熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

NHK:バイエルン国立歌劇場 喜歌劇「こうもり」

2024年04月18日 | クラシック音楽・オペラ
   NHK BS4Kで、バイエルン国立歌劇場 喜歌劇「こうもり」(ヨハン・シュトラウス作曲)。歌劇場管弦楽団創設500年を記念した豪華な公演。を鑑賞した。

   演出:バリー・コスキー 出演:ゲオルク・ニグル(アイゼンシュタイン)、ディアナ・ダムラウ(ロザリンデ)、アンドリュー・ワッツ(オルロフスキー公)、ショーン・パニカー(アルフレート) 、マルクス・ブリュック(ファルケ) 、ケヴィン・コナーズ(ブリット) 、カタリーナ・コンラーディ(アデーレ) 、ミリアム・ノイマイヤー(イーダ) 、バイエルン国立歌劇場合唱団 、合唱指揮:クリストフ・ハイル 、バイエルン国立歌劇場管弦楽団 、 指揮:ウラディーミル・ユロフスキ、
   とにかく、全編、華やかなワルツに彩られたヨハン・シュトラウス節に紡がれたウィーンを舞台にした楽しい喜歌劇で、第二幕のオルロフスキー公爵邸での豪華絢爛たる舞踏会の様子など特筆ものである。

   「こうもり」を、最近レビューしたのは、2021年末のウィーン国立歌劇場のライブ配信の舞台だが、私が最初に観たのも、1974年のヨーロッパ旅行の時に、大晦日の夜にここで観た舞台。
   元旦のニューイヤーコンサートの前日で、観客も全員正装していて、豪華な宮殿のような劇場が、王朝時代のような華やかさで匂い立つ。
   「こうもり」の舞台は、比較的少なくて、ロンドンに居た時に、ロイヤルオペラで2回、2008年8月に、小澤征爾の「こうもり」、2015年5月に、ウィーン・フォルクス・オーパーの来日公演、
   他には、新日本フィルのコンサート形式の演奏などだが、各舞台ともワクワクしながら愉しませて貰った。

   さて、この喜歌劇がなぜ「こうもり」なのか、
   3年前ファルケとアイゼンシュタインが仮面舞踏会に出かけた帰りに、アイゼンシュタインが、酔いつぶれたファルケを公園に放置して帰ってしまったので、朝方目を覚ましてこうもりの変装のままだったので散々嘲笑されて恥をかかされたので、こうもり博士と言われ続けたファルケの仕返し。
   ファルケは、ロシアのオルロフスキー公爵邸で開かれた大舞踏会を、どんでん返しの喜歌劇に画策。極めつきは、仮面を付けて現われたハンガリーの貴族の淑女に、アイゼンシュタインがゾッコン惚れ込んで口説き落としたつもりが、実は、妻のロザリンデであったという話。
   侮辱罪で収監される直前にパーティにトンズラしたアイゼンシュタイン家に、ロザリンデに思いを寄せているアルフレートが忍び込んできて、口説いているところに刑務所長のブリットが現われて、アイゼンシュタインだと勘違いして逮捕。第3幕の刑務所の場で、二人がかち合わせて、大混乱。夫妻の不実が分かり仲直りで大団円。
   
   ダムラウのハンガリアン「チャルダッシュ」のコケティッシュな魅力や、カウンターテナーのワッツのロシア公爵の艶やかさ、ニグルの軽妙洒脱な演技や達者なステップの確かさ、狂言回し師としての策士然としたブリュック、小間使いながら女優を目指すコンラーディの絶好調の歌唱、それに、
   とにかく、コナーズの型破りの女性趣味の刑務所長や牢番のタップダンスなどが、これまでの刑務所の雰囲気をがらりと変える演出で面白い。

   オーストリーやドイツの歌劇場では、大晦日に、この「こうもり」を上演して古い年を、笑い飛ばして送り、新年を迎えるという。
   何となく、年末年始を、ヨハン・シュトラウスのワルツで送り迎えする気持ちが分かって興味深い。
   
   
   
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遅まきながら花木に薬剤散布

2024年04月15日 | ガーデニング
  わが庭の花木は、暖かさに呼応するように、一気に芽吹き始め、蕾も膨らみ始めた。
   まだ、病虫害の兆候が現われていないので、サボっていたのだが、重い腰を上げて、薬剤散布を行った。
   以前は、冬の寒い時期に、硫黄合剤を2度散布して、病虫害が出てくれば、ピンポイントで薬品を散布すると言うことで乗り切ってきたのだが、去年から普通の薬剤散布に切り替えた。

