助が遣うと、人形は匂うように色香を発散して優雅に見える。
   治兵衛に思いをぶっつける時に、簑助の小春は、正面から対するのではなく、やや、斜め横から縋り付くような形で体を預けるのだが、その艶めかしさの何とセクシーなこと。
   悲劇でありながら、簑助の遣う女形の人形は、小さな胸を激しく律動させながら息づいていて、生身以上の得も言われぬ多くの感情を呼び起こしてくれるのである。
   玉男と築き上げて来た近松の世界を、玉女に必死になって体当たりで伝授しているように思って、感動しながら見ていた。

   この「天網島時雨炬燵」の紙屋内の段の切場は、嶋大夫が務めていて、今回は、錦糸との新コンビである。
   演台に手をついての熱演が、おさんの切なさ悲しさ、健気さを叩きつけて胸に迫る。
   人形の慟哭が如何に凄いか、胸に沁みる舞台である。
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わが庭の歳時記・・・バラ&柿を植える

2015年02月20日 | わが庭の歳時記
   落葉樹など、冬季に葉のない植物を植えたり植え替える時期である。
   届いていた苗木を植えた。

   新しい庭で、椿が無くて寂しいので、バラを、もう少し鉢植えで育てようと思って、京成バラ園に注文していたのが届いたので、鉢植えした。
   バラの土は、アマゾンを叩いていたら、適当な土があったので、オーダーを入れたら、すぐに発送されて来たので助かった。
   近くの園芸店で買えば良いのだが、アマゾンからの直送だと、他のネットショップと違って、送料が無料であるし、選択肢が豊かで、全くトラブルがないので、重宝しているのである。

   何年もバラを栽培しているので、植え方などは熟知している筈なのだが、一応、京成バラ園の「大苗からバラを育てるハンドブック」が参考になる。
   バラの育て方については、何冊もあった関係本を上げてしまったので、今では、京成バラ園と小山内健さんのいる京阪園芸などのホームページを見てチェックしている。

   植えたバラは、3鉢だけ。9号鉢に植えつけた。
   当分鉢植えなので、フロリバンダと言うことで、まず、昔から、レオナルド ダ ヴィンチを植えたかったので、その代わり新種のレッド レオナルド ダ ヴィンチ。
   孫のために、ディズニーランドローズ。
   それに、つるバラにも仕立てられると言う コルデス ジュビリー。
   
   
   

   紫色の綺麗な花を咲かせるノバーリスが、枯れてしまったのか枯れかけているのか、とにかく、ダメもとで、土を落として植え替えた。
   他のバラは、殆ど、芽がふきはじめている。
   咲くのは、これから3か月後、楽しみである。   

   これまで、バラは、園芸店やガーデニングセンターに行って、鉢苗を見て買うことが多かったが、この頃は、他の苗もそうだが、直接、種苗会社からネットショッピングすることにしている。少し高いのだが、選択肢も多くて珍しいものも手に入れることが出来るし、第一、商品に安心が出来るのである。
   バラは、デビッド・オースティンのイングリッシュローズも含めて、殆ど、京成バラ園で買っているが、鎌倉に移って遠くなってしまったのが残念である。
   他の苗は、昔からの馴染みと親しみで、タキイ種苗から買うことが多く、トマト苗は毎年だし、クリスマスローズや椿、それに、今度植えた柿の苗も、タキイからである。

   さて、柿だが、今一本庭に植わっているのだが、実成りが悪かったので、受粉樹に向く柿と思って、「正月」を植えることにした。
   それに、私にとっては、柿と言えば実よりも、あの綺麗な紅葉なので、「錦繍」と言う柿の木は、完全甘柿だが、果実よりもむしろ葉を利用する新品種で、紅葉が美しいと言うことなので、これを植えることにした。
   一本、5000円くらいもする苗木なので、柿苗としては、かなり高いのだが、面白いと思っている。
   
   

   鎌倉のこの家に移転してきて、私なりに手入れやメインテナンスをして来たのだが、限度があるので、植木職人に入って貰って、三日間、丁寧に庭の手入れをして貰った。
   綺麗になった上に、かなり、豊かな空間が出来て、庭が明るくなったので、植えたバラや柿には、好環境であろう。

   それに、今年は、石灰硫黄合剤を使って薬剤散布した。
   以前には、冬寒い時期に、2回ほど散布すれば、てきめんに効果が出たので愛用していたのだが、薬害がきついのと殺人に転用できるとかで、最近では、園芸店では、1㍑程度の小品は売られていない。
   しかし、農家用なのであろうか、10㍑や18㍑容器では売っているので、無駄を承知でネットで買って、散布して見た。
   1回目は、きついかも知れないが、10倍、2回目は、落葉樹は10倍、その他は30倍に薄めて散布したのだが、効くだろうと期待している。
   昨年は、結構、薬剤散布に努めたのだが、バラは黒星病、梨は完全に落下してしまうなど、かなり、被害があったので、手を抜くわけにはいかないが、せめて、トマトを栽培している間だけでも、薬剤散布をしたくないと思っているのである。
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わが庭の歳時記・・・メジロの訪れ

2015年02月19日 | わが庭の歳時記
   朝、庭に出たら、メジロが2羽、梅の枝を渡っているのに気付いた。
   下の、ブラックマジック椿の花に飛び込んだので、急いで部屋に入ってカメラを持ち出した。
   何の設定も出来ず、シャッターを一枚切るのがやっとで、頭隠して尻隠さずの、おかしなショットが1枚撮れただけであった。
   また、帰って来て、傍に止まったが、花には近づかなかった。
   メジロは、非常に小さな鳥で、敏捷に飛び回るので、私などのような下手な写真撮りには、手におえない被写体である。
   昔、ブラジルで、もっと小さなハチドリの写真を撮ったことがあるが、この鳥はメジロなどよりももっと動きが速いのだが、花の前で、激しく羽を羽ばたかせて静止するので、撮れた。
   
   

   メジロに梅は、定番のベストマッチ。
   番のメジロが、白梅の花の蜜を求めて飛び回り始めた。
   とにかく、メジロに向かってレンズを向けて、適当にシャッターを切ったのだが、殆どはピンボケやメジロの姿が悪くて、まずまずなのは、ほんの数枚。
   それでも、この鎌倉の新しい庭で、初めて撮れたメジロの写真である。
   
   
   
   

      メジロもウグイス色の小鳥なので、ウグイスと間違いやすい。
   ウグイスの方は、勿論、目のまわりが白くないが、鳴き声を聞いて追い駆けても、茂った木陰や高いところを敏捷に飛び回るので、姿を見るのさえ、結構難しい。
   梅にウグイスと言うが、確かに、昨年、この梅の木に止まって囀っていたが、梅の蜜が大好物のメジロと違って、虫や木の実などを食べて花の蜜を殆ど吸わないと言うことなので、これは、絵心の誌的な表現であろう。

   メジロは、殆ど番なので複数で現れることが多く、全くよく似たかたちで梅の木を訪れるのは、白と黒の鮮やかなシジュウカラである。
   前の千葉の家の庭は、住宅街の一番外れにあって、少し道路より高台であったので、野鳥が沢山訪れて来ていたのだが、この鎌倉の庭は、広い前庭の前に道路と家が1軒あるので、カラスやヒヨドリなどの招かざる鳥には苦労するが、ほかの野鳥の訪れは少ない。
   それに、千葉には、豊かな里山の雰囲気が残っていたが、鎌倉山に近いと言っても、ここには、緑滴る田園地帯の面影は、もう、全く残っていない。
   高台でオープンスペースの裏庭を、植栽を変えて野鳥を呼び込もうと思っている。
   
   

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日本経済は成長するも期待以下

2015年02月17日 | 政治・経済・社会
   NYTのジョナサン・ソーブルが、Japan’s Economy Expands, but Less Than Expectedと言う記事を書いている。
   政府の昨年度末四半期のGDP成長率0.6%との発表に基づいてのレポートであろう。
   ロイターの、 実質国内総生産(GDP)は前期比プラス0.6%、 年率換算プラス2.2%となった。3四半期ぶりのプラス成長ながらも、ロイターの事前予測中央値の年率プラス3.7%を下回り、勢いに欠ける結果となった。との報道を受けての記事であろうか。
   Japan emerged from a recession in the final quarter of 2014, but wages, adjusted for inflation, are still falling. と言うことで、インフレ調整後の賃金は依然ダウン基調であり、成長も本物ではないと言うことである。


   ソーブルは、翌日、多少修正してJapan Makes a Quick Exit From Its Latest Recession を書いて、After a midyear slump, the economy started expanding at the end of 2014, but the growth was more tepid than predicted.と、同じようなタイトルを付けた。
   Yet the return to growth was more tepid than experts had predicted and may fail to erase concerns that the economy remains fundamentally fragile, despite Mr. Abe’s two-year stimulus campaign.と、アベノミクスの2年間の刺激策にも拘わらず、日本経済は、期待以下で、根本的には、脆弱なままだと言う指摘である。

   企業や消費者にとっては、原油やエネルギー価格の下落は、好都合だが、
   アベノミクスの効果の過半は、日銀の金融緩和によると見ており、最近のデフレ回帰のために、日銀の更なる債権購入圧力が増す。
   金融コストの低減や円安効果で、トヨタや日立などの巨大製造業の利益アップで業績が向上し株価が上昇する一方、消費増税などの影響で、
    Wages are still falling, adjusted for inflation, and many workers feel left out.と、インフレ調整後の賃金は、下落しており、多くの労働者が、好況から疎外されている。

   ソーブルは、この点を問題にしており、昨日の国会での党首討論で、岡田氏の「アベノミクスは、成長果実を分配する視点が欠落している。」と言う指摘に対して、安倍氏の「頑張れば報われる社会の実現に向け努力する」と応えた格差・働き方論争を、最後に乗せて、記事を終えている。
   この点は、共産党など左派の指摘のみならず、安倍政府も承知の上で、経済界に、賃上げや投資支出の増大などを働きかけており、日本経済の喫緊の課題とはなっている。
   「所得格差の拡大は経済の長期停滞を招く」と言うのは常識だとするならば、アベノミクスは、逆行していると言うことであろうか。

   問題は、成長戦略としてのアベノミクスは、マクロ経済の綜合的な成長戦略であって、その効果や恩恵を、最も強くてその政策をもろに受けて最大限に享受できる強者にとっては良くても、弱者には、殆ど効果がないと言うことである。
   経済が、新興国のように成長基調にある国家経済にとっては、中国やインドのように経済成長の恩恵を受けて多くの最貧困層が豊かになってきたように、トリクルダウン効果が働いて、経済力の底上げと格差縮小効果が働く。
   しかし、日本など経済が成熟段階に入って、経済活力が消失して、経済成長が殆ど望み薄となったような経済では、トリクルダウン効果など消えてしまって、現下のように、弱者が逆にわりを食って、経済格差が、むしろ拡大して行く。

   岡田氏の、「格差を縮めるため、富裕層への所得課税や資産課税の強化のほか、低所得者を対象とした給付月税額控除の検討を求める。」と言う発言に対して、
   安倍首相は「格差の固定化を避けるため、税制や社会保障による低所得者対策、子育て支援の拡充に努める」としながらも「給付付き税額控除については、・・・執行面での対応に課題がある」と応えている。回答になっていない。

   安倍首相が、どう答えようと、また、近年は悪化が進行していなくても、日本の経済格差は、先進国でも、相対的貧困率でもジニ係数でも最悪の部類に入っており、深刻な状態にあることは事実である。
   民主党の言うことは正しいと思うが、「コンクリートからヒトへ」と言う趣旨は正しかったが酷い失政をしたことを思えば、大切な経済成長戦略の推進を怠るであろうから、そのままには受け取れないと思っている。
   、
   Nippon・comが、「日本人の6人に1人が「貧困層」」と言う記事で、
   ”貧困率は、低所得者の割合を示す指標。厚生労働省が2014年7月にまとめた「国民生活基礎調査」によると、等価可処分所得の中央値の半分の額に当たる「貧困線」(2012年は122万円)に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」は16.1%だった。これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子どもの貧困率」も16.3%となり、ともに過去最悪を更新した。
   これは、日本人の約6人に1人が相対的な貧困層に分類されることを意味する。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%だった。貧困率が過去最悪を更新したのは、長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で働く母親の多くが給与水準の低い非正規雇用であることも影響した、と分析されている。”と報じており、その深刻さは、多言を要しないであろう。

   「OECD諸国で4番目に高い貧困率」と、”日本の貧困率は、国際比較で見ても高い。OECDの統計によれば、2000年代半ばの時点でOECD加盟国30か国のうち、相対的貧困率が最も高かったのはメキシコ(約18.5%)、次いで2番目がトルコ(約17.5%)、3番目が米国(約17%)で、4番目に日本(約15%)が続いた。”と言うことで、日本では、給食代を払えない、小学校にも行けないプアー・チルドレンが、沢山存在する。

   アベノミクス効果かどうかはともかく、株や資産の高騰で強者の好景気で、高級品の売れ行きアップを報じている蔭で、取り残された最貧層が、日々の生活に泣いているこの深刻な矛盾。
   安倍内閣の政策は、弱者切り捨てとは言わないまでも、経済的弱者・貧困層に対しては、クールすぎる。
   成長あるべきだとは思うが、日本経済の最も喫緊の課題は、セイフティネットの拡充であり、経済弱者をサポートすることである。
   

   
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国立能楽堂・・・第五十五回「式能」

2015年02月16日 | 能・狂言
   今年の能楽協会主催の「式能」は、私には4回目になる。
   「翁」も、金剛、宝生、金春と、夫々宗家の「翁」を鑑賞し、今年は、観世流清和宗家の「翁」で、2013年9月国立能楽堂開場30周年記念公演初日でも演じられたので、2回目である。
   
   「翁」は、能であり、能にあらず、天下泰平・国家安穏を言祝ぐ能楽の世界では最上位の「神事」。
   神聖視されていて、神事能や勧進能など「晴」の催しの時には、まず本曲を演じて後に常の能を演じる決まりで、今回も「翁附き」で、この後、能「西王母」と狂言「大黒連歌」が、休憩なしで連続して演じられた。

   演者たちは、その前に、精進潔斎、心身ともに神に臨む心境で対するようで、登場前に、
   鏡の間で、設けられた祭壇で、翁・三番叟・千歳・面箱持・囃子方・後見・地謡の順に神酒を頂く儀式を行い、後見が、上演直前に、揚幕の横から手を出して火打ち石で火を切って清めをするのだと言う。

   この「翁附の式」は、シテ方は、翁の清和宗家、千歳の喜正、西王母シテ/芳信、など観世流で、
   狂言方は、三番三は山本泰太郎、面箱は山本則重、大黒連歌のシテ/東次郎など、山本東次郎家の狂言師たちで演じられた。

   厳粛で格調の高い「翁」の崇高さ、
   能「西王母」は、エキゾチックな美しい姿の西王母が、桃の実を持った侍女に伴われて登場し、実を帝王(ワキ/殿田謙吉)に捧げて妙なる舞を舞って空に消えて行くと言う神仙思想を現した脇能で、祝祭ムード十分である。
   狂言「大黒連歌」は、大黒と言う面をかけて、素晴らしく光り輝く美しい衣装を身に着けて、右手に小槌、左肩に袋を担いだ大黒姿のシテ/東次郎が、大黒思想と連歌の徳とを結びつけたと言う興味深い狂言を見せる。
   先日、この能楽堂で、気合の入った凄い「武悪」の主を演じた筈の東次郎が、再び、素晴らしい狂言を見せる、80歳前だと思えない程芸が冴えている、流石に人間国宝である。
  

   この日演じられた能は、続いて、
   宝生流の「花月」、シテ/金森秀祥、ワキ/福生茂十郎
   金剛流の「吉野静」、シテ/廣田幸稔、ワキ/高安勝久
   喜多流の「鬼界島」、シテ/塩津哲生、ワキ/福生和幸
   金春流の「葵上」、 シテ/櫻間右陣、ワキ/森常好
   「鬼界島」は、他流では「俊寛」であり、この能と「葵上」は、これまでに見ているのだが、「花月」と「吉野静」は初めて観る能であった。
   静御前の、法楽の舞や序ノ舞など華麗な舞が、印象的であった。
   先日の能「咸陽宮」もそうだが、「鬼界島」「葵上」など、平家物語の能については、後日、感想を書いてみたいと思っている。
   

   狂言は、
   和泉流の「舟渡聟」、シテ/三宅右近、アド/則秀、凜太郎
   大蔵流の「因幡堂」、シテ/善竹忠重、アド/善竹十郎
   和泉流の「成上り」、シテ/野村萬、アド/万蔵、太一郎 
   これは、総て見ているのだが、流派や家が異なると、芸に差とバリエーションがあって、非常に興味深い。
   「舟渡聟」については、このブログでも書いたが、今回は和泉流で、酒を飲まれた船頭が舅であったと言う後バージョンがあるので、面白さが増す。
   「成上り」も、先月、この能楽堂で見たのは大蔵流で、清水で通夜した主が預けた大刀を、太郎冠者が仮眠中にすっぱに盗まれたので、苦し紛れに、竹筒に成上ったと言い訳するところで終っているのに比べて、
   今回の和泉流では、泥棒のすっぱが、再び獲物を求めて帰って来るのに出くわして、それを捕まえて、すったころんだを3人で演じて、結局は逃げられてしまうと言う話になり、一層面白くなっている。
   息子、そして、60も歳の違う孫を相手にして、80を超えた人間国宝で、この主催の能楽協会の理事長である野村萬が、溌剌とした太郎冠者を見せて感激である。

   とにかく、朝10時から夕刻の7時過ぎまで、殆ど正味8時間の能6曲、狂言4曲と言う凄く充実した能楽5流派、狂言2流派の芸術の饗宴であった。
   楽しませて頂いた。
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国立能楽堂、そして、世界らん展日本大賞2015

2015年02月14日 | 今日の日記
   今日は、午前中は、南青山の病院で定期的な検診、高血圧症の薬を貰うために年に何度か通院しているのだが、人気病院で、1時間半待たされて、1時からの能楽堂での開演に間に合わなかった。

   この日は、「能・狂言にみる危機と機転」と言うタイトルの企画公演で、林望先生のおはなし、大蔵流狂言「武悪」、観世流能「咸陽宮」であった。
   能楽堂に着いた頃には、林先生の話が始まっていて、「武悪」の説明の途中であった。
   大体、何時も、座席は、列の端の方を取っているので、遅れて入っても、それ程、ご迷惑はかけないと思う。

   狂言の「武悪」は、シテ/武悪は茂山千五郎、アド/主は山本東次郎、アド/太郎冠者は茂山七五三。
   とにかく、1時間近くの大曲で、全身に怒気をみなぎらせて凄い権幕で登場する主・東次郎から、全編、爆発せんばかりの迫力に圧倒されるような舞台で、正に、大蔵流トップ狂言役者の真骨頂とも言うべき圧倒的な舞台であった。

   主の言うことを聞かずに怠けてばかりいる雇人武悪に、しびれを切らして怒り心頭に達した主が、太郎冠者に、武悪を殺せと命令を下したので、太郎冠者は後ろから闇討ちにしようとするのだが、事情を聞いてしおらしくなった武悪を、長年知り合った同輩なので殺せない。他国へ逐電せよと見逃すのだが、お礼参りに清水に向かう武悪が、物見に出た主とばったり出くわしたので、困った太郎冠者が、そこは鳥辺山なので、幽霊に化けて出て来いと指図する。幽霊になって出てきた武悪と主の主客逆転した、頓珍漢なやり取りが、実に傑作で面白い。
   京都の茂山家の2巨頭と人間国宝の東次郎の丁々発止の舞台で、正に、最高峰の狂言であった。

   能「咸陽宮」は、秦の始皇帝の話で、中国古代の話ながら、平家物語から、題材を取っている。
   シテ/始皇帝は、野村四郎、ワキ/荊軻は、福生茂十郎。
   興味深い舞台なので、後日、感想を書くことにしたい。

   世界らん展は、今日が初日だが、千駄ヶ谷から電車で水道橋まで出て、後楽園ドームへ向かったので、会場に着いたのは、4時20分ころ。
   入場締め切りの寸前だったが、イブニングチケットを買って入場し、閉園まで、1時間だったが、入場者が殆ど帰った後だったので、かなり空いていて助かった。
   私は、花は好きだが、特に、らんに興味があるわけではなく、きれいな花の写真を撮るために出かけたようなものなので、どんな種類の花がどうだとか、花の名前などには無頓着で、日本大賞2015の写真を撮ったのだが、どんな花なのか、調べて来なかった。
   明日、NHKの園芸番組で紹介されるであろうから、それで分かると思っている。

   やはり、らんは綺麗で、楽しませて貰った。
   しかし、何となく、年々、らんの展示が縮小し続けている感じで、会場には店舗や関係のない出し物が多くなって来ているような感じがして、一寸寂しい。
   それに、NHKの放送の熱の入れ方も、消極的になってきているような気がしている。
   とりあえず、スナップを一寸掲載しておきたい。
   (写真に人影が少ないのは、閉園間際の為。カメラは、Nikon 1 J3。)
   
   
   
   
   
   
   
   
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野村万作著「太郎冠者を生きる」

2015年02月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   1984年刊の本であるから、もう、30年前の本で、万作師が、脂の乗り切った最壮年期の著作であるから、実に意欲的な密度の高い素晴らしい本である。
   もう、随分前に、白水Uブックス版で読んだのだが、最近、万作師の狂言舞台を鑑賞することが多いので、芸の秘密の一端に触れたくて、絶版なので古書を求めて読んで見た。

   私が、最初に、万作師の舞台を観たのは、ロンドンのジャパンフェスティバルの「法螺侍」での、洞田助右衛門であった。
   言わずと知れたシェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」のファルスタッフで、、殆ど忘れてしまったが、洗濯籠に入れらて、川岸へ運ばれて行くシーンで、萬斎たちが担ぐ籠の中で、コロコロ転げまわって運ばれて行く動きと芝居の、その凄い臨場感にびっくりしてしまったのである。
   勿論、籠など全くないのだが、籠の中で籠の揺れに合わせて転げる姿が、正に、籠に乗っている状態と寸分も違わない程、リアルでビビッドなのである。
   その後、ここ数年だが、10回以上は、万作師の舞台を楽しませて貰っており、このブログでも、観劇(感激)談を書いている。

   まず、興味深かったのは、能楽における狂言の地位の低さに対する万作師の思い入れである。
   「土蜘蛛」の公演で、スタンドバイしていたのに、シテが、汽車に乗って旅行するためと言う理由だけで、一方的に間狂言をカットされて、屈辱感を味わったこと。
   能と狂言が同一舞台で演じられるのは、単に能一番の中に狂言の役があるから頼むので、狂言は、どうでも良いのだと言っても良いくらいの結びつきだったと言うのである。

   一時代前は、日本の伝統芸能と言えば、能、歌舞伎、文楽、これで終わりで、狂言の地位は、能の中においても低かったし、観客も能の添え物的に扱っていて、戦後の民主的な風潮にマッチして、ブームと言う形で次第に注目されてきたが、狂言の演者はすべて、狂言の価値を知ってもらいたい、狂言の地位を向上させたいと思い続けてきたのである。

   喜多流の「班女」の舞台で、著者が間狂言に出た時、班女(花子)が、人のお酌にも出ないので、宿の長(アイ)が、花子を叱りつけ、扇をひったくってたたき付け、「腹立ちや、腹立ちや」と言って入って行くのだが、「班女」の間は、遊女花子を使っている宿の長と言う一つの位を表現しなくてはならないので、それを演じて評価された父万蔵のやり方で演じた。
   「班女」の間も、普通の狂言と同じように、もっと軽いものであって欲しいと言う考えか、喜多六平太が、気に入らなかったので、著者が幕に走り込んだ途端に、万蔵を呼んで意見を言ったようだが、万蔵は、私どものやり方はあれでよろしいんですと弁護したと言う。

   ところで、まだ、観客の中に、狂言軽視の風潮があるのかどうかは分からないが、昨年2月の「式能」の舞台で、能「翁」と能「岩舟」の後、狂言「三本柱」が演じられたのだが、その時の私のブログの一部を引用しておく。
    ・・・続いて、和泉流の狂言「三本柱」が、シテ万作で演じられたのだが、休憩なしで延々2時間半の連続公演であるから、人間国宝野村万作が登場しても、席を立つ人が多くて、日頃のしわぶき一つさえ憚られる静寂そのものの能楽堂の雰囲気とは様変わり。・・・

   さて、狂言の向上を目指して、地位云々についてばかり感想を書いてしまったが、この本は、いわば、万作師の若い頃の半生記とも言うべき興味深い本である。
   狂言の家に生まれながら、そのレールに乗ったのではなく、早稲田大学時代に発奮して、はっきり自分の選択で狂言の演者になったと言う確信の基に、烈々たる情熱と限りなき向上心を内に秘めて芸道を邁進してきた姿が、非常に清々しい。
   武智鉄二、観世寿夫、それに、多くの芸能・芸術界のトップ芸術家たちとの幅広い交流や切磋琢磨による芸術的向上。
   多くの海外公演とアメリカの大学での狂言教授の経験や海外芸術家との交流など話題も豊富で、万作師の芸術の幅と深みを生んだ土壌が如何に豊かだったかと言うことが分かって興味深い。
   勿論、「釣狐」や「花子」など、狂言の舞台や修行の道程なども詳しくて、非常に知情意の調和のとれた傑出した芸術家の含蓄ある話を、感激しながら聞く思いで読ませて貰った。

   さて、私は、もう、100回以上も能楽堂へ通っており、「釣狐」も「花子」も、そして、かなり多くの狂言を見ている。
   一寸、鑑賞の仕方が甘いようなので、少し、心して狂言を鑑賞すべきだと言う気になっている。
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わが庭の歳時記・・・春まだ早し

2015年02月12日 | わが庭の歳時記
   このところ、急に寒波の来襲で、寒くなってきた。
   首都圏の降雪は2月に多いので、もうしばらくは、寒さが続きそうである。

   わが庭の花は、梅が5~6分咲きくらいで、色彩に乏しく、冬の装いそのままで、春の足音は、まだ、微かにしか聞こえない。
   太古では、花と言えば、梅であったようだが、寒さに抗して、一番早く凛と咲く梅の美しさを見れば、それが分かるような気がする。
   時々、メジロが訪れて来て、花をつついている。
   
   

   クリスマス・ローズの花芽が、大分見え始めて来た。
   クリスマス・ローズと言うから、年末年始頃に咲く花かと思ったら、その頃咲く花は、一種だけのようで、本来は春の花のようであり、わが庭の花だけが、開花が遅いのかと心配していたのだが、ほっとしている。
   今年は、春の球根を植えなかったので、咲くとすれば、昨年植えたか以前の花の球根が育ったものであろう。
   
   
   

   咲き始めて来たのは、ボケである。
   この花木は、花はバリエーションに富み面白くて良いのだが、木の育ち方が気まま勝手で、姿を乱すので、あまり、好きではなく、植えることは少ない。
   椿は、真っ先に、ブラックマジックの蕾が膨らみ始めた。
   以前は、黒い花が好きで、チューリップも黒い花を植えたり、椿も、黒い椿の種類を集めて栽培していたのだが、この椿と、ナイトライダーだけを鎌倉に持ってきた。
   
   

   門扉外の小さな花壇には、雲間草などが彩りを添えていて、もうしばらくすると、クリスマス・ローズやエリナが咲き始めるので、恰好がつきそうである。
   

   庭を訪れて来ていたジョウビタキの姿をやっと捉えることが出来た。
   もうすぐ、温かくなると、シベリアへ、長い旅をして帰って行く。
   同じところへ、必ず帰ってくると言うから、来年も楽しみである。
   
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