熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

久しぶりの旅:佐渡旅行(7)

2022年07月06日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   佐渡汽船のジェットフォイルで両津に着くと、口絵写真の看板が、観光客を迎えてくれる。
   佐渡観光のハイライトは、トキであり佐渡金山なのであろうが、私は、どちらにも行かなかった。
   興味がなかったと言えばそれまでだが、今回は、日蓮大聖人と世阿弥に思いを馳せる旅であったこともあって、時間的な余裕もなかった。

   それと、しみじみと感じたのは、あれも見たいここにも行きたい、好奇心旺盛で何でも体験してやろうと意気込むのが旅の醍醐味だとすれば、それは、若いときに限る、と言うことで、老年になってからの旅は、しみじみと人生を思う思索の旅のような気がしたことである。
   若くして米国留学に恵まれ、壮年期から熟年期に掛けてヨーロッパ中心に海外生活が長かったので、随分色々な所をエネルギッシュに行脚し続けて、見るべきものは見たと言う心境に近づいたのも、若くて元気であったからこそ、できたことで、今では到底無理である。
   孫娘の保育所と幼稚園の送り迎えから解放されてたので、フィラデルフィアへのセンチメンタルジャーニーとニューヨークへの文化芸術鑑賞旅に出ようと思ったのだが、コロナ問題以外にも、アジア人へのヘイトクライム問題や自分自身の体力に自信が持てなくなってきたこともあって、逡巡している。第二の故郷と思って自由気ままに闊歩していたはずのアメリカが遠くなってしまったのである。

   さて、学生時代からの趣味であった古社寺散歩であるが、佐渡にも、それぞれ趣のある神社仏閣があって、興味深いのだが、最も印象に残っているのは、やはり、五重塔がある妙宣寺であった。
   佐渡流罪後、大聖人に最初に帰依して夜陰に紛れてお櫃を背負って三昧堂に通い続けた阿仏坊ゆかりの寺である。
   その誠実な人柄を認めて、「阿仏坊さながら宝塔、宝塔さながら阿仏坊」、阿仏坊こそ生きた仏身、宝塔なのだと賛美されたほど高徳に人物で、この五重塔は、実はその開山を祀る堂なのだという。
   文政8年(1825)に建立されたと言うので比較的新しい。建築様式は和様の三間五重塔婆で、屋根は宝形造桟瓦葺(旧こけら葺)、天辺に江戸風の相輪を備え、全高約24メートル、初層の各辺3.6メートルで、柱に杉材、上物に松材、組物に欅材が使用されている。と言う。
   本堂近くに、綺麗に手入れされた池を配した庭園があるなど境内は魅力的で、観光客が多い。
   すぐ近くに、能楽堂のある大膳神社があるのだが、ここへは、訪れる人はいなかった。
   
   
   

   今回の旅で、印象深かったのは、久しぶりに、魚介類を中心とした会食料理を頂いたので、佐渡のご飯と地酒が、実に美味しかったということである。
   美しい棚田があることは知っていたが、時間がなくて見る機会がなかった。
   まだ、秋の収穫期には間があるので、稲が根付いてしっかりと成長を始めた時期だが、強い風に吹かれて靡く姿が印象的であった。
   しかし、水田だと思うのだが、田んぼには殆ど水がなく、陸稲の雰囲気であった。
   北雪酒造では、佐渡米を使って醸造していると言っていたので、地酒も、この佐渡の大地と自然の為せる技なのであろう。

   さて、順徳上皇や日蓮大聖人や世阿弥の頃は、どうだったのであろうか、ついつい、つまらないことを考えてしまう。
   大聖人の佐渡の初期は、厳寒の中、風雨が吹き込む破れ一間四方の陽の当たらない御堂で、食うや食わずの日々を送られていたのであるから、佐渡の自然の恵みからは程遠かったのは事実であろうが、さて、何の咎で配流されてきたのか分からなかった世阿弥は、どうであったのであろうか。
   
   
   
   
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わが庭・・・ゆり・シルクロード咲く

2022年07月05日 | わが庭の歳時記
   梅雨の合間に咲くのが、アジサイとゆり、
   ゆりにも種類があって、他の種類はまだ蕾が固いのだが、カサブランカ系統のゆりは、開花が早いようである。
   この鎌倉に移ってきてから、カサブランカ系統のゆりを随分庭に植えたのだが、このピンクのシルクロードだけが残って、白いカサブランカや黄色いコンカドールなど全部消えてしまった。
   オランダでは、気候に恵まれていて、どんな球根も植えっぱなしで良いのだが、日本には、梅雨があるので、球根は掘り起こして翌年を迎える方が良いのだろうが、レィジーな素人ガーディナーには億劫であり植えっぱなしにしている。
   カサブランカもオランダで作出された花なのだが、民家の前庭の花壇に咲き乱れていた花の中には、あまり、ゆりの花を見かけなかったような気がしている。
   
   
   
   

   花壇にツメキリソウが張り出してきた。
   椿が、花芽を着け始めた。晩秋からの開花が楽しみである。
   ブルーベリーの実が大きくなってきた。
   この台風崩れの熱帯性低気圧が過ぎていったら、本格的に熱い夏になるのであろう。
   水害も心配だが、水瓶の水量が回復して、渇水が避け得て、水不足にならないように祈りたい。
   
   
   
   
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久しぶりの旅:佐渡旅行(6)

2022年07月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今度の佐渡旅行は、72歳の老耄の涯に、お上をないがしろにしたと言う覚えなき理由で、将軍義教に、佐渡流謫の刑に処された世阿弥を偲ぶ旅でもあった。
   しかし、世阿弥が最初に立ち寄った長谷寺の門前に立っただけで、世阿弥の佐渡に於ける遺跡やゆかりの場所には、一切立ち寄らなかった。
   日蓮大聖人の故地を訪れているうちに、場所は正確な位置であったとしても現状は様変わりで、むしろ、抱いていたイメージと全く違った印象に陥ってしまうのに戸惑いを感じたからである。
   まず、単純は話、先日読んだ藤沢周の「世阿弥最後の花」のイメージを壊したくなかったし、私が多くの世阿弥の能の舞台を観たり本を読んで培世阿弥の世阿弥の世界を壊さずに、この地で、世阿弥が晩年を過ごしたと感じさえすれば、それで良かったのである。

   余談になるが、例えば、ストラトフォード・アポン・エイボンの路地に迷い込むと、今にも、シェイクスピアが飛出してくるような錯覚に囚われたり、ヴィッテンベルクに行けば、マルティン・ルターが、大聖堂の壁に「九十五ヵ条提題」を貼り付けた宗教改革のはしりの雰囲気が分かるような気がした。それがないのである。
   石と煉瓦の文化には、歴史を封じ込める要素があるが、日本の木と紙の文化には、悲しいかな、紆余天変が激しくて、すべてを忘却の彼方に消し去ってしまう。

   さて、「京都は着倒れ、大阪は食い倒れ。佐渡は舞い倒れ、という言葉があるとかで、佐渡には、日本の能舞台の3分の1が集中しているほど、能の盛んな土地だと言うことである。
   世阿弥が、将軍足利義教によって佐渡に流罪となったのは、永享6(1434)年5月であるから、その影響があったのかどうかは不明だが、藤沢周は、世阿弥がその種を蒔いたことを小説で匂わせている。
   佐渡芸能によると、
   佐渡の能楽の始まりは、慶長9(1604)年、佐渡代官として渡島した大久保長安が、能楽師常太夫・杢太夫、そのほか脇師・謡・笛・太鼓・大鼓・小鼓・狂言師一行をつれてきたことによります。そして、寛永12(1635)年、佐渡奉行伊丹康勝が相川の春日社の祭礼に能を奉納しました。また、正保2(1645)年も、能楽師常太夫が登場することもあるので、大久保長安とともに来島した人物が襲名した二代目と思われます。いずれにしても、この2人によって佐渡の能の基盤は作られました。

