熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

「マクドナルドのある国同士は戦争しない?」の欺瞞

2013年02月27日 | 政治・経済・社会
   トーマス・フリードマンが、「レクサスとオリーブの木」で、1999年の半ばの時点で、マクドナルドを有する任意の二国は、夫々に、マクドナルドが出来て以来戦争をしたことがないと言うデータを武器にして、”紛争防止の黄金のM型アーチ理論”を打ち立てた。
   マクドナルドのある国は、中流階級が現れるレベルまで発展したので、最早、失うものの方が多いので、戦争はしない。と言う理論である。

   更に、フリードマンは、「フラット化する世界」において、デル・システムのようなジャスト・イン・タイム式サプライ・チェーンで密接に結合された国々の間では、旧来の脅威を駆逐(?)するので戦争など起こらないと言う「デルの紛争回避論」を展開し、マクドナルドに象徴される生活水準の全般的傾向よりも、ずっと地政学的な冒険主義を防止する効果があると説いている。
   
   ところが、ジョン・J・ミアシャイマーは、「大国政治の悲劇」において、経済やビジネス関係の連鎖など、平和維持には何の関係もなく、とにかく、経済大国となれば、必ず、軍事力を強化して覇権を狙う危険な国になるので、中国が世界経済のリーダーになれば、その経済力を軍事力に移行させ、北東アジアの支配に乗り出してくるのは確実である。と力説していることは、先月、ブックレビューで紹介した。
   中国が民主的で世界経済に深く組み込まれているかどうかとか、独裁制で世界経済から孤立しているかどうかとかは重要な問題ではなく、どの国家にとっても、自国の存続を最も確実にするのは、覇権国になることだからであると、
   多くのアメリカ人が、もし、中国の急速な経済成長が続いて「巨大な香港」へとスムーズに変化し、中国が民主的になってグローバル資本主義システムに組み込まれれば、侵略的な行動は起こさずに、北東アジアの現状維持で満足するであろうから、アメリカは経済的に豊かで民主的になった中国と協力して、世界中に平和を推進することが出来ると言うような甘いアメリカの関与政策が失敗するのは確実である。と、アメリカのリベラル派の対中国観を一蹴している。

   これと同じ、と言うよりも、もっと強烈な中国脅威論を、中西輝政教授が、「迫りくる日中冷戦の時代」で展開していて、非常に興味深い。
   急速な経済成長を遂げた中国が、国力の増大にまかせてアジア太平洋への露骨な成長政策を取ったことによって、アメリカは、従来の「関与」政策から、「抑止」政策に転じて、今や、中国を盟主とする全体主義勢力と、アメリカを中心とする民主主義勢力とがアジア太平洋地域で対峙する、新たな冷戦が始まったのだと説く。

   さて、論点の、経済的な依存関係があれば、冷戦的対立や戦争が起こらないのかと言うことだが、答えは否で、歴史上、経済の相互依存関係がどれだけ深くても、戦争が起こっている事例は数限りなくあると言う。
   「フォリーン・アフェアーズ」で、ドラッカーが、グローバル・エコノミーが国民国家を凌駕してしまうのではなく、必ず国民国家が勝利を収めて、両国の経済を分断すると、第一次世界大戦で、オーストリアのフィアットが戦車を製造してイタリア兵を殺戮した例を挙げているのが面白い。
   日米が開戦した太平洋戦争を考えても、あるいは、これ以上ないほどの緊密な相互依存関係にある国内での内戦の勃発を考えても、経済の相互依存が軍事対立や戦争を防ぐことが出来ないことは自明であって、日中の経済関係についても、国家を超えて「相互依存はもはや死活問題と言えるほど深い」と言うことは絶対にあり得ない。と言うのである。
   EUは、ユーロ問題によって、今や、「金融面の内戦」状態に突入していて、経済的な依存関係は、決して平和を保障しないばかりか、国家間対立をむしろ加速させる場合もあるとまで言う。

   中国と日本の関係について、中西教授は、現代中国がはらむ「大いなる危うさ」として、
   あれだけの暴虐な天安門事件
   台湾の武力統一政策の継続
   尖閣諸島紛争に伴うフジタ社員の拉致・拘束とレアアース対日禁輸と言う国際法と貿易ルールの公然たる無視等による日本威嚇
   を列挙して、中国が如何に経済大国となり日本やアメリカと経済関係が深まっても、根本的に「パートナー」と成り得ず、常に「脅威」の源であり続けると主張している。

   中西教授が、日本人の84%が中国に対して悪い印象を持っているとする世論調査を引用して、この水準は、ポイント・オブ・ノーリターンを越えていて、日中友好の時代は終わったのだと論じている。
   丹羽前中国駐在大使が、「将来は大中華圏の時代だから、日本は中国の属国として生きて行けばよく、それが、日本が幸福かつ安全に生きる道です」と言ったと本書で引用していて、もし、本当だとすれば、極めて由々しき問題だと思うのだが、フリードマンが正しいかどうかは別として、どうしても、中国経済にどっぷりと関わっている経済界は、経済関係優先であって、融和政策なり、従属政策に陥り易いのは事実であろう。

   私は、世界中の大方が、中国が、現状の経済成長を維持して順調に先進国への道を進んで行き、世界一の大国になると考えているようだが、必ずしも、それ程上手く行く筈がなく、共産党一党独裁と腐敗政治、公害問題と格差拡大による国民生活の窮乏と生活環境破壊、中西教授が指摘するようにロシア韓国までも含めた中国包囲網の国際的反撃、チベット・ウイグル問題、南シナ海東シナ海での紛争による国際外交の孤立、その他不安定な国際情勢etc. いくらでも巨大な落とし穴が待ち構えていて、途中で頓挫する可能性が高いと思っている。
   まず、第一に、開花して啓蒙されてきた中国国民が黙っていないであろうと思う。

   いずれにしろ、平和であって欲しいと思っているし、中国の偉大な歴史や文化文明には畏敬の念を禁じ得ないが、私の現在の対中国観は、どちらかと言えば、ミアシャイマーや中西教授に近いと思っている。
   しかし、大切なのは、もう、後のなくなった宇宙船地球号に共存共栄する人類が、如何に、サステイナブルな生活環境を必死になって維持して行くかを考えれば、いがみ合ったり紛争に明け暮れている場合ではないと言う認識を持つことだと思っている。

   
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夏野剛著「なぜ大企業が突然つぶれるのか」

2013年02月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   IT革命は、有史以来最大の革命であり、世界の行動原理を根本的に変えてしまった。
   世界最強を誇った日本のものづくり企業が苦戦し、IT企業が空前の利益を上げ、フェイスブックやツイッターが世界中に一瞬で広まり独裁政権をも葬り去ると言う現象を理解するためには、IT革命の本質を理解して、複雑系の視点に立って、国家も企業も個人も意識革命を起こさない限り、明日の日本はない、と夏野剛は説く。

   戦後の成長を支えてきた製造業が岐路に立っているのは、国際的な企業間競争によって一瞬で値崩れが起こり、利益が取れなくなる「商品のコモディティ化」にあり、今や、ITが、全産業のインフラになって、日本人が得意としてきた「モノづくり」と「モノではないもの」の区別が曖昧になり、製品のスペックではなく、アップルに象徴される「仕掛け」をどう作るかで勝負が決まる時代になった。
   IT革命のターニングポイントとなったのは、グーグルが創業した1998年で、次の三つの革命を引き起こした。
   ☆リアルからネットへの顧客設定の変化
   ☆情報の爆発
   ☆ソーシャルメディアによる、個人情報発信能力の拡大
   特に、ソーシャル革命の影響は甚大で、本来独立していた筈のユーザーが、夫々に作用し合って創意工夫によってビジネスを「創発」し、共鳴し合いながら自発的に動こうと「自己組織化」するなど、システムが独自に進化を遂げて行く「複雑系」の現象がいたるところに現れて、大きなうねりとなって国家さえも転覆させる事態に至っている。
   こんな初歩的な変化さえ理解できない菅政権は、3・11の翌日に、メルトダウンの可能性があると言う真実の情報が、一次情報であるツイッターで行き交っていたにも拘わらず、やっと3か月後に認めると言う失態を演じて、日本を窮地に追い込んだのだが、ITを駆使して積極的に一次情報をキャッチして現場感覚で判断を下しておれば避け得たと夏野教授は言う。


   ITが、全産業のみならず、政治経済社会は勿論、あらゆる分野のインフラとなった今日、物事が予測不可能に変化する「複雑系」社会では、ITこそが正に戦国時代の新兵器・鉄砲である。「長篠の戦い」で、騎馬戦が得意であった武田勝頼軍を、革新的な兵器であった鉄砲を駆使して撃破した織田信長になぞらえて、ITを武器として活用出来ないような経営者は、討死間違いなしであるから、即刻退場せよと夏野は説く。
   意思決定権を持つ人物がITを理解していないことは、「部下の命」を危険にさらすことであり、SNSを駆使して「外部脳」を活用しようとする若い社員の活動を阻止するなどは愚の骨頂で、このような凡庸なリーダーを温存する組織は、衰退産業としてそれ以上成長できず、市場規模が縮小して行く中で社員全員を養ってゆく収益を上げられず、仲間の雇用を打ち切る元凶となると言うのである。   

   
   我々が住んでいる政治経済社会が、「複雑系」であると言うのが、夏野理論の根幹だが、元々は、「複雑系とは、部分が全体に、全体が部分に影響し合い、要素ごとに切り分けた分析が困難なシステム」とする物理学や経済学の用語だと言っているように、「閉じた系」の対極にある。
   これまでの学問の多くが、全体ではなく、要素ごとに分解して、変数を固定して分析をしているので、現実の社会で起こる事象には、「閉じた系」のアプローチで得た知見や予測などとは違った矛盾が生じてくる。
   同じウォートン・スクールの経験があるので認識は同じだと思うが、アメリカでは、学際(interdisciplinary)と言う認識が当たり前で、学部でも、授業でも、固定した学問や科目・コースと言った考え方は希薄で、極めてその境界が曖昧であって、日本では考えられないような異分野間の相互乗り入れが常態なのだが、それでも、「複雑系」は本流ではなかった。
   しかし、最近では、経済学と心理学を合わせたような行動経済学が脚光を浴びてきたように、「閉じられた系」の経済学では、ガルブレイスが「悪意なき欺瞞」で説いたように、欺瞞が多くて真実から程遠いことが分かって来ている。
   まして、ICT革命で情報が爆発し予測不可能な激動の開かれたグローバル世界においては、閉じた系ではなく、複雑系思考で、対応しなければ、中々理解も出来なければ前にも進めないと言う状況になって来ている。

