熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世界連邦の夢

2006年12月31日 | 生活随想・趣味
   昨夜、大学時代の親友から年末の電話が掛かってきた。
   奥さんと二人で出かけた東欧首都めぐりの熟年旅行の話から始まって、男には珍しい長電話だったが、大学の頃の京都の話、政治経済、文化芸術等々結構堅い話ばかりだったが、別に、疲れもしなかったし飽きもしなかった。
   大体、何時もこんな調子なのだが、ついつい、家族の話など全く聞かずに終わってしまった。

   毎日、私のブログを読んでくれているとのことで、感想や意見を述べてくれた。
   彼の記憶では、私の大学時代の関心事と言うか、メインテーマは、シュンペーターのイノベーションと世界連邦だったという。
   イノベーションについては議論が進んでいるが、世界連邦に関する記事がブログにないのは何故かと聞いてくれた。
   確かに、あの頃は、まだエスペラント語が結構優勢な頃で、欧州合衆国の話が進み始めていた頃でもあり、私自身、世界平和が最大の関心事であったので、カントから始まって世界連邦思想について強い関心を持って勉強し始めていた。
   今でも、国連やEU等国際組織や国際問題など世界の動きなどについても関心が深く、結構、本を読んだり資料を集めてそれなりに勉強しているので、意識の中から消え去った訳ではない。
   しかし、アメリカで勉強して、世界の色々な所を歩き、ブラジルで生活しながらラテンアメリカの現状に触れ、ヨーロッパに移り住んでベルリンの壁の崩壊と冷戦の終結と言う国際政治経済の大激動を間近に見てしまうと世界観が大分変ってしまったと言うことである。

   私は、今話題になっている世界遺産のような人類の文化文明を通じて営々として築かれてきた歴史遺産を好んで見て来たし、博物館や美術館など寸暇を惜しんで訪れて人間の壮大な偉業に感激し続けながら生きて来た。
   ヨーロッパに長く住んでいた所為もあるが、異文化・異文明の遭遇が如何に人類の歴史を翻弄し、また逆に偉大な遺産を構築して来たかを感じて来た。
   地球上の気候が地域によって全く違ってくるように、その土地で生まれ育った人間の個性や世界観は違ってきて当然で画一化など有り得ないし、世界各地を歩きながらその豊かさと素晴らしさに感動し続けて来たし、各民族や人々の持つこの固有の文化伝統、歴史等の多様性を大切にすべきだと思い続けている。
   
   グローバルとローカルを融合したグローカイゼーションの時代。
   恒久平和を希求する理念としての世界連邦は貴いが、もう少し、人類固有の文化文明の多様性を尊重する社会を真剣に考えても良いような気がしている。

   大晦日である。
   銀座に出て美術展をはしごして、東京文化会館でベートーヴェン全交響曲連続演奏会に行って、第九の合唱を聴きながら新年を迎えようと思う。

   (追)写真は、西湖。
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地球の悲鳴・・・消え行くアマゾン熱帯雨林

2006年12月30日 | 地球温暖化・環境問題
   環境問題については、このブログでも何回も書いたが、「宇宙船地球号」の危機に関しては極めて悲観的である。
   人類の叡智は、大津波と同じで襲って来るまではその危険に気付かないと言う歴史の繰り返しでありいまだにこれから一歩も出ていないし、自然環境の破壊によるエコシステムの崩壊に関しては、起これば最後で人類の滅亡待ったなしであるからである。
   人間は考える葦だとパスカルは言ったが、考えてなどいない唯の弱い葦に過ぎない、一吹きの蒸気で死んでしまう弱い生き物に過ぎないのである。

   ナショナル・ジオグラフィックが、この1月号から、100周年を迎えたチャンスに「かけがえのない地球を守る」キャンペーンとして「地球の悲鳴」と言うシリーズ企画を打ち上げることにした
   第一回目に「アマゾン 消えゆく地上最大の熱帯雨林」を特集して、如何に、最後に残された自然の宝庫であるアマゾンが崩壊しつつあるかを克明に綴っている。
   この口絵写真は、30年前にブラジルで発行された観光ガイドの写真の上にナショナル・ジオグラフィックの表紙を重ねたものだが、熱帯雨林が鬱蒼と繁茂するアマゾン流域と切り裂かれてたった1本だけ木の残った台地との対比が象徴的である。
   ブラジルの大地はテラロッサなので強烈な赤茶色で、ジャングルに切り開かれた道や農地の毒々しさは異様な光景である。
   私は、ブラジルの真っ赤な川の流れを上空から始めて見たときにはビックリしてしまった。

   ところで、ナショナル・ジオグラフィックは、
   「ブラジル・アマゾンの熱帯雨林は、この40年間に20%近くが消滅した。これは、欧米諸国が南米に進出し始めて450年の間に失われた森林の総面積を上回る広さだ。今後20年間に更に20%が失われると見られ、そうなれば森林の生態系は崩壊する。」と言った出だしで、如何にアマゾンの熱帯雨林が危機的な状態にあるのかを語っている。
   農業やその他の開発で毎年2万平方キロの熱帯雨林が失われており、最近ブラジル政府が6万5千平方キロの特別保護区を設けて国立公園や先住民居住区などの保護区を加えて開拓の拡大に対抗する「安全の砦」を設置したが、森林の違法乱伐や土地泥棒達の跋扈が後を絶たず、森林の消滅には歯止めがかからないのだと言うのである。

   私がブラジルにいた頃は軍事政権であったが、あの頃に設定された法律で林業や牧畜に重点を置いて有力者達に土地を与えており、その不在地主である特権階級が独占した土地が大規模な乱開発の元凶であり、本来アマゾンのエコシステムを守り森の恵を共有していた小集団を駆逐しているようである。
   アメリカ生まれのスタング修道女が、皆で力を合わせて環境に対する意識の高い闘う共同体を作り、自分達の生活の場を奪おうとする暴力的な人びとに抵抗しようとして頑張っていたが、乱開発土地泥棒の用心棒に射殺されてしまった。
   森林破壊の元凶は道路で、公道以外に、マホガニー等の高価な材木を伐採する為に17万キロに及ぶ違法な私道が建設され、その後に、土地の不法占拠者が入り込み、ブラジル政府の「環境再生可能天然資源院(IBAMA)の役人を抱きこんで偽造した伐採許可書で熱帯雨林を蚕食して行く。
   魚の骨のように白く剥き出しになった道路網が原始林を引っかくように写っている写真を見て、その醜悪さに暗澹としてしまった。   
   
   手薄なIBAMAの役人の監視監督が殆ど機能せず、無法者の乱開発者が我が物顔に振舞っているだけではなく、アマゾンを抱え込むマット・グロッソ州のブライロ・マジ知事は、世界最大の大豆生産会社の社長で、森林資源を搾取するグループの代表格だと言う。
   もっと悪いことに、アマゾン地域に、アメリカの農機具メーカーが5店舗も出店しており、ADM,ゲンブ、カーギルと言った米系食品多国籍企業のサイロが林立している。市場原理主義で金儲けなら何でもすると言う米国主導のグローバリゼーションの毒牙と魔手がアマゾンのエコシステム破壊の片棒を担ぎ始めているのである。

   京都議定書を拒否するブッシュ政権を支える多国籍企業の倫理概念がどの程度なのか、昔、学生時代に米国の多国籍企業が如何に中南米の経済を食い物にして来たのかを学んだ記憶があるが、何十年経っても何も変っていないのであろうか。

   それよりも、アマゾンの熱帯雨林の消滅だが、地球規模で対処すべきこの重要な問題は到底ブラジル政府の手に負える仕事ではない。
   人類の将来に対する存亡の危機だが、アメリカが頼りにならない今日、これこそ日本政府が先頭に立って戦略を立ててブラジルを助けるべき緊急の課題のような気がしているのだがどうであろうか。
   