   今回も、昨年3月に倣って、住友のベニカを主体に、殺虫剤と殺菌剤の混用を意図して、GFオルトランとGFベントレートに展着剤ダインを加えてタンクで混合して、5ℓの溶剤を作って散布を始めた。
   硫黄合剤に時のように、散布後の葉に白っぽい跡が残らないところが良い。
   歳の所為もあって小忠実に薬剤散布が出来ないので、バラも椿も同じ薬剤を使っていて、その後、バラにはバラ用の薬剤を使ってフォローしているのである。
   タンクを使って、何度か庭全体に薬剤散布を続けていたが、木にもそれぞれ個性があるし、病虫害も木によって違ってくるので、何種類かのスプレイ式の薬剤を用意する方が便利なのである。

   薬剤散布で大変なのは、バラ。
   もう30年も前になるが、イギリスから帰ったときには、千葉の庭には花木がまだ少なくて、広い空間があったので、京成バラ園に行って、苗木を買ったり勉強したりして、バラの栽培を始めた。ガイドブック通りに丹念に育てたので、見事なバラの花が咲いた。
   気を良くして、その後、イングリッシュローズにも興味を持って栽培を始めて、フレンチローズにも手を広げるなど、珍しいバラも含めて、ドンドン広がっていった。
   しかし、バラ栽培にも慣れてくると、病虫害の処理など億劫になり始めて、少しずつレージーになって、1本枯れ2本枯れ、ドンドン消えて行ってしまった。
   このブログの「わが庭の歳時記」で、以前の記事では、咲き続けるバラの写真が掲載されていて、懐かしい限りである。

   それに比べて、並行して栽培を始めた椿の方は、至って手間暇のかからない花木で、バラのような華やかさや豪華さはないが、手を広げて行くと、結構奥が深くて楽しませてくれる。
   特に注意しなければならない病虫害は、チャドクガで、気付かなければ、一気に葉が落ちてしまうが、初期段階で薬剤散布すれば、間単に駆除出来る。
   私のような熱心ではない似非ガーディナーにとっては格好の花木なのである。

   さあ、これから、初夏、そして、梅雨にかけて、一気に木々が萌える。
   病虫害との闘いが始まるのだが、緑が一番美しく輝き、椿が翌春の花芽をつける。
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椿:エリナカスケード 咲く

2024年04月14日 | わが庭の歳時記
   エリナカスケードは、「cascade」すなわち、小滝・階段状と言うことで、菊の懸崖作りのように垂れ下がったしなやかな枝に、淡い桃色の1cmほどの可愛いい小さな花を鈴なりに咲かせる風情のある椿である。
   ヒメサザンカ(姫山茶花)と中国の野生椿との交雑によって作出された品種とかで、椿の仲間とは思えないところが良い。
   サザンカのように花びらがひらひら落ちるのではなく、花弁が椿のようにポロリと落花するのだが、残念なのは、かなり花持ちが悪くて、すぐに地面を白く染めることであろうか。
   
   
   

   椿は、咲き続けているが、実生苗も花を咲かせ始めていて、中には、わが庭にはない、見たことのないような花が咲いて面白い。
   他家受粉なので、雑種となって、新しい品種なのであろうが、蘂が花粉化して殆ど結実しない椿の偶々出来た種を実生苗にしているのであるから、変った花が咲いても不思議はないのかも知れない。
   育種家でもないので、何の椿の種か覚えておらず、親を追跡できないのだが、まだ、来年も新種が生まれそうで期待している。
   
   
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クラブアップル、ナシの花咲く

2024年04月13日 | わが庭の歳時記
   わが庭には、桜が植わっていないのだが、春の花木で、姫リンゴのクラブアップルとナシの花が咲き出した。
   昨秋、強剪定したのでこじんまりしているのだか゛、一気に庭が華やかになる。
   この姫リンゴは、イギリスに居た時にあっちこっちの畑で見かけて印象深かったので、庭うえしたのだが、わが庭では、イギリスのように、広い空間を提供できないのが残念である。
   初夏に可愛い小さな実を結ぶ。
   
   
   
   
   
   梨の木も1本植わっていて、白い花を咲かせている。
   昨年、小さな実を付けたので、結実するのが分かって興味深かったが、そう言えば、ロンドンの家の庭に洋梨の木が植わっていて、結実したので食べてみたら、結構美味しかったのを思い出した。
   
   
   
   
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ボッカッチオ「デカメロン」

2024年04月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ボッカッチョ (著), 平川 祐弘 (翻訳)の「デカメロン」を読んだ。

   講談社BOOK倶楽部の、田辺聖子の「ときがたりデカメロン」の内容紹介が、「デカメロン」を的確に説明しているので、そのまま引用すると、
   悪党、若妻、修道僧、騎士などの多彩な人物がおりなす性と笑いの物語。大胆に官能を楽しむ笑いと愛の物語ーー機知ある悪党、不倫の若妻、女色にふける修道僧、強情が仇となる人妻、悲恋の王子と王女、復讐された高慢な未亡人、自分に克った聡明な老王など、多彩な人物が、人間の欲望を大胆に肯定し、愛と正義の与える不思議な力で、官能的生を楽しむ永遠の名作。男女のリアルな生活とその美醜をあますところなくとらえ、機智と哀歓に満ちた一幕として明るい笑いとともに、人間性を開放した、ルネサンス期の傑作の楽しい物語。当代随一の作家が、美しい言葉で面白く説き語る愛の物語集。永遠に新鮮な古典の親しみやすい説き語り。
   と言うことで、まだこの本は読んでいないが、平川版のこの本で、頻繁に引用されて居るので興味を持った。

   平川版も、
   世界文学の金字塔! 待望の新訳決定版、ついに完成! いま、清新なルネサンスの息吹が甦る!
   ペストが猖獗を極めた十四世紀イタリア。恐怖が蔓延するフィレンツェから郊外に逃れた若い男女十人が、おもしろおかしい話で迫りくる死の影を追い払おうと、十日のあいだ交互に語りあう百の物語。人生の諸相、男女の悲喜劇を大らかに描く物語文学の最高傑作が、典雅かつ軽やかな名訳で、いまふたたび躍動する。挿画訳60点収録。
   と言うことで、この本は、2012年刊で休刊であるが、今文庫版がでている。
   平川祐弘教授のダンテ「神曲」や「神曲講義」などを読んで興味を持っていたので、文句なしに、800㌻に及ぶ平川版に挑戦することにした。

   前述したような艶笑談が、最初から最後まで、次から次へと100篇繰り広げられるのであるから、面白いと言うよりも、その話題の豊かさと凄まじさに圧倒される。
   語り手すべてが、バージンで結婚する乙女など一人もいないと言うほどオープンなルネサンス初期のイタリアの人生模様の描写であり、生きる喜びを愛に託して謳歌するために、人々の智慧と機転を利かせての手練手管の数々、
   一つ一つの話題が短いながら、独立した短編小説の趣なので、それぞれに興味をそそる。

   ところで、この本の話題は、どれもこれも、愛の交歓、恋の鞘当て、愛憎劇など男女の物語で、プラトニックラブや片思いと言った柔な話はなく、必ずコトに及ぶのだが、描写は極めてシンプルで、嫌みがなくて、ボッカッチオの筆捌きの鮮やかさで、クスリと笑いを誘う程度である。
   前世紀に日経新聞の渡辺淳一の「失楽園」を読み始めて、その性描写の凄まじさにビックリした記憶があるが、それから見れば、この「デカメロン」など温和しくて、発禁本などと言えるジャンルの作品ではない。
   
   第二日第七話に、バビロニアのサルタンの娘アラティエルをアフリカのガルボ国王の花嫁として嫁がせるせる話がある。
   ところが、航行途中で船が難破して、言葉も通じない異国に辿り着き城主に助け出される。貞操観念が強かったが、宴会でたしなみを失って城主と契る。その時の描写が、「城主は女と愛の楽しい営みを始めた。女はそれを感じた。それまで男がどんな角で女の体を突くのかアラティエルは知らなかった。それなものだから、ひとたび醍醐味を味わうと、なぜ今まで男が言い寄った時、もっと早く同意しなかったのかと悔やまれたほどであった。」
   途中は省略するが、アラティエルはあまりにも美しすぎたので、それが知れ渡って、次から次へと略奪、拉致されて不幸に遭遇し続ける。
   しかし、最後には、「4年間に8人と一万回ほど共寝した姫であったが、国王の脇に処女として横になり、そのとおり国王に思い込ませて、王妃として末永く幸多く国王と連れ添った。」と言う話。

   面白いのは、邪恋であろうと不倫の愛の交歓であろうと何であろうと、愛が成就したハッピーエンドの艶笑話の最後には、
   「神様、私たちにも同じように愛の楽しみを存分にお与え下さいませ。」と結んで、皆も同意する。

   ところで、このデカメロンだが、エログロナンセンスの悪書だと思われている向きもあるが、決してそうではなく、ダンテの「神曲」の対極にある愛を主題にした世俗小説であって、
   私など、実業でビジネスに活躍したボッカッチオの見た地中海世界や知見で蓄えた当時の勃興期のヨーロッパの様子が垣間見えて興味深かった。
   しかし、面白いが、このような艶笑談を、延々と続けられると、途中で飽いてくるのは必定で、これも人情かも知れない。と思う。
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椿:鳳凰咲く、至宝の変化

2024年04月09日 | わが庭の歳時記
   椿の鳳凰が咲き出した。
   ピンクの八重の蓮華咲きで、鳳凰の尾羽のように切れ長の花弁の綺麗な椿である。
   枝木が細長くて華奢なので、花は垂れ気味で、それに、成長が遅いので、手入れが難しい。
   
   
   