   日本の企業のトップが、秘書やスタッフからの2~3次情報に頼るのではなく、ITに親しみツイッターやフェイスブックに入れ込んで、一次情報に直接接して情報社会に対応して経営に生かすべしと言う夏野教授の提言が、それ程、有効なものかどうかは分からないが、ITが、政治経済社会や全産業の基本的なインフラであることは間違いなく、この変化の激しいグローバル経済の行く末を的確に洞察して、逸早く最新情報にアクセスするためにも、ITを駆使して経営のかじ取りをしない限り、企業の将来は、危うくなると言うのはあながち間違いではなかろうと思う。

   夏野教授は、この新書で、きわめて多岐にわたって論じているので、個々の論点では異論もあるが、私自身は、ITに対する認識と複雑系に対する夏野教授の考え方は、大筋正しいと思っている。
   しかし、アマゾンのカスタマーレビューを見ていると非常に評価が悪いのだが、先に北川智子さんの本で論じたように、レビューアーの質が極めて悪くて、殆ど、夏野教授の論じているITや複雑系について分かっておらずにレビューを書いていることで、もし、この本の読者の多くが、あの程度の認識でICT革命なり「複雑系」理論にアプローチしているとするのなら、恐ろしさを禁じ得ない。
   この本で論じられている論旨の多くは、少なくとも、米国では常識である筈なのだが、
   日本人の一般的なICT革命なり複雑系への認識が、あの程度であるとするのなら、夏野教授の説く日本再生論ははるか彼方であり、ICT革命、デジタル革命後のグローバル世界での日本の立ち位置は、益々後退して行く。
   
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優先席専用車両設置について、もう一度

2013年02月25日 | 生活随想・趣味
   先日、「優先席専用車両(シルバーズ・カー)を設置すべき」とブログに書いたら、有難くも、2件、コメントを頂いた。
   この口絵写真は、メトロ半蔵門線の社内の優先席表示なのだが、日よけシェードにも拘わらず、下ろしても見えるようにしてある。心掛けは見上げたものである。
   問題は、優先席に対する電鉄会社やJRの姿勢態度で、全くと言っても良いほど、その有効活用について、努力もしていなければ、実態がどうなっているのかさえ知らないのではないかと言うことである。
   もし、知っていたとするならば、いや、知らなくても、完全にカスタマー・サティスファクション軽視の最たるもので、極論すれば、場合によっては、役員の善管注意義務違反として追及しても良いかも知れない事例である。

   残念ながら、衣食足って礼節を知ると言うか、20年のデフレ不況で、普通の国に成り下がってしまった今の貧しい日本には、良き時代の礼節を重んじる風潮がすたれてしまったような気がして仕方がない。
   お題目や趣旨は見上げたものなのだが、実際には、あらゆるところで、全く実行の伴わない事なかれ主義がまん延してしまって、この場合も、趣旨に賛同して「優先席」は設置するが、後はどうなっているかには全く関心なく、「はる」さんのご指摘の如く、全く、「優先席」が有効に機能していないのは明白であるにも拘わらず、車内パトロールさえもしなければ、JRの検札以外はスタッフが車内を歩くことさえしない。
   事故が起きた時には、平身低頭謝るのだが、優先席」や「車内携帯電話」などは、場所だけ設置して車内放送と掲示板でこと足れりと見て見ぬふりで、謂わば、「羊頭を掲げて狗肉を売る」類の旅客サービスである実態に全く注意さえ払っていないと言うことである。
   
   さて、この口絵写真の優先席表示なのだが、思い切って、4例のカット画の下の方に、「それ以外の方は、心の病んだ人」と朱色のゴチック体文字で大書して見てはどうであろうか。
   尤も、「女性専用車」でさえも、男性が入り込んで文句を言ってトラブルになると言うケースがあると言うのだから、ダメかも知れないが、警告くらいにはなるであろう。

   先日、優先席専用車両を設置すべきと書いたが、どうせ、電鉄会社は、繁閑の差など車両利用効率を言うであろうから、時間帯によっては、例えば、ラッシュアワーなどは、車内に移動間仕切り様の設備を設置したりすればよいのだが、要するに、隔離した優先席専用空間を作れと言うことである。
   場所は、大阪の女性専用車両のように、車列の真ん中の一番良いところに設置すべきであると思っている。

   優先席を必要としている人たちが、殆ど、利用できないような現状にあると言う悲しい事態になるほど、日本人のモラルや公徳心が落ちてしまっているとするのなら、そして、JRや電鉄会社が、本当に優先席を目的通りに維持したいと考えているのなら、当事者であるJRや電鉄会社が、実効ある活用を図るために、大キャンペーンを張る以外にないと思う。
   車内パトロール隊を編成して啓蒙活動をするとか、いくらでも方法や手段はあると思うのだが、要するに、社是として社員全体に趣旨を徹底させて実行することである。
   とにかく、JRなり電鉄会社が、「優先席」キャンペーンを立ち上げて運動を始めて欲しい。スタッフが制服姿で、「優先席」の前に立って、「健康な人は、優先席に座らないでください」と連呼するだけでも良い。
   残念ながら、私は電鉄会社の株を持っていないのだが、もし、このブログをお読み頂いている方で株主の方が居られれば、株主総会で「優先席を生かそう」と言って頂くと効果があると思うのだが、いずれにしろ、当事者である交通機関が、率先して実効ある努力を開始しない限り、ことが始まらない。

   私は、自分の経験からも、イギリスなどのヨーロッパの先進国やアメリカなどであれば、優先席には、子供たちには、道徳心と恥の意識がある筈なので、座らないだろうし、当然、大人も座らないので、何時も「優先席」は空いているだろうと思っている。
   健康な人は座ってはならない席であるから、日本人のように、空いているから、「勿体ない(?) 座ろう」と言う意識は、起こさない筈である。
   日本のように改札出札口があって、性悪説に立って徹底的に運賃を払っているかどうかをチェックするのとは違って、多くの国では、改札もなければ切符のチェックさえない国が多くて、正当な運賃を支払って乗車しているかどうかは、旅客個人のモラルなり良心に任されている。
   昔、キセルをする旅客の多くは遠方にゴルフに出かけるサラリーマンだったと言うJRの報告を読んだことがあるのだが、そう言う心根の人が多いから、麗々しく「優先席」と書かなければ、困っている人に席を譲りさえしない。
   しかし、優先席を設置してそのように注意を喚起しても、実際には、完全に無視して、公徳心のなさを更に暴露してしまって、恥の上塗りをしている、これが、悲しいかな、今の日本の「優先席事情」である。

   最近、劇場でも電車の中でも、殆どどこでも、体の不自由な人たちが元気に活動されている姿を見ることが多くなって喜んでいるのだが、これとは別に、今後、少子高齢化が進んで行くと、益々、日本人全体が、必死になってお互いに優しい温かい環境づくりに勤しまなければならなくなる。
   そのためにも、活動の場を豊かにする一助として、「優先席」を大切に育てて守っていくことが、大変大切な試みとなる。
   「優先席」を守る運動を展開しよう。
   この小さな(?)試みや対話を通じて、多くの貴重な指針や教訓など、これからの課題先進国日本のあるべき姿が見えてくるような気がしている。
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剪定バサミに拘ると言うこと・・・京成バラ園

2013年02月24日 | ガーデニング
   今日は、京成バラ園での最後のバラセミナーだったので、久しぶりに出かけた。
   【京成のバラ品種紹介】と言うタイトルで、ローマ国際コンクールで金賞を受賞したバラ「快挙」をはじめ、「杏奈」、「結愛」、「薫乃」などを育種した武内俊介氏が、育種家の視点から、京成品種を語ると言うことであったが、京成バラ園入社の頃作出された「うらら」の思い出から語り始めた。
   ブリーダーとしての興味深い話もあったが、時間の半分は、刃物が好きだと言うことで、ご自身の剪定バサミ遍歴から始めて、剪定バサミの選び方から研ぎ方など多岐に渡った話が面白かった。

   私が使っている握り手が紅白になっている岡恒の剪定鋏が、唯一の支給品で、その後は自分持ちの剪定ばさみを遣うのだと言うことであるが、やはり、武士の刀と同じで、良いものが欲しくなると言うことである。
   ガーデンセンターなどで売っているのでは、岡恒の製品は一番上等な方であり、私など、苅込バサミや植木ばさみなども岡恒で、十分満足していて不足はないのだが、プロともなると、もう少し、上等なものを遣っているらしく、阿武隈川製品を紹介していていた。
   丁度、店内に刃物屋さんが出店していて、阿武隈川の商品を広げていたが、1万円を越えるものもあって、切れ味も良いのだろうが、こうなると、一寸した芸術品である。
   しかし、いくら高くても、エルメスなどではなければ、日本刀の流れを汲む匠の剪定挟でも、イングリッシュローズやフレンチローズの6号鉢植え苗の2~3本分の価格であって、考えてみれば、薔薇の方がはるかに高価だと言うことであろうか。

   ところで、竹内氏は、毎日、剪定バサミを研いでいるようで、持ってきた4丁とも、刃先は、ピカピカに光っていて美しい。
   色々、剪定バサミについての失敗談なども語っていたが、私など、使った後、汚れを取る程度で、自分で研いだことさえなく、半年毎にやって来るシルバーの研ぎ師に研いで貰うくらいなので、平生は、刃に錆が浮いていたり黒ずんでいたりしていて、筈かしい限りである。
   前回など、太い鉄線を切ろうとして刃こぼれを起こして、研ぎ直して貰ったのであるから、素人ガーデナー失格でもある。
   しかし、それでも切れ味は良いし、庭植え鉢植え合わせても30本くらいのバラの剪定には、何の不自由もなく、重宝している。
   と言いながらも、本格的にバラ栽培をするつもりなら、やはり、心構えが大切であるので、弘法ではないから筆を選ぼうと、インターネットを叩いて、越後三条の「秀久」のグッドデザイン賞を取ったJAPANブランドの特別上等な剪定挟にオーダーを入れたのだが、このあたりは、調子者である所以かも知れないと思っている。

   猛烈サラリーマンだった頃には、例えば、手帳や筆記具などに拘っていたのだが、沢山の趣味があって、ガーデニングは、その内の一つにしか過ぎないので、あまり、ハサミに拘る必要もなかろうと、慰めてはいるが、次からは、剪定バサミを大切に扱おうと思っている。

   竹内氏の話では、中輪系で花数の多いフロリバンダの育種に力を入れていて、香りを加えたいと言うことであった。
   私は、少し前から、イングリッシュローズから、バラ栽培を再び始めたのだが、その後のフレンチローズも含めて、オールドローズ系の中輪のバラが大半で、普通のバラも、フロリバンダが多い。
   30年くらい前に、庭一杯にバラを植えていた頃には、殆ど、大輪のHTだったのだが、何故か、趣向が変わってしまって、最近では、イングリッシュローズやフレンチローズの何とも言えない優雅な雰囲気が好きになって、それに、こじんまりとした株姿で楽しめるのが良いと思うようになった。

   ところで、ショッキング・ピンクの美しい花姿に感激して衝動買いした「うらら」だったが、昨年、肥料過多で枯らせてしまったし、今日、話にも出たので、買って帰ることにした。
   それに、イングリッシュローズは、ツルバラ仕立てにしたフォールスタッフも枯れてしまったので、同じ、深紅のウイリアム・シェークスピア2000と、一寸雰囲気の変わった白バラと言うことで、最近作出のウンダミアを、一鉢ずつ買って帰った。

   今、店頭に出ているのは、大半が、最近、6号鉢に植えつけた鉢バラなのだが、昨年植えつけた鉢バラを剪定し直した鉢も中には混じっていて、私は、うららは、その方がしっかりしていたので古株を買って、帰ってから、直に、9号鉢に植え替えた。
   今年は、大分、新しい鉢バラが増えたので、春の開花が楽しみである。
   一輪一輪、必死になって咲く花の美しさに感動しながら、涼風に吹かれて、はるか昔に思いを馳せて、ダージリンやブルーマウンテンを楽しむ憩いのひと時が、非常に貴重だと思えるようになって来たのも、歳の所為かも知れないと思うようになっている。

   やっと、庭のクロッカスが、咲き始めた。
   それに、鹿児島紅梅がほころび始め、乙女椿が咲きだしてきた。
   もう、春はそこまで近づいている。
   
   
   
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優先席専用車両(シルバーズ・カー)を設置すべき

2013年02月23日 | 生活随想・趣味
   電車には、女性専用車両(俗に言うレディースカー)があり、優先席(俗に言うシルバーシート)がある。
   女性専用車両は、時間制限があり、国土交通省は、「男性のお客様のご理解とご協力の下に成り立っているものであって、強制的に乗車を禁ずる法的根拠もなく、男性のお客様を排除するためのものではありません」としているようだが、いずれにしろ、特別な隔離車両なので、女性以外は、中々、入り難い。
   一方、シルバーシートだが、当初は、年寄りや体の不自由な人対象だったが、利用対象を高齢者や身体障害者以外にも怪我人、妊婦、乳幼児連れなど一時的に何らかのハンディキャップを持つ人にも拡大したために、最近では、優先席と言う呼称になっているのだが、各車両の一部が割り当てられているだけなので、明確な表示がしてあるにも拘わらず、有名無実で、目的通りに使用されている例がない。
   本当に、電鉄会社やJRが、優先席を維持しようと思うのなら、24時間設定の優先席車両を設置すべきだと思っている。

   この口絵写真は、ある日の休日の総武線電車の優先席の風景だが、ハイティーンの女の子たちが優先席を占領して弁当を食べている。
   年寄りが、途中で乗車してきたが、ずっとそのまま座り続けて、横浜で下りたのだけれど、彼女たちには、全く、優先席に座っているのだと言う認識はなかった。

   分かっておれば、注意すれば良いではないかと言われそうだが、その前の日に、京成電車の優先席で、若者と一寸したトラブルが起きたので、お互いに気まずくなるのを避けて、この日は、私自身は黙っていた。
   京成電車でのことだが、偶々混んでいて、その日は、私自身(年寄りだと思っていたし、遠距離だったので)、普段と違って優先席に座っていた。
   少し空いていたので、お年寄りが乗って来たので、空間を開けようとして横に詰めたら、隣の青年が、足で抵抗して踏ん張って動かなかったので、「ここは優先席だろう。お年寄りが座ろうとしているのだから、少しぐらい譲っても良いだろう。」と声を出した。
   気まずい思いでそのまま車中で時間を過ごし、二人とも押上で下りたのだが、プラットホームに降りると、凄い形相で私を睨みつけて、一触即発の雰囲気となったのだが、こんな場合の処理の難しさが身に染みたのである。
   優先席に大股を開いて座っていても悪いと言う認識のない若者に、注意でもしようものなら、必ず頭に来て切れてしまって、悪くすれば血の雨が降る。どうすれば良いのであろうか。

   他の路線の状況は、あまり知らないのだが、東京のメトロであろうと都営地下鉄であろうと、東京近辺のJRなどでは、優先席に、若い男女や壮年の男女が普通に座っていて、妊婦が来ようと年寄りが来ようと、平気で優先席を占めて、譲る気配など殆どないのが現状である。
   優先席の場所を求めて、乗ってきた年寄りが、じっと空くのを待って、手すりに縋り付いているのに、席を譲る人はいないし、多少後ろめたい気持ちの人は狸根入りをしている。
   妊婦だった娘や知人のお子さんの話でも、通勤の満員電車で、苦しくて優先席の前に立っても席を譲られたことは、全くと言うほどなかったと聞いているのだが、日本人のモラルの低下、礼節を思う気持ちのダウンは、危険な状態にまで陥ってしまったのではないかと思っている。

   いずれにしろ、今の日本人のモラルなり公徳心が現状のままであれば、格好の良いお題目でなくて、本当に優先席を維持したいのであれば、優先席専用車両を設置する以外にないと思っている。
   今の優先席スペースをトータルすれば、1両分くらいには十分になると思うし、いずれにしても、反対する人はいくらでもいるであろうが、その方が有効であろうと思う。
   
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国立劇場:二月文楽・・・妹背山婦女庭訓

2013年02月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この物語は、文楽でも歌舞伎でも同じだが、主役は、大化改新の幕開け時代に権勢を誇った蘇我入鹿(玉輝)と言うべきか、入鹿の横暴によって泣く男女の悲恋の物語と言った方が良いかも知れない。
   主に舞台で上演される人気の高いのは、一つは「吉野川」の段での、久我之助と雛鳥の悲劇で、恋を貫き通した二人の、首が寄り添って吉野川を流れ下る話で、もう一つは、「御殿」の段で、鎌足の息子淡海(求馬 和生)に恋をした酒屋の娘お三輪(紋壽)の悲恋の物語で、入鹿殺害のための犠牲として殺されると言う話である。
   この入鹿は、父蝦夷が白い牡鹿の血を妻に飲ませて産ませたので超人的な力を持ち、入鹿を滅ぼすには爪黒の鹿の血と嫉妬深い女の血が必要だと言うことなのだが、御殿に駆け込んで来た田舎娘のお三輪が、恋しい恋しい淡海が入鹿の妹橘姫と祝言を上げると知って官女たちに面会を頼むも散々に苛め抜かれて逆上したので、それを見た鎌足の忠臣金輪五郎(漁師鱶七 玉女)が、横腹に刃を突き刺す。

   今回は、「道行恋苧環」から始まる、この御殿の場で、死を前にしたお三輪に、鱶七が、事情を説明して、お三輪の生血が淡海の役に立つのだ北の方と説くのだが、嬉しく思いながらも一目淡海に逢いたいと苧環を抱きしめながら息絶えるお三輪が哀れである。
   冒頭の道行は、御殿へ帰ろうとする橘姫と淡海との逢瀬にお三輪が割って入る三角関係と言った雰囲気なのだが、旅立つ橘姫の袂に淡海が赤い糸を、淡海の袂にお三輪が白い糸を結びつけて苧環を持って、夫々後を追うのだが、お三輪の糸が途中で切れてしまい、結末を暗示している。
   この物語は、古事記に出て来る話で、活玉依毘売が身籠ったので、毎夜訪ねてくる男の衣に麻糸をつけて辿って行ったら三輪山の神の子であったと言う話を脚色しているのだが、それにしても、三輪から、入鹿の館のあった飛鳥の甘樫丘までは、随分距離があって、勿論、苧環の糸で辿れる訳がないのだが、大らかな話で面白い。

   明日香の飛鳥寺のそばの畑の中に入鹿の首塚があるのだが、私は、学生の頃、あのあたりから甘樫丘、石舞台などを巡り歩いたり、山道を登って談山神社に出たり、大和路を随分歩いていたが、大らかで茫洋とした感じの奈良の田舎の風景が懐かしく、この文楽を見ながら、久しぶりに、あの頃に思いを馳せていた。

   物語に文句をつけるつもりはないのだが、大体、この話は、女性が一途に思いを遂げるべく生きようとするのだが、男が勝手と言うか、筋が通っているようで通っていない生き方をしているのが気に入らない。
   淡海の方は、お三輪とも実質夫婦関係にあるし、入鹿討伐を目論んで橘姫に近づいたのであろうが、御殿から通いつめているのであるから懇ろであろうし、更に、敵味方であることを知り抜いて死を覚悟で恋い慕っている橘姫に、恋を全うしたければ、入鹿所有の三種の神器の一つ十握の剣を奪えと交換条件を出す勝手さ。
   鱶七も、鎌足に忠たるためには、入鹿殺害のためにはお三輪は格好の獲物で、何の躊躇もなく刺し殺す。
   尤も、当時は、大義のためには、女性の犠牲などはどうでも良いと言う価値観なり世相だったのだろうが、このあたりの理解なり感情がしっくり行かないと、玉女の鱶七の偉丈夫な立ち居振る舞いが、如何に豪快であり、颯爽としていても、どうしてか、感激を通り越して白けてしまう。
   最近、歌舞伎や文楽を見ていて、そんな思いが強くなって来ていて、理屈では分かっていても、ストーリーの流れにすんなりとついてい行けなくなって困っている。

   さて、私は、女形としての紋壽の人形は群を抜いていると思っているので、今回も、健気で必死の田舎娘お三輪の舞台を楽しませて貰った。
   「金殿の段」での孤軍奮闘とも言うべき悲劇の場は、お三輪あっての舞台だが、これでもかこれでもかと言った調子で痛めつけられながらも健気に耐え抜き、最後には、怒りと、求馬への激しい思いと橘姫への嫉妬が渦巻いて半狂乱になって御殿の廊下を駆け抜き鱶七に刺されるのだが、起承転結の激しいお三輪を、紋壽は、巧みに泳がせていて、悲劇を炙り出して凄まじい。
   和生の、一寸抑え気味だが風格のある淡海が、中々、優雅な雰囲気を醸し出していて好ましいと思った。
   玉女は、今や、文楽界の立役のトップ人形遣いであるから、文句のつけようがないのだが、前述したように、豪快であればあるほど、偉丈夫であればあるほど、ストーリーに隙間風が通るような感じがして見ていた。

   私には、歌舞伎でも随分見ているのだが、この金殿の場の、お三輪犠牲のストーリーそのものが、居た堪れないほど、悲痛で悲しい話なので、合わないのかも知れないと思っている。
   尤も、豆腐の御用(勘壽)の登場は、一幅の清涼剤として面白いと思っている。

   大夫の語りと三味線に関しては、最近、十分に馴染み始めて来ており、文句なしに楽しませて貰った。
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エル・グレコ展・・・東京都美術館

2013年02月21日 | 展覧会・展示会
   スペインの偉大な画家エル・グレコの作品が集められて、東京都美術館で、展示されている。
   この口絵写真の、サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂の主祭壇画として制作された「無原罪のお宿り」が圧巻で、347×174cmと言う大きな宗教画である。
   聖母マリアが原罪を免れてアンナに宿って生まれたという教義を表した絵で、他にも、もう一点展示されていたが、「受胎告知」や「羊飼いの礼拝」など、同じテーマの作品が数点展示されていると、エル・グレコの意図などが推測されて興味深い。
   この絵の下の方に、聖母マリアの象徴である薔薇と百合が、綺麗に描かれていて印象的であった。五月になると、私の庭にも、バラとユリが咲き乱れる。楽しみである。

   初期のものには、写実的で丁寧に描かれた作品が多いのだが、晩年に近づいて描かれた宗教画の多くは、人物を極めて細長くひょろりと描いて、この口絵の作品に表現されているように、「引き伸ばされ地上の重力から解放された人体やその上昇するエネルギー、天上の光のもと輝く神秘的な色彩の乱舞」と言った、明らかにエル・グレコの絵画だと分かるような作品が多く描かれている。
   当然、縦長のキャンバスに描かれることが多いのだが、祭壇画となれば、下から見上げて拝すると、自分自身が天上に吸い込まれるような錯覚を覚える。
   とにかく、一挙にこれだけ沢山のエル・グレコの傑作の数々を鑑賞出来るのは驚異的で、1時間の鑑賞時間は瞬く間に過ぎてしまった。

   私は、結構、欧米の美術館や博物館を回っているので、エル・グレコの作品を見ることも多いのだが、好きな画家や作品が沢山あるので、これまでは、特に、今回のように、エル・グレコの絵を、注意して丹念に見たことはない。
   しかし、スペインに行き、特に、プラドを訪れると、エル・グレコが、一気に主役となる。
   3回ほどトレドを訪ねているので、大概のエル・グレコの作品に触れている筈だが、強烈な印象に残っているのは、サント・トメー聖堂(トレド)の「オルガス伯爵の埋葬」で、先の作品よりは大きく、非常に狭い堂内に安置されていて、広角レンズでもなかったので、写真が撮り辛かった記憶がある。
   この絵は、上下二段に分かれていて、上部は、イエスの天上世界で、下部は、埋葬風景を描いた娑婆世界で、その聖俗融合の宗教空間が素晴らしい。
   口絵の「無原罪のお宿り」は、色彩は美しいが、近づいて見ると、結構筆のタッチが荒いのが分かるが、この埋葬の祭壇画は、かなり精緻に描かれていて、エル・グレコの絵に対する印象が大分変わった。
   
   

   もう一つ印象に残っている絵は、ニューヨークのメトロポリタンで見た「トレド眺望」で、フェリペ二世に不興をかって失意の思いで故郷に帰った頃の絵なので、深緑と濃青主体の陰鬱だが、印象的でもあり、神秘的な感じの不思議な絵なので、忘れられない。
   この絵は、今、パラドールのあるタホ川を挟んだ対岸の丘から描かれていると思うのだが、私が行った時には、薄い霧雨に霞んでいて、大聖堂などは墨絵の世界であった。
   この絵を見ながら、フェルメールの「デルフト眺望」を思い出していたのだが、画家が、自分の故郷を描いた絵画には、それなりの意図と思い入れがあって、私は、色々考えながら鑑賞するのが好きなのである。
   

   さて、エル・グレコは、クレタ島出身のギリシャ人で、クレタ島では、ギリシャ正教のイコンを描いていたと言う。
   その後、ヴェネツィアに移って、私の好きなティツィアーノに絵画を学んだようで、最後は、トレドに移り住んで、スペイン人として一生を終えた。
   カソリックとしては、殆ど狂信的とも言うべきスペインで、異教徒であったかどうかは知らないが、エル・グレコには、宗教画が多いけれど、私自身は、エル・グレコは、それ程、カソリックに入れ込んで、宗教画を描いたのではなく、絵画作品として、芸術として、絵を描き続けたのだと思っている。
   ギリシャ人であることを主張したかったのであろう、ドメニコス・テオトコプーロス(Δομήνικος Θεοτοκόπουλος)と言う本名を捨てて(?)、イタリア語のギリシャ人と言う意味のグレコと言う言葉にスペイン語の定冠詞エルを付け加えて自分の名前にしたほどだからである。
   そう考えれば、エル・グレコの宗教画を、もう少し、広い視点から鑑賞できるのである。
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久しぶりの上野公園、ロダンの彫刻

2013年02月20日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   国立能楽堂の公演が終わったのが3時頃だったので、久しぶりに上野に向かった。
   東京ドームで世界らん展が開かれている筈だが、人ごみが煩わしくなって、今年も出かけて行く気がせず、上野東照宮の冬牡丹を見に行くか、東京都美術館で開催されている「エル・グレコ展」を見に行くか、とにかく、着いてから考えようと、JRに乗った。

   いずれにしろ、花を見に行くのなら、写真を撮るので、手持ちのコンパクトデジカメでは、折角の花が思うように撮れないので、結局、エル・グレコ展を見に行くことにした。
   私は、美術館や博物館へ行く時には、閉館間際に入館して、入場者が少なくなった最後の1時間弱で、見ることにしているので、少し時間があったので、途中の西洋美術館の中庭に入って、ロダンの彫刻を見ることにした。

   ここには、ロダンの巨大な「地獄の門」があり、この素晴らしい彫刻には、いつ見ても圧倒される。
   扉の真上中央に、「考える人」があるなど、扉や柱の彫刻などは、ロダンが単体で彫刻作品を作ってきた多くのモチーフ・モデルが埋め込まれていて、それを追いかけるだけでも楽しくて興味が尽きない。
   私は、この地獄の門が好きで、当時、何かの本で、世界中に、三体しか残っていないと書かれていたので、是非見たいと思って、フィラデルフィアの大学院に行った時、それに、その休暇でパリに行った時に、夫々、ロダン美術館を訪れて、この門に再会して感激した。  
   あっちこっちの美術館を訪ねた時に、ロダンの彫刻を熱心に鑑賞していたのだが、ニューヨークのメトロポリタンで見た「接吻」などの男女の群像や沢山の作品に接して、ギリシャやローマの彫刻とは違った感慨を覚えた。
   「接吻」は、アングルが良くないので分かりにくいが、MET美術館で撮ったのを添付しておく。(METもルーブルも、世界の博物館や美術館の多くでは、写真撮影が自由に許されているので、整理すれば、膨大な記録写真がある。)
   
   
   

   この門の両脇に、アダムとイブの単体の彫刻が置かれていて、中庭の反対側には、「カレーの市民」の群像と、大きな「考える人」の像が置かれている。
   この像の間に、白梅が植わっていて、丁度、花が綺麗に咲いていた。
   
   
   

   もう一つ、玄関口に近いところに、ブールデルの「弓をひくヘラクルス」の、日本の仁王像に似た雰囲気の彫刻が置いてあるのだが、彼の作品も、結構外国の美術館で見る機会があった。
   

   確か、フィラデルフィアでもパリでも、美術館の庭にも彫刻が置かれていたような気がするのだが、やはり、戸外での展示を意図して作られた大きな作品は、戸外に置かれてこそ意味があろうと言うものである。
   どこかで、ペンギン・スタイルのバルザック像を見たことがあるが、中々様になっていて良かった。
   あのミケランジェロのダビデ像は、フィレンツエのアカデミア美術館にあるのだが、レプリカがシニョリーア広場に面した市庁舎(ヴェッキオ宮殿)の正面入口脇など、世界各地に置かれている。
   ところが、日本の某町の公園に置かれたダビデ像が、生まれたままの姿なので物議をかもしていると言うのだが、混浴を許す国柄でありながら、無粋な話である。
   このブールデルの「弓をひくヘラクレス」は、どうなのであろうか。綺麗な御嬢さんが、スマホで写真を撮っていた。
   念のため、ダビデ像を。
   
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植物といっしょに暮らす素晴らしさ・・・中村メイコ

2013年02月19日 | 生活随想・趣味
   中村メイコの新著「夫の終い方 妻の終い方」を読んでいるのだが、軽妙洒脱・ユーモアたっぷりで、とにかく面白い。
   「お二人様の老後」を生き抜く知恵と悪知恵 「妻」を「私」に戻してみたら、夫が嫌な男でなくなります。 と言ったサブタイトルのついた本だが、80歳と78歳になった神津サンとメイコ夫妻のほのぼのとした生活空間が見えるようで興味津々でもある。
   7年前に、メイコの「五月蝿い五月晴れ」と言う本を読んで、このブログで、”中村メイコの笑劇場・・・泣き笑いの人生が爽やか”を書いて、初夜の明けた朝の傑作珍妙な二人の挨拶などを紹介したのだが、この本も、読みながら、なるほどと頷きつつ笑いをかみ殺すのに苦労するほど楽しませてくれる。

   ところで、私が感想を書けそうなのは、このブログのタイトルの「植物といっしょに暮らす素晴らしさ」と言うところだと思うので、メイコさんの言葉を借りながら、考えてみたい。
 
   神津宅のリビングは、三階まで吹き抜けで、30年前に植えたベンジャミンが、絡み合って天井まで幹を伸ばして生い茂っていて、神津サンは、この大木の下で嬉しそうにご飯を食べ、メイコさんは、若い頃の木登りを思い出しながら、年寄りには植物が必要だと感じていると言う。
   鉢植えの水遣りや、切り花の水替えに注意しなければならないが、物忘れの防止にもつながり、生活にもリズムが生まれ、一寸した運動にもなるもので、それに、何よりも大切なのは、「自分にはまだ、自分以外のモノを育てられるんだ」と言う自信が生まれること。歳を取ると自信を失う場面が多く、一つでも自信を持つことは、生きる元気に繋がるのだと言う。

   チューリップを植えたが、芽が出たためしがないし、ガーデニングは出来ないけれど、肉代を節約しても、お金もないのに花を買ってと娘たちに叱られても、花のない生活など考えられないので、部屋に切り花は欠かしません。老いても子には従いません。と言う。

   さて、我が家だが、家内が花が好きなこともあって、私が気づいた頃から花が部屋に飾られていたと思うのだが、特に、オランダに行ってから、そして、イギリスに移って、やはり、花の国で、花が随分安くてふんだんにあったこともあって、家の中のあっちこっちに、綺麗な切り花が活けられていた。
   イギリスのキューガーデンの家には、大きなバックヤードがあって、巨大なサクランボの木を中心に、季節には、綺麗な花が咲いていたので、イングリッシュ・ガーデンの雰囲気を楽しむことが出来た。

   私が花に興味を持ちだしたのは、やはり、オランダに行ってからで、チューリップで有名なキューケンホフ公園やリセの巨大なチューリップ畑を訪れたり、花を訪ねて、運河道や田舎道を、車で走った。
   イギリスに行ってからは、キューガーデンへカメラを抱えて通ったし、イギリス各地の名園や植物園などを訪れたが、この時は、花と言うよりも、素晴らしいイギリスのガーデンの方に興味があった。

   こんな経験をして帰国したのだから、少し、雰囲気が変わって荒れていたわが庭を手入れして、ツバキなどの花木を中心に花を植えて、春秋には球根や草花を植えるなどして、少しずつ、花の咲く庭を作って行った。
   大体、一年を通じて、何らかの花が咲いているか、木の実が成っているので、いつでも、庭に出て切れば、花瓶に挿す材料に不足はないので、特別な時を除けば、切り花を買うことがなくなったのである。

   この口絵写真は、花富貴と言うツバキで、二枝ほど切って、無造作に挿してあるだけなのだが、かなり、雰囲気が出ていて鑑賞に耐えている。
   今は、侘助ツバキが咲いているので、こじんまりと楽しんでいるのだが、4月に入って、庭のツバキが咲き誇って来ると、友人の増田兄に頂いた大きな花瓶に一杯ツバキを活けて、正に、ツバキの饗宴を楽しむ。
   ツバキは、花弁がすぐに落ちたりするので、命は短いけれど、茶花のように蕾を活けるのではなく、一番美しく咲き切った時の本当の美しさを楽しむべきだと思っているので、やはり、自分の庭で育てない限りダメなのである。

   これは、やはり、生け花にはやや不向きのイングリッシュローズやフレンチローズでも言えることで、あの得も言われぬ嫋やかで、清楚で、そして、豪華な匂うような美しさは、正に、切り花にして、気の利いた花瓶に活けた時にこそ味わえるのであって、自分で育てなければ、その喜びを楽しめないと思っている。
   このことは、梅や桜などの花木の花でも、路傍に咲く野菊や菫などにも言えることで、綺麗に咲いている花を摘んで、活けた瞬間が、一番美しいのは間違いない。

   私が住んでいる千葉は、田舎なので店で売られている花の値段はかなり安いが、それにしても、日本は、何故、こんなに切り花の値段が高いのか、メイコさんが、花屋ですてきな花を見たら買ってしまい、娘たちによく叱られると言う気持ちも良く分かる。
   オランダのアルスメール(Aalsmeer)の世界最大規模の花卉・観賞用植物の取引所である生花中央市場では、毎日、世界中から集まってくる花をセリにかけて、当日、直に、隣のスキポール空港から世界中に向かって発送されて行く。
   日本の農業はTPP反対と言うのだが、大企業のオフイスビルの豪華なフロントロビーにも、造花や造木が飾られているような寂しい状態では、先が思いやられると言うものである。

   日本人は、世界一、自然を愛して花鳥風月を愛でる国民である筈。
   私のような武骨ものでも、少しずつ芽を吹いて行き咲き誇って行く花の姿を見ていて感激するのだから、メイコさんが言うように、年寄りでなくても花が必要であろうと言うことである。
   それに、最近、健気にも芽を出して咲く花の美しさを見ていて、その奇跡的な自然の摂理を感じて、実に愛しくなって、この植物たちのためにも、共同の棲家である宇宙船地球号を環境破壊から守らなければならないと本当に思うようになっている。
   
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国立能楽堂・・・第53回式能

2013年02月18日 | 能・狂言
   今年も、能楽協会主催の式能を、国立能楽堂で観た。
   朝10時から夜の7時までの上演で、ワーグナーのリングなどの楽劇を鑑賞するくらいの充実度と緊張感の漂う素晴らしい舞台なのだが、残念ながら、627席の客席が完全には埋まらない。
   式能とは、江戸時代に、幕府の行事や祝典、将軍家の慶事などの際に、江戸城本丸表の舞台で翁(おきな)付き五番立ての能が儀式として催されたのだが、現在では、この能楽協会などの主催するシテ方五流出演の五番立ての催しと言うことのようで、今回も、宝生流宗家の宝生和秀の翁を皮切りに、高砂、経政、吉野天人、枕慈童、飛雲の神・男・女・狂・鬼の五番立ての能に、福の神、蝸牛、箕被、棒縛の狂言4曲が、演じられた。
   普段、この能楽堂では、能1曲狂言1曲の公演を鑑賞しているので、5回分を一挙に見たようなものだが、客席の椅子が良くないのか腰が痛くなるくらいで、能狂言鑑賞経験初歩の私であるにも拘わらず、最後まで、それなりに楽しむことが出来た。

   能については、私自身、感想を述べる程の才覚もないので、まず、人間国宝3人が登場した非常に密度の高かった狂言について、印象などを記して見たいと思っている。
   私がこれまでに見たのは、蝸牛だけだったので、残りの3曲が、興味深った。

   最初の「福の神」だが、シテ/福の神(大藏吉次郎)のかけている面が、実に優雅に笑っている福与かな表情で、この神は酒好きであり、幸せな年越しを願いに来たアド/参詣人(善竹富太郎、大藏教義)に、今年は何故お神酒を供えないのかと言って催促したり、幸せになりたかったら、自分のような福の神に、お神酒やお布施をたっぷりと供せよと言う。
   二人が、福は内、福は内と豆を撒いていると、大笑いしながら福の神が登場する。
   二人に向かって、富貴に成りたければ元手が要るのだと言うと、元手がないから神頼みに来たのだ応える。資金のことではなく心の持ちようだと、早起き・慈悲心・隣人愛・夫婦愛を説くのだが、最後に、「仏供を結構して、古酒を、嫌と言うほど盛るならば、(これを3回繰り返す)、富貴にしてやらねばなるまい。」と言って笑い飛ばす。
   笑う門には福来ると言うことであろうが、如何にも、地獄の沙汰も金次第と言った感じの、とぼけたユーモアが楽しく、酒を煽りながら真面目な声音で福の神を演じている吉次郎の可笑しみが笑いを呼ぶ。

   蝸牛は、かたつむりのことで、アド/主(高野和憲)が、祖父に蝸牛を与えれば長生きすると考えて、太郎冠者(万作)に、藪に入って蝸牛を取って来いと命じる。
   蝸牛を知らない太郎冠者が、主に聞くのだが、いい加減に聞いていて、蝸牛は頭が黒いと覚えていて、藪の中で寝ているシテ/山伏(萬斎)の頭が黒いので、蝸牛かと問いかける。
   悪戯心を起こした山伏は、腰に貝をつけているとか、角を出すかと聞かれて、適当に格好をつけて騙し通し、主の家まで、同道して行き、結局、山伏だと見破られるのだが、どんどんテンションが嵩じてリズミカルになり、山伏と太郎冠者の掛け合いや舞の面白さが格別で、万作萬斎父子の呼吸と言い、間合いと言い非常に調子の合った丁々発止で楽しませてくれる。
   太郎冠者が、主の指示するモノや仕事の中身を知らなかったり分からなくて、知ったかぶりをしたりして何かと失敗する狂言が多いのだが、今回の山伏は、先日の狂言「茸」のように修業不足で祈祷が全く通じないイカサマ山伏ではなく、善人を誑かす役回りになっているのが面白い。

   私が興味を持った狂言は、次の「箕被」である。
   連歌道楽に明け暮れるシテ/男(夫 東次郎)が、連歌の会の世話役になったので、準備をしてくれと頼むと、アド/女(妻 則孝)が、ただでさえ生活が苦しいのに、催すと言うのなら離縁してくれと頼むので、止むに止まれず離縁する。別れ際に、暇を求める印に何かくれと妻に言われた夫は、慣れ親しんだ箕を渡す。箕を被って去る妻の姿に、風情を感じて歌心を刺激された夫は、
   ”いまだ見ぬ、二十日の宵の三日月(箕被き)は”と詠むと、返歌を返さなければと、妻は、
   ”今宵ぞ出づる身(箕)こそつらけれ”と詠む。
   あまりの出来栄えの良さに感嘆した夫は、今までのことを詫びて、夫婦で連歌を楽しもうと、呼び戻して復縁の杯を上げる。
   元々、夫も妻も相思相愛で、別れたくないのだが、悲しいかな、生活が不如意で、趣味を通せば生きて行けない。
   連歌道楽ならまだ良いか、と言うことだが、何でも同じで、入れ込んで気違いになって後先を忘れてしまえば、どんな道楽も同じこと。しかし、一緒に連歌を楽しもうと言うところが泣かせる。
   この妻だが、親も連歌をしており、夫が前回の世話人当番の時は、親元から借りて来たのだが、いずれにしろ、耳学問とは言え、門前の小僧お経を習うと言う言葉通りに、連歌の才能が開花したのであろう。
   東次郎の、一直線の剛速球のような骨太の折り目正しい連歌好きの夫と、それに着きつ離れつ軽妙なタッチで応えている妻の則孝との醸し出す雰囲気が、何となく、ほんわかとした夫婦愛を示していて面白い。

   最後の「棒縛」は、歌舞伎でもお馴染みの舞台。
   留守中に、酒好きの太郎冠者(シテ/万蔵)と次郎冠者(アド/扇丞)に、酒を飲まれては困ると考えたアド/主(萬)が、太郎冠者を左右に伸ばした両手に棒を縛り、次郎冠者を後手に縛って出かけるのだが、結局、悪知恵の働く二人が、酒を飲んで酔っ払って謡い舞うところへ、主が帰ってきて怒るのを、逃げ回りながら棒で脅すと言う話である。
   手首が自由に動く太郎冠者が盃で酒をすくって次郎冠者に飲ませ、次に、次郎冠者に、盃を後手に持たせて、太郎冠者が飲むと言う寸法だが、いずれにしても、手首が動けば、雑作なく飲めると言うことである。
   しかし、最初は、太郎冠者は、自分で飲もうとして、無理に口を盃に近づけようとして前のめりになり、杯を煽って飲もうとすれば酒が顔に飛んで飲めず、四苦八苦するところが面白い。
   縛られた姿での小舞は、さす手・引く手を肩と顎で表現すると言うことだが、このあたりのコミカルさも楽しませてくれる。
   万蔵、扇丞のパンチの利いたアクションと謡と舞の素晴らしさも注目すべきだが、能楽協会会長でもある萬の元気溌剌とした質の高いエネルギー溢れる演技が感動的である。

   また、酒盛りの二人に後から近づいて来た主の顏が盃の酒面に映るところの謡は、能「松風」のパロディ版だと言うのだが、流石に、人気狂言曲で、小舞や謡を加えるなど色々と趣向を凝らした演出なり表現方法が使われていて奥が深い。

   ところで、「棒縛」については、狂言三人三様の「野村万作の巻」に、千作、万作、萬斎の3人の話が載っていて興味深い。
   この棒縛は、海外公演で最も演じられる曲のようで、萬が、「狂言 伝承の技と心」の中で、言語を超越して理解が得られ、日本の中だけでやっておれば、この曲の良さがそこまで認めることは出来なかったかもしれない。と語っている。
   海外に行く時には、棒が長いままではトランクに入らないので、三つ折れにして繋いで使うのだが、演技途中で、「右から狼藉者が打ってまいれば、これで受けまする」とやった瞬間、棒の一部が客席に勢い良く吹っ飛んでしまったとか、萬が、主人の姿が盃に映って吃驚して尻餅をついた途端に棒が折れたとか、千作も万作も、夫々失敗談を語っていて面白い。
   萬斎が語っていて興味深いのは、この曲の一番の主題は、「うれしや、ここに酒あり」と言う最後の謡で、酒を謳歌する庶民的なことではあるが、そこに第九の「歓喜の歌」のような大きさが出せれば「棒縛」は非常に大きな曲になる。だから最後の謡で締めくくるのは、うちの芸にとっては重要なんですね。と言っていることである。
   大蔵流では、和泉流ほど歌舞劇の匂いはしないようで、棒振りが変わっていて、シテは、次郎冠者だと言うことである。
   

   ところで、能の観世流の「吉野天人」は、小書「天人揃」によって、シテ(山階彌右衛門)以下6人の天人が登場して、舞台に3人、橋掛かりに3人揃って、豪華な舞を見せてくれて、実に華やかで美しい。
   高砂は、何回か観ているので、かなり楽しむことが出来たが、岩波講座には、経政と枕慈重くらいしか解説がなかったし、それに、何時ものように、ディスプレイの詞章表示が利用できなかったので、少し、私にはハードルが高かった感じであった。
   しかし、殆ど分からなかった昨年と比べれば、かなり、筋を追いながら雰囲気を楽しめるようになって来たので、上出来だと思っている。
   
   
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国立劇場:二月文楽・・・「曲輪文章」「関取千両幟」ほか

2013年02月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の文楽は、3部制で、夫々、「摂州合邦辻」と「妹背山婦女庭訓」の通し狂言の一部なのだが、第二部だけが、アラカルトブログラムで、非常に面白い。

   最初の「小鍛冶」は、能の文楽版であり、刀鍛冶のどことなく厳かな雰囲気があって、清十郎の老翁・稲荷明神が中々風格のある人形を遣っており、
   「曲輪文章」は、歌舞伎版との微妙な違いなどが面白く、大坂の遊郭をバックにした勘十郎の夕霧と玉女の伊左衛門の醸し出す一寸時代離れした華やかな雰囲気が、中々堂に入っていて楽しませてくれる。それに、嶋大夫の浄瑠璃と富助の三味線が、実に情緒豊かで、特に、夕霧の切々と訴える口説きなど感動的である。

  
   データを見ると、曲輪ぶんしょうは、大阪の文楽劇場でしか上演されておらず、2003年までは、玉男と簑助のコンビで、伊左衛門は玉男で夕霧は簑助であったが、2009年では、伊左衛門が勘十郎で夕霧は和生であった。 
   今回の玉女と勘十郎は、夫々、玉男と簑助の一番弟子同士であるから、二人の芸の継承と言うことであろうか。
 
   歌舞伎の方の「廓文章」は、仁左衛門と玉三郎、仁左衛門と福助、それに、藤十郎と魁春の舞台を見ているのだが、この頼りないが気位だけは高い大坂の大店のぼんぼんである伊左衛門は、やはり、上方歌舞伎の二人にしか醸し出せない世界だと思うのだが、相手の夕霧は、東京オリジンの3人の華麗な女形の演技が、実にしっくりと舞台に馴染んでいるのは、不思議なくらいである。
   歌舞伎の舞台と文楽の舞台と見比べていて、何故か、歌舞伎の方は、伊左衛門の方の演技の方に気が行って、文楽の方は、夕霧の伊左衛門への思いの深さ、切々と苦しい胸の内をかき口説く心根の優しさの方が気になって、主客が逆転するのが面白いと思っている。
   これは、やはり、床本の名調子と大夫の語りの魅力だと思うのだが、ずっと、切り場は、嶋大夫と富助が務めているようで、正に、絶品と言うことであろう。

   文楽の方は、夕霧が、すねて真面に対応してくれない伊左衛門に縋り付いて胸の内を語りかけるのだが、伊左衛門は、置炬燵を持って逃げ回る。歌舞伎の方は、隣の座敷で客を相手にしている夕霧の方が気になって、居たり立ったり、夕霧が登場するまでの伊左衛門の締まりのないオチョッコチョイぶりが見せ場になって、このあたりの藤十郎と仁左衛門の芸は秀逸である。
   夕霧の方は、伊左衛門が来なくなって病気になってしまったのだが、伊左衛門は勘当の身で不如意となって廓に通えず、今回も紙子を着てやって来る。廓の夕霧が、客を取るのは当然だが、伊左衛門は嫉妬してすねてソッポを向いて相手にしようとしないと言う実に不甲斐ない男で、これが、華やかな遊郭を舞台に、ほんわかとした華やいだ雰囲気を醸し出すのだから、面白いのである。

   最後の「関取千両幟」は、「猪名川内より相撲場の段」だけだが、恩義ある人のために金の工面が出来なくて、相撲の取り組みで負けざるを得なくなる猪名川を、妻のおとわが、苦界に身を沈めて助けると言う夫婦愛の物語で、源大夫が病気休演であったが、簑助の女房おとわの実に惚れ惚れするような女ぶりに感激しきりで、それに、5分以上も続くアクロバティックとも言うべき、実にすばらしい「櫓太鼓曲弾き」三味線2重奏を、藤蔵と清志郎が奏して、満場の観衆を唸らせる。

   簑助のおとわは、金のために相撲に負けなければならない無念さに苦悶する夫の乱れた髪を撫で付けながら、何故その思いを言ってくれないのかと語る姿の優しさ温かさを、実に情愛を込めて演じる。情感豊かに奏される《髪梳き》胡弓が美しくも切ない。
   何故、これ程、女らしくて、そして、その立ち居振る舞いが、優雅で美しいのか、簑助の遣う人形を観ていて、何時も感激しながら見ている。
   このような女房おとわだからこそ、夫を相撲場へ送り出すとすぐに、遊郭に駆け込んで自分の身を売って資金を拵えて、
   取り組み途中に、呼び込みの「進上 金子二百両 猪名川様贔屓より」と声がかかって、意を決した猪名川が勝つ。
   幕切れに、籠で送られて行くおとわが、すれ違った猪名川に、そっと、籠の窓から顔を覗かせて、別れを告げるほんのわずかなワンショットでさえ、簑助の遣う人形は夫への情愛に咽んでいて、その息遣いさえ聞こえてくるのである。

   さて、この舞台は、相撲場の段では、実際に土俵が設けられて、猪名川と鉄ヶ嶽(文司)との取り組みが演じられて、櫓太鼓の軽快な音色が雰囲気を盛り上げ、ホンモノに紛うほど名調子の呼び出しや行司の声音が魅力的である。
   前述した曲弾きだが、「感動手習帳」の記述を引用させてもらうと、
   音羽が、相撲場に向かった猪名川を追って下手小幕に入ると、囃子に続いて三味線は、「櫓太鼓曲弾き」。櫓太鼓を表現。
    ここでは、約5~10分の、三味線の曲弾きソロ。二と三の糸の間にばちを通して抜き取る。(三味線が傷だらけになるので、曲弾き用を使う。)、胴の木枠をたたく、胴を上にして三味線を立てる、ばちを放り投げて受け取る・・等等。
   私には、三味線の奏法は良く分からないのだが、あの津軽三味線の演奏を聴いていてもびっくりするのだが、実に表現が豊かで凄い楽器だと思う。
   能や狂言は、まだ、三味線がなかったので使われていないのだが、遅れて生まれてきた歌舞伎や文楽の芸の豊かさ奥行きの深さの一端は、三味線に負うところが大きいのではないかと思っている。
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65歳定年制が若者雇用の障害か

2013年02月14日 | 政治・経済・社会
   財部誠一氏が、BPネットで、「65歳定年制が若者の雇用を食い潰す」と言う記事を書いて、
   ”この4月から施行される「改正高年齢者等雇用安定法」によって、事実上の65歳定年制が義務づけられる。年金支給開始年齢が現在の60歳から65歳への引き上げが既に決まっていることから、60歳への定年据え置きが生み出す「年金も給料ももらえない空白期間の回避」が大義名分だ。だが国のでたらめな年金運用のツケ回しを法律で強制される民間企業はたまったものではない。”として、「新入社員を採用できない」「賃金下げのツケは30代、40代にも」と、如何に、現下の日本企業の雇用体制をスキューするのか、その弊害について論じている。

   少子高齢化の進行で、日本の人口が減少して行くことを考えれば、そして、肉体的にも精神的にも老化現象がどんどん後退していることを考えても、何十年も前に制度化された(?)60歳定年制が、意味をなさなくなっており、日本の将来を考えれば、「改正高年齢者等雇用安定法」の制定は、それ程、突飛な話でもない。
   しかし、問題は、アベノミクスで、多少動き出した日本の経済情勢だが、デフレに呻吟してきた失われた20年の日本経済社会を考えてみれば、今現在、この制度の導入が適切かどうかは別問題である。

   早い話が、まだ、日本の企業が、かってのように利益基調で、将来展望が開けておれば、問題はないのだが、殆どの企業は、やっと、僅かな燭光の気配を感じ始めたか、これ以上は悪くならないであろうと言った程度の景況感で事業活動を行っており、雇用労働条件を改善する余裕など殆どないのが現状であろう。
   激烈なグローバル競争下での日本企業の高コスト、特に、賃金コストの高止まりが、企業業績を圧迫していることを考えれば、財部氏の言うように、易々と、「改正高年齢者等雇用安定法」の順守に順応できないことは明らかであろう。

   従って、短期的には、この「改正高年齢者等雇用安定法」は、企業に更なる過重を強いることであり、当然、これを吸収するためには、少なくとも、企業が、雇用労働体制の見直しを行う必要があり、既存のシステムに皺寄せが来ることは必然となろう。
   日本の雇用制度では、非正規雇用問題の深刻さが、絶えず論争の的となって、改善を迫られ続けているのだが、再雇用条件を低下させるにしても、この法律は、基本的には、正規雇用者の雇用延長であり温存であるから、更に、非正規雇用の問題を悪化させることは間違いない。
   タダでさえ、労働組合など日本の雇用労働体制が、正社員なり正規雇用者の既得利権を確保維持するために機能していることを考えれば、時代の潮流への逆行が甚だしいと言うべきかも知れない。

   財部氏が言うように、企業が、生きるためには、余程のことがなければ、新規雇用を削減し、賃金給与の切り下げを行うのは、極めてあり得る選択肢であり、当然、「賃金下げのツケは30代、40代にも」及んで行く筈である。
   これまで、何度も論じて来ているので、ここでの再説は避けるが、日本独自のオンリーワン企業や世界的にもトップ企業は別として、グローバルベースで競業企業があり国際的にも激烈な競争下にある日本企業の人件費は、国際水準から言っても高い水準にあって、この人件費の高止まりが、日本企業のものやサービスの高コスト要因となって、国際競争力を削いでいるので、尚更である。

   表現は酷かも知れないが、デフレ不況に呻吟しながらも、どうにか失われた20年を、現状維持で過ごし得たのも、定年制が機能していたからこそ、企業のコスト削減を後押し出来たのであり、曲がりなりにも、少な過ぎるとは言え、若年社員や労働者の雇用を維持出来たが故に、僅かなりとも新陳代謝を図れたのであったと言えないであろうか。
   

   私は、若年者の雇用を圧迫するような政策は、いかなる施策であっても、間違っていると思っている。
   日本のこの失われた20年の政治経済社会政策の殆どは、若年労働の雇用促進と活躍機会の増進に逆行してきており、あたら有為の人材の成長機会を奪って、優秀な若い人材のエネルギーの爆発をないがしろにして来た。
   私は、この見地からも、今、日本政府がやるべきは、高年齢者の再雇用促進ではなく、むしろ、日本企業に義務付けるのであれば、何らかの形で、若年労働者の雇用を必然化することだと思っている。
   
   

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イチロー:日本語をきれいに話したい

2013年02月13日 | 生活随想・趣味
   今朝の日経朝刊に、「イチロー迷わず」と言うタイトルのインタビュー記事が掲載されている。
   イチローの話には、いぶし銀のような非常に含蓄のある言葉と意味が含まれていて、一芸に秀でると言うことは、こう言うことかと、何時も、感心しながら聞いたり読んでいるので、今回も、楽しませて貰った。
   
   私は、阪神の成績には気になる方だが、それ程、野球放送をテレビで見る方でもないし、野球の熱心なファンでもないのだが、海外生活が長かった所為もあってか、アメリカへ行って頑張っている日本人プレーヤーの活躍や動向などについては、結構関心があって注視して見ている。
   イチローについては、2006年3月のWBC優勝の時に、彼の言動や行動について感激して、「イチローの愛国心」と言うタイトルで、このブログで書いたことがあり、今でもグーグル検索のトップにあるのだが、随分、多くの人に読んで貰ったことがあって、その前後も、何度か、イチローのことを書かせて貰っている。

   今回の日経のインタビューで、特に、心に残ったのは、
   「世界に出て再認識したこと。そのひとつが日本語を大切にすることだ。」と言うことである。
   「米国に行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。」と語りながら、英語以上に日本語で苦労している、と言っている。

   私も、ブラジル、欧米、と、14年も海外生活を続けて来たので、イチローのこの日本語に対する思い入れは、痛いほどよく分かる。
   私の場合には、日本語と言うよりも、もう少し広い意味での日本の文化なり風土なり歴史なりと言ったトータルの日本と言った方が良いかも知れないのだが、出張などで日本に帰って来ると、必ず、日本の古典や歴史書を抱えて、京都や奈良など、日本の故郷を歩いた。
   イチローの日本語と言うのは、象徴であって、恐らく、異国にあればこそ、本当の日本人として誇りを持って、日本人として生きたいと言う希いであろうと思う。

   私は、在住した国も4か国で、夫々違っていて、それに、一泊以上した国は40か国を越えるほど、異文化異文明に遭遇して、結構、頭を打って、大げさに言えば、艱難辛苦に喘いでおり、逆に、素晴らしい経験をして、見るべきものは見つと言った知盛の心境になるなど、今考えれば大変な経験をして来たのだが、それだけに、日本人としてのアイデンティティ意識の強さは人後に落ちなかったと思っている。
   望郷の念醒めやらずの連続であったが、それは、故郷に帰りたいとか故郷が懐かしいと言ったようなものではなく、日本人であることの喜びと、あの素晴らしい日本の歴史文化伝統総てを背負った一人の日本人として生きていると言う自意識の現れである。

   日本の良さを痛いほど感じるのは、異文化異文明の洗礼に晒されて、全く異次元の世界を見た時であって、その衝撃が強烈であればあるほど、本当の日本が、明確に見えてくるような気がしている。
   それに、どんなに足掻いても、徹頭徹尾、自分が日本人であって、日本人以外の何者でもないと感じさせてくれるのも、異文化異文明遭遇の世界である。
   今、日本人は、内向き志向で、海外留学生も激減して、海外に雄飛したいと言う若者が減っていると言うことだが、絶対にダメで、
   可愛い子には旅をさせろ、で、あの大英帝国が七つの海を支配し得たのは、貴族の子弟たちを、イタリアなどの先進国に送り込んだ「グランド・ツアー」のなせる業であったことを忘れてはならない。

   話はがらりと変わるが、
   私は、海外にいた時には、オペラやシェイクスピア、ミュージカルなど欧米芸術鑑賞に通い詰めていたのだが、日本へ帰ってからは、機会の問題もあるのだが、歌舞伎と文楽に切り替えて、最近では、能や狂言、落語鑑賞にも入れ込んでいて、好きだったクラシック音楽鑑賞にも、殆ど行かなくなってしまった。
   日本の古典文化に、もっともっと、どっぷりと入り込んで、その深さ豊かさを、少しでも味わいたいと言う気持ちと、そうしていると、実に心が豊かになって、何か自分が少しずつだけれど前進しているように思えるのである。
   
   私の日本語も、結構、あやしいのだが、この日本の古典芸術や古典芸能を少しでも鑑賞しながら、日本語の奥深さを勉強しようと言う姿勢も、イチローの言う日本語を大切にすると言う思いに近いのかも知れないと思っている。
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ITディバイド者にとって、e-Taxは簡単なのか

2013年02月12日 | 生活随想・趣味
   ここ何年か、ずっと、パソコンを叩いて、e-Taxで、所得申告を行っているのだが、昨年、パソコンンのハードディスクがダメになって、新しいものに切り替えたので、完全に過去のソフトなどデータが消えてしまって、その後、回復が大変であった。
   このデータ消失で、昨夜、e-Taxの申告書類を送信しようと思ったら、最後になって、公的個人認証機能が働かなくなって、途中でとん挫してしまった。
   エラーメッセージが出たので、それに従って回復を試みたが、知識不足が災いして、二進も三進も行かなくなってしまったのである。

   e-Taxでの申告書類は、国税庁のホームページから、画面表示の指示に従ってデータを打ち込んで行けば良いので、過去の記録を参照しながら、打ち込めば自然に出来上がって来る。
   一線を退いてしまうと、多少、手間を要するのは、医療費の整理くらいで、後は、あっちこっちから送られて来ている調整用の資料に従えば良いので、毎年やっておれば、それ程、困ることはない。
   尤も、歳を取って来ると、いつまで、パソコンをまともに叩いて行けるかが、問題ではある。

   朝、9時過ぎに、e-Tax・作成コーナーヘルプデスクに電話をして、どうすれば良いか聞いてみた。
   繁忙期なので、20分ほど待たされたが、ノーマルだし、電話音声は、2ダイヤルだけで、直に担当者が応対してくれた。
   大体、自分のパソコンについても良く分かっていないので、一から機能やソフトのチェックからであったが、女性スタッフは、根気よく丁寧に説明してくれた。
   問題は、公的個人認証サービスがインストールされておらず、スタートを叩いても、すべてのプログラムに表示さていないので、勿論、JPKI利用者ソフトは表示されていない。
   インストールして設定を行ったが、JPKI利用者ソフトの自分の証明書をクリックしても、エラー表示が出て、前に進まない。

   認証カードリーダの利用者ヘルプコーナーの電話を教えて貰ったので、電話を架けて指示に従ったが、先の女性スタッフの指示と同じことをしただけであったので、結果は同じであった。
   違ったのは、新しいソフトをインストールしたので、パソコンの再起動をするように指示されたことで、これで、個人認証サービスは機能するようになった。

   
   次は、作成済みの申告書類をパソコンから呼び出して、送信することである。
   国税局のホームページから始めたのだが、保存した筈のデータが、ドキュメントなどを探しても見つからない。
   結局、困ってしまって、また、e-Tax・作成コーナーヘルプデスクに電話して指示を仰いだら、お気に入りのダウンロードに収容されていたのである。
   記録を保持すると言うマークを叩いただけで、どこに、保存されたのか確認しなかった(普通は、保存場所の指定窓表示がされるのだが、e-Taxではこれが出なかった)ので、気づき様もないところに保存されていたのである。
   結局、このデータをドキュメントに移動して、e-Tax画面に表示して、次の手続きに進むことが出来た。
   送信用の最終データが表示されたので、送信をクリックすると、公的個人認証サービスが機能しているので、その後はスムーズに進んで、簡単に、申告手続きが完了した。

   終わってみれば、何のことはないのだが、3人の親切で丁寧な若いスタッフの教えを受けたればこそ出来たことで、大分頭の固くなったITディバイドの年寄りには、到底、一人では無理な事なのである。
   尤も、税務申告と言う情報でも非常に重要な個人情報であるので、国税局も慎重を期しており、そう、簡単にやれるようにしてくれと言っても、おいそれと従う訳にも行かないし、難しいところである。

   しかし、昨年も、一昨年も、問題なくスムーズにやれたのだが、何かの拍子に、異変が起こって躓いてしまうと、コンピュータは、余程、慣れているか知識がないと、前に進まなくなってしまうのが難点である。

   
   丁度ITディバイドの年齢であるので、私の友人でも、e-Taxをやっている人は少なくて、手書きで作成して、税務署や市役所などの確定申告の相談窓口に行って提出したり、e-Taxフォームを打ち込んでも、窓口へ持って行ったり郵送する人が多い。
   大体、まだ、パソコンやインターネットを信用できない、と言うよりも、送ったかどうか、上手く処理されるのどうか分からないので不安だと言うことのようで、その気持ちが分からない訳でもない。
   このパソコン不信は、ネットショッピングにも言えることで、クレジットカードで、相手にデータを打ち込んで買うなどと言うのは、正気の沙汰ではないと思っている友人もいる。
   クレジットカードなど、危ないので一切使わないと言う天然記念物のような友人も一人知っている。

   しかし、今や、株券などなくて、証券会社に預けてある株式は勿論、銀行の預貯金などさえも総てデジタルデータ化されてしまっていてコンピュータの中であり、紙の媒体の記録などさらさらない。
   私など、もう、何十年も海外に出ていて、クレジットカードがなければホテルに泊まれないアメリカで洗礼を受けていて、ベルリンの壁崩壊前のハンガリーや東ベルリンででさえ、クレジットカードを使って決裁していたのだから、殆ど、コンピュータやインターネット、クレジットカードや電子取引などには、アレルギーはない。

   日本では、e-Taxは勿論、電子政府システムが殆ど進まないのは、日本人のデジタル恐怖と言うか、デジタル不信が強いからであろうが、そのために、ICT革命に乗れなくて、生産性の向上に後れを取り、産業構造の改革が出来なくて、グローバル競争に負け続けていると言うことに気付いていない日本人が、結構多いのである。
   尤も、擦り合わせのインテグラル手法、言うならば、ヒューマンタッチを重んじる日本人には、便利であれば何でも良いと言った、ICT、デジタルへの対応は感性が合わないために、やはり馴染めないようではあるけれど、そのあたりに、日本の良さを追求した将来なり独特な生きる道が生まれてくるような気がしないでもない。
   
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わが庭も、もうすぐツバキの季節

2013年02月10日 | わが庭の歳時記
   二月に入って、急に、ツバキの蕾が色づき始めた。
   まだ、数輪だが、この口絵写真の曙椿や、次のさつま紅や赤西王母の花が咲き始めて、一気に春の息吹を感じるようになってきた。
   秋から咲き続けているのは、紅妙蓮寺で、メジロやヒヨドリが、蜜を吸いに毎日訪れている。
   ここ2~3日は寒い日が続いているので、凍てついた花弁の先が黒ずんだりちじれたりしていて可哀そうな姿だが、膨らみ始めた沢山の蕾が、元気よくスタンドバイしている。
   
   
   

   ぼつぼつ、梅の便りを聞く頃だが、私の庭の梅の蕾はまだ固くて、枝垂れ梅や備後梅の蕾は、殆ど動きがない。
   それでも、植えて間もない鹿児島紅梅の蕾は、大分膨らんで来て、もうすぐ咲きだしそうである。
   

   蕾が膨らんで来て、頭を持ち上げて来ていたクリスマスローズが、2~3輪咲き始めた。
   殆どの株は、まだ、蕾は地面すれすれで待機状態だが、大きな葉が1本しか生えていない株からも、根元からしっかりした花芽が伸び始めているのを見ていると、生命力の強さに吃驚する。
   
   

   日照時間が長くなってきて、地面が大分温かくなってきた所為か、チューリップなどの春の球根植物の芽が出始めてきた。
   花ニラが一番早いのだが、スノードロップ、水仙、クロッカス、ヒヤシンス、ムスカリなどが次々とそれに、私の庭には、野生の菫が沢山広がっているのだが、これが一番遅い。
   やっと、遅れていたチューリップの芽が顔を出した。
   ところが、今回は、花壇の地面に球根を差し込んで、その上から土を被せた状態で植えつけたので、霜で球根が浮あがって、地面の上に飛び出してしまった球根がかなりあった。
   引き抜くと、既に、真っ白な沢山の根が生えていたのだが、そのまま、横の土を掘り下げて、改めて球根を抑え込んで土を被せて置いた。
   
   

   ところで、バラの芽も動き始めて来た。
   殆どの鉢植えバラの蕾は、膨らんで芽が出始めたところなのだが、昨秋植えつけたベルサイユの薔薇の苗木には、昨年末から、既に小さな葉が出ていて、少しは、霜焼けを受けている。
   京成バラ園で、新しく買ったノヴァーリスなどの苗も芽が伸びて来ている。
   先日の有馬先生の話では、2月の芽はあまり良くないようだし、テキストでは、芽をかき取るようにと言った支持書きのものもあるのだが、村上さんの話では、そのままにしておいて良いと言うことなので、気にしないことにしている。
   ただ、防寒の意味もあって、まだ、厳寒が続くので、北からの寒風を避けるように、鉢を移動しておいた。
   案外、バラは、自然には強いことは経験済みなので、それなりの手入れをしておれば、後は、自然に従うのが良さそうである。
   ダコニールを散布して、一応、殺菌消毒が終わったので、来月、ベニカを散布したり施肥するなど、春の花の準備をしようと思っている。
   
   
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