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政治家の読書・・・議員になる前に読め

2006年12月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   昨夜の日経夕刊に、「政治家 こんな本を読む」と言う記事が出ていて、政治家に「今年読んで印象に残った本」「来年読みたい本」を聞いて特集している。
   「外交」「品格」歴史に学ぶ、と言うサブタイトルがついていて、塩崎官房長官が「晏子」、中川幹事長が「岸信介証言録」、鳩山幹事長が「昭和史」を嬉しそうに掲げている写真が掲載されている。
   傑作は、参院で40年『「五車堂書房」店主に聞く 「勉強不足、本当の読書家いない」』と言う囲み記事が掲載されていて、そのカリカチュア加減が面白い。

   第一印象は、今年読んで印象に残った本、と言うことであるから、少なくともこの一年間(一年間365日である)で最も印象に残った本と言う意味にしては、あまり感心しないと言うか、この程度の読書力で政治は大丈夫なのかと言う感じである。
   従って、来年読みたい本に到っては、展望が利いていない。

   五車堂書房の幡場益さんが「最近の国会議員は本を読まないねえ。読書家もいるけど、突出した人はいない。」と言っており、議員になる前に当然読んでおくべき本を聞いたり、若手に議員になってから勉強しますと言う人がいると揶揄している。
   同書房の売れ筋の本が、「国家の品格」を頂点に、安倍晋三、小澤一郎、共産党、自民党等政治関連の本以外は、中国を活写した杉本信行元上海総領事の「大地の咆哮」と元NHKの手嶋龍一氏の「ウルトラ・ダラー」、それに、何人かの政治家が上げていた半藤一利氏の「昭和史」等であり、極めて限られた閉塞的な選択で夢も希望も感じられない。
   国会議員の本離れも、インターネットの普及など急速な情報・知識媒体の多様化の所為ばかりでもなかろうと思う。

   一つだけ、グローバル時代への対応についてコメントしたい。
   中国・北関連を除いて、外人が書いた本で名前が出たのは、加藤紘一氏の上げたスティグリッツの「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」と岡田克也氏のジェレミー・リフキンの「ヨーロピアン・ドリーム」だけである。
   この分野は、私自身の読書域でもあり非常に興味のあるところだが、日本の政治を背負って立とうと思う人には、少なくとも最低限度アプローチすべき本であろうと思う。
   スティグリッツは、また新しい本「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」を出したし、兎に角、グローバリズムに関しては膨大な量の本が出版されており、国際政治も国際経済も、この方面の十分な理解なくしては現代社会を語れない。
   それに、真実を知って世界中が非難し始めたイラク戦争に当初から抵抗してきた大陸ヨーロッパの英知とヨーロッパ合衆国への歴史の胎動、そして、大きく舵を切らざるを得なくなったアメリカの地滑り的な政治経済社会の変革の可能性についての洞察等がなければ、美しい国どころか日本の将来が危ういと考えるべきであるが、政治家先生達にはその意識が希薄であるような気がする。
   かってのように、日本が経済一等大国であった頃は良かったが、落ちぶれて普通の国になってしまった今日では、余程の国際感覚と文化文明の軌跡についての理解が伴わないと国際社会に伍して行けなくなっている。
   かってはアメリカにジャパン・パッシングで無視され、今日、北朝鮮にもパッシングされている日本の悲しい現状を見れば分かる筈である。

   安倍首相が就任演説で欧米について、そして、グローバリゼーションについて殆ど語らなかったのが不思議で仕方なかったが、如何せんこの方面に対する意識が乏しいのであろう。

   面白かったのは、小泉政権へのあてつけか、加藤紘一氏と綿貫民輔氏が、市場原理主義経済の対極にあるリベラル派の内橋克人氏の「悪魔のサイクル」を上げていたことであるが、アメリカも民主党が勝利しており、弱肉強食、強者の経済社会を弱者を慮った平等で福祉国家的な方向に関心を移してゆこうと言う傾向であろうか。

   一寸毛色が変わったところでは、谷垣禎一氏が、「万葉集」と漢籍の「毛詩」を読みたいと言う。
   
   何れにしろ、年末年始にあたって、日本を代表する政治家達が、壮大な人類の文化文明の歴史を前にして、無限に広がる先哲の教えや偉大な創造に一顧だにし得ない、そんな読書遍歴を披露しているのが一寸寂しい気がする。

   

   

   
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庭仕事と野鳥

2006年12月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   年末なので庭の雑草抜きなどを始めたが、久しぶりに使わない筋肉を動かすので何となく疲れるが、それでも冷たい風に吹かれていると気持ちが良い。
   随分寒くなったが、葉が落ちて裸になったと思っていた木々には、もう既に新しい芽が芽吹き始めている。ムラサキシキブや萩、山吹などの残った枯れ枝を見ると新芽が出ていて、短く剪定するのを逡巡してしまう。
   それに、クレマチスの枯れた蔓にも芽がでており、これも切って剪定した方が良いのが分かっていても、ついつい気が引けて残しておく。結局、こんなことが続いて庭が込んで乱雑になってしまうのだが仕方がない。
   
   雑草を取るために地面を掘り起こしていると、後から、腹がオレンジがかった茶色のアカハラがやって来て土の表面を突付き始めた。
   ミミズや土中の虫を探しているのかもしれない。
   その後、しばらくして、アカハラに良く似た少しスマートな小型の茶色の小鳥ジョウビタキが飛んで来た。
   はい寒椿の枝を渡っていたかと思うと垣根に移ったり敏捷に動き回る。
   地面に下りてアカハラのように土を掘り返して昆虫を探している。

   隣の敷地の砂利を敷いた庭には、ハクセキレイやムクドリが下りてきて小石を起こしながら歩いている。木が多くて芝生のある緑の多い私の庭には、何故かこの鳥達は近づかない。
   ハクセキレイは、刈り取りの終わった水田や川の畔に行くと良く見かけるが、コンクリートの急坂を器用に歩くのを見て驚いた。

   庭の木の実は殆ど小鳥に食べられてなくなってしまった。
   最後まで残っていた万両の実がなくなって大分経つが、地面に這いつくばっていたようなヤブランの黒い実も殆どなくなってしまった。
   その小鳥達のお陰で、結構、色々な小さな苗が地面から顔を出す。
   一番多いのは万両の苗で、可なり沢山出てくるが何故か大きく育つのはそんなに多くはない。

   木の実や花の蜜を好んでやって来るのがメジロとヒヨドリで、実を殆ど食べ尽くしたので、今は、花の蜜を吸うために椿をアタックしている。
   鋭い嘴で花を啄ばむので花が落ちたり花弁に傷がつき、花の写真を撮れないので困っているが、か弱い椿の木に足をかけて羽をバタつかせながら上手く蜜を吸っている。

   私が近づくと鳥達は逃げて行くが、庭仕事をした後で、ゆっくりと庭のイスに座ってダージリンの香りを楽しみながら憩っていると、安心したのかお構いなしに私の存在など忘れてしまって自由に花を啄ばみ庭土を掘り返し始める。
   
   先日、NHKテレビの「ターシャの贈り物」で、ターシャ・チューダーが、凍死寸前で迷い込んで来たのを蘇らせて育てている鳩を膝の上にのせて頭を指先で撫でている姿を放映していたが、野鳥でも場合によっては人と共生出来るのであろう。
   私は、庭の花も木の実も小鳥達の思うままに任せて放任しているのだが、そのために小鳥達が訪れて来てくれるのかも知れない。
   ロンドンのキューガーデンでベンチに座って休んでいると、イギリス・駒鳥が飛んで来て側の小枝に止まったので、カメラを構えてシャッターを切った。
   EOSに200ミリの望遠レンズであったが可なり上手く撮れて面白い写真が出来た。
   30年以上も前に、サンパウロの公園で、ハチドリを135ミリのレンズで追って撮ったのが私の最初の野鳥写真だが、あまり近づけなかったけれど、このハミングバードは、羽を高速で羽ばたかせて静止しながら花に嘴を入て蜜を吸うのでピンと合わせがどうにか間に合った。
   ニコンF2で撮ったとは言え、大幅に引き伸ばしてやっと鑑賞出来る写真であった。
   
   
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ソニーの出井経営論を問う・・・その2

2006年12月27日 | 経営・ビジネス
   ソニーのイノベーション戦略と関連して、出井伸之氏が「迷いと決断」で述べ推進したと言う「コンバージョン(融合)戦略であるが、私自身は、この戦略自体が、過当競争から脱出出来ないソニーの業績低迷の元凶だと思っている。

   出井氏は、コンバージョン戦略について、次のように説明している。
   「エレクトロニクスと言う核の周辺に、情報機器や映画・音楽の技が四方八方に伸びていたそれまでのソニーの体系を、ハードウエアとコンテンツを両端に持つシンプルな形にしようとした戦略です。ハードウエアとコンテンツ、このパイプの両端さえしっかり押さえておけば、真ん中の部分であるメディアの配信方法がどんなに変化しても対応していけると考えているからです。
   ハードとコンテンツはシナジー(相乗効果)を生むものではなく、それぞれ別個に独立したものです。その両者を結ぶ真ん中の部分がメディアで、IT社会においてはこの部分がもっとも激しく変化・進化していきます。
   (中略)
   ハード(テレビ、DVD、パソコン、携帯電話)とコンテンツ(映画・音楽などの作品)をしっかり押さえておけばいいのです。No.1のハードを造る、それにネット上に生まれるいいコンテンツをそろえる、と言う事をきっちりやっていけば、真ん中の部分がどんなに変化しようとも、対応が可能です。」

   出井氏がソニーのコア・ビジネスから排除した部分は、出井氏自身も述べているように最も激しく変化・進化していく分野であり、それ故にこそ、この分野、即ちソフトとハードを組み合わせて如何に価値あるイノベーションを生み出して行けるか、ここにこそイノベーションの種が犇いていて最もビジネス・チャンスがある。
   この中間の分野の知的経営活動が、必ず、ビジネス・モデルの中核を形成し支配権を握る。豊かなハードとコンテンツを活用して如何に夢のある製品を創造して行くか、必要なら、ハードやコンテンツを下請け調達すれば良いのである。
   この分野での成功がこれまでのソニーの栄光を生みだし、この分野での蹉跌がソニーの凋落を招いた原因であることが分かっていないのであろうか。

   簡単な話なので、iPodで例証しよう。
   ソニーが完全に敗北を喫しているアップルのiPodだが、出井理論から言えば正に逆説で、ハードもコンテンツもアップルよりもソニーの方が遥かに上であるから本来ならソニーが負ける筈がないと言えよう。
   しかし、ユーザーが何を求めているかを絶えず問いかけて、クリエイティブなハイテクによる楽しさを追求して新製品をデザインしてきたアップルが、フラッシュメモリー型を変換したハードディスクドライブ型携帯音楽プレーヤーと管理ソフトiTunesとを結びつけて斬新なデザインiPodを創造して世界を席巻してしまった。

   セルジオ・ジンマンに言わせれば、既存の技術を組み合わせただけで決して革新的な製品ではなく、アップルのコア・エッセンスの理論上の延長線上の製品であるからリノベーションの範疇である。
   それに、アップルは、このiPodと消費者が楽曲を合法的にダウンロード出来るオンライン・コミュニティをつくる為に、自社にはなかったコア・コンピタンシー(音楽ファイルを保存する方法等)を買収して整備した。アップルは、消費者が音楽ファイルをダウンロードして楽しんでいるのを利用して、その保存や取出しを安く簡潔便利にする手段を提供しただけに過ぎないと言えば言いすぎであろうか。
   これこそが、現在のイノベーションの本質であることを、出井戦略論は看過している。

   ウォークマンの世界的ヒットが「なるほど、技術にはストックとフローがあって、ヒット商品はその組み合わせで生まれるのだな」と考えた出井氏が、コンバージョン戦略で完全に軽視し無視したハードとコンテンツの真ん中のメディアの配信方法のところで、ネット上での音楽配信の仕組みを生かしたアップルに負けたのは皮肉も皮肉。それでも、近著で、コンバージョン戦略を説く意図が分からない。

   ところで、ソニーの最大の屈辱は恐らくビデオのベーターからの撤退であろう。
   出井氏自身が、「ソニーのエンジニアの家に泥棒が入りベータとVHSがあったのにVHSだけが盗まれた」とベータが泥棒にも見放されたと言う逸話を語っているが、このフォーマット戦争に負けたのは、VHSのフォーマットを無償で他社に公開した松下幸之助のマーケティング・販売戦略に負けた為で、いくら、出井氏の言う立派なハードを追求しても外野での戦争に負ければ何にもならないと言うことである。
   デファクト・スタンダードを確保することが如何に大切かと言うことだが、DVDフォーマット戦争でも苦杯を舐め、今度のブルーレイ・HD-DVD戦争でも決着の着かない戦争に突入しているが、ソニーも製品の質だけでは勝利できないと言うことである。
   今度のMITレポートでは、Made in Sonyで固めた最高級製品を追求すると言う過去の成功神話を放棄して、VAIOの一部を台湾業者にODM委託するとか、技術のブラックボックス化で知的所有権を確保するばかりではなく開かれた製品を追求するとかオープン戦略を取れと提言している。

   私自身は、出井氏の言うハードのテレビ、DVD,パソコン、携帯電話などは既にコモデティになってしまっていて、いくら技術開発をして持続的イノベーションを追及しても大きな効果は期待できないと思う。
   この分野での各社の品質等の製品の差は殆どなく、デジタル技術の進歩は日進月歩で、正に熾烈な価格競争で目も当てられない程急速な価格の下落ぶり。
   ソニーが目指すべきは、「新市場破壊型のイノベーション」であって、これは、必ずしも新しい発明・発見技術による革新的な製品ばかりを意味するのではなく、既存技術の新規活用であったり展開であるウォークマンやiPodようなイノベーションであって良い。
   むしろ、ソニーは、トランジスターを活用して携帯ラジオやTVを創造したように、新規の科学技術を活用して製品化して行くのがビルトインされているDNAである。
   そして、出井氏が無視し軽視したハードとソフトの間に生まれる本当のニーズを追求した製品の開発にこそソニーの真骨頂があると思っている。
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ディープインパクトの有終の美・・・アスコットの思い出

2006年12月26日 | 海外生活と旅
   日頃、TVで競馬放送など見ないのだが、一昨日は珍しく、ディープインパクトが現役最後のレースに出走すると言うので、TVの前に座った。
   後から3番手を走っていたのだが、コーナー直前に、武豊騎手が一鞭あてただけでぐんぐん速力を増し、直線コースに入ると先頭集団に躍り出て、ほんの2百メートル程でトップに立ち一挙に3馬身の差をつけてゴールに突入した。
   競争する馬達も歴戦の勇士で日本でも最高峰の筈なのだが、ダントツの速さで一挙に抜き去るその凄さは、正に感動もので、感激一入であった。
   騎手の武豊さんも凄いが、ディープインパクトの凄さは群を抜いている。
   フランスでは声価を出せなかったが、元々外国からの馬に勝利など与えてくれるような国ではないから、気にすることはなかった。

   ところで、競馬については私自身偏見があったが、アスコット競馬に出かけてから考え方が変った。
   昔、阪神間に住んでいた時に、阪神競馬や園田競馬場が近くにあって、異様な感じで多くの人たちが大挙して競馬場に入っていったり、阪急電車駅に殺到したりしているのを見ていたのと、ギャンブルだと言うことに反発があったのである。
   先日、車で中山競馬場の横を偶然通ったが、兎に角凄い構えである。
   後楽園に出かけた時に、後学のためにと思って隣接している場外馬券売り場に入って様子を見ていたが、これも凄い設備であっちこっちのディスプレーやスクリーンで出走の模様が放映されていて派手な声がスピーカーからがなりたてている。
   ずらりと金属製の格子窓のある馬券売り場が並んでいて、競馬新聞や予想紙を見ながら予想をしながら馬券を買うのであろうか、沢山の人たちがあっちこっちに屯していた。
   私には、違和感があり過ぎて近寄れない空気であった。

   もう15年程も以前になるが、イギリス在住の頃、仕事で関係のあった友人の誘いを受けて2度、アスコット競馬を見る機会があった。
   メインスタンドのあるビルの2階から上の階には、裏側が通路になったセル状の個室が並んでいてそこで宴会しながら談笑し、レースが始まると競技場のある表側のスタンドに出て観戦する。
   馬券売り場は、各階の中央にあり必要な時に買いに行けば良いのだが、その階の客だけなので混む事は殆どなくて快適である。
   一寸した会社や団体になるとこのような個室を確保していて、アスコットの期間に社交場として使っているのである。

   ところで、服装は、男性はグレーの燕尾服とシルクハット、女性は帽子着用の正装と言った出で立ちで、兎に角、ヘップバーンの「マイ・フェア・レイディ」の舞台と同じで大変華やかな社交場と化し、入場時には徹底的に検査されてカメラなど持ち込めない。
   道中は、チャーターしたリムジンで往復したが、兎に角、周辺の交通渋滞は大変なものである。広大な駐車場も上を下への大騒ぎであった。
   以前に、地方への調査のためにロンドンのバターシーのヘリポートから小型ヘリで出かけたことがあるが、丁度、アスコット競馬の当日で、待合室にはシャンパンが用意されていて、アスコット客は飾り付けた馬車に乗るような雰囲気で三々五々ヘリに乗り込んで飛び立って行ったのを思い出す。

   開催少し前になると、上手のゲートが開いて、ゴールの方向に向かってエリザベス女王陛下を先頭に皇室の人びとの馬車の列が入場してくる。
   あの頃は、まだダイアナ妃殿下のにこやかな美しい姿も遠望出来た。
   女王陛下たちがメインスタジアム正面中央のロイヤル席に着かれると愈々開幕オープンである。
   伝統だから尊いのだと言っていた学者の何とかの品格と言う本がベストセラーになっていたが、このようなアスコットのイヴェントを見ているだけでも、さすがに大英帝国で、伝統を頑なに守り伝統が息づいているのが良く分かる。 

   もう一つ忘れられない競馬の思いでは、イタリア中世の街シエナでのパリオである。
   あの世界一美しいと言われているシエナの市庁舎前のカンポ広場で年に2回行われる地区対抗競馬競争で、カラフルな衣装に身を固めた地区代表の騎手が裸馬に乗って狭い広場を馬場にして派手な競争を展開する。
   遅くシエナに着いたので会場に出かけたが既に立錐の余地なく、広場に入る出入り口は殆どブロックされていて建物や観客の隙間から会場がちらちら見える程度で、仕方なくホテルに帰ってTV観戦した。
   臨場感は少ないが、丁度、ディープインパクトの走りを中山競馬場で見るよりもプラズマ大型画面で見るほうが楽しいのと同じで結構楽しめた。
   兎に角狭い馬場で90度近いカーブを裸馬で疾走するのだから危険極まりない。壁面にぶち当たってもんどりうって騎手が吹っ飛ぶ。
   ディープインパクトの時に、興奮して中々ゲートに入れない馬が一頭いたが、この時も、中々、列に並べない馬がいて延々とスタートが遅れたが、この馬がスタートし始めると一斉に馬が走り始めた。
   結果は、この神経質な馬が優勝してしまったが、イタリア語の解説なので少ししか分からなかったが、どうもこれも作戦のようであった。

   翌朝、カンポ広場に出かけたら、砂を敷き詰めた仮説馬場を片付けていたが正に祭の後の静けさ。市庁舎の前から、優勝した地区の代表達が旗手やブラスバンドを先頭に優勝馬を引き連れて派手な凱旋行進をやり始めたのと好対照であった。

   ところで、私自身、馬券を買ったのはあのアスコットの時だけだが、競馬馬の素晴らしい美しさと走りに感激してからは、競馬に対する考え方が変ってしまった。
   素晴らしい競争馬は、正に生きた芸術作品だと思っている。
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大エルミタージュ美術館展・・・東京都美術館

2006年12月25日 | 展覧会・展示会
   鳴り物入りのエルミタージュ美術館展ではあるが、私自身は、それ程大した作品が来ているとは思わなかったが、個人的には可なり心引かれた作品があって面白かった。
   ヨーロッパ勤務が終わって帰国する前には、是非ザンクト・ペテルブルグに行きたいと思っていたのだが、ソ連邦の崩壊後でロシアの治安が非常に悪かった為に行くことが出来なかった。
   そんな訳で、欧米の目ぼしい美術館や博物館は結構訪れているのだが、このエルミタージュだけは行っていないので、憧れの美術館でもあった。

   ところで、今回来ている作品だが、チラシを飾っているゴーギャンの「果実を持つ女」にしろ、ルノワールの「扇子を持つ女」にしろ、それなりの作品だが小品で代表作品でもないし、それに、歴史的な偉大な画家の作品がある訳ではなく、何故、「大」と銘打つのか疑問である。
   「都市と自然と人びと」をテーマに、15世紀ヴェネツィアから20世紀の近代絵画まで、400年にわたるヨーロッパ絵画を網羅する、と言うところに意義があるのであろうか。
   大体、人間と自然の調和がとれた統一と言っているが、どういう意味なのか。エコシステムを壊しつつある人類の自然破壊と言う横暴のなかった古き時代の生活環境を言っているとも思えないが、私は、能書きを無視して、一点一点の絵を個々に見ながら鑑賞することにした。

   最初の「家庭の情景」の中では、綺麗な婦人を描いた作品に面白いものがあり、平凡かも知れないが、ギュスターヴ・ド・ヨンゲの「窓辺の婦人」で、正装して出かけようとしている麗人が変りやすい空模様を気にしながら外を眺めている絵など綺麗で物語があって面白いと思った。
   隣の「落ち込んで」や「オダリスク」なども綺麗な絵であった。
   「人と自然の共生」と言う所のルートヴィッヒ・クナウスの「野原の少女」などは、咲き乱れる野草の中で一人花を摘んでいる可愛い少女を描いた絵だが装飾画としては良い。
   隣の結婚前の初々しい乙女を描いた「鳥の巣を持つ女」等など、とにかく、小市民的な綺麗な絵が今回は気に入って探しながら歩いた。
   
   風景画には、可なり大型の絵があったが、殆ど二線級の画家の絵ばかりだったので、それ程の感激はなかった。
   しかし、ライスダールのオランダ風景や懐かしいヨーロッパの風景を眺めていると急に行きたくなったが、その時、自然こそが偉大な画家であり創造主だと気付いたのである。
   眼前に広がる自然の風景こそ本当に美しい、そんな感動的な美しい風景を何度もヨーロッパで見てきたが、それを永遠に残そうと思って画家達は自然と格闘していたのかも知れない。
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久しぶりの小澤征爾・・・新日本フィル定期演奏会

2006年12月24日 | クラシック音楽・オペラ
   日生劇場で「紫式部ものがたり」を見た後、銀座の写真画廊で時間を潰して錦糸町のトリフォニーでの新日本フィル定期演奏会に出かけた。
   既に病気から回復して元気になった小澤征爾の演奏会は、今回が初めてだが、心なしか年を取られたなあと言うのが第一印象であった。
   フィラデルフィアで、最初に小澤征爾指揮ボストン交響楽団のブラームスを聴いたのは、もう既に30年以上も前の話で、その後、海外ではロンドンでのサイトウ・キネン・オーケストラ演奏会で、日本に居る時は、新日本フィルの定期会員を続け、ウィーンやその他のオペラ公演等々で、随分、小澤征爾の指揮姿を見ているが、指揮棒なしの優雅な指揮姿は相変わらず健在である。
   
   最初のプログラムは、ラヴェルの『ピアノ協奏曲 ト長調』。
   ピアニストは、中国の若手ユンディ・リ。小澤征爾の突然のプログラム入れ替えで、演奏会場で始めて知ったピアニストだが、最近ニューヨークで聴いた、マゼール指揮のニューヨーク・フィル「チャイコフスキー・ピアノ協奏曲 第一番」での同じ中国人ピアニスト・ランランの豪快なタッチと違って、実に優しく温かさを秘めた素晴らしい演奏を披露してくれた。
   中国の貧しいヴァイオリニストを主人公にした「北京ヴァイオリン」の感動的な映画を思い出して、どんな訓練を受けどんな育ち方をしたのか興味を持ったが、穏やかな好青年であった。
   マルグリット・ロンが初演したと言うこのラヴェルの曲を、小澤が時々振り返りながら優しい視線を投げかけていたが、リは確かなタッチで色彩豊かにピアノを歌わせていて感動的であった。
   アンコール曲は、モーツアルトのソナタK330の第三楽章とショパンのノクターンop.9-2、やはり、印象どおりの選曲なのだが、実に優しく温かい温もりを感じさせてくれる演奏であった。

   小澤征爾は、ロシアの音楽を良く演奏するが、そのチャイコフスキーは何時聞いても素晴らしい。
   交響曲第一番「冬の日の幻想」。
   第二楽章は「陰気な土地、霧の土地」と言う副題だが、穏やかに流れる音楽を聴いていて、何故かオランダの冬景色を思い出して無性に懐かしくなってしまった。
   ロシアへは旧ソ連のタリンしか行っていないので知らないが、緯度から言ってもアムステルダムとモスクワとはそれ程変らないし、同じ陸続きでそれ程離れていない。厳しくて暗い冬景色はそれ程変らないであろうと思う。
   冬の日は短くて、それに、毎日厚い雲に覆われて曇っているので、陽が殆ど射さない。毎日、リア王の世界のような暗くて厳しい日々が長く続き、2月に街路の草むらに黄色いクロッカスの花姿を見ると狂喜するように嬉しくなる。
   しかし、そんな厳しい冬でも、厚い雲の切れ間が少し薄れて空がパステル調の薄いピンクサーモン色に染まるのをぼんやり霞んだ空気を通して見ていると、その美しさに神の創造力の偉大さを感じることがある。
   ロシア語には、ウミレニエと言う言葉があって、自然は美しい、素晴らしいと言う自然に対する畏敬の言葉のようだが、厳しい自然に対峙するロシア人の生活の知恵かも知れない。

   ところで、小澤征爾の「冬の日の幻想」だが、たたみ掛ける様な壮大なオーケストラの咆哮で終わった。
   新日本フィルの定期会員は間違いなしに小澤征爾ファン。小澤征爾の完全な復活とその音楽への感動で、温かい拍手が長く続いていた。
   指揮を終えて、まず、小澤征爾はコントラバスのところに行って、次に、金管、木管、管楽器の所へ行って楽団員を労っていた。
   打楽器も上手くなった。
   弦の素晴らしさは勿論だが、新日本フィルは、昔から思えば随分素晴らしい楽団になったと思っている。
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ソニーの出井経営論を問う・・・その1

2006年12月23日 | 経営・ビジネス
   前ソニーCEO出井伸之氏が「迷いと決断」と言う新書を出して、ソニーの経営について思いの丈を開陳していて非常に興味深く読んだ。
   結論としては、だからソニーが駄目になったんだと言う印象がどうしても拭い切れない。勿論、出井氏の経営にも問題があるが、ソニー本体にある根深い大企業としての病根も深い。
   ソニーの経営不在を出井氏がこの本で暴露していると言っては言いすぎであろうか。そんな気がしている。

   何回かにわたって出井経営とソニーの問題について論じる心算だが、真っ先に気になったのは、イノベーターとしてのソニーに対する出井氏の考え方と危機意識を持ちながらの優柔不断な経営である。
   出井氏が社長を引き受けた時にはソニーの生存率が50%以下だったと言うくらいに悪化していたようだが、製品開発と経営で大賀会長と衝突した時に、出井氏は「技術にこだわり、製品にこだわったファウンダー世代と、ソニーそのものを変革して建て直して会社を運営して行こうするプロ経営者との違いだ」と認識したと言う。
   確かに経済と会社の成長期が一致していたソニーは、後先を考えずに夢のある製品を開発して生産を拡大し続ければ、財務諸表や会計を無視して経営していてもドンドン成長できたのであろう。
   その結果が、アナログからデジタルへの移行、IT革命時代への突入と一致していて、ソニーのビジネスモデルの転換の遅れとが呼応して、経営指標の悪化を招いた、その時期に出井氏が社長になったと言うことであろうか。

   出井氏が社長になってからも、特に、ソニーショックが世間を騒がせた時にもまだ経営不在が続いていたと思うのだが、ファウンダー経営者の時代は、完全に経営不在であり、それでも多くの日本の大企業と同様にソニーは成長し続けることが出来たのである。
   しかし、ソニーと他社との根本的な違いは、ソニーはイノベーターとして新しい革新的な製品を市場に排出しながら成長街道を驀進してきたと言うことである。
   出井氏は、技術にこだわり製品開発に拘ったファウンダー世代の企業哲学を転換しようとしたが、このイノベーション精神そのものがソニーの起爆剤でありDNAであり、ソニーのコアエッセンスであったのである。

   同じ様な問題をキヤノンも抱えていたが、御手洗社長がキャッシュフロー経営を徹底させて、R&D,技術革新のための原資を利益と内部留保を確保することによって捻出出来るように経営改革を行ったし、松下も同じ危機に遭遇しながら中村革命を果敢に実行することによって革新技術指向を目指した経営で立ち直った。
   出井氏は、ファウンダー経営者でない弱い立場に立ちながら、キャッシュフロー経営の重要さとEVA重視の経営を指向しながら実施し得なかった苦衷を語っているが、遅過ぎたし中途半端過ぎた。

   他社にはないイノベーターとしてのDNAをビルトインされたソニーにとっては、技術、革新指向のエネルギーと意思を削いでしまったら、ソニー精神そのものが死んでしまう。
   キャッシュフローが枯渇して生存率50%以下に落ちたソニーを生かすためには製品開発よりもコスト削減等のリジェネレーションだと言う出井経営哲学も正しいが、しかし、ソニーには強烈なリヴァイアサン・金食い虫の技術集団を抱えているので、キヤノンや松下よりはるかに多くの余剰資金が必要だったし、何倍も早急でなければならなかった。その認識があったかどうか。

   出井氏は、ソニーにバランスシート重視、キャッシュフロー重視の経営を導入したと言っているが、その出井氏が、2003年4月、1000億円以上の当期損出を発表してソニーショックでソニー株が暴落した後も、無防備にも金融部門を除いた売上高営業利益率10%を目指すなどと経営数字に裏打ちされていない根拠のない数字を発表していた。
   出井氏は、社長就任以前の1993年にソニーの財務体質が悪く毀損していることを認識して「今後の10年に向けた3つの提言」を提出している。
   それから10年、もう既に社長就任後8年を経過しており、社長就任時にソニーが本当に生存率50%の危機的状態にあったのなら十分に経営改革を実施できる時間があった筈にも拘らず、この程度の認識であり、今回の著書で、健全なバランスシートを維持するための会計処理が大幅赤字となりそれが市場で誤解されて生じたソニーショックだと言う詭弁などは言語道断であろう。

   私は、出井CEOを筆頭に当時の経営者は少なくともバランスシートが読めなかったのだと言いたいし、ソニーにはまともな経営管理システムが不在であったのだと言いたいと思っている。
   そうでなければ、松下が血の滲むような改革を行って再生を終わっていた時期にあれほど脳天気な経営態度でソニーショックに対応出来る筈がない。
   CEO退任時に小谷キャスターに聞かれて自分の経営を「頑張ったんだが環境が悪くて・・・」と答えていたが、天下のソニーの総大将が口が裂けても言ってはいけないことを口走った。「中村革命がなければ松下は潰れていた」と言っていた中村会長やキヤノンの御手洗会長の危機意識と果敢な経営改革との落差があまりにも大きすぎる。

   ソニーは、新しい技術が生まれた時に、潜在的なニーズを先取りしてコンシューマーの心をキャッチするような製品開発に結びつけるセンスを磨いて、受動デバイスの会社として成長してきた。
   他者が発明したトランジスターを活用してラジオを作り、ウォークマンも、決して最先端の技術があって実現した商品ではなく、再生専用のハイファイに特化したアプリケーションの勝利の作品である。正にその通り。
   ところが、デジタル時代、半導体の時代に突入すると一挙に技術がジャンプする時代になって独自の差別的な技術開発が必須になって来た、と仰るがそれもそうであろう。
   大切な事は、シュンペーターのイノベーション論を勉強してもらえばソニーの本当のイノベーションとは何かが分かると思うが、あのクリステンセンでさえ、トランジスターラジオが、ウォークマンが、ソニーの破壊的イノベーションだと認めているのである。
   コモディテイもコモディティ、コモディティの最たるコーヒーを煎れるサービスだけで世界を制覇した「スターバックス」、これがイノベーションだと言うことを理解していたら、ソニーの舵取りは違ってきていたことは間違いない。

   結局、ソニーの快進撃を支えてきたイノベーションと新技術と製品開発DNAの意義を理解しなかった為に、折角、独自開発したメモリーステックウォークマンを作り出しながらソニーミュージックを保護したためにiPodに敗北し、トリニトロンの薄型化の成功がプラズマトロンを殺し液晶TVへの参入が遅れ、VAIOではパソコン直販方式のデルに破れ、フェリカでは正しい導入方法を誤って商機を逸し、兎に角、久多良木氏の開発したPS以外は総て2番手以下で、ソニーの栄光は消えて行った。
   現在のソニーの製品は大半コモデティのジャンルで、イノベーションでも持続的イノベーションの範疇。まして、デジタル時代で、ウイナー・テイクス・オール、ナンバーワンでなければ生きて行けない世界である。
   真のイノベーターとしてのソニーのビジネス戦略の再構築が必要であろう。
   
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大地真央の「紫式部ものがたり」

2006年12月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   紫式部ものがたりと言うことだけに惹かれて観劇に出かけた。
   私にとっては、京都を歩き回っていたので、学生時代から平家物語と源氏物語は特別な関心事であった。可もなく不可もなく、綺麗な舞台を見て、昔子供の頃に見た宝塚少女歌劇の舞台を思い出した。
   小中時代を兵庫県の宝塚で過ごしたので、あの頃毎月団体映画鑑賞の野外授業があって、宝塚大劇場にディズニーなどの映画を見に行っていたのだが、映画のない時などには、宝塚の華麗な舞台を見せてくれた。
   もっとも、舌切り雀とかお伽草紙と言った子供が見てもよさそうな出し物の時だけだが、しかし、あの豪華絢爛たる美しい世界には魅了されて見ていた。

   学校の学芸会の時に、宝塚少女歌劇の道具部屋に入って衣装を借りに行ったことがあった。舞台とは天地の差で汚い所だなあと思った記憶があるが、おねえさんたちが使ったのか使ってないのか知らないが、王様の衣装を借りて帰って劇をやった記憶がある。
   宝塚の俗称花道と言う宝塚駅から劇場までの小高くなっていた遊歩道を袴を履いた綺麗なズカ・スターたちが歩いていたのを覚えている。

   ところで、日本の強力な女優育成供給源である宝塚からは素晴らしいスター達が沢山出ていて、その舞台を見ることが結構あり、幸四郎のオテロで共演した黒木瞳などは勿論、今回、紫式部を演じた大地真央のローマの休日など見ているのだが、どうしても、私にとっては宝塚ガール的なイメージが強すぎる。
   紫式部の大地真央は、正に、宝塚の舞台を見ているような感じで、特に、光源氏を演じた「夕顔」と「紅葉賀」の青海波の舞の舞台など彼女の宝塚での真骨頂であろう。兎に角、実に優雅で美しい。

   ところで、このロック調のミュージカル仕立ての紫式部ものがたりだが、紫式部が藤原道長(升毅)に恋をして彼と源氏のイメージをダブらせて源氏物語を書き進めて行く展開になっている。
   月の美しい夜、物書きをしていてまどろんでいる所に道長がやって来て抱き絞められ、道長に自分を主人公にした源氏物語を書いてくれと言われて紫式部の名を授けられる。
   月の光の君として道長を思いながらイメージを膨らまて源氏物語を書くのだが、魑魅魍魎に惑わされ不幸に喘ぐ庶民の世界をも書き込むことに目覚めた紫式部の筆は道長の「美しい物語」から段々離れて行く。
   最後に、道長に恋を迫られるのだが「物語を書くことに恋をしました」と突っぱねる。

   早坂暁の「恐ろしや源氏物語」を原作にした映画「千年の恋」では、天海祐希が素晴らしい光源氏を演じていたが、ここでは、吉永小百合の紫式部は、渡辺謙の道長を部屋の戸を閉め切って寄せ付けない。
   権力者道長に逆らう術もなく開けっ放しであった筈の部屋住まいの紫式部が道長を拒絶出来たとは思えないが、源融がモデルとも言われてはいるが、この舞台のように道長が半分モデルとなっているのも事実かも知れない。

   アメリカの日本文学の学者ライザ・ビルダーの「紫式部物語 THE TALE of MURASAKI」と言うユニークな小説を読んだ事があるが、殆ど、式部については記録が残っていないので、この齋藤雅文氏の脚本は自由奔放にイメージを膨らませた展開になっている。
   世代の合わない陰陽師の安倍清明(姜伸雄)を出してみたり、引退していた筈の清少納言(酒井美紀)や和泉式部(いしのようこ)を絡ませたり、兎に角、清少納言の主人・中宮定子を幽霊にしたり、魑魅魍魎達がロックのリズムに乗って踊りまわる宮田慶子さんの演出とが上手く呼応して面白い舞台を作り出している。
   
   ところで、箱入り娘で籠の鳥の典型である中宮彰子(神田沙也加)が、式部が、自分を源氏物語の中で藤壺の宮として描いてくれているのだと言う件が面白い。
   帝が自分の父道長の政争の具として早くに亡くなった中宮定子を愛していて自分には寵愛がないのだと思って居ると言う設定だが、松田聖子の娘としてではなく一人の若い新進の女優として神田沙也加は可なり雰囲気を出した舞台を演じていて可愛いだけではない存在感を示していた。

   大地真央のコミカルな演技だが中々ユニークで、先の「功名が辻」でのお市の方の美しさ、宝塚の男役としての優雅さと相まって十分に楽しめる舞台を作り出していた。
   美しいだけではない、歌って踊って、硬軟取り混ぜたバリエーションのある演技が出来て、男役も女役も優雅に美しく演じられる、シェイクスピア役者には程遠いかも知れないが、見せる女優としての大地真央の存在は貴重である。
   この舞台で、私が見て知っている役者は、紫式部の父藤原為時を演じた上條恒彦だけだが、流石にベテランで舞台の要となって大地を支えている感じであった。
   清少納言の酒井美紀、和泉式部のいしのようこ、道長の升毅、清明の姜伸雄など脇役も結構楽しみながら達者な演技をしていて魅せてくれた。   
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十二月大歌舞伎・・・菊五郎の「芝浜皮財布」「出刃打お玉」

2006年12月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   12月の歌舞伎座は、菊五郎と菊之助の活躍する舞台で音羽屋の世界である。
   当然、ロービーには、富司純子さんの姿が見える。

   「芝浜の皮財布」は、3年ほど前に菊五郎と魁春の同じ舞台を観ているのだが、「出刃打お玉」の方は始めてだったので、菊五郎の別な芸の一面が見えて面白かった。
   「いかにも女らしい女は好きではなく男らしい女が好きなので」と言う池波正太郎に梅幸が頼んで出来上がった作品とかで、兎に角、この肝っ玉母さんのような遊女お玉(菊五郎)を主人公に、それを取り巻く男達、特に、名実共に男にしてやる侍・増田正蔵(梅玉)を絡ませて描く江戸谷中の舞台はしんみりさせて中々面白い。

   冒頭、谷中の岡場所の近江屋の舞台、お玉の馴染み客である広円和尚(田之助)が肘をついて寝そべっているお玉の肩を揉んでいる姿が現れるのだが、もうこれだけで、江戸のあのあたりの雰囲気がむんむんして来るほど江戸情緒の豊かな舞台である。
   何するでもなくお玉の肩を揉むだけでいそいそと嬉しそうに通ってくる助べえ和尚を田之助が実に上手く情感豊かに演じていて流石であると思ってみていた。
   お玉を金蔓にしているどんでんの新助(友右衛門)や朋輩・おろく(時蔵)との絡みも刺身のつまだが、やはり、話の眼目は、お玉を見初めて筆おろしする増田正蔵との展開である。
   
   初めてなのに見栄を張って女を知っていると強がる正蔵の梅玉と、その道百戦錬磨のお玉の菊五郎。初心な梅玉とそれを愛しがるベテランの菊五郎の醸し出す何とも言えない人間模様が実に面白い。 
   お玉を抱いた後、酒に紛れて正蔵は自分の身の上話を語り、親の仇討ちの為に剣術の達人に返り討ちを覚悟で立ち向かうとお玉に明かす。
   入谷正覚寺裏の百姓家の裏での決闘で、途中お玉が出刃を仇の森藤十郎(團蔵)の目に打ち込み加勢したので、へっぴり腰で立向っていた正蔵は止めを刺して本懐を遂げる。
   28年後、お玉が下女として働いている出合茶屋吉野屋に大名家の家臣として立派になった正蔵が、商売女に飽きたので男を知らない女を抱きたいと言って遊びに来る。
   お玉が、それを庭越しに見ていて、更に、仇討ちの自慢話をする正蔵の前に現れて、からかうと知らぬ存ぜぬと言ってお玉を殴ると慌てて帰って行く。お玉は頭に来て酒を煽る。
   正蔵が、吉野屋から急いで出て不忍池の畔で家来を待っていると、お玉が後を付けて来て物陰から正蔵の目に出刃を打ち込む。家来がお玉を追うとするが正蔵は止める。

   このラストのシーンが意味深で、「止めを刺そうと思えば刺せるのに何故?」とお玉は自問するが、しばらくして、得心したようにニコッと笑って幕となる。
   筆おろし、そして、仇討ちの助太刀、と名実共に男にしてやった正蔵である、よもやお玉ねえさんを忘れまい、と言う以外に、男と女の微妙な心の触れ合いを感じて嬉しかったのであろうか。  
   一方、正蔵の方も、追っかけようとする家来を捨て置けと征して花道を下がって行く。恥ずかしい過去を掻き消す為だけならお玉を消していただろうが、あまりにも強烈な印象の刻印を押してくれたお玉に特別な思いを感じてしまったのかも知れない。

   この人間臭くて微妙な心の触れ合いは、勿論、池波正太郎の創作だが、その年下の男を可愛がる年上の女の絡みと言う作者の経験を色濃く背負った心象風景を菊五郎と梅玉が実に丁寧に描き出している。これを、若い歌舞伎役者が演じたらどうだろうと思ってみていたが、多分、駄目であろう。
   気風のいい、そして、半分女であることを捨てながら男を引き付ける、そんな年増女を菊五郎は多少色気を感じさせながら上手く演じており、特に、年老いてからの掃除女風の下女への転換は実に見事である。最後の正蔵を出刃打ちするあたりになるとかっての艶姿をちらりと覗かせている。
   仇討ちで死ぬのは分かっているので冥土の土産に思いを遂げたいと思ってお玉に近づく童貞男の初々しさと腰抜け侍として決闘に挑む冴えない男、そして、出世して好色面の一寸卑劣な中年侍を梅玉が器用に演じていて面白い。
   
   昼の部の「芝浜皮財布」だが、落語種の人気の高い世話狂言で、しんみりとさせる作品で、前に見た菊五郎と魁春コンビの情感豊かな舞台をまた楽しむことが出来た。
   江戸庶民の夫婦の情愛、同業仲間の人間模様など実に上手く描かれていて、この世界になると菊五郎の独壇場で、それに、裏長屋のおかみさん役の魁春が実に上手い。
   夢か現か幻か。間違って朝早く起きすぎて真っ暗な魚市場で皮財布を拾ったが、日頃有り得ないことが起こったので、妻に夢を見て居たんだと言われれば、夢か現か分からなくなってしまった。
   まして、今日のようなIT革命によるサイバー社会ともなれば、仮想の世界と現実世界の判別が益々難しくなってくる。
   芝居の上の話だと言ってしまえばそれまでだが、現実には夢か現か分からないような世界に生きているのだから、身につまされて観ている、そんな楽しい、しかし、一寸胸に染む舞台であった。
   

   
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内部統制について語る・・・上村達男早大教授

2006年12月20日 | 政治・経済・社会
   日経産業新聞のセミナーで、早大の上村達男教授が「機関の統合システムとしての内部統制」について講演を行った。
   「日本SOX法の施行を考える」セミナーの一環だが、非常に丁寧に、何時ものように法制度のバックから説き起こして持論を展開していて面白かった。

   欧米が何百年もかけて築いて来た法体系、株式会社が証券市場と向き合うと言う新しい法体制を、全くと言って良いほどバックにこのような経験のない日本に一挙に導入しようとしている。
   経営者はどうあるべきかと言う前に長島監督のようにスターであり、資本調達は間接金融で銀行から、意思決定は官僚主導で、大衆の意向は労働組合で、と言った調子で育ってきた日本の経済社会体制を、マーケット、株主、そして、個人主導の全く異質なアメリカの法体系に順応させようとしているのである。

   興味深かった指摘の一つは、コーポレートガバナンスと言うのは、本来株式会社は証券市場を活用した制度であるから証券市場の要請を実現する為のもので、株主以前、即ち、株式会社が成立する以前から投資者や市民社会の為にあるものだと言う点であった。

   金融商品取引法(証取法)で大切なことは、公正な価格形成で、品質と価値と価格での公正な競争が行われて真実の価値が把握されることが生命線である。
   その為には、会社の適時適切な情報開示が必須であり、このSOX法の基本概念である開示統制と一体になった内部統制こそが資本市場を担う内部統制であると言うのである。