   私は、実際の能舞台に接したくて、大膳神社に出かけて、境内の広い庭に立つ野ざらしの能舞台を観に行った。
   東京で見慣れている能舞台は、ビルの中や立派な建屋の中に鎮座まします冷暖房完備で、照明や音響設備の整った近代的な劇場だが、本来の能舞台は、稲穂の靡く田園地帯の森に、このように野ざらしで、風雨をものともせず存在するのである。
   
   

   佐渡伝統芸能館では、京の都につながる伝統・芸能・文化を再現と言う形で、佐渡へ配流されてきた3人のロボットが、時代を超えて佐渡の昔へタイムスリップして、故事来歴を演じる。
   世阿弥は、能舞台に立って、雨乞いの能を舞う。
   正法寺に、世阿弥がこの時掛けて舞ったという「神事面べしみ」があり、藤沢周が感動的な舞台を展開しているので、世阿弥にとっては、佐渡での最も重要な営みであったのであろう。
   
   
   

   泊まっていたホテル佐渡リゾートホテル吾妻のロビーに、鏡板が設えられていて、能人形が一体ディスプレィされていた。
   やはり、能の島である。
   私の観能は、殆ど、国立能楽堂などで演じられる最高峰の能なので、佐渡で地方の能を観たいと思ったのだが、残念ながら、1週間ずれていてチャンスをつかめなかった。
   
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久しぶりの旅:佐渡旅行(5)

2022年07月03日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   日蓮大聖人について、佐渡流罪に関する本を探してみたが、思ったほどなくて、本間守拙著「日蓮の佐渡越後」と田中圭一著「新版 日蓮と佐渡」。
   前者は、サブタイトルが遺跡巡りの旅なので、観光案内書という位置づけだが、佐渡出身の種々キャリアを積んだ僧侶であるから相当重量のある大聖人論を展開していて興味深い。
   後者は、佐渡出身の歴史学者の著書で、師から民衆不在の佐渡史の指摘を受けて、「日蓮の書き残した主張・教学と、流人日蓮を育んだ島人、村落とは無縁ではあり得ない」と考えて、「多くの消息文や日興が発給した多くの本尊などを歴史解明の第1の手がかりとして、第2に日蓮の住んだ村々を問題の糸口として、村落や在家を調べる作業を続けて、今日までの日蓮の遺跡に全面的に検討を加え、多くの疑問を正し、後世の潤色を剥がして、佐渡に於ける本当の日蓮像とその足跡を著したと言う貴重な学術書である。佐渡を知り尽くした歴史学者が、大聖人の御書や関係書類、それに、歴史的な古文書や膨大な資料を検討し尽くして、佐渡の関係地方を悉く踏破し克明に検証して、「日蓮の佐渡に於ける真実に迫る」のであるから、感動的である。
   実際的にも、日蓮大聖人の生涯は、承久4年(1222年)2月16日- 弘安5年(1282年)10月13日とされており、現存する佐渡にある日蓮ゆかりの寺院仏閣など遺跡の大半は、生誕800年、それ以降に建設されたものであるので、そのものが、正確な故地であり遺跡であるかは、疑問なしとしないのは当然である。

   さて、まず、何故、大聖人が、佐渡流罪となったのか、田中圭一教授の前著を借用して要約すると、
   1260年、日蓮は、時の最高権力者北条時頼に、「立正安国論」を上程し、法華経を持って国を治めなければ、自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(外国からの侵略)の二難が起こると警鐘を鳴らした。「御尋ねもなく御用いもな」く、一ヶ月後草庵を多くの念仏者たちが襲撃して、辛くも難を逃れて鎌倉を逃れるが、鎌倉に戻ると逮捕されて伊豆に流罪となる。伊豆流罪赦免後、故郷の安房に戻るが、小松原で地頭東条景信に襲撃され、重傷を負い幾人かの門弟を失う。南無妙法蓮華経を弘通し始めて以来受難の連続である。
   しかし、鎌倉では、「立正安国論」で嘆いたとおり、地震や火災など災難が続き、勢いを増してきた蒙古から牒状が届き他国侵逼難が俄に現実味を帯びてきた。日蓮は一貫して「立正安国論」の節を曲げず、南無妙法蓮華経を」用いなければ国が滅びると警告し続けて、諸宗に対する批難をより強めて、公の場での問答対決を幕府に求め続けた。
   当時の日本国内は、天変地夭が続き、外からは蒙古の属国となることを迫られ、鎌倉は酷い旱魃で、幕府に命じられて極楽寺良観が何百人もの僧を集めて雨乞いをしたが、ついに雨は降らなかった。
   面目を失った良観の嫌がらせや謀計、諸宗の僧等は日蓮を憎み、様々な讒言を幕府にたれ込み、それに結託した幕府の弾圧など、一門の苦難は続く。
   釈迦が本懐を明かされた真実正直の教えは法華経のみで、法華教以前に説かれた爾前経は、方便の経、真実を明かしていない仮の教えであると、真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊として、エスタブリッシュメントたる幕府とそれを信仰する諸宗派を、徹底的に否定して糾弾するのであるから、誹謗中傷、弾圧は勿論、松葉が谷、小松原、龍ノ口など襲撃や法難に遭遇し、伊豆や佐渡への流罪など苦難の連続、
   権力を握っていた当時の政教複合体が、徹底して日蓮一門を迫害弾圧したということであろうか。
   評定所に呼ばれて、侍所所司平左衛門尉頼綱から尋問を受けたが、この時も日蓮は多くの経文を引きながら「立正安国論」の自説を展開したので、頼綱は逆上した。更に、「立正安国論」を添えて送付し諫暁したので、頼綱は数百人の兵士を引き連れ日蓮を逮捕する。
   その夜、頼綱はいきなり日蓮を斬首しようと、腰越・龍ノ口の刑場に連行し、刑を執行しようとしたら光り物が宙を舞い異変が起きて、兵士達が怖じ気づいて刑を免れる。佐渡守護代・本間六郎左衛門重連の館に拘束され、日蓮に対する処罰を決めかねていた幕府は、ついに佐渡への配流を決定する。
   これが、佐渡流罪までの経緯だが、佐藤賢一の「日蓮」を読み、長谷川一夫の映画「日蓮と蒙古大襲来」などを見れば、その一端が分かる。
   
   佐渡に到着して、最初の配所が、塚原の墓地の破れ三昧堂、
   ”十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ、十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり、・・・”
   これが、塚原の三昧堂だが、ここで、いきりたつ諸宗派との「塚原問答」を受けて立ち、悉く論破したので、阿仏坊などの信者を得て、監視役の本間重連や天台の学僧最連房までもが帰伏した。「開目抄」も著した。

   さて、この塚原の三昧堂だが、現在、両津と真野を結ぶ県道南線沿いの新穂村大野の「根本寺」が継承している。
   しかし、先の田中圭一教授の検証で、「日蓮遺文」と付合する地は、現在の目黒町熊野神社から共同墓地までを「塚原」だと推定されて、田園地帯の真ん中に、日蓮正宗建立塚原跡碑が建っている。
   いずれにしても、当時の面影を偲ぶ縁は微塵もないが、瞑目して時空の彼方に思いを馳せる。
   
   
   
   
   

   もう一つ、大聖人に取って重要な配所は、一谷。
   国道350号線の鍛治町から北に入り石田川沿いに町道を進むと、妙照寺につく。
   残念ながら、昔ながらの茅葺きの荘厳な本堂と客殿庫裏などが、昨年12月の火災で消失してしまい、平地になった本堂跡を再建のために業者が測量に入っている。消失前の本堂写真は、インターネットから借用した。
   「観心本尊抄」を著した2年半の草庵跡は、西手の小高い丘の中腹にある祖師堂が昔を忍んでいるという。
   
