熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

京都:能の旅~野宮:野宮神社

2015年10月29日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   野宮は、六条御息所が、斎宮になった娘に付き添って滞在していたところで、9月7日に訪ねてきた源氏と最後の別れを惜しんだ後、諦めて、斎宮と一緒に伊勢に下って行く。
   御息所は、元皇太子の未亡人で、源氏の最初のかなり年上の恋人だが、源氏への恋の妄執で、生霊になったり死霊になったりして、源氏を取り巻く女たちを祈り殺したりとりついたりするので、能の恰好のキャラクターとなっている。
   最もポピュラーなのは、賀茂祭での斎院御禊見物の時に、源氏の正妻葵の上の牛車と鉢合わせし、場所争いで葵の上方の下人に恥辱的な仕打ちを受けたのを恨んで、生霊となって妊娠中の葵の上に仇をなすののだが、これは、能「葵上」に、
   そして、源氏が誘った寂れた某院での逢瀬の深夜に、夕顔の前に、御息所が生霊として現れて恨み言を述べ、夕顔は、人事不省に陥り、明け方にを引き取るのだが、これは、能「夕顔」となっている。
   御息所は、死後においても、紫の上や女三宮などにとりついて仇をなすのだが、紫式部は、何故、徹底的に、魅力的な筈の、才色兼備で高貴な六条御息所を、深情けの悪女に仕立てているのか、分からない。
   
   さて、能「野宮」は、
   僧の前に現れた女が、今日九月七日は源氏が御息所を訪ねて野宮に来た日で、源氏が御息所に榊の枝をさし入れ、それに対して御息所が歌を詠んだと語る。女は榊の枝を神前に供え、祈りを捧げると、昔の御息所の心境を語って聞かせ、実は自分こそ御息所の霊なのだと告げるて消える。
   夜、僧が弔っていると御息所の霊が牛車に乗って現れ、賀茂祭の車争いでの辛い記憶を語り、源氏が野宮を訪れた時の様子を思い出して感傷に耽りながら、舞を舞う。 

   ほかの巻より、かなり、人間的な御息所の扱いで、興味深い。
   私は、残念ながら、まだ、能「野宮」を鑑賞する機会を得ていない。

   この日、私は、亀山公園から、大河内山荘前で右折して、竹の路を通って、野宮神社に向かった。
   厳寒のオフシーズンなら、静かで情趣豊かな嵯峨野でも最も魅力的な散歩道なのだが、かなりの混雑ぶりで、詩情を感じられるような雰囲気ではない。
   尤も、狭い小路の両側から迫ってくる孟宗竹の迫力と優雅さは格別で、魅力的な異空間を醸し出していて、流石である。
   やはり、中国人や外人の観光客が多く、簡素な和服姿の若い女性の姿が散見されたのだが、すべて、中国人の女の子だと言う事である。
   柔道着を着て観光している若い白人男性もいたが、外国人の日本観光のイメージが分かるようで面白い。
   
   
   
   
   
   

   さて、野宮神社だが、御息所の娘が、斎宮として伊勢に下ると言うストーリー展開で、能「野宮」との接点となっている。
   神社のHPによると、
   「斎宮(斎王)」とは、天皇が新たに即位 するごとに、天照大神の御杖代として伊勢神宮に遣わされた斎王(未婚の内親王もしくは女王)のことで、この歴史は飛鳥時代の天武天皇の頃にはすでに確立されており、南北朝時代の後醍醐天皇の頃まで およそ660年間、64人の姫君が遣わされていたと言い伝えられている。と言う。
   嵐山では、華やかな装束に身をまとった百人の人々が、往時の夢を再現した「斎王群行」の「斎宮行列」を行う。

   ところで、野宮神社は、源氏物語の宮とは言うものの、今や、良縁、子宝、学問の神様と言う位置づけで、祈りを込めてなでると願いごとが叶うと言う神石(亀石)が、黒光りしていて、それに、沢山かかっている絵馬は、良縁、子宝のオンパレードで、正に、現生利益を願う善男善女で賑わっている。

   黒木鳥居をくぐると、正面に、野宮大神、その左に白峰弁財天と野宮大黒天、その右に愛宕大神、その奥に、白福稲荷大明神、大山弁財天などの社が、並んでいる。
   野宮神社と愛宕神社は、かなり、しっかりとした建物だが、白福神社などは、大きめの鳥居が立っていて、その後ろに覆い屋があり、その中に小さな社が、鎮座している。
   いずれにしろ、豪壮な神社の風格はなく、小さな社の集合体という感じで、斎宮を送り出していた当時とは、様変わりなのであろう。
   
   
   
   
   

   往時を忍ばせるのは、黒木鳥居と小柴垣であろうか。
   鳥居は、クヌギの木の皮を剥かないまま使用する、日本最古の鳥居の様式とかで、小柴垣はクロモジの木。
   鳥居は、3年ごとに建て替えるクヌギが入手困難となり、一時は、コンクリートであった時期もあるようだが、今のは、徳島県剣山の山麓より切り出したものだと言う。
   面白いのは、じゅうたん苔の日本庭園が境内にあって、古寺の雰囲気を醸し出していることである。
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都:能の旅~小督:嵐山

2015年10月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   能「小督」は、
   高倉天皇の寵愛を受けた小督の局が、平清盛の怒りを恐れて隠れ住んでいる嵯峨野を、天皇の命を受けた源仲国が、名月の元、馬を歩ませ、訪ねてて行く。物語である。
   八月十五日の夜、琴の名手の小督であるから、月に誘われ、必ず琴を弾いているであろうと、琴の音を頼りに嵯峨野を訪ね歩き、方々探しあぐねた後、丁度、嵐山の麓法輪寺の側で、微かに琴の音が聞こえて来る。
   ”嶺の嵐か松風かそれかあらぬか、尋ぬる人の琴の音か、楽は何ぞと聞きたれば、夫を想ひて、恋ふる名の、想夫恋なるぞ嬉しき。”の感動的なシーンである。

   この文章は、1年前に、能「小督」を鑑賞した時の私のブログの引用だが、まず、阪急嵐山駅から、すぐなので、法輪寺に行こうと山手に向かって歩き出した。
   実は、何回も嵐山や嵯峨野に来ているのだが、この法輪寺にも来たことはなかったし、後で行く能「野宮」の野宮神社へも、鳥居前を何度も素通りしても、中に入ったこともなかったのである。 
   関心が違っていると、そんなものなのである。

   法輪寺は、本尊が虚空蔵菩薩で、「嵯峨の虚空蔵さん」として親しまれており、十三詣りや針供養・うるし祖神の寺としても有名だと言う。
   仏教関係の幼稚園なのであろう、子供たちが御仏を敬う歌を歌いながらお参りしていて、その後、展望所の広場で遊んでいた。
   
   
      
   この寺は、嵐山の中腹にあるので、境内から対岸の嵯峨野や亀山、そして、京都方面や比叡山などが一望出来て、パノラマを楽しめる絶好の位置にある。
   微かに聞こえる琴の音は、対岸の亀山あたりなので、仲国は、今の渡月橋あたりの土橋を取って返す。
   この展望所からは、そのあたりが遠望出来て、良く見える。
   カメラの望遠で写して拡大すると、橋の北詰めに立つ仲国が琴の音をはっきりと聞いたと言う「琴聴橋」の石柱がぼんやりと見えてきた。
   赤い土塀が車折神社で、その前の石造りの欄干がその琴聴橋の名残で、門口の右前に立っているのが、その「琴聴橋」の石柱である。
   最後の写真の左端くらいの路地を右折れして30メートルほど歩くと、左手に、小督の庵の跡だったと言う小督塚が立っている。
   
   
   
     
   

   この法輪寺から対岸の小督の庵までは、かなりの距離はあるのだが、当時は、大堰川越しに見渡せて、殆ど人家などのない全くの田舎であり、風音や水音以外は聞こえない静寂そのものの世界であったであろうから、笛の名手仲国には、小督の爪弾きが聞こえたのであろう。
   私も、下山して、渡月橋を渡ることにした。
   

    小督が住むのは、片折戸の賤が屋と言う情報だけで、仲国は、大堰川を渡って、この小川にかかった琴聴橋のたもとまで来ると、
   ”亀山のあたり近く、松の一むらある方に、微かに琴ぞ聞こえける。”
   しかし、この琴聴橋の車折神社の朱塗りの建物のそのものもそうだが、大堰川河畔を亀山に向かう中国人観光客の波に圧倒されて、情緒も何もあったものではない。
   私は、大堰川に浮かぶ舟を見ながら、急いで、前を素通りした。
   