   至宝は、花付きが良いので沢山蕾を付けているのだが、途中で結構摘蕾しているが、やはり、花に無理が行くのか、歪な花が咲いて、綺麗な花が咲きにくい。
   利休のアサガオのように、一蕾だけ残して花を咲かせれば良いのであろうが、何となく忍びなくて咲くに任せている。
   色々な歪な咲き方をしている。
   
   
   
   
   

   ゆりのシルクロードが芽を出してきた。
   シャクヤクも蕾が出てきた。
   わが庭も草花が咲き始めて賑やかになって来た。
   
   
   
   
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椿:エレガンス・シャンパン、ダローネガ咲く

2024年04月08日 | わが庭の歳時記
   エレガンス系の椿のエレガンス・シャンパンが咲き出した。
   玄関脇花壇の主木で、豪華な真っ白な唐子咲きの大輪の椿なのでよく目立つ。
   黄色い蘂が鮮やかな花弁もあれば、白い唐子だけの花もあって個性豊かなのだが、葉に埋もれたような形で咲くので、写真に撮りにくい。
   
   
   
   

   もう一つ、クリーム色の千重咲きのダローネガ、
   黄色い椿は、殆ど中国生まれで、これまで、何株も育てたが、寒さに弱くて庭植えして、悉く失敗したが、この椿は洋椿なので、もう、何年も咲き続けている。
   
   
   
   
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「郵便的不安」と言う経験

2024年04月06日 | 生活随想・趣味
   今日の日経夕刊に、「郵便料金、値上げの理由は?」と言う記事が出ていた。
   私が興味を持ったのは、郵便料金値上げのことではなく、「もっと教えて」というコラムの藤本勝治先生の「多様な通信手段あってこそ」の中の「郵便的不安」という言葉である。自分のメッセージが本当に相手に届くのか、と言う感覚を、哲学的にそう呼ぶのだという。言い換えれば、自分の出した郵便物が相手に届くのかどうかと言うことであろうか。

   強烈な記憶に残っているのは、着くか着かないかの不安ではなく、幸いにも着いたという思い出と、着かなかったという思い出である。

   まず、幸いにも着いて助かったという思い出だが、
   遺産相続についての委任状と戸籍謄本とを、多忙を極めていてヨーロッパへの赴任時に、成田空港でポストに入れるのを忘れてしまって、アムステルダム行きの飛行機に乗ってしまったのである。
   当時は、中継地ソ連のモスクワに一時停止するので、空港の郵便局で投函することにした。
   書留便で出したのか、どんな形態で出したかなど全く記憶はないのだが、ソ連の郵便事情など全く知らずに、日本の郵便と同じだと思って何の疑いもなく、投函した。
   戸籍謄本は、祖母の戸籍謄本で、この謄本を取った直後に逝去したので、いわば事前に用意した書類に関しては、大切な必要書類だったのである。
   私も、ヨーロッパ赴任なのですぐに帰れないし、日本で改めて処理できないので、無事にソ連から郵便が届いて非常に助かった。
   帰任時には、ロシアを経由して帰ろうと思ったのだが、ソ連の崩壊とロシア経済の崩壊寸前の治安の悪化で危険極まりなくて断念したのだが、良く考えてみれば、昨今の事情を考えれば、ソ連の社会情勢や郵便事情を信用して良かったのかどうか、
   とにかく、慌てていたのでモスクワで投函したが、アムステルダムに着いてから出せば良かったのである。

   つぎに、郵便を出して届かなかった例だが、フランスとブラジルでの経験である。
   いずれも、深刻な経験ではないが、宿泊ホテルのフロントの切手代着服の問題である。
   フランスの香水の都グラースでのことである。
   カンヌやニースに近い南仏のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュールの美しい街、ラベンダーが一面に広がる畑が印象的で街を歩くと香しい香水の香りが漂う。
   ところで、香水の都であるから絵はがきも凝っていて、ラベンダーをあしらったり香水を使ったりした魅力的なものがあったので、何通か知人友人に送ることにした。
   普通は、切手収集も兼ねて、郵便局を見つけて投函するのだが、時間がなかったので、フロントに切手代プラスかなりのチップを渡して投函を依頼した。
   日本に帰った時に尋ねたら、1通も届いていないことが分かった。
   フランスでは他のところからも郵便を出して届いているので、このグラースの高級ホテルでは、フロントが私の絵はがきを出さずに廃却をしたとしか思えないのである。

   もう一つ、同じことが、ブラジルのサンパウロで起こった。
   ブラジル赴任時には、事務所や住宅の手配が整うまでは、ホテルを借り切って代用し、特に、宿舎を用意するのに時間がかかったので、ホテルでの滞在が長くなった。
   社用の郵便物は郵便局で処理したが、個人的な手紙などは、気軽に、フロントに依頼して処理していた。
   ところが、ある日に、日本とのコンタクトがあって聞いてみたら、郵便物が届いていないことが分かった。大切な手紙もあって随分礼を失して困ったことにもなった。
   用心して、書留にした私のその手紙だけは届いていたが、同僚の郵便物も全然届いていなかったのである。
   フロントやマネージャーに問いただしたが知らぬ存ぜずで埓が開かず、こんな国でこれから仕事をせねばならないかと、腹をくくった。
   ラテン系には、仕事では、カルチュア・ショックの連続であった。

   念のため、ブラジルについてお知りになりたければ、私のブログの左欄カテゴリーの「BRIC’sの大国:ブラジル」の23篇をお読み頂ければ良く分かります。
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イングリッシュ・ブレックファスト

2024年04月04日 | 海外生活と旅
   今朝、久しぶりに、家族でロイヤルホストに出かけて朝食を取った。
   出張や旅行など外出するときには、朝食をレストランや気の利いた喫茶店などで取っていたが、最近では殆どそんな機会はなかった。

   とにかく、ファミレスなので、朝食メニューは結構揃っていて、その中に、イングリッシュ・ブレックファストがあったので、懐かしくなってこれをオーダーした。
   もう随分時間が経ったので記憶は薄れているのだが、ロンドンに5年間住んでいて、それに、その後何回もイギリスに行っているので、あっちこっちで、イングリッシュ・ブレックファストにはお世話になっている。

   外国旅行をしていると、大概のホテルは、比較的シンプルなコンチネンタル・ブレックファストで、似たり寄ったりなのだが、イングリッシュ・ブレックファストは、全く違っていて、桁違いに多種多様でボリュームがあるのである。
   私など、朝食後精力的に動き回っていたので、適当なレストランを見つけてゆっくりと昼食を取ることがままならなかったし、とにかく、米国流のファストフードなら別だが、ヨーロッパでは真面なレストランに入れば短時間で済むわけがないので、どこで昼食を取っても良いようにしておく必要があり、そんなこともあって、イギリスでは、タップリとしたイングリッシュ・ブレックファストを重宝していた。
   イギリスの色々なところで色々なイングリッシュ・ブレックファストを経験していたが、このブログの「欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)」の「28 イングリッシュ・ブレックファスト」で、私の所属していたジェントルマン・クラブRACの例を紹介しているので、少し引用しながら説明してみたい。
   自分のクラブなので、宮殿のような建物のRACをロンドンでの定宿にしていたので、存分に典型的なブレックファストを賞味してきたということであろうか。

   朝起きて、メンバーズ・ダイニングに行く(当然スーツ着用)と、ウエイトレスがおもむろに席に案内してくれ、私は、バーカウンターにあるFTやTHE TIMESを持ち込み、席に座る。オーダーを取りに来るので、多少メインは変わるが、何時も迷わず、フル・ブレックファストをオーダーする。
   メニューには、イングリッシュ・ブレックファスト等と野暮な表示はなく、THE CLUBHOUSE BREAKFASTである。
   CONTINENNTAL BREAKFASTに次のものが追加される。
   まず、第一は、私の何時も注文するもので、
   たまご2個(ポーチ、フライ、スクランブルか、ボイル何れか)、アイルシャーのベイコン、カンバーランドのソーセイジ、ブラックプディング、ロースト・トマト、グリル・きのこ、そして、刻んだキャベツとジャガイモと肉の炒め物(Bubble and Squeak)である。
   他の選択として、マン島のニシンの燻製、スモークサーモン、フィンナンのタラ、ブルックランドの朝食オムレツ、或いは、メイプル・シロップのパンケーキ、と言ったところ。
   私は、魚料理を注文することもあるが、大体新鮮ではなく塩辛いので、やめることが多い。
   それに、ジュースとブラックかホワイトのトースト、それに、コーヒー。このトーストは、3角形で薄く焼け焦げ状態で、たっぷり、バターとジャムを塗って食べると頂けるが、豊かなフランスパンとは大分違う。
   安いか高いか、これが、12.5ポンド、約2.500円であった。
   口絵写真は、その時サーブされた最初の皿である。

   さて、ロイヤルホストのイングリッシュ・ブレックファストのプレートは、下記の写真の通り。
   イングリッシュブレックファスト English breakfast
   1,230円(税込1,353円)
   フライエッグにグリルトマト、ベーコン、ベイクドビーンズ、ソーセージを盛り合わせた英国スタイルのモーニングプレートです。と言うことである。
   イングリッシュ・ティの場合もそうで、日本でサーブされているイギリスものは、実際とはかなり違うのだが、
   まあ、日本だから、こんな所であろうかと思いながら、懐かしく頂いた。
   
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鎮守の森のヤブツバキを思い出す

2024年04月03日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   椿に魅せられて栽培を続けて久しいが、私の椿に対する記憶は、もう何十年も前の幼少期に始まる。
   特に印象に残っているのは、村はずれの神社の境内にあったヤブツバキの大木で、落ち椿が地面を鮮やかに赤く染めていたのを覚えている。
   鎮守の森のヤブツバキである。
   参道の両側を、椿の鬱蒼とした大木に覆われると薄暗くなるほどで、何故だか、椿と言えば大木のイメージしか残っていないのが不思議である。

   この口絵写真は、わが庭に植わっているピンク加茂本阿弥の実生苗の赤い椿だが、一寸違うが良く似た雰囲気の椿であり、赤い一重の花弁と黄色い筒蘂が特徴である。
   今でこそ、園芸種が多くなって、このヤブツバキを見かけることが少なくなったが、あの頃、宝塚の田舎で植わっていた椿は、総べてと言って良いほどヤブツバキであった。
   関東に来てからは、公園や住宅の庭などで、ピンクの乙女椿を見かけることが多くなったような気がしている。
   佐倉にいた時に、城址公園で昔見たヤブツバキの大木群を見て、懐かしくなった。

   このツバキは、青森県の夏泊半島の椿山が北限で、南限は沖縄の西表島から台湾に及んでいて、学名は、カメリア・ジャポニカ、
   安達瞳子さんは、
   世界数千に及ぶ園芸品種の内、3分の2は、このジャポニカの赤い血が流れている。とくに優れた諸形質を持っているためであろう。我が国が誇るべき常緑の花木であり、世界の母樹である。と言っている。
   花弁の赤色はバリエーションがあるようで、白花もあるという。
   わが庭での実生苗は、すべて雑種だろうが、朱色や赤色が濃くて深みのある花が咲くと嬉しくなる。
   
   

   椿は、他家受粉植物なので、虫媒花であり鳥媒介によって絶えず自然に新種が生まれており、育種家の交配によっても新しい椿が作出されているので、どんどん園芸品種が増えていくのであろうが、遺伝子組み換えはどうであろうか。
   青いバラのように、青い椿が生まれるかも知れない。
   尤も、新種に興味を持つ歳でもなくなったので、今付き合っている椿を大切にしたいと思っている。
   
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椿:天賜咲く、そして、花富貴

2024年04月01日 | わが庭の歳時記
   椿の天賜(てんし)が咲きだした。
   この椿は、淡い桃色の地に底白の一重椀咲きで、黄色い筒しべがアクセントの清楚な花である。
   沢山花が咲くとそれ程でもないが、小苗で、一輪咲いているとビックリするほど美しくて、私もそれに魅せられて、最初に園芸店で買った椿の一つである。
   蘂がハッキリしているので、結実して、千葉で育てた実生苗を鎌倉で植えたのだが、雑種なので、どれがどれだか分からない。
   今の庭植えの天賜は、新しく買った椿である。綺麗に咲いて楽しませてくれているが、底白ぼかしが弱いのが気になっている。
   
   

   咲き続けているのは、花富貴、
   この椿も抱え咲きで、完全に開ききらないところが良い。
   
   

   花富貴は派手ながら日本の椿という風情だが、
   マーガレット・ディビスは、バラに近い感じで、どう見ても西洋の花の雰囲気。
   別な木も咲き始めたのだが、枝変わりの苗木であったのか、花の雰囲気が違っていて面白い。白地が赤みを帯びて美しい。
   洋椿の典型のようなエレガンス・シュプリームの挿し木苗が咲き出した。タキイで買ったときには、ほんの20センチほどの小苗で、成長するかどうか心配で、10年に1㍍くらいしか伸びないと言うことであったが、挿し木苗の2本は、既に親木を越えて大きくなって綺麗な花を咲かせている。
   
   
   
   
   
   
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ボッカッチョのデカメロンを読もうと思う

2024年03月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ボッカッチョのデカメロンを読もうと思って、平川 祐弘 訳の「デカメロン」を買った。
   2012年刊で古書しかないので、「日本の古本屋」でネットショッピングした。幸いにも新本で、少し安く手に入った。
   定価6600円、800ページ近くの大著で、
   いま、清新なルネサンスの息吹が甦る!
ペストが猖獗を極めた十四世紀イタリア。恐怖が蔓延するフィレンツェから郊外に逃れた若い男女十人が、おもしろおかしい話で迫りくる死の影を追い払おうと、十日のあいだ交互に語りあう百の物語。人生の諸相、男女の悲喜劇を大らかに描く物語文学の最高傑作が、典雅かつ軽やかな名訳で、いまふたたび躍動する。挿画訳60点収録。と言う本である。
   
   「デカメロン」については、好色本と言ったあまり評価の高い本ではないという認識しかなくて避けていたのだが、
   平川裕弘のダンテの「神曲」や「神曲講義」などを読んでいると、ボッカッチョはダンテの権威であり崇拝していて、「神曲」と甲乙つけがたい貴重な本だということなので、より当時の時代背景なども知りたくて、読むことにしたのである。
   「デカメロン」は、「三つの指輪」や「鷹の話」など断片的には知っている程度で、直接には全く読んだことがないので、100話をどう読むか、
   毎日読書を続けている専門書の合間に、2~3話ずつ拾い読みしていくのがよさそうである。

   まず、予備知識として、平川教授の「解説」を読んでみた。
   70ページに及ぶ詳細で丁寧な解説で、ダンテ「神曲」でも重宝したのだが、今回も周辺知識の補強に役に立つ。

   まず感じたのは、宗教に対する両者の違い、
   宗教の退廃について、ダンテは強く糾弾しているのだが、それよりも危険なのは、ダンテ本人を含むキリスト教至上主義者の態度そのものにあるとして、ボッカッチオは、堕落腐敗よりも更に大事な問題点である原理主義的徹底性の危険性を自覚していたのではないか、と述べている。
   ダンテはキリスト教西洋最高の詩人であり、一方ボッカッチオはヨーロッパ最大の物語作家で、ダンテに傾倒しながら、それでいて畏敬の念の奴隷にならなかった。この両作品を一望の下におさめるに当たって偏狭な信仰の目隠しを脱して広角の文化史的パノラマの中に初期ルネサンスの詩と散文を享受し得る。と言うのである。

   ボッカッチオは、国際政治についても、地中海貿易の実務に携わっており、キリスト教世界内部の「正論」を声高に唱えたりはせず、キリスト教徒とユダヤ教徒とイスラム教徒の平和共存を主張していた。 死後の生命よりも生きている間の方が大切であり、寛容を穏やかな声でわらいをまじえながら語った人だったのである。
   寛容はキリスト教の教義からではなく、地中海世界での実際の平和共存と言う生活様式の問題として主張されるようになり、良識派の人々が主張しかねていたのを、ボッカッチオが、巧みな物堅い形式を借りて「デカメロン」で書いた。
   人間の良さも悪さも知り尽くして、その上で滑稽な話、哀れ深い話、またふしだらな艶笑談も書いて、自分で笑い、人をも笑わせる人間性の豊かな人であったので、ダンテのように当世の堕落を告発する義憤癖にはついて行けなかった。 他人の退廃を糾弾する自己正義的な態度の潜む倨傲をいちはやく察していた。理想を掲げる人は得てして相手を侮蔑するひつようにせまられるがその種の正義感を片腹痛いものに思っていたに相違ない。と述べている。

   蛇足ながら、私は、欧米などのめぼしい博物館や美術館を回って沢山の絵を見てきたが、ダンテの「神曲」やギリシャ神話や聖書などをテーマにした絵画作品を結構観てきたものの、「デカメロン」を扱った作品を観たことがない。やはり、艶笑話などの所為なのであろうか。
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椿:花富貴、マーガレット・デイビス

2024年03月29日 | わが庭の歳時記
   濃いピンクの優雅な椿花富貴が咲き出した。
   園芸店で買ってすぐに庭植えしたので、大きくなるまでに時間がかかってやっと咲いたと言う雰囲気である。
   千葉の庭ではリビング正面の主木だったので、咲き乱れると一気に庭が明るくなって楽しませてくれた。
   
   
   
   

   オーストラリア産のマーガレット・ディビスも咲き出した。
   白地に紅覆輪の派手な椿だが、花心は牡丹咲きであろうか、わが庭には3株植わっているが、それぞれ、咲く時期も違えば花弁の様子も違っていて面白い。
   
   
   

   面白いのは、バレンタインデーが、枝によって花弁の様子が変ってきたことである。
   至宝が開花し始めてきた。今年は、完璧な形に咲いた花をみたいと思っている。
   
   
   
   

   下草は、シャガ、ハナニラ、
   牡丹が芽吹き始めてきた。
   庭師に根元から切り取られていた株に新芽がでている。何年かで復活するかも知れない。
   
   
   
   
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フランシス・フクヤマ 著「リベラリズムへの不満」

2024年03月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   本書の帶に大書された『歴史の終わり』から30年。自由と民主主義への最終回答。と言うこの本。
   日本語版のタイトルが誤解を招くのだが、原題は「Liberalism and Its Discontents」で、「リベラリズムとそれに対する不満」である。
   著者は、序文冒頭で、「この本は、古典的リベラリズムの擁護を目的としている。」と述べている。
   ここでは、マクロスキーの「人道的自由主義」を指しており、法律や究極的には憲法によって政府の権力を制限し、政府の管轄下にある個人の権利を守る制度を作ることを主張している。と言う。
   近年、リベラリズムが右派のポピュリストや左派の進歩派から激しい攻撃を受け、深刻な脅威にさらされているが、それは、その原理に根本的な弱点があるからではなく、この数十年の間のリベラリズムの発展の仕方に弱点があるからで、たとえ欠点があったとしても、平等な個人の権利、法、自由が基本的に重要であるリベラリズムは、非リベラルな代替案よりも優れていることを示したい。として、
   リベラルな体制を支える基本原則に焦点を絞り、欠点を明らかに、それに基づいて、どう対処すべきか提案する。と論陣を張る。

   興味深いのは、リベラリズムは「民主主義」に包含されているが、
   「民主主義」は、国民による統治を意味し、普通選挙権を付与した上での定期的な自由で公正な複数政党制の選挙として制度化されている。
   リベラルとは、法の支配を意味し、行政府の権力を制限する公式なルールによる制度である。として、世界大戦後普及した制度は、「リベラルな民主主義」と言うのが適切だという。

   この本は、私にとっては、リベラル史を縦軸にした政治経済体制史と言った感じであったのだが、興味があったのは、経済的側面で、
   歴史的に見れば、リベラルな社会は、経済成長の原動力であり、新技術を創りだし、活気に満ちた芸術と文化を生み出した。まさにリベラルであったからこそ起ったことである。と言う指摘。
   その例はアテネに始まって、イタリアルネサンス、そして、リベラリズムのオランダは17世紀に黄金時代を迎え、リベラリズムの英国は産業革命を起し、リベラリズムのウィーンは絢爛豪華な芸術の華を咲かせ、リベラリズムのアメリカは、数十年にわたって閉鎖的な国々から難民を受け入れながら、ジャズやハリウッド映画からヒップホップ、シリコンバレーやインターネットに至るまで、グローバル文化を生み出す地となった。

   面白いのは、経済思想におけるリベラリズムが極端な形で行き過ぎた「ネオリベラリズム(新自由主義)」への変容で、
   ミルトン・フリードマンなどのシカゴ学派・オーストリア学派が、経済における政府の役割を鋭く否定して、成長を促進して資源を効率的に配分するものとして自由市場の重要性を強調した。
   更に進んで、国家による経済規制を敵視し、社会的な問題についても国家の介入にも反対し、福祉国家にも強く反対する「リバタリアニズム(自由市場主義)」の猛威。
   市場経済の効率性については妥当だとしても、それが宗教のようになって国家の介入に原理主義的に反対するようになった結果は、世界的金融危機を引き起こし、経済格差の異常な拡大など資本主義経済を危機的な状態に追い込んだ。

   興味深い指摘は、新自由主義イデオロギーがピークに達した時に崩壊した旧ソ連は、その最悪の影響を受けたこと。中央政府が崩壊すれば、市場経済が自然に形成されると多くの経済学者は考えた。透明性、契約、所有権などに関するルールを強制できる法制度を持った国に厳格に規制されてこそ市場は機能することを理解していなかった。その結果、ずる賢いオリガルヒに食い荒らされ、悪影響は現在も、ロシア、ウクライナなどの旧ソ連圏の国々で続いている。と言う。「歴史の終わり」の裏面史で面白い。

   フクシマの本は始めて読んだのだが、私の専門の経済や経営の分野ではないので、思想家や哲学者たちの学説や専門用語などが出てきて、多少戸惑いを感じた。
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庭に出て花木の咲き具合を見る

2024年03月25日 | 生活随想・趣味
   今日も元気で過ごせそうだと寝起きが良いと幸せを実感する。
   もう傘寿を越えると朝起きて始めるのは、何時ものルーティンで、まず、カリタでコーヒーを煎れてスコーンの朝食を取る。
   日経を、まず、パラパラと捲って目を通し、パソコンを立ち上げて、メールやニュースをチェックする。

   そして、天気の良し悪しに拘わらず、庭に出る。
   一夜でそれ程変化があるわけではないが、それでも、春になって陽が長くなり暖かさが増してくると、思わぬほど花木や草花が変化を見せて、開花が速くなる。

   この口絵写真は、椿至宝の挿し木苗の一輪だが、ほんの2~3日で咲ききった。
   まだ、30㎝ほどの小苗だが、多少歪ながらも、親木と変らない花を咲かせている。
   育種店から買った親木や大きくなった挿し木苗の蕾は、まだ少し固いのだが、至宝が赤紫の優雅な姿で、桜が満開になった頃には咲き乱れる。
   

   冬に寒肥を施肥したので、問題はないのだが、新芽が出始めて、ぼつぼつ、花木も動き出してきたので、液肥を施している。
   天気が良くなったら、薬剤散布を行おうと思っている。ガーデニング作業の始まりである。
   今朝、鶯が我が家の庭に来て囀っていた。
   来月になれば、もっと椿も咲き出すので、賑やかになる。
   
   
   
   
   
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