   
   
   この佐渡にも日蓮大聖人の感動的な逸話などナラティブがあるが、イメージが湧かないので、省略する。
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久しぶりの旅:佐渡旅行(4)

2022年07月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   矢島・経島を出て、海岸線45号線を東にとって、松ヶ崎の手前の多田で左折れして181号線を北上して山の中に入って根本寺を目指した。
   この間、そして、それ以降も、日蓮大聖人の故地や古寺を訪れているが、この関係については、後日纏めて書いてみたいと思っている。

   ところどころ集落らしき所に近づくと波打ち際に漁船が乗り上げていて、漁師の住居が並んでいるのだが、街道沿いには、めぼしい店もなければ家がぽつりぽつりある感じで、関東の雰囲気とは全く違った風景が続く。
   
   
   

   赤泊に近づいたところで、道路沿いに、北雪酒造の看板が見えた。
   昨夜、飲み比べで飲んだ佐渡の地酒で、辛口で好みに合った酒で、名前を覚えていたので、車を止めて店に入った。
   適当に選んで買ったのだが、
   私は、地酒については、その土地の食事と一緒に頂いて、最も美味しい酒であって、どの地方のどこで飲んでも美味しいというのとは一寸違うような気がしている。
   これは、ドイツの地ビールが、その土地の食事、例えば、駅前で一寸一杯と言うのなら、フランクフルトならフランクフルター、ニュールンベルグならニュールンベルガー、ウィーンならウィンナーと言ったその土地のソーセージに一番合うのと同じで、フランスやイタリアの地方で食事をするのなら地ワインに限ると思っている。
   コーラもアメリカで飲んだときには美味しかったが日本では飲む気がしないし、典型は、ブラジルのガラナ―(コーラのような国民飲料)を日本に持ち帰って飲んだら飲めなかったのである。
   監査で、日本各地を回ってあっちこっちで会食をしてきたが、名前を聞いたこともないような上等な地酒で頂いて至福の時間を過ごせた経験がいくらでもある。

   尤も、ヨーロッパでは、ミシュランの星付きレストランでは、すべてワインはソムリエ任せで、蘊蓄を聞き置くだけで、何をどう飲んだのかなど覚えていないが、日本でも欧米でも、高級ディナーでは、グローバル水準の似つかわしい酒やワインがあるのであろうが、また、次元の違った話である。
   
   

   その日は、佐渡の繁華な中心を抜けて、西側の七浦海岸に出て、相川の佐渡リゾートホテル吾妻に泊まった。
   七浦海岸は、海檀・岩礁の続く独特な海岸で、夕日が美しいというので、大いに期待したが、幸い、西の空は晴れていて雲が薄い。
   ホテルは、高台にあって遮るものはなく絶好のポジションである。
   
   
   
   

   夕食は、広い立派なダイニングルームで、結構賑わっているのだが、無粋なコロナ対策のアクリルカーテンがないのが良い。
   やはり、海鮮料理の豪華なディナーで、地酒の伴奏で楽しませて貰った。
   
   
   

   このホテルの建物は、南北に細長いので、南側に面した客室の窓からは、西の海に沈む夕日は直接見えないし、同じ方向のレストランからも見えない。
   丁度、夕日が波間に近づいて真っ赤に空が染まり始めた頃に、係の人が、食事のテーブルはそのままにしてと言って、外に誘導し、広々とした西に傾斜した芝生の美しい広場に誘う。
   まさに、この写真のように美しい佐渡の七浦海岸の初夏の落日である。
   
   
   
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久しぶりの旅:佐渡旅行(3)

2022年06月30日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   第2日目は、旅館「花の木」をゆっくり出て、宿根木集落に向かった。
   回船業で栄えた江戸時代の街並みが残っていると言う、石畳の小径に沿って、分厚い船板張りの家屋が肩を寄せ合うように密集する港町である。
   観光ガイドを引用させて貰うと、
   中世から回船の寄港地として繁栄し「佐渡の富の3分の1を集めた」と伝わる宿根木。江戸時代に小木港が整備されると、千石船で全国各地へ交易を展開。舟乗りや船大工など、120戸500人で賑わう千石船の里として、佐渡の中心的集落として発展した。
   しかし、動力船や鉄道の時代に入って一気に衰退、当時の面影をそのまま残した化石のような街並みが郷愁を誘う。
   波打ち際は、既に、港の面影は微塵も残ってはいない。
   尚、集落内の郵便局は閉鎖されていて、近くの高台に現役の郵便局があるが、コンビニも店もない集落であるから、金融など多くの機能を担っているのであろう、板葺きの屋根には石が積まれているのが面白い。
   
   
   
   
   
   
  
   現存するのは、ほんの数十軒だと思うのだが、この集落には、神社もあり、公会堂もあり、郵便局もあり、場違いな感じのような回船主の邸宅も存在する。
   私が興味を持ったのは、集落の端に位置する世捨小径と称する百㍍弱のシックな小径。
   何故、この名前がついたのか不明だと言うのだが、私は、ベニスのドウカーレ宮殿の溜息の橋・嘆きの橋が脳裏をかすめた。罪人が完全に外界から遮断された真っ暗な牢獄へ送り込まれるときに、最後にベニスの青い海を見収める橋である。
   それとも、北海の鄙びた小さな漁港、ここから木っ端のような小舟に乗ってバタビアまで航海して世界を制覇したオランダ人の心意気、
   宿根木の船乗り達は、今生の別れ、世捨て人の心境で、この小径を歩いて、日本海の荒波に乗込んでいったのではないかと、一人感慨に耽っていた。
   日本各地を歩いていると、この緑色の郵便局のようなレトロな木造のこじんまりした公共建物が残っていて、無性に懐かしさ郷愁を感じて嬉しくなる。石や煉瓦造りの古建築ではあるが、そんな雰囲気を求めて、随分ヨーロッパの古い街角や路地を彷徨い歩いていた頃を思い出した。
   
   
   
   
   
   次に訪れたのは、東に向かって、小木海岸の矢島・経島。
   この入江は、海女のたらい船で有名だが、頼政がヌエ退治に使った矢竹はここの産で、日蓮大聖人の赦免状を携えて日朗が漂着したのもこの島、
   浪曲佐渡情話の「お光の碑」が、赤い太鼓橋の左の小高い岩の上(赤いたらい船の左上)に立っている。
   
   
   
   
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久しぶりの旅:佐渡旅行(2)

2022年06月29日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   第1日目は、2時半に両津港のニッポンレンタカーを出て、東に道を取り、姫崎灯台左手にして半島を南下して、南の海岸線沿いの45号線を真っ直ぐ西に方向を取って、松ヶ崎経由で宿根木に向かった。
   途中には、赤泊など適当に集落はあるのだが、小木港までは、殆ど漁村が点々とある程度で、道路も一車線がやっとのところもあり、行き会った車は郵便車だけという寂しさである。
   天気予報は雨であったが、ワイパーを数回回す程度で、時々陽が漏れるなど、助かった。
   
   
   

   この日の宿は、千石船で栄えた宿根木の外れにある「花の木」という小木・宿根木では傑出した旅館である。
   外れと言っても小さな宿根木集落は坂を下った狭い港に密集しているので、やや高台の田園地帯のど真ん中、水田や田んぼに囲まれて林を背にしてぽつんと建つ旅館であるから、カーナビがあっても到着するのに苦労した。
   食事をとる母屋は、150年前の古民家を移築・改築した立派な建物で、林間もどきの庭園を挟んで、二軒の民家風の客室が建っている。
   玄関を入って部屋に上がり、ガラス障子を開け放つと、乾いた涼しい風が吹き上げてきて、クーラーも及ばないほどの涼しさ快適さ、
   目隠しに椿の木が生け垣風に植わっているが、その向こうには田んぼが広がっていて、若い稲が風に靡いている。
   
   
   
   
   

   この旅館で素晴しいのは、フロントフロアーとメインダイニングルームとなっている母屋の空間の豊かさである。
   どこの古民家の移築か聞き忘れたが、黒光りする太い梁は真新しさを失っておらず、高い天井の醸し出す雰囲気は抜群で、これこそ、日本の木の文化の神髄であり、木組みや柱の交差デザインなど、欧米のミシュラン三つ星レストランで経験したインテリアに微塵も遜色がない。
   洗練さと言うよりは温かみのある食事で、一度にではなく、時間をおいてサーブされるのが良く、ゆっくりと、佐渡地酒の伴奏で、心地良く酔わせて貰った。
   
   
   
   
   

   温泉(?)は、車で5分という別室だが、疲れたので部屋の風呂で済ませた。
   久しぶりに和室で布団に寝る。
   夜風の葉ずれの音が心地よく、懐かしい田舎での一夜、
   佐渡に来たという実感が湧いてきた。
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久しぶりの旅:佐渡旅行(1)

2022年06月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   若いときには、出張も含めて旅に明け暮れたような生活をしていたのだが、歳を取ると出不精というか億劫になる。
   しかし、数年前に計画をしながらコロナ騒ぎで諦めていたのだが、長女がレンタカーを、運転するというので、誘われて老夫婦で出かけることにした。
   鎌倉を朝に出て新幹線ときにのり、新潟港から佐渡汽船のジエットフォイルで両津には、早い午後には着く。
   佐渡に2泊、新潟に1泊の短い旅であったが、梅雨の合間ながら、天気予報が外れた感じで、天気に恵まれた。
   東京は猛暑だと言うが、佐渡はかなり温度が低くて涼風が四六時中吹いているので、随分涼しくて気持ちが良かった。

   さて、知床の不幸な船旅を思うと胸が痛むが、何故か、私には連絡船にのって島に渡ると思うと旅情ににた感慨を覚える。
   汽車の旅とは大いに違うのである。
   大学生の時に、礼文利尻、そして、兵庫県人なので、淡路島には何度か、他には、小豆島、因島、その程度なのだが、隠岐、壱岐対馬などにも憧れがある。

   ところで、今回の旅は、佐渡そのものに興味があったのだが、順徳上皇、日蓮大聖人、世阿弥の流罪という暗い影を秘めた歴史を訪ねる興味もあった。
   佐藤賢一「日蓮」、世阿弥に関する藤沢周「世阿弥最後の花」と瀬戸内寂聴「秘花」は、読んでブックレビューも書いている。

   家を出るときにタクシーに慌てて乗って、用心にと思って持って行く筈だった杖を忘れてしまった。日頃使っていないので忘れたのだが、佐渡で古社寺歩きとなるとあった方が良いと思ったのである。
   東京駅の売店で売っている筈はなく、新潟に着いて時間があったので、駅に連結しているビッグカメラに出かけた。
   幸いにも10種類ほど列んでいて、喜んで適当なものを選んでレジに行ったら、これは見本で、全て注文品となっていて、予約して1週間ほど待てという。他で売ってないかと聞いたら調べてくれて、どこも在庫がない、いつ来るか分からないと言う。
   介護器具と言われて、これらは全てそうで、在庫はないので売れないとの一点張り。
   これが、今最も重要な施策である老人問題の最前線の実情だという、信じられないような日本の政治である。
   結局、杖はあってもなくても良かった感じで、不自由はなかった。

   佐渡は、期待に違わず、素晴しいところであった。
   順を追って印象記を綴ろうと思うのがが、まず、風景などの一端を紹介するだけに留めて、今回は、グチついでに、佐渡の印象深い経済変化について書いてみたい。
   
   
   
   矢島・経島
   
   宿根木の世捨小径
   
   相川の夕日
   
   妙宣寺五重塔
   
   大膳神社能楽堂
   
   驚いたのは、両津港の佐渡汽船から北に向かってすぐの両津郵便局から350号線沿いに綺麗な商店街が数百㍍列んでいるのだが、完全にシャッター通りになっていることである。
   最初は、気づかなかったのだが、レンターカーを返すためにガソリンスタンドを探したのだが、全て閉店であり、港の近くを走り回っても開いているスタンドがなく、よく見ればどの店も閉まっている。
   日本レンターカーの人に、今日は日曜日なので商店街の店は休みなのかと常識外れの質問をしたら、ずっと毎日これだという。
   昔は、港を下りた人が歩いて往来する駅前商店街だったが、客が消えたのだという。

   この日、松ヶ崎経由で宿根木に出たので、島の南岸沿いに西端に向かったので、大半は、道も悪くて信号もなく車も殆ど走っていない。迂回路のない一本道なので、何か事故が起これば万事休す。
   阪神間で生まれ育ち京都で学生生活を送り、大阪と東京、そして、米欧で、文明生活にどっぷりと浸かって生きてきた自分には、コンビニもない世界はまさに異次元で、どうして生きていこうか。
   尤も、梅雨明けの木漏れ日に光り輝く佐渡の新緑や海原の青さ、その美しさは格別である。

   さて、両津の客はどこへ行ったのか。
   そう考えれば、実相寺へ行く途中、佐渡市役所近くから350号線に沿って河原田本町にかけて、ヤマダ電機やマツモトキヨシ、ジョーシンなどと言った大型量販店やショッピングセンターが軒を連ねていて賑わっている。
   電車は走っていないし、バスの路線さえ完備しておらず、移動手段は全て車だと言うことになれば、店がどこにあっても良く、品揃いが豊富で全国価格であり、安ければ安い方が良いので、勢いここまで来る。
   零細な個人商店が、太刀打ちなど出来るはずがない。
   それに、前述したビッグカメラのように店でも買えないこともあれば、必ず何でも買える、今流行りのAmazonなどでネットショッピングするに限る。

   もう何十年も前に、留萌駅前の広場からシャッター通りが続いているのを見てショックを受けたが、職がないので、毎年人口が1万人ずつ減っているのだと言っていた。
   引退するまで、監査で全国を回っていたので、多くの中諸都市のシャッター通りを見てきたが、多くの県庁所在地都市でも、地方の中核都市を除いて、目抜き通りが閑散としていた。地方の銀座通りと銘打ったメイン通りの多くがそうなのである。
   久しぶりに、シャッター通りの現実を目の当たりにして、日本の地方の疲弊衰退の深刻さに思い至って暗澹とした。

   佐渡市は、この商店街救済のために、どのような町おこし対策を取ったのであろうか。
   ヨーロッパの古い田舎町を歩いても、旧市街は綺麗に保存維持され生き続けてていて、その実に懐かしいアットホームな雰囲気が心地よいのだが、日本は、ブルドーザーを入れて無粋な乱開発をするのであろうか。
   駅前取りの商店街は、日本人の息吹がムンムンする生活の憩いの場であり交流を育む格好の場でもあったと思うのだが、少しずつコミュニティが消えて行くようで寂しい。
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ジョセフ・ナイ:ウクライナ戦争からの8つのレッスン Eight Lessons from the Ukraine War

2022年06月27日 | 政治・経済・社会
   プロジェクト・シンジケートのジョセフ・ナイ教授の次の論文を紹介したい。
   Jun 15, 2022 JOSEPH S. NYE, JR. Eight Lessons from the Ukraine War

   ロシアのウラジミールプーチンが2月24日にウクライナへの侵攻を命じた時、彼は1956年のブダペストと1968年のプラハでのソビエトの介入に類似したキーウの迅速な支配と政権交代を構想していた。と言う。
   初期の電撃作戦で、一気にキーウを制圧してゼレンスキーを退陣させて、ウクライナを支配できると考えて居たのである。
   しかし、絶大な権力を誇って冷戦時代を仕切っていた一方の旗頭の超大国で、多くの衛星国家を従えていた当時のソ連とは、経済弱小国に成り下がってしまった今日のロシアとでは、そのパワーは桁違いに違っており、プーチンの時代錯誤も甚だしい。
   初期の目論見とは様変わりで、戦争は5ヶ月目に入る膠着状態で、その先は全く見えない。

   ナイ教授は、世界が、このウクライナ戦争から学んでいる(または再学習している)少なくとも8つの教訓があると、次のように列挙している。

   第一に、核抑止は機能するが、それは能力よりも相対的な利害関係に依存している。西側は抑止されてきたが、それはある程度までである。プーチンの脅威により、西側政府は(装備ではないが)ウクライナに軍隊を派遣することができなくなった。この結果は、ロシアの優れた核能力を反映していない。むしろ、それはプーチンのウクライナを重要な国益として定義しているのと、西側のウクライナは重要であるもののそれほど重要ではない関心事だとの定義との間のギャップを反映している。
   第二に、経済的相互依存は、戦争の妨げとはなり得ない。貿易関係を断ち切ることはどちらの側にとっても費用がかかりすぎ、経済的相互依存は戦争のコストを上昇させる可能性があるが、経済的相互依存関係で連携していても、戦争をする。
   第三に、不均一な経済的相互依存の場合には、依存度の低い当事者によって、戦争の武器として利用される可能性はあるが、利害関係が対称的である場合には、相互依存にはほとんど効力がない。ロシアは戦争の資金をエネルギー輸出からの収入に依存しており、ヨーロッパはロシアのエネルギーに依存しすぎて完全に遮断できないのだが、これは、相互依存性はほぼ対称的であり、一方、金融の世界では、ロシアは西側の制裁に対してより脆弱であり、それは時間の経過とともにより傷つく可能性が高い。
   第四に、制裁は、攻撃者の戦争コストを引き上げることができるが、短期的には結果を決定できない。プーチンは、西側が制裁で団結を維持できる筈はない疑っていたきらいがあり、一方、中国の習近平は、ロシアとの「無制限」の友好関係を宣言したにもかかわらず、中国が米国の二次制裁に巻き込まれることへの懸念から、プーチンに限られた支援しか提供していない。
   第五に、情報戦は違いを生む。ロシアの軍事計画に関するアメリカの注意深い情報開示は、ヨーロッパでのプーチンの物語を「暴く前」に非常に効果的であることが証明され、予想通りに侵略が起こったとき、それは西側の連帯に大きく貢献した。
   第六に、ハードパワーとソフトパワーの両方が重要である。ハードパワーとソフトパワーを組み合わせるスマートパワーは有効であり、プーチンは、ウクライナでの残虐行為で、これを台無しにした。一方、ゼレンスキーは、彼の専門的に研ぎ澄まされた劇的なスキルを使用して、彼の国の魅力的な肖像画を提示し、同情だけでなく、ハードパワーに不可欠な軍事装備も確保した。
   第7に、サイバー機能は特効薬ではない。ロシアは2015年以来、サイバー兵器を使用してウクライナの電力網に介入したり、侵略の開始時に国のインフラストラクチャと政府に対するサイバー攻撃をしかけ、戦争中にも多くのサイバー攻撃を行ったが、より広範な結果を出せていない。一方、トレーニングと経験により、ウクライナのサイバー防御は向上し、戦争が始まると、動的兵器はサイバー兵器よりも優れた適時性、精度、およびダメージ評価を指揮官に提供した。
   最後に、最も重要な教訓は、最も古い教訓の1つでもあり、戦争は予測不可能であること。シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の第三幕第二場の台詞'Cry 'Havoc!' And Let Slip The Dogs Of War’を引用して、リーダーが、「戦闘開始! 戦場へ兵隊達を送り込め」と叫ぶのは危険だ。短い戦争の約束は危険なほど魅惑的だが、クリスマスに帰れるはずの第一次世界大戦が4年もかかり、2003年の朝飯前だと言っていたイラク侵攻は収拾に何年もかかった。

   ラストは、Now it is Putin who has let slip the dogs of war. They may yet turn on him.
   戦争を起したのはプーチンである。また、プーチンの頭がオンになるかも知れないと結んでいる。

   多少省略したが、以上が、ほぼナイ教授の論旨である。
   
   第二の、経済相互依存関係は、戦争回避の役に立たないと、「マクドナルドのある国同志は戦争しない」という理論を一蹴したのだが、ナイ教授は、 この教訓は、特に第一次世界大戦後、世界の主要な貿易相手国の間で広く認識されていたにも関わらず、元首相のゲアハルトシュレーダーなどのドイツの政策立案者には無視されて来たという。米国の反対を押し切って、ノルドストリーム2の開通寸前まで行くなど、ドイツには、ロシアのカントリーリスクに対しては、殆ど無視と言う信じられないような状態で、ロシア依存に埋没していたのである。
   ドイツ人とロシア人の人種的な軋轢は想像を絶するほど強いのだが、ドイツ人が行く行くは、ロシアを経済的に勢力圏へ取り込めると考えてロシアに対峙していたのではなかったかと思っている。

   もう一つ、ナイ教授が得意とするスマートパワーの指摘だが、プーチンのウクライナへの侵攻虐殺などは、ソフトパワーやスマートパワーの逆発露ではなく、暴虐の限りのバンダリズム以外の何ものでもない。
   ウクライナでは、ロシアからのサイバー攻撃を受け、ネットが利用できなくなる懸念から、イーロン・マスクのSpace X(スペースX)が構築した、人工衛星による通信網「スターリンク」を利用して、精巧なビデオメッセージを世界中に発信して、ソフトパワーを極めて有効に活用している。徹底的な情報統制をして国民を欺き続けて墓穴を掘りつつあるロシアとは、偉い違いである。
   弱小のウクライナが、ソフトパワーをフル回転させて民主主義自由主義の象徴として振る舞いながら西側先進国のハードパワーを糾合して、強国ロシアに対峙する有効なスマートパワーを構築して戦っている。
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わが庭・・・雨で梅もトマトもダメ

2022年06月24日 | わが庭の歳時記
   梅雨だというのだが、ハッキリとしない天気である。
   これとは違って、問題なのは、5月の雨や曇天が多くて、日照りが少なかったのが影響してか、いつもなら、梅酒造りが終っている時期なのだが、今年は全くダメであった。
   雨のために、梅の実が病虫害にあたって、黒や茶色の斑点がついて、見るも無惨な姿になり、実付きが悪いうえに落果が激しくて、使い物にならなくなってしまったのである。
   インターネットで調べたら、梅の実の皮が黒くなっても食べるのには問題がないと言うことなのだが、そんな気にはなれないので、今年は、梅酒も梅ジャムを作るのを断念した。
   キウイも落ち葉の処理に苦労したので、伐採したので、キウイジャムも作れなくなった。
   スーパーで買ってきてまでして、ジャムを作る気にななれないので、今年は、夏みかんのマーマレード作りをどうするくらいである。

