熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

シャクヤク咲き始める、椿:ダローネガ、唐錦

2023年04月27日 | わが庭の歳時記
   ぼたんに遅れて、シャクヤクが一株咲き始めた。
   ぼたんのように木ではなくて、春先にどこからともなく芽を出して咲き出してくれるので、場所を取らなくて手軽であるのが良い。
   
   
   
   

   椿の季節は殆ど終ってしまって、咲き出したのは、ダローネガと唐錦、
   ダローネガは、アメリア生まれの黄色い椿で、インディアン語で黄金とか、ホンノリとしたクリーム色がかった淡い黄色が美しい椿で、寒さに弱い中国の黄色い椿と違って、普通に庭植えで咲いてくれるのが嬉しい。
   千葉の庭で、金花茶を何度も庭植えして、枯れさせてしまったので、鎌倉でも控えている。
   
   
   

   唐錦
    唐織りの錦のことで、紅色のまじった美しい模様をしているので、紅葉や花などにたとえて用いられると言う。
   まだ、咲き続けている椿は卜半、花付きが良くて元気な椿である。
   殆どの椿は、筍芽が新芽に変わり始めると、咲き残った蕾を落として新陳代謝である。
   一回り大きく伸びると、6月初め頃から、花芽がつき始める。
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミッション・エコノミー・・・MMTとステークホルダー経営

2023年04月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日レビューしたマリアナ・マッツカートの「ミッション・エコノミー:国×企業で「新しい資本主義」をつくる時代がやってきた」について、アポロ計画について書いたが、もう一つ興味を持ったのは、マッツカートの記述で、MMTとステイクホールダー経営を当然のこととして受け止めていることである。
   とりたてて取り上げることではないかも知れないが、本論でのマッツカートの主張を殆ど容認するとして、この2点は、私が学んでいた頃の経済学なり経営学とは、真っ向から反対の理論なのである。

   まず、「現代金融理論 Modern Monetary Theory」、
   ステファニー・ ケルトンの「自国の通貨を持つ国家は、債務返済に充てるマネーは際限なく発行できるので、政府債務や財政赤字で破綻することはない」と言う理論なので、政府は無尽蔵に必用な通貨を発券できて、いくらでも返済可能なので、通説のように、企業や家計のように赤字を心配して予算を組む必要はなく、赤字は次世代に害を及ぼし、民間投資を締め出し、長期的な成長を弱体化させ、深刻な財政危機を惹起するなどと心配することはない。従って、本当に解決すべき人類に取って必要な「赤字(不足)」、貧困や不平等から雇用の創出、医療保険適用範囲の拡大など真っ当な医療サービス、クリーンな環境、気候変動、回復力のある質の高いインフラストラクチャなどの重要な問題に対して積極的に支出すべきだと説いているのである。
   政府の赤字、財政危機は悪だとする新古典派経済学の常識、すなわち、神話をコテンパンに論破しており、マッツカートは、完全にこのMMTを踏襲して、アポロ計画級の大胆な地球改造計画立ち上げのミッション・エコノミーを展開している。

   政府の赤字は国民の黒字だというところから議論を展開する。
   経済の出発点は、政府の支出と投資で、政府がお金を使ったり貸したりしなければ、国民は政府が発行したお金を手にすることが出来ない。政府の赤字で国民に回った黒字が、軍資金となって経済を回転させるのだが、今回のアメリカ政府が支出したコロナ救済用の2兆ドルは、相殺項目がなくドルを追加されたので、何もないところからお金が生まれた。
   MMTは、経済学の主流理論とはなってはいないが、我々が馴染んでいたのは、新古典派経済学の常識であるから、驚天動地の理論展開である。
   私自身は、前にも触れたように、まだMMTについては疑心暗鬼だが、日本の国家債務の蓄積や日銀の国債保有高の異常な高さにも拘わらず、日本経済がビクともしていないことに鑑みれば、正論ではないかと思い始めている。

   もう一つのステークホルダー経営だが、日本では、昔から、近江商人に由来する「三方よし」経営の精神が普及していて、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」をベースに社会貢献や事業の持続性を重視する考え方には馴染んでいて、ステークホルダー、すなわち、企業や営利組織などの利害関係者である、消費者(顧客)、労働者、株主、専門家、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関、利益団体の構成員などの利害関係者をも考慮したステークホルダー経営には違和感がなく、常識的な経営手法であった。
   しかし、前世紀のアメリカは、「株主資本主義」「株主至上主義」で、「株主の利益を最大化すべき」と考える資本主義であった。
   短期的な利益を追求して株価を上げ、利益追求のための人員整理などのコスト削減で環境調整をし、貧困問題や環境問題を引き起こしても意に介さない株主利益至上主義経営が良しとされて、ステークホルダー経営の対極にあった。
   ミルトン・フリードマンでさえ、「企業はほぼ自己完結的な存在であり、社会問題や地域社会の問題はその守備範囲の外にあって、個人の利益追求の道具である会社の経営者が、独自の判断で慈善事業や文化活動を行うことは、個人の選択の自由の巾を狭めてしまう反社会的な行為であって許せない」と論じてCSRに反対する株主至上主義経営擁護の急先鋒であった。
   私自身、1970年半ばにウォートン・スクールでMBAの勉強をしていたので、この思想に影響されていたし、日本の経営も主体性がなくアメリカに倣えの風潮に煽られていたので、疑問を感じながらも、何となくその気になって経営を見ていた。
   しかし、21世紀に入って以降、国際経済の悪化や市場経済の変質や経営環境の激動に呼応して、企業に、CSRやSDGsなど、社会課題に関する取り組みが求められ、コーポレートガバナンス如何が問われるようになり、一気に、経営戦略が、株主利益至上主義からステークホルダー重視に変わり始めた。
   マッツカートの資本主義の屋台骨を改革しようとする壮大なミッション経済においては、あらゆる関係者を糾合してミッションを達成しようというのであるから、ステイクホルダー経営志向は当然なのである。

   経済学の常識には誤謬が多いと警告して逝ったガルブレイスを思い出すのだが、経済学にしろ経営学にしろ、私が学び勉強してきた理論の根冠がひっくり返ってしまうと言うこの驚き、
   どう考えれば良いのか戸惑っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二口 善雄著「画集 椿」

2023年04月23日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   インターネットで検索しても、椿にかんする本は非常に少なくて、バラの本の多さと比べると雲泥の差である。
   この貴重な椿の画集も、1992年の出版であるから、もう30年も前の本である。
   日本の植物画の草分けと言われる二口善雄氏(1900-1997)の椿の緻密で詳細な水彩画集で、私の関心のある洋椿はないが、100種類の日本椿が描かれていて圧巻である。
   東京美術学校(東京芸大)洋画科を出て、東大理学部植物学教室で花の絵を描くなど長い間植物画を描き続けてきた大変な画家の椿の絵のオンパレードで、息をのむ美しさである。
   今でも販売されていて、¥5,126と少し高いが、それだけの値打ちがある。

   一筆一筆丹念に描き続けて表われた椿の姿には、画家の息遣いさえ感じさせてくれる温かさがあって、即物的な美を切り取った写真とは違った雰囲気があって素晴しい。
   私は、椿の写真を撮り続けているので、いつかは、自分で描いてみたいと思っているのだが、まず、じっくりと椿と対峙して描き続ける根気がない。
   デジカメを構えてシャッターを切れば、間違いなしに眼前の椿が、実物そっくりにそれ相応の姿で写せて、選んでプリントすれば、まずまずの写真が出来る。
   しかし、同じ瞬間の姿をフリーズした作品なのだが、絵画の方には、写真には表せない人間くささと言うか温かみがあって心に染みてくるのが良い。

   安達瞳子の「椿しらべ」には、川岸富士男氏の同じような椿の水彩画や江戸時代の椿絵が掲載されて見ているが、これらの方は少しデフォルメないし単純化されているので雰囲気が大分違っている。
   しかし、解剖図のように精密緻密に描かれている西欧の植物画(ボタニカルアート)と比べて、日本の植物画には、その植物の姿形だけではなく、その息吹まで感じさせ、かつ、絵心さえも匂い出ていて、詩情をそそるのが良い。

   ロンドンに居た時に、王立キューガーデンの側に住んでいたので、良く出かけており、展示会で花などの植物絵画に接する機会も多くて、その時に買った絵画が数点あって、今でも、それらの花の額が、インテリアとしてリビングに掛かっている。
   欧米風の植物画 を見ることも結構あったので興味を持っており、美術館博物館でも、花を描いた静物画にも注目して鑑賞していた。
   チューリップバブルを生んだオランダなど、素晴しい花の絵画作品が多いのだが、
   今、キューケンホフ公園のHPを開いたら、全面、色とりどりのチューリップが咲き乱れていると言うことである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

METライブビューイング・・・「ローエングリン」

2023年04月21日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりのMETライブビューイングだが、ワーグナーの「ローエングリン」なので、迷わず初日に映画館に出かけた。
   大阪万博の時に、来日公演のドイツオペラの「ローエングリン」を観て感激したのが最初で、ロンドンのロイヤル・オペラ、バイエルン国立歌劇場など何度か観ている。
   バイエルン王国ルートヴィヒ2世がワーグナーの楽劇に心酔して、ローエングリンをイメージして建設したというノイシュヴァンシュタイン城に行った時に、舞台を再現したような部屋の数々を観て、その凄さに驚いたことがある。

   キャストは次の通り
   指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
   演出:フランソワ・ジラール
   出演:ローエングリン(テノール)白鳥の騎士:ピョートル・ベチャワ
      エルザ・フォン・ブラバント(ソプラノ)ブラバント公国の公女:タマラ・ウィルソン、
      オルトルート(メゾソプラノ)フリードリヒの妻、魔法使い:クリスティーン・ガーキー、
      フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵(バリトン):エフゲニー・ニキティン、
      ハインリヒ・デア・フォーグラー(バス)東フランク王:ギュンター・グロイスベック

   休憩を含めて5時間の長時間公演なので、心理描写の葛藤が凄いのだが、あらすじは、ほぼ次の通り。
   ブラバント公国へ、東方遠征の兵を募りにやってきたドイツ国王ハインリヒ1世に、テルラムント伯爵が、世継ぎのゴットフリートを姉のエルザが殺したと訴える。夢に現れた騎士が無実を証明してこの窮地から救ってくれると 語るエルザの前に、奇跡的に、騎士が現れて、テルラムントと戦って勝利し邪悪を暴く。騎士とエルザと結婚することになる。ただし、自分が誰か絶対に問わないと言う条件をエルザに課す。だが、復讐に燃えるオルトルートが夫を煽って、騎士の素性が怪しいと執拗にエルザを責めつけ動揺させる。結婚式の夜、疑心暗鬼に耐えきれなくなったエリザが、騎士に、とうとう名前と素性を詰問する。
   ハインリヒ王と群衆の前で、「自分は、モンサルヴァート城で聖杯を守護する王パルジファルの息子ローエングリンだ」と名乗り、素性を明かした以上は止まれない掟なので去らざるを得ないと告げる。ローエングリンの祈りで、オルトルートの魔法に掛かっていた白鳥が人間に姿を変えて、ブラバントの正嗣ゴットフリートが蘇り、勝ち誇っていたオルトルートが叫び声を上げて倒れる。ローエングリンは去って行き、エルザは、ゴットフリートの腕の中で息絶える。

   ところで、松竹のHPから借用したのだが、冒頭の口絵写真は騎士の登場、
   下記は、騎士とエルザの結婚、ゴットフリートの蘇り
   
   

   ベチャワは、MLで、「ルイズ・ミラー」や「アドリアーナ・ルクヴルール」や「リゴレット」で観ているお馴染みなのだが、ワーグナーはどうかなと思って聴いていたのだが、ドラマティックな長丁場の舞台も非常に情熱的に歌っていて素晴しい。これまでの演出では、聖杯の騎士らしく優雅で素晴しい騎士スタイルであったが、普通のカジュアルなビジネスマン風の衣装が面白い。
   エルザのタマラ・ウィルソンは、2007年にヴェルディの「仮面舞踏会」のエミリアで、パトリシア・ラセットの代役としてヒューストン・グランド・オペラでデビューし、METは2014年に「アイーダ」だと言うからまだ若くて、今回は大抜擢なのであろう。一寸声が気になったが、ガーキーと互角に渡り合うスケールの大きな歌手である。
   何と言ってもこの舞台で出色は、オルトルートのクリスティーン・ガーキーで、これまで、MLで、
   「ワルキューレ」のブリュンヒルデ、「トーランドット」のタイトルロールで圧巻の舞台を魅せてくれたのだが、このワーグナーの大舞台で、徹底的な悪女を性格俳優顔負けの達者な演技を披露して、圧倒的なボリュームの美声で歌い通すのであるから驚異的でさえある。
   

   この舞台で注目すべきは、演出である。
   舞台中央の高みに大きな穴を開けて、天空と地上を分けていることで、天空部分はバックシーンや映像を変化させて舞台効果をあげていることである。   
   冒頭から、月の映像でイメージを高め、月の満ち欠けで時間経過を示すなど趣向を凝らし、二段舞台の演出ながら、天空は、騎士の登場やエルザとオルトルートの対話、重要な舞台展開など限られたシーンにしか使われず、映像展開で舞台の進行を側面からサポートしている。
   興味深いのは、130人もの大合唱団が舞台の展開のみならずバックシーンの変化を深いコートの色彩を変化させて演出していることである。騎士とエルザのバックは白で、オルトルートなどは赤と言った調子で、主役が移動するにつれてバックの色が変っていくなどイメージ効果抜群である。マグネットを使用しているとかで、コートの前開きを起用に扱って瞬時に色を変化させて行くので、地上部分の舞台は、バック全体に広がった合唱団の舞台展開が主体で舞台セットらしきものが存在しないのが面白い。

   しかし、やはり、素晴しいのは、途轍もなく素晴しいワーグナー節を縦横に歌わせて演じたヤニック・ネゼ=セガンの指揮。
   METの音楽監督も板についてきたのであろう、幕の展開毎に衣装を変えるダンディぶり、とにかく、聴衆の熱狂的なオーベーションが凄い、
   ロンドンに居た時に、ハイティンクが、殆どのワーグナーの楽劇をロイヤル・オペラで指揮して愉しませて貰ったが、ヤニック・ネゼ=セガンのワーグナーも続くのであろうと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿:津川絞、黄色いぼたん咲く

2023年04月17日 | わが庭の歳時記
   椿:津川絞が咲いている。
   花育通販で買った苗木なのだが、
   新潟のユキツバキを代表する品種で、新潟県津川町産の銘花であり、花は千重咲きや列弁咲きになるがきれいに螺旋を描いた列弁咲きが最も津川絞らしい咲き方。桃色地に紅の絞りが少なめに入ってよいアクセントになる。と言うことである。
   まだ、木が小さいので、花のバリエーションが限られているが、小輪ながら美しい椿である。
   
   
   
   
   

   黄色いぼたんが咲き出した。
   わが庭には、3株ぼたんが植わっているのだが、今年は、他のぼたんには花が着かず,咲いたのはこの木に4輪だけである。
   シャクヤクは、何本か蕾が色付き始めているので、楽しめそうである。
   
   
   
   

   わが庭で咲き続けているのは、コデマリとツツジ。
   椿は、ぼつぼつ、終わりに近づいてきて、新芽が勢いよく伸び始めた。
   
   
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡島ホテルから富士山を遠望

2023年04月15日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   長女夫妻に誘われて、沼津の淡島ホテルで一泊した。
   沼津市の南方駿河湾に浮かぶ小さな孤島淡島の立派なリゾートホテルで、富士山の絶景を臨める素晴しい立地である。
   着いた当日は、東京や千葉など関東は大荒れの天気で、伊豆半島をまたいだ駿河湾も波高く、残念ながら、富士山は雲に覆われて見えなかった。
   鎌倉からは、ところによっては、時折、富士山は見えるのだが、富士山には縁のない元関西人にとっては、富士山を見ると無性に嬉しくなり、どうしても、富士山に近づくと、美しい姿を見たいと焦りさえ感じるのである。
   
   
   

   午後、併設されているマリーンパークで、孫娘とアシカショーなど見て島を散策して、夕刻、レストランで、フレンチのフルコースを楽しんだ。
   ビジネスを離れてからは、正餐の機会は、グッと減ってしまったが、ヨーロッパに居たときには、ミシュランの星付きのレストランを足繁く行脚していたのを思い出しながら、家で晩酌で飲むワインとは一寸違った雰囲気で、ほろ酔い気分を味わった。
   丁度、対岸に沈む夕日が美しかった。
   宿泊客も少なかったし、喧噪から完全に隔離された静かなホテルであったので、穏やかな夜を愉しませて貰った。
   
   
   
   
   翌朝、起きてカーテンを開けると、穏やかな良い天気で、富士山が奇麗に見えている。
   富士山の前方の山は、愛宕山で、その手前は沼津の街並みである。
   宝永山は、やや右肩に見えているが、遠方からは隠れて見えるので、円錐形の奇麗な富士山が見えて美しい。
   時間が経つと海が鮮やかに色づき、富士山に雲がかかり始めた。
   
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミッション・エコノミー・・・「21世紀のすべてはアポロ計画の波及効果」

2023年04月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン経済学教授のマリアナ・マッツカートの「ミッション・エコノミー:国×企業で「新しい資本主義」をつくる時代がやってきた Mission Economy: A Moonshot Guide to Changing Capitalism」が面白い。
   ”行き過ぎた新自由主義による「スタートアップ盲信」「民営化盲信」の時代は終わった。これからは国と企業が手を取り合い、万人のウェルビーイングからSDGsまで巨大なミッションを掲げ、経済を成長させながら「公共の目的(パーパス)」をかなえていく時代だ。それこそが「新しい資本主義」の姿である――。”というこの本、
   別に新しい思想でも新規な経済学でもないのだが、現在、市場経済優先の民主導の自由主義経済が、機能麻痺して暗礁に乗り上げているので、政府主導の確固たる高度なビジョンに基づいたアポロ計画に匹敵した官民協調の経済に移行するよう軌道修正すべきであるという「資本主義の変革論」の提言である。
   岸田首相の「新しい資本主義」批判はひかえておくが、このMission Economyこそ、真っ当な「新しい資本主義」への経済学理論であり、今日望むべき経済成長戦略であり、示唆に富んだ経済政策であると言えようか。

   今回は、「21世紀のすべてはアポロ計画の波及効果」という論点だけに絞って考えてみたいと思う。
   この本の”第4章 いま、アポロ計画こそが「最高の教訓」である”において、アポロ計画6つの教訓のうち「波及効果:セレンディピティとコラボレーション」で言及されているポイントなのだが、最大のイノベーションであるポータブルコンピュータを筆頭に「宇宙探索がなければ実現しなかったこと20のこと」が図入りで説明されていて、その裾野の凄さに驚かされる。

   興味深いのは,冒頭で、「飢えた子供よりロケットの方が大事なのか」との疑問を呈して、「人々を救う発明は「無駄」から生まれる」と、
   ドイツの伯爵が貧しい人に施していたが、レンズを磨きながら装置を作っている職人にも援助していたので批判されたが、この実験こそ、後に病気や貧困、飢餓との闘いに効果を上げた顕微鏡発明への道を拓いた、研究や発見にお金を一部当てることで、疫病が蔓延している地域にすべてを投じるよりははるかに多くの人を救ったことを例証して、
   栄養、衛生、エネルギー、医療など、貧困に対処するための多くの重要な進歩が、一見目の前の課題とは関係なさそうな科学研究からもたらされると説いている。

   NASAのストリンガー科学部長が、世界中に貧困と病苦に喘ぐ多くの人類が存在するのに、大金を使って月を目指すのが正義かと問われて、
   技術的問題を解決する中で、大きな進歩は直接的な取り組みから生まれるのではなく、高い目的を設定するところから生まれる。それが大きなやりがいに繋がり、想像力をかき立てて、人々の最善の努力を引き出し、それがきっかけとなって次々と連鎖反応が起きる。と述べている。
   これこそが、アポロ効果であり、同時に、国防総省のDARPAが、ARPANETに投資してインターネットを生んだのだが、ICT革命への道標の多くが、アメリカのスプートニック・ショックへの対応という冷戦への投資から生まれたと言うのが興味深い。

   さて、それでは、新冷戦時代のウクライナ戦争は、どの様な遺産を人類に残すのであろうか。
   いずれにしろ、今こそ、アポロ計画級の壮大な新しいミッション・エコノミーを打ち上げて資本主義を変革しなければならないと檄を飛ばしているのである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァレリー・ハンセン 著「西暦1000年 グローバリゼーションの誕生」

2023年04月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   イエール大学のヴァレリー・ハンセン 教授の「西暦1000年 グローバリゼーションの誕生」
   The Year 1000: When Explorers Connected the World―and Globalization Began 

   グローバリゼーションは、一般的には、コロンブスの活躍など大航海時代のヨーロッパ人の世界進出によって始まったとされているが、そうではなく、もっと前の西暦1000年に、大胆な探検と大胆な通商ミッションによって、初めて世界のすべての偉大な社会が結び付いた。
   これがグローバリゼーションの始まりだとする画期的な歴史的研究だと言うのがこの本。

   バイキングや中東、アジア、アフリカなどヨーロッパ以外の民族によるグローバル化で既に世界は繋がっており、その開発開化された世界の現状に乗ったが故に、大航海時代以降、ヨーロッパ人がかくも広大な地域を迅速に文化文明化し得たのである。
   古代中国の四大発明、すなわち、羅針盤、火薬、紙、印刷術を最も活用してキャッチアップした西欧が、次代の成長発展をリードしたと言うことである。

   先日レビューしたが、私が興味を感じたのは、西暦1000年頃に、バイキングが、既に、中米のチチェン・イッツァに到達していて、遺跡の「戦士の神殿」の壁画にその証拠が残っている。と言う著者の見解であった。
   アメリカを発見したのは、コロンブスでもアメリゴ・ヴェスプッチでもなくバイキングであったというのは既知だが、このバイキングが、コロンブスに500年も先んじてアメリカに到達して一時定住し、太平洋横断ルートを切り開き、1000年には、アメリカ先住民族が、南北アメリカを貫通するパン・アメリカンハイウェイなど、既に精緻な交易ネットワークを構築していたので、世界を一周する輪を完成させた。と言うのである。

   著者は、これらを実証するために、西暦1000年を中心にして大航海時代以前の世界の歴史を克明に分析して、活写していて読ませる。
   アメリカに向かったバイキングの分派ルーシ人が、東欧に進行してロシアを建国して、スラブ人奴隷や毛皮をイスラム圏まで輸出して財を成し、ギリシャ正教に改宗する経緯などを語っていて、ウクライナ戦争の遠因が分かるような気がするのも、歴史学の良いところであろうか。
   イスラム教の勢力拡大で、アフリカもグローバリゼーションに繰り込まれて、マリ王を世界一の大富豪に押し上げたというから面白い。
   特に、興味深いのは、広大なユーラシア大陸を舞台にした文化文明そして宗教圏や国家の衝突攻防であり、
   海上では、中国・東南アジアからインド、中東のイスラム圏、アフリカ東岸にかけての広大な交易圏の熾烈な交易やその盛衰が興味深い。
   