   この琴聴橋から、ほんの100メートル川上に歩いて、右折れすると、目の前に、六角形の白い石囲いの小督塚が、見えてくる。
   ほんの数十メートル入り込むだけだが、別世界で、訪なう人とていない静寂そのものである。
   今では、このあたりから、上流にかけて亀山に向かう河畔には、しっとりとした料亭などが軒を連ねている。
   随分、昔のことだが、京都にいた時に、ここにある吉兆で会食して、深夜に店を出て、漆黒の闇に包まれた嵐山を仰いだことがあるが、月明かりとは言え、そんな雰囲気の中を、仲国は、想夫恋の爪音を聞いて、片折戸を叩いたのかも知れない。
   平家物語では、小督の片折戸の前で、仲国が、腰より横笛を抜き出して、笛をピーと鳴らして、門をほとほとと叩くと、琴の音が止む。家来を監視に残して、高倉帝に報告のために京へ取って返すのだが、
   能「小督」では、門前払いを食いながらも居座って詔勅を伝え、帰り際に、名残を惜しんで管弦の遊びを催して、仲国は、名残の舞を舞う。
   高倉帝と小督の恋とは一寸違った、仲国と小督の管弦仲間の淡い恋をにおわせて清々しい。
   恋の甘さと切なさ、月の煌々と美しい賤が屋での物語である。
      

   この少し奥に小督庵と言う石柱が立っていて、何故、小督の名を関するか知らないのだが、昔の廃業した料亭跡だと言う。
   広い亀山公園は、勅撰和歌集などの故地であろうが、小学生や幼稚園児たちの遠足の場として人気がある。
   この公園を通り抜けて、竹の路を通って、野宮に向かった。
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の京都への旅~嵯峨野の落柿舎

2015年10月27日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   神戸に所要があって、関西に来たので、半日だけの余裕ができたので、迷うことなく、京都に向かった。
   文楽劇場に近い日本橋の定宿から一番近くて早く行けるのは、嵐山・嵯峨野なので、阪急電車に乗って桂経由で嵐山に出た。
   この日は、京都の能の舞台を歩いてみたいと思ったのだが、何故か、番外で、どうしても、向井去来が住んでいた、松尾芭蕉がここで「嵯峨日記」を執筆したと言う嵯峨野の落柿舎を訪れたいと思った。
   勿論、今の落柿舎は、場所は似通っていたにしても、去来当時のものでもないのだが、野宮を出て、化野へ抜ける道中、丁度、常寂光院と二尊院の間の畑越しに臨む茅葺の質素な落柿舎の佇まいが、学生時代から、好きで、柿の実が実る秋の風景に、限りなく郷愁を感じるのである。
   
   

   俳句については、苦手な和歌よりは少しは関心がある程度で、分からないのだが、それでも、芭蕉の故郷である伊賀上野を訪れて故地を散策したことがある。
   この落柿舎を訪ねるのは、何よりも、この小さな草庵のような静かで、嵯峨野では異質な、日本の美意識を凝集したような異空間の雰囲気が好きだからで、ここを訪れる人も少なくて、静寂を楽しめる。
   清楚な門をくぐれば、蓑と傘のかかった質素な農家のような小さな建物だが、開け広げられた部屋のインテリアや佇まいが、実に、雰囲気があって良い。
   茅葺の建物は二棟あって、奥の次庵は解放されていない。
   本庵の主室の外壁上部に、「落柿舎制札」がかかっていて、芭蕉が戯言で言ったという俳諧奉行向井去来の名で、芭蕉が即興で言った生活訓が書かれていて面白い。
   私は、古寺など訪れた時には、茶花など、部屋や廊下の片隅に飾られている季節の花を見るのが好きで、何時も、楽しませてもらっており、ここにも、その姿があった。
   
   
   
   
      
   
   
   
   

   この落柿舎の庭には、いろいろな句碑などが、建てられていて、雰囲気を醸し出している。
   門のすぐそばにあるのが、去来の「柿主や梢はちかきあらし山」。
   芭蕉の句は、「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」。
   面白かったのは、平澤興京大総長の句碑で、入学式か卒業式か忘れたが、訓示で、国際情勢を語ったのか、「国際市場」を「こくさいいちば」と言っていたことだけは、鮮明に覚えていることで、これほど文化人だとは知らなかった。
   
   
   

   庭園の植栽が実によい。
   苔むした嵯峨野の野山の雰囲気を、そのまま、清楚で美しい日本庭園に昇華したような庭で、木陰の一寸した下草の風情の良さなど格別である。
   鹿威しが、時折、澄んだ音を聞かせてくれる。
   
   
   
   
   
   

   庭の花は、ホトトギスと茶の花くらいであったが、南天や万両など実物が風情を添えていた。
   とにかく、京都、特に嵯峨野の苔が、本当に美しい。
   
   
   
   
   
   
   

   落柿舎を出て、二尊院に向かう途中に、右折れすると墓地があって、その一角に、質素な自然石に、「去来」と彫っただけの、去来の墓がある。
   俳諧に生きた去来のわびさびの局地であろうか。
      
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブレット・スティーブンズ著「撤退するアメリカと「無秩序」の世紀」(2)

2015年10月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アメリカ人は、世界におけるプレゼンスを減らした方が、国内でやるべきことにエネルギーやリソースを傾注できる。よその国は、自分の問題は、自分で解決して欲しいと思っている。
   オバマ政権の誕生以来、アメリカは、このように、内向きの外交政策を展開し続けているので、アメリカの弱気と撤退が顕在化してきたことによって、敵は、自分たちの好きなように、世界や地域の秩序を書き換える絶好のチャンスだと暗躍し始めて、国際的な危機の拡大を引き起こしている。
   アメリカの安全保障の傘の下で長年快適な環境を享受してきた同盟国も、アメリカを頼れなくなり始めて、新たな安全保障を検討しなければと思うようになってきた。
   そうなると、予測や管理がしにくくなり、より暴力的な地政学的環境が生まれる。
   さらに悪いことに、非国家的アクターが限定的な手段を使って、国際安全保障の環境を根本からひっくり返す力をつけてきた  
   しかも、多くの場所で、「国家」という概念そのものが崩壊しつつある。
   もう一つ悪い要因は、世界的な経済状況の悪化に加えて、多角的貿易交渉は暗礁に乗り上げており、急速な拡張を続けていた資本市場と金融システムが転機を迎えて、国際的な資本移動はピークアウトし、グローバル化そのものが縮小しつつあることである。

   掻い摘んで言えば、これが、著者の今の国際情勢に対する現状認識である。

   著者は、オバマ外交には、極めて批判的で、イラン、ロシア、中国の政策当局者たちは、アメリカは、アメリカ本土が攻撃されたのでない限り武力行使には踏み切らないと見越して、ますます大胆な行動に出ているのだと言う。

   この同盟国の対応の変化について、「アメリカから「自立」する日本」のサブタイトルで、興味深いコメントをしている。
   2013年12月に、バイデンが安倍首相に電話で靖国参拝を思い止まるように説得したが、前月中国が日本の尖閣諸島を含む防空識別圏の設定を発表した時に、バイデンがはっきりと非難しなかった所為で、断固拒否した。
   「水面下で、いつかアメリカが日本を防衛する能力または意欲を失うのではないかとという不安が大きくなっている」とロイターが報じたと書いている。
   私自身は、アメリカには一宿一飯の恩義があるので、悪くは言えないのだが、敵対しながらも、あれだけ、中国に媚びを売らざるを得ないアメリカであるから、所詮は、わが身可愛さ、日本は、全幅の信頼を置いてアメリカに頼るべきではないと思っている。

   興味深いのは、アメリカの安全保障にとって本当に重要な場所とは、ヘンリー・ナウ教授の説をとって、自由が最も重要な意味を持つ場所であり、その境界線に注目すべきだとして、
   アジアの自由な国々と中国などとの境界線、ヨーロッパの自由な国々とロシアの境界線、イスラエルとアラブ諸国の境界線をあげていて、
   著者は、更に、
   コロンビアとベネズエラの境界線、インドとパキスタンの境界線、イランと近隣諸国すべてとの境界線を加えるべきだという。
   これが、アメリカの同盟圏だと考えると興味深いのだが、
   これらの境界線内を、アメリカは、傍観者としての態度を捨てて、世界の警察官として、安全保障を確保すべく、同盟国を糾合して、確固たる国家体制を確立すべきであると言うのである。

   それに、これまで、ある独裁者が民族的マイノリティを抑圧したり、隣国を脅かしたり、政敵を黙らされるために異常な暴力的措置をとったりと、危機の兆候が見えても、西側がようやく本気で対策を検討し始めるのは、何千人もの人命が失われてからで、国際紛争や危機の解決には、このように被害者が出てからでは遅いのであって、悲劇は事前に防ぐことができると、その対策についても、著者は、詳細に論じていて興味深い。
   とにかく、アメリカは、まだまだ、最も恵まれた活力のある国であるから、世界の警察としての位置を確保確立して、世界を守るべきであるというのが、著者の主張であり、そのための、戦略戦術を説いている。

   著者は、安全保障に絡めて沢山の興味深い国際情勢について論じているが、一つだけ、特に非常に気がかりなのは、「フリーラディカル」の台頭である。
   イスラム過激派と一部のカリスマ指導者を大きく超える問題だとして、核拡散問題を論じている。
   A.Q.カーンは、ウラン濃縮技術と原子爆弾の設計図を北朝鮮、イラン、リビアに提供したが、これは、まだテロ組織ではなく政府にであったが、グローバル化の進展で、核拡散のルートは増えていて、テロ組織への核拡散の心配もにおわせている。
   
   フリーラディカルは、モノの闇取引だけではなく、ジュリアン・アサンジやエドワード・スノーデンと言った秘密の領域から情報が白日の下に晒される危険も生じている。
   いずれにしろ、「フリーラディカル」の問題は、現代のオープンなアーキテクチャを悪用すれば、たった一人でも、自由世界の基礎を簡単に攻撃でき、秩序を破壊することができると言うことを、明確に物語っている。

   超大国アメリカの凋落、覇権国がなくなって多極化した世界、などと言われて久しいが、著者は、アメリカが担うべきは、世界秩序を維持する外交政策を遂行することであって、それは、国際安全保障の維持を約束し、それに見合った軍事力を維持し、局地的な危機に進んで介入して同盟国を守り、攻撃的な国に立ち向かい抑止することだと言う。
   オバマ政権の内向き外交政策が齎した弊害が、ロシアのウクライナ侵攻、中国の日本やフィリピンに対する近海の強硬な領有権の主張、イランの核獲得、イラクの混乱、シリアの壊滅的国情などであり、現実から目をそらして、自分で手を汚さず、怠け者で居続けるのは、アメリカの外交ではない。と、アサドやプーチンに露骨に舐められるのを、安穏としておれないと手厳しい。

   たった2万や3万人しか戦闘員がいない降って湧いてきたようなイスラム国に世界中が翻弄されている現状を考えれば、スティーブンズが説く「撤退するアメリカと「無秩序」の世紀 America in Retreat」が、如何に恐ろしいことか、肝に銘じざるを得ないと思う。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブレット・スティーブンズ著「撤退するアメリカと「無秩序」の世紀」(1)

2015年10月23日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   誰が世界を守るのか?
   アメリカは、世界の警察であり続けなければならない。
   これが、この本の主張で、世界中にどんどん広がって行く紛争と火薬庫の拡大に心を痛めつつ、イラク・トラウマの抜けないアメリカ国民の厭戦気質とオバマの徹底的な消極的外交の罪と罰などについても、意欲的に論じ、現下の国際情勢を浮き彫りにしていて、非常に興味深く、読ませて貰った。

   まず、本稿では、安倍内閣の安保法案が、大きく、新しい日本外交の方向転換への舵を切った時期でもあるので、著者が論じている対中外交や日本の国防について、考えてみたいと思っている。

   中国空軍の喬良、王湘穂『超限戦』の主張である下記をを引用して、
   新しい戦争の原理は、もはや「武力で敵を意のままに従わせる」ことではない、
   武力か非武力か、軍事的か非軍事的か、あるいは致死的か非致死的かを問わず、あらゆる手段を駆使して、敵にこちらの利益をうけいれさせること、
   
   これは、「戦争は政治の一手段」だとするクラウゼビッツの格言を覆すもので、彼らの主張は、「政治こそが戦争の一手段」なのである。
   外交、スパイ活動、破壊工作、プロパガンダ、経済的圧力など国力を駆使した手段はみな、戦争を別な手段によって継続しているに過ぎない。と言うことである。

   中国が、南シナ海の領有権、当然、尖閣諸島でもそうであろうが、を主張してきた背景にも、こうした考え方がある。
   カンボジアのような従属国を手なずけて、アセアンが共通の海洋ルールを策定するのを阻止してきたかと思えば、漁船や艦艇(多くは武器を隠し持っている)を使って外国の軍艦や警備艇に嫌がらせをしたり、外国の海域に侵入したり、南シナ海の一部環礁とバリアリーフを占拠して、そこに常駐の前哨基地も築いている。

   こうしたさりげない攻撃手段を駆使して領土目標を達成するやり方は、これまでのところ、一発の銃弾の発射にも繋がらず、効果を上げている。   
   これは、孫子の「百戦百戦は善の善にはあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」の、正に、実践だというのである。
   東シナ海の中国の一方的なガス田開発などは、両国の排他的経済水域内にあり、一般的な日中中間線上である以上、この戦略の遂行であって、既成事実を積み上げて陣地を拡大して行こうと言うことであろう。

   これは、中国の専売特許ではなく、アラブ商人が、市場で、あることないこと捲し立てて高値で売りつければ、自分の商人としての卓越性や商才の証明だとされる世界と同じで、また、フセインが、まさか、アメリカが来るとは思わなかったので、クエートを侵略したのも、ラテンアメリカで、アルゼンチン首相が、まさか、サッチャーが奪還に軍艦を派遣するとは思わなかったとして、フォークランド諸島を占領しようとしたのも、すべて、成功すれば、やり得の世界で、後先考えない倫理道徳無用の世界で、叩かなければ、オバマのように消極的であれば、どんどん、利権と陣地が蚕食されて行くのである。
   したがって、中国は、あらゆる手段を使って国益・利権の拡大を図るであろうから、日本は、尖閣であろうと、東シナ海ガス田であろうと、サイバー攻撃であろうと、中国に、強力なNOを突き付けて戦わなければ、外堀も内堀も埋められて大阪城のように落城すると言うことであり、正に、国運をかけての戦いとなるということであろうか。

   もう一つの興味深い指摘は、アメリカが、再び大規模な戦力を世界中に配備して、世界の警察として、プレゼンスを確保して、紛争を解決して、世界の秩序を守るためには、これまでと違って、アメリカの同盟国が、自衛のために相当の投資をしていることを条件にすべきだとしていることである。
   アメリカの経済力や軍事力など国力が衰退状態にある以上当然の帰結であろうが、この相互主義――同盟国がアメリカと同等の軍事支出をすれば、戦略的にも政治的にも、アメリカの軍事力とプレゼンスの縮小傾向は覆いやすくなる。割れ窓理論によって綻びた紛争を回避し、警察活動を機能させるには、地元の協力が必要だと言うのである。

   これは、今回の安保法制における集団的自衛権とも関連した問題で、簡単に言えば、平和憲法はともかく、世界の秩序を維持するためには、日本も、応分の負担を覚悟してアメリカを助けろと言うアメリカの戦略に、乗ったと言うことであろう。
   この本では、ならず者国家は勿論、著者は、ロシアや中国は、自由世界の敵だとみなしているので、日米安保は非常に重要である。
   日本の将来のために、平和憲法を死守して、中国などの脅威にどうして対処しようとするのか、あるいは、アメリカと積極的に協力して同盟国として軍備を強化して安全を確保して行くのか、正に、岐路に立っていると言うことであろう。

   著者たちの主張で、アメリカが世界の警察として、世界の平和維持と秩序の回復を目指すシステムを構築すると言うことだが、果たして、アメリカが世界の名主として、さらに、覇権を確立した場合に、アメリカは、自国の国益なり利権を追及するであろうから、果たして、アメリカの政治経済社会システム、アメリカの文化や価値観が、平和や安寧には勿論、人類にとって、総てが良いことなのかどうか。
   中国やロシアのような現代型権威主義的な国よりは、ベターだと思えるであろうが、問題なしとはしないであろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉便り・・・金沢街道・報国寺

2015年10月21日 | 鎌倉・湘南日記
   浄妙寺を出ると、大分、陽が傾いてきた。
   街道を渡って、報国寺に向かった。
   このお寺は人気が高いのか、浄妙寺よりも観光客が多くて、狭い門前が一杯だったので、山門を右に見て、南の方に歩いて、旧華頂宮邸に向かった。
   誰も行く人が居ないので不思議に思ったのだが、遅かったのか閉館していた。
   ほぼ100年前に立てられた華頂博信侯爵邸で、かなり大きな洋館である。
   庭が綺麗だと言うことであったが、ヨーロッパ式の庭園であるから、見るべきは裏庭であろうが、閉門していて諦めざるを得なかった。
   

   報国寺の小さな瓦葺きの山門は、平凡だが、一歩足を踏み入れると、薄明りの合間から、左手には清楚な日本庭園、右手には、本堂に向かう石段が続いていて、ムード満点の雰囲気が良い。
   庭木の一本は、桜か、花が咲いていた。
   
   
   
   
   
   

   報国寺は、尊氏の祖父家時が開いた寺で菩提寺になっているとか、本堂の背後の綺麗な庭園の奥にある洞窟が墓所であろうか。
   境内は、広くなく、本堂や鐘楼があるだけだが、禅寺の雰囲気は漂っている。
   
   
   
   
   
   
   鬱蒼と茂った孟宗竹の庭の薄暗さが神秘的で、近くに住んでいた川端康成が、この山あいのしじまの音なき音を「山の音」と表現したと言う。
   京都の嵯峨野や山崎などとは、一寸違った雰囲気が面白い。
   時々、陽が射すと木漏れ日がすっくと伸びた竹に映えて美しい。
   浮世か、名物の茶席は、鈴なり。
   厳寒に訪なう人のいない夕刻、人恋しくなった頃に、この竹林を静かに散策してみたいと思っている。
   
   
   
   
   
   

   この寺は、日影が多いので、万両や千両など実物が美しく、花も静かに咲いていて、風情があって良い。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉便り・・・金沢街道・浄明寺

2015年10月20日 | 鎌倉・湘南日記
   この日は、金沢街道、すなわち、塩の道を歩こうと思って、鎌倉駅から、金沢文庫行きのバスに乗った。
   安西篤子さんの本では、朝比奈切通しからの散策であったが、少し、遠いし切り通しに興味があったわけでもないので、十二所神社で降りた。
   浄妙寺からの記載のガイドブックだけで、朝比奈からの地図を忘れてきたので、とにかく、十二所神社で降りて、街道を、鎌倉へ上って行き、浄妙寺から豊国寺くらいまで歩きたいと思った。

   神社は、バス停を降りると、すぐ左手の山すそに、石の鳥居が見えて、その後ろに小さな社が立っていたのですぐに分かった。
   訪れる人とてなく、社務所もない村の鎮守といった感じであるが、大イチョウも、まだ、紅葉には早かった。
   社の正面の梁の兎の彫刻が、一寸、神社というよりは、お寺の建物のようで、面白かった。
   
   
   

   地図がないので、かなり、交通の激しいバス通りを、浄妙寺に向かって西に歩けば、途中に、光触寺と明王院があると言うことだけは記憶にあったので、行き着くだろうと思って歩き出した。
   光触寺は、街路の案内プレートに気づいて、すぐに分かった。
   開基は一遍上人だと言われていて、ブロンズの上人像が本堂に向かって立っていた。
   面白いのは、境内の塩舐め地蔵で、昔、塩商人が、往路で塩を供えておいたら、帰りにはなくなっていたので、塩舐めと言う名前が付いたということだが、塩商人の逸話として残っていて興味深い。
   この金沢街道は、鎌倉の外港であった六浦に陸揚げされた塩を六浦の塩商人が、この街道を通って運び込み鎌倉で商ったので塩の道と言うのだが、ほかの商品も運ばれながら、塩が最も貴重品だったということであろう。
   残念ながら、気づかずに歩き続けたので、明王院には行けなかった。
   
   

   この街道は、朝比奈切通しを掘削して通した東京湾から相模灘へ抜ける重要な街道である。
   逢坂山がもっと高かったら有難いのだが、と豪語した近江商人の心意気を思い出すのだが、京都には、また、若狭から抜ける鯖街道もある。
   ローマのアッピア街道とは、多少スケールが違うが、京への古道や、また、東海道や中仙道など江戸へ向かう街道も、古い日本の大動脈であった。
   
   
   
   浄妙寺は、バス停からすぐで、ここまで戻ると観光客が多いので流れに従えば、自然に門前に立つ。
   1188年創建の鎌倉五山の第五位の格式の高い大寺院だったと言う。
   本堂は、江戸時代中期の建物だと言うが、銅板葺(もと茅葺)の寄棟造で、茶室の喜泉庵は、安土桃山時代の茶室喜泉庵を復興したものとかで、鎌倉には珍しい枯山水の庭園がある。
   面白いのは、境内の最も山の手の墓地に面して場違いのような洋館のレストラン石窯ガーデンテラスがあり、食事に行こうと山門をくぐった客に対して、拝観料を払えと入り口で止めていたことである。
   茶室もこのレストランも混雑していて、雰囲気などあったものではないので、私は、日本の観光地では、利用しないことにしている。
   竹林を抜けて、この奥の山手に入ると、鎌倉には多い洞窟様の足利貞氏の墓がある。
   
   
   
   
   
   
   
   

   このお寺は、境内がかなり広くて、遊歩道などがあって、林間を散策しながら、花木や草花を楽しめるのが良い。
   アザミが咲いていた。あまり、鎌倉では見ないので、珍しくて、荒涼としたスコットランドのヒースの丘に咲いていた大ぶりのアザミを思い出して、懐かしくなって、昆虫の戯れを楽しんでいた。
   珍しく、桜が、ちらほら咲いていた。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉便り・・・鎌倉文学館から極楽寺へ

2015年10月19日 | 鎌倉・湘南日記
   秋のバラが咲いているだろうと思って、久しぶりに、鎌倉文学館に出かけた。
   本来なら月曜日の休館日なのであろうが、シーズンでもあって、幸い開館していた。
   バラは、やはり、春のバラよりも勢いに欠けていて、少しい寂しい感じではあるが、その分、色彩に深みがあって、それはそれなりに良い。
   元前田侯爵家の本館の青い屋根に、バラが映えると、そのコントラストが美しい。
   花数は少ないが、凛と咲いていて、微かに芳香を放っている。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   広い庭園の外れに、アンデスの乙女と言う綺麗な黄色い花が咲きかけて風に揺れて、中々の雰囲気であった。
   本館では、「鎌倉文士 前夜とその時代」と言う特別展を開いていて、鎌倉ゆかりの文士たちの原稿や雑誌、サークルなどの資料が展示されていた。
   私が初めて読んだ日本の小説は、藤村だったと思うのだが、「夜明け前」の冒頭の「木曽路はすべて山の中である・・・」と言う原稿を見て懐かしくなった。
   大分、この文学館にも通っているので、少しは、文学に興味を感じ始めている。
   
   
   

   今回は、まだ、行ったことがないので、極楽寺に向かった。
   長谷寺の方に少し歩いて、南下して海岸の方に出て、手前を西に向かって歩いて行くと、極楽寺坂切り通しにでる。
   そこからは、江ノ電の極楽寺駅を前に観て、右折れすれば、もう、極楽寺である。
   途中、切通しの南側の斜面の頂点に、成就院がある。
   こじんまりした清楚な雰囲気の寺だが、上って行く参道の両側にびっしりとアジサイが植えられていて、シーズンには綺麗であろうと思われる。
   それに、後ろを振り返ると、由比ヶ浜の海岸が一望出来て美しい。
   この下の切通しは、ほかの切通しと違って、車がびゅんびゅん走っている。
   
   
   
   
   
   

   極楽寺まで歩く途中に、雰囲気のある店や民家があって、流石に、鎌倉である。
   極楽寺手前で、江ノ電を跨いでいる陸橋を渡るのだが、電車が先ほどの切通しの横下を走っているので、トンネルを抜ける江ノ電が見おろせる。
   ちょっと電車を待って、架線が邪魔になったが、シャッターだけは切ってみた。
   
   
   
   
   
   

   極楽寺は、まず、茅葺の山門が雰囲気があってよく、芙蓉がちらほら咲いていて、萩が垂れ下がり、アジサイが植わっているので、咲いていると奇麗であろう。
   小さな潜り戸が開いているだけで、お参りの人だけ入れと言う、入ると撮影禁止の立て札、実にそっけないのである。
   尤も、私は、多少はシャッターを押してみた。
   このお寺は、山門から本堂までの参道の両側は、かなり大きな桜の並木道で、咲けば豪華であろう。
   そして、本堂の前には、びっくりするような曲がりくねった百日紅の巨木があり、その右手の宝物館の前には、八重と一重が混じって咲くという言う「御車返し」という立派な桜の木が植わっている。
   アジサイも萩も、結構植わっていて、正に、花の寺である。
   ただ、珍しいのは、出来るだけ自然に任せて花木や草花を咲かせていて、いわば、イングリッシュガーデンの雰囲気である。
   丁度、世話をしていた庭師と話していたのだが、この自然風と言うのが、結構難しいと言う。
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤元重著「日本経済を「見通す」力」(2)

2015年10月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、「日本経済を「見通す」力」について、私なりのレビューをしたが、多少、積み残した感想があるので、論じてみたい。

   まず、中国の不動産バブルについて、日本のバブル崩壊、アメリカで起きたリーマン・ショック、1997年のアジア通貨危機などとは、かなり正確を異にした経済現象だと思っているので、皆が心配するような、日本のバブル崩壊のようなことは起こらないし、リーマンショックやアジア通貨粋のように酷いことにはならないであろう。と言っていることである。

   中国政府は、国民の幸せよりも「国家の安定」を重視するから、国有企業である金融機関の危機を見過ごすことはしないであろうし、極論すれば、どれだけお金を使ってでも救済し、危機を避けると思う。
   中国には膨大な不良債権があると言われていた2000年を一寸すぎた頃、朱鎔基が、30兆円の巨費を投じて不良債権を全部買い取って回収した。
   したがって、もし、今回、不動産バブルの崩壊が金融危機を引き起こすような事態になったら、それだけの財政力は備えている筈であるから、間違いなく政府が介入するであろう。と言う。

   一方、リーマンショックのアメリカについてだが、シカゴ大の学者の「負債の家」を引いて、アメリカの景気低迷の原因は、リーマンショックのような金融危機ではなくて、不動産価格の下落によって多くの国民が経済的困難に陥り、消費が減退したことにある。
   貧しい人でも安いローンを借りられるようにする公共政策が間違っていた、サブプライム問題がアメリカ経済の低迷の原因である。
   ところで、中国を見れば、住宅ローン市場などないのであるから、サブプライムローンなんてないし、住宅価格の下落は、中国経済にとっては問題だとしても、大量の経済的破綻者や債務超過者が生まれると言うことは中国では起こり得ない。

   もう一つ、不動産バブルの崩壊から経済危機が起きたアジアの場合は、タイやマレーシアやインドネシアでは、海外の投資家から外貨建ての資金調達を行っていたので、経済不況の蔭がさすと、一気に外資が引揚げて、固定相場制が崩壊して通貨が暴落して、国家経済が破たんした。
   しかし、中国に入っている資金の大半は、直接投資であって、外資の資本逃避は起こりそうにない。

   したがって、以上を勘案すれば、中国経済は、日本型とも、アメリカ型とも、東南アジア型とも違う、独自の盤石性を持っているので、中国の不動産が大きく下がっても、不動産バブルの崩壊と通貨危機が連動するとは考えにくい。と結論付けている。

   さて、伊藤教授の説くように、巨大な金融緩和でバブル崩壊を形の上で抑え込めたとしても、不動産の高騰、そして、暴落して、価格システムを破壊して大きく歪んでしまってバランスを欠いた中国経済を、どうするのか。
   既に、中国全土には、生産過剰で在庫の山が積み上がり、乱開発された大ゴーストタウン(鬼城)が、野ざらしになっていると言う。
   政府が債務を一切肩代わりして銀行を救済したとしても、不動産の暴落によって資産を大きく毀損した経済主体のダメッジは大きく、中国経済の円滑な運営を妨げるのは必定である。
   まして、バブル崩壊による自浄作用によるのではなく、中国の様に政府による恣意的な救済程、経済構造を歪にして発展基盤を損ねることになり、将来の成長発展へのダメッジは大きくなる筈である。
   
   中国の経済統計など経済指標の信憑性には、大いに疑問視されているのは周知の事実であるが、最近の中国政府の為替や株価に対する操作や介入を考えても、中国経済は、経済成長が大きく鈍化し、危機的な状況に直面しつつあることは事実のようである。

   私は、中国については、「中所得国の罠」に対する懸念もあるのだが、グレン・ハバード、ティム・ケインが「なぜ大国は衰退するのか」で説いているように、
   ”急成長している貧しい大きな国は、生産性フロンティアに近づいてしまい、所詮、ロシアや日本と異なる形で、中国経済が発展することなどあり得ない。”と思っているので、むしろ、今回、不動産バブルを惹起して取り込んだしまうであろう中国経済の方が、後退を早めるような気がしている。

   ところで、経済危機の特徴として、10~15年のミンスキーサイクルを論じているのだが、もう、何十年も前から、景気循環の一つの形態として、ジュグラーサイクル Jugula Cycleと言う10年弱ごとに訪れる設備投資と同期した中期循環などが、コンドラチェフサイクル、ジュグラーサイクル、キチンサイクルなどと共に、論じられているのに、何故、取り立てて、新説のように語るのか分からない。

   TPPについては、その経済的利益は、政府試算で、GDPの0.3%で約1.5兆円、ブランダイス大試算では、GDPの2.2%で、2035年までの10年間で100兆円だと言う。
   日本の場合には、問題は農業だが、産業内調整によってメリッツ効果を叩き出すことを論じている。
   貿易自由化や規制緩和は、競争力のある生産者と競争力のない生産者とを闘わせて産業内調整(淘汰と再編)を促すことで、大きな経済効果を上げることが出来る絶好のチャンスだと言うのである。
   スポーツでも、ハンディがあるように、ある程度の弱者救援サポートは必要だが、これまでの様に垂れ流しばら撒き方の補助金漬けは、百害あって一利なしとは言わないまでも、逆に、日本農業をスポイルしてきたと言うことなのであろうか。

   いずれにしろ、TPPは、自由貿易促進の世界であり、弱肉強食原理がまかり通るのであるから、弱者は駆逐され淘汰されてしまう。
   生き抜くためには、強くなって競争に勝たなければならない。
   残念ながら、この本には、日本経済において、創造的破壊をどうすれば進めることが出来るのか、強くなるための創造的革新的な成長戦略についての議論が不足気味であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤元重著「日本経済を「見通す」力」(1)

2015年10月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   経済学は、いまだに、と言うよりも永遠に、決定版と言える理論を構築できないであろう学問なので、どんな経済学書にも、賛否両論がある。
   この伊藤教授の「日本の経済を「見通す」力」も、正しい指南かどうかは別として、分かって分からない日本経済の現状を、非常に身近に語っていて、面白い。

   まず、興味深かったのは、アベノミクスの第三の矢「民間投資を喚起する成長戦略」は、需要喚起だけの戦略なので、成長戦略ではないと言う指摘である。
   これは、当面は、極めて需要不足の受注ギャップの大きな不況局面にあるとしてしても、経済学で言う成長戦略とは、サプライサイドの成長であって、その戦略は、規制緩和、市場開放、税制改革を推進するなど企業活動を活発化させて、イノベーションを喚起して経済そのもののダイナミズムを起動して成長を計らなければならないのである。
   今回の官民対話で、先の賃金給与アップに続いて、政府は民間企業に投資拡大を迫ったのだが、日本の政治経済社会に根本的な構造改革を推進して、企業の投資環境を改善して投資意欲を喚起しない限り、全く、ナンセンスであろう。
   政官財のトライアングル癒着を破壊して、政治経済社会の円滑な機能に足かせとなっている岩盤規制に鉄槌を振るって既得利権を葬り去るなど、日本のシステムを根本からリシャッフルすることであろう。

   余談ながら、軽減税率の議論など愚の骨頂。
   イギリスの様に、多少は例外があるのだが、食料品は、総て無税、子供の衣料や新聞雑誌書籍なども総て無税と言うように徹底すべきで、日本も、食品には聖域を設けずに総て消費税アップを見送るべきであろう。貧者に5000円の還付などと言うのは、実に情けない。
   この姑息な軽減税率論が、政官財で、かんかんがくがく、日本の政治経済社会の暗部を象徴しているようで、実に悲しい。

   今、横浜市の大型マンションの杭打ち工事や東洋ゴムの不正が話題になっているのだが、レッドオーシャン市場で鎬を削っているような産業体質が蔓延していて、ゾンビ企業をいまだに温存しているような経済体質では、当然の帰結で、明日は暗い。
   伊藤教授は、サプライサイドの成長をと言いながら、三越伊勢丹の例をあげて、客が増えて売り上げが上がれば、生産性の向上になるなどと言って、まず、需要サイドの高揚をと説いているが、これなど生産性のアップでは全くなくて、大切なのは、須らく、イノベーション、イノベーション。
   アメリカが転んでも起き上がるのは、イノベーションに果敢に挑戦する起業家を生む創造性重視の経済社会文化が育っているためで、そうでないロシアや日本は、沈んだまま。
   おそらく、中国も、どこかで頭を打つのであろう。
   

   さて、話題を変えて、今後日本の輸出が伸びるか伸びないかと言うことだが、日本企業がどんどん海外に出て行って空洞化が進んで行くと輸出が減少すると言う一般論に対して、、
   ティンバーゲンの「グラビティ理論」を引いて、「2国間の貿易額は、両国の距離が近ければ近い程、大きくなり、両国の一人あたりのGDPが大きければ大きいほど、大きくなる」ので、日中間や日本のアジア諸国との貿易は、拡大すると言うのである。

   このことは、既に、大国の犇めくEUにおけるドイツの貿易比率の高さや、アメリカのカナダやメキシコとの貿易比率の拡大を見れば、歴然としている。
   ここで考えるべきは、単なる輸出入と言うよりは、国際分業、プロダクション・シェアリングの果たす役割の重要さで、例えば、アメリカが中国の貿易慣行の不実を糾弾しているが、ウォルマートやアップルを筆頭に、輸入の相当部分は、中国からのアメリカ企業の輸入であって、安く叩き切って調達しているアメリカの利便の優先である。
   このことについては、ローチのもたれ合いの米中経済論で論じたので多言は避ける。
   これは、日本企業の場合でも言えることで、中国からのかなりの輸入は、日本企業間のものであり、また、中国への進出メーカーの部品などの調達などで、日本の輸出の拡大も無視できない。

   もう一つ、グラビティ論を引いて、距離の近さが、日本の消費文化に触発されて中国人の爆買い傾向を惹起しているのを観ても分かるように、消費財産業の進出や輸出が有望だと言う。
   ここで注意しなければならないのは、大きく激変したグローバル市場の現状を注視することである。
   現在脚光を浴びているのは、プラハラードやゴビン・ダラジャンが提唱して定説となっているBOPにおけるリバースイノベーションや新興国で生まれている革新的な新興ビジネスである。
   世界の最貧層であるBOPの巨大な市場をターゲットにするためには、最先端の最高品質の財やサービスを創出してイノベイティブに対応しなければならないと言う、途轍もない難しいビジネスなのである。
   遅れて発展しつつある発展途上国のボリューム・ゾーンたる富裕層なり中間層をターゲットにした、今の日本人感覚で開発した商品やサービス対応で、新興国市場を攻略できるのかどうか、ビジネスモデルの再検討が望まれる。

   蛇足ながら、ユニクロ商法である、独自開発の衣料品をコストの安い中国などで、それも、商品アイテムを徹底的に絞って量をあげて生産販売していると言う革新的なビジネスモデルを高く評価しているのだが、
   先日、ドイツのインダストリー4.0について論じた時に、
   ”ボッシュのドイツ方式は、今まではコスト的に成立しなかった個々の顧客が求める一つ一つ違ったテーラーメイドの生産が出来る「マスカスタマーゼーション(個別大量生産)である。”ことを紹介したが、世界の製造業は、激動しており、IOT革命によって、大きく転換期に差し掛かっている。