   もう一つ困ったのは、プランター植えのミニトマトである。
   5月初旬には、一番花が咲いて結実が始まるのだが、今年の日照りなしの悪天候で、長い間、花が咲かず、間延びしてしまって、やっと咲き出して結実を始めたと思ったら、木の上の方で支柱が間に合わず、既に摘芯位置に近く、どうするべきか困っている。
   まだ、花が咲いて結実したのは良い方で、途中で成長が止まって枯れたり、根元を虫に食われて倒れたり、半分ほどはダメになってしまった。
   生き残った株は、ほぼ正常に結実し始めているのだが、以前のように、7月などに異常気象で高温になりすぎると、殆どダメになるので、気が抜けない。
   とにかく、今年は諦めるとしても、気候任せの素人ガーデニングは、非常に難しいことを実感している。

   庭に咲いている花は、アジサイとアガパンサス。
   初夏になった所為か、暖色系の赤い花が消えてしまった。
   
   
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朝日デジタル:ロシア車、新型なのにエアバッグもABSもない

2022年06月22日 | 政治・経済・社会
    朝日新聞デジタルが、「ロシア車、ソ連時代に逆戻り? 新型なのにエアバッグもABSもない」と報じた。
    ウクライナ戦争で、欧米の強烈な経済制裁を受けて、世界から孤立するロシア経済が、「ソ連化」の道を突き進んでいる。自動車産業はプーチン政権主導で国産化を急ぐが、性能面の低下は隠せない。かつてのソ連は、国による計画経済が欧米の資本主義経済に「敗北」して崩壊の道を歩んだ。
   「最新の快適装備や安全機能が一つも用意されていない」 ロシアの自動車最大手「アフトバズ」が今月公開した主力車「ラーダ」の最新モデルへの驚きを、ロシアメディアはこんな見出しで表現した。 新型にもかかわらず、先進国では当たり前となったエアバッグやABSなどの装備はない。エンジンの排ガスも、最新の規制には適合しない。と言うのである。ベルリンの壁崩壊直後、東ベルリンやブダペストで、プラスチックボディのガタガタのポンコツ車「ラーダ」が走っていたのを思い出した。
   先日、NHKのニュースでも、モスクワのタクシー運転手が、安全機能も何もついていない車で困っていることと、新車が生産されないので、これからどうなるのか、お先真っ暗だと語っていたのを放映していた。半導体やワイヤーハーネスなどの基幹部品の供給不足どころか、そもそも、自動車を製造する部品そのものが揃わないので、新車が生産できないのである。

   半導体不足で、ウクライナの家庭から強奪した洗濯機や皿洗い機から取った半導体を、ロシア軍の戦車に転用しているというのであるから、ロシアの製造業の苦境は手に取るように見えてくる。

   航空機でも、深刻な問題を抱えている。
   既に、エアバス・ボーイング・エンブラエルは、ロシアの航空会社への部品やサービスの供給を停止しているので、欧米機の機体を違法に保持していても、在庫が補充されず必要部品等が手に入らなくなったので、ロシアが運用する旅客機は、安全性に懸念がある状態で運航されている。これを回避するために、航空機の定期検査を、通常国内のエアラインが海外企業に委託している整備・補修・オーバーホールなどを、その作業が可能とみられる現規則では認知外の第三者の国内企業に認める方針だと言うのだが、信用などは出来ない。
   一説には、現有の機体を解体して部品を分離して取りだして、再利用するので、機体が半減するという情報もある。
   また、国産機の一部も、ルフトハンザテクニックなど外資に業務を委託しているので、影響は国内航空にも及んでいて、仮にこれまで通りの整備基準とした場合、運航停止が相次ぎ、国土の広いロシアで国民の移動手段に影響が出るのみならず、整備面での妥協は、極めて危険な行動であり、大惨事を招くのは必定であろう。

   ロシアの鉄道も問題である。
   シーメンスは、
   「ウクライナ戦争が始まって以降、シーメンスはロシアとベラルーシにおける新規事業、ならびに他国から両国への物品納入をすべて一時停止しました。包括的かつ国際的な制裁措置、および現在や将来に起こり得る対抗措置は、ロシアにおけるシーメンスの事業活動、特に鉄道サービスおよび保守事業に影響を及ぼすものです。」 と報じていて、ニュースになっている天然ガスのパイプラインのメインテナンスよりも、鉄道のメインテナンスの方が重大問題だと言うのである。
   とにかく、ロシアでは、飛行機にも鉄道にもタクシーにも乗ってはダメだと言うことである。

   いずれにしろ、濡れ手に粟の石油と天然ガスの輸出で得たあぶく銭に胡座をかいて、経済の近代化や産業の合理化発展に手を抜いて、自立不可能なモノカルチュア経済に酔いしれたプーチンロシアの自業自得、
   アメリカのGDPの14分の1の経済弱者のロシアが、グローバル経済のサプライチェーンから切り離されて孤立化すればどうなるか、
   早晩、ロシア軍の誇りである戦闘機も、戦車も、ミサイルも、在庫が尽きれば、安全装置のない車のように、真面な製品は製造できなくなるはずである。

   尤も、これらの推論には、中国がロシアを助けなければと言う前提がつく。
   最悪だと言われている米中関係は複雑であるが、
   アメリカは秋の中間選挙が近づいていて、バイデン政権としてはインフレを抑えるためには、中国に対する貿易制裁を緩めることが必須であり、一方、中国でも、秋の共産党大会で習近平が第3期の任期を確定するためには、米中関係を改善することが必須であり、両者の利害が一致している。
   バイデン大統領と習主席の首脳会談が実現すれば、台湾情勢や関税をめぐる問題、それにウクライナ情勢などが議題となろうが、少なくとも貿易問題では何らかの前進が期待されので、中国もアメリカに逆らえなくなり、ロシアへの肩入れがトーンダウンする可能性が出てくる。と考えられる。

   今回の記事と関係ないかも知れないが、AFP時事が、
   ウクライナと国境を接するロシア南部ロストフ州で21日、ロシア軍のスホイ25攻撃機1機が計画された飛行訓練中に墜落。17日にも、ウクライナに隣接する西部ベルゴロド州でスホイ25攻撃機1機が飛行訓練中に墜落したばかり。こちらも機材トラブルが原因とみられている。と報じている。
   メインテナンス不備の恐ろしさを物語っている。
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世界の左傾化と民主主義の退潮

2022年06月20日 | 政治・経済・社会
   今日のニューヨークタイムズの電子版には、Gustavo Petro Wins Election, Becoming Colombia’s First Leftist Leader、
   Fears of Gridlock in France After Macron Is Left With Fragmented Parliamentと報じた。
   殆どのメディアも、同様に、コロンビアとフランスの選挙で、中道や右派が敗れて、左派が勝利し躍進したというニュースを伝えている。
   南米コロンビアの大統領選の決選投票で、左派のグスタボ・ペトロ元ボゴタ市長(62)が勝利宣言した。これまで右派や中道右派が政権を担っていた保守的な同国で初の左派政権となった。
   フランス国民議会総選挙の決選投票が行われ、中道のマクロン大統領の与党連合が第1勢力を維持したが、過半数(289議席)を大きく割り込み、左派連合が第2党となり、極右「国民連合」が10倍以上増加するなど野党勢力が躍進して、2期目のマクロン政権は厳しい国政運営を迫られる。と言うのである。
   ウクライナ戦争の結果、インフレが高進して国民生活が圧迫されて、国民の不満が一気に噴出した結果だと言うことでもあるが、コロンビアの場合には、貧富の格差是正を期待する貧困層や若年層の左派への支持が広がったと言うことでもあり、根本的な政治体制の変革と言えよう。

   アメリカやカナダ、中南米の首脳が集まる米州首脳会議が、アメリカ西部カリフォルニア州のロサンゼルスで開催されたが、ホスト国アメリカが、独裁国家のキューバとベネズエラ、それにニカラグアの3か国を招待しなかったことを受けて、メキシコなどが参加を見送るなど反発も出て、アメリカの求心力の低下が指摘された。
   しかし、中南米諸国の大半は、左派政権が掌握している国家であって、秋に大統領選挙があるブラジルでも、左派のルーラ元大統領の優勢が伝えられており、かってはアメリカの庭と称されてアメリカの影響力下にあった中南米が、ほぼ完全に、民主主義自由主義に距離を置く赤ないしピンク色の国家集団に変ってしまう。
   尤も、左傾化していると言うのは、これまでの独善的独裁的色彩の強かった保守政権に反対して、弱者が頼れる政党が、左派政党ないしポピュリズム政党しかなかったと言うことで、主義信条とは異なった次元の問題でもある。

   前世紀から今世紀に掛けて、世界の政治経済社会体制の大きな変化は、欧米先進国流の自由主義的な民主主義の大きな後退である。
   その一方で、中国やロシアと言った国家資本主義的な専制国家体制なり左傾化した国家体制の国家の勢力が、急進している。
   世界の国家地図が、年々、自由主義国家体制の国が減少して、専制主義的な国家体制の国に蚕食されていると言うのである。
   これなどの現象は、ウクライナ戦争のロシアに対する国連の制裁決議において、アフリカや中東など多くの諸国が、アメリカに同調しなかったことで如実に示されている。

   これは、ICT革命とグローバリゼーションの進展によって、経済成長に対するメカニズムが大きく変ってしまったことによる。
   今や、新興国や発展途上国など遅れた国は、前世紀のロストウ流の余剰敷金を蓄積して経済をテイクオフすると言った成長段階をスキップして、国家資本主義的な計画経済手法によって、最先端の技術やノウハウを導入駆使して、経済と国家の発展を策することができるようになったのである。

   グローバル経済の拡大によって拡散した資本主義体制は、いずれの政治体制であろうとも、変形しつつも機能しているが、
   自由で平等を旨とする民主主義体制は、欧米日の成熟した先進国の政治経済社会の国家にしか、有効に機能しないと言う現状になってしまった感がある。
   尤も、先のブレクジットやトランプの登場、今回のフランスの総選挙の結果などのように、先進国と雖も、一寸した弾みに、大きなブレを生じるひ弱な花でもある。
   after democracy, post democracyと言うか、脱民主主義時代を想定しなければならなくなったのであろうか、
   危惧し始めている。

   
   さて、日本だが、参議院議員選挙が近づいている。
   年金が減額されたにも拘わらず、物価が異常に上昇し始めた。
   Japan as No.1は、ずっと昔、夢の夢の世界だったが、
   30年間経済成長に見放されて、欧米先進国でも最も貧しい国に落ちぶれてしまい、経済格差が拡大し、貧困児童が激増していると言う。
   それでも、日本国民は、耐え忍んでいるのかどうかは分からないが、声も出さずに、良く分からない新しい資本主義を信じてか、内閣支持率は60%だという不思議な国日本。

   ウクライナ戦争の勃発で一気に世界中が焦臭くなって、この戦争状態が永続するという。
   国際情勢が風雲急を告げ、原爆保有国に囲まれて、我が命運を問われているにも拘わらず、日本国を如何に守るのか、戯言ばかりを繰り返す野党の公約を見ておれば、悲しいかな、日本は左傾化の片鱗さえも見出し得ない。
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ウクライナ:オデーサ歌劇場オープン

2022年06月19日 | 政治・経済・社会
   ニューヨーク・タイムズが、「Odesa Opera House Reopens, Defying Putin’s Barbarism」と報じた。
   「プーチンの野蛮さに逆らい、オデーサオペラハウスが再開」したと、その様子を写真入りで報じたのである。
   口絵写真は、その劇場だが、前方に積み上げられた土嚢が戦時であることを物語っている。

   1810年に黒海の港の上の高原に建つた壮大なオペラ劇場での金曜日の公演は、115日間の沈黙の後、風に揺れる小麦の画像を背景に、ウクライナの国歌の演奏でオープンした。サイレンの場合は、劇場内の避難所に進んでください」と言う指示書きつきで。

   劇場は、金のブレード、赤いリヨネのベルベット、シャンデリア、鏡のロココ様式の宮殿のような佇まいで、セキュリティ上の問題で制限された約3分の1の座席が満員で、主任指揮者ViacheslavChernukho-Volichが、「Romeo and Juliet」のデュエット、「Tosca」、「Turandot」、オデーサ生まれの作曲家KostiantynDankevychのアリアを含むパフォーマンスを指揮した。
   幕が下りると、「ブラボー!」の叫び声と絶大な拍手で会場が沸き立った。舞台裏で、ジュリエットを演じたソプラノのマリーナ・ナジミテンコがプライドと感情の高まりに紅潮して、 「私たちがこの戦争に勝つために、私たちが生き残ることを、私たちの本源的な価値を維持することを助けてくれるのは芸術なのです」と述べた。
   親ロシア派であってロシアのウクライナ侵攻後変節したと言うゲンナジー・トゥルハノフ・オデーサ市長は、インタビューで、「ロシアの占領者の道は殺害と死だが、我々は、オデーサが生きていること、ウクライナが生きていること、そして、我々が生きて創造したいと願っていることを示すことが重要である。」、「プーチンがあえてオペラを攻撃すれば、彼が世界中で直面するであろう憎しみは想像を絶するものになる。」と語った。
   音楽は、文化と美への蛮行への奇跡のように見えた。それは、ウクライナが架空の国であるというプーチンの執着を反映した戦争で露呈した、不当な破壊の同義語になったブチャとマリウポリでのロシアの野蛮人への究極の叱責であった。と言うのである。

   さて、このオデーサは、ロシアのブロックでウクライナの穀物が搬出できないために世界の食糧危機を引き起こしているという、ウクライナ経済にとって重要な港として、ロシア帝国、そしてソビエト帝国の長い間の中心都市として、そして文化的象徴としても傑出しており、ロシアの皇后によって設立され、フランスの公爵によって実質的に配置された都市であり、東西交渉の十字路に位置しているので、地中海や中央アジアの草原からのあらゆる信仰と信条の貿易​​業者の故郷でもあると言う複雑な歴史や文化を背負っている。
   プーチンが、オデーサ支配を切望していることは、秘密でも何でもないという。
   街の石畳の石が並ぶ並木道が落ち着いていることを示唆しているのなら、それはいつでも壊れる可能性のある壊れやすい静かな場所だとも言うのである。

   先日、キーウの劇場も開演して、芝居が上演されたと報じていた。
   私は、2006年11月に、来日したキエフ・オペラの「トゥーランドット」は見ている。
   無残にもロシア軍に破壊されたマリウポリ劇場の惨状は忍びないが、戦争になると、多くの人類の貴重な文化遺産が破壊されて消えて行く。
   どんなことがあっても、戦争だけは避けなければならない。
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長生きできる人とできない人

2022年06月18日 | 生活随想・趣味
   今日の日経朝刊の2ページ目の本の広告欄に、和田秀樹著「70代で死ぬ人、80代でも元気な人」と、五木寛之著「捨てない生きかた」、そして、3ページ目に、石原慎太郎著「「私」という男の生涯」が掲載されていた。いずれも、老境に達した人々の生き様や生き方に関する本である。
   実際にこれらの本を読んでおらず、広告の能書きだけで云々するのも気が引けるのだが、私にとっても関心事であるので、若干思うところを記してみたい。

   まず、最初の本だが、70歳から80歳までの「危険な10年」を乗り切る極意として、7項目のコメントが記されている。
   健康については、●健診の数値を気にしない●ガン治療は慎重に決める
   高血圧症なので、定期的に病院に通い続けているのだが、数値を気にするなと言われても、無関心でいるわけにも行かず、これは、すべて主治医の指示に従っていた。ガンについては、人並みに前立腺ガンを診断され、前立腺肥大もあったので、迷うことなく全摘手術を受けた。不幸にも再発したので放射線治療を受けたのだが、その後、問題なく推移しており、治ったのだろうと思っている。
   今のところ、40年以上も抱えている高血圧症と軽度の脊柱管狭窄症くらいで、大きな入院や手術、大病からは免れており、病院へ行くのは、薬の処方と、歯医者へのメインテナンスくらいである。尤も、齢相応に、体力の衰えなどを感じ始めており、少しずつ歳を気にし始めてはいる。
   ●認知症になっても困ることはない は、私には関係はないし、●昼ご飯は外食にする は、私には無縁である。
   ●「夫婦単位」ではなく、一人の時間を楽しむ は、私の日常生活でもあり、他人との関係もその通りである。
   ●友人知人からの誘いは、二つ返事で乗ってみる これは事と次第によるのだが、社交的ではなく人づきあいが良い方ではないので、何とも言えない。
   ●遠慮せず、自由に生きる これは、私自身の人生訓でもあり、臆することはない。

   日本人男性の平均寿命は、81.64歳だとか言われていて、私は、これを少しオーバーしていて、まだ、日に5000歩以上は歩けるし、経済や経営の専門書も読めるし、このブログも適当に書き続けられているので、元気な方であろう。
   私の友人知人の多くは傘寿を越えた老人だが、やはり、歳には勝てず、亡くなったり故障者が多くて、元気な人は少ない。
   私は、スポーツには縁がなくジムに通って体調を整えるなどと言ったこともなかったので、人並みの運動は不足していたと思うのだが、海外にも長く、退職後も、極めてアクティブな生活をしていたので、それが役立っていたのかも知れない。また、後期高齢者になってから、孫達の保育園や幼稚園の送り迎えで、アップダウンの激しい鎌倉の道を4キロ、時にベビカーを押して毎日歩いたのも幸いしているかも知れない。

   東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究では、
   約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。
   80を越えた私の友人知人でも、病気などで日常生活がままならない健康寿命を保てない人が結構いる。大半は、肥満気味で要注意だった私よりも健康生活を維持していた優等生であったのにである。

   故障を起している友人知人の多くは、定年なり退任なり何らかの形でアクティブな現役生活を離れて新生活に入った時、ソフトランディングが上手く行かなかったのではないかと思う。
   それが人生の全てであるかのように、会社生活など仕事に全身全霊を打ち込んで人生を送ってきたのだが、突然、その組織との縁が切れると、それに関係する公は勿論プライベートな関係の多くまでが断ち切られてしまう。
   人によって違うのだが、その人たちの第一声は、間違いなく、「毎日、退屈やなあ」である。
   自由な身になった途端に、関係が切れて付き合いの輪が狭くなって、それに、真面な趣味も育てて来なかったので、何をどうしたらよいのか分からず、自分で自分の身を処する手段が見つけ出せなくて頭を打つ。
   5時以降、毎日のように同僚たちと飲みに行ったり、休日にはゴルフや釣、金魚の糞のような同僚との付き合い、
   滅私奉公(?)の日々の連続が自律心を蝕む。

   舘ひろしが主人公の映画「終った人」の世界である、
   ”趣味なし、夢なし、仕事なし、そして、我が家に居場所なし”
   ”仕事一筋だったのが、翌日から時間を持て余してしまう。公園、図書館、スポーツジムなど時間を潰すために立ち寄った先は、至る所に老人ばかり。迂闊に恋をしても振られてしまう・・・。”

   私は、会社人生とプライベートな生活とは一線を画する主義を守っていて、会社の誰との付き合いもこれを厳守して、必用な付き合いだけにしぼって、アフター5は、観劇など芸術鑑賞や書店巡りなどに費やしたり、早く切り上げられるときには、帰宅して趣味の時間を楽しんでいたり、とにかく、やりたいことが沢山あって、暇つぶしには困らなかった。
   私の場合は、退任後、自分のプライベートライフを、再構築するだけで良く、時間の余裕ができた分、大げさな言い方だが、生きがいでもある「真善美」追求への意識に拍車がかかった。
   後期高齢者に入った辺りから、少しずつアクティブ度を緩めてきており、やや晴耕雨読に傾いた感はあるが、案外、自分の意思で自由に趣味人生を生きる、この自己流の悠々自適生活が、元気の源かも知れないと思っている。
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「ニュース離れ」が加速、と言うのだが

2022年06月15日 | 政治・経済・社会
   ロイターが、”陰鬱な世界情勢、ニュース離れを加速 46か国調査”と報じた。
   新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)やウクライナでの戦争、物価高騰など複合的な要因を背景に、ニュースへの関心が低下しているとしている。と言うのである。
   何のニュースか分からないが、調査は46か国の9万3000人を対象に実施されたと言うことであるから、世界的な傾向なのであろう。
   若者の間で従来型メディアからの離反が進んでおり、18~24歳の層の15%は主なニュース閲覧手段として動画投稿アプリ「ティックトック(TikTok)」を挙げている。と言うのもデジタル革命の為せるワザ、時代の潮流だが、
   メディアに対する信頼度は平均42%と、昨年の44%を下回った。ほぼ半数の対象国で低下し、上昇したのは7か国だけだった。米国は26%で、スロバキアと並び最低だった。と言うのも、アメリカの大統領たるトランプが、ウソ八百を何万回も連発して、フェイクニュースを蔓延させ、何を信じれば良いのか分からなくなってしまったのだから、当然であろう。

   さて、それでは、自分自身は、どうなのか。
   ハタと考えたが、答えに窮した。
   何も考えずに、毎日、新聞やテレビ、ニュースに接しているのである。

   真っ先に接するのは、インターネットのニュース記事、NYTやWPもこの時、
   新聞は日経しか取っていないので、一通り、さらりと目を通す。
   テレビは、興味のある番組は、録画に任せて、常時、チャンネルを合わせるのは、大半、ニュース番組である。
   殆ど欠かさずに見ているのは、NHK BS1の「キャッチ!世界のトップニュース」と、「国際報道2022」、
   他のニュースも、どうでも良いような総花的で日常茶飯事の世間ニュースのような番組はさけて、手っ取り早く、BS1のニュースWorld+Bis、
   NHKの定時のメインニュースにもチャンエルは合わすが、途中で、飛ばすことが多い
   民放のニュースは、特集番組など結構興味深いので目がけてみるが、NHKと違ったゲリラ戦法が面白い。
   結構、ニュース漬けと言った感じで、私の場合、ニュース離れとは縁遠いようである。

   さて、偏見というか、自分では良識だと思っているのだが、アメリカで留学生活をしていたときには、テレビは、3大ネットワークで、その頃、偉大なアンカーマンのウォルター・クロンカイトが健在だったので、CBSニュースを好んで見ており、新聞は、ニューヨーク・タイムズ。週刊誌は、TIMEやNewsweek。
   ロンドンでは、テレビはBBC、新聞は、ファイナンシャル・タイムス、週刊誌は、ECONOMIST。
   何の疑いもなく、それが、信頼できる正しいニュースソースであり、それが常識だと思っていたので、何の迷いもなかった。
   尤も、多忙であったり、時間が取れなかったりで、十分に聞いたり読んだり出来なかったきらいはあるが、意識して、そんなニュースソースに囲まれていたと言うことである。

   ニュースに関心があるというのは、自分を取り巻く周りの環境がどのように動いているのか、知りたいと言うことであろうが、別に知らなくても、日常生活はやっていける。
   ただ、凡人の悲しさで、周りのことが気になって、世間から没交渉で、仙人のように霞を食って生きて行けないので、アンテナを張る。
   私には、世間知の取り込みだけではなく、成長への石杖にもなっているような気がしている。
   
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