熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

花の歳時記(2005.3.21)

2005年03月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   わが庭には、今、八重でピンクの枝垂れ梅が咲き乱れている。田園地帯を見渡せる住宅街の外れなので、少し寒いのか咲き始めるのが一番遅い。20年以上前、ここに引っ越して来た時に植えたのだが、まだ、背丈は2倍位になったであろうか、同じ時期に植えた八重桜は、豪華に花を咲かせたが枯れてしまって今はもうない。
   急に暖かくなった所為か、また新しい椿の花が、咲き始めた。崑崙黒が宝珠型の蕾を開き始めたので、もう直ぐ、黒椿が続いて咲き始めよう。小磯、越の吹雪も赤い花を開いた。りんご椿も、真っ黒だった蕾が赤くなり始めた。さつま紅が、優雅な花を開いた。
玉の浦、正義、それに、ピンクの小公子や太郎冠者、アラジシ、曙、卜半、赤西王母、紅妙蓮寺等が咲き続けている。
一時、黒椿に興味を持って育てたが、この頃、真紅のヤブツバキ系の花に好みが移ってきた。今咲いているやや小ぶりの小磯や赤西王母の凛とした濃い赤花が素晴らしい。
侘助と山茶花の雑種とか、庭の唯一の匂椿・港の曙が、微かな芳香を放って咲き乱れている。しかし、何故か、山茶花には全く興味がない。
   椿は、小さな鉢に植えて花の咲くのを楽しみに待っている頃が一番良い。大切に育てた椿が、一輪か二輪咲き始めると、その花のふくらみと色の微妙な変化に感激する。庭に下ろして大きくなると沢山花が咲いて花の有り難味がなくなってしまう。それに、寒い頃は、寒さと霜にやられて、花が無残にやられてしまう。ロンドンから帰って直ぐに買って、何年かして、庭に植えた崑崙黒や、天賜(てんし)、岩根絞も大分大きな木に育ってきた。
   今、庭には、他に沈丁花と馬酔木も花盛りで、すずらんの様なピンクの馬酔木が綺麗である。クロッカスが、黄色から紫に変わった。水仙とチューリップはまだ蕾である。花韮が、白い花を開き始めた。ビッシリ庭を埋める強い花である。
   庭には、色々な小鳥が訪れてくる。子供の頃から良く見かけるのは、雀、カラス、ツバメ、もず、ひばり、そんな位であろうか。ところが数えてみるとこの庭に訪れる小鳥は、10種類を遥かに越えている。小さなバードウオッチの解説本を見るが、鳥の名前が分からないのが幾らもある。近くの農道脇の小川には、綺麗なカワセミが現れる。凄い速さで川面を走る。これまで沢山いた鴨も見なくなった。田んぼには、千鳥や、時々、白鷺が舞い降りる。もう直ぐ、ひばりが鳴き始める。
   ムクドリが、椿の蜜を吸いにやって来て、鉢植えの小さな枝にしがみ付いている。もう少し暖かくなると、蜂や蝶が飛んでくる。去年は、紫式部の枯れた実が残っていたので、沢山のメジロが来て食べていた。もう直ぐ、鶯がやって来る、その頃には、わが庭ももっと賑やかになる。

(追伸) 一寸、旅に出ますので、ブログを一週間ほど休みます。
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神田古書街散策の楽しみ

2005年03月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   私の良く行く場所は、神田神保町。三省堂や書泉グランデ等もあるが主体は古書店街で、街路まで書籍がはみ出し、本好きな人には堪らない魅力的な街である。中々、趣味の良い素晴らしい喫茶店などあって古い東京の雰囲気を残していて良い。
   私の場合は、司馬遼太郎の様に歴史的な古書を探しに行くのではなくて、最近出版された所謂新古書である。ブックオフで間に合うと言う人がいるが、少し違う。大体ブックオフは、一寸大きなだけの本当のフルホン屋だが、神保町の新古書は、バージンのフルホンが多い。時々見かけるが、多くの献呈本を貰った出版社やジャーナリスト、或いは、有名作家と思しき人が、古書店に沢山の新本を持ち込み売っているが、こんな本が、定価の4~5割引き程度で売られているのであろうか。
   私の神保町詣での目的は、何も新本を安く買うだけではない。新しく出版された本を、その特定された分野を扱う古書店に行けば、集中して探せることと、僅かな空間の書棚に新本が並べられるので、専門書など気付いていない良い本に巡り合う確立が高いからである。
   新聞雑誌などの書評や広告には注意し、大きな書店には必ず定期的には行き、アンテナを張って良書を探しているが、商業主義に徹していて、ベストセラーや売れる本ばかりが目立って、素晴らしい本を見逃すことが多い。私の良書との出会いは、神保町の古書店での方が多いのも不思議ではない。
   普通の分かりきった新本は、大きな書店か、アマゾンで買うことが多いが、何か本を探す喜びを与えない限り、今の書店形態ではジリ貧になろう。
日本の場合、再販制度で、安く本を買えないが、アメリカにいた頃は、新本が、2~3割ディスカウントで売られていたし、今なら、アマゾンやバーンズ・ノーブルのインターネット・ショップで買えば、時にはもっと安くなる。それに、欧米ではブッククラブが普及していて、良い本が紹介で手に入った。洋書が普及しなかったのは、丸善の責任が重いと思う。
   読書の楽しみの一つは、この数年続けているアマゾンのネットへのブック・レビューへの投稿。読書遍歴の記録にもなるし、それに、同好の読者達の反応が嬉しい。もう、100篇以上の投稿になったが、一時は、 ベスト50レビュアーに入った。今日現在は、158位、今のところ、比較的簡単に書ける本だけのレビューに終わっているが、いつか、じっくり大書に挑戦してみたいと思っている。
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日本の競争力――リチャード・レスターのイノヴェーション論

2005年03月20日 | 経営・ビジネス
   日本経済研究センターと日経の主催で、3月17日に日経ホールでシンポジューム「日本の競争力:復活の課題と展望」が開催されたので参加した。あの「Made in America」の著者リチャード・K・レスターMIT教授が基調講演を行うので期待して出かけた。他に、Hu Angang清華大教授、北城経済同友会代表幹事や日経センターの小島明会長が参加していて可なり興味深いシンポジュームであった。
   
   レスター教授は、新著「Innovation--The Missing Dimension」をもとに、”日本の競争力:国の競争力と繁栄を回復する為への挑戦”と題して講演を行ったが、私が興味を持ったのは、「生産性の本当の意味は、生産性の成長=効率の改善+イノヴェーション と言う事で、日本は人口の高齢化と減少によって、現在の生活水準を維持しようと思えば、最低限度でも年率0.6%以上の生産性の上昇が必要である」という点であった。
   
   もっとも、これは、本来の意味でのGNPないしGDPベースの話で、人間の幸せ度については無視しているので、成熟社会の問題としては限定的だが、要するに、今後の経済成長の盛衰を決するのはイノヴェーションであると言うことであろうか。
   
   更に、レスター教授は、創造的かつ革新的な経済を造り出す為には、投資、リスクテイキング、確信 が必須だという。云い得て妙と言うか、失われた10年に呻吟している今の日本の現状を語っているようで面白いと思った。更に、今日では、イノヴェーションの「Work」そのものが変わって来て、益々、複雑になり総合的になって来ているとも言う。
   分析的取り組みと解釈的取り組みについて、より創造的でイノベーションを生む為には、後者が重要な役割を果たすと言うことだが、複雑系の考え方や発見・発明は芸術であると言う一寸非科学的な要素が大切だと言うことでもあろう。
   
   
   何時も後悔するのだが、高度で専門的な外国語での講演の中身を理解する為には、十分準備をする必要があると思う。今回の場合、大事を取って同時通訳を通したのが裏目に出て、途中で切り替えてレシーバーを外したが、前後の脈絡が続かず良く分からなくなってしまった。特殊な専門用語や講演者が定義した特別な意味を持つ外国語の場合、初めて聴いた時には分からない場合が多いし、それに、同時通訳者が、十分に講演内容なり理論を理解しているとは限らない。
   
   どうせ日経に講演の抄訳が出ても、大概、間違っている場合が多いのである。何時ものように、大切な講演は、同じ講演者の書物を後で読んで理解を補うに限る。早速、今回もレスター教授の新著「Innovation」をAmazonに注文して、直接、原書に当たることにしようと思う。
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アルミンクのベートーヴェン「レオノーレ」に感激 (新日本フィル3月定期公演)

2005年03月19日 | クラシック音楽・オペラ
   錦糸町の「トリフォニー・ホール」で、新日本フィルの音楽監督クリスティアン・アルミンクが昨年の楽劇「サロメ」に続いて、今回は、ベートーヴェンの唯一のオペラ「フィデリオ」の原典版「レオノーレ」を、コンサート・オペラ形式で日本初演した。全編息をもつかせぬ凄い迫力の演奏会で、聴衆を熱狂させた。さすが、ウイーンで生まれ、ウイーン育ちのアルミンク、2年間新日本フィルで聴いているが、音楽の豊かさは群を抜いており、オペラへの意気込みは凄い。次には、ワーグナーあたりを聴きたいと思う。
   若くてハンサムなアルミンクの指揮ぶりは何時もながら流麗で、歌手や合唱団の歌に合わせて歌いながら指揮しており、今回は、歌手の方に目が行ってしまって、あまり気付かなかったが、丹念に分厚い楽譜を几帳面に捲っている。
   二人のドイツの若手スター、レオノーレのタイトル・ロールを歌ったソプラノ・マニュエラ・ウールのハリとパンチの効いた豊かな声とテノール・フロレスタンの柔らかで優雅な美声が聴衆を魅了し、凄みを効かせたバス・バリトンのドン・ピツァロを歌ったベテランのハルトムート・ヴェルカーと、温かみのあるバスの牢番ロッコのヨルグ・シモンが脇を固めている。
   コンサート形式と言っても舞台セットが簡易なだけで、歌手達の演技はオペラと寸分違わない。第2幕の地下牢での迫力ある対決は、私のほんの数メートル先で演じられており、ピツァロとレオノーレの対決は、迫力満点で、レオノーレのウールの魅力満開、その迫真の演技に息を呑む。
   マルツェリーネの三宅理恵の初々しさ、ヤキーノの吉田浩之とドン・フェルナンドの塩入功司の若手日本人歌手達の貢献も特筆もので、囚人になったり監視隊になったり群集になったりの東京オペラシンガーズの活躍も素晴らしく、日本のオペラの裾野の広がりを感じた。
   何よりも、ここまで水準の高くなった新日本フィルの成長に脱帽である。小澤征爾のオーケストラなので、日本に居る間は、ずっと、定期公演の会員を継続しているが、ひどい頃の新日本フィルも良く知っている。特に、金管や木管がひどく音を外す事が結構あった。
   やはり、このトリフォニーのレジデント・オーケストラとなって本拠地を持ったことが大きいと思うが、定期公演の半分を振っている音楽監督のアルミンクの貢献も大きい。
   ロンドンや東京、松本で聴いたサイトーキネンには遥かに程遠いが、今回も、結構空席があり、まず努力すべきは、定期で席を埋めることであろう。フィラデルフィア管やアムステルダム・コンセルトヘヴォー等は、祖父母から子供、孫へ予約席が引き継がれて、中々新規にはシーズン・メンバー・チケットは買えなかった。新日本フィルもそうなることを祈りたい。
   
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幻の輝き”辻が花”の華麗さ――久保田一竹辻が花回顧展

2005年03月18日 | 展覧会・展示会
   今、日本橋高島屋で素晴らしい展示会「一竹辻が花・回顧展」が開かれている。着物に描かれた幽玄華麗なこの世とも思えない様な鮮やかな絹の輝きが見る者を圧倒する。
まず、入場すると、四季夫々に輝く精緻な錦絵の様な富士をモチーフにした素晴らしい造形が目を驚かせる。上部に富士の頂上が位置するので、裾野にかけての色彩の目の覚めるような変化とグラジュエイション、それに、微妙に浮き出して踊っている模様の豊かさに驚嘆する。
   友禅職人としてスタートした一竹が、国立博物館で遭遇した一片の小裂・辻が花の精緻を尽くした微妙な美しさに触発されて、江戸初期に姿を消したこの幻の造形を求めて独学で修行、60にしてやっと満足の行く作品に到達したとか。その後の25年に燃焼しつくした一竹の華麗な辻が花の世界が、縦横無尽に羽ばたいている、そんな異世界空間がこの会場である。
   胸を打つのが、未完に終わった連作「光響」、着物が何枚か連続で微妙に変化しながら一つの絵を構成している。その中でも最後の「宇宙」――80枚で構成するとか、真ん中に大きな太陽の弧が描かれていて、紅蓮のコロナが渦巻き咆哮しながら宇宙を圧している。中心の「宇」と下の「宙」は完成して居るが、周縁と上部は下絵だけで未完、しかし、29枚の下絵が、その壮大さを示して余りある。
   <光響>80連作の宇宙はこうなる!(Conposition of the "Symphony of Light" wiil be like this.) 死地を彷徨ったシベリヤで見た壮大な夕日が瞼から離れないと言う、一竹の究極のテーマ・平和への希求が胸を打つ。フランスの文化勲章シュヴァリエ賞を得、欧米各地で絶賛を博したと言うが、私も、随分世界各地の美術館や博物館、文化遺産等を周ったつもりだが、一竹辻が花の世界は、それに伍してヒケを取らない。
   会場には、一竹の筆などの道具、自作の羽織の紐、それに、世界から集めた素晴らしいトンボ玉の数々が展示されていて、ビデを室では、一竹能・舞衣夢(マイム)が上映されていた。会場には、一竹の華麗な衣装を纏った能面をつけた等身大の翁と二人の女人像が能舞台を再現する。
   歌舞伎や能の錦の衣装も素晴らしいが、この精緻を極めた絞りが浮き立つ染色による辻が花の美しさは、また、格別である。普通、展覧会場では素通りすることが多い、今回は、長い時間を会場で過ごした。素晴らしい感激の時間を持って幸せであった。
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華麗なウイーン・フィル・サウンドを楽しむ(トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウイーン)

2005年03月17日 | クラシック音楽・オペラ
   今夜、初台のタケミツ・ホールで、トヨタ・マスター・プレイヤーズ、ウイーンの演奏会が開かれ、華麗なウイーン・フィル・サウンドが聴衆を魅了した。ウイーン・フィルの名手30名編成の指揮者のいない室内オーケストラだが、後半のベートーヴェン交響曲第2番ニ長調、アンコールの「エグモント序曲」等聴いていると、もう、正にウイーン・フィルそのものである。それに、モーツアルトの「魔笛序曲」は、木管8と金管2の管だけの演奏で、その器用さを披露して拍手喝采であった。
   前半は、チャイコフスキー・コンクール優勝のソプラノ佐藤美枝子を独唱者に、モーツアルトとシュトラウスのオペラのアリア、ヨハン・シュトラウスのワルツ「春の声」であった。ウイーン・フィルの華麗なワルツにのった佐藤の歌声は、爽やかで美しく天使の様で、昔、カラヤン指揮でニュー・イヤー・コンサートで歌ったキャサリン・バトルを思い出した。ところが、一変して、魔笛の夜の女王のアリアになると凄い迫力で聴衆を圧倒、アンコールで歌った二回目は大変な拍手であった。
   このコンサートで良いのは、トヨタのメセナなので、料金が安いこと。しかし、昨秋、ニューヨーク・フィルをフィッシャー・ホールで聴いたが、最高席で90㌦(1万円)であったが、大体、ロンドンでも、ロンドン交響楽団ガーディナー指揮でも25ポンド(5千円)であり、兎に角、日本は人件費が高いのか会場使用料が高いのかN響を筆頭に高すぎる。下手な新人のコンサートでも3千円以下のチケットはまずない。
   所で、オーケストラ・ピットに入れば、ウイーン国立歌劇場管弦楽団、ステージに上がりコンサートを開くとウイーン・フィル、それに、小編成の室内楽団や色々なアンサンブルを結成するので、ウイーン・フィル・サウンドに接する機会は多いが、ウイーン・フィルそのもののコンサートは意外に少ない。
   指揮者なしでの演奏であるが、ロンドンでのコンサートで、アンコールのシュトラウスのワルツで、指揮のジェイムス・レヴァインが、最初のタクトを振っただけで楽屋に引き上げてしまって、後は、ウイーン・フィルだけで演奏したことがあった。ショルティ、ムーティ、ハイテティンク等の指揮でウイーン・フィルを聴いた事があるが、元々、専属の指揮者が居ない楽団なので、相当高い水準の指揮者でないと必要ないのであろう。
昔、コンサート・マスターのウイリー・ボスコフスキーが、ヴァイオリンを弾きながらヨハン・シュトラウスを指揮していた。
   ロンドンで聞いたが、呼ぶのに一番高いオーケストラは、ウイーン・フィルで、次はベルリン・フィル、後は、ぐっと下がると言っていた。何年も、シーズン・メンバー・チケットを買って通い続けたロイヤル・コンセルトヘヴォーやフィラデルフィア管弦楽団等、途轍もなく素晴らしいと思うのだが、偏見であろうか。
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銀塩カメラからデジカメに完全に変わってしまった

2005年03月16日 | 生活随想・趣味
   私の場合、子供の頃からの趣味なので、カメラ歴は長い。その間、ニコンとキヤノンの一眼レフ・カメラのお世話になり、随分、海外への供をさせ、駄作ばかりだが膨大な量のネガを残すことになった。整理をしなければと思いながら、そのままになってしまっているが、懐かしくて堪らない位貴重な写真も多い。少しづつ、スキャナーでデジタル化してDVDに残そうと思っているのだが、まだ、スキャナーの性能が悪くて時間がかかり過ぎるので思う様に進まない。
   2年ほど前に、ニコンのCOOLPIX5700を買って、デジカメを使い始めた。このカメラの難点は、バッテリー容量が少なすぎることであったが、小型で性能も良く便利なので重宝した。落として壊してしまったので、現在は、SONYのDSC-F828とCANONのIXY500を使い分けている。デジタル一眼レフに切り替えようと思ったが、これ等で十分役立っているのと、使わなくなったLEICAや何台かのニコンやキヤノンの一眼レフを見ていると気が削がれてしまうのである。
   デジタルの良い所は、直ぐに、自分のパソコンにデータを取り込み、ソフトを使って修正加工して、その場で、思い通りのプリントを仕上げることが出来ることである。それに、そのまま、幾らでもパソコンに取り込んで、好きな時に、CDやDVDにコピーして保存できる。兎に角、今までDPEショップに任せていて不満が多かったことが、殆ど自分で処理できるのである。
   結局、このデジタル革命が、カメラ業界を潰してしまって、カメラは、パソコンの周辺機器になってしまった。丁度、ラジオやテレビが、トランジスター革命で、トランジスターが、真空管に取って代わったのと良く似ている。私の場合も、最近では、銀塩カメラは、殆ど使わなくなってしまって、昨秋のアメリカ旅行の時も、コンパクトフラッシュのデータをトリッパーのポータブルHDDに転送・保存しながら、デジカメで通した。
   デジカメに代わって、私にとって好都合だったのは、花をマクロで接写するので、被写界深度の深いデジカメの場合は、それほどレンズを絞らなくても適当な写真が撮れる事である。IT革命の恩恵を受けてカメラ技術がどんどん進むことは良いことだが、誰でも傑作が写せるようになってしまったら、面白くなくなるのであろうか。
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シェイクスピアを聴く

2005年03月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日、新宿で映画「北の零年」を見た。久しぶりに凄い邦画を見て楽しませて貰った。新政府の命令で北海道に移住した淡路・稲田藩の面々、廃藩置県で放置され翻弄されながらも、新天地・静内での原野開拓の苦悩と人間の強さと優しさをを描いて余りある秀作。
   興味を引いたのは、本筋とは全く関係ないが、冒頭、平和な武家の母子が文楽見物に出かけるくだりで、娘が、「浄瑠璃が、始まりますよ」と言うところ。近松門左衛門や竹本義太夫の頃は、人形浄瑠璃と言っていたようだが、文楽座が出来、今では、文楽と言っている。浄瑠璃は、独立した語り音楽として発生し、人形芝居や歌舞伎と結合して発展してきたのだと言う。
   ここで、気になったのは、私の場合、人形芝居としての文楽に興味を持ち始めたので、玉男や文雀や簑助の人形ばかりに目が行っていたが、文楽は三業あってではあるけれど、主役は、語り、即ち太夫の浄瑠璃ではないかと思い始めたからなのである。そうなると、文楽に行くが、文楽を見に行くから、文楽を聴きに行くと言う事になる。
   何故こんなことを言うのかと言うと、イギリスでは、シェイクスピア戯曲を見に行くと言うのではなく、本来は、聴きに行くと言うのだと聞いたことがある。実際、そう言われてみると、やはり、あの素晴らしいシェイクスピアは、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・ナショナル・シアターに通い詰めて、何度も、シェイクスピア劇を鑑賞したが、聴くだけでも素晴らしいと思ったことが何度もある。ケネス・ブラナーのハムレットを舞台で聴いたのである。
   現在、ロンドンのテムズの南岸サザックに、本来のグローブ座を模して新しい「グローブ座」が立っており、毎夏、シェイクスピア戯曲が公演されている。あの「恋に落ちたシェイクスピア」に出てくる劇場と殆ど同じで、劇場は青天井で屋根がない。数年前に「リア王」と「から騒ぎ」を楽しむ機会があった。
   当日、日が照っていて日向の観客は、日よけに帽子を被っていたが、翌日は、雨で、平土間の客は右往左往、皆、売店に走って透明のビニールの合羽を買って来て被っていた。
舞台は、最小限の道具や家具でセットされているだけで、あのリア王の真っ暗になって全天掻き曇る嵐の場面も、ハムレットの悲惨な闇夜の前王の亡霊との対面も、日がカンカン照りつける舞台で演じなければならないのである。それは、歌舞伎の闇夜の舞台よりも遥かに難しく、これは、もう役者の名演技と台詞回しで客を引き付ける以外にはない。シェイクスピア当時は、即ち、この耳で聴いてシェイクスピア劇の素晴らしさを感じる以外にはなかったのである。照明やマイクやセットで助けられている現在の役者とは違う。正に、シェイクスピア劇を観るではなく、聴くと言う世界であったのである。
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アメリカン・ビーフ――米国牛肉輸入再開に思う

2005年03月14日 | 政治・経済・社会
   米国牛肉の輸入再開問題について、また騒がしくなってきた。ブッシュ大統領自ら小泉首相に電話で要請し、米議会でも強硬論が一段と高まり報復措置発動を求める決議案を上院に提出するとか。ライス国務長官も来日時に強行に輸入再開を求める模様だと言う。
   狂牛病騒ぎの真っ最中にイギリスに滞在し、チェルノブイリ原発事故のときオランダに居た私にとっては、どうでも良い話で、兎に角、政争の具にされてしまって、消費者の視点からの発想は全く無視されているとしか思えない。狂牛病にかかるのは、1億円の宝くじに当たるより確率が低いし、それより、食品や衛生・安全等に対する厚生労働省や農水省の無為無策や無責任行政の罪の方が大きい。
   アメリカン ビーフは、吉野家の牛丼だけではない。日本人には、神戸や松坂等の和牛の方が上等で、輸入牛肉の方が質が低いと思われているが、それは、全くの偏見で、場合によっては、アメリカやヨーロッパのビーフの方が遥かに美味くて上等である。狂牛病最中に、せっせと、英国や欧州のレストランに通ってビーフ料理を賞味し続けていたが、スコッチ・ビーフ、あのアンガス牛のステーキやロースト・ビーフの美味さは格別である。
   昨年、アメリカの東部海岸都市を旅行したときに、どうしてもビーフ・ステーキを食べたいと思っていたが、殆ど毎晩オペラ等の鑑賞で夕食時間が取れず、たった1夜だけ、ボストンで楽しむ機会があった。ランガムホテルの優しくてチャーミングなコンシェルジェが教えてくれたファニュエル・ホール広場にあるビーフ専門店「プラザⅢ」に出かけた。雰囲気のあるレストランで、久しぶりにアメリカンとヨーロピアン・テイストがミックスしたような雰囲気の中で、素晴らしいアメリカン・ビーフを堪能させて貰った。アメリカの牛肉の素晴らしさを知ったのは、もう何十年も前、サンフランシスコの郊外の素晴らしいレストランであった。
   それから、色々な所で素晴らしいビーフを頂いてきた。確かに、和牛の素晴らしさも格別ではあるが、元々、外国の食品で、日本に牛肉が根付いたのは、ごく最近のこと、まだ、150年の歴史しかない。牛肉をここまで素晴らしい料理に仕立て上げた日本人、たった何十年かの間に、低品質の米国牛肉を国民食に仕上げた吉野家も素晴らしいが、折角のアメリカン・ビーフ、拒否し続けることもないと思うが如何であろうか。
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ベートーヴェンの偉大さ――岩城宏之全交響曲演奏会とベルリン・フィルの「フィデリオ」

2005年03月13日 | クラシック音楽・オペラ
   先日、偶然チェロを嗜んでいる知人に会ったら、ドイツへ旅行してベートーヴェン・ハウスに行ったと言う。急に、懐かしいボンの風景が脳裏を横切った。その当時は、まだ、ボンは西ドイツの首府であったので、国会議事堂などのあった新しい地域も生きていたし、古風な佇まいを残す旧市街がひっそりとシックな雰囲気を醸し出していて午後の散策を楽しんだのを思い出した。
   床は傾いていたような気がするが、案外しっかりした家に住んでいたなあと言うのが第一印象だった。この家でベートーヴェンが父親の特訓に耐え寝起きしていた所かと思うと感激であった。デスマスクや補聴器などが記憶に残っているが、観光ズレしたザルツブルグにあるモーツアルト・ハウスとは大分違うと思った。
   去年の大晦日に、大変貴重なベートーヴェン・イヴェントに遭遇した。外国に居た時でも、衛星放送があるので、正月を迎える時には紅白鑑賞で年を越すのであったが、昨年は、東京文化会館に居て、岩城宏之指揮、N響主体のオーケストラによるベートーヴェン交響曲全曲演奏会を鑑賞していたのである。大晦日の午後3時半に第一番が始まり、第九番「合唱つき」が終わったのは、翌日元旦の朝1時前であった。大変な熱演で素晴らしい演奏会であったが、岩城宏之は、ベートーヴェンの偉大さを改めて再認識させてくれた。随分前に、ウイーン国立歌劇場でシュトラウスの「こうもり」を楽しみ、爆竹の音で新年を迎えたあの時を思い出して、音楽の素晴らしさに改めて感激したのである。
   その年の秋に、サイモン・ラトルが、ベルリン・フィルを引き連れて来日し、ザルツブルク・イースター音楽祭プロで「フィデリオ」を演奏したが、あの感動的な舞台を観ていたので、益々、ベートーヴェンの音楽に引き込まれてしまい、その偉大さを思い知らされたのである。
   自由と平和を誰よりも熱愛し希求していたベートヴェンは、期待したナポレオンが皇帝になったために失望し第三番「英雄」の献辞を削除しながらも、あのフィデリオと第九番「合唱つき」で、その理想・自由と平等、友愛と平和の尊さを高らかに歌い上げた。そんな事どもを思いながら、ボンのベートーヴェン・ハウスを思い出していた。ドイツに行きたいと思った、今度は、ゆっくり田舎町を歩いて、そして、オペラ三昧、そう思っている。
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イノベーションを忘れたソニーの経営陣交代

2005年03月12日 | 経営・ビジネス
   先日、ソニーの出井会長他7人の社内役員が退任し、初めての外国人会長兼CEOにサー・ハワード.ストリンガーが、そして社長に中鉢良治氏が就任することになった。出井会長や安藤国威氏等の自発的退任と言われているが、実際は、重量級の社外取締役の意向であろう。出井氏が社長に就任以降、株価が60%下落しており、一昨年のソニーショックは勿論のことその後も業績は回復せず惨憺たるもので、一時危機状態にあった松下電器の中村改革による業績回復とは雲泥の差である。カルロス・ゴーン社外取締役の経営哲学であれば、あのソニーショックの時点で出井会長の退任は筆致であったはずで、遅きに失したのが、日本企業のコーポレートガバナンスであろうか。
   47年前に出版されて一世を風靡した「日本の経営」の著者ジェイムス・C・アベグレンが新著「新・日本の経営」で、業績好調な専業電機9社と比較しながら、総合電機9社の事業多角化の極端な行き過ぎによる賛嘆たる業績の悪化に触れ、絞込みと集中に徹し切れなかった戦略の失敗について言及している。
あのジャック・ウェルチの教訓「業界一位か二位でない事業からは撤退」との極めて単純な鉄則をも忘れて、日立や東芝のように重電も持たず、松下のように白物もないAV専業のソニーが、ファイナンスやエンターテインメント事業に手をつけて(それも良いかもしれないが)、本業の本業たるコアの薄型テレビやDVDレコーダーで他社の後塵をはいし、ましてや、アップルのiPodにイノベーションで遅れを取っては、何をか況やである。(シュンペーターが、墓場の陰から、何時も、自分の理論「イノベーション」の体現者であるソニーを見つめており、今回は特に残念がっていた筈である。)
途轍もない数の子会社を持ち多角化しすぎた事業の早急な再編もそうだが、選択と集中、何よりもコアのエレクトロニクス事業での業界NO.1へ復帰が最重要であろう。
   あのビデオのベータにもしがみ付き、外国に移ってもずっとAV機器はソニーを続けてきたが、オリンピックを楽しむ為に、去年テレビは松下のビエラに変えてしまった。
トランジスターで新世紀を開き、ビデオレコーダーやウォークマンで世界を席巻し、新しくて素晴らしいものは総てソニーだと思っている者にとっては、ソニーは永遠に「巨人の星」である。(幸か不幸か、それがソニーの宿命であり、輪車の中のハツカネズミの様に走り続けなければならないのである。)
   イノベーションの王者ソニーがイノベーションを忘れ、人をワクワクさせる様な感動と新しい素晴らしいものを生み出せなくなれば、もうソニーではなくなる。アメリカとヨーロッパに長く住んでいたが、ソニーだけは、欧米人は文句なく認めていた、あの頃が懐かしい。
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知的財産の保護

2005年03月11日 | 政治・経済・社会
   今日、日経ホールで、不正商品対策協議会と日経の主催、警察庁初め日本政府の後援で、「知的財産新時代~いま 問われる教育の重要性~」と言うタイトルでシンポジュームが開催された。会場入り口には、シャネルのバッグやたまごっち、日本アニメのDVDやビデオ等の本物とにせものが夫々展示されていていた。大半は、韓国と中国経由の製品だと言う。
   基調講演は、「子連れ狼」の小池一夫大阪芸大教授の「2005キャラクター元年 世界に誇る日本のキャラクター」で、多くの有名なアニメ作家の育成事情や自作がハリウッドで剽窃されている話など面白い話で客席を楽しませた。ポケモン産みの親久保雅一氏や元リクルートの藤原和博氏など多彩な顔ぶれで、知的財産の保護等につき興味深い議論が展開された。一寸、主題の教育問題からは外れた感じであったが、IT時代の到来で、知的財産が危機に瀕している状態に話題が弾んで面白かった。
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人間国宝・住太夫、玉男、簑助が皇太子ご夫妻に文楽「伊賀越道中双六」を披露

2005年03月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   2月22日、東京国立劇場で、人間国宝3人が揃う文楽「伊賀越道中双六」沼津の段を初めて楽しむ機会があった。玉男と簑助の演じる舞台は結構楽しんでいるが、それに、住太夫の浄瑠璃が加わる機会は極めて少ない。今回は、近松の様な悲恋のカップルではなく、玉男は颯爽とした凛々しい呉服屋十兵衛、簑助は楚々とした一寸色香が匂う娘お米で、実の兄妹であり、2人の人間国宝のあの男と女の人間味溢れる絡みはない。1時間20分の長丁場を、住太夫の名調子に観衆は固唾を呑む。
   偶然沼津の立場で、商人呉服屋十兵衛が通りかかり、貧しい荷担ぎの老人平作に会う。お米に誘われ一泊した夜、十兵衛が幼い時に養子にやった実子と分かるが、義理と人情の柵、親子と名乗って援助が出来ない。分かれた十兵衛を千本松原まで追っかけて、平作は、敵味方の兄妹を助ける為に自害して、兄に敵の行方を独り言に託して妹に知らせさせる。今わの際での、悲しい「親子一世の逢い初めの逢い納め」、胡弓いりのメリヤスが胸を打つ。
   私が最初に人間国宝玉男の曽根崎心中を見たのは、もう10数年前のこと、ロンドンのジャパン・フェスティバルの時であった。あの頃は、若くて実に濃厚な肺腑を抉る様な演技に感激してしまい、その後帰国してからはずっと文楽に通っており、時には大阪の文楽劇場まで出かけて玉男の舞台を鑑賞している。曽根崎心中を2回、冥土の飛脚等の近松もの筆舌に尽くし難い舞台を初め、多くの演目に何時も感激しており、今回も、目を凝らして見ていた。しかし、今回は、文吾の平作の素晴らしさも実に特筆もので、2人の人間国宝に伍して一歩も引けを取っていなかった。決して美声ではないが、あの住太夫の語りに引きずり込まれてしまって何時も終わりまでわれを忘れて聞いている。
   この日、皇太子・同妃両殿下が、開演まえに入場され、ご観覧になられた。何時もテレビなどでお見受けする爽やかなお姿で、雅子妃殿下の美しさは格別であった。近くの席だったので、失礼とは思いながら拝見すると、皇太子殿下は少し前かがみに乗り出すように、妃殿下はしっかりと背もたれに身体をあずけられ、ご鑑賞になっておられた。後の「嫗山姥」はご覧にならずに、この舞台だけで、観客の暖かい拍手に優しく目礼されながらお帰りになられた。
   余談ながら、一昨年だったと思うが、美智子皇后さまが、玉男・簔助コンビの曽根崎心中のご鑑賞にご来臨になられたことがあり、偶然お見受けしたこともある。ご皇室は、文楽がお好きなのかもしれない。
   イギリスでは、オペラやバレー、それに、クラシック・コンサートで、何度も、ダイアナ妃やチャールズ皇太子の姿をお見受けしていた。日本でも、皇室ご臨席のガラ・コンサートやガラ・歌舞伎など実現するのであろうか。
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簔助の阿古屋

2005年03月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   2月23日半蔵門の国立劇場で、文楽「壇浦兜軍記」で吉田簔助の阿古屋を鑑賞する機会があった。左使いは、桐竹勘十郎、足使いは、吉田簑紫郎で2人ともれっきとした主使いで当然頭巾は被っていない。2人はその後、「卅三間堂棟由来」で、勘十郎は横曽根平太郎を、簑紫郎はみどり丸を演じた。
   下手から、豪華・艶麗な花魁姿の阿古屋が登場すると盛んな拍手。平家の残党景清の行方を詮議せんと愛人傾城阿古屋を詰問する為に、かねて用意していた琴・三味線・胡弓を弾かせる。弦の調べは正しさを持って調子とするとか、偽りの心では音色が乱れると言う。
   床の三味線鶴澤清介、竹澤宗助、三曲の鶴澤清志郎が演奏する三曲に合わせて、簑助と勘十郎の操る阿古屋が、最初は初々しく、そして、最後は憑かれたように一心不乱に演奏する。詮議を司る代官達の掛け合いを挟むが、殆ど、三曲の演奏で、三味線と琴、胡弓の華麗な演奏が場内を支配している。勘十郎の三味線の糸捌きをじっと見ていたが実に鮮やかで、簑助の操る阿古屋の凛とした品のある輝きと時には恍惚とした表情の豊かさに圧倒されて見ていた。裁かれていると言う恐怖がふっと頭を過ぎるのか寂しげな阿古屋の表情が胸を打つ。
   この阿古屋は、歌舞伎でも、華麗豪華に上演されるが、三曲を弾じる歌舞伎役者が居たとしても、やはり音楽は床に任せることになる。確か阿古屋は玉三郎、大分前に見たので記憶が薄れてしまったが、三曲が華麗に演奏される舞台は、歌舞伎も文楽も華やかで楽しい。
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クロッカス ホリディ

2005年03月08日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   オランダで最初の冬を迎えた時は、こんなにヨーロッパの冬が厳しいものかと感に堪えなかった。寒さの厳しさもそうだが、もっとビックリしたのは、毎日、全くリア王の世界そのままで、遅い朝が少し明るくなったかと思うと、そのままどんよりとした暗い曇り空が続き、午後になるとすぐに暗くなり、そのまま長い夜になる。ヨーロッパの暦が、「後、春まで何日?」で成り立っているのが良く分かる。
   ところが、日が少し長くなったなあと思う2月、道路沿いの草むらや公園の芝生のあっちこっちにクロッカスの花が顔を出す。ヨーロッパは梅雨がない所為か、夏越えをした地植えの球根がそのまま毎年花を咲かせるのだと言う。黄色が一番目立つが、白、紫、紫の斑入り、そんな花が、時にはビッシリと路傍に一面に咲き揃うのである。
   まだ殆ど真冬だが、クロッカスが咲き始める頃に、クロッカス・ホリディとなり、学校が休みになり、子供達は春がそこまでやって来たのを感じる。もうすぐ、運河や小川の水が温み始めると、白鳥が灰色の丸々とした可愛い雛を引き連れて土手を歩き、凍て付くような青い牧場に可愛い子羊の姿が現れ、チューリップやヒヤシンスの茎が伸び始め、寒々として寒風に吹き曝されていた落葉樹が蕾をつけて真っ黒に膨れる。春の到来である。
   キューケンホフ公園も、3月の後半から開き、世界中から沢山の花の愛好家を集める。5月のゴールデンウイークの頃には、チューリップ、ヒヤシンス、ムスカリ、水仙、皐月、桜、春の花が一斉に咲き乱れる。オランダ中が花で埋められ、家々の窓辺に美しい花々が飾り立てられて道行く人々を楽しませる。しかし、チューリップで世界最初のバブルを経験したオランダでも、花祭りの花パレードの主役は、バラであるのが面白い。
   
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