熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

納涼能・・・能(金剛流)邯鄲

2012年07月28日 | 能・狂言
   能楽協会東京支部主催の「納涼能」が国立能楽堂で開催され、私も鑑賞する機会を得た。
   各流派の宗家や人間国宝などのトップ能楽師たちが登場する非常に豪華な舞台で、貴重な経験をさせて貰ったのだが、私にとっては、最初の大曲・邯鄲の舞台が最も印象的であった。
   次の狂言・二人袴で、シテに登場した山本東次郎師に、「人間国宝」と掛け声が掛かったのだが、丁度、その日に、人間国宝認定の報道があり、正に、記念すべき舞台であった。
   この狂言は、婿入りに出かけた親子が、礼装の袴が一着しかなかったので、二つに裂けたのを幸いに、夫々片側だけ付けて後ろを隠して、二人揃って舅の前に登場し、婿入りの杯を交わすのだが、酒の後に舞を所望されて舞ううちに後ろのない袴を見つけられてしまって恥をかくと言う話なのだが、婿の親を演じた山本師の、親子の温かみを感じる、大真面目で実直かつ端正な表情に、得も言われぬ可笑しみが滲み出ていて、非常に面白かった。

   さて、邯鄲だが、シテ/盧生を金剛流宗家金剛永謹、ワキ/勅使を人間国宝の宝生閑と言う豪華な顔ぶれで、恐らく最高の邯鄲の舞台であったのだと思うのだが、結構、色々な人の解説を読んだりして、能楽堂に出かけたものの、私には、筋を追いながら、鑑賞するのがやっとであった。
   この能は、流派によって大分違うようだし、この話を扱った物語が太平記や枕中記などほかにもあって、面白い異説などがあるようだが、この能では、皇帝に上り詰めて栄華を極める夢を見て人生を悟ったと言う盧生の話になっており、昔、子供の頃に聞いた杜子春の話に通じているような感じがして、やはり、中国の話だと言う思いを強くした。
   
   人生に迷う盧生が、楚の高僧を訪ねて旅に出るが、邯鄲の里の宿で、人生を見通せると言う仙人が残して行った「邯鄲の枕」で一睡すると、勅使/ワキが迎えに来て帝位に着き、廷臣は仙境の酒を勧め、舞童(子方)が舞い、在位50年の栄華を極めるのだが、宿の女主人に起こされて夢だったと悟る。
   それは、粟が煮える短い間の夢だったのだが、この世は夢の世であると悟りを得た盧生は、故郷へ帰る。
   そのような盧生のつかの間の邯鄲での宿りが、舞台の右手前方に置かれた作り物の一畳しかない狭い屋根を張った台を中心に演じられるのだが、この一畳台が夢の間となり宮殿となり、前半のシテの舞は、殆どこの台上で演じらる。
   途中で一瞬台から片足を下す仕草が、夢の中に現実がのぞく劇的な効果をもたらすと言うのだが、徹頭徹尾殆ど先の見えない邯鄲男の面をつけて、この狭い一畳台の上での色々なシチュエーションを表現しての舞であるから、優雅には見えるけれど、大変な芸だと思って見ていた。

   私のように初歩の能楽鑑賞者には、どうしても、見付柱の存在が気になるのだが、相撲はとっくの昔に四本柱が取り払われたにも拘わらず、能舞台では、特に、中正面の見所からは非常に不都合な見付柱が、面をつけて舞う能役者にとっては必須だと言うことで、今でも残っており、それだけ、面をつけての舞は大変な技術を要すると言うことなのであろう。
   ところが、この邯鄲では、夢醒める場面では、盧生/シテは、橋掛かりの一番奥深いところから一気に舞台に走り込み、一直線に舞台を横切って、一畳台手前で拍子を踏んで、横跳びで枕を頭にして横になると言う途轍もない離れ業を演じる。
   凄い迫力とスリルで、正に、金剛永謹の至芸であり、流石に、枕は横に飛んだが、元の姿に戻って眠りにつき、宿の女主人の粟飯が出来たとの声に目を覚ます。
   どんなに複雑な長い夢でも一瞬だと言うことだが、この盧生の場合には、粟飯が煮える間と言うことで、それも、旅の途中の宿りで、「夢の世ぞと悟り得て、望み叶へて帰りけり」と言う貴重な経験を得るのである。

   上杉謙信の「四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒」が知られているが、人生は儚い一睡の夢にしかすぎないと言う思想は、仏教にも相通じるものがあり、日本人の感性にもしっくりくる感じなのだが、果たして、大望を抱いて故郷を出た筈の盧生のように、そう簡単に踵を返して故郷に帰ると言うことが出来るかどうかというのは、人それぞれであろう。
   がんで速く逝ったスティーブ・ジョブズなどは、必死になって死に急がねばならなかったが故の人生だが、壮絶な生き様が胸を打つ。


   ところで、この能は、今まで、結構見て来た夢幻劇とは違って、夢の世界を中に挟み込むと言う現在能であったのも、私にとっては新鮮であった。
   また、最後の演目であった「忠信」も、吉野山中で、義経を逃して、心変わりして攻め寄せて来た衆徒を相手に、大立ち回りを演じる忠信の話であるが、これも、衆徒を蹴散らして義経の後を追うと言うところで終わっている曲で、そのダイナミックな舞台展開や舞台の様子が変っていて興味深かった。
   この日の他の演目は、
   仕舞(金春流) 小袖曽我 金春安明 金春憲和
   仕舞(観世流) 硯之段  観世喜之
   仕舞(喜多流) 飛鳥川  友枝昭世 
   非常に格調高い舞台であった。
   
   
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