   このIOT、ビッグデータ、クラウドなどの途轍もないICT革命の潮流に、日本産業は、殆ど乗っていない乗れないのだと言う。
   
   伊藤教授のこの本は、スマイルカーブ論などこれまでの理論展開とそれ程新鮮味はないが、まとめて、今、日本経済がどんな状況下にあって、どこへ行こうとしているのか、参考になって面白い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術祭十月大歌舞伎・・・「一條大蔵譚」「文七元結」

2015年10月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の歌舞伎座の公演は、私にとっては非常に印象的で、玉三郎の「阿古屋」を除けば、昼の部の「一條大藏譚」と「人情噺文七元結」は、正に、歌舞伎の醍醐味を魅せてくれた感動的な舞台であった。
   まず、「一條大蔵譚」だが、ストーリーそのものは、「鬼一方言三略巻]」の四段目で、その前の三段目の「菊畑」が比較的演じられるのだが、主人公が、源氏を応援する吉岡鬼一、鬼次郎、鬼三太の3兄弟であり、この「一條大蔵譚」は、吉岡鬼次郎が登場するものの、この舞台での主人公は阿呆の一條大蔵卿である。

   一條大蔵卿とは、大蔵省の長官であった一条長成のことで、、清盛が、重盛に諌められて妾にしていた常盤御前を下げ渡したので、義経の養父になったことで、この物語になっている。
   大蔵大臣にもなった人物が、保身のために、作り阿呆で通せる筈がないのだが、そこは、物語で、上手くストーリーになっていて面白い。
   阿呆と言うよりは、狂言舞いに入れ込んで、仕事にも雑事にも、とんと関心のない公家だったと言うことであろうか。

   この芝居では、自分の腹心である筈の勘解由が、お家乗っ取りを図る悪心であることが分かって、御簾の蔭から刺し殺し、正気に戻って源氏再興を願うと言うもどりシーンが展開されるのだが、
   長成自身は、親戚筋に当たる奥州平泉の藤原秀衡に、義経を託すなどしており、また、常盤との子供一条能成が、義兄の義経に仕えており、義経をサポートしているので、歌舞伎の筋が、あながち作り話だと一蹴は出来ないであろう。

   当時は、「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫を更えず」と言うことが鉄則であったから、義朝の妾であった常盤御前が、成敗されたとはいえ、憎き清盛の妾となり、更に、下げ渡されて長成の妻となって、夫々の子をなすなどは、考えられなかったことであろう。
   幼気な子供を守るために、必死に生きようとした常盤御前の思いが正しいのかどうかは別として、歴史が変わってしまったことだけは事実である。

   ところで、何時も疑問に思うのは、源氏の頭領の証である名刀「友切丸」を、何故、大蔵卿が所持していて、「この剣は源氏重代のわざ物、汝にくれるぞ 時節が来るまで源氏再興のための挙兵は慎むように 犬死にをするなと義経に伝えよ」と鬼次郎に剣を託すのか、
   尤も、助六の探していたのも「友切丸」であったようだから、いくらでも言い伝えがあるのであろう。

   とにかく、この芝居は、作り阿呆の大蔵卿が、源氏のサポーターであることが分かることと、鬼次郎と妻のお京が、源氏の恩を忘れて遊侠に耽る常盤御前を成敗しようとしたのだが、常盤の毎晩遅くの楊弓あそびは、清盛の絵姿を射抜く清盛調伏であったことが明かされると言うことで、ストーリーは、総てその伏線である。

   さて、仁左衛門の大蔵卿だが、吉右衛門や勘三郎などのように、満面に笑みをたたえた阿呆姿で登場するのではなくて、どちらかと言えば無表情の腑抜けスタイルに近い姿で現れた。
   愛嬌のある阿呆姿ではなくて、本当の腑抜けと言うか間抜けの阿呆なら、どちらかと言えば、神経が傷んでいるのだから、こうだろうと言う阿呆姿であり、あの男前の顏であるから、リアリティ抜群である。
   しかし、本当は阿呆でなくて、人一倍細心で気配りの利いた作り阿呆であるから、要所要所で正気に戻るところの表情は、仁左衛門そのものであり、退場する時に、門前に立つ鬼次郎と目が合う瞬間の表情など鋭いし、大詰め近くの正気と阿呆の転換の匠さは秀逸である。
   吉右衛門も仁左衛門も、阿呆姿も様になるのだが、文武両道に秀でながら源平どちらにも加担せずに阿呆を通しぬいて生きて来た大蔵卿が、「今まで包むわが本心」を爆発させて、苦衷を吐露して義経への檄を伝えるシーンの凄さ素晴らしさは、流石に、人間国宝の芸である。

   面白かったのは、吉右衛門の時には、切落とした勘解由の首を、甚振っていたのだが、仁左衛門の時には、舞台にほおり投げていたことである。
   それに、水も滴る鬼次郎の菊之助、いぶし銀の様に冴えたお京の孝太郎、
   そして、地味ながら、勘解由の松之助、鳴瀬の家橘、も上手い。
   勿論、立女形の常盤御前の時蔵は、艶やかな風格があって素晴らしい。

   さて、「文七元結」は、菊五郎の独壇場の舞台で、この菊五郎の左官長兵衛を見るだけで、歌舞伎座に来る値打ちがあると、何時も思っている。
   「芝浜の皮財布」もそうだが、江戸庶民の生きざまを活写した圓朝もの主人公を、これ程までに感動的に演じ切る役者が、菊五郎以外に考えられるであろうか。
   特に、声音は勿論その間合いと言いテンポと言い、その人物をまる裸にするほど、表情豊かに語り切る話術の冴えには、感動しきりである。

   今回、質と印象は、違うが、角海老女将お駒の玉三郎にも、同じ感動を覚えた。
    淡々と、スローテンポで、やや朗詠調にとつとつと語る情感豊かな語り口が、心地よかった。

   菊五郎と時蔵の息の合った丁々発止、緩急自在の夫婦像は、今や、定番とも言うべき芝居の楽しさで、時蔵は、このような汚れ役(?)も実に上手い。
   今回、素晴らしい新境地を見せて、素晴らしい芝居を演じたのが、和泉屋手代文七の梅枝で、流石に、時蔵の薫陶よろしきである。
   健気で優しい娘お久の尾上右近、ベテランの和泉屋清兵衛の左團次、角海老手代藤助の團蔵、そして、いなせな鳶頭伊兵衛の松緑など、脇役陣も人を得て素晴らしい。

    それに、二世尾上松緑二十七回忌追善狂言の「矢の根」を松緑が演じて、藤十郎が曽我十郎で登場し、
    更に、花形役者たちが、「音羽獄だんまり」の華麗な舞台を披露してくれるのだから、今月の歌舞伎座の昼の部は、大変なプログラムである。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場十月歌舞伎・・・通し狂言「伊勢音頭恋寝刃」

2015年10月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎は、先月の文楽に続いて「伊勢音頭恋寝刃」だが、53年ぶりの本格的な通し狂言であるので、ストーリーが分かって面白い。
   ミドリ公演が大半の歌舞伎座にくらべて、国立劇場歌舞伎の良さは、通し狂言の上演で、私など、ストーリーを追いながらの観劇志向なので、この方が有難い。

   阿波の国の家老の倅・今田万次郎(高麗蔵)が、君命を受けて名刀「青江下坂」を手に入れるのだが、謀反の企てに加担する徳島岩次(由次郎)一味に、刀の折紙(鑑定書)と共に盗み取られて、実家が今田家の家来筋である伊勢の御師・福岡孫太夫(友右衛門)の養子である福岡貢(梅玉)が、取り返す。と言う話である。

   この芝居は、伊勢古市の遊女屋・油屋での殺傷事件に想を得ているので、貢と油屋遊女・お紺(壱太郎)との恋を絡ませて、貢が、岩次一味で嫌がらせをする仲居万野(魁春)を誤って切り殺し、名刀の妖気に導かれて錯乱状態になって、岩次など手当たり次第に殺戮すると言う油屋での凄惨なシーンが見せ場となって、取り入れられている。
   
   冒頭は、伊勢内宮と外宮を結ぶ参道の相の山で、遊興費捻出のために名刀を質入れした万次郎が、更に、岩次一味から、折紙まで騙し取られると言うシーンからの波乱含みの展開で、
   その後、折紙を騙し取られたと知った奴の林平(亀鶴)が、お家乗っ取りを企む藩主の弟蓮葉大学から岩次に宛てた密書を持つ杉山大蔵と桑原丈四郎を夜道を追い駆けて、密書の一部を奪い取り、更に、万次郎を連れて二見ケ浦に来た貢は、逃げてきた二人に闇の中で出会い、密書の残り半分を奪い取り、宛名と差出人、そして、密の悪事の全容がわかる。
   この闇夜のだんまりの演技が延々と続くのだが、貢は、密書を奪ったものの闇夜で読めない。
   二見ケ浦に朝日が昇って、貢の「うれしや日の出」のシーンで、一気に変わる舞台展開がワザとらしくて面白い。

   もう一つ面白いのは、取って付けたような第二幕の「御師福岡孫太夫内太々講の場」で、御師の福岡孫太夫宅で、弟の彦太夫(錦吾)が太々神楽をあげていて、甥の正太夫(鴈治郎)に、太々講の積立金100両を盗ませて、その罪を貢に負わせようとするのだが、訪ねてきた叔母のおみね(東蔵)の機知で、悪事がバレルと言う舞台が挿入されていること。
   この舞台で、冒頭、貢の許嫁榊に言い寄りながら登場するにやけた正太夫の鴈治郎のコミカルタッチ万点のズッコケた演技が秀逸である。
   この鴈治郎は、大詰め古市油屋の場では、真面目で忠実な料理人喜助を演じていて、変わり身が早い。

   さて、この歌舞伎で最もポピュラーな「古市油屋店先の場」は、
   名刀青江下坂を叔母から受け取った貢は、これを一刻も早く、伊勢古市の遊廓「油屋」で万次郎に渡そうとやって来るのだが、あいにく留守で、待つことにして、馴染みにしている遊女お紺に会いたいと仲居の万野に言うのだが、意地の悪い万野は「お紺はいない」と嘘をついて会わせず、「代わり妓」を強要する。
   仕方なく同意して出て来たのが貢に岡惚れのブスお鹿(松江)で、つれなくする貢に、鹿は「恋文をやり取りして金も用立てたのに」と泣きつくのだが、全く身に覚えがない貢は困惑。総て万野の仕業で、手紙は偽物で金は万野が着服したのだが、シラを切り通され反証も出来ずに、貢が地団太を踏む。
   そこへ、お紺が北六たちと入ってきて、北六たち皆が貢をののしり、お紺までもが貢に愛想づかしをし、満座の前で恥をかかされた貢は、堪忍袋の緒が切れて、喜助から刀を受け取て出て行く。
   後に残ったお紺は、北六を安心させて、青江下坂の折紙を手に入れる。

   前回、文楽の項で書いたので、蛇足は避けるが、
   威勢の良いお紺の啖呵は、惚れた貢のために折紙を奪うための愛想づかしだったのだが、この歌舞伎では、刀を間違えて持って出たと思って油屋に帰って来た貢に、お紺が、二階から折紙をほり投げて渡した瞬間に、「有難や」で終わってしまう。
   籠釣瓶の八ッ橋とは、大違いで、満座の前で愛想づかしをされ徹底的に赤恥をかかされた貢の簡単に変わる気持ちが分からないのだが、いずれにしろ、この歌舞伎は、あっちこっちで、あまりにも出来過ぎたストーリー展開やシーンが多いので、屁理屈を言わずに、すんなりと納得すれば良いのであろう。

   歌舞伎の舞台では、「代わり妓」として登場したお鹿の活躍が面白く、アクの強い立役が演じても様になる役柄でもあろうが、新境地の展開か、松江の熱演が見ものである。
   
   梅玉は、颯爽として風格のある貢を演じていて秀逸で、特に、舞うように流れるように立ち回る最後の殺戮シーンが良かった。
   魁春の万野は、徹頭徹尾、冷たくてユーモアも色気も何もない無色透明な冷徹一途に徹したような演技が流石で、前に観た玉三郎や福助の性の悪さや意地悪さなど娑婆っ気が前面に出た芝居とは違った味があって興味深かった。
   壱太郎の、あの何とも言えない女らしさ、匂うような遊女の色気と粋、それに、あ長台詞のキレのある啖呵が素晴らしい。
   高麗蔵の萬次郎、何時も、風格のある女形で楽しませて貰っているのだが、優男の遊び人も堂に入っていて良かった。

   非常に意欲的で素晴らしい舞台であったが、残念ながら、かなりの空席があった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グレン・ハバード、ティム・ケイン著「なぜ大国は衰退するのか」(2)

2015年10月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ローマを筆頭に、世界を支配した大国は、強大な経済的、政治的、軍事的権力を誇りながらも、遂には瓦解・崩壊して記憶の彼方に消えてしまったのだが、須らく、その原因は、バランスの崩壊、ことに、経済的な不均衡(economic imbalances)であった。
   前回、これが、著者たちの結論であることを述べ、同様な問題に直面しつつあるアメリカの現状などについて、考えてみた。
   今回は、各論として論じている8つの大国の興亡に関して、個々のケースをフォローしながら、その衰退について考えてみたいと思う。
   
   まず、ローマ帝国である。
   ローマの衰亡については、ギボンなどは、キリスト教の誕生が主因だと述べており、ゲルマン民族の軍事的勝利が原因だと言う説などが有力だが、著者たちは、軍隊によるレントシーキング集団による支配などによるローマ帝国の経済的不均衡の発生が原因だとしている。
   ローマ帝国の経済的不均衡とは、財政支出を現実の収入と一致させられない状態が継続したことで、特に悪影響を齎したのは、三つあり、イギリスに築いた「ハドリアヌスの長城」建設、二世紀に行った銀貨の改悪とインフレ、三世紀末にディオクレティアヌス帝が経済衰退の処方箋として行った経済の支配・統制で、相次ぐ改鋳による貨幣価値暴落と急激なインフレや柔軟な経済活動の圧殺によって、経済は悪化の一途を辿った。
   ハドリアヌス帝は、国民が負っている過去15年間の債務の総てを棒引きにしたので、国民にモラル・ハザードを引き起こし、また、諸皇帝が、富裕な層からの財産没収など紛れもない強盗行為や捧げもの強制など「富裕層との戦争」を行うなどが、頻発していたと言う。
   皇帝が捧げものを集める時に軍隊にボーナスが支給され、その額がどんどんあがっていったので、皇帝暗殺が軍のインセンティブになったと言うから恐ろしい。

   皇帝位を完全にコントロールするようになった軍隊が、レントシーキング戦略を取り、国家社会の安定、経済的繁栄、市民の自由などすべてを犠牲にして、自らの収入と権力の極大化を追求したのであるから、益々重税化して、最終的には、税基盤、通貨、貨幣経済が崩壊して行った。
   興味深いのは、流石に著者たちは経済学者で、支配者たちが治世で起きた変化について経済的に無知であった、すなわち、経済学がまだ知られていなかったために、ローマ文明は壮大な失敗を起こしたのだと述べていることである。
   この指摘は、最後のカリフォルニア州の経済的挫折の項まで、何度も登場するので、現代経済学の効能も捨てたものではないと言うことであろう。

   もう一つ、著者たちが強調した文化文明の敵は、利益団体のレントシーキングである。
   民主的な制度としては自然に生ずる問題だとして、労働組合や独占的法人が、「レント(超過利益)」を(多くは競争を制限することによって)確保する政策を訴え、ロビー活動を行うなどは、このような例で、スペイン帝国の政府の許認可や、オスマントルコの常備歩兵軍イェニチェリがローマの軍隊のように権力を濫用したように、今日のアメリカでは、財政的なレントシーキングを踏襲するかたちで経済不均衡が常態化しつつあると言うのである。
   このレントシーキング手段の強大化は、経済発展のために最も重要な創造的破壊を妨げることであろうが、高ずると、政治経済社会の屋台骨まで壊してしまう。

   余談だが、今回のTPP交渉における反対団体が、レントシーキングかどうかはともかく、日本経済全体、あるいは、日本国民全体の経済的利益、福利厚生経済的なメリットと比較すれば、どう言うことになるのか考えてみるのも面白いと思う。
   日本社会全体と言うか、官制主導と言うか、、産業構造改革に抗して、ゾンビ企業を温存させ続けてきたと言う日本経済の悲劇も、日本社会のレントシーキング体質の現れではないかと思えないこともなかろう。
   
   
   驚くべきことに、あれ程、交易活動によって経済成長を謳歌した筈のローマで、自由市場の力を完全に理解することは遂になく、エリート層は、商人を軽蔑し、「ブルジョアの尊厳」は存在しておらず、起業家精神を見下して、単純労働は奴隷の仕事だとして軽蔑していたと言うのである。
   古代ローマの経済的強みは、組織、交易、秩序、貨幣の使用、法律などから来る「制度的ソフトウエア」であって、企業家精神の発露や技術革新を経験して成長発展した文明ではなかったので、経済成長の基盤が商業的規模であり、その規模が崩壊してしまうと、経済が、簡単に破綻してしまった。

   風船が膨らんだだけで萎んでしまったと言うこの理論は、興味深い。
   アメリカのように最先端を走るイノベイティブではなかった日本経済のバブル破裂、そして、今の中国経済の現状を暗示しているようで面白いのである。

   国家の興亡は、制度次第であり、「包括的な制度が、「収奪的」な制度より優れているのだが、いくら隆盛を極めた国家であっても、バランスの崩壊、すなわち、経済的な不均衡が生じて、その不均衡を解消できなければ崩壊する。
   と言うのが、著者たちの論点だが、はたして、そんなに単純なものなのであろうかと言うのが、私の疑問である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術祭寄席・・・桂文枝「別れ話は突然に」

2015年10月12日 | 落語・講談等演芸
   芸術祭寄席で、桂文枝がトリを取り、素晴らしい噺家たちが登場するプログラムなので、期待して出かけた。
   流石に名調子の噺家ばかりで、前座から盛り上がっての盛況で、勿論、早くからチケット完売で、満員御礼であった。

   文枝は、ニコニコしならら、白髪交じりの七分刈り頭で登場して、来年の大河ドラマ「真田丸」に、千利休で出演するので、その準備だと言う。
   脚本は、三谷幸喜で、まだ、自分には届いていないし、撮影も始まっておらず何時登場するかも分からないのだが、準備だけしてスタンドバイするようにと言われていると言う。
   朝4時から撮影が始まるので、体力が一番大事なので、体を鍛えておけと言うことで、病院で、心臓のエコーと頭のMRI検査をして、心臓は、不整脈、頭は問題なかったが、看護士に呼び止められて、「帽子とマスク」を忘れていると言われたと言って笑わせていた。

   一万歩歩いているようだが、途中に、何時も立ち寄る喫茶店があって、相客と話をするのが楽しみだと言って、
   毎日3時間歩いている84歳の老人の話をして、2時間くらい歩くとどこにいるのか分からなくなり、3時間歩いた後は、タクシーに乗って帰るので、「アルクハイマー」と呼ばれていると語っていた。

   さて、文枝は、勿論、新作落語で、「別れ話は突然に」。
   熟年離婚をテーマにした噺で、大阪に住む76歳の父親が、ソールに赴任中の息子に電話をかけて離婚を伝える話から始まって、64歳の母と北海道の娘、息子と娘との電話での長話が続くので、最初から最後まで、文枝は、受話器代わりに持った扇子を耳から離さずに語り続ける。
   離婚理由は、俗に言うリタイア―した夫と妻の日常生活でのトラブルすれ違いを、コミカルタッチで語り続けるのだが、寅さんの落語バージョンと言った感じで、笑い続けてほろりとさせる。
   リア王よろしく、離婚後は、父と母が、替りばんこに、息子と娘宅に、半月ごとに訪れると言うので、戦々恐々となった二人が、都合を遣り繰りして説得に大阪に行くことになって電話すると、
   電話を受け取った父親が、母に、そっと、「家族全員が集まるぜ」。
   喜んだ二人が、離婚ストレスで死んだ筈の愛犬の喉を撫ぜながら、
   「この手は、次には使えませんなァ」。
   何のことはない、親元を見限って殆ど寄り付かない子供たちに会いたくて仕組んだ親たちの狂言だった、と言うことであるが、今の人生模様・世相を映していて、とにかく、老夫婦の自分勝手な言い分が面白い。

   前に、文枝の創作落語だと言うことで、柳家はん治の「妻の旅行」を聞いたことがあるが、これも、夫婦のすれ違いの頓珍漢をテーマにした噺で、夫婦の言いたい放題勝手放題のギャグ交じりの会話は、古典落語でも結構多い恰好のテーマである。

   しかし、人生色々。
   別れがあれば、出会いもあろう。
   ほのぼのとした幸せな出会いをテーマにした噺にすれば、どうなるのか。
   落語よりは、物語かも知れない。
   
   古今亭菊之丞は、片棒。
   林家染二は、茶屋迎い。
   小遊三は、代り目。
   鯉昇は、ちりとてちん。
   とにかく、語り口の上手さは勿論、芸の匠さ細やかさは名人肌で、抱腹絶倒。非常に質の高い噺家たちの至芸を楽しむことが出来た、素晴らしい寄席の一夜であった。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立能楽堂・・・能・金剛流「夕顔」

2015年10月10日 | 能・狂言
   この能楽堂で、もう既に、2回、能「夕顔」を鑑賞している筈で、「野宮」や「浮舟」などの源氏物語所縁の能舞台にも結構接している筈なのだが、何故か、能「葵上」ほど鮮明な記憶がない。
   夕顔については、源氏物語でも、最もポピュラーな登場人物でもあり、今日の公演は、普及公演で、冒頭に、梅内美華子さんの「闇に消えた儚い恋」と言うタイトルの解説があった所為もあって、かなり、鮮明にイメージしながら、楽しむことが出来た。

   この能は、源氏物語の「夕顔」を下敷きにしているのだが、ほぼ、次の通り。
   旅の僧(ワキ・ワキツレ)が京都の五条あたりを訪れると、一軒の茅屋の中から、歌を吟じる女(前シテ)の声が聞こえてきて、僧に、この茅屋こそ『源氏物語』に登場する“某の院”で、ここで亡くなった夕顔上の故事を物語ると、消え失せる。
   この女は夕顔上の霊で、夜、僧たちが弔っていると、在りし日の姿の夕顔上(後シテ)が現れて、源氏との逢瀬や物の怪に襲われたときの恐ろしさ、心細さを述懐しながら舞い続け、やがて法の力によって救いを得、夜明けとともに成仏して消えて行く。

   
   源氏物語では、
   17歳の光源氏が、六条御息所へ通っていた道中、五条の庶民の住まいの一角で、夕顔の花咲く風情のある家に目をとめ、この家に住む夕顔上と出会い、密かに交際する。
   その後、源氏は夕顔上を、ひとけのない廃院“某の院”へと誘い出し、逢瀬を重ねる。夕顔は、薄気味悪い雰囲気の“某の院”の様子に怯えながらも、やがて源氏に打ち解けて行くのだが、ある夜、事態は急変する。源氏の夢枕に一人の美しい女性が現れ、「恋焦がれている自分を差し置いて、こんな女と」と恨み言を述べるので、ぞっとした源氏が、目を覚ますと、廃院の灯りも消えて、既に夕顔上は息絶えている。
   
   六条御息所は、先の皇太子の未亡人で才色兼備で魅力的な熟女なのだが、とにかく、知性教養と言い趣味と言い、なにごとも源氏より上でその上に気位が高く、いくら優しく愛してくれても、窮屈さと煩わしさを感じていた源氏にとっては、既に食傷気味で、おっとりして可愛くて柔和な人柄の夕顔上に惹かれて行くのは、自然の成り行き。
   恋に目覚めた初心な頃はリードされて恋に溺れて幸せだった源氏も、男に目覚め始めると、御息所からは次第に心が離れて行く。
   そんな頃の源氏であるから、一途に夕顔を思いつめたのであろう、亡骸を見て悲嘆にくれる。
   能は、源氏ではなく、夕顔の立場に立ってのストーリー展開となっていて、源氏との儚い恋が、一瞬にしてかき消されて行く不幸を、謡って舞うのである。

   光源氏の夢枕に立った女性は、この六条御息所の生き霊で、彼女が物の怪となって夕顔上を取り殺したと言うことになっていて、「源氏物語」では、この六条御息所は、嫉妬深い人物として、生霊の物の怪となって、まず葵上、そして、女三宮や紫上などにも憑き祟るなど、能では、格好のキャラクターとなっている。
   私など、夕顔よりは、はるかに、六条御息所の方が魅力的だと思っているのだが、人好き好きであろうか。

   ところで、この夕顔は、源氏の正妻葵上の兄の頭中将の愛人であって既に後半重要な女性として登場する魅力的な女性玉鬘(玉葛)を生んでいたのだが、中将の正妻が恐ろしくて隠れ住んでいると言う設定で、丁度、人恋しくなっていた時期に、源氏が引っかかったと言う感じで、非常に面白い。

   前回までは、観世流であったが、今回は、金剛流の能で、シテは宇高通成、ワキは大日方寛。
   この能では、「山端之出」と「合掌留」の小書きがついている。
   「山端之出」は、先の2回も同じだったが、前シテが幕の内より「山の端の、心も知らで行く月は、・・・」と口ずさんで登場し、ふたたび、一の松で謡う。
   「合掌留」は、夕顔上が、序ノ舞の最後に、旅僧に対して膝を折って合掌するのだが、常よりも舞が短縮されると言う。
   この点は、良く分からないのだが、私にとっては、今回の後シテの序ノ舞は、今までに観た序ノ舞では、最高に美しくて感激しながら魅せて貰った。
   普通は若女の面を付けるようであるが、今回は孫次郎の面で、これが、また、実に美しくて優雅で、感動しきりであった。

   ところで、小書きだと、前述の「山の端の」の夕顔が歌った歌、すなわち、男の心を良く知らずに誘われて行く身の心細さを強調する形になると言うことだが、私は、夕顔は既に頭中将との愛の交感で男心を知っていて、これは言葉のあやだと思っている。
   もう一つ、私が感じたのは、不幸のどん底に突き落とされて儚く逝った夕顔が、本来なら、王朝物語に登場する高貴な女性や白拍子などが舞う序ノ舞を、何故、場違いにも、この舞台で舞うのであろうかと感じたことである。

   いずれにしろ、素晴らしい舞台で、楽しませて貰った。

   今、能楽堂の中庭の萩が美しく咲いている。
   ススキとのコントラストも良く、雰囲気があって良い。
   
   
   
   
   
   
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする