熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

松本幸四郎著「幸四郎的奇跡のはなし」

2012年04月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「弁慶は、金剛杖を携え、旅を続ける。その姿は不思議と、槍を片手に諸国遍歴を続ける「ラ・マンチャ」のドン・キホーテと重なる。」この二つの役は、役者幸四郎の人生そのもののような気がする。」と言った弁慶の旅から始まる幸四郎の、沢山のエピソードを交えた「ひとりごと」が、この本。
   幸四郎の本は、これまで、結構読んでいるので、大概の話は知っているのだが、新しい話題などもあって、それに、実際に見た歌舞伎やミュージカルの印象と重ね合わせて読むと面白い。

   私が最初に見た幸四郎の舞台は、記憶がはっきりしないが、帝劇での「蒼き狼」のテムジンで、その後は、ロンドンのサドラーズ・ウェールズ劇場の「王様と私」であり、染五郎の舞台も、ロンドンでの「葉武列土倭錦絵(はむれっとやまとにしきえ)」が最初であるから、歌舞伎座の舞台で2人を鑑賞するのは、その後であった。
   日本での舞台も、日生劇場での「オセロー」の方から入った感じで、今までに、随分、幸四郎の歌舞伎を観ているが、私には、「ラ・マンチャの男」を含めて、どちらかと言えば、パーフォーマンス・アートのマルチ・タレントとしての役者幸四郎のイメージがある。

   今回は、一寸、視点を変えて、幸四郎の歌舞伎観や芸術観について、考えてみたいと思う。
   「江戸に生まれた荒唐無稽な歌舞伎は、明治、大正で写実性を加味し、それに昭和の心理描写が加わり、平成の今、それらを受け継いで僕は「演劇としての歌舞伎」を考えている。伝えられた歌舞伎の魂を受け継ぎ、演劇として進化させたい。演劇としての歌舞伎を花開かせ、いつの日か実を結ばせたい。」
   ここで、幸四郎が例証しているのは、「盛綱陣屋」での弟・高綱の首実検で、総てを知って父のために言いつけどおりに切腹した甥を哀れに思って、偽首を「高綱の首に相違ない。」と明言する時に、台詞を越えた表現をした初代吉右衛門の心理描写である。これは、原作のデフォルメではなく、長い年月を経て形骸化してしまった物語の核の部分に光を当てて、本来のドラマツルギーを蘇らせるのだと言う。

   このことを、上方和事と江戸荒事と言った地方色の濃い民族芸能として栄え、ともすれば荒唐無稽に走りながらも、江戸時代の300年を費やして成熟した歌舞伎の明治以前の姿だと幸四郎は言うのだが、私は、見得やパーフォーマンス、格好良さや粋などの視覚美を強調した江戸荒事には言えるかも知れないが、上方和事、特に、近松門左衛門の浄瑠璃は、謂わば、シェイクスピアに近い戯曲の世界であって、リアリズムと心理描写を核とした芝居そのもの、演劇そのものではないかと思うのである。
   演劇性の退化は、東京ベースの江戸歌舞伎の隆盛のなせる業で、上方歌舞伎の勢力減退、急速な衰退とも言うべき現象が拍車をかけて来た結果でもあろうし、
   もう一つは、能の世界のように、日本人の観客は、空想の世界と言うか想像の世界と言うか、欧米人などと比べて、はるかに舞台を見ながら思いを巡らす感受性が豊かなので、リアリズムや心理描写を強調しなくても、意識の中で物語を増幅できるのではなかろうか。
   尤も、現実には、歌舞伎の芝居が、時代から遊離して来ていたり、現代人が即物的刹那的になってしまったので、これでもかこれでもかと説明や解釈を加えないと分からなくなったと言うことかも知れない。

   シャイクスピア劇の所で、「僕は、外国劇はそれがシェイクスピア劇であろうと何であろうと日本人が日本語で日本の観客のために上演するときはすべて現代劇だと思っている。」と言っている。   
   本場のシェイクスピア劇を見たければ、英米の劇団を呼べばよいし、日本人がやるイミテーションの古典劇など無意味であって、感動的で素晴らしい現代劇だから日本でシェイクスピア劇を上演する意義があるのだと言うのである。
   さて、この考え方は、シェイクスピア劇を映画化した黒沢明監督や、シェイクスピア全戯曲を演出して舞台にかけようとしている蜷川幸雄は、或いは、晩年までシェイクスピアを題材にしてオペラに挑戦したヴェルディは、どう思うであろうか。
   随分、色々な所でシェイクスピアを見て来たが、少なくとも、私自身は、どこの国の劇団であろうとも、シェイクスピア戯曲として演じられないシェイクスピアの舞台なら、見たくはないと思っている。

   「本当の歌舞伎」と言うところで、
   「歌舞伎劇を本当にわかっていない人が、「この歌舞伎は良くない」と言った時から、歌舞伎はおかしくなってゆく。」と言っている。美味しかった料理屋がとんちんかんな料理評論家に「まずい」と言われて味がおかしくなるように?
   歌舞伎には文楽を基とする浄瑠璃をはじめ、能、狂言を原点とする松羽目物等、数多くの古典芸能を歌舞伎化したものがあるが、それらは総て歌舞伎になっておらねばならず、義太夫を聴きたければ文楽へ、能、狂言を見たければ能楽堂へ行って欲しい。従って、能、狂言、浄瑠璃でもない、それらを原点とし成熟させ舞台の上の全部が歌舞伎化された本当の大歌舞伎をお見せするのが、我々歌舞伎関係者の義務だと思う。と言うのである。

   能、狂言、文楽は、歌舞伎よりももっと歴史のある古典芸能であり、幸四郎の言う演劇とは違ったジャンルのパーフォーマンス・アートである。
   歌舞伎劇とは、一体、何なのか、どう定義する古典芸能なのか、そして、歌舞伎劇を本当に分かると言うことは、どういうことなのか。演劇としての歌舞伎を目指すと言うのなら、他の演劇とどう違うのかetc.
   型の演劇である歌舞伎が、その型が生まれ残ると言うのは、その演じ方がその時代の観客に受け入れられて来たからで、本能的に歌舞伎の良さを察知し、感覚的にいい歌舞伎を分かっている観客の見る目の力が、今日の日本の古い、いいものを残して来てくれた、この蓄積の上に築かれた現在あるものが、本当の歌舞伎の姿だと言うことのようである。
   したがって、能、狂言、義太夫を歌舞伎役者が学ぶのは素養としてであって、義太夫も人形ではなく生身の人間が演じる歌舞伎の義太夫でなければならないし、地方、囃子等すべてが、歌舞伎になっていなければならないと言う。
   当然のこととして、良くても悪くてもと言うことであろう。

   さて、能、狂言、文楽からテーマや主題を借用して歌舞伎化した歌舞伎だが、幸四郎の言うように、本当に価値ある本歌取になっているのかどうか。
   6月に、人間国宝の野村萬が、三十年ぶりで、狂言の大曲「花子」を勤めるのだが、何回か見ている歌舞伎の「身替座禅」が、アウフヘーベンされた演劇なのかどうか、見比べてみたいと思って楽しみにしている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマト栽培日記2012~(1)デルモンテを植える

2012年04月28日 | トマト・プランター栽培記録2012
   何時も、早い時期から、トマトを植え始めるのだが、特に効果もないので、今回は、遅ればせながら、京成バラ園に行って、バラの芽吹きでも見ながら、トマト苗でも探そうと思って出かけた。
   丁度、ガーデンセンターで、デルモンテの社員が出て、トマトを賞味させながら新苗を販売していたので、所謂、衝動買いで、1ダースほど苗を買って帰った。
   昨年までは、タキイなどの通信販売で、苗を買って、追加に近くのケーヨーD2やジョイフル本田などで、気に入った苗を買って植えていたのだが、周りにトマトの苗がふんだんに有って、どんな種類のトマト苗でも買えるのであるから、通信販売でもなかろうと思って、今年から、ガーデンセンターで調達することにしたのである。

   昨年は、50本ほどプランター植えしたのだが、猛暑で苦しんだり、十分に世話が行き届かなかったので、今年は、半分くらいにして、一寸、気を入れて栽培しようと思っている。
   今日、植えたのは、デルモンテの中玉のフルーツルビーEXとビタミンエース、ミニのトゥインクル、そして、料理用のサントリーのズッカ、良く分からないのだが、サンファームの黄色いゴールデンレイブと黒いブラックプリンス。
   デルモンテのトマト苗は、どれも、別に接ぎ木苗でもないのに、1本450円もしているから、園芸店で売っているトマト苗では、断トツに高い。
   地元の農家だろうと思うのだが、園芸店調達の苗なら、桃太郎であろうとアイコであろうと、70円くらいだし、サカタやタキイ、カネコなどの接ぎ木苗でも、いくら高くても400円はしないしそれよりは安いのだが、これまで植えて見て、特に、高いだけでデルモンテ苗が優れていたわけではないので、要するに、育て方だろうと思っている。

   とにかく、京成バラ園には、適当な培養土がなかったので、ケーヨーD2で、野菜用の培養土を買って来て、昨年使ったプランターや支柱などが、十二分に残っているので、それを使って、植え付けた。
   これまで、大玉トマトの栽培の成績は思わしくなかったので、今年は、中玉とミニに限定して、大玉は、これから調達するタキイの桃太郎ゴールドやサントリーの料理用トマトくらいにしておこうと思っている。
   マイクロトマトは面白かったが、花を育てているような感じなので、今年は止める。
   
   次は、ゴールデンウィーク明けぐらいに園芸店に出かけて、定番のアイコなどのミニや中玉の興味深いトマト苗を見つけて、追加植え付けをしようと思っている。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萬狂言・春狂言~文相撲・八句連歌・猿聟ほか

2012年04月27日 | 能・狂言
   先日、萬狂言で、一日、国立能楽堂で過ごした。
   本体の萬狂言は、午後なのだが、午前中に、子供たちのための「ファミリー狂言会」があって、これも一緒に見たので、そうなったのだが、しかし、子供番組で、体操のお兄さんとして活躍していた佐藤弘道が登場して、解説をしたり「狂言たいそう」をしたり、プロの狂言師に混じって「六地蔵」に登場するなど活躍していたものの、他に、「呼声」もあって、全く手抜きなしの本物の狂言の舞台なのである。
   可愛い子供が沢山来て楽しんでいたが、シニア割引があったので、老人客も多く、親子三代のファンも来ていて、まさに、ファミリー狂言会であった。

   萬狂言の曲は、夫々面白かったが、人間国宝の野村萬は、「八句連歌」の貧者を演じて、何某の野村扇丞を相手に素晴らしい芸を披露していた。
   借金をしている男が、借金の言い訳に、貸主を訪ねるのだが、最初は、また借金に来たのかと居留守を使ったものの、花を見て残された句が気になって、そこは、連歌好きのなせる業で、金の言い訳と催促とを互いに詠み込んだ連歌のやり取りをしている間に、貸主は、これから再再来て連歌の相手をしてくれと頼んで、借状を返すと言う愉快な話である。
   「花盛り御免あれかし松の風」の御免が気になるとか、「桜になせや雨の浮雲」の「なせや」が気になるとか、お互いに相手の句の内容や詠みこまれた言葉にコメントしながら、一方は借金返済の言訳、他方は返済の催促を句に詠み込むのだから、プロから見れば、まともな連歌にはなっていないのではあろうが、とにかく、言葉遊びの面白さと言うか、浮世の生活の一端を題材にして趣味と同好の士との交わりを楽しむ趣向が面白い。
   この狂言は、何がしの何べえと言わずに、お互いの名前を名乗りながら演ずるのも面白いが、功なり名を遂げた80歳を超えた人間国宝の野村萬が、おお真面目かつ実直に、必死になって借金返済の言い訳をする芸の極致とも言うべき姿に、しみじみした味があって感激して見ていた。
   相手を務めた野村扇丞は、ファミリー狂言会で、弘道お兄さんと、司会と解説をやっていたが、中々のタレントで、多方面に亘って積極的に芸域や活動の場を広げている野村本家の名跡九世野村万蔵とともに、萬グループの将来が楽しみである。

   ところで、非常に面白かったのは、猿ばかりが登場人物だと言う「猿聟」で、全員、猿の縫いぐるみを頭にかぶっての登場で、台詞の冒頭に、「キャッ、キャッ、キャッ」と言う猿の鳴き声を真似て、言わんとすることを表現すると言う非常に興味深い舞台であった。
   前回、野村万作の「樽聟」でも紹介したが、これも、聟が初めて舅を訪ねて行くと言う聟入りを題材にした狂言で、嵐山に住む舅猿が、吉野山に住む聟猿が聟入りして来るので、太郎冠者猿に準備をするようにと言うところから話が始まる。

   何故、吉野から嵐山なのかと言うことだが、今月、国立能楽堂の普及公演で、能の「嵐山」を鑑賞したので、少し、その意味が分かって来た。
   全く、ジャンルが違う様な能と狂言が、同じ舞台で同時に演じられるのは、当初無知な私には不思議だったのだが、これは、能の中入りに、間狂言(アイキョウゲン)と言う形式で、狂言師が登場して、舞台の展開を説明したり、演出を盛り上げたりして、前場と後場をつなぐ役割として活躍する。
   ところで、この「猿聟」は、この間狂言を特殊な演出に変えた「替間(カエアイ)」と言う形式の狂言で、京都の嵐山の桜が吉野山から移植された由来や、吉野山の神々にまつわる話を扱った能「嵐山」の替間として演じられるのだが、和泉流では独立した狂言として演じられると言うことなのである。
   猿楽の滑稽味を洗練させた笑劇としての狂言と言うよりも、聟と舅の対面後は酒宴となり聟猿が舞を舞うと舅猿もつられて一緒に舞い納めると言う目出度い演出となっていて、狂言の奥深さを見たような感じがした。
   厳粛で精神性の高い神がかり的な能「嵐山」の、上質なパロディ版と言うか本歌取りと言うか、とにかく、この「猿聟」を替間にした能「嵐山」が演じられれば、非常に面白いだろうと思った。

   聟猿は、若くして惜しまれて亡くなった八世万蔵の長男野村太一郎が、舅猿は、北陸支部の代表野村祐丞が演じて素晴らしい舞台を作り出していたし、姫猿や4匹の供猿が登場し、萬や万蔵が地謡を務める、非常に晴れやかで賑やかな舞台で、楽しませて貰った。
   
   当主野村万蔵が演じたのは、大名狂言の「文相撲」の大名で、
   新参の者を雇おうとして、その候補者の特技が相撲だと聞いて、相撲を取るのだが、目隠しの手で負けたので、今度は「相撲の書」を読んで勝つ。三度目には、負けかけたので相撲の書を読んでいる間に負けてしまい、腹が立って書き物を破り捨てて、太郎冠者の手を取って引き回して、勝ったぞ勝ったぞと言って退場する。
   萬が、「狂言 伝承の技と心」で書いているが、大名には、存在感とある種の重量感が必要だと言う。
   それに、こういう曲では、狂言回しの太郎冠者の存在が重要だと言っており、萬の甥である野村万禄が演じていたが、新参の者の小笠原匡を交えて、万蔵の文相撲は、面白かった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭の歳時記~牡丹が咲き始めた

2012年04月26日 | わが庭の歳時記
   やっと、わが庭の牡丹の最初の一輪が開いた。
   他の牡丹の木の蕾も、大きく膨らんで色づき始めたので、ぼつぼつ咲き出して、ゴールデンウィーク以降あたりに見ごろになるのであろうか。
   芍薬は、それから少し遅れて時期がずれて咲くので、殆ど蕾は、まだ、大豆だいの大きさである。
   両方とも、花が大きいので、数が少なくても、咲き出せば、庭が、一気に華やかになる。
   
   椿は、もう殆ど終わってしまって、名残の椿がちらほら残っているだけだが、かわって、いきおいよく新芽が出て新緑の衣が美しい。
   鉢に植えてあるエリナと言う小輪の白い椿が、やっと、咲き始めた。
   ほんの2センチくらいの小さな花弁だが、か細くて儚げな風情が良い。
   


   華やかになり始めたのが、淡いクリーム色の苞が一面に広がったアメリカハナミズキで、隣の楠の赤みがかった新緑に映えて輝いている。
   モミジも、秋と同じように新緑が美しいのだが、野村や紅枝垂れなどは新芽から深紅色だし、葉先や縁が色づいていたりして面白い。
   私の庭には、永観堂の実生からのイロハモミジや野村など数本だが、他は、鉢植えで、もう、庭には植える場所が残っていないので、大きくなったらどうしようか考えているところで、獅子頭と琴の糸などを玄関先に置いて楽しんでいる。
   
   
   


   今庭で美しいのは、山吹で、私の庭には、一株しか残っていないが、黄色の八重で、とにかく、派手で華やかなのである。
   


   地面には、ヒヤシンスやムスカリ、チューリップ、水仙、パンジー、ハナニラなど、混みあって無茶苦茶に咲いているのだが、いつの間にか、犬の散歩で路傍の一株を貰って植えたスミレが、庭の花木の根元に広がって、ひっそりと咲いていて、中々雰囲気があって良い。
   千葉の森や林の木の根元には、時々、地面に張り付くような形でスミレの群落があるのだが、先日も、鎌倉の切通で見たので、全国に広がっているのだろうが、野生のスミレは、大体、紫色か淡い紫のようで、園芸店で売られているパンジーもどきのカラフルなスミレはないようである。
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大前研一・柳井正「この国を出よ」

2012年04月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   冒頭から、ユニクロの柳井正社長が、
   「バブル崩壊」より「自己保身」が、今や「彷徨う難破船」となってしまった日本の問題。バブル崩壊後も世界第2位のGDPを維持してきたことへの楽観論と、景気対策を国に頼めばお金が湯水のごとく出て来て、公共事業に関連する人々はとりあえずひと息つけると言う惰性、言い換えれば自己保身が育んだ過剰とも言うべき日本人の故なき「自信」が、日本を「国家の滅亡」が危惧される状態にまで追い込んでしまった。
   「政治大嫌い」の僕が、もう黙ってはいられない、 
   と言って、謂わば、日本国の将来を憂いて警鐘を鳴らし続けているもっと過激な大前研一氏と激論を展開しているのが、この本「この国を出よ」。

   この本で語られている危機意識や日本の将来については、これまで何度も、このブログで論じているので、蛇足は止めて、
「これからの日本のために必須のこと」として、2人の意見が一致したのが、「次世代を担う人材を育てる教育改革」だと言うことなので、この問題を中心に、コメントしてみたい。

   斜陽産業であり不況産業の最たる衣料品販売業で、ユニクロ現象、ユニクロデフレとまで言われながらも、イノベーションを追及して新境地の開拓に鎬を削って戦い抜くことによって、成長失敗、成長失敗を繰り返しながら、快進撃を続けてきたユニクロの経営戦略については、周知の事実であろうが、
   グローバル化は最大のビジネスチャンスとばかり、日本が三つも四つもあるような巨大な中国市場や、日本が「失われた20年」で無為徒食で惰眠を貪っていた間に、計り知れない潜在成長力を持ったアジア市場に打って出て業域を拡大できるのも、追い込まれた地方の小さな小売業で有ったればこそで、成長の止まった日本には期待せず、日本を飛び出して新しい市場を開拓する以外に生きる道はないと言う。
   「慣れない海外は不安だ」と言う恐怖心を払拭して、企業活動に置いてはホームなど存在せず、すべての市場がホームだとする国境を感じさせない”オール・ホーム”企業を目指さなければならないと主張する。

   「自分の国にチャンスがなければ国外へ出る」 これが、洋の東西、時代を問わず、人間を突き動かしてきた本能で、国や民族、宗教の違いが常に緊張と対立を生み、戦争を繰り返してきた欧亜では、生きるために母国を飛び出すことは常識であり日常茶飯事であったと説くのは大前研一氏。
   オランダに居た時、最大のグローバル建設会社の社長の息子が、デルフト工科大学を素晴らしい成績で卒業した超エリートながら、身内は入社禁止で、オランダでも不況で職がないので、インドネシアへ行って仕事を探すのだと、ケロッと語ってくれたのを思い出す。
   
   さて、次世代を担う人材教育だが、
   戦後、日本が工業化社会で高度成長するためには、従順で均質な学力レベルを持った人材を大量生産する教育が必要だったが、最早時代遅れで、
   少子高齢化と人口減少で国内マーケットがやせ細る中、グローバル化する経済の波に乗って世界に出て行くことが、日本の「稼ぐ力」を高め、明るい未来を描く条件になる筈であるから、将来を見通す洞察力を持った「ビジョナリ―・リーダー」を要請する教育が絶対必要だと言う。
   どんな企業や組織からも欲しがられる人財で、今や世界の教育はグローバル化した経済活動に対応したものがスタンダードとなっているので、激化する国際競争でメシを食べて行ける武器となる「英語力」「IT]「ファイナンス」の3種の神器をすべて駆使してリードできる、リーダーシップのある問題解決型の人材を育成する教育に力を入れるべきだと言うのである。

   大前研一氏は、過激にも、
   「自分に投資して「稼ぐ力」を強化しようと考えず、安定した大企業に勤めてそつなく出世の階段を上り、安定した生活を送りたいと言う国内安定志向の人間は、これからの時代には、”不良在庫”となる。」と言う。
   ところが、毎年、学卒の就職運動時期になると、各メディアが挙ってアンケートするのが、学生たちの就職希望企業のランキングだが、大前研一氏が指摘する”不良在庫”候補者を求める企業ばかりが、上位にランクされている。
   我々が学生の頃には、謂わば、特別な企業や組織は別だが、殆どの会社どこにでも就職できた時代とは違って、苦しい時代だからこそ安定志向(?)なのかも知れないが、全くパラダイムが変ってしまって、競争の激烈なグローバル経済社会になってしまっている以上、これらの不良在庫予備軍は、成長の機会を摘み取られて去勢されるだけの虚しい組織に未来を託す、飛んで火にいる夏の虫になると言うことであろうか。

   その前に、大前氏は、
   「文科省は、教育の顧客である企業や「競争相手」となる世界の方を見ようとせず、企業が採用したくなる学生を卒業させようとはしない。企業の”品質管理”と言う意味では、落としたくなるような人ばかりを卒業させている。」
   新卒の就職率が92%に低下したと大騒ぎして、残る8%に補助金を付けて就職支援するのが民主党の「成長戦略」の目玉だが、会社をいくつ受けても落ちるような人を税金で助けると言う発想自体がナンセンスで、恐らく勉強を死ぬ気でやってこなかったのだろうから、放って置けばよい、とも言っている。
   大前説に一理あったとしても、私自身は、文科省の教育は兎も角、猫も杓子も大企業に就職出来たバブル時代と違って、あまりにも不幸な失われた20年で、多くの若き人材に就職や活躍の機会を与えられずに、人世を棒に振らせた日本社会の無為無策の罪は計り知れないと思っている。
   
   さて、私自身の考えだが、日本の大学教育の質の向上が必須で、グローバル化だと思っている。
   日本の政治経済社会が内向きで、変化を嫌う若者だらけの「日本病」が蔓延しているとするのなら、9月入学で驚いているようではダメで、まず、真っ先に大学を完全に国際化して、広く門戸を世界に開放して、根本的に大学制度なり組織を改編することが有効なのではないかと思うのである。
   風穴を開けて、硬直化して麻痺している学閥とボス・システムを吹き飛ばし、グローバル水準に至らない不良在庫教授や学者の多くを駆逐することが必須であり、第一、若い学生たちの目の色が変わって来る筈である。ウィリアム・スミス・クラークの「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」効果を再現させることである。

   異文化異文明の遭遇こそが、人間を触発して向上意欲を促進するのであって、このことは、文化文明は辺境から伝播するとしたトインビーの「挑戦と応戦」論で証明済みである。
   海外から優秀な教授や学者を積極的に招聘するのであるから、授業は日本語でも英語でも自由に出来るようにして、若者そのものをグローバル化することが先決で、そうすれば、それ以前の小中高教育も、期せずして、必然的にこれに対応して、日本の教育システムが根底から変わってくる。

   大分前に、京大のビジネス・スクールの設立当時に、カリキュラムを見せて貰って、現状のグローバル・ビジネスに十分対応できないのではないかと、コメントしたことがあるのだが、文科省の認可条件だと言うことであった。
   私が学生の頃、京大にも経済学科はあったが、その後、ウォートン・スクールで学んでみて、経営学そのものの質および量の差が途轍もなく大きいのに気付いて唖然としたのだが、高等教育は、やはり、アメリカで受けるべきだと痛切に実感した。
   いずれにしても、カリキュラムは別としても、私が学生であった時には、日本の場合、授業科目とは殆ど関係のない、時には全く役に立たないような授業を自由に行っていたし、恐らく、今現在でも、授業内容をチェックする訳ではなく、完全に教授に一任されている筈なので、大学で教える授業にはかなり自由度と幅があるので、自由に任せて、大学を運営すれば良いのである。
   その場合には、世界最古の大学であるボロニア大学が、学生主導で教授を自分たちで選定したと言う趣旨に則って、学生による教授の評価システムをビルトインすべきは当然であろうと思う。
   時代の潮流に触発されて、学問の質、量ともに異常に拡大し、賞味期限が短縮して来ているので、肝心要の教授の切磋琢磨と能力の涵養が必須なのである。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐倉城址公園の八重桜とチューリップ畑

2012年04月24日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   遅い午後、佐倉城址公園に出かけて、本丸跡の八重桜を見に出かけた。
   少し遅かったので、陽に映えた美しい桜を見ることが出来なかったが、丁度、タイミング良く、普賢象とカンザンは満開であった。
   広い本丸跡に、大木とは言え、ほんの、普賢象が5~6本、カンザンが2本くらいなので、他に咲いている桜を加えても、ソメイヨシノの満開時のような華やかさはないが、近づいてみると、それなりに、厚ぼったい八重桜の量感は、圧倒的である。
   今、まだ咲いている桜は、緑がかった白いウコン、白い一重のスルガダイニオイとオオシマザクラと僅かなので、佐倉の観光協会のホームページは、「城址公園の桜は終了しました」と報じている。
   時間も時間なので、本丸跡まで来て八重桜を愛でる人は少なく、犬の散歩に来る近くの人とか、定年を終えたくらいの老夫婦が何組か、と言ったところである。
   
   
   


   城址公園から、車で20分くらいの距離なので、印旛沼に隣接している「ふるさと広場」のチューリップフェスタ(平成24年4月1日(日)~29日(日) 9:00~16:00)の会場に向かった。
   主な行事は22日で終わっており、時間外の夕刻5時であるから、勿論、人はちらほらで、写真を撮っても、フレームに人が入らない。
   以前に会期中の時間に行ったことがあるのだが、交通規制で車は動かず、駐車場には中々入れず、会場は人で一杯。
   それからは、人のいない時間切れか会期後に行くことにしており、ゆっくりとチューリップと対話することが出来る。
   この添付した写真にも出ているが、チューリップ畑と印旛沼の境界がソメイヨシノの桜並木になっていて、実に美しいのだが、チューリップの満開時からは少し早いので、タイミングがずれる。
   私は、畑の間のトラクターの走る農道を、この桜並木まで車を走らせて、そこから、チューリップ畑の裏側、すなわち、入口ゲートの反対側からチューリップ畑に入り込んで、花を観賞する。
   オランダ直輸入の立派な風車があるのだが、私がオランダで見たのは、すべて古い骨董の風車なので、雰囲気が大分違う。
   キンデルダイクには、今でも20基近い風車が現役で、粉を引いたり水を上げたりしているのだが、風車自体がガタガタ大揺れしながら仕事をしている姿は迫力があって面白い。
   この佐倉のチューリップ公園は、観光目的なので、私が毎年楽しみにして訪れていたリセ地方のチューリップ畑のように、球根を取るための農家の畑とは景観が大分違っている。
   まず、満開の佐倉チューリップ公園の現状を紹介する。
   
   
         

   オランダでは、花が咲くのを確認すれば、球根を太らせるために、すぐに、花弁を切り取ってしまうので、花のない緑の帯が延々と伸びて、色の絨毯の迫力に欠けることがあるのだが、タイミングが良くて見ることが出来ると、広大な畑地に広がるカラフルな絨毯のスケールの大きさに感動する。
   近くのキューケンホフのチューリップ公園には、わんさと人々が押しかけるが、リセのチューリップ畑を訪れる人など殆どいなかったので、私は、何時間も極彩色のチューリップ畑で過ごすのを楽しみにしていた。
   尤も、仕事でロンドン、パリ、と飛びまわっていたので、タイミングが外れて、涙を飲むこともあったが、懐かしい思い出であり、私が花好きになったのも、このチューリップ畑の経験と、ロンドンに移ってから通い詰めた王立キューガーデン植物園での思い出が切っ掛けとなっているのだと思っている。
   25年以上も前の写真をスキャンしたので色が退化しているが、リセのチューリップ畑の一部を紹介する。
   
   
   
   
   
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洛中洛外図屏風と風俗画~国立歴史民俗博物館

2012年04月23日 | 展覧会・展示会
   今、ゴールデンウィークの終わりまで、佐倉市の国立歴史民俗博物館で、「洛中洛外図屏風と風俗画」と言うテーマで、特別展が開かれている。
   洛中洛外図は、あっちこっちにあるので、別に珍しいことでもないのだが、一堂に会して見る機会はそれ程ある訳ではなく、今回は、特に、風俗画にも力を入れており、別展示で、秀吉の醍醐での花見風景を描いた屏風絵なども展示されていて、結構面白い。
   私は、18年前、平安建都千二百年記念で、京都国立博物館で開かれた特別展「都の形象 洛中・洛外の世界」で、もっと大規模な展覧会を見ており、今回展示されている歴博の洛中洛外図も、その時見たようで、この口絵写真は、その時の絵葉書のコピーで、祇園祭の鉾が写っているので使わせて貰った。

   京都の学生時代に、勉強を程々にして、京都や奈良など関西の古社寺めぐりや歴史散歩に明け暮れていたので、洛中洛外の地理や風景には馴染んでおり、場所を想定しながら絵を見るのは、特別の感慨があるのだが、実際の風景でも、存在した建物のリアルな描写でもないので、いわば、絵師や発注者たちの心象風景に近いと言うことであろうか。
   時代が下がると、当時の人々の実生活を描写した風俗を描いた絵が、洛中洛外図に加わって来て、遊里で袖を引かれる僧侶などの姿や加茂の河原の野外舞台での歌舞演劇などの様子、それに、大名行列から商売をする人々など、克明に見ていると、当時の繁華街の雑踏の様子まで髣髴として、丁度、放映中の大河ドラマ「平清盛」の映像とダブって来て面白い。
   ヨーロッパなどでは、構築物は、殆ど、半恒久的な石と煉瓦で出来ているので、今でも、何百年前の景観がそのまま残っているのだが、日本の建築物は、殆ど、木と紙と土で出来ているので寿命が短くて、都市景観などすぐに時代とともに変わってしまうので、それだけに、洛中洛外図のような歴史絵は、貴重なのであろう。

   江戸時代に入ると、広重の東海道五十三次絵図などは、都市の一覧図ではなくて、駅毎での風景画だが、そこに描かれた人々の生業などビビッドに現出された風俗の描写には目を見張るものがあり、その萌芽は、鳥羽僧正の鳥獣戯画や、洛中洛外図に描かれた風俗画から展開されて行ったのであろうか。
   初期の洛中洛外図は、権力者からの目線で描かれていたので、神社仏閣や大邸宅など、どちらかと言えば京都の絵図を絵にしたような感じであったようだが、それに、季節の移り変わりに応じた儀式や風物が加わり、次第に、人々の生活を描写した風俗画的な要素が力を得て、どんどん、生活感の漂った生きた洛中洛外図に変わって行ったと言うことのようである。
   尤も、会場は暗いので、小さく描かれた人々の生活風景など風俗の様子など良く分からないのだが、これまでに、結構、この類の絵を見ているし、本などで、ディテールを見ているので、そのイメージで補いながら鑑賞していると言うことである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂歌丸~圓朝の「双蝶々雪の子別れ」

2012年04月22日 | 落語・講談等演芸
   久しぶりに、落語を楽しみに行こうと思って、国立演芸場に出かけて、中席の舞台を鑑賞して、桂歌丸師匠の圓朝の芝居噺「双蝶々雪の子別れ」を聴いた。
   サゲもなくたいへん重く哀しい噺なのだが、これこそ噺家の語る本当の噺と思って、しみじみとした歌丸の語る噺を感動しながら聞いて帰って来た。
   牡丹灯籠や文七元結なども、こんな語り口で円朝も語り続けて来たのであろうと思いながら、聴いていたのだが、落ちのあるげらげら笑って聞く落語に慣れていた私には、正に、新鮮な驚きと感動であった。

   円朝は、歌舞伎の「双蝶々曲輪日記」からヒントを得て作った噺だと言うのだが、全く中身は変わっていて跡形もないのだが、落語の主体とも言うべき滑稽噺より、真面目な講談に近い、このような円朝の人情噺の方を、もっと聴いてみたいと思っている。
   「文七元結」や「芝浜の革財布」などのように歌舞伎の世話物として江戸情緒たっぷりの庶民劇となって愛されているのも、分かるような気がするし、噺の噺たる所以でもあろうか。

   当日、演芸場で、楽屋入りの歌丸が署名したのだと言って売っていたサイン本・「恩返し」(この口絵写真は、その本の表紙の下部分を借用)を読むと、歌丸も、圓朝の「怪談牡丹燈籠」の「栗橋宿」をやってみろと言われた時には、できませんと断り続けていたらしい。
   「圓朝師匠の噺はどれも長編で、筋が複雑に入り組んでいて、登場人物は多彩で大勢、難しい固有名詞も多い。演者としては、できれば避けて通りたい、難物中の難物です。」と言いながら、
   「深い洞察力と、古風だけれど無理のない勧善懲悪の展開は魅力的です。」として、噺家が手間暇惜しまずに仕事をすれば、必ずや現代人の心に届く噺になる筈と信じて、「真景累ヶ淵」を5席に分けて、国立演芸場で演じたのだと言う。
   

   この「双蝶々雪の子別れ」だが、
   湯島大根畑の八百屋の長兵衛の子長吉は、母親が亡くなって、継母おみつが来ると、父親が取られてしまうと言う恐怖感に駆られて、心遣いをよそに悪戯の限りを尽くしてあることないこと父親に告げ口して苛め抜くので、見かねた大家が長兵衛を説教して、下谷山崎町の玄米問屋山崎屋に奉公に出す。
   店では一部の隙もなく真面目に努めるのだが、夜中に悪友と巾着切を働いており、これを番頭権九郎に見つかる。
   権九郎に唆されて店の金100両を盗むのだが、これを丁稚定吉に見つかったので、これを殺害し、店にもおれなくなったので、権九郎も殺して逐電する。
   その後、長兵衛の長患いで、窮乏したおみつが、多田薬師の石置き場で物乞いをしているのに出くわして、長吉は連れ帰られて、病気の父に対面し、50両の金を残して、別れを告げる。
   吹雪の中を急ぐ長吉に御用がかかり捕り物となる。

   ・・・・・もう一度後ろを振り返り、深い闇に降り続く雪のその先に向かって、もう一度後ろを振り返り、深い闇に降り続く雪のその先に向かって、
「おっ母ぁ、お父っつぁんのことは頼んだぜ・・・」
と、ポツリと口にすると、来た道にふたたび背を向けて歩き始めたその途端、
「長吉!御用だ!」
   大詰めにかかると急にライトがトーンダウンして、吹雪が舞い始めて、紙吹雪が高座の歌丸の頭上に舞う。
   おでこに、白い雪をつけた歌丸が深々と頭を下げると頭上から静かに幕が下りてくる。


   歌舞伎の「双蝶々曲輪日記」は、幼くして里子に出された大関・濡髪長五郎が、訳あって人を殺して追われる身ながら、生みの母親お幸を訪ねて行くのだが、追手から逃がそうとする母親と義理の兄弟十次兵衛との親子兄弟の情愛と心の葛藤を描いた秀作で、義理と人情の板挟みに泣く庶民の感動を呼ぶ。
   特に、「引窓」の場での、やっと村代官に任命された初仕事が濡髪捕縛で、意気揚々としていた十次兵衛が、義母への恩愛に咽び泣きながら、隠れている濡髪に聞こえるように、抜け道を告げる断腸の悲痛は胸を打つ。

   歌丸の「双蝶々雪の子別れ」のしみじみとして澄んで流れるような、そして噛んで含めるような人情噺の語りは、正に感動的で、シーンと張りつめた空気の中で、熱い感動を呼ぶ。
   帰ってから、パソコンで、青空文庫を叩いたが、「双蝶々雪の子別れ」はなかったので、偶々見つけた「落語暦〜ラクゴヨミ〜」を開いて、歌丸の落語の全文を読み返して、感動を新たにした。

   半蔵門の劇場から、一駅の神保町でおりて、書店を散策していて、歴史本が多い「大雲堂」で、永井哲夫の「新版 三遊亭円朝」を買い求めた。
   世阿弥の本を集めて読み始めたところだが、また、宿題が一つ増えた感じである。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

性善説市場の日本のビジネス

2012年04月21日 | 生活随想・趣味
   地球を半周して久しぶりに帰国した親しい知人から、お土産を頂いた。
   私も随分昔だが、しばらく住んでいたので、懐かしく思い出しながら、甘いチョコレート菓子を頂こうと思って、包装を説いてテープを剥がして開けて見たら、プーンと好い匂いが漂い、正にブラジルの香りである。
   しかし、驚いたのは、カンの中身で、確かに、6つのケーキが並んでいるのだが、カンの中はスケスケで、どう見ても、まともな贈答用商品の詰め合わせとは思えない。
   咄嗟に、思い出したのは、先日コメントした川北潤氏が、「ネットデフレ」で、最も蝕まれやすいのは、性善説市場の日本だと記していた、その「性善説市場」と言う言葉である。

   日本では、ネットショッピングで購入しても、川北氏も私も、額面通りに、必ず正規品が届けられて全く問題などなかったのだが、中国ならどうかと言うのである。
   日本は、ショップは性善説で商売をしているから信じても良いが、中国では、まがい物が横行し、騙される方が悪いと言う性悪説市場であるから、万が一騙されても文句が言える筋合いではない。中国人の観光客が、何の心配もなく、本物を真違いなしに買えるから、わんさと日本に押しかけて来て、ショッピングをして帰るのも、この証左であろう。

   さて、前述のチョコレート菓子だが、大切な友人であるので、この記事を読まれても悪いし、どこで、いくらで買ったのかと聞く訳にもいかないので推測の域を出ないが、コスト削減の上げ底包装であろうとも、日本の商店ならもう少し工夫をするであろうし、安いのかも知れないが、第一、カンに見合わない箱詰めであり、こんな商売をすれば、一気に、ブランドと会社の信用を失墜する筈なのに、そんなビジネスを堂々と行っていて、商売が続けられるのかと言う思いである。
   尤も、製造現場に立つ従業員のモラルの問題かも知れないのだが、いずれにしても、品質管理以前の問題であろう。
   では、ブラジルが、日本と違って、中国のように性悪説市場であるのかと言うことだが、このブログでも随分ブラジルの記事を書き続けているけれど、私自身は、ラテン気質の強いブラジルであるから、当然と言わないまでも、今回も、変っていないなあ、やはり、相変わらずのブラジルのビジネスだ、と思ったことは事実である。

   とにかく、最近は、多少世知辛くなったとは言え、日本は性善説市場の国。
   天然記念物のような市場だが、グローバリゼーションの時代だからこそ、大切に守らなければならない宝かも知れない。
   BRIC’sビジュネスは、要注意と言うのがビジネスの鉄則だが、ビジネス倫理なり哲学の差があまりにも大きいと言うことであろうか。

   念のため、二つ重ねて並べれば、カンの大きさに見合うのだが、空間が開き過ぎると言う写真を添付して置く。
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場:四月歌舞伎・・・「通し狂言 絵本合法衢」

2012年04月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   昨年の大震災で中断していた歌舞伎「通し狂言 絵本合法衢」の再演であるが、今回は、国立劇場創立45周年企画公演の掉尾を飾る舞台である。
   お家乗っ取りを策す大名一族の左枝大学之助と、飛脚の無頼漢太平次と言う二人の極悪人を主人公とした殺人、殺人で話が展開して行く、救いようがないテーマの芝居なのだが、その全くキャラクターが異なった時代ものと世話ものの極悪人像を、歌舞伎界きっての二枚目俳優片岡仁左衛門が二役で演じるのであるから、当初から話題を読んだ歌舞伎公演だが、何せ極端に暗い芝居であるから、結構空席があって、日本芸術文化振興会のネット予約ページの空席表示が、いつまでも消えない。
   
   四世鶴屋南北の円熟期の作品で、当初は、結構演じられたようだが、南北独特の悪人の魅力がテーマの残虐劇と言うことで、趣味の悪さと社会倫理観にそぐわないと言うことで、その後、上演は少なく、最近も、19年ぶりの仁左衛門による久々の再演だと言う。
   もう一つ南北の作品で、私が引っかかるのは、登場人物の絡みが複雑で、話が込み入っていて、中々話の筋が分かり辛いことだが、今回のこの「絵本合法衢」の舞台は、本来、一日中延々と演じられている芝居を、たったの正味3時間少しの「通し狂言 絵本合法衢」に凝縮して上演しているのだから、これだけの素晴らしい舞台に仕上げた関係者の人たちの奮闘努力に敬意を表するが、とにかく、ごちゃまぜチャンポンで無理があって、すぐにはすんなりと芝居を楽しめないことである。

   その点を考えれば、いくら長くても3時間くらいで2時間少しで戯曲の舞台を完結しているシェイクスピアの力量は大したもので、同じ極悪人を描いた劇でも、殺人などと言った凄惨さは一切なくても、オセロ―のイアーゴーがどんどんオセロ―を追い込んで行く悪人ぶりの凄まじさと凄さは、南北の及ぶところではない。
   リアリズム主体の西洋劇のなせる業かも知れないが、私は、同じ複雑な芝居でも、メインテーマとサブテーマを巧みに組み込んで畳みかけるように舞台を展開して行くシェイクスピアとの差を、何故か、意識しながら芝居を追っていた。

   今回の舞台を見ていて感じたのは、演じている仁左衛門の役者としての素晴らしさと言うか独特のキャラクターから醸し出す人間味だろうと思うが、これ程、殺人殺人のオンパレードで凄惨な芝居でありながら、話は話として芝居は芝居として楽しみながら、決して嫌味の一切ない舞台であったのに気付いて、おかしな言い方だが、感動さえ覚えているのである。
   大名家の分家の大学之助は、いわば、仁左衛門にとっては、菅丞相と松王丸をミックスしたようなものであろうし、太平次は、いがみの権太の世界であろうから、千両役者仁左衛門にとっては、全くキャラクターの異なった二役を同時に演じるのは、何の造作もなかったのであろうが、今回の舞台は、孝太郎、愛之助、秀太郎と言った上方歌舞伎の役者たちが、重要な脇役として舞台をサポートしていたのも、雰囲気作りには大いに貢献していたのではないかと思っている、

   今回の舞台で興味深かったのは、時蔵で、したたかな悪女うんざりお松と、大学之助を討つ高橋弥十郎(左團次)の妻皐月の二役を演じたのだが、四条河原の見世物小屋で屯する風来坊たちの親玉で蛇遣いのうんざりお松の悪に長けたしたたかさと悪辣さが秀逸で、
   これが、結構色気があって、女房のお道(秀太郎)を差し置いて、男前の太平次にゾッコン惚れ込み、後釜になりたい一心でモーションをかけたり、太平次の欲しがる香炉をせしめるために、道具商田代屋へ強請に出かける。その口から出まかせの強請も結局暴かれるのだが、最後には、しつっこく付き纏うので煩くなった太平次に古井戸に投げ込まれて死んでしまうのだが、面白いキャラクターを好演していて楽しませる。
   左團次は、今回は二役とも善玉で、重厚な舞台を務めており、重鎮として時蔵と東京組をしっかり纏めて華を添えている。

   秀太郎のお道は、太平次の女房ながら、殺されそうになる田代屋与兵衛(愛之助)を助ける数少ない善玉で、仁左衛門や時蔵たちとの何でもない一寸した会話にも、実に味のある受け答えで応じており、流石であり、
   義理の息子愛之助のしっとりとした爽やかな立ち居振る舞いや、実に豊かな情感と雰囲気を醸し出していつも好演する孝太郎たちの上方陣の演技は、上方の世話物の世界を髣髴とさせていて、不思議にも、南北ではないような感じがした。

   ところで、私は、今回の「絵本合法衢」にしても、「白波五人男」などの任侠ものにしても、江戸歌舞伎には、悪人やアウトローが主役の芝居が結構多くて、悪の華などと言って、粋だ格好良いなどと言って囃す傾向があるのだが、なぜか、これにずっと抵抗を感じている。
   ところが、先日、観世銕之丞の「能のちから」を読んでいたら、対談で三津五郎が、
   「め組の喧嘩」とか、「加賀鳶の勢揃い」とか、別段深い意味はないけれど、ただただ、鳶頭がかっとしているだけで血が騒ぐような、喧嘩場の湯気が立つような場面はワクワクしました。そしてその場面に出ることが子供の頃からの憧れだった。この場面に出たかった。と言っていて、関東人は、やはり、江戸歌舞伎の任侠ものや荒事に共感しているのだと思った。
   私は、やはり、元関西人である所為か、どうしてもナンセンスなアウトローものや筋も何もない荒事のパーフォーマンスにはしっくりと来なくて、どちらかと言えば、シェイクスピアに近い近松ものや上方の世話物・和事の世界の方が、楽しめるような気がしている。
   尤も、猿之助が、蜷川幸雄との対談で、上方の和事にはまりこんで、大阪だ、名古屋だと、鴈治郎の追っかけから始まったと語っているから、役者夫々なのであろうが、幅の広さが、歌舞伎の世界なのかもしれないと思っている。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐倉城址公園の春~遅いさくら

2012年04月18日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   随分温かくなって、陽気が良くなったので、久しぶりに、佐倉城址公園に出かけた。
   自宅前の桜と開花時期が殆ど同じなので、ソメイヨシノは既に散ってしまって、葉桜寸前だと思ったのだが、この佐倉城跡の公園には、かなり色々な種類の桜の木が植わっているので、八重桜には一寸早いが、いくらかは咲いているだろうと思ったのである。

   丁度、園内のはずれにあるくらしの植物苑で、「伝統の桜草展」が始まったので、先に行くことにして、駐車場から姥が池の方に下りて、林間の急坂を上って行った。
   池には、まだスイレンには早いので、水草も少なくて、澄み切った水面に亀が見え隠れしていて、甲羅干しをしている亀のグループも幾組かあって、親亀の甲羅に子亀が乗っているのが面白かったので、シャッターを切った。
   くらしの植物苑の桜草は、まだ開花していない株もかなりあったが、随分種類が多くて、ひっそりとした感じの清楚な花型が面白く、幾鉢か買い求めようと思ったが、やはり、ファンが多いのか、既に、当日分は完売してしまっていた。
   花は、モモやボケ、それに、椿が咲いていたが、日本の古風なくらしの植物苑でありながら、黒椿のナイトライダーが綺麗に咲いていた。
   
   

   ソメイヨシノが満開の時には、歴博の土産物店上方の大きなガラスのオープンスペース越しに見る巨大な額縁に収まった光景が素晴らしいのだが、それが見られない時には、空堀を越えて茶室横を通って、本丸跡に向かうことにしている。
   途中に、それ程大きくない淡いピンクの枝垂れ桜が一本あるのだが、丁度、咲いていたのだが、小さくてか細い花が舵に揺れていて、豪快に散るソメイヨシノとは違って、如何にも儚げである。
   途中の本丸手前の深い空堀を覆っているモミジの新緑が美しかった。
   
   

   本丸跡は、丁度、すり鉢状になった円形の競技場ような広いオープンスペースで、周りに沢山の桜の巨木が植わっていて、ソメイヨシノが散った後も、5~6本、綺麗な花を咲かせている。
   今一番美しく咲き乱れているのが、タカサゴで、その反対側の出口あたりに、スザク、マツマエカザンイン、ハナガサと言った私の良く知らない桜が咲き乱れている。
   巨木で、長い枝を伸ばして、先端は、私たちの手が届く位置に枝垂れていているので、花房が良く見えて、中々の風情である。
   その隣に、この本丸の主木のように豪華な花を咲かせる八重桜のフゲンゾウが植わっているのだが、まだ、蕾が固く、満開は来週あたりであろうか。
   その頃には、残りの八重桜が一斉に咲き乱れるので非常に美しいのだが、知る人ぞ知るで、案外、花見客は少なくて楽しめる。
   
   
   
   
   
   

   シロタエやウコンと言った桜の巨木は、かなり上方に花を咲かせていて、私のような、どちらかと言えば、クローズアップの花しか撮らない人間にとっては、一寸苦手だが、青空に映える姿は、豪華である。
   その日は、丁度、「洛中洛外図屏風と風俗画展」と「近世の風俗画展」をやっていたので、歴博に入って、午後のひと時を楽しむことが出来た。
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤井聡著「救国のレジリエンス」(3)

2012年04月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   前回の記事で、建設国債を発行して公共投資を実施し、国債が市場でいくら売り込まれて暴落の危機に瀕しても、日銀が総て買い取って支えれば良いので問題がないと言う藤井説について、如何に暴論であるかを論じたので、
   今回は、日本経済が悪化したのは、須らくデフレであって、生産性の向上など生産力アップは、益々、デフレを進行させて日本経済を更に窮地に追い込むだけで、需給ギャップを埋めるためには内需の拡大が必須要件であって、レジリエンス国家を確立するためにも、更なる公共投資の増大が肝要であると言う藤井説について論じてみたい。

   企業が倒産するのも失業するのも、須らく、供給に対して需要が不足する需給ギャップの存在の為であり、更に需要が減り続け螺旋状に物価が下落してゆくデフレ・スパイラルから脱却するためには、デフレ・ギャップを埋める、すなわち、意外なほど簡単で、建設国債を発行して、どんどん公共投資をやれば良いと言うのが、藤井説の根幹である。
   したがって、橋本政権や小泉政権、そして民主党政権が推し進める改革は、いずれも、構造改革や自由化政策を推し進めて、需要を減らして供給を増やす、デフレ促進策であるから、経済改革はすべて間違っている。企業の生産性の向上などは、コスト削減の最たるものだから許せない。と言う。 
   まして、事業仕分による公共投資の削減などは、愚の骨頂だと言う論理である。  

   ところで、公共投資が需給ギャップを埋める強力な武器だと言う根拠は、乗数効果理論で、民主党活用の内閣府モデル以外は、その乗数が高くて、毎年10~20兆円の公共投資を行えば、少なくとも名目GDPは600兆円程度に、また、適切な投資が出来れば900兆円程度に成長するのが示されている、と藤井教授は説く。
   どこから、そのような高い経済波及効果が出て来るのか、実際的にも、失われた20年間で如何に多くの公共投資が投入されたかは、1000兆円にも達している国家債務の蓄積を考えれば分かるのだが、その経済浮揚効果は殆どなきに等しく、大いに疑問である。

   リチャード・クーが、バランスシート不況論で、日本政府の財政出動が、日本経済の悪化を支えたと論じてはいたが、経済成長には、貢献したとは言えなかったし、現実にも、老成化した日殴のような成熟国家においては、乗数が著しく低下していると言うのがかなりの定説である。
   一説には、この乗数(政府の言う波及効果乗数)は、全国平均値は1.9から2.0くらいであると言われており、富山県では、100 億円の公共投資(用地買収費等を除く)が実施されると、県内産業全体で新たに58 億61 百万円の生産が誘発されるとしており、処々の脱漏を考えれば、精々、1.5程度であろうから、景気浮揚効果などは極めて薄い。
   現実にも、工事の機械化と人員の削減などの公共工事の合理化によって、公共投資(建設部門)が実施された場合の経済波及効果の値を小さくしており、一般的に指摘されているように、公共投資の増大が、金利の上昇をまねき(クラウディングアウト)、設備投資の抑制要因となるほか、円高を招き、また、将来の増税を予想して家計が消費を抑制する可能性があるなど、逆に経済成長を阻害する要因が働いて、効果を減殺してしまう。
   乗数効果が有効に働くのは、戦後の日本や今の新興国のような成長志向の強い高圧経済であって、いくら刺激策を打ち続けてもダメな日殴のような成熟経済では、効果が薄くなるのである。

   貧富の差が激しくなって、貧困に喘ぐ国民が増大していることを考えれば、公共投資の増加によって得た労働者の所得のかなりの部分は、借金返済や貯蓄に回る筈で、消費による有効需要には期待する程回らない筈である。
   藤井教授は、デフレ・ギャップの存在が、日本経済のデフレ要因の総てであるようかのように言及しているが、既に、30兆とも40兆円とも言われている日本のデフレギャップの存在は、日本経済にビルトインされてしまった与件であり、直接のインパクトは限定的で、私の考え方は、昨日、川北潤著「ネットデフレ」で論じたように、次のとおりである。
   「一般的には、デフレは、膨大な需給ギャップによって起こると言われているのだが、私は、グローバリゼーションの拡大による要素価格の急激な低下によるユニクロ型デフレやこのネットデフレ等のICT革命によるデフレと言った価格下落現象の方が強烈だと思っている。」

   百円ショップに行けば分かるが、あれだけの物の殆どが、日本で100円で生産できる訳がなく、当然、日本で製造販売すれば高くなって競争できないし、まして、要素価格平準化定理の働きで、同じ商品はグローバルベースで同じ価格となり、貧しい発展途上国の労働者が出来るような仕事や労働は、すべて、貧しい発展途上国の労働者並みに低賃金となるのは必定であり、日本の多くの単純労働が今のような高い賃金を得ていること自体が、不思議であり、必ず、近いうちに平準化して、もっと下がる筈である。そうでなければ、国際水準よりはるかに高い賃金を支払う日本企業は、競争できなくて駆逐されて行く。
   遅れた国と同等の単純労働や、ロボットやパソコンで出来る労働などは、どんどん、日本から駆逐されて行く筈で、そう考えれば、もっともっと、日本の物価や賃金が下がっていくデフレ経済が進行するのは当たり前なのである。
   いくら政府が手厚い保護を実施してもダメで、これが、グローバリゼーションのグローバリゼーションたる所以であり、絶対に逃げられない日本経済の宿命だと言うことである。

  
   余談だが、藤井研究室のメンバーである「TPP亡国論」の著者中野剛志准教授の考えに興味を持って、どうせ同じだろうと思ったので、書店で立ち読みして、あとがきだけ流し読みしただけだが、全く同趣旨のようであった。
   要するに、日本の関税率は2.6%で決して高くなく閉鎖的ではないと言うこと、TPPを始めすべての経済政策は、アメリカの意図する国家戦略であって、調子に乗って開国すればアメリカの餌食になるだけだと言う論理に加えて、藤井説のデフレ亡国論が展開されている。
   現下の日本経済のように、需要が極端に低く生産力が過剰なデフレ経済においては、貿易自由化に向けての貿易立国を目指して、生産性をアップして生産力を強化する愚挙を冒せば、益々、デフレを進行させて経済を悪化させて国民生活を窮乏に追い込むこととなるので、内需を拡大する経済政策の実施が最も肝要だと言うことである。

   まず、アメリカの罠にかかると言う論理だが、アメリカがグローバル経済において、アメリカに良かれとするアメリカの国益のための政策を強引に推し進めてくると言うのは、歴史の必然であり、唐が大国であった時には唐の論理が、イギリスが七つの海を支配していた時には大英帝国の論理が、世界を支配して来たのと同様に、最強国が権力の帰趨を決定し秩序を構築して支配力を強化しようとするのは至極当然であって疑問の余地はない。
   したがって、他国は、これに抗して打ち勝つ以外になく、負ければ支配されて後塵を拝することとなり、国を閉鎖して門戸を閉ざして内に籠れば、国際社会から遊離してしまうことになる。
   かっては、国を閉ざして、ある程度栄えた文化もあったが、今日のように、殆ど完全にグローバル化した世界においては、国際競争に置いて激烈な競争場裏での洗礼をもろに受けて戦い抜いて、国際競争力を涵養しない限り、脱落して行く以外に道はない。

   さて、このグローバリゼーション下での日本の将来だが、攻撃は最大の防御なりであって、イノベーションを追及してブルーオーシャン市場を目指して努力して、アメリカに対抗して凌駕するだけの国際競争力を、日本、日本企業、日本人が、確立して、熾烈な国際競争に勝つ以外に道はないと言うのが、私の持論であって、TPPからの離脱など許される筈がないと思っている。
   不利になるから市場を閉鎖しようと言うのは、競争力がないから、負け犬を庇護しようと言う論理で、ゾンビ産業を維持する公算が高いだけで、何の解決にもならないし、グローバリゼーション下においては、悲しくても、熾烈な戦いであっても受けて立つ以外に生きる道はないと言うことである。
   この地球上に日本が存在する限り、グローバル経済の潮流に翻弄されるのは必定で、要素価格平準化定理のグルーバル・ベースの波及によって、産業構造を高度化して生産性をアップしない限り、日本経済が侵食されて行き、日本が国際競争力の低下によって、遅れを取れば、それだけ日本の国力と経済力は疲弊して行き、国民生活が益々窮乏化して行く。

   大前研一氏が、ほんの少し前まで、亀山モデルと銘打ったテレビで破竹の勢いであったシャープが、「台湾企業の鴻海が事実上の「買収」、下請けに甘んじるのか」と論じたように、日本の虎の子の最先端輸出企業であり国際競争力のあったソニーやパナソニックさえ窮地に立つ状態に至った見るも無残な日本。
   この上に、生産性が低くて国際競争力の全くない沢山のゾンビ企業を温存している膨大な内需産業を抱えて、日本はどうして生きて行くのか。

   最後に、念のため、断っておくが、藤井教授のレジリエンス国家を追及する列島強靭化論は、それ相応に注目すべきであろうし、十分に実施について検討すべきであるとは思っているが、誤った経済理論を根拠にして、誤った経済政策や財政政策を打てば大変なことになると言うことを指摘しておきたいのである。
   それに、何度も論じているので今回は触れなかったが、正しい戦略と経済政策を実施して、適切な経済成長を図ることが必須であり、経済成長がなければ、日本の将来がないと言うことを付記しておきたい。
   いずれにしろ、企業の必死の生産性のアップ努力や、政府の経済改革が総てが悪いと言う常識人では考えられないような暴論が、国会の公聴会や調査会で披露され、本が売れて講演依頼が絶えないと言う珍現象が、私には、不可解で仕方がない。
   否でも応でも、必死になって、国際競争に勝ち抜く以外に日本の生きる道はなく、そうでなければ、日本の地位はどんどん低下して、日本全体が貧しくなって行き、生活を切り詰めなければならないので、小さくなったパイを民主的に分け合って、等しく貧しい生活の中で、平安と幸せを追及することになるであろうと思っている。(良いことか悪いことか、私には分からないけれど。)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川北潤著「ネットデフレ」

2012年04月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日本経済が、失われた20年に呻吟し、経済不況からいまだに脱出できないのは、須らく、デフレが元凶だと言うことだが、そのデフレの原因については、諸説紛々である。
   この本のタイトルが、「ネットデフレ」、ITが生み出した負のスパイラルと言うサブタイトルがつく。
   「デフレの正体は、ネットの進化にあり! 経済の足を引っ張り、デフレスパイラルを巻き起こし、雇用を奪う恐るべき現在の怪物」との切り口で、インターネットのEコマースを問題としている。
   ICT革命が、経済全般に亘って革命的な生産性の向上を齎して、これが、ICTデフレの原因だと思っている私の見解とは、大分違うが、著者の説くネットデフレも、そのデフレ要因の一つだと考えられるので、ネットデフレの問題点について、検討してみたいと思う。

   著者の説くネットデフレの発生メカニズムは、極めてシンプル。
   商品のメーカーは、ECサイトと言う謂わば自販機で商品を売れるようにパッケージ化し、次に、ヤフーや楽天と言ったEモールへの出店者(または自営ECサイトオーナー)が、そのパッケージ化した商品を購入して自身のECサイトへ陳列する。
   消費者は、Eモールまたは価格比較サイト(価格コム等)で、商品名を入れて検索し、最安値ショップを探してそのショップの評価などを参考にして大丈夫そうなら商品をバスケットに入れて購入する。
   商品の実物については、リアルショップに出かけて現品を確認し、もし、リアルショップで、iPhone表示の価格比較サイトの価格と比べて値切って安ければ買うが、普通の場合には情報入手先に止めてネットで買うので、益々売れなくなる。
   実際にも、安い筈のヤマダ電機やビッグカメラなど量販リアルショップの店頭価格さえ、価格コムの最低価格よりははるかに高い場合が多い。

   ネットデフレの問題点の一つは、ECサイトで得るために何でもかんでもパッケージ化して、人間が販売時に提供すべきだった付加価値を捨ててしまうこと。
   二つ目の問題は、付加価値を削ぎ落されたパッケージ商品は、価格勝負でしかなくなり、一番安いものしか売れなくなり、益々熾烈な価格破壊競争を助長する。
   一つ目の問題は、雇用機会を著しく狭めて行き、二つ目の問題は、商品価格の下落傾向に歯止めをかけることが困難になり、両者相まって、リアル店舗の商行為に悪影響を与えて経済の悪化要因となると言うのである。

   このメカニズムについては、殆ど異存はなく、私など、かなりの商品は、ネットショッピングしており、最近では、何かを買ったり何かをしようとする時には、殆どと言っても良い程、パソコンを叩いて価格やその商品に関する情報を得ており、特に、価格については、価格コムなど最低市場価格を表示してくれるのであるから、神経質にならざるを得ない。
   尤も、価格コムでの表示価格であるが、最低価格を表示しているショップに在庫が沢山ある訳ではなく、ごく少数の消費者が殺到するだけも、売り切れてしまい、瞬時に価格は変動するが、その価格がある程度理屈が通るものであれば、追随ショップが現れるので、傾向線は分かる。

   ところで、ネットショッピングでのトラブルであるが、特にカード決済で心配する向きがあるが、私の場合には、海外生活も永かったので、随分、カードのお世話になっているのだが、殆ど、問題はなかったし、ネットショッピングでもトラブルはなかった。
   最近では、アマゾンのショップが充実して来て、本以外の一般商品でも最安値を提示する場合も多くて、同じショップでの買い物と言う安心感さえ出て来ている。

   さて、ネットショッピングは、パッケージ化しやすいジャンルで、単純な商品のみならず、旅行、保険、証券、電子出版などにも及んでおり、これらの分野でも急速にネットデフレが進行いしているが、Eコマースは、パッケージ化の困難なアレンジ型の商品・説明商品・人的サービスを販売することが出来ないので、その市場は6.7兆円で伸び悩んでいる。
   それは、ネットには欠陥があるからで、ネットは、ホームページのウェブ閲覧と電子メールのコミュニケーションだが、この2つが統合されておらず、この2つはずっとバラバラに進化を遂げて来たからだと言う。

   この問題の深入りは止めて、ネットデフレに限定して、経済効果とその影響を考えてみる。
   市場を提供して基本料金などフィーを稼ぐ楽天やヤフー、基本料やクリック課金、販売報酬などで儲ける価格コムなどは、収益基調であっても、価格を比較してより安いものしか売れなくする仕組みで、激烈な価格競争で血みどろの戦いを強いられているECサイト出店者は、益々窮地に追い込まれて行き、消費者は利するにしても、その消費者が同時に生産を担う生産者でもあるから、益々、デフレスパイラルが進行して経済が悪化して行く。
   一般的には、デフレは、膨大な需給ギャップによって起こると言われているのだが、私は、グローバリゼーションの拡大による要素価格の急激な低下によるユニクロ型デフレやこのネットデフレと言った価格下落現象の方が強烈だと思っている。

   過日、アマゾンで、新本と全く変わらない瀬戸内寂聴の小説(ハードカバー)を、中古品の出店、で買ったのだが、本代は1円、送料は250円で、合計251円で、クリック一つで1週間以内に手元に届くと言う現実に直面すれば、いくら広告宣伝のためとは言え、経済原則がどこで働いているのか、疑問を感じざるを得ない。
   ECコマースやネットショッピングで、新境地を開いて盛業だと考えていた旅行業でも、生保でも、証券業でも、出版業でも、謂わば、自販機と化した業務でネットデフレが進行し、収益がどんどん悪化して経営が窮地に追い込まれていて、価格破壊と雇用機会の損失が、延々と続いていると言う。

   激烈なグローバルベースの競争社会で、ICT革命の最先端を行く筈の、Eコマースにのめり込めばのめり込む程、価格競争に追い込まれて、デフレの波に翻弄されると言う、この逆説的な潮流の中で、如何に、差別化を図り、或いは、無市場のブルーオーシャンを追及して行くのか、益々、難しくなってきたと言うことであろうか。

   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安野光雅著「絵のある自伝」~ダイアナ妃のこと

2012年04月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   安野光雅の最新刊で、「身のうえ話を書きました。絵もいっぱい描きました。」と帯に書いてあり、カラー版の挿絵が沢山掲載されていて、それに、洒脱で軽妙なタッチの文章が踊っていて、非常に面白い。
   感性の豊かさは、流石で、私のようなビジネス戦士OBとは全く違った、ユーモアとほのぼのとした温かさの中に、ほろっとした哀愁を感じさせて、実に懐かしいのである。
   ところが、何故か、どうしても理解に苦しむような、と言うよりも、意味不明の物語などもあるのだが、私の記憶からは殆ど消えてしまったような懐かしい昭和の息吹が蘇って来て、とにかく、貴重なもう少し価値のあった日本が髣髴としてくるところが実に良い。

   一つだけ、私の印象も交えて、「ダイアナ妃のこと」と言う文章があるので、ちょっと、触れてみたい。
   安野さんは、「旅の絵本」で、婚礼の儀式を描いたので、それを見た英国大使館の人が名簿に載せたのか、大使館でのダイアナ妃出席の記念パーティに招待されて、出かけて、ダイアナ妃と握手したのだと言う。
   安野さんのような人でも、ブラックタイの意味が分からなくて、高峰秀子さんに教えて貰って東条会館で借り、歩いて来る人が誰もおらず皆黒塗りの車で来ており、仕方なく、白い自家用車を運転して出かけたようだが、貸衣装と白い車のコンプレックス(?)で、すっかり怖気づいて、後ろの隅に控えて様子を見ていたのだと言う。
   大使館の人の誘いで、終わり近くになって、ダイアナ妃に紹介されて、ラスト・アクシュした。

   安野さんのダイアナ印象記は、「ダイアナ妃は白いドレスで、背中が丸見えになるほどくりぬいた衣装だった。まだすごくおわかくて目の大きな美人だった。」
   チャールズとの不仲がうわさされ、だれでも「あの年増のカミラのどこがいいのか」と、ダイアナ妃に味方しないものはなかった、と書いている。
   その後、パリに行った時に、ダイアナ妃がパパラッチに追いかけられてクラッシュしたセーヌ沿いのトンネルの現場を通って黙祷を捧げたと言うのだから、ダイアナ妃のファンだったのであろう。

   ところで、私がロンドンに居たのは、1988年から1993年だったので、ぼつぼつ、二人の仲があやしくなり始めた頃で、公式の場でも、同席されることが、少なくなって来ていた。
   私は、チャールズ皇太子にお会いした方が多くて、あるレセプションで、玄関で列に並んでお出迎えしたり、別な機会で、日本の経営について立ち話をしたことがあるのだが、ダイアナ妃には、一度だけ、知人のアーキテクトが設計したホームレス施設のオープニングで、お出迎えの列に加わって、お話をして握手をする機会があった。
   その時の写真が何枚かあったのだが、何回も宿替えをしている間になくなってしまった。
   何をお話ししたか記憶にはないが、ダイアナ妃は、無言で頷いておられたが、握手の手は温かくて柔らかかった。
   そのパーティの間、ずっと、座っておられるダイアナ妃の横に立っていたので、雰囲気は良く覚えているが、実に、美しくて匂うようにチャーミングであった。
   その後、ロイヤル・バレーやロンドン交響楽団などのコンサートなどに良く来られていたので、身近にお見受けする機会があったのだが、世界中から愛されるのも当然であったであろうと思う。

   この口絵は、同書から転写した安野さんの描いたダイアナ妃とチャールズ皇太子の馬車である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが庭の歳時記~30年ぶりの芝張り

2012年04月12日 | わが庭の歳時記
   温かくなってきて、庭の芝が色づき始めたのだが、日蔭になり易いところは、雑草が酷くて、手に負えなくなったので、本当は、全部張り替えたいのだが、一部だけ、芝を張り替えることにした。
   最初に、庭の主要部分は、庭師にお願いしたのだが、真ん中の部分をどうするか迷ったのだが、結局、私が、本を見ながら、自分自身で全部芝を植えた。
   当時は、庭木も少なかったので、芝は40平米くらいは張ったと思うのだが、若かった所為もあり別に苦痛ではなかったが、今回は、歳を考えた方がよい年齢なので、家内に止められたが、10~15平米程度張れば済みそうなので、自分でやり始めた。
   昨年は、雑草も少なかったので、雑草をこまめに抜くだけで良かったのだが、夏場に沢山のトマトのプランター植えをして、庭に多くの影を作ったのがいけなかったようである。
   それに、一番いけないのは、背後の楠のようで、貴重な緑陰の主でもあり、バッサリと切るべきかどうか迷っているのだが、いずれにしろ、庭木で混み過ぎていて、芝生には大敵の日蔭を作るのが、芝庭には適さないのであろう。

   さて、何でもそうだが、DIYの時代であり、自分自身でやれば、嫌いでなければ、楽しみながらやれて、その上、思いのほか安上がりで済むのである。
   私の場合には、今の芝地の土を掘り起こして適当に耕して、後で施肥を行うので、芝を15平米分と、それ相応の目土を買っても、5000円程度で済む。
   その程度の事をやれなくては、花木など育てられないし、第一、年中のガーデニング作業を考えれば、些細なことなのである。

   この口絵写真は、まだ、芝張りの途中なのだが、テーブルの奥がその現場で、どの辺りまで張り替えれば良いのか、思案中だったのである。
   完全に芝生の根が消えているところは、当然、植え替えるべきだが、結局、根が残っているところはそのままにしておいて、芝生がついてから境をうめることにした。

   ソメイヨシノが満開になってきた頃から、急に園芸店が忙しくなって、既に、トマトなど夏野菜の苗が沢山出始めたので、一気に客が増えて来た。
   芝生など、山のように積まれていたのだが、私が、帰る頃には、芝が一束も残っていなかった。
   トマトの苗など、どうするのか、普通の客と思しき人が、大きなトレイごとレジに持ち込んで買って帰った。
   来月の後半頃になると、売れ残って形の崩れた苗が叩き売りされるのであるが、このあたりの千葉の郊外は、一軒家が多いので、自家菜園やガーデニング趣味の人が多いのであろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする