熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

鉄道事業に入れ込むバフェット

2010年05月29日 | 政治・経済・社会
   日経ビジネスが、「投資の賢人」が語ると言うタイトルで、ウォーレン・バフェットの投資戦略が変わり、これまでの金融や優良メーカーへの投資から、鉄道や電力、ガスなどインフラ産業を成長産業と考えて資金を投入し、鉄道大手のバーリントン・ノーザン・サンタフェ(BNSF)を340億ドルもの巨費を投じて完全買収した話などを特集していて興味深い。
   アメリカの発展の原動力でもあった鉄道だが、オールド・エコノミーの典型であり、いまさら鉄道とは、とも思えるのだが、バフェットは、米国の将来の繁栄のためには、効率的で整備された鉄道システムが不可欠だと言う。

   鉄道投資で重要な判断基準は、今後の米国人口が増えるのか減るのかで、米国人口は増加を続けると考えられるので、新ビジネスが生まれ、企業活動が活発化すれば全体の物流量は確実に増えて行き、特に鉄道貨物は、トラック輸送よりも燃料効率がよく、環境面でも有利なポジションにあり、期待が持てる。
   ただし、鉄道事業は、顧客、地域社会、国全体の経済的安定のために必要不可欠なサービスであり、減価償却をはるかに上回る巨額の投資が必要であり、需要を賄うための長期計画に基づいた先行投資が必要なので、正当な利益の確保を容認する規制当局が必要だと言うのである。
   しかし、自由市場を旨とする資本主義社会において、このような半社会的公共財的な事業環境が何時までも永続するのであろうか。
   
   このBNSFだが、ホームページを見ると、シカゴやセントルイス以西の巨大な鉄道網を保持する鉄道会社だが、東部海岸線のアメリカの心臓部を走っていないので、バフェットが言うように、貨物鉄道と高速鉄道とは別で、人口密集地の多い日本と違って、米国は十分亜人口密度がなく、建設コストが高くつくので、高速鉄道は発展しないと言う。
   米国では、自動車や飛行機に比べて経済的に勝ち目がなく、事故や故障も多いだろうと言うのである。

   私は、東部しか知らないのだが、自家用車を使わないとすると、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンと言った主要都市間を移動する場合には、アムトラックの特急に乗った方が、飛行機よりは便利だと思う。
   数年前に、ボストン―ニューヨーク間やニューヨーク―フィラデルフィア間を、アムトラックの特急で移動したが、日本よりは、時間的なパンクチュアリティイに欠け、速度が遅いのでイライラすることが多いのだが、特別仕立てのビジネスクラスの列車だと随分快適だし確実である。
   私も、バフェットの言うように、高速列車は、この東部海岸の主要都市を結ぶ程度で、他の路線は、殆ど貨物輸送になるだろうと思う。

   この日経ビジネスの囲み記事で、BNSFのマシュー・ローズCEOが語っているのだが、30年前の鉄道は、製造業中心の国内型経済で、米国内の都市間に原材料や完成品を運ぶことが中心だったが、サプライチェーンの変化で、今では、BSNFの扱っている貨物の大半がグローバル物流だと言うのである。
   海岸線に大都市がある日本では、鉄道とトラックと航空機が、同じ次元で競争が可能であるが、広大な国土のアメリカでは、特に内陸部では、巨大な物流の輸送は、鉄道にとどめを刺すであろう。
   随分昔のことだが、中西部の田舎町で踏み切りに出くわし、たった1台の機関車が、100両以上の貨車を引いており、通り過ぎるのに30分以上も待たなければならなかったことがあるのだが、アメリカの鉄道事業の根幹は、貨車による物流の移動が中心だと言う気がしている。

   日本でも、同じ鉄道事業と言っても、大都市と地方では大いに違うのだが、首都圏などでは、最近、鉄道プロパーの仕事の比重が下がって来ており、駅中ビジネスなど、本業以外の事業の拡大で、鉄道事業と言う括りでは、全く、その企業の本質をつかめなくなってきている。
   更に、人口の減少と都市への集中で、鉄道は、地方では、やはり、ある程度衰退産業化して行かざるを得ず、バフェットの言う鉄道のイメージとは大分違ってくる。
   従って、日本の鉄道事業を考える場合には、サプライチェーンの一環としての鉄道ではなく、JR東日本のように、駅中ビジネスやSUICA関連などの事業など幅広い総合的な観点からサービス産業として捉えなければならないと思っている。
   そうなれば、バフェットの言うように、日本での鉄道事業は、手放しで、優良投資先として脚光を浴びるのかどうかは、一寸微妙なような気がしてくるのだがどうであろうか。
   
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わが庭の歳時記・・・プリンセス・ミチコ

2010年05月28日 | わが庭の歳時記
   この口絵写真の鮮やかな濃いオレンジ色のバラの花は、プリンセス・ミチコである。
   美智子妃殿下として、皇太子妃であった頃に、イギリスのディクソン社が作出して、エリザベス女王が、皇后に捧げたと言われているバラである。
   インターネットで調べたのだが、出てくる写真と大分違う感じで、それらは、もっと花弁が多かったり、色も黄色に近いオレンジだったりしている。
   しかし、この私のプリンセス・ミチコは、デイヴィッド・オースティンのしっかりとしたラベルのついた輸入苗で、間違う筈がない。

   ただ、この苗は、残念ながら、売れ残っていた苗で大分貧弱であったのを、恐れながら、私自身で育てて、来年は立派に咲かせて見せようと思って買った苗であった。
   半八重咲きのフロリパンダと言うことなので、所謂、典型的なふっくらとした八重のバラばかりを育てていた私には、半八重は初めてだったが、フロリパンダなら植えた経験があったからである。

   しかし、途中で、小さな蕾が現れたので、苗の生長には悪いと思ったのだが、そのままにして、咲かせたのが、この口絵写真で、たった一輪の花なので、これが、典型的なプリンセス・ミチコですとは言えないのも事実である。
   中輪の野バラのような雰囲気だが、濃いオレンジの花弁と鮮やかな黄色い蘂が美しい凛とした花で、大株になったら、素晴らしくなるだろうと思う。

   バラのみならず、他の花でも、王室の人々や有名人に捧げられた名前を冠した花が結構あるのだが、正式な公認機関があるわけではなかろうから、その人のイメージに合う花なのかは、微妙なところであろう。
   因みに、同じくディクソン社が1992年に捧げたエンプレス・ミチコは、淡いクリームピンクの半剣弁高芯咲きと言うことで、この方は、普通に見かけるバラの花に近い。

   バラの花の栽培には、やはり、日当たりの良い広々とした空間が必要で、狭くて花木などが込み合った庭では駄目で、もう一度、木々を切り倒して芝庭を広げて、バラの似合う庭に見ようかと思ったりしている。
   
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わが庭の歳時記・・・イングリッシュ・ローズ咲く

2010年05月26日 | わが庭の歳時記
   先月、園芸店で見つけて鉢植えしていたイングリッシュ・ローズのうち、メアリー・ローズが咲き始めた。
   もう、20年以上前に、私が庭にバラを栽培し始めた頃は、四季咲きのハイブリッド・ティーの大輪やフロリパンダの中輪の西洋バラが全盛期で、まだ、庭に十分な空間があったので、大きな穴を掘って10本ばかり、種類や色の違ったバラを植えて楽しんでいた。
   しかし、今では、某園芸店で、京成バラ園からの綺麗な鉢植え苗に混じって、イングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズと言った特定の国をオリジンとしたバラが、かなり、大きな比重を占めていて、デイヴィッド・オースティンやギヨーからの輸入苗が並べられていた。
   そのうち、オールド・ローズを含めて、オースティンの大苗を7本買って来て鉢植えし、枯れ枝を切り捨てた程度で肥培していたので、株が育って花が咲き始めたのである。
   
   フレンチ・ローズではなくイングリッシュ・ローズにしたのは、イギリスに住んでいたからでもあるのだが、当時は、イングリッシュ・ローズとして特別視されていたのかどうか記憶はない。
   今、考えれば、5年間もイギリスに居て、あっちこっち名園や庭園、植物園などを回りながら、それ程、バラに興味があったわけでもなかったので、十分にバラについて学んで来なかったのを残念に思っている。
   近くに住んでいて、会員パスを持って休日などに通い詰めていたキュー・ガーデンのバラ園が、世界最高峰とは言っても、元々高度な学術研究の植物園であり、特に特色があるわけでもなく、かなり貧弱だったので、注意が向かなかったのかも知れない。

   このメアリー・ローズだが、中輪のピンクの綺麗な返り咲きのバラで、半つる性のシュラブ・ローズの花姿と言うことなので、芝庭の真ん中で支柱なしでシュラブ状に育てるか、つるバラとして垣根に這わせれば良いと言うことのようである。
   どっちにしても、今の庭の状態では、今ある花木を移動するか、切り詰めない限り移植する余裕はないので、当分、この鉢植え状態で維持しておこうと思っている。
   
   他のイングリッシュ・ローズは、まだ小さな蕾が出ている程度で、どんな花が咲くかは分からないが、オールド・ローズの方は、マダム・ハーディが真っ白な花を開き、セレスティアルは、蕾が小さなピンクに色付き始めたので、両方とも、一期咲きだが、まともに花が見られそうである。
   この花を見ていると、イングリッシュ・ローズが、オールド・ローズの改良進化型であることが良く分かる。

   皐月が、咲き始めた。
   転居してきて最初に植えた典型的なピンク色の大きな花の皐月なのだが、毎年、季節感を感じさせてくれる常連の花木である。
   留守していた間に、芍薬が咲き乱れている。
   強風に煽られた上に、花の豪華さと大きさに比べて、茎が細くて華奢なので、持ちこたえられずに地面につかんばかりに垂れ下がっている。
   切花にして花瓶に挿そうと思うのだが、小さな蟻が沢山花の中に入っていて、室内には入れられない。
   この芍薬が終わる頃には、ユリの花が咲くであろうか、蕾が大きくなり始めた。

   ミヤコワスレとホタルブクロが、今最盛期で、庭の下草を彩っている。
   その間から、真っ赤な小さな野いちごの実が顔を覗かせている。

   椿の木が、鉢植えも含めて、新芽が伸びて瑞々しい姿に変わって、実に美しい。
   本当は、5月中は水を極力切って、蕾を着けさせるのだが、やはり、鉢植えの椿の新鮮で綺麗な新芽が、水不足で頭を垂れ始めると、可哀想になって水をやってしまっていたのだが、まず、木を大きくすることが先だから、良かろうと思っている。

   ピラカンサの木が大分大きくなって、花がつき始めている。
   以前にピラカンサを庭の角に植えていたのだが、大きくなりすぎて煩くなったので、切り倒したのだが、種が残っていたのか、毎年、どこからともなく芽を出し続けており、ほっておくとどんどん大きくなってしまう。
   歓迎しない木なのだが、今年は、びっしりと花芽がついているので、実を成らせて、その後で切ろうと思っている。
   ヤツデも同じで、根が残っていて、いくらでも伸びてくる。
   それに、小鳥がタネを運んでくるので、庭の各所に小さなヤツデの小苗が生えている。  

   目に青葉 山ホトトギス 初鰹
   の季節で、新緑でむんむんしていて、私の小さな庭も、ジャングルのように鬱蒼と茂り始めた。
   梅雨が明けたら、ばさばさと木の剪定をやろうと思っている。
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トマト栽培日記2010(5)・・・アイコ結果し始める

2010年05月25日 | トマト栽培日記2010
   沢山花がついていたイエローアイコの一番花房の根元あたりから、小さな白っぽい緑色の実が表れ始めた。
   結果し始めたのである。
   昨年は、種を蒔いて苗を育てて、赤とイエローのアイコを植えたので、随分、収穫時期が遅くなったのだが、今年は、よく育った苗を買って植えたので、生育がかなり早い。

   ミニトマトの大きな花房には、沢山の花がつくのだが、アイコが一番順調なようで、昨年などは、一つの花房に20個以上の実が結んで、どの木も、120~30個くらいのミニトマトが収穫できたと思っている。
   アイコやスイートミニ以外に、今年は、他の会社の違った銘柄のミニトマトもいろい植えているのだが、十分に育ってみないと分からないものの、かなり、花着きや成長に差がある感じである。
   今年は、イエローとレッドとピンクのミニトマトが収穫できる予定である。

   ところで、千葉産の接ぎ木ホーム桃太郎が、大玉トマトで一番生育が早いのだが、残念ながら、人工授粉を怠った所為か、結果打率が悪くて、実がつかない花が出てきてしまった。
   アイコの場合も、結果せずに落ちた花(へた)があるのだが、今年は、一寸異常なのであろうか。
   トマトには、あまり関係がないのだろうが、心なしか、先月、暖かくなり始めてからも、何故か、昆虫が少ない感じがしていた。
   ミニトマトの栽培が一番易しくて、次に、中玉トマトで、大玉が難しいのだが、昨年は、全く問題なかったので安心していたのである。
   一番花房が結果すれば、安心なようだが、念のため、植えてあるトマト苗で、咲いている花に、電気はブラシのバイブレーションをかけて回った。

   4日くらい大阪に出かけて家を空けていたのだが、たったの数日なのに、トマトの株はかなり大きくなっていて、強風に煽られて樹形が乱れていたので、一段上に紐をかけるなど固定した。
   わき芽が、結構伸びている。
   このわき芽の挿し木も、相当の数になっており、初期に挿し木したのは、既に、かなり大きな苗木になっている。
   何の苗の挿し木なのか記録も目印もしていないので全く分からないのだが、この挿し木苗は、本葉3枚で、そのすぐ上に花房が着いているので、小さいが立派な苗木なのである。

   ところで、このわき芽なのだが、全く気づかなかったうちに、根元から出ていて既に30センチ以上に育っているものが、3株くらいある。
   花芽も立派についていて、本株とそれ程差がないので、本来は、主株1本仕立てだけれど、今年は、実験のために、残して、2本仕立てに挑戦してみようと思っている。
   昨年、巾着のような形をした大きなズッカトマトを、2本仕立てで育てて、かなり、立派な収穫を得たので、面白いかも知れないと思ったのである。
   
   大玉トマトの株の主柱は、やはり、大きくて重たいトマトをぶら下げる所為か、非常に太くて頑丈であるが、それに比べると、、ミニトマトの株は、はるかに華奢で、その代わり、長く伸びるクライミングの性格があるようである。
   半数以上のトマト苗の一番花房が、結実し始めて、小さな緑色の玉をつけているので、どんな実がなるのか、次の展開が楽しみである。

   

   

   
   
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国立劇場:五月文楽・・・新版歌祭文

2010年05月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の五月文楽の第二部は、人間国宝揃い踏みの近松半二の「新版歌祭文」で、野崎村の段で、住大夫と綱大夫の浄瑠璃を聴き、簔助のおみつが鑑賞できると言う又とない貴重な機会である。
   それに、親久作を玉女、久三の小助を勘十郎、丁稚久松を清十郎、娘お染を紋壽、乳母お庄を和生が遣うと言う望み得る最高の人形遣いの布陣で、正に、熱気むんむん密度の高い素晴らしい舞台が展開された。

   お染久松の話は、私の場合には、東海林太郎の歌謡曲「野崎小唄」の、「野崎参りは 屋形船で参ろ お染久松 切ない恋に 残る紅梅 久作屋敷 今も降らすか 春の雨」から知ったと言うべきだが、この二人の心中話よりも、この文楽を何回か観ていて、作者半二が創作したおみつの方に魅力を感じて、簔助のおみつを楽しみに劇場に来ていると言うのが正直なところである。
   久松の生家が、主家の重宝吉光の刀を紛失して断絶したので、それを取り戻して跡目相続を願い出ると言った話が、この後の「油屋の段」で明らかにされ、結局、「蔵場の段」で取り戻すもののお染久松は心中すると言う筋書きなどは、「野崎村の段」の半二の筆の冴えから言えば、全く蛇足だと思うのだが、今回の舞台も、この情感豊かで実に感動的な「野崎村の段」だけで、十二分であったと思っている。
   尤も、この重宝が盗まれてお家が断絶するなどと言うのは、歌舞伎では常套手段だが、日本のシェイクスピア近松門左衛門なら、もっとすっきりした浄瑠璃を書いていただろうと思っている。

   紋壽の遣うお染は、実に初々しくて大店の箱入り娘と言った風情の魅力的な乙女なのだが、実際には、お染の方が積極的で久松にモーションをかけていたようで、野崎参りに託けて、東心斎橋から野崎村まで久松を追っかけてくると言うオキャンぶりに表れているのだが、恋敵と知って嫉妬する簔助のおみつとの女のバトルが面白い。
   しかし、久松と添い遂げられなければ死ぬと言う一途のいじらしさと恋への激しさが、結局、久松の心を引き摺り込み、おみつを諦めさせて身を引かせると言うことになるのだから、やはり、門左衛門の血を引いた強くて一途の大坂女である。

   一方、おみつの実家、すなわち、久作の方は、主家断絶で預かりの久松を修行のために油屋へ丁稚奉公させており、妻(勘壽)の連れ子のおみつを許婚にして、行く行くは結婚させようとしていたのであるから、偶々、久松が不祥事を起こして返されて来たのを幸い、即刻祝言を挙げようとするのだが、そこへ、お染が転がり込み、話が一転して悲劇に転じてしまう。
   お染久松の恋が激しさを加えて既に離れられなくなってしまっていることを、知らなかった久作とおみつ母子の悲劇と言うか、犠牲の精神が観客の共感を呼ぶので、この文楽の人気が高いのであろうが、祝言を挙げるために花嫁衣裳で登場する筈のおみつが、島田まげを根から切って尼姿で現れると、その哀れさ健気さが観客の胸を打つ。
   お染久松を諦めてくれと説得して、出来た出来たと喜んでいた義父久作とは大違いで、「所詮望みはかなうまいと思いのほか祝言の盃するようになって、嬉しかったのはたった半時、無理にわたしが添おうとすれば、死なしゃんすを知りながら、どうして盃がなりましょうぞ」とかき口説くおみつは、田舎娘でありながら、義理も人情もわきまえた素晴らしい乙女なのである。

   このおみつだが、冒頭、甲斐甲斐しく部屋掃除をしながら、門口で弾き語る繁太郎節を病人の妨げと追い返すところから、久松が帰ってきて喜ぶ姿、久作に祝言と言われて恥らう実に初々しい乙女姿とうきうきしながら化粧をする仕草、お染の登場で揺れ動く女心、そして、最後に潔く髪を切って登場する尼姿等々、簔助の遣うおみつの一挙手一投足総てが実に感動的で、私は、人形とも思えないような繊細で優しい、そして、生身の女優には出せないような人形おみつの至高の芸をじっと凝視しながら楽しませて貰った。
   白髪が目立つようになった紋壽の遣うお染も実に感動的で、おみつを引き立てる一方、久松と二人きりなってからの恋一途に生きる乙女の激しさいじらしさなど、その初々しさは大坂の乙女そのものかもしれない。
   清十郎の優男的な抑えた久松、剛直で一本気で人情に厚い玉女の久作、品と律儀さを備えた和生のお庄などの素晴らしさは当然だが、コミカルタッチで憎めない悪役の小助を遣った勘十郎の卓越した人形の表情の豊かさには脱帽である。

   人形も素晴らしかったが、何と言っても、この舞台で感動的なのは、お染の登場からお染久松の口説きを感動的に語った綱大夫、久作が二人の説得に入って幕切れまでを肺腑を抉るようなしかし実に人間の崇高さと情の豊かさを切々と語った住大夫の二人の人間国宝の絶頂に上り詰めた浄瑠璃の世界を鑑賞できた喜びは何にも変えがたい感動であった。
   
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日経ビジネスは「米国から三行半」と言うが

2010年05月18日 | 生活随想・趣味
   日経ビジネスが、「米国からの三行半」のタイトルで、危機的な状態にある日米関係について特集している。
   サブタイトルを繋ぐと、普天間の陰にもう一つの危機、広がる日米の距離、細る人脈、将来に不安 と言うことになり、オースリンのJAPAN DISSING(日本切捨て)だとか、三行半と言ったところまでは行かないかなり穏健な記事になっているものの、米国の対日観が変わってしまって、米国人の視野から日本が徐々に消えて行き、日米関係がどんどん希薄になりつつあり、それを危機と捉えている。

   このブログで、知日派知識人のケント・カルダーの見解などを紹介しながら、私自身の抱いている日米関係のありかたなどについて、論じて来たが、まず、第一に憂うべきは、日米間のトップクラスの太い人的パイプが消えてしまったと言うことではなかろうかと思う。
   大河原良雄の「日米外交」を読んでいると、日米イコールパートナーシップを国是とした池田内閣当時、安保騒動で生まれた日米関係の亀裂修復のために開かれた第一回の日米経済閣僚会議(後に日米貿易経済合同委員会)には、日本側から佐藤栄作、河野一郎、大平正芳など7閣僚、アメリカ側からラスク国務長官以下5閣僚が出席したと言う。
   ところが、この日米貿易経済合同委員会も、徐々に後退して行き、今日では、極めて軽量級の会合になってしまっていると言うのである。
   駐日アメリカ大使にしても、ライシャワーやマンスフィールド、モンデール、ベーカーと言った超大物が起用されることは、もはや、夢であろう。

   もっと卑近な例においても、アメリカでは、研究所やシンクタンクなどで日本部や日本担当部門が閉鎖されるなど日本ポストが激減しており、大学などで、日本ないし日本語学科の廃止などが相次いでおり、日本を専門に学ぶ機関や学者たちが、どんどん減っていると言う。知日派が減ると言うことは、それだけ、アメリカ人の日本に対する理解が減少して、日米関係が疎遠になると言うことであろう。
   日本においても、この日経ビジネスでも言及しているが、日本から米国へのMBA留学生が激減しており、科学技術は勿論、医学や芸術関係などでも、同じ傾向となっており、日本人の若者の外国留学減少によって、将来、世界トップクラスとの交流の場が先細ることが憂慮されている。

   先日、ウォートン・スクールの同窓会年次総会に出て、新入学生を送り出したが、ひところの大盛況からは今昔の感で、今年フィラデルフィアへ経つのは、ほんの5~6名のようであった。
   私の頃には、政府、日銀を筆頭に、開銀、大都市銀行、新日鉄などのメーカーなどから10数名が留学しており、その後、JAPAN AS No.1の余得で、日本人留学生が激増して欧米のトップ・ビジネス・スクールの大勢力となっていたし、学校も、日本の経営をカリキュラムに積極的に取り入れていた。
   ウォートン・スクールだけではなく、ペンシルベニア大学は、アメリカ最古の総合大学であるので、医学や工学、芸術、経済や法律など色々の分野から日本の学者や研究者、留学生が、フィラデルフィアに来ていて、学んでいた。
   川島教授もペン大に居られたので、秋篠宮妃紀子さまも、キャンパスを走り回っておられた筈で、どこかでお会いしていたかもしれない。

   私は、幸いに会社の理解もあり、出先がアメリカにもあったので、留学中およびその前後に、結構アメリカ国内を移動する機会に恵まれて、経営学の勉強だけではなく、実地にアメリカ社会に触れて、アメリカそのものを学ぶ機会があった。
   その間に、色々とアメリカ関係の本を読んだりアメリカについても勉強したのだが、好きも嫌いも、やはり、アメリカに直に触れて、アメリカが何たるかと言う例え片鱗であっても、空気を吸って肌で感じない限り、分からないような気がしている。

   結構、これまで、このブログでも、辛口のアメリカ論を展開して来ているが、私自身は、大学院教育を授けてくれた恩もあり、一宿一飯の恩義を感じているのだが、それだけではなく、これまでに、世界中の色々な国を回り、色々な国の人々と付き合って来たのだが、日本が生きて行くためには、そして、日本が、このグローバル世界で名誉ある地位を占めたいと思うのなら、日本は、アメリカと誠心誠意付き合うべきだと思っている。
   日米安保(日米同盟と言う方が良かろう)は、日本の安全保障のためだけではなく、日本が、善良なグローバル・シティズンとして生きるための一つの証でもあるような気がしているのである。
   色々問題も疑問も多いし、極めて危険かも知れないが、民主主義や資本主義経済と同じで、最善ではないかも知れないが、アメリカとの関係を正常に維持できないような日本なら、明日は暗いと思っている。
   
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トマト栽培日記2010(4)・・・花が咲き受粉開始

2010年05月17日 | トマト栽培日記2010
   殆どのトマトの苗木に黄色い花がつき、花によっては萎れ始めたので、受粉が始まったのであろう。
   昨年は、何もせずにほって置いても、何の問題もなく結実したので、気にもしなかったのであるが、藤田智先生の本を読んでいると、第一花房に確実に着果させないと茎や葉ばかり茂る「つるボケ」になると書いてあり、一寸気になったが、殆ど後の祭りである。
   如何にも現代的と言うか、電動歯ブラシで良いと言うので、遅ればせながら残っている花に当ててみたら、気のせいか白い花粉が散ったような気がした。

   肥料については、タキイのインストラクションでは、小苗では、花房が着くまで抑えるべしと言うことで、藤田先生の話では、実が大きくなり始めたら急激に肥料を必要とするとことのようなので、当分、肥料入りの培養土に植えつけたのであるから、そのままに放置しておこうと思っている。
   あのトマトの故郷であるアンデス高地は、乾燥の激しい地味の貧弱な荒地と言った記憶しかないので、トマトやジャガイモが、それ程、肥料を必要とする植物だとは思えないのだが、日本のようにジューシィで美味しいトマトを作出するためには、必要なのかも知れない。
   ところで、私のトマトは、肥料過多で葉が巻き上がることもないし、茎も随分太くなり、第2花房も第3花房も、木によっては第4花房まで顔を出しているのもあるので、まず、順調に生育していると思っている。
   先日の雨の所為か、接ぎ木苗のホーム桃太郎の本体の茎の一部が一寸黒ずんだので、細菌系の薬剤散布をしておいたら落ち着いた。

   さて、苗木が生長すると、葉茎の付け根からわき芽が伸びてくる。
   栄養分の分散を避けるためにも、主木一本に絞らなければならないので、見つければわき芽をかくのだが、これが、沢山のトマトを育てていると、結構忘れたり見損なったりして、かなり、大きくなってから気づいてかきとることもある。
   しかし、昨年、このわき芽を挿し木して、根がついて大きくなった苗をプランター植えしたら、正常に育って実がなり摘果出来たのである。
   多少大きくなったわき芽には、もう既に花芽まで表れており、根がつけば市販の苗木とそれ程差がなくて、藤田先生が言うように、種から植えるよりはるかにショートカットで手っ取り早く、それに、クローンなので品質は確定しているので便利である。
   尤も、意図して、わき芽を育てて苗を作るのではなく、偶々の廃物利用なのだが、さて、苗木になったら、どうするか、庭には、既に沢山のプランターが並んでいて、植える場所がなくなってしまったのである。

   遅ればせながら、サントリーのトマト苗が入荷しており、売れ残りでかなり痛んだ苗だったが、だめもとで、ジューシィミニ、中玉のルビーノとバンビを1本ずつ買って来て植えた。
   何故、サントリー苗が、接ぎ木苗でもないのに値が高いのか不思議だが、トマトにもブランドがあると言うことであろうか。
   大分色々な会社の変わったトマト苗を植えたのだが、どんな実が結ぶのか、興味津々である。
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ギリシャの財政危機は対岸の火事か

2010年05月16日 | 政治・経済・社会
   ギリシャの財政危機の端を発して、EUは、財政危機に陥った加盟国向けに7500億ユーロの巨額の金融支援の枠組みを打ち出し、欧州中央銀行もユーロ圏諸国の国債買い入れと言う異例の対策に動いたのだが、一向に収束の兆しを見せず、ユーロは売り込まれ、株は暴落すると言う異常事態が続いている。
   ここでは、この問題に正面から取り組むのではなく、緊縮財政、生活水準の大幅切り下げを強いられたギリシャ人たちの果てしないデモや暴動が、どこか明日の日本人の姿とダブって見えて仕方がないので、何を意味しているのか一寸考えてみたいと思った。
   
   この問題の本質は、ギリシャの財政と経済を立て直すためには、歳出削減か増税以外に道はなく、とどのつまりは、ギリシャ国民の生活を切り詰めて生活水準を落とす以外に方法がないと言うことである。
   為政者の失政だといくら批難して、デモや暴動を繰り返して政府を糾弾しても、とどのつまりは、政府の緊急な緊縮財政政策を国民が飲んで、自分たちの生活を切り詰めて耐乏生活(?)を感受しない限り二進も三進も行かないのである。

   ここから話が飛ぶのだが、このギリシャ人の生活水準の下落切り詰めは、それよりも財政赤字の酷い日本に、そっくりそのまま当て嵌まるのではないかと言うことである。
   日本には、日本経済がこれ以上成長しなくても、国民は十分に水準の高い豊かな生活を享受しているのであるから、このままで良いのではないかと言う人が、結構沢山いる。
   しかし、日本がこのまま停滞を続けて、グローバル経済の成長発展から見放されれれば、ギリシャのように、益々財政が悪化を極めて、早晩破綻状態に陥ることは必定で、デモや暴動を起こして抵抗しても、財政緊縮策を飲むか増税を感受するか、すなわち、自分たちの生活水準を切り下げない限り、他に、財政再建と経済的破局を避ける道はないのである。
   
   何の目算もなく政府の財政赤字がどんどん増加して行き、戦争か徳政令の発令以外に解決の方法がないにも拘らず、日本国内で、国債が無理なく消化され、深刻な財政問題も起こっていないので、政府も国民も太平天国を決め込んでいるのだが、正に、花見酒の経済で、何かの拍子に、日本経済が暗礁に乗り上げたりすれば、一気に国債市場が暴落して、パニックが日本全土を覆いつくすこととなろう。
   その時のハードランディングの被害は、国民生活への打撃はギリシャの比ではなく、グローバル経済を巻き込んで途轍もなく大きくなるので、いわば、敗戦直後の経済生活への逆戻りとなると言えようか。

   今、日本の財政赤字を、僅かだが、少しずつ、見つかった埋蔵金で埋め合わせていると言ったようなことをしているが、このような筍生活のために、日本経済が世界制覇の勢いで驀進してバブル経済で蓄積して来た経済的余裕や蓄積は、もう、殆ど底をついてしまっており、ない袖は振れなくなってしまっている。
   今度は、この高度経済成長とバブル経済で底上げされた国民生活を切り下げて、食い潰して蓄積されてしまった膨大な財政の債務を返済して、経済を正常な姿に戻すことしか、日本が生きて行く道はない。
   政府の仕分けによる無駄の削減は尤もだが、日本政府は、ギリシャと同じように、早い時期に、強力な緊縮財政策をぶちあげて、政府支出に大鉈を振るってドラスティックに切り詰め、増税を強いて国民の生活水準を切り下げて、能力に見合った経済水準に戻すことが必須なのである。

   今の日本は、謂わば、煮え蛙状態にあり、結局、政府の財政悪化が臨界点に達して、国債が暴落して日本経済が壊滅的な状態になるまで、政府も国民も、何の手を打つこともなく、国債の残高が1000兆円を越え、国民資産の1500兆円に近づいて行くのであろうが、実に恐ろしいことである。
   問題を起こしたのは自分たち国民全体であるにも拘らず、また、EU諸国が助けてやるといっているにも拘らず、自分たちの生活水準の切り下げを飲めずに天に唾するギリシャ人の派手な暴動を見ていて、ふっと、バブルに酔って、まだ、その清算を終えていない日本人の明日の姿を垣間見たような気がしたので、書いておきたいと思った。
   
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牡丹が散ればバラが咲き始める

2010年05月15日 | わが庭の歳時記
   私の庭に、華やかに咲いていた牡丹も、1本だけ黄色い花を残して、みんな散ってしまって、一寸変わった風格のある種が残ったのだが、木を育てるために切り落とした。
   牡丹の花は、咲いているときは見事なのだが、最後の散り際が問題で、萎れてちじれた大きな花びらは、如何にも無様である。
   秋に葉が落ちて、新芽が見える頃に、切り戻して来年の花の時期を待つことになる。

   その代わり、芍薬の蕾が大きくなって、色づき始めた。
   牡丹よりやや小ぶりだが、同じような雰囲気の華やかな花なので、来週には咲くであろう、楽しみである。

   庭植えのバラも、鉢植えのバラも、蕾が色付き初めていたのだが、庭のキャプリス・ド・メイアンの花が、まず、一輪開花した。
   先月鉢に植えたイングリッシュ・ローズやオールド・ローズも、花によっては蕾を着けているので、そのまま、咲かせてみようかと思っている。
   オールド・ローズなどは、一期咲きなので、この春しか咲かないので来年まで花を見る機会がないのである。

   今、庭に咲いている花は、ミヤコワスレとシランで、何となく控え目な花姿とその雰囲気が良い。
   年末に鉢に球根を植えたラナンキュラスが、色とりどりの花形で咲き乱れていて、長くピーンと伸びた八重や一重の花弁が、風に揺れる風情など、中々、面白い。
   私には、同じ種類や色の花が整然と規則正しく咲いているよりも、色々なものが雑多に入り乱れて咲いている無秩序な方が、趣味に合っているようである。

   ホタルブクロの蕾も紫色に変わってきたので、もうすぐ、咲くのであろう。
   フェジョアの蕾もはっきり現れてきた。この花だけは、やはり、南半球の花で、ブラジルを思い出しながら、毎年、楽しみに待っている。
   ブルーベリーの花が大分散って、少しずつ実を結び始めた。

   先日蒔いた朝顔が芽を出し、双葉も大きくなったので、3号ポットに移植した。
   小さな鹿沼土に蒔いたので、白い髭根が露出したままだが、そのまま、草花の培養土に毎年植えていて、しっかり着くので、本葉が出て弦が伸び始めたら、庭に移植することにしている。

   沈丁花と椿の枝を、数日メネデール液につけていたので、挿し木をした。
   本当は、もう少し待って、入梅前に挿し木をするのが良いのだが、中には、気温に関係なく、涸れなければ冬に地面に挿し木しても十分につくこともある。
   沈丁花は、根が荒いので移植は難しいが、挿し木をすれば殆ど着くので楽である。
   椿は、エリナやフルグラントピンクなど小輪の挿し木を試みることにした。
   椿は、種を蒔くと、雑種交配が普通なので親とは違った花が咲き、それに、花を見るまでに随分時間が掛かるので、挿し木の方が手っ取り早くて良い。
   
   昔、ピンクのペチュニアをプランターに植えて、二階の窓辺の花棚に置いて楽しんでいたのだが、今回は、庭先の縁台に置こうと思って、サカタのリリカシャワーと言う小型のミリオンベルのような苗を買って来て植えてみた。
   結構、大株になって長い間楽しめるのだが、上手くこまめに花がら摘みや切り戻しをしないとだれて醜くなるので、気をつけなければならない。
   しかし、この手の花は、気づかない内に、最近、随分色々な種類の新種が生まれていて、今、園芸店の花棚を賑やかに占拠している感じである。
   
   私の住んでいるこの住宅街では、ずっと以前に、庭いっぱいに草花を植え、それでも足りずに、玄関口から駐車場まで、家の周りを、花で埋まってしまうほど季節の草花を植えて楽しんでいる家が何軒かあったのだが、何故か、この頃は見なくなってしまった。
   世話をしていた主婦が歳を取って手におえなくなったのか、時代と趣味の変遷なのか分からないが、一寸寂しいような気がしている。
   
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宮脇昭著「三本の植樹から森は生まれる」

2010年05月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   本物の森、すなわち、その土地本来の「ふるさとの木によるふるさとの森」を、日本のみならず世界中に蘇らせようと、1700箇所4000万本の木を植えた植物生態学者宮脇昭教授の新著が、この写真満載のポケットビジュアル「三本の植樹から森は生まれる」。
   この奇跡の森林再生の宮脇方式については、これまでにも、このブログで紹介した事があり、私自身は、宮脇教授のこの本物の森造り運動には痛く感激している。
   地球温暖化や環境問題で騒がれているのだが、そんな世俗的な運動や議論とは超然として、地球環境本来のエコシステム、それも、人類の発展の美名のもとに破壊し尽くされてきた地球そのものが最も望んでいる本物の森を再生して回復しようと、日夜、日本中は勿論世界中を走り回っているのだから見上げたものである。

   宮脇先生の森は、いわば、鎮守の森で、地震や風水害で無残に崩れ去り赤土を曝け出す安物の針葉樹の森ではなく、過酷な自然災害にもびくともせず、人のいのちと遺伝子を守ってくれる日本本来の森なのである。
   主木であるシイ、タブ、カシ類の常緑広葉樹の照葉樹林で、その下には、亜高木のヤブツバキ、モチノキ、シロダモ、その下の低木層には、アオキ、ヤツデ、ヒサカキ、林床には、ヤブラン、ベニシダ、ヤブコウジ、テイカズラなどの草本植物が群生する立体的な多層群落であり、あらゆる環境保全や防災機能に優れていて、一切維持管理メインテナンスは
不要だという。
   日本の雑草は、ネザサ以外は殆ど外国からの帰化植物で、日本本来の本物の森には、入ってくることはないと言うのである。

   世界中の原始の森、土地本来の森は、世界中から殆ど消え去ってしまっているのだが、このその土地本来の森を自然の遷移に任せて造るならば、「クレメンツ遷移説」によると、裸地から本来の森になるのに日本の国土でも200~300年掛かると言われている。
   しかし、宮脇方式は、どんぐりや種を蒔いてポット苗に育てて、その潜在自然植生の根群の充満したポット苗を混植・密植すれば、後は自然の管理と自然淘汰に任せれば、15~20年で、高木・亜高木・低木やさまざまな植物で構成する立体的な強い常緑広葉樹林の本物の森が生まれ出でるのである。
   そんな森が、日本のあっちこっちで生まれており、広い敷地がなくても、ほんの1メートルの幅があれば、それなりの本物の森が造れるのだと宮脇先生は言う。

   宮脇先生は、本物の森を再生するために、世界中どんな所をを回っても、徹底的にその土地の植生調査を実施して、殆ど消え去ってしまった本物の森の姿を追跡して描き出して、種を植えてポット苗を育てて宮脇方式で、土地本来の森を再生するのである。

   さて、ここで、この本で宮脇先生が説いている森の話の中で、私にとって示唆的であったいくらかの指摘について記しておきたい。

   長い人類文明の中で、現代はまさに物質文明で人類の絶頂期にあるが、長いいのちの歴史を見れば、生物社会では最高条件はむしろ危険な状態で、恐竜やマンモスなどの絶滅がこれを示している。
   長続きするエコロジカルな最適条件は、すべての条件が満たされる手前の、少し我慢を強いられる状態のことをいのちの歴史は示している。
   心のゆがみ、人間関係のひずみ、動物の社会でも見られないような家族間の悲惨な事件が跡を絶たないが、人々が感じている豊かさの中の漠とした不安は、最高条件のもたらす危機を生物的本能で感じ取っているのではないかと言うのである。

   小松菜や二十日大根の種を蒔く場合、まばらにポツンポツンと植えるよりも、密植・混植した方が生育が早くて良い。「密度効果」と言うようだが、個体間で競争が起きた自然淘汰の結果だ。
   生物社会では競争を通して発展する。互いに激しい競争をしながら、夫々の種の特性に応じて精一杯生き延び、結果的には、お互いに我慢しながら他の個体や種類と共存させられている・・・これが自然界で40億年続いてきた生物社会の掟なのである。
   移動能力のない植物の世界は、正に、命がけだが、このシステムに動くという要因を入れれば動物集団で、また人間特有のいやらしさ、へつらう、にくむ、あざむく、うらぎるなどの感情を入れれば人間社会と同じだと言う。
   
   もう一つ面白いのは、ヤナギやハンノキなどは、枝を切って挿しただけで芽が出てつくのだが、植物の世界では、簡単に芽が出るものは長持ちしない。
   本命のいのちを守る木はやや大器晩成で、どんぐりから苗を育てて植えると確実に育つという。
   しからば、挿し木だけで、クローンとして生き延びてきているソメイヨシノは、やはり、心配されているように、いつか、消えて行くのであろうか。
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五月花形歌舞伎・・・染五郎の「熊谷陣屋」と海老蔵の「助六由縁江戸桜」

2010年05月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎座が閉鎖されて、松竹の歌舞伎公演が新橋演舞場に移ったのだが、櫓は勿論、垂れ幕や看板や提灯などの外部装飾が外されて、古い歌舞伎座の建物が丸裸となって眼前に晒されてみると、夢の跡と言う感じがする。
   それに、見慣れている筈の新橋演舞場の舞台も、幕開けが、若手主体の花形歌舞伎となると、何故か、一気に歌舞伎座の舞台との落差が大きくて、歌舞伎座の歌舞伎は、やはり、終わってしまったのだと言う戸惑いを感じたと言うのが正直な感想である。

   実際にも、熊谷陣屋や助六由縁江戸桜と言った先月の最後の歌舞伎座公演で人気を博した名舞台が展開されたのだが、演じた役者が、一挙に一世代若返った所為もあってか、それなりのエネルギーと迫力は感じたのだが、歴史と伝統に培われた歌舞伎の醍醐味と言うか奥深さを味わう喜びにはやや欠けていたような気がする。
   特に、連続して観ている「助六由縁江戸桜」においては、歌舞伎役者の芸の蓄積・経験が、如何に役者を育み、芸の深化と舞台の豊かさ素晴らしさを生み出す源泉になっているかが良く分かった。
   例えば、海老蔵の助六は、恐らく、実際と思しき助六のイメージにより近いと思うし、はちきれそうな艶のある色男の魅力は抜群なのだが、しかし、同じ粋さ加減でも、助六の男伊達としての美学なり人間的な表現の広がりと奥深さと言うか、その滲み出てくるような男の魅力においては、團十郎の方がはるかに勝っており、これは、正に、芸の差、年論の差であろうと思う。
   このことは、白酒売新兵衛の染五郎に対しても言えることで、上手く演じているのだが、菊五郎や梅玉と比べると芸の奥行きと言うかその差の大きさは如何ともしようがないような気がする。

   この助六で興味深かったのは、三浦屋格子先だけではなく、水入りまでの舞台が演じられ、久しぶりに、助六が、意休を切り倒して名刀友切丸を取り戻し、追っ手からの逃げ場に困って、天水桶の水の中に隠れると言う派手な幕切れを観たことである。
   このあたりの海老蔵は、やはり、水も滴る良い男である。
   この助六の舞台で、若い俊英役者を支えて好演していたのが、揚巻の福助、意休の歌六のベテラン役者で、特に、母親の曽我満江を演じた秀太郎の格調のある名演が光っていた。
   
   一方、「熊谷陣屋」の方だが、こちらの舞台は、染五郎の骨太な役者ぶりを始めて観たような感じがして、その心境の著しさに、やや、感動しながら楽しませて貰った。
   初代中村吉右衛門の熊谷を、先代幸四郎、父親の当代幸四郎、叔父の吉右衛門と言う系譜で芸の伝統を継承して来た結果の染五郎の熊谷であるから、正に、注目に値するのだが、幸四郎とも吉右衛門ともやや違った不思議な魅力を感じさせる熊谷で、まだ若くて洗練さには欠けるが、何か一風変わった新鮮な熊谷像を観た感じがしたのである。
   本人にしてみれば、まだ、高麗屋の熊谷をなぞっただけの演技であろうし、幸四郎や吉右衛門が築き上げた熊谷像の高みまでには、二人からまだまだ血の滲むような薫陶を受けなければならないのであろうが、今回の熊谷で、染五郎の目にも、弁慶や由良之助や松王丸が見えて来たということでもあろうと思う。

   綺麗な女形も、近松のがしんたれの優男も、龍馬も、アマデゥスも、兎に角、古典から新作まで歌舞伎の分野を殆どカバーし、西洋演劇等々幅広い芸域を器用にこなすスーパースターと言うべき染五郎に、新境地が加わったと言う感じがして、次への飛躍が楽しみでもある。

   この舞台の義経を演じた海老蔵は、実に颯爽としていて、これまで見たどの役者の義経よりも匂うような品格と優雅さが滲み出ていて美しく魅力的であった。
   しかし、その凛々しさと格調の高さだけが目立ち過ぎて、義経の指示で、自分の一子小太郎を敦盛の身代わりとして殺害せざるを得なかった熊谷の苦衷と出家と言う深刻さに対する思いやりの姿勢に欠けていたと言うのは酷であろうか。

   さて、この歌舞伎「一谷嫩軍記」だが、前の「組打」では、平家物語の「敦盛の最後」のとおりに敦盛の討ち死が演じられるのだが、この「熊谷陣屋」で、作者の創作が入って、実は、敦盛は後白河法皇のご落胤で、義経の命で敦盛を討てと言う命令と同時に命を助けよと言う命令も出ていて、結局、熊谷は、自分の子供小次郎を身代わりに殺すと言うことになっており、その確認に義経が首実検をすると言う残酷なストーリーになっているのだが、熊谷の出家への動機がより明確になるものの、一寸やりすぎだと思っている。

   私は、京都での大学生の頃から平家物語(古文)を愛読して故地を歩いてきたのだが、この第八十九句の「一の谷」のところに来ると、特に、平家一門の末路の中でも、感慨深くて、剛直な関東武者と文化人としての平家の武将との対比を描きながら、諸行無常を語る琵琶法師の切々とした語りが聞こえてくるようで胸に詰まりながら読んだものである。
   冒頭、箙に一首を結びつけて討ち死にした平家随一の文化人で文武両道の達人であった薩摩守忠度の最後が描かれていて感動を呼ぶ。
   後半に入ってから、熊谷と敦盛の組打が描かれているのだが、組み伏せた若武者が、薄化粧をしてお歯黒をつけた美少年であることを知った熊谷が、年端も同じ手負い傷を負って瀕死の状態であった実子小次郎のことを思い出して、助けてやろうとするが敦盛がそれを許さず味方の勢50騎が駆け込んできたので仕方なく首をかく模様が描かれている。これが、熊谷が、母親の藤の方(松也)に敦盛の最後として語り聞かせる物語である。

   ”御首をつつまんとて、鎧直垂をといて見れば、錦の袋に入れたる笛を、引き合わせ差されたり。”この笛が「小枝」で、「陣門」の冒頭のシーンで、平家の城より聞こえてきた管弦の主が敦盛だと分かる。
   ”東国の武者幾千万かあるらめども、合戦の場に笛持たる人、よもあらじ。何としても、上臈は優にやさしかりけるものを”と、義経に見せて語ると、皆涙を流したと言うことで、これが機縁となって熊谷の出家の志が強くなったと、平家物語は語っている。
   
   更に、平家物語では、熊谷は、夜もすがら敦盛のことを嘆き悲しみ、親の嘆きを思って、敦盛の首と、最後の時に着ていた衣装や鎧など一切を笛も残さず取り揃えて書状を書き添えて、修理大夫に送り届けており、大夫からも丁寧な礼状が返ってきたのを語っていて、その心の交流に涙を誘う。
   私の言いたかったのは、この歌舞伎のように、敦盛を後白河法皇の落胤にして義理人情に雁字搦めにしてどんでん返しの物語にしなくても、平家物語をそのまま舞台に乗せた方が良かろうと言うことである。
   尤も、これは上方発の浄瑠璃からの義太夫狂言だから、仕方ないのかも知れないのだが、歌舞伎には、実は、と言うどんでん返しが多いのだが、外国の戯曲はどうであろうか。

   
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マクロ経済のコンセプトのない民主党の経済政策

2010年05月10日 | 政治・経済・社会
   民主党の経済政策の中で最大の懸念事項は、これまでの民主党はマクロ経済について、殆ど議論してこなかったことである。
   民主党は、日本の潜在成長力がどのくらいあって、その成長力を更に高める必要があると思っているのであろうか。民主党には、マクロのコンセプトがないから、名目GDPが何%成長するのか分からないので、税収の見通しが立たず、財政の再建の方針も立てられない。と説くのは、竹中平蔵教授である。

   民主党は、子供手当ての支給を筆頭に家計部門への移転所得によって需要を喚起して、経済を浮揚させようとしているのだが、確かに、世界中で、大幅な需要不足による需給ギャップの拡大が深刻な問題を惹起しており、ケインズ経済学の復権が話題となっていて、良きタイミングでもあろうが、この民主党の経済政策の多くは、殆ど、経済浮揚の効果は希薄で、ミクロ面からの企業の成長戦略さえ議論されることが少なく、経済成長から見放されてきた感じである。
   しかし、経済不況の長期化による税収の大幅下落によって、財政収支が極端に悪化し、国債発行による収入が、税収を大きく上回り初めて、プライマリーバランスの回復など、夢の夢となってしまっている。
   更に、大きな政府を指向してばら撒き政策を推進しようとしているのであるから、更に、一層財政の建て直しから遠ざかり、国家財政の赤字が拡大して行き、正に、奈落の底へ突き進んで行く勢いである。

   将来的には、この政府部門のマイナスの貯蓄、すなわち、積み上がった政府の借金(882兆円)は、国民への課税で補填する以外に方法がない。
   益々、経済が疲弊して困窮の度を増す国民が、ヨーロッパ並みの10%や20%台の消費税に耐えられるであろうか。
   40兆円以上の国債と、30兆円もの地方債を今後も続けて行くと、毎年70兆円もの借金が積み重なって行くことになり、公共部門の借金は、5~6年で、愈々、国民の金融資産の1500兆円と言う金額を越えてしまう。
   課税の際の裏づけとなる資産を越えてしまうと、心理的なものも含めて国債に対する信頼が揺らぎ始めて、ギリシャどころか、日本の国債が大暴落して、円売りを惹起して円安となり、日本経済は壊滅的な打撃を受けることとなる。
   鳩山政権で、最も深刻な緊急事は、普天間問題ではなく、日本経済の将来とその再建なのである。

   公共部門の借金が止まることなく増加を続けて行けば、恐らく、唯一の頼みであった筈の国民の金融資産1500兆円を越える前に、一気に国民の危機意識に火が点き、国債が一挙に暴落して紙くずになると考えてもおかしくないのではなかろうか。
   今の、マクロ経済のコンセプトを欠いた民主党の成長戦略なき経済政策を続けて行く限り、プライマリーバランスの回復は不可能であり、既に、先が見えているとしかいいようがないと言う気がしている。

   竹中教授は、日本経済は依然として強い経済的潜在力を持っている。技術も資本も人材も、国際的に見て、その水準は高い。改革を実行すれば、厳しいグローバル競争の中で勝って行ける、と優しいことを仰る。
   日本は、今、その岐路に立っているとして、先日紹介した5つの経済改革を提案している。
   バランス的にちぐはぐだと思うが、法人税の減税や、農地法の改正や、羽田空港拡張・国際化・オープンスカイ、東大の民営化などの提案は良く分かるのだが、その程度の改革で、老衰し切った日本経済が上向くとは思えないし、いくら、デフレは駄目だと言っても、インフレターゲット論などが日本経済に機能するのであろうか。
   インフレを起こして、国債の借金を希釈化したい政府のためには好都合であろうが、一旦、インフレが起これば、経済成長に見放された生活者としての国民にとっては苦痛以外の何ものでもない。
   
   
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トマト栽培日記2010(3)~花が咲き始める

2010年05月09日 | トマト栽培日記2010
   最初から追跡しているイエローアイコの一番花房も大分成長して、花が咲き始めた。
   黒いゴマ塩のような三番花房も見え初めて、背丈も優に40センチを越えてきた。
   別のイエローアイコの一番花房は、二股に分かれて、それが又分かれて30個以上の花の蕾をつけており、いくらミニトマトと言っても一寸異常な数なのだが、第二花房が、本来なら、葉っぱを三枝置いた上に着く筈が、五枝も越えた上に着いており、これで調整が取れているのかもしれないので、落果すればそれで良しとして、このまま育ててみようかと思っている。

   普通の赤いアイコの方の苗も、イエローを少し遅れて追っかけて、順調に成長し花房も大分充実してきている。
   桃太郎などの大玉トマトの苗の方が、花が咲くのが早いようで、実を充実させるためもあって、花房の蕾の数を3つか4つに抑えて、残りは摘み取っている。

   四月の寒波で、白い斑点が出た葉っぱも、その後成長するにつれて吸収した感じで目立たなくなり、苗の生育には殆ど被害がなかったようなので安心した。
   兎に角、梅雨に入ると、露天で植えているトマトには、条件が悪くなるので、それまでに、出来るだけ株を充実させておきたいと思っている。

   5号ポットに仮植えしたタキイ苗の桃太郎ゴールドが、かなり成長して第一花房に花芽が着いたので、プランターに植え替えた。
   6本のうち、やはり、成長が遅れる苗があり、1本だけは、まだ、ごま塩くらいの花房なので、そのままにして待つことにした。
   園芸店で、タキイのミニトマト千果を見つけたので、花芽の着いたしっかりした苗を2本買って来て、プランターに植えた。
   都合、タキイの苗は10本植えたことになるが、総て、接木苗で、その分、苗の単価は高くなっている。
   今頃になって、サカタからのアイコの接木苗が出てきたのだが、既に、別会社の実生苗で立派に育っているので、今回はパスすることにした。

   ところで、料理用のイタリアやフランスのトマト苗を探したが、今年は、何故か、デルモンテのイタリアン・レッドだけしか店頭には出ておらず、総て、日本トマトの苗木ばかりであった。
   昨年は、南フランスやイタリアの珍しいトマト苗が沢山出ていたのだが、売れなかったのか、今年は、今のところ、私の行くユニディにもケイヨーD2にも出ていない。
   去年は、かぼちゃのような形をしたズッカや、細長いサンマルツァーノなどを育てて気に入っていたのだが、何故か、今年は、サントリー苗が少なかった所為か、料理用の南欧のトマト苗がなかったので、イタリアン・レッドだけにして2株植えた。

   もう一つ、南欧トマトに拘ったのは、マウロの地中海トマトと言うタイトルのついたミニトマト、ルージュ・ド・ボルドーとピッコラ・ルージュを試みてみようと思って、花房の着いているしっかりした苗を一株ずつ買って植えてみることにした。
   トマト苗も随分な数になってしまったが、とにかく、これから、どんな苦労に遭遇するかは分からないが、色々なトマトが実るのを楽しみに頑張ってみようと思っている。

   ところで、今回、園芸店に何度か通ってトマト苗を見ながら色々面白い経験をした。
   老夫婦の客が、店員に、例えば桃太郎トマトの苗の値段が、夫々の苗で随分値開きが大きいのだが、どう違うのかと聞いていた。
   園芸店が、農家に実生苗を栽培させたのだろうと思われる苗は、1本68円なのだが、接木苗になると198円くらいになり、名のある種苗会社の接木苗になると298円くらいになり、更に、TVに出たとか、何か知らないが有名な苗になると300円台に跳ね上がる。
   何のことはない、実生苗だと比較的安いのだが、それでも、デルモンテやサントリー苗などでは、300円くらいするし、タキイやサカタなどは、それなりの値をつけるのは、総て接木苗でありしっかりしている。

   私の経験では、しっかり充実した花房の見える苗を選ぶことが第一で、それ以上にどう育てるのか栽培そのものの方が問題で、苗の値段にはあまり関係ないような気がしている。
   高いトマト苗でも、30センチ以上に徒長しているにも拘らず、花芽さえ見えない苗もあり、黄色い花をつけながらも売れ残って地面を這っているような苗もあり、結局、涸れかけ寸前になって、100円以下で叩き売られているのだが、やはり、苗は、店頭に出た瞬間の新鮮な充実した苗を選ぶに越したことはない。
   要するに、花と同じで、売れない分を見越して高く値をつけると言う値付けが悪くて、その悪循環で、多くの苗を廃却していると言うのが実情ではないかと思う。
   すぐ、売り切れて品薄になって困ると言った商売をしない限り、園芸ファン、ガーデニング好きを、何時まで経っても育てられないのではないかと思っている。

   
   
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竹中平蔵著『「改革」はどこへ行った?」

2010年05月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   民主党政権になって大分時間が経過して、その政権交代が何だったのかがようやく分かりかけてきた時期に、丁度、その政権交代の初期に書いた竹中平蔵教授の「改革」はどこへ行った?を読んだ。
   同じ時期に竹中教授の講演を聞いて、その感想を、このブログで書いた記憶があるのだが、もう一度、改めて、竹中教授の経済論について考えてみたいと思ったのは、日本経済の将来については、私自身、教授の考え方と殆ど同じで、経済成長がなければ、日本の未来の展望は極めて暗いと言うことを、これまでも論じて来たし、民主党政権の経済政策の無策振りを見ていると、益々、そう実感せざるを得ないからである。

   冒頭、もはや経済大国と言えなくなった日本経済の迷走が始まったとして問題提起し、結局、私たちの社会は、健全な経済成長なくしては、安心安全も、所得配分も、個人の幸せに繋がる様々な問題も解決できないと説く。
   「成長はすべての矛盾を解決する」と言うチャーチルの言葉が、成長期の日本にはそっくりと当て嵌まり、日本経済の潜在成長力が高かったお陰で、政策能力が低くても、多くの問題を積み残して突っ走ってきても蒸発してくれたが、もはや日本経済が右肩上がりではなくなってしまった今日、自らが主体的に経済成長を策して問題を解決して行かない限り明日はないと言うのである。

   政策には、Policy to help と Polocy to solve との二種類あって、日本は、地方交付税や雇用調整交付金などと言った助ける政策ばかりに頼る傾向が多くて、国際競争力や経済成長力を高めたり、根本的な問題を解決しようとする政策が希薄で、公共事業やばら撒きのヘルプ政策を続けてきた結果が、1990年代の失われた10年だったと言う。
   Policy to solveは、効果が出るまでに時間がかかり、既得利権を持った抵抗勢力と戦わなければならず大変である。特定の利害・利益集団、族議員、官僚が結びついた鉄の三角形の抵抗にあって前に進まず、政治も安易なPolicy to helpに流れてきたのだが、果たして、民主党の脱官僚も「官僚に依存しない脱官僚」になれるのか、あやしいとも言う。
   市場原理主義だとか新自由主義だとか揶揄されたのが、相当頭に来たのか、小泉総理に、「総理、新自由主義で!」と言った覚えはないと言うのだが、どこから見ても、竹中経済論は、リベラルな厚生経済学から程遠く、サプライサイド指向であり、競争と市場メカニズムをより高く評価する新古典派的な市場主義者であることは間違いない。
   しかし、インフレターゲット論をぶち上げているのだから、実際は、ご本人の言うように、是々非々主義のレオポンなのかもしれないとも思う。

   派遣などの非正規雇用に対する規制を強化すると、日本の正規雇用は守られ過ぎており、そうでなくても規制が多くて、法人税も高いので、日本の有力企業は日本を出て行く。   産業が弱体化し地方が疲弊し、日本経済が弱くなったから失業が増え、格差が拡大したのであって、政策の基本を、経済を強くし成長させることにしない限り、根本的な問題の解決にはならないとする。
   世界の時価総額100位以内に入る日本の大企業がたったの2社しかなくなってしまったと言う日本企業の弱体化と、政府におねだりするようななった経済界の凋落振りを竹中教授は嘆いているが、やはり、政策後進国と言う政府の経済産業政策の無策振りと、Policy to helpの害毒の成せる業なのであろうか。
   
   サプライサイドだと言われた竹中教授は、この本では、日本経済の再生を図るためには、供給力を高める政策を行いながら、その一方で、潜在的な需要を顕在化させる政策も実施することで、必ず供給サイドと需要サイド両方の対策を講じなければならないと書いている。
   供給力を強めるためには競争政策を強化することで、規制緩和が必須。新しい事業やプロジェクト、ベンチャー企業が現れ、イノベーションを起こすことが必要で、そのためには、この分野にリスクマネーが回る仕組みが必要で、金融を今以上に競争的にすることだと、シュンペーターばりのイノベーション論を展開している。
   需要を増やすためには、必要な規制緩和の枠組みを作ることだとして、有望な医療、介護、年金、教育のいずれの分野を見ても規制の固まりだと糾弾する。
   行動すべきは、規制を緩和して、需要が現実のものとして表に出てくるようにすることで、国が管理している部門に、非常に大きなな需要が潜んでいると言う。
   兎に角、規制緩和、規制緩和で、利権を死守しようと抵抗を続ける官僚に対する竹中教授の攻撃批判は止まるところを知らないほど激しい。

   竹中教授は、強い経済を実現するための提案として、これが小泉政権の郵政民営化に当たるセンターピンだと、次の5つを挙げている。
   法人税減税、ハブ空港・オープンスカイ、東京大学民営化、農地法の改正、インフレ目標。
   非常に興味深い指摘であり、他にも、マクロ政策なき不毛の経済成長論や重税国家となる心配など鳩山政権のアキレス腱などについても健筆を振るっていて興味深いのだが、次の機会に譲りたい。
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真夏のような季節変化に驚いたわが庭の花々

2010年05月06日 | わが庭の歳時記
   5月に入ってから急に暑くなった感じで、ゴールデンウィークは、全くの行楽日和の晴天の日が続き、4月下旬の一時期の冬に逆戻りしたかのような気候とは様変わりである。
   私の庭で一挙に様相を変えてしまったのは、牡丹が総て一度に咲き、逆に、咲き乱れていた美しいチューリップが、大開となり、強い風邪に打たれた所為もあるのだが、無茶苦茶に花姿を乱して、茎が地面を這ったり、茎が轆轤のように曲がったり、花びらが乱れたりで、この口絵写真は少し前の雨の日のチューリップなのだが、アクロバットのような花になってしまった。

   牡丹は、チューリップと違って比較的花の命は短くて数日で駄目になってしまうのだが、やはり、その寿命は花びらの厚さにあるような気がする。
   薄くてか細い感じの花弁は、太陽に照り付けられると、水分が取られて日中は涸れたようになり、そうでなくても、結構、早く弱ってしまって、花びらが落ちてしまう。
   本当は、上野の東照宮や鎌倉の八幡宮のぼたん園のように木陰に植栽したり唐傘をかけるなど工夫をすべきなのであろうが、私の庭では、そんな贅沢は出来ない。
   咲き乱れていて美しいのは良いのだが、勿体無いので、切花にして大きな花瓶に無造作に生けてみたら、これが、実に豪華で華やかなのである。
   黄色の牡丹は、中々木も大きくならずに、花も大体小型なので底辺を飾るのだが、普通の生花と違って、花瓶に、赤やピンクや紫などの大きな牡丹の切花だけを、何本も差し込むだけなのだから、床の間やテーブルの雰囲気が一挙に変わって華やかこの上もない。

   私の庭には、何となく一年中、何らかの草花や花木の花が咲いていて、家内は本格的だとしても、私の方は、我流で、その時々に気に入った花瓶に、その時々の切花を生けて楽しんでいる。
   これまで、内外を問わず、旅の途中で手に入れた花瓶や花立が結構あって、それを使っているのだが、時には、そのマッチングが面白い。
   本当は、生花などの勉強をしていて、その素養があれば良いのだが、あくまで、花をめでる楽しみは我流だが、これまで、随分、世界各地の植物園や美術館・博物館、宮殿や古城、あるいは、日本の古社寺などを回って来ており、そこで随分花を見る機会があり、見た花々の佇まいや風景、美術品の数々が参考になっているのではないかと思っている。

   庭の花で役に立ったのは、先日、娘が着物を着る機会があり、百貨店などあっちこっちを探して髪飾りを探したのだが、気にいるものがなくて、着付けの先生に、生きた花束を使ってブーケ風に設えたらとアドバイスを受けた時のことである。
   私は、あっちこっち庭を探したのだが、何が良いのか分からない。
   結局、娘が気に入ったほんのりとピンクの模様が浮いた小型のチューリップを基調に、同じ大きさの鮮やかなピンクのチューリップに、先が薄いピンク模様に浮いたすずらんのように垂れた白い極小輪の花弁と鎖のような葉をつけたエリナと言う椿を二茎、それに、スノードロップ数輪、コデマリなどをアレンジして、家内が小さなシックな花飾りを作り上げた。
   勿論、私にとっては、何よりも美しくて素晴らしい髪飾りであり、好評だったので娘たちも満足してくれ、わが庭も捨てたものではないと思った。

   陽気が良くなったので、あさがおの種を蒔いた。
   毎年蒔いているのは西洋朝顔の種だが、それに、スーパーカラフルあさがおと言う新世代の面白そうな種を売っていたので、これを蒔くことにした。
   種の袋にはカラフルなあさがおが描かれているのだが、どんな色の花が咲くのか植えて咲いてみないと分からない。
   大体、期待したような花が咲くことは少ないのだが、無造作に庭木の根元に移植して、庭木を一気に這い上がらせて咲かせるので、気にはしていない。

   西洋あさがおは、何故か、アメリカやヨーロッパに住んでいた時には、見かけた記憶はないのだが、帰って来てから、一つの房から何本も花が咲くのが面白くて、ずっと、植え続けている。
   何故か、取った種からの発芽率は極めて低いので、毎年、新しい種を買って来て植えている。
   あさがおも凝れば栽培も大変なのであろうが、庭木を這い上がらせるのには、造作もない。
   クレマチスも、同じように庭木を這い上がらせているのだが、あさがお同様、支柱がどうだと言い始めると栽培が億劫になるので、この栽培方法が、私には一番似合っていると思っている。

   庭の雑草やスミレの花の間から、黄色い野いちごの花が咲き出してきた。
   このスミレと野いちご、それに、露草だけは、雑草だが、うるさくならない限り、そのままにして、風情を楽しんでいる。
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