   しかし、良く考えてみれば、遅れていたのは西欧だけで、
   中国は、その何百年も前から大帝国を築いた文明国であり、遅ればせながら歴史を開いた日本でさえ、西暦1000年なら平安時代で、大航海時代は室町時代であり、既に高度な文化国家であり、中国と日本とは密接な交易があった。
   西暦630年には、国際都市長安に第一次遣唐使を派遣しており、持ち帰った正倉院の御物を見れば、既に、中国がグローバル化していたことが分かる。
   マルコ・ポーロでさえ、1280年代に国際都市として活況を呈していた中国の泉州を訪れて驚嘆していたが、
   特筆すべきは、鄭和が、永楽帝時代1405年に、中国史上最大の大船団を率いて遠洋航海に出奔し、インドからアラビアを経てアフリカの東岸に達する大遠征航海であり、それに遅れたコロンブスの船団とは桁違いに壮大なスケールであった。
   また、中東やアフリカ東岸からインド洋沿岸、東アジアの日本やインドネシアに至る地域は、既に、アラビアやインドや中国やアジアの商人たちが幅広く交易に明け暮れて国際商品が行き交うグローバル市場であった。バスコ・ダ・ガマが拓いたのは、喜望峰までの航路だけなのである。

   さて、グローバリゼーションを、どう定義するかによって解釈は違ってくるが、要は、西欧は、大航海時代までは、イスラム圏にブロックされていたのか、喜望峰以遠のアジア方面との直接的な接触がなく、そして、南北アメリカはその存在さえ認知されておらず、これらの地域は、現実的には、新大陸であり新国家であったのであろう。
   1453年にコンスタンチノープルが陥落して東ローマ帝国が滅亡するまで、西欧文化圏の東限はここまでで、その後、さらに後退するなど、独立した諸国が併存していた分裂状態の西欧の歴史的勢力圏は、高度な文化文明を誇っていたイスラム圏や中国圏などと比較して、脆弱であったということで、
   著者は、西暦1000年の世界の歴史をグローバリゼーションの幕開けとして展望することで、西洋優位の歴史を、書き換えようとしたのであろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿王昭君、八重桜、ハナミズキ

2023年04月07日 | わが庭の歳時記
   ピンクの艶やかな椿王昭君が咲き出した。
   王昭君とは、前漢の時代に、匈奴の呼韓邪単于に嫁した絶世の美女のことで、似顔絵で最も醜い女性を選ぶこととして、王昭君は絵師に賄賂を贈らなかったので醜く描かれたので選ばれた、皇帝との別れの式で王昭君を初めて見た元帝は、王昭君の美しさに度肝を抜かれて、地団駄踏んだが後の祭り。
   桜の王昭君に魅せられて、椿に代えて庭植えしたのだが、花にもバリエーションがあって興味深い。
   
   
   

   ソメイヨシノに、やや、遅れて咲き出したのは、八重桜。
   わが庭には、普通の枝垂れ桜と菊枝垂桜の二本が植わっている。
   一本は境界の崖っぷちに植わっているので場所には問題ないが、菊枝垂の方は、植え込みなので、あまり大きく出来ないのが難ではある。
   千葉の庭では、普賢象を植えていて楽しませてもらったが、虫にやれれて枯れさせてしまった。
   普通の民家では、桜は植える木ではないのだが、やはり、魅力的である。
   オランダやイギリスの桜は、濃いピンクの八重桜が定番であったが、キューガーデンに行くと、菜の花とソメイヨシノが咲き乱れていて、日本の春を懐かしんでいた。
   
   
   
   
   
   
   

   紅白のアメリカ・ハナミズキが、新緑に映えて美しい。
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュース番組が気になる老いの日課

2023年04月06日 | 生活随想・趣味
   傘寿を越えた隠退生活の毎日であるから、とりたてて日課と言えるような規則正しい生活があるわけではない。
   しかし、それでも、老いの勝手気ままな生活と雖も、なにがしかの生活のリズムがある。

   朝起きて、欠かさずやるのは、まず、パソコンを立ち上げて、ニュース関連記事を読む。必ず、NYTとWPのページを開いてチェックする。
   メールでは、Bloomberg、Reuter、Newsweek、それに、日本のメディアなどからニュース記事が入ってくるので、これらを丹念に読む。
   TVでは、NHKの「キャッチ!世界のトップニュース 」を、放送時間に合わないことが多いので、録画で見る。
   そして、徐ろに、日経新聞を開いて拾い読みする。
   これが朝のルーティンで、ほぼ、世の中の動きはつかめる。
   何故、ニュースなのかと言うことだが、関心があるからだという以外にはない。
   コーヒーカップを持って庭に出て、一息入れる。時間に余裕が出来れば、ガーデニングの真似事に勤しむ。

   他のニュースについては、NHKの正午、夜7時と9時のニュースは見ることにしているが、重要なニュースが少ないので、パソコンを叩きながら、飛ばし見している。民放のニュース番組については、コメンテーターの存在が邪魔なので、選別してみている。
   そのかわりに、10分と短いが、凝縮されたニュース番組のBSニュースを見ることが多い。

   一番関心のある国際ニュースについては、NHK BSPの夜10時からの「国際報道2023」も見るので、ほぼ、カバーできていると思っている。
   更に、webの「NHK国際ニュースナビ」を読めば、非常に参考になって面白い。
   それに、NHK BSの、国際関係の報道特集やドキュメントやレポートなども積極的に録画して見ている。
   国際ニュースに興味があるのは、子供の頃から、世界歴史と世界地理を意識して勉強していたし、憧れもあって、長い海外生活のお陰で、世界中を飛び回っていたので、この歳になっても気になると言うのか、興味が尽きないと言うことである。
   
   午後には、十分に時間が取れるので、読書を楽しんでいる。天気の良い日には庭に出て緑陰での読書が快適で、今は、春の花木が咲き乱れていて、時折、鶯が訪れてきて囀ってくれる。
   幸い、目が丈夫なので、長時間読書でも苦労はないのだが、歳の所為もあって、量を追う読書ではなくて、時間を掛けて味わいながら読むように努めている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安達育著「花―安達流の花芸 」

2023年04月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   安達瞳子の後継者安達育の初の花芸書で、安達流の花芸の魅力と技術のすべて 暮らしと生け花のカリキュラム
   立春から始まる二十四節気をめぐる花暦の華麗なる写真集が紙幅の大半を占めるのだが、
   安達の花・構成三原則 五態/文法/原型・構成の基準・技術の基本・花器と用具
   母との日々
   始祖の花・花道史 花道の歴史と安達流の歩み・植物の知識・花材表 ほか 資料も豊富で、ズブの素人にも面白い。

   私は、花道の「か」も知らないし、特に、花道に関心を持って本書を手に取ったわけでもなく、椿に造詣の深かった安達瞳子の「花芸」の雰囲気に触れたくて、先ほどブックレビューした「瞳子、花あそび」の延長として読んでみたのである。
   この本が出版されたのが、2005年1月、
   翌年に瞳子が亡くなっているので、花芸安達流副主宰の時で、11歳で安達瞳子の養女となり、次期主宰として花道修業に励むが、2002年東京農大卒業とともに本格的な修道と活動に従事したと言うことなので、まさに、駆け出し直後の意欲的な著作である。
   もう、20年近く前の花芸の作品の写真集であり、それ以降、出版物が探せないので、最近の動向は分からないが、この作品を見た感じでも、安達流花芸の思想なり哲学、あるいは、原則や手法などが同じだとしても、瞳子と育では、相当の差というか、違いが出ている。
   瞳子の方にはクラシックな雰囲気と奥深さを感じ、育の方にはモダンで軽やかなリズムを感じて、非常に面白い。
   
   ところで、育の説明では、安達流の一番の特徴は、日本の伝統的な花道と西欧の芸術とを融合させたことであり、この作風を「花芸」と呼んでいる。日本人は花道をはじめとする芸道による人間形成を目指してきたが、その美点を踏まえつつ西欧の芸術が持つ体系的な考え方や個性を学んでいると言う。
   また、”花”は伝統の花道から、”芸”は西欧の芸術意識に学び、両者の長所を共に生かしたい思いを込めて〈花芸安達流〉を創流した時以来の願望である。と言う。
   この説明だけでは、良く分からないのだが、日本花道の芸術的な本質や伝統を守りながら、西洋の芸術的な思想や志向、そして、芸術感なり豊かな発想や姿勢を取り入れて花道をエンリッチしようと言うことであろうか。
   俗な言い方をすれば、文明開化の時の和魂洋才のようなイメージだが、分かって分からないようなこの「花芸」の哲学というか原則、
   欧米伯で14年間生活して来た私でさえ良く分かっていない西洋の芸術の精神、そして、その良いところを理解して取り入れるなど、非常に難しいように思うのだが、そこは、芸術家の直覚なのであろう。
   5年間イギリスにいて、身近な英国人の友人の奥方がフラワーアレンジメントをしていて、その作品や各所で花の展示を見ていたので、多少イメージはあるのだが、異文化異文明のベターハーフの融合による理想的なマリッジは、非常に難しいと感じているので、花芸安達流の挑戦は、特筆ものだと思っている。

   いずれにしろ、この写真集の美しさは秀逸で、安達流花芸の解説は、非常に素晴しいし、花芸の技術の解説は、私の我流生花の参考になった。

   私は、作品の中で、好きな椿がどの様に生けられているか、見ていたが、やはり、バラ同様に、取り上げられている頻度は高い。
   しかし、それより多いのは、菊であり、一番多いのは、ガーベラであるのが興味深い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カメリア エリナ・カスケードが咲き乱れる

2023年04月04日 | わが庭の歳時記
   わが庭では一寸異質な椿で、放物線を描いて滝のように垂れて咲き乱れる小さな花のカメリア エリナ・カスケードが咲き出した。
   遅咲きの筈が、咲き出したのであるから、今年は、桜と同様に、随分早く咲いたのであろう。
   
   
   
   
   
   

   ナシの花も咲き出した。   
   純白の桜に似たしっかりとした花である。
   昨年も咲いて結実したのだが、残念ながら、すぐに落果してしまった。
   
   
   

   下草に、フリージアとカラスノエンドウが咲いている。
   
   

   モミジが一斉に芽吹き始めた。
   鴫立沢、琴の糸、獅子頭、手向山
   
   
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アショーカ・モディ:インドのブームは危険な神話 India’s Boom Is a Dangerous Myth

2023年04月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   プリンストン大のアショーカ・モディのシンジケート・プロジェクトの論文「インドのブームは危険な神話 India’s Boom Is a Dangerous Myth」が興味深い。
   バラ色のインド経済の将来像は、幻想だと言うのである。
   
   インドのエリート層は、自国の活況を呈する経済見通しに幻惑されており、その楽観主義が海外にも反映されている。 IMFは、インドの GDP が今年 6.1%、来年 6.8% 増加し、世界で最も急速に成長する経済の 1 つになると予測しており、他の国際評論家は、インドの 10 年またはインドの 100 年の到来を宣言し、さらに大げさな予測を提供している。
   しかし現実は、インドは危険な道を進んでおり、すべてのチアリーディングは不誠実な数字ゲームに基づいたものであり幻想にすぎない。
   COVID 危機の 3 年間の年率成長率は 3.5% と微々たるもので、直前の年とほぼ同じであった。将来のより高い成長率に関するすべての予測は、最新のパンデミックのリバウンドから推定されたもので、それにも拘わらず、経済は 2022 年後半に減速し、その弱さは今年も続いている。 インドを活況を呈している経済と表現することは、悪い経済学をまとった希望的観測である。と言うのである。

   さらに悪いことに、この誇大広告は、独立以来 75 年間にわたって増大してきた問題、つまり貧血状態の雇用創出の蹉跌を覆い隠している。 今後 10 年間で、インドは正味で 2 億以上の雇用を必要とし、労働年齢で仕事を探している人々を雇用する必要がある。 しかし、過去 10 年間で、毎年 700 万から 900 万人の求職者しか市場に吸収出来ず、経済が正味の新しい仕事を追加できなかったことを考えると、この課題は事実上克服できそうにはない。
   この人口学的圧力は、頻繁に沸騰し、抗議行動や一時的な暴力に拍車をかけた。 2019 年には、インドの鉄道で 35,000 件の求人に対して、357倍の1,250 万人がに応募した。 2022 年 1 月、鉄道当局は求人の準備ができていないと発表したので、応募者は暴れ回り、電車の車両を燃やし、駅を破壊した。

   あまりにも多くのインド人にとって、経済は破綻しており、問題は、この国の小規模で競争力のない製造部門にある。 1980 年代半ばの自由化改革以降、GDP に占める製造業の割合は、中国では 27%、ベトナムでは 25% に上昇しているにも拘らず、インドでは約 14% までに低下している。 インドは、製造された輸出品の世界シェアが 2% 未満であり、2022 年後半に経済が減速したため、製造業部門はさらに縮小した。
   台湾、韓国、中国、そして今ではベトナムが膨大な数の人々を雇用するようになったのは、労働集約的な工業製品の輸出を通じてである.が、14 億人の人口を抱えるインドは、1 億人のベトナムとほぼ同じ価値の製品しか輸出していない。

   もっと深刻なのは農村部で、都市部の仕事が不足しているため、パンデミック中に何千万人もの労働者が戻ってきて、農業でわずかな生計を立てている。 窮地に立っている農業部門は、現在、国の労働力の 45% を雇用しており、農家は慢性的な高い不完全雇用に悩まされており、多くの農民が、世代の細分化によって縮小された区画で限られた仕事を分け合っており、農民の自殺の流行は続いている。 農村部の雇用保証プログラムからの支援を切望している人々に対して、政府は無意識に賃金の支払いを遅らせ、繰り返される抗議を引き起こしている。

   要するに、インドの産業構造が問題で、雇用を大量に生む労働集約的な輸出主体の製造業の育成をないがしろにした結果、中国のように経済成長と雇用増大が出来ずに、国民の貧困化の解消さえも果たし得なかったと言うことである。経済成長を牽引してきたインド工科大学卒の高度なITエンジニアによる急速なICT革命も、インド経済の底上げにも雇用吸収にも、大した貢献をしていないのも問題である。
   中国を抜いて世界第1の人口大国になり、少子高齢化で斜陽化を予想されている中国と違って、若年人口の豊かなインドの将来は人口学的には有望であっても、雇用を拡大して経済成長を画策できなければ、インドの明るい未来像も幻想に終ると言うことである。

   インドが偉大さの頂点に立っていると信じる人々は通常、最近の 2 つの発展に注目している。
   第一に、Apple の請負業者がハイエンドの iPhone をインドで組み立てるための初期投資を行っており、製造業者が中国から離れることはインドに利益をもたらすという憶測である。
   しかし、多くが他の東南アジアに向かう一方、中国から撤退する米国の生産者の殆どは、メキシコと中央アメリカに事業を「ニアショアリング」しており、 全体として、このチャーンからの投資の一部はインドに流れ込む可能性があったとしても、2022 年に対内外国投資が前年比で減少したという事実には変わりはない。
   2 つ目の希望の源は、インド政府の生産関連インセンティブ スキームである。これは、2021 年初頭に導入され、戦略的価値があると見なされるセクターでの生産と雇用に金銭的報酬を提供しているが、残念なことに、元インド準備銀行総裁のラグラム・G・ラジャンが警告しているように、これらのスキームは、製造業者に対する以前の対策と同様に、企業の利益を単に肥大化させるだけになる可能性が高いのである。

   スタートアップのユニコーンによるインドの英雄的な動向も薄れつつある。 このセクターの最近のブームは、安価な資金調達と、パンデミック中の少数の顧客によるオンライン購入の急増に依存していたが、ほとんどのスタートアップは、近い将来に収益性を達成する見込みが薄くなってきており、 小規模な顧客ベースによる購入は鈍化し、資金は枯渇しつつある。

   COVID の深みから立ち直ったことによって生み出された幻想を考えると、インドの経済の見通しは暗い。 仕事の需要が増え続けるにつれて、経済はまともで立派な雇用を提供するためにこれまで以上に苦労する。政策立案者は、希望的観測や見せかけだけの産業インセンティブにふけるのではなく、人的資本への投資と、より多くの女性の労働力への参加を通じて、経済発展を促進することを目指すべきである。
   これは、産業革命以降、経済的に成功したすべての国が行ってきたことなのだが、 インドの壊れた国家(India’s broken state)は、長期的な課題に直面することを繰り返し回避してきた。そして今、当局は根本的な開発の赤字を克服する代わりに、安直な特効薬を探している。 差し迫ったインドの世紀についての誇大宣伝は、赤字を永続させるだけであり、インドにも世界の他の国にも、何の助けにもならない。

   モディの指摘は厳しいが、インド経済の課題を直視した提言であり、注目に値する。
   益々人口が増大して、世界一の人口大国になったインドが、中国のように経済大国への道を歩めず、中所得国の罠に陥る前に頓挫すれば、宇宙船地球号はどうなるのか。
   グローバルサウスの盟主を目指しているインドの動向が、世界の命運を大きく左右する。
   民主主義国家圏と専制主義国家圏との深刻な東西対決に、更に深刻な南北問題が加わる。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デイビッド・クリスチャン:「未来」とは何か

2023年04月01日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   デイビッド・クリスチャンの”「未来」とは何か:1秒先から宇宙の終わりまでを見通すビッグ・クエスチョン”
   ビル・ゲイツが信奉する新学問「ビッグヒストリー」を提唱する世界屈指の歴史学者が、宇宙物理学、生物学、脳科学、哲学そして歴史学の最新知見を総動員。「未来」という人類最大の謎を解き明かす!と言うこの本。
   人間は、過去に目を向けて、歴史を手がかりにして未来を予想し、望むべき未来へと舵を切っていく。この能力は、人間以外の動物や植物、さらには1個1個の細胞や微生物ですらにも備わっているスキルで、未来を予想している。
   微生物や動植物、そして人間が、未来や時間というものをどう受け止め、どうやって過去から未来を予想するのかを、ビッグヒストリーの視点からひもといて、人類やこの宇宙を待ち受ける未来について大胆な予想を繰り広げていく。今後100年といった近未来だけでなく、数千年や数万年、さらには数億年、数百億年先までの未来を相手にするという、途方もない壮大さなのである。

   この本の冒頭に、ダンテ「神曲」地獄篇に登場する 頭を後ろにひねられた占い師達の挿絵が掲載されていて、歴史学者の面目躍如で面白い。
   しかし、従来の歴史学は精々人類の誕生くらいからの有史を扱っているのだが、この著者の特色は、「ビッグヒストリ-」で、ズッと過去に遡って、宇宙誕生以降の全歴史を相手にし、宇宙、地球、そして人類を、この世の始まりから現在まで一つの大きな潮流として見つめるもので、あらゆる学問分野を学際的に包含した歴史学なので、未来論も、近未来に止まらず、宇宙の未来まで論じているのである。

   細胞や微生物が、どの様に未来を予想して方向付けているのか、生化学や遺伝学が関わっての未来思考が生物の根源的な能力だという説明から、
   人類についても、狩猟採取時代から農耕時代、そして、技術革新以来の科学、確率論、情報工学の進歩発展に支えられた未来思考などの推移を論じていて、興味深い。

   さて、私の関心事は、著者の近未来の未来予測であって、第8章の「近未来 この先100年」と、第9章の「中程度の未来 次の1000年」が問題であった。
   それぞれ、どんな未来を望むのか、どんな未来が一番起こりそうかと問うて、最後に「4つのシナリオ」、すなわち、①崩壊、②成長縮小、③持続可能性、④成長、を設定して論じている。
   結論から言えば、私の私見だが、このブログで論じて来たり、一般的に流布している未来予測の見解を集めたようなシナリオで、新鮮味は感じられなかったのだが、気づいた諸点を列記したい。

   まず、ユートピアなり未来論が統一できるのかについては、互いに依存して生きている現実を認識すれば、宇宙船地球号にとって良い未来について大筋で合意できる、異なる宗教や倫理的な伝統に多くの共通点がある、同じような倫理観の共通性は歴史上の様々なユートピア伝承に見られる、と楽観視している。
   後者3つの楽観的なシナリオでも、核戦争や人為的なパンデミックなど人類存亡の危機が迫り、世界の気温は幾世紀に亘り不快なほど上がるだろう。今日の都市の多くは海中に没し、海洋の酸性化によって漁業と海洋生物の多様性が損なわれ、砂漠が拡大し、現在の「異常気象」が常態化する。と、科学やテクノロジーなどのイノベーションを期待しつつも、悲観論が垣間見える。
   面白いのは、今世紀が終るまでに、大半のシナリオで、人類の小さな開拓コロニーが、太陽系のそこかしこに生まれて、ロボット搭載の宇宙船が他の恒星系に向けて出発しているであろう。巧みに惑星を操作しなければならない。と言うのだが、どうであろうか。  

   どんな行動を取るべきか、
   製品やサービスの価格が真の環境コストを反映し、温暖効果ガスの排出が徹底的に削減された経済を目指すべきである。このために、成長シナリオであっても、経済の成長率を引き下げるかも知れない。
   他種の絶滅率を下げ、人間と家畜の数の増加を緩めるか減少に反転させる必要がある。
   大惨事に繋がるような紛争を回避するために、危険な兵器をコントロールし、極端な不平等を制限すべきである。
   2100年の世界は、今後数十年の予測不可能な数多の決定によって形作られるが、確実に言えるのは、多くは政治に依存することだ、と言う。

   ところで、1000年後の世界だが、
   とにかく、人類が、ボトルネックとなる数世紀を何とか生き延びることで、その間に、惑星の操作を学び、ハルマゲドンを起す兵器ではなく、厄災に見舞われたときに避難できる地球以外の定住地を手に入れることである。これに成功すれば、これから数世紀後の人々は、新しい複合体、意識を持つ惑星として生きることを学ぶ。そうすれば、数十億の人間とポストヒューマンのための中程度の未来への道が拓かれるであろう。と言う。

   この見解には、納得いかないのだが、もう一つ、テクノロジーの進歩で、
   (1)エネルギーを持続可能な形で作る方法
   (2)ナノテクノロジー
   (3)AIとロボット工学
   (4)人体を改造して、子孫を人間と機械の長寿命の融合体に変える生物的テクノロジー
   を挙げていることで、(4)以外は、現在でも視野に入っていて、1000年の問題ではない。
   
   それは、それとして、興味深いのは、(4)のトランスヒューマニズムの進展で、ヒトの肉体的および知的能力を強化し、ヒトの身体が経験する大半の肉体的および心理的な不快感を取り除き、限りなく延命し、機械となめらかに融合させるサバネティクス、生物学、遺伝学による改変なのだが、人間にとって幸せなことなのかどうか。
   このトランスヒューマニズムのテクノロジーや異なる環境への適応によって、人類は多くの亜種に分岐されると思われるのだが、人類が1種しか存在しなかった人類史上の短い時代が終り、「人類」と言う言葉が何を意味するのか分からなくなる。

   「未来の話 Future Stories」は、各自が考えろ、と言うことであろうが、話題が豊かで、面白い本である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする