熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

京成バラ園芸の福袋・福箱

2014年01月31日 | ガーデニング
   私は、年初、各店舗で販売される福袋には、関心はないのだが、何故か、京成バラ園芸の福袋、バラが主であるから福箱、は買っている。
   バラ園には行けないので、専ら、通信販売で、
   箱の中身、すなわち、どんな銘柄のバラが送られてくるのかは全く分からないのだが、要するに、半額くらいなので安いし、場合によっては、サプライズを感じられると言うことである。
   それに、友の会に入会しているので、10%割引で、送料がかからないと言うのが有難い。

   最初は、
   大川原作成 豪華オベリスク仕立て! 福箱 限定50セット 
   次に、
   新春特別企画 村上敏セレクション!お庭を素敵にするCCR 限定50セット  
   憧れのスタンダードローズ 福箱 限定30セット  
   を、夫々、1セットずつ買った。
   注文を受けてから、準備して最善の状態で発送するので、手元に届くのは、かなり遅くなり、CCRなどは、下旬に届いた。

   オベリスク仕立ては、ジャスミーナ
   スタンダードローズは、シャルル・ド・ゴール
   夫々、大河原さんたちプロが、仕立てた素晴らしい作品が送られて来て、今は、剪定済みの裸のバラだが、5月に、どんな姿が見られるのか楽しみである。
   私など、それ程真面目ではないバラ愛好家なので、このような、専門的な仕立て方は、到底無理なのだが、出来れば、一鉢くらいは持ちたいと思って、注文したのである。

   さて、もう一つのCCRだが、これは、ローズ、クリスマスローズ、クレマチス 夫々一株ずつのセットであり、この口絵写真が、送られてきたクリスマスローズである。
   八重の美しいクリスマスローズで、右手の花が先に咲いた花で、左手の花が昨日開花した花で、色の変化が面白い。
   このセットには、最近出版された「達人に学ぶ はじめての バラ・クリスマスローズ・クレマチス」と言う本がついていて、この本の指示に従って、早速、この開花株を、丁寧に根鉢を崩して、一回り大きな鉢に植え替えた。

   バラは、最近、ドイツのコルデス社で作出されたウエディング ベルズの6号鉢植えだったので、すぐに、9号鉢に植え替えた。
   クレマチスは、湘南のクレマチスとかで、スパーク
   今までに、鉢植えで失敗ばかりしており、根鉢がしっかりとした苗であったので、庭に直接植え込んだ。

   1月も、今日が最終日。
   まだ、春の到来には間があるのだが、ピンクの鹿児島紅梅に続いて、庭の一重の白梅が、一斉に開花して、華やかになった。
   椿の蕾も膨らんで来て、色付き始めた。
   春は、確実に近づいてきており、日も大分長くなって来たし、もうすぐ、温かくなって、春の花が咲き始める。
   寒くて暗いオランダに居た時には、路傍のクロッカスの花が咲き始めると、嬉しくなってくるのだが、春の訪れは、何時もながら、待ち遠しい。
   
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オバマ大統領:アメリカン・ドリーム

2014年01月29日 | 政治・経済・社会
   オバマ米大統領は28日、就任以来6度目の一般教書演説を行い、社会格差の是正に向け中間層の底上げに注力する姿勢を鮮明にした。
   私が興味深いと思ったのは、次のくだりで、アメリカン・ドリームについて語ったところである。
   They believe, and I believe, that here in America, our success should depend not on accident of birth but the strength of our work ethic and the scope of our dreams. That's what drew our forebears here. It's how the daughter of a factory worker is CEO of America's largest automaker -- (applause) -- how the son of a barkeeper is speaker of the House -- (cheers, applause) -- how the son of a single mom can be president of the greatest nation on Earth. (Cheers, applause.)

Now -- (sustained cheers and applause) -- opportunity is who we are. And the defining project of our generation must be to restore that promise.

We know where to start. The best measure of opportunity is access to a good job. With the economy picking up speed, companies say they intend to hire more people this year.

   成功するかしないかは、生まれではなくて、働くことへの倫理観の強さとどんな夢を持つかと言うことにかかっている。accident of birth と言う表現が、実に、良い。
   工場労働者の娘メアリー・バーラが、アメリカ最大の自動車会社GMのCEOになったこと、酒場の支配人の息子ジョン・ベイナーが、下院議長になったこと、シングルマザーの息子バラク・オバマが、大統領になったこと、を引用して、出自など関係ないのだ言って、アメリカン・ドリームが、まだ、健在であることを語っているのが面白い。
   あのオックスブリッジ卒のエリートばかりが首相になっていたイギリスで、サーカス芸人の息子であったジョン・メージャーが、サッチャーの後継者として、首相になった時の驚きも大変だったが、そんなケースは、歴史上結構あるのだが、やはり、新世界アメリカは、筆頭であろう。

   さて、現実には、経済格差の異常な拡大によって、貧困層の子供たちの就学率なり、教育水準の低さが、彼らの上昇機会を奪ってしまっていて、アメリカン・ドリームが、殆ど有効に働かなくなってしまっている現実を、オバマ大統領も認めていて、この演説でも言及しているのだが、議会が認めなくても大統領権限で、最低賃金を、10.10ドルに引き上げると息巻いているところを見ても、アメリカ経済社会を根本的に支えてきた中間層の底上げ、貧困比率の低下を企図した経済格差縮小は、喫緊の課題なのであろう。

   学歴ばかりが、成功の有力武器ではない筈だが、優秀な学校教育を受けて高学歴を実現することは、最近では、それを可能とする経済力が伴わなければ、殆ど不可能である。
   私の学生の頃には、経済的に苦しい家庭の子弟が、国公立の学校を目指していて、同志社の校庭には自家用車が駐車していたが、京大には、ポンコツの自転車しかなかったし、祇園祭の行列は、京大のアルバイト学生ばかりだったと言われていた。
   しかし、今と違って、勉強を頑張って、必死になってアルバイトをすれば、どうにか、国公立の大学を出られたと言う幸せな時代であった。今では、東大を出るには、かなり裕福な家庭の子弟でないと、受験戦争に勝ち抜けないので無理だと言う。
   結局、格差社会の程度が増せば増すほど、成功するかしないかは、経済力を伴った総合力の勝負であるから、経済ピラミッドの底辺に近づけば近づくほど、そのチャンスはなくなってしまうと言うことである。

   さて、アメリカン・ドリームだが、かなりのアメリカ人は、まだ、その存在を信じているようで、一時吹き荒れたティー・パーティー旋風や、強烈な共和党議員たちの保守思想などの存在を考えてみても、あるいは、あれだけ困窮生活に耐えている貧困層が、精々、We are 99%.のデモ程度で暴動を起こさないことを考えてみても、まだ、頑張れば未来が拓けると言う気持ちがあるのだろうと思う。

   私は、アメリカとヨーロッパでの拙い経験だが、これらの欧米社会と比べてみた場合、アメリカの極端な格差社会システムの存在や、ヨーロッパの貴族・エリート校優越の階級社会的な傾向が、希薄な分、日本の方が、はるかに、上昇可能社会であると感じている。
   欧米のトップ大学院や学術機関で学位なり資格を取るためには膨大な経費が必要だし、それなりのルートが必要だが、日本の場合には、東大など国公立の大学を出るのは、学力さえあれば、かなり、負担は軽い方であり、出さえすれば、それなりの未来は開けて行くであろう。

   私は、別に、東大など国公立大学を出ることが易しいとか、出さえすれば、未来が拓けると言うつもりで言っているのではなく、アメリカン・ドリームと比べて、日本社会の方が、アメリカやヨーロッパよりも、ジャパニーズ・ドリームがあると言うことを、若い人たちに信じてもらいたいと言うことである。
   NHK朝ドラの「ごちそうさん」で描写されているように、戦後でも、相当晩くまで、あっちこっちで、芋のつるをスジを取って食べる時期があったが、そんな貧しい幼少年時代を過ごした私でさえ、学生時代に歌った学生歌ではないが、フィラデルフィアの大学院を出て、ロンドン・パリを股にかけて歩いて来た。
   日本は、まだまだ、世界でも恵まれたチャンス社会であり、オープン社会であることを、伝えたいし、オバマが言うように、
   Our success should depend not on accident of birth but the strength of our work ethic and the scope of our dreams.だと言うことを信じたいと思っている。
   
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岐路に立つ"日の丸家電"

2014年01月28日 | 経営・ビジネス
   ”ムーディーズ:ソニーをジャンク級に格下げ-収益性回復に遅れ ”と言うタイトルの記事が、メディアを走っている。
   ブルームバーグが、次のように報じている。
   格下げの理由としてムーディーズは、ソニーがいくつかの事業分野では引き続き収益性を確保しているものの、「全体の収益性を改善・安定化させ、信用力を投資適格等級に相応する水準まで短期的に回復させる上で、困難に直面している」点を挙げた。特にテレビとパソコン事業が「財務上の課題」で、厳しい競争と製品の陳腐化に直面しているとの見方を示した。
   「プレイステーション(PS)4」を北米市場などに投入、ライバルのマイクロソフト と年末商戦を競うなどかなり善戦しているが、スマホの普及に伴いゲーム事業の将来に不安が広がってるほか、コア部門であるテレビ、携帯電話、デジタルカメラなどエレクトロニクス事業も収益が下方圧力にさらされている。 と言うのである。

   先日、NHKで、日本の貿易収支の3期連続赤字を報道していて、その時に、日の丸家電は、外国産の輸入品が、過半を占めていると報道していたが、最早、家電は、日の丸家電ではなくなってしまったのである。
   カメラだが、キヤノンは、かなり、Made in Japanが多いが、ニコンは、Made in Thailand。とにかく、最近では、Made in Japanの工業製品を探すのが難しい。何十年か前にドイツで買ったライカR3サファリは、Made in Portugalだったが、あの時は、ライカのプロダクション・シェアリング戦略で、世界中から最高の部品を集めてポルトガルで組み立てていただけで、今の日本企業の空洞化とは違う。
   亀山モデルで一世を風靡したシャープが谷底に転げ落ちて以降、中村改革で起死回生を図った筈のパナソニックが、再び、奈落の底を垣間見たかと思ったら、案の定、ソニーが、ジャンク級の企業に転落してしまった。

   
   私は、ずっと以前から、テレビやビデオ・レコーダーなどのコンシューマー・エレクトロニクスは、最早日本の傾注すべきメイン産業ではなくなっており、歌を忘れたカナリア、すなわち、破壊的イノベーションを生み出せなくなってイノベーターでなくなってしまったソニーの将来は極めて暗いと、このブログで、色々な学者や識者の見解を紹介してコメントしながら、警鐘を鳴らし続けてきた。
    あのアイボを売却してロボット産業から撤退して、コモディティ化の最たるテレビなどをコアとして再生を図り、コスト削減に走り過ぎて、虎の子の技術やイノベーション志向の優秀な技術者を放出した段階で、最早、再建は有り得ないと思ったのを覚えている。
   もう一つ、ソニーは大企業になり過ぎて、創造性豊かなイノベーターとしての活力を失い、経営革新で最も重要な筈の組織が、既に制度疲労して、企業が有効に機能しなくなってしまって、誰が、トップに立っても、特に出井CEO以降、そして、如何に素晴らしい経営戦略や戦術を打とうとも、経営組織体として動かなくなってしまっていることである。

   アメリカの製造業を見れば分かるが、時代の潮流に乗れずに一度窮地に立った企業で、生き延びた企業はなく、GEやIBMなどは、根本的かつ抜本的な企業変革を遂げて生き延びていて、これなどは稀有のケースで、飛ぶ鳥を落とす勢いであったインテルやアップルでさえ、今では、影が差している。
   イノベーターとして成功して覇を競った超優良企業であっても、クリステンセンが説くまでもなく、何度もイノベーターとして成功を遂げた稀有なソニーでさえ、凋落する。製造業の覇権と言うものは、そう言う運命にある。

   私は、これも何十年も前の話だが、留学でアメリカに渡った時に、現地で買った文房具や雑貨など、あるいは、食器や衣服まで、殆ど外国製品で、Made in USAを探すのが難しかったのに、ショックを覚えたのを思い出す。
   グローバリゼーションと言う言葉さえなかった時代だったが、アメリカ人は、安くて良いものなら、Made in Americaには拘らなかった。
   そんな時代が、日本にも、やっと、巡って来たと言うことなのであろうか。 

   
   今、アベノミクスの一環として、好循環を始動させるために、賃上げが叫ばれている。
   お題目としては、非常に良いことで反論の余地はないのだが、私自身は、賃上げと同様に、政府主導による格差の縮小が、重要課題だと思っている。
   このままでは、益々経済格差が拡大して経済社会に齟齬を来し始めるので、成長戦略遂行と並行して、セーフティ・ネットのレベル・アップなど厚生福利経済政策に注力しなければならない。

   先の議論に戻るが、最近では、アジアの然るべき国の生産品なら、Made in Japanに拘らなくても、それなりに信用できるようになったのだが、逆に言うと、Made in Japanの質が、低下して、あてにならなくなったような気がする。私自身も、そんな苦い経験をすることが多くなった。
   生産性が低下して質の落ちた製品を作り始めた日本企業が、アベノミクスの好循環のお題目に乗って、賃上げをして、熾烈なグローバリゼーション競争に勝てるのかどうか、心配している。

   少なくとも、ドイツが一人勝ちのEUとは違って、東南アジアの国、特に製造業の質は、極めて高いので、油断をすると一気にキャッチ・アップされて凌駕されてしまうし、賃金が高くなったと言っても、まだまだ、他国は低くて、要素価格平準化定理が、もろに働けば、日本企業の高賃金ではやって行けなくなる筈である。
   そうなれば、高度化戦略が機能しなければ、益々、空洞化が進んで行って、逆に、日本経済が縮小均衡せざるを得なくなる。
   アジア経済を内製化するのが日本のグローバル戦略だと言う説が濃厚だが、TPPもそうだが、熾烈なグローバル競争となって、ダントツのNo.1となるとか、覇権を握ってwinner-take-all戦略を駆使して勝ちすすめない限り、負け犬に終わってしまうと言うことを、肝に銘じて置くべきであろう。
   それこそが、グローバリゼーションのグローバリゼーションたる所以である。
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国立能楽堂・・・「井筒」「呉服」

2014年01月26日 | 能・狂言
   今年も、年初めから、国立能楽堂主催の能・狂言公演に、通っており、先日、梅若玄祥師の「井筒」、観世清和宗家の「呉服」を、鑑賞する機会を得た。
   今のところ、能楽協会主催の式能や納涼能、能楽祭などには行くが、それ以外は、特別な催しを除いて殆ど行かずに、もっぱら、国立能楽堂の公演だけに通っているのだが、それでも、都合、月に4回くらいは、能・狂言の舞台に接していることになる。
   昨年4月から、国立能楽堂開場30周年記念公演で、大変意欲的で素晴らしい舞台が続いたので、期せずして、貴重な経験を得ることが出来て幸せであった。

   「井筒」は、伊勢物語からテーマを借用した世阿弥の複式夢幻能の典型的な作品だと言うことで、幼い時に井筒を隔てて幼馴染であった男と女が恋をして結婚すると言う在原業平と紀有常の娘の恋の物語である。
   伊勢物語に断片的に記されている男女の物語を世阿弥が、何篇かを統合して二人の恋物語としており、伊勢物語とは違った一種の創作なのだが、紀有常の娘がシテで、彼女の立場から、狂おしい程の業平への恋心を表現しているので、激しく切ない思いが胸を打つ。

   先日、「世阿弥における「主題」の発見」と言う能楽あんないで、天野文雄教授は、「井筒」の主題は、「恋慕」と「懐旧」だと説明していた。
   しかし、梅原猛氏は、「世阿弥の恋」の中で、有常の娘を「哀れな死を遂げた待つ女」と表現しており、世阿弥は、「卒塔婆小町」の深草少将が小町に突然乗り移ったとする観阿弥の乗り移りを継承して、懐かしい恨めしい男を忍び、男の冠・直衣をつけて舞うと言う「幽玄」と言ってよいか、「凄惨」と言ってよいか、真に見事な能を創造したとしており、業平を「恋慕」と「懐旧」だけでは見ていない。

   私は、河内の高安の愛人宅に通う業平に対して、有常の娘が、夫の身を案じる歌を詠んで、それを隠れて盗み聞きしていた業平が感激して高安との縁を切ると言う意地らしい女心は本当だと思うが、
   中入り後、最初のシテの、”あだなりと名にこそ立てれ桜花、年に稀なる人も待ちけり、かように詠みしも我なれば、人待つ女といわれしなり、・・・”では、京に上って3年も帰って来ず、二条后と逢引きしていたなど女遍歴を続けていた業平への恨み辛みが滲み出ており、荒れに荒れて廃墟と化した在原寺でのシテの思いは、「恋慕」や「懐旧」を越えて、哀れであり実に苦しい筈である。

   梅原先生は、 
   ”女はゆっくり序ノ舞を舞うが、この舞ほど静かで、しっかり女の複雑な情念を表す舞はない。この舞をどれだけ美しく、また哀れに舞うかによって演者の品位が問われると思われる。と言っている。
   優雅に実に美しく舞い続ける玄祥師は、”筒井筒、井筒に・・・”作り物に近づいて、左袖を返して井筒を覗きこむのだが、激しくススキを叩き、一気に激情したような仕草を演じた。私は、思わず覗き込んだ井筒の水鏡に映った姿は、業平そのままの姿であったので、懐かしさと恨めしさが錯綜した思いが一気に迸り出たのであろうと思って観ていた。

   室町末期には、シテの執心・狂乱の要素を強調する演出が主流であったと言う。
   筒井筒の幼い頃の思いと成人してからの恋の目覚め、そして、高安の愛人との別れなどが、余りにも美しくて綺麗な情景描写なので、この最後の「哀れな死を遂げた待つ女」として井筒の水鏡を覗き込む業平姿の有常の娘の思いが、恨めしさであり執心・狂乱であれば、ある程、劇的効果が高いような気がするのだが、能は、そんな思いで鑑賞してはダメなのであろうか。
   愛と憎しみとは表裏一体、同じものだとするのなら、恋慕すればするほど、つれなさへの恨み辛みは、倍化するのかも知れないと思うこともあるのだが、経験がないので良く分からない。
   尤も、「杜若」のように、業平は、歌舞の菩薩の化身であって、多くの女性遍歴、とりわけ、二条后との恋も、衆生済度のわざであったとするストーリーになると何をか況やであるが、世阿弥の思いが那辺にあったのか、面白いと思う。

   「呉服」は、晩年の世阿弥が、1492年に、新将軍足利義教を祝福するために書き下ろした祝典曲だと言う。
   しかし、皮肉なことに、義教は、世阿弥の甥(元養子)の観世三郎元重(音阿弥)を重用して、世阿弥に仙洞御所への出入りを禁止し(1429年)、その上、醍醐清滝宮の楽頭職を罷免する(1430年)などしたので、世阿弥・元雅親子は、どんどん、能楽界での地位と興行地盤を失って窮地に立たされて行く。
   そして、梅原先生の能「世阿弥」で演じられているように、1432年に、長男の観世元雅が伊勢で殺害されてしまい、更に、失意のどん底の世阿弥にも、1434年に佐渡国に流刑と言う悲運が見舞う。

   応神天皇の御代に、呉の国の勅使が機織りの女工を伴って来日し、天皇の御衣を織って献上し御代を祝福したのだが、後代の天皇の素晴らしい御代を祝福するために現世に再び(シテ/呉織 観世清和、ツレ/漢織 観世芳伸 として)姿を現わすという霊格出現の方法で当代の治世賛美し、義教新将軍を祝福した筈なのだが、その意図と思いは実らなかった。
   しかし、そんなことは関係なく、世阿弥の素晴らしい芸術が残ったのであるから、世阿弥としては、本望かも知れない。

   何故、義教は、これ程徹底的に、世阿弥父子を窮地に陥れて、音阿弥贔屓に没頭したのか。
   これについては、諸説あるのだが、前に今泉淑夫教授の説を引いて、
   理由のないところに理由を見出す義教の専断志向の特質であった不条理であり、総てのことを我意に従わせようと言う権力者の横暴が義教には突出していて、義教の内部に鬱積の因となる存在を排除する衝動が生まれて、その衝動が配流の動機にもなったのだ、としたのだが、歴史の皮肉と言えば皮肉である。

   ところで、今回は、従来の観世流の演出ではなく、古演出復元の試みで、後場に作り物の織台が置かれ、呉織一人ではなく、呉織・漢織二女神が登場し、通常の「中ノ舞」ではなくて、宗家工夫による「天女ノ舞」が舞われた。
   私など初歩鑑賞者にとっては、良く分からないのだが、清和宗家の優雅で素晴らしい舞姿を拝見できるだけで十二分であった。

   
   この日、臨済宗相国寺派有馬頼底管長の「世阿弥の花と禅」と言う講演があって、非常に興味深く聞かせて貰った。
   あのシェイクスピアが、教育も十分ではないのに、何故、あれ程までの戯曲を書くことが出来たのか疑問なので、誰が本当のシェイクスピアであったのか、随分議論されて来ているのだが、身分的には極めて卑賤であって正式には教育を受けたことがなかった世阿弥にも同じような疑問があってしかるべきかも知れないが、有馬管長は、室町将軍足利義満が、五山などを訪問する時には、必ず、世阿弥を伴って出かけており、世阿弥は、その高度な禅問答や法話を聞いており、十分に禅の知識を習得していて、熟知の上で、風姿花伝を書いていると語っていた。
   それに、世阿弥は、摂政二条良基に連歌を習うなど、将軍のみならず貴族の保護をも受けて、十分に知識・教養を積んで研鑽する機会があって、かなり高度な文化人であったのである。
   このあたりが、世阿弥の能が、格段に優れている秘密なのであろうが、世阿弥の能には、禅のドクトリンが色濃く息づいていると言うのは、興味深い指摘であった。
   

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わが庭の歳時記・・・鹿児島紅梅咲き始める

2014年01月25日 | わが庭の歳時記
   千葉の庭から植え替えた鹿児島紅梅が、咲き始めた。
   二本植えて、その内の小さな方を持ってきたのだが、昨年と同じように、濃いやや紫がかったピンクの花を付けた。
   千葉に残した大きなピンクの八重枝垂れ梅の豪華な花の乱舞を見られないのが残念なのだが、歳の所為か、この頃は、桜よりも、梅の花の方が好きになってきたのが不思議である。
   

   花の蕾が膨らみ始めたのは、クリスマスローズである。
   初春の比較的早い時期に咲く趣のある花で、一重や八重や、色もかなりバリエーションのある花で、面白い花だが、価格に大きな差があって、良い花になると、バラの苗木よりもはるかに高くて、中々、手が出せない。
   しかし、日陰などでも、かなり長い間、しっとりと咲いてくれるので楽しめる。
   
   

   牡丹の花の蕾も少し大きくなってきた。
   芍薬が、少し前から、ピンクの綺麗な芽を出して、凍てつくような寒さにも負けずに、頑張っている。
   そして、椿の花も膨らみ始めて、ピンク賀茂本阿弥の蕾が、ほんのりと色付き始めて、茶花には格好の姿になって、趣があって良い。
   私が、千葉から移植した春の花模様は、大体そんなところである。
   
   

   
   元からの庭の花は、日本スイセンが、清楚な姿で咲いていて、中々綺麗である。
   それに、私の庭にはなかったボケの蕾が、膨らみ始めて、もう少しで咲きだしそうである。
   それに、沈丁花の花も、もう咲きだしそうにスタンドバイしている。
   門扉の外の小さな花壇に、ミニ・シクラメンやビオラを植えてみた。
   温かくなり始めたら、少し歩いて、鎌倉の花の写真を撮ろうと楽しみにしている。
   
   
   
   
  
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千葉から鎌倉に移転して

2014年01月24日 | 生活随想・趣味
   千葉から鎌倉に移転して、ほぼ、1ヶ月半くらい経つ。
   まだ、新しい生活には慣れていないが、かなり、変わったことがある。
   まず、千葉では、しょっちゅう感じていた、地震を、全く感じなくなったことである。
   関東大震災の時に、最も激しく揺れたのが鎌倉で、東海地震の心配もあるところだが、千葉では、震度6弱と言う極めて激しい揺れで、家の中が無茶苦茶になったし、庭でテーブルにしがみ付きながら、大揺れに揺れている自宅を眺めていた、あの時の恐怖を思うと、今は、地震を感じない毎日は、平安そのものである。

   もう一つ感じているのは、映画館が近くにあったり、大型のホームセンターなどが何ヵ所も近くにあったりした千葉の生活の方が、気楽に生活が楽しめたことで、鎌倉は、結構、普通の庶民生活には、不便だと言うことである。
   当然、その分、物価も高いし、ものを手配するにも、大船か横浜か東京に出なければならないことが多い。
   本などは、アマゾンがあるので、何でも手配できるので心配ないのだが、やはり、近くに真面な書店がないと言うのも、生活の場としては、寂しい限りである。

   
   東京へ出るのも、方向が逆になり、乗る交通機関も変わってしまった。
   千葉に居た時には、京成で都心に出て移動するのだが、鎌倉は、JRで出る。
   JRは、東海道線にしても、横須賀線にしても、結構混むのだが、ラッシュでなければ、横浜くらいから座れる。
   帰りには、東京駅に出て、東海道線の始発に乗るので、かなり、楽だが、国立能楽堂だと千駄ヶ谷から移動するので、結構時間がかかるが、本が読めるので、その方が良い。
   現役で、通勤でも座るなどと言う意識が希薄だった時には、問題なかったのだが、歳の所為か、30分くらいでも、出来れば座って本を読みたい。
 

   一番違ったのは、諸般の事情から、車を手放したことで、足がなくなってしまったために、今までのように好き勝手に、思うように、移動できなくなったことかも知れない。
   特別に不自由を感じている訳ではないのだが、千葉にいた頃のように、何でも、車で出かけて処理すると言う、何でも車と言う生活から離れてしまったことで、不便と言えば不便である。
   鎌倉は、車で自由に移動できるようなところでもないし、遠出するためには必要だが、趣味と実益を兼ねて、電動自転車を買って、動こうかと思っている。
   カメラなどをリックサックのバッグに入れて、自転車で、写真行脚でもしてみようかと思っているのである。
    

   さて、鎌倉だが、勿論、場所によっては、まったく事情が違って来るのであろうが、千葉の田舎と違って、住宅地域でありながら、自然と一体となったような雰囲気が良くて、古社寺が沢山ある所為もあって、自然景観が非常に洗練されていて、咲く花にしろ花木の美しさにしろ、あるいは、囀る小鳥の鳴き声や風情にしろ、自然の良さを実感できるのが、非常に良い。
   同じことは、京都でも感じられることだが、自然環境は、文化の高さと正比例していて、歴史と伝統に培われた文化都市ほど、自然環境が美しく豊かになると言うのは、色々なところを歩いていて、世界共通の現象だろうと言う気がしている。

   これから、暖かくなるにつれて、花が咲き乱れると、鎌倉は、光り輝く。
   慣れれば、どんな鎌倉生活を楽しめるのか、新しい庭に植えつけた、花木やクリスマスローズの芽が動き始めて、スタンドバイしている。
   もうすぐ、春である。
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旅行者にとっては中南米が最も危険

2014年01月22日 | 政治・経済・社会
   毎日新聞電子版に、「強盗:中南米ご用心、神出鬼没 遭遇時は抵抗せず」と言う記事が掲載されている。
   南米エクアドルで昨年末に日本人夫妻が被害に遭った「特急誘拐」や、6月開幕のサッカーのワールドカップでは多数の日本人がブラジルを訪ね、中南米各国にも立ち寄ることについての危険など、強盗の手口などについて詳述している。

   世界の紛争地図には、中東やアフリカなどの地域が多数掲載されており、中南米には一つもないのだが、実は、海外からの旅行者や一般市民にとって、最も危険で、安心安全な日常生活に最も程遠いのは、中南米であることは、殆ど、周知されていない。
   世界の紛争地帯の生命の危険については、これは、深刻な内戦や国際間の戦争や紛争であって、中南米の場合には、政治経済情勢は、比較的安定していて、独立国家としての体はなしているが、政治や国内秩序などの統治システムなどが非常にプリミティブで、民主主義的な政治経済体制が整っていないので、その歪が大きく社会情勢に影を落として、国内の治安情勢が悪いのである。

   私が、ブラジルで4年間生活したのは随分前の話なので、当時の印象で語るわけには行かないが、このブログで、「BRIC'sの大国 ブラジル」で、ニューヨーク・タイムズの記者ラリー・ローターの「BRAZIL ON THE RISE」を底本にして、ブラジルと言う典型的なラテン国家の光と影を詳述したが、本質的には、何も変わっておらず、治安などはむしろ悪化した感じだし、政治に至っては、ルセフ大統領が就任後9ヶ月に、汚職や収賄で、9人も閣僚を更迭しなければならなかったと言うのだから、政治経済社会体制の現状は、推して知るべしであろう。

   今回は、ラテン社会の特質やブラジルなど中南米の政治経済について論じるつもりはないが、もう一度、ブックレビューほか、何度か、このブログで論じたアンドレス・オッペンハイマー著「米州救出」を引用して、あらためて、中南米の治安の深刻さについて、考えてみたいと思っている。

   私の記事の一部の引用から入る。
   ”世界中には、テロリストの恐怖は勿論、危険が充満しているのだが、アンドレス・オッペンハイマー著「米州救出」によると、世界で最も暴力的な地域は、南米だと言う。
   アルゼンチンのビリャス、ブラジルのファベーラ、カラカスのセロス、そして、メキシコシティのシウダデス・ベルディーダス。不平等と、金持ちや有名人の生活を地域の粗末な家にTV報道などで持ち込んだコミュニケーション革命の影響もあって、高い貧困率は、はたせぬ期待と言う危機をもたらし、それが不満や怒り、街頭での犯罪率の増加につながり、「宣告されない内戦」が、ラテンアメリカにおいて猛威を振るっている。
   富裕な世界へと手招きするテレビの比類ないメッセージの洪水の中で成人した、教育も職能もない若者たちが、あらゆる機会を、これ程までに奪われ疎外された時代は、歴史上皆無だったと言うのである。
   益々増加の一途を辿る疎外された暴力的な若者たちが、どんどん都市に進出して行くにつれて、中・上流階級は、生活防衛のために、いわば、外壁のある要塞の中に再び豪を更に深く掘る状態であり、貧困、疎外、そして、犯罪は、金持ちを含めたすべてのラテンアメリカ人の生活の質をかってなく侵食している。
   ところが、殺人は、ラテンアメリカの死因の7番目で世界最悪だが、刑務所人口は世界でも最少であり、ラテンアメリカの犯罪者は異常なほど刑罰の免除を享受していると言うのだから恐ろしい。”

   ”オリンピック開催予定のリオのファベーラを見れば分かるが、最も高級でエレガントな地域から、僅かにしか離れていない山の手に、この麻薬の巣窟であり悪の温床である貧民窟が張り付いている。
   こんなところには、学校にも行かない数万人の若者たちが居て、多くが8歳から10歳で麻薬を初めて、犯罪者となっても不思議ではなく、両親に会うこともなく、教会やスポーツクラブにも属さず、路上で生活し、麻薬を消費する犯罪労働者だとオッペンハイマーは言う。”

   ”マラスと称するストリートギャングが、中米のエルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラ、メキシコの南部から、コロンビア、ブラジルその他の南米まで拡大しており、中米だけでも15万人、ほぼ半数は15歳以下だと言う。
   マラスの内部では、麻薬密輸や雇われ殺人、窃盗、誘惑、手足の切断に専念する者たちがいて、・・・正に、21世紀の新しい犯罪者なのだが、大きな特色は、覆面で顔を隠す伝統的な銀行強盗とは違って、堂々と悪事を実行して報道機関から注目を集めることを切望しており、一たび脚光を浴びると、指揮命令系統で昇進を果たすのだと言う。”

   アメリカの国防総省を憂慮させているのは、チャベスのような独裁者ではなくて、ラテンアメリカの悪質犯罪の急増とテロをコントロール出来ない政府の無能力だと指摘していたように、世界最悪の治安の悪さである。
   中南米の富裕層が、自分の家族を誘拐、強盗、殺人等から守るために家族をマイアミに置いており、林立する多くのアパートの購入者の多くは、ラテンアメリカの犯罪被害者であるか、潜在的被害者、言うならば、マイアミの新参者は、犯罪難民であり、中南米の中・上流階級の自己防衛策が、マイアミの不動産ブームを引き起こしており、「ラテンアメリカの首都」とも呼ばれている。と言うのだから驚く。

   もうこれ以上語る必要がないと思うが、表面的には、中南米の悪質犯罪の急増とテロや犯罪をコントロールできない政府の無能力が、問題のように見えるが、本質的には、ラテン気質や文化伝統に色濃く培われて歴史的に構築されてきた植民地としての中南米独特の政治経済社会制度にこそ、病巣の根源があるのである。

   ラテンアメリカでの一般通念は、貧困が犯罪を生むため、貧困削減に焦点を当てた取り組みが必要だと言うのだが、アメリカの専門家の多くは、逆に、犯罪が貧困を引き起こし、地域の第一の優先度は犯罪との闘いであると考えている。
   そうだとすると、先のルーラ大統領が、ボルサ・ファミーリアなどで貧困層の生活向上や格差縮小に必死に取り組んだのだが、暗黒街の麻薬王が治安維持組織を操るような政治経済社会システムを、根本的に解消しない限り、問題は解決しないと言うことであろう。

   ところで、日本人旅行者の犯罪の危険だが、ブラジルを知り抜いている日系ブラジル人の友人でさえ、被害にあっているのだから、はるかに国状の悪いエクアドル(私は一回しか行ったことがない)などで、慣れない日本人が自分でタクシーを手配するなど考えられないことで、狙われれば一たまりもない。
   サンパウロで襲われた友人は、繁華街の駐車場で車に乗った瞬間にホールドアップ、また、知人の話では、2メートルもある黒人強盗二人に挟まれて、キリ状の凶器で足を突かれて七転八倒。

   日本は、最もグローバリゼーションの遅れた国だとドラッカーが喝破したが、日本人の多くは、いまだに、世界中何処へ行っても、日本と同じだと錯覚して、日本に居るのと同じような気持ちで振舞っている。
   世界はフラットになった、グローバリゼーションの時代だと言っても、違いが分かる、その違いを尊重する国民性を養うことも大切であろう。

   ラテン・アメリカは、非常にエキゾチックで、素晴らしい文化と伝統、限りなき観光資源を持っていて、素晴らしい経験を満喫できるところではあるのだが、旅行者としての自分の心構え次第で、一気に暗転することもあると言う事実を知っておくべきであろう。
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鎌倉山の檑亭(らいてい)での午後

2014年01月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鎌倉山の回遊式庭園蕎麦処「檑亭」と言うふれ込みの店で、友人たちと昼食を共にしながら、午後のひと時を過ごした。
   非常に穏やかな温かい日であり、私は、散策を楽しみながら歩いて出かけたが、友人の一人は、遠い茂原から来ていた。
   会食の場所を持ち歩いているので、今回は、私にとっては、偶々の好都合だったのである。

   普通は、東京・上野の懐石・会席料理”韻松亭”で、こじんまりした茶室の雰囲気の部屋で会食をしているのだが、メンバーの5人とも、外国暮らしが長いし、その内、3人は米国で大学院生活を送っており、紅一点のお嬢さんは、大半欧米暮らしで半分イタリア人だし、とにかく、海外生活に慣れた人間ばかりだが、必ず、日本料理店を選んで、色々な地方のお酒を賞味しながら会話を楽しんでいる。
   アメリカで一緒に仕事をしていた時には、ロスに長い友人達は、ナパのカリフォルニア・ワインを説き、フランス関係に駐在の長い友人は、ボルドーやブルゴーニュ・ワインを勧め、イギリスにいた私は、スコッチ・ビーフの素晴らしさを強調するなど、とにかく、洋食ばかりで、名店と言われるレストランをはしごしていたのだが、今では、誰も、ワインがどうだとか、フレンチがどうだとか、言わなくなったのが不思議である。

   
   私の場合には、酒にはかなり強くて飲めるのだが、家で、晩酌する習慣はなかったし、普通は飲まないのだが、欧米生活が長くなって、欧米人たちとの会食やビジネス・ディナーなどが多くなってからは、酒を伴った食事を楽しむようになった。
   今でも、酒を飲むのが楽しいと言う訳ではないので、晩酌と言う程ではなく、時々、食事のメニューにもよるが、少しだが、酒をたしなんでいる。
   常備しているのは、赤ワインだが、最近は、冷酒で飲める大吟醸酒を常備に加えて、楽しんでいる。


   ヨーロッパで、相性が良いと、ワインと食事が調和して、美味しさが増幅して益々楽しめると言うことが分かったので、酒は、私にとっては、百薬の長と言うのみならず、食事を美味しくする触媒のようなものなのである。
   ところで、日本人は、食事のメニューなどとは関係なく、ロマネコンテがどうだとか、何年ものの何が良いとか、銘柄ばかりに拘るが、私の経験では、ヨーロッパをあっちこっち歩いていて、ミシュランの三つ星や二つ星などのレストランでは多少違うが、その地方の高級レストランでも、食事を楽しむためには、その地方の有名ワインや地酒が最も良いことが分かったのである。
   どうせ、日本人の私が知っているワインに関する知識など知れているので、出来るだけ、ソムリエに、その地方の良いワインを選んで貰って嗜んでいたが、間違っていなかったように思う。
   これは、ドイツでも、地ビールが一番おいしく、ソーセージも、ウインナー、フランクフルター、ニュールンベルガー等々地のものに合って一番美味しいのだし、日本に帰ってからは、仕事柄全国を回る機会が多くなって、地方での会食には、地酒が一番合って美味しいのだと言うこと分かった。
   食文化と言うのは、そう言うものなのである。

   さて、話が飛んでしまったのだが、檑亭の午後のひと時は素晴らしかった。
   広大な庭園は、粗削りで、旧鎌倉市内の古社寺の庭園や京都の庭園のように手入れは、それ程行き届いているようには思えなかったが、山並みの向こうに海が広がり江の島の街が見えて、この日は霞んでいて見えなかったが、富士が遠望できると言う。
   竹林なども茂っていて、海側に向かって下っている林間の散策路も長く続いていて良い。
   梅に蕾が少し膨らみかけていて、桜の大木もかなりあって、春や秋のシーズンには美しくなるのであろう。
   
   
   

   庭園内には、石造の十王像や羅漢像、それに、国東から持ち込んだと言う石造仁王像、夢殿を模した八角堂、移築した古い茶室等々、良く分からないような形で色々なものが鎮座ましましているのだが、どこか、古寺の風情である。
   苑内には、広大な敷地に色々な花木や草花などが植えられているので、これから、温かくなって季節が良くなると、咲き乱れて美しくなるであろう。
   鎌倉駅から、それ程便が良いと思えないバスで20分くらいの所で、食事をすると、殆ど半日くらいは時間を取るので、鎌倉観光の中に組み込むのは難しいかも知れないのだが、ゆっくり時間を過ごすのには良いところであろう。
   
   
      
   
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初春花形歌舞伎・・・壽三升景清

2014年01月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   景清が主人公の舞台だが、景清の登場する歌舞伎十八番の『景清』のほかに『関羽』『解脱』『鎌髭』をも包含した壮大なスケールの絵巻とも言うべき、海老蔵が團十郎家の威信をかけて紡ぎ上げた面白い歌舞伎で、「景清」の阿古屋の登場と牢破りが主体となっているのだが、海老蔵の荒事の極致が堪能できて、正月の公演としては華やかで楽しめる。
   最後の「解脱」の舞台だけが、優雅な舞踊の舞台だが、「関羽」での白馬に乗った張飛、「鎌髭」での巨大な鎌での首切り、「景清」での牢破りなどでは、海老蔵の魅力満開の荒事の世界が展開されていて、あたかも錦絵の連続絵巻を観ているようである。

   尤も、アラカルト方式の舞台を一つにまとめた芝居となっているので、ストーリーに連続性がなく、冒頭から、平景清が張飛に扮して関羽に対抗すると言う中国風のシーンが出て来て、驚かされる。
   近松門左衛門の浄瑠璃「出世景清」などは、シェイクスピア張りとは言わないまでも、ストーリーとしては、非常に纏まっていて格調が高いし、能の「景清」なども、精神性の高い物語のある舞台芸術なのだが、何時も言うように、歌舞伎の舞台は、見せて魅せる舞台で、歌舞伎程、衣装や舞台装飾も、極彩色の世界を展開し美しく荘厳して目を楽しませてくれる舞台芸術はないと思える程、視覚的効果を重視したパーフォーマンス・アーツで、世界的にも類がないのではないかと思う。
   それに、荒唐無稽ともうべき、非日常性を徹底的に追及したストーリーや舞台展開が、観客を無我夢中にさせて魅了する。
   この役者たちの錦絵が、また、巷の人気を集めて、市井を賑わわせて、その錦絵を持った冨山の薬売りが、全国津々浦々まで流布させて、京・大坂・江戸の文化や流行が広がって行く。

   この海老蔵の見得の連続とも言うべき、この荒事の絵のような様式美の格好良さ、美しさ豪快さは、やはり、天下泰平の爛熟しきった江戸の庶民文化の華であって、将軍家や大名家などに手厚く保護されて維持されていた能・狂言の世界と双璧をなす江戸文化の豊かさを示すものであろう。
   

   阿古屋については、やはり、『壇浦兜軍記』の「阿古屋琴責」の舞台で、阿古屋が、豪華な打掛や俎板帯という典型的な傾城の扮装で登場して、実際に琴・三味線・胡弓を演奏し、一切、景清については口を割らないと言う高度な芸と心理描写を魅せる場が最高だと思っており、玉三郎の舞台や簑助と勘十郎の舞台が感動的であった。
   今回の阿古屋は、芝雀で、楽器を奏でるシーンはないのだが、詮議のために、六波羅に引かれて行くのに、傾城として花魁道中で行きたいと言った趣向など面白く、付き人役を道化模様の岩永左衛門(市蔵)の家来たちが演じているのが、コミカルタッチで楽しませてくれた。

   
   ところで、主題の景清だが、「悪七兵衛」と呼ばれた源平合戦で勇名を馳せた平家側の勇猛果敢な武士なのだが、実在したものの生涯に謎の多い人物で、平家物語に出て来る、合戦で、源氏方の美尾屋十郎の錣(しころ 兜の頭巾の左右・後方に下げて首筋を覆う部分)を素手で引きちぎったという「錣引き」が有名だと言うのだが、とにかく、伝説が多く、能・浄瑠璃・歌舞伎など格好のテーマを提供しているのが面白い。
   私は、良く源氏山から化粧坂を下って北鎌倉に向かって散策するのだが、途中に、悪七兵衛景清の土牢がる。
   切り立った壁面くらいしか残っていないのだが、頼朝暗殺を試みながらも、とうとう捕縛されて、この土牢で断食して死んだと言う話が残っているのだが、どうであろうか。

   この歌舞伎で、海老蔵に続いて素晴らしい舞台を見せるのは、獅童である。
   鎌髭で、景清を引いて行く猪熊入道をコミカルに演じ、また、景清で、景清詮議のために、骨太で颯爽とした偉丈夫な武士を演じるなど、感動的である。
   久しぶりに、左團次の赤面の舞台を観たが、大きな鎌を、海老蔵の景清の首に当てて、豪快な演技を披露していて、絵になっている。
    

   ところで、この歌舞伎のタイトルの「三升」だが、この舞台の最後の場で、舞台上に「三升席」、すなわち、舞台上に座布団を敷き、そこに座って舞台を真横から間近にご観劇する席で、舞台の左右に各12席、計24席が設置されて、2000円余分に払った客が座って観ている。
   これは、海老蔵の発案で、新橋演舞場の歌舞伎の本興行では初の試みだと言うのだが、これまでにも、シェイクスピア戯曲はじめ、客を舞台に取り込むと言うことは、あっちこっちの劇場で、形を変えながら取り入れられている演出で、それ程珍しいことでもない。
   蜷川の舞台や勘三郎の舞台で、劇場の外の世界を取り込んだ演出も、いわば、その延長線上の試みであろうし、外国には結構あるオーケストラを囲い込んで周囲に座席があるコンサート・ホールなども、観客を舞台に取り込んだ、一種の仕掛けであろうが、
   歌舞伎の場合には、昔から、客が飲んだり食ったり、時には、喋りながら観劇しており、座席が舞台に極めて近かったり、今回のように舞台上に席があって観ていたり、とにかく、役者と観客が一体になって、雰囲気を醸し出していたのだが、それが、最近では、静粛に見ると言うはるかに遠い世界に行ってしまったので、海老蔵案も、良い傾向かも知れないと思って観ていた。
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観世清和編訳「風姿花伝」

2014年01月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   観世宗家相伝の書を、家元観世清和が繙く!
   六百年の歳月を越えて伝えられる極上の芸術論・人生論
   そんな説明書きの付された世阿弥の新訳「風姿花伝」だが、宗家が、ご自身の切磋琢磨を通じて体験した能楽への精進と人生を縦横無尽に開陳しながらの渾身の書であるから、実に含蓄深く、読んでいて感動的である。

   特に、個々の世阿弥作の能について、解説のみならず、ご自身の舞や謡いなど実際の能舞台などでの思いなどが語られているところなどは、私自身がその舞台に接していたりして、非常に親近感を感じて、味わわさせて頂いた。
   年齢別稽古法の最後の「五十有余」のところで、八十三歳の人間国宝片山幽雪師の「関寺小町」の後見をした時、息を巧みに使った謡が見事で、息を吸って声を出すだけが謡ではないことに気付かされたことや、杖の捌き方などの基本の型はまったく揺るぎなく、基本の大事さを改めて感じると同時に、杖をつくという基本は同じで、ただ役柄によってその心持が違う、それを丁寧に表現することが肝要なのだと、改めて知ることができた。と語っている。
   能鑑賞初歩の私には、着座した幽雪師の小町の背後にしっかりと寄り添って後見をしながら、プロンプター役をしていた宗家の姿の方が印象に残っており、何も分かっていなかったと反省している。
   この幽雪師は、昨夜の梅若玄祥師の「井筒」で、地謡に出ておられたので、初めて、素顔を拝見した。

   元々、大和申楽である観世座は、修二会などで鬼が齎す混乱を一年の初めに清浄化する儀式などに関わっていたので、鬼の能は、得意芸であり、この鬼の能で力を示して京都に進出を図ったと言う。
   その得意芸をベースにして、観阿弥・世阿弥は、独自の能を完成させていったので、鬼は一座のルーツであり、修正会のような宗教行事で使われていた「赤鬼・黒鬼」と呼ばれる阿吽の一対の面が、観世の面箪笥の一番上位、神事の流れを汲む祝言能「翁」に用いる面と同格に、大切に保管されていると言う。
   先日、国立能楽堂で鑑賞した世阿弥の能「野守」(金剛流:シテ/豊嶋三千春)を観たので、この鬼の持つ万物のあらゆるものを映し出す鏡について語り、その鏡の裏側に、取っ手を両側からくわえこむ鬼の顏の木彫りで装飾されていると写真を示しているなど、興味深かった。

   風姿花伝については、渡辺淳一の「秘すれば花」など、結構読む機会もあって、何らかの形で触れていて多少の予備知識はあるので、このように、観世宗家が、自らの伝承と演能を通して、宗家にしか分からないような経験や話などを語っている薀蓄を傾けた解説が、類書とは格段に違って意義深く、この本の最高の値打ちだと思っている。

   この本で印象的なのは、観阿弥・世阿弥で、一世を風靡した筈の観世座の命運が如何に危うかったか、将軍家の信頼を得て、他流派との激烈な競争に打ち勝つために、如何に戦うべきか、非常に、危機意識に満ちた秘伝の書であることである。
   梅若六郎の「まことの花」の稿で、江戸時代以外は、能楽師の地位は非常に不安定であったことに触れたが、絶頂を極めた最高峰の世阿弥でさえ、晩年には、一座の凋落に遭遇し、後継者であった実子元雅を失い、最期には、流罪の悲哀に泣き、生涯かけて築き上げてきた自信も栄誉も人間としての尊厳も叩き潰されたのであるから、当然と言えば当然であろう。

   先日、幸四郎の履歴書のところで、歌舞伎の伝統や型の伝承が如何に大切かに触れたが、この風姿花伝では、冒頭から、
   ”いかなる上手なりとも、衆人愛敬欠けたるところあらんをば、寿福増長の為手とは申しがたし””しかれば、亡父は、いかなる田舎・山里の片返にても、その心を受けて、所の風儀を一大事にかけて、芸をせしなり”と言っており、どんな場所でも、観客の心を知り、その土地の風俗・習慣を大切にして演能し、人々に愛されなければ、寿福増進の役者ではないと言うのである。
   世阿弥が「奥義」として相伝すべきは、舞台芸術の根源にあるもの、その精神は何かと言うことで、それこそ、「寿福増長」であり「衆人愛敬」であって、人々の幸せを願い、人々から愛される舞台でなければならないとして、理解できないような芸能ばかり見せたのではダメだと、絶えず工夫と努力を重ねて、価値ある芸を生み出し続けなければならないと説いている。

   言うまでもなく、世阿弥こそ、最大の革新者、能楽のイノベーターであって、この風姿花伝では、観阿弥を称賛しその芸論を展開しているようだが、観阿弥と世阿弥の作品は、大いに違っている。
   梅原先生の説明だと、観阿弥の、現在から過去へ遡る「追憶劇」すなわち「劇能」を脱して、世阿弥は、独自の「複式夢幻能」を大成させたのである。

   歌舞伎の場合にもそうだが、かっての團十郎などの改革革新のように、あるいは、落語での圓朝のように、古典芸能の場合にも、偉大なイノベーターによって、革命的なアクションが取られた時にこそ、進歩発展があることを示している。
   私など、イノベーション論を勉強し続けてきた人間にとっては、この本を読んでいて、能楽草創期の、正に、果敢なイノベーターとしての烈々たる世阿弥の激しい気迫が迫って来て、経営学書としても、出色な書物だと感じている。

   観世清和師は、
   ”ただかへすがへす、初心を忘るべからず”の「初心」や、
   ”秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず”の「まことの花」や、
   ”命には終はりあり、能には果てあるべからず”などについても、素晴らしい解説を展開しており、能楽啓蒙の意味からも、あるいは、良質で高度な人生論としても、非常に、密度の高い内容が、感動的である。
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国立劇場・・・通し狂言「三千両初春駒曳」

2014年01月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「三千両初春駒曳」は、歌舞伎の定番と言うべき、跡目相続に絡むお家騒動と家宝が行方知れずで探索すると言う話がメインテーマだが、正月らしく、舞台が派手で華やかなのが良い。
   この話は、徳川将軍家の跡目相続問題に、老中本多正純の将軍暗殺計画「宇都宮城の釣り天井」事件や将軍家光のおいの松平長七郎の逸話などが組み合わされた芝居だが、江戸幕府を憚って、本能寺の変で逝った織田信長の後継者争いの話にして、豊臣秀吉の「太閤記」の世界に置き換えられている。
   江戸では、余りにも恐れ多いので、大坂オリジンの芝居であって、通し狂言としては、150年ぶりの再演だと言う。

   見せ場になっている「釣天井」や三千両を載せた馬を引いて去る「馬切り」の場面などは、これまでにも単発で演じられていたようで、この芝居でも核になっている。
   序幕の高麗国浜辺の場では、妖艶な菊之助扮する高麗国の皇女が、日本から流れ着いた小早川采女(松也)に恋をして、日本に渡来して活躍するという、国姓爺合戦並のスケールの大きな異国情調も鏤めた面白い芝居になっている。

   信長と嫡子信忠没後の小田家の家督争いで、信忠の弟、三七郎信孝(菊五郎)を押す柴田勝重(松緑)と、信忠の子・三法師丸(大河)を押す真柴久吉(時蔵)が対立する構図だが、これに、勝重側に、宅間小平太(亀三郎)、真柴側に、小早川帯刀(團蔵)と采女がついて争いが展開される。
   しかし、勝重が頼りとする信孝が、政治に興味なく自ら家追放の身となり浪人暮らしをしながら奪われた家宝の探索にあたり、三法師丸を補佐しようとするのであるから、勝重は、梯子を外された格好で、唯一の悪人となり、最後まで、奮戦して、紫野大徳寺の信長一回忌法要の場に乗り込むが、勝負はお預けで幕。

   さて、「釣り天井」だが、
   柴田勝重は、三法師丸を招待する新御殿で圧死しようと釣り天井を仕掛けるのだが、事前に計画が漏れるのを恐れて大工を監禁するが、大工・与四郎(菊之助)が逃げ出して注進。計画が露見したので、久吉陣営が柴田を謀反人として攻め込む。その時、勝重を追い詰めるが、元女房小谷(時蔵)の加勢で、釣り天井が落ちる。
   御殿正面に槍衾が立ち上がり、背後に頑丈な格子戸が降り、上から巨大な石を乗せた天井が落ちてくると言う絶体絶命の仕掛けだが、天井が傾いてゆっくり降りて来ると言う感じなので、迫力に欠けるのが、一寸惜しい。

   馬切りは、
   浪人暮らしの信孝は手許不如意。堺の大和橋の付近で、久吉が高野山へ納める祠堂金三千両の大金を運ぶ行列に出くわすのだが、既に、盗賊に襲われていて、信孝は、その盗賊たちを蹴散らして、馬役人を切り捨て、金を乗せた馬ごと盗むと、悠々と立ち去る。
   色々趣向を凝らした立ち回りが面白く、見ものではあるが、泰然自若とした舞うような菊五郎の姿が絵になるくらいであろうか。

   今回、興味深かったのは、女形の時蔵が演じた真柴久吉の風格、そして、同じく菊五郎の大工与四郎の粋と気風の良さで、本来の女形よりも、はるかに、感動的な演技を見せてくれたこと。
   それに、采女を演じた松也の好男子振り、藤右衛門娘お豊を演じた梅枝の女を実感させる演技。
   若手の役者たちの瑞々しくて溌剌とした演技が、印象的であった。

   二役を演じていた役者が多かったが、やはり、出色は、松緑で、ドスの利いたスケールの大きな大悪人柴田勝重と善人材木仲買田郎助を実に器用に演じ分けて、夫々に、水準の高い演技を披露していた。

   ところで、この歌舞伎だが、筋を追っていると、実にあり得ないような話を数珠繋ぎにしている感じで、考えて見ていると、肩透かしを食らう。
   まず、松緑の演じる小田の重臣柴田勝重は、鷹匠の田舎者の土屋庄助で、女房小谷に見破られ、その弟が真柴側の善人田郎助で、実子が大工与四郎であることが分かって、二人とも、勝重への責を感じて切腹する。
   日本の歌舞伎は、やはり、シェイクスピア等の欧米の戯曲と違って、ストーリー性は二の次で、見せて魅せる舞台だと言う感じが濃厚にするのが、この歌舞伎である。
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国立劇場の初春の雰囲気

2014年01月15日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   半蔵門の国立劇場は、今月は、通し狂言「三千両初春駒曳」の初春らしく華やかな舞台が展開されている。
   まだ、正月気分が残っているのか、劇場内の雰囲気も、心なしか華やいでいる。

   口絵写真は、劇場の正面玄関だが、歌舞伎座とは大分違った風情で、面白い。
   私など、何時ものように、遅れて劇場に着くことが多いのだが、開演前は賑やかだったのであろう。
   

   この劇場の良さは、歌舞伎座とは違って、ロビーが格段に広いことであって、吹き抜けになっていて、横左右に上階への階段とエスカレーターが伸びているので、解放感は抜群である。
   場内への入り口正面に置かれている2メートルの「鏡獅子」は、六代目尾上菊五郎をモデルに二十年の歳月をかけて作られた平櫛田中の作品だが、この素晴らしい彫刻に迎えられて入場する開演前の浮き立つような雰囲気は中々のものである。
   

   ロビーのインテリアや飾りつけも、やはり、正月のためか、多少華やかな雰囲気で、歌舞伎役者の羽子板飾りもお馴染みだが、一つ一つ見ていると、舞台が彷彿として来て面白い。
   売店は、各所に散らばっているので、歌舞伎座のように混雑はしていないし、毎回、歌舞伎の演目に因んだ、あるいは、その歌舞伎の舞台の特産品などの販売コーナーが設置されていて、結構、人気を呼んでいる。
   それに、歌舞伎関係が主体だが、プログラム売り場に、関係本やDVDなどが売られていて、参考になるのだが、これは、国立能楽堂でも、専門の出版社が販売コーナーを設けていて、私などには、有難いことである。
   
   
   
   
   ロビーだが、新歌舞伎座は、前の歌舞伎座をほぼ踏襲しているので、3階は多少広くなったが、正面ロビーも2階ロビーも、殆どそのままなので、圧迫感は、相変わらずで、お客の出入り時には、大変な混雑を来す。
   確か、ロンドンのロイヤルオペラも、改装時に、正面ロビーや2階の空間などをそのまま残したが、その代わり、隣接して広い空間を取ってパブリック・スペースとしたので、一気に、解放感が増して、雰囲気が良くなった。
   尤も、ロンドンのウエストエンドや、ニューヨークのブロードウェイの著名なミュージカル劇場などでは、殆どロビー空間がないような劇場が、結構あるのだが、折角の新装であったから、歌舞伎座には、もっと、パブリックスペースを広げて欲しかったと思っている。

   寒かったが、休憩時に、何時ものように、正面の庭に出た。
   道路を隔てて正面は、半蔵門のお堀り端で、右手には霞が関の官庁街のビルが広がっている。
   春には、梅や桜が咲いて、綺麗な庭園なのだが、今は、まだ寒い真冬なので、殆ど花気はない。
   左右に、何株かのロウバイが咲いていて、午後の陽を浴びて光っている。
   花と言えば、この花だけだが、ほっとする。
   
   
   

   良く見ると、カンサラサ(寒更紗)と言うボケの花が、数輪、申し訳なさそうに咲いていた。
   この花は、秋咲きで、始めは白色で、桃色更紗絞りに変わるのだと言う。
   しかし、綺麗なしっかりとした蕾が沢山ついているので、普通のボケと同じように、これからも咲くのであろう。
   このボケの下に、下草のように万両が植わっていて、赤い実とのコントラストが面白かった。
   梅や桜の蕾がまだ固かったが、もうすぐ春である。
   
   
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松本幸四郎著「私の履歴書」

2014年01月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日経に掲載された幸四郎の「私の履歴書」と、「開演前に」と言うコメント集を収録した本で、幸四郎の関係本は、結構読んでいるので、殆ど新しい情報は感じなかったが、丁度、歌舞伎座で、初春大歌舞伎で、梶原平三と加古川本蔵を演じているので、その舞台を反芻しながら、もう一度、稀有のマルチ大役者松本幸四郎を考えて見た。
   歌舞伎の大名跡松本幸四郎を背負った高麗屋の当主として、重圧に抗しながら、歌舞伎界を代表する大役者としてのみならず、ミュージカルやシェイクスピアなど戯曲の舞台でも、大きな功績を残しながら、矍鑠として益々意欲的に芸道を邁進しているのだから、大したものである。

   私が最初に幸四郎の舞台を観たのは、井上靖原作の舞台「蒼き狼」のテムジンであった。
   それから、次に観たのは、1991年2月、ロンドン・ウエストエンドのサドラーズ・ウェルズ劇場で、イギリスの女優スーザン・ハンプシャーと組んで名声を博した「王様と私」であったので、歌舞伎役者の松本幸四郎の歌舞伎の舞台を観たのは、日本に帰国した1993年以降からである。
   しかし、それでも、毎月1~2回は、劇場に通って歌舞伎を見続けているので、幸四郎の歌舞伎の舞台は、随分、観ていることになる。

   最初に、幸四郎は、舞台については、歌舞伎、ミュージカル、現代劇(シェイクスピアなど外国劇を含む)の三本柱でやって来たとして、冒頭に長女紀保が、「幸四郎を見ていて、ただ興味本位になんでもやっているのと、なんでもやって、それができているのとでは大違いだということがわかった」と言ったことを引用して、役者幸四郎の生き方を冷静にしかも的確に見てくれていると心に響いた。と書いている。
   私は、幸四郎のミュージカルは、「ラ・マンチャの男」しか見ていないし、シェイクスピア戯曲も、蜷川幸雄演出の「オセロ―」しか見ていないので、何とも言えないが、幸四郎が、「外国の芝居は、シェイクスピアであろうと、ギリシャ悲劇であろうと、日本人が日本語で日本の観客のために上演するときは、すべて日本の現代劇だと思っており、そうでなければ、ただの物まねイミテーション外国劇に過ぎないと考えている。」と言っている。

   これには、私自身は、あっちこっちで、多くのシェイクスピア劇やオペラを見ていて、この考え方には、多少、違和感を感じている。
   古典歌舞伎を伝統的な手法で演じ続けている幸四郎が、何を持って日本の現代劇と言うのか、分からないのだが、いくら普遍的な要素があるとしても、シェイクスピアはヨーロッパ文化を色濃く体現した英国劇であり、ギリシャ悲劇は、古代ギリシャの文化哲学を濃縮した劇であり、能や狂言、和歌や俳句が、日本文化の象徴であるように、その違いにこそ、文化文明的な価値があると思っているので、シェイクスピア戯曲は、やはり、シェイクスピア劇として、出来るだけ、シェイクスピアの意図したバックグラウンドに肉薄して鑑賞したいと思っている。
   幸いにも、シェイクスピアは、劇にしろオペラにしろ、ストラトフォード・アポン・エイヴォンやロンドンで、RSCやロイヤル・オペラの舞台を最も多く見ているのだが、そんな観点から、幸四郎の舞台も観ているつもりである。

   「王様と私」も、ブロードウェイで、ユル・ブリンナーの舞台を観たし、「マイフェア・レディ」も、同じく、ブロードウェイのレックス・ハリソンの舞台やロンドンのウエスト・エンドの舞台を観たり、コベント・ガーデンを何度も訪れて、感触として作品を味わって来ているつもりである。
   このような外国産のオリジナルの舞台を、出来るだけ忠実に真似ようとした演出なり公演がイミテーションと言うのなら分からないでもないが、クラシック音楽の奏者が、ヨーロッパの息吹や文化的な共感なり理解に欠けると生きたサウンドを奏でられないように、やはり、その戯曲なり作品が生まれ出た精神やバックグラウンドは、尊重すべきであろうと思う。
   

   ところで、幸四郎は、「王様と私」の舞台を、松平健に代えられたことについて、次のように語っている。
   「王様と私」は65年、22歳でミュージカルに初出演した思い出の作品だ。80年までに出演回数は270回を超えたが、84年、東宝から「次の王様役が他の人に決まった」と告げられた。私は「それが日本のミュージカルのためになるなら」と了承したものの、突然でもあり、何か裏にあるなと感じたが、そんなことはおくびにも出さなかった。
   自分なりに「王様と私」に決別しようと、翌年、ブリンナーの舞台を見るためニューヨークに行った。・・・ブリンナーに、自分はこの役を降ろされたと言うと、彼は私の手を握って、「次の王様は君だよ」と激励してくれた。そして、なんと、それから5年後、英国での公演話が舞い込んだのだ。
   私は、その幸四郎の「王様と私」の晴れ舞台を、ロンドンで観て、ユル・ブリンナーの舞台同様にイギリスの友と一緒に感激したのである。
   

   さて、幸四郎の歌舞伎だが、私自身は、誰よりも、江戸歌舞伎の芸の神髄である伝統を頑ななほど守り続けている最右翼の歌舞伎役者ではないかと思っている。
   勿論、これは古典歌舞伎についてだが、絶えず変化と切磋琢磨・成長を期待して見ていて、代わり映えを愛でると言われている上方歌舞伎の愛好者から見れば、工夫が足らんのとちゃうかと思える程、判で押したように、同じ芝居を演じているように思えてならない。
   尤も、この培われた伝統や型は、営々と築き上げられた極致として昇華完成された芸であり、最高の決定版を最高の役者の舞台で鑑賞させて貰っていると言うことであろうから、時には疑問もあるが、取り立てて文句はない。
   今回の梶原平三も加古川本蔵も、そんな気持ちで、舞台を観ていた。

   ところで、この履歴書で、幸四郎が演じる役どころを、「開演の前に」で書いていて、梶原平三についてのコメントが興味深い。
   襲名公演での演目でもあり、
   「・・・六郎太夫の忠義と娘梢の親を思う心にうたれた梶原が、二人を救うと言う一幕にしております。」
    また、「本当の主役は、六郎太夫と梢だと思っています。・・・六郎太夫親子の情愛があって、その情に討たれて捌き役である梶原が二人を助けてやると言うお芝居。非常に心理描写が細やか。その感動できる舞台をお客様にお伝えできれば」と言っている。
   本人も言っているように、歌舞伎の様式的な面白さ、華やかさが注目されがちで、刀の目利き、二つ胴、手水鉢の石切と梶原のお約束が、目立ち過ぎて、幸四郎の芝居ばかりが目立つのだが、これは、私の見方が稚拙なのかも知れないと反省している。

   また、加古川本蔵についてだが、「肚を要求される役で、小心者の悲哀と父親の情愛、非常に大きな重い役。」「忠臣蔵の大役中の大役。この場で、これ程の大きな役になったのは、歌舞伎の「創造」の凄さです。・・・娘を思う父の心が良く描かれた役だと思います。」

   そんな幸四郎の娘小浪への優しい眼差しや、先の梶原平三の六郎太夫と梢に対する表情や仕草を注意して見ていると、幸四郎の気持ちなり役への微妙な思いやりが見えて来て、あらためて、感動を覚えた。
   
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鎌倉山を散策してみた

2014年01月12日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鎌倉に移り住んでほぼ一か月が過ぎた。
   鎌倉山に隣接した閑静な住宅街なので、八幡宮のある鎌倉旧市内とは違って、緑滴る豊かな空間を楽しめて、千葉とは一寸違ったお洒落なトカイナカ生活を味わうことが出来るのが良い。

   鎌倉山と言っても、鎌倉にいくつもあるそれ程高くもない標高100メートルくらいの丘状の高台が連なっている丘陵地帯で、恵まれた高台の住宅からは、遠くに海が一面に広がり、富士山と江の島が見晴るかせて、非常に眺望を楽しめると言う。
   別荘地として変遷を遂げながら、高度成長期以降に住宅地として再開発され、今では、鎌倉の山の手の高級住宅地として、立派な住宅が軒を連ねている。
   鎌倉山を横切る唯一のさくら通りを南東に向かって歩いたのだが、途中に、海側の道路沿いに、ライオンズヒルズ鎌倉山と言う低層の高級マンションが立っていた。
   反対側の山中に、鎌倉山と言う高級ローストビーフのレストランがある。
   そして、少し歩いたところで、住宅が切れて、折り重なった丘陵の向こうに、曇っていたので定かではなかったが、海が広がっているようで、その向こうに富士山が遠望できるのであろう。
   
   

   鎌倉山散策の起点は、市道大船・西鎌倉線とさくら道との交点「鎌倉山ロータリー」交差点で、そこから、約3kmほどの市道(さくら道)が主要な道路として通っているだけで、バスは、この道を経て鎌倉駅を目指して走っている。
   春には沿道に桜が咲き乱れて美しいと言うことだが、今は、藪椿の真赤な花が、あっちこっちに咲いているだけである。
   
   
   更に、さくら通りを南下して、そば割烹檑亭(らいてい)に向かって歩いた。
   ウイキペディアによると、
   別荘分譲開始と共に建てられた別荘だったが、昭和44年(1969年)に料亭となった。山門は鎌倉市西御門にあった寿延山高松寺で寛永19年(1642年)に建立された物を、建物は横浜市戸塚区にあった江戸時代の養蜂農家猪熊家の旧宅をそれぞれ別荘建築の際に移築し、店舗用に改装したものである。また建物内部には明治初期に輸入されたシャンデリアや、日本で初めて生産されたステンドグラスなどが今でも使われている。なお、店名の由来は、当地がすりこぎ(檑)に適した山椒の木が多かったためという。2003年に鎌倉市の「景観重要建築物」に指定された。と言うことである。
   

   1時半を過ぎていたのに、道路沿いの駐車場には、ひっきりなしに車が出入りしており、タクシーで来る客もあるのを見ていると、かなり、辺鄙なところなので、人気があるのであろう。
   実は、お茶やお花は勿論、能や浪曲なども習っている日本文化どっぷりの友人が、今度のアラスカ会(アラスカプロジェクトで一緒した仕事仲間の同窓会)の会場として指定しているので、月末に、ここで会食することになっている。
   この友人は、大学では建築学、加州大バークレーでは、不動産学修士を収め、京大の工学博士でもあると言う英才なのだが、私の知らない粋な世界や価値ある文化生活の息吹をインスパイア―してくれている。

   この日は、比較的にアップダウンも少ないこのさくら通りも、車や人が少なくて、散策には丁度良かったが、シーズンには賑わうのであろう。
   結局、檑亭の少し先まで歩いて、引き返したので、ほんの小一時間の散策で、歩数5000程度にしか過ぎなかったが、勾配があったので、まずまずの散歩であったと思っている。
   
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初春大歌舞伎・・・「松浦の太鼓」

2014年01月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   初春大歌舞伎の昼の部の公演は、「梶原平三誉石切」と「松浦の太鼓」が、メインで、夫々、幸四郎の梶原平三景時、吉右衛門の松浦鎮信と言う極め付きの舞台であるから、非常に充実していて、楽しませてくれた。
   私にとっては、忠臣蔵外伝として著名な「松浦の太鼓」は、初めての観劇であったので、面白かった。

   吉右衛門が演じると言うと、どうしても、重厚かつ風格のある大名をイメージするのだが、この舞台に関する限りは、松浦侯は、市井の江戸市民と同じように、赤穂浪士が、主君の鬱憤を晴らすために、何時、隣家の吉良家に討ち行って、首級を上げるかを期待して待っている、謂わば、野次馬根性丸出しのミーハーお殿様だと言うことである。
   出入りの宝井其角(歌六)の弟子であり、句会の常連であった大高源吾(梅玉)が、一向に立ち上がる気配なく貧乏生活をしているのに腹を立てて、御前に茶を持ってきた源吾の実妹の腰元のお縫(米吉)をも嫌って遠避けようとする始末。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言った体である。
   冒頭、両国橋のたもとで、寒さに震えている源吾に、松浦侯から拝領の羽織を与えたと言う其角に、侯はカンカン。其角が、良くやったと褒めると思ったと応酬するのが面白い。

   ところが、句会のその当夜、隣から山鹿流の陣太鼓が鳴り響くと、松浦侯は、指折り数えて討ち入りだと満面の笑み。「三丁陸六つ、一鼓六足、天地人の乱拍子、この山鹿流の妙伝を心得ている者は、上杉の千坂兵部と、今一人は赤穂の大石、そしてこの松浦じゃ」と大音声。
   「助太刀じゃ」といきり立って、馬に跨り突進しようとして、家来たちに制止される。
   そこへ、討ち入りのいでたちで源吾が登場、上野介の首級をあげて本懐を遂げたことを告げる。

   この舞台で、重要なのは、両国橋で其角が、「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み掛けたのに対して、源吾は暫く考えてから、「あした待たるるその宝船」と応える付け句を残して去って行くのだが、松浦候は、この「宝船」が、赤穂浪士の本懐完遂だと知って、感激し、更に、源吾の辞世の句「山をぬく刀も折れて松の雪」に忠義心と風流心をいたく感じて、「褒めてやれ」と声を轟かせて感動に打ち震える。

   
   
   さて、宝井其角だが、松尾芭蕉の弟子で、中でも蕉門十哲の第一の門弟で、江戸俳諧で一大勢力を成したと言われており、かたい正統派の芭蕉とは違って、酒も飲むし、かなり、自由奔放なところがあったようで、この芝居のように、松浦侯にも、ずけずけと正面切って対峙出来たのであろう。 
   これまでも、吉右衛門を相手に、其角を演じた歌六だが、しみじみとした人間味と温かみのある演技が光っていて、冒頭の梅玉の源吾との胸に沁みる会話から俳諧師として立ち居振る舞いまで、実に感動的である。

   主役の松浦鎮信侯だが、オランダとの交易により蘭学のみならず、国学漢学にも通じ、禅や神道を学び、書を嗜む文化人であったと同時に、この芝居にあるように山鹿素行の弟子でもあり、鎮信流として知られる茶道の一派を立てた茶人でもあったと言う。
   先に、討ち入り待望のミーハーと書いたが、元々、ここ歌舞伎は、大坂オリジンのコミカルタッチの芝居であったようで、その名残が江戸バージョンでも濃厚に残っているようであり、流石に、両刀使いの吉右衛門の緩急自在な演技は秀逸で、鷹揚で泰然自若たる殿様然とした雰囲気と、藤山寛美ばりのくだけた田舎大名的な茶目っ気たっぷりのコミカルな風貌が綯い交ぜになっていて、非常に楽しませてくれる。
   今回は、山科閑居で、渋い大星由良之助も演じているが、先月の国立劇場の「弥作の鎌腹」を見れば、吉右衛門の芸域の幅の広さと深さが分かって興味深い。

   米吉が演じたお縫だが、楚々とした美しさ品の良さが、私には眩しかった。
   勿論、梅玉の源吾の語り口も中々で、両国橋での浪人姿と、討ち入り後の浪士の上気した雰囲気など、上手いと思って見ていた。
   今回の梅玉の舞台は、力弥にしろ、乗合船の萬歳にしろ、本来の梅玉の役とは一寸異質だと思うのだが、夫々、直球勝負の清々しさが良い。

   初春大歌舞伎だが、勘三郎、團十郎が欠けた後、三津五郎、仁左衛門、福助と言った名優の休演が加わると、飛車角落としの将棋のようで、一寸、寂しい気がしている。
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