   資本市場のための監査制度については、独立の「共通の」資格者による「共通の」基準に従った検証行為、高度に公益的な一つの「ものさし」監査が、市場の成立条件である。
   監査法人については、会社の会計顧問ではなく、特別利害関係がない独立の監査人であり、マーケットに向けた検証行為でなければならない。
   これは、会社の社外取締役や社外監査役にも言えることで、会社から独立していると言うことが要件で、社外の役員は会社を知らないから駄目だと言うのはおかしいと言う。
   当該会社を知り過ぎている、詳しいと言うことがむしろ駄目であって、会社を良く知っている監査人や弁護士を社外役員にするのは違法だと言うのである。
   法が意図している社外は、あくまで会社から独立INDEPENDENTでなければならないと言う意味であってこの要件を満たさなければ違法であると言うことだが、その前に、独立でなければコーポレートガバナンスが骨抜きになってしまって機能しないであろう。
   ところで、某企業の監査役会の構成だが、監査役総数5名で、社外監査役三人の内、一人は元顧問弁護士、一人は元担当公認会計士で長年にわたって会社の為に働いており、もう一人はメインバンク出身者と言う陣容であるから会社法の社外要件を満足していないので上村理論によると完全に違法だと言うことであろうか。

   公認会計士・監査法人監査を行うと監査証明を発行することになるが、その前に、会社の内部統制システムが満足行くような状態に構築されていなければ、これでは監査意見を述べられない、監査証明を出せないと拒否するのが監査法人の重要な職責の一部であると認識すべきであると言う。
   内部統制システムの構築はトップの責任であり、そのシステムの完成があっての監査なのである。
   以前は、企業不祥事等については責任が曖昧であったが、今では、内部統制システムが整備されていなければトップの責任は免れず、整備されていれば当事者の責任と言うことになろう。

   内部統制は、監査人、経営者、社外取締役、監査役夫々にとって、公開会社の諸機関の機能を左右する第4の機関だと言う。
   この内部統制があって始めて裁判で争うことが可能となり、まず、何よりも機能させるために仏を入れることが大切だと言う。

   もう一つ面白かったのは、有限会社制度の廃止などで殆どの会社を株式会社にしてしまった新会社法に対して、「立法の堕落」であると指摘したことである。
   
   
   

   

   
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温暖化でアルプス・スキーが出来なくなる?・・・OECD

2006年12月19日 | 地球温暖化・環境問題
   先日、OECDが、地球温暖化の影響を受けて、アルプスの雪が少なくなって10%位のスキー場が通常の営業を行えず、地域のスキー場の経営のみならず地域経済に打撃を与えつつあると発表した。
   現在アルプス地域に666のスキー場が存在するが、気温が1度上がるスキー場の数が500となり、4度上がると200くらいに減少してしまうと言うのである。
   人工雪の活用も考えられているが、その為には水やエネルギーの消費が拡大し、周りの景観やエコロジーを破壊する恐れがあり、アルプス地域の経済全体に大々的な影響を与えると言うのである。
   氷河の後退を避けるためにプラスチック・シートで氷河を保護しても更に温暖化が進めば手の施しようもないし、スロープを掘り込んで地盤を変えたり水路を変更したりしても、自然環境にダメッジを与え洪水や岩石の崩落を引き起こす心配があるので、営業時間を短縮するなど現状維持がやっとだと言うことらしい。
   それに、このまま温暖化が進んで行って、ある水準を越えてしまうと打つ手ががなくなってしまう。
   一番被害を受けているのはドイツで、続いてオーストリア、フランス、イタリアの順で、スイスの被害が最も少ないと言うのだが、この地方の観光収入、特に冬季のビジネス収入は経済に大きな影響力を持っているのである。

   私はスキーが出来ないのでスキー場に行ったことがないので詳しいことは分からないが、旅行の途中にアルプスのスキー場は側で見ている。
   シャレードの冒頭、ヘップバーンが子供に水鉄砲で撃たれるあのレストランのあの席付近に座って長い間華麗にスキーを楽しむスキー客を見ていたし、マッターホーンのケーブル駅から多くのスキー客が3000メートルの高みから一挙に滑降していくのを見たこともある。
   ダボスの国際会議に出席した時も、休みの時に、ホテルの横のケーブルカーでスキー客に混じって頂上まで上ってスキー客の優雅な動きを追っていた。
   何れにしろ、冬にスイスを訪れて雪に覆われたアルプスの景観を楽しもうと思うような観光客はマイナーで、ケーブルカーや登山電車の乗客の殆どはスキー客なのである。

   地球温暖化については、人類の大半は気にもかけていないと思うが、オゾン層が破壊されて大変なことになると言った高度なエコシステムの破綻問題などは別にして、誰にも分かることは、南極や北極の氷が解けて水面が上昇して行き、少しずつ我々が住んでいる陸地が沈んで行くと言うことである。
   モルジブなどで水没が心配されているし、ヴェニスでも洪水の時には殆ど水没するので水面の上昇は脅威であり、そんなところが世界いたるところに出現している。

   私が地球温暖化しているのを一番感じるのは京都の紅葉の時期である。
   京都で学生生活を送っていた頃は、確か、11月のはじめの文化の日のあたりで紅葉を楽しめたが、最近では11月の末頃になり、今年は12月に入ってからだったという。

   ところで、このOECDの「Adapting Winter Tourism and Natural Hazard Manegement」だが、正式なレポートは、来年2月に発行されるようだが、「OECDは、気候変化がヨーロッパのスキービジネスを恐怖に陥れていると警告」と言った簡単な事前報告では、自然現象の変化が、如何に人類の将来にとってシアリアスかと言った根本的な問題については一切触れられていない。
   地球のエコシステムにおいても、煮え蛙現象が起こるのではなかろうかと心配するのは、どうも私だけのようである。
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ブラジルは未来大国なのか・・・その3

2006年12月18日 | 政治・経済・社会
   日経ビジネスの特集で、ブラジル企業についての記述があり、国策企業であるペトロブラス、リオドセ、エンブラエル、ブラデスコと言った名前に接して懐かしくなった。
   当時も健在であったが、大変な変化を遂げているのである。

   興味を引いたのは、航空機製造会社エンブラエルのことで、小型ジェット機製造でカナダのバンバルディアを抜いて、航空機製造で、ボーイングとエアバスに次ぐ、世界第3位に躍進したと言うのである。
   私がブラジルにいた時、エンブラエルのプロペラ小型旅客機バンレイランテスEMB110が飛んでいて、リオやサンパウロから地方に行く短距離の旅行に乗ったが、ブラジル製の飛行機と言うので何となく不安を感じた記憶がある。

   この日経ビジネスの記述で、航空業界での「ハブ・アンド・スポーク」システムの衰退で、大きなターミナル空港をハブ空港にして路線網を引くと言う旧来のシステムよりも、拠点間を単独に直結するダイレクト方式の進展で、小型旅客機需要が拡大し、その波に乗った結果だと言うことが分かった。
   一時経営危機に陥って倒産寸前まで行ったが民営化され仏ダッソー社の資本参加によって立ち直り、新しく開発した50人乗りのエンブラエルERJ145や35人乗りのERJ135が好調に売れているのである。
   キム&モボルニュの「ブルー・オーシャン戦略」等の経営学書で、アメリカのサウスウエスト航空の革新的な経営による快進撃を紹介しているが、この会社の経営のポイントが、徹底した合理化とスピード、サービスと同時に、ハブ空港システムを排除した2地点間の頻繁なフライトなのである。
   徹底的な合理化経営を推進して、航空運賃の価格破壊を行って、赤字で呻吟する競合の大手航空会社を駆逐してしまった。
   サウスウエストは、ボーイング737で全機種揃えているが、このような航空業界の革命的変化が展開するにつれて、他の欧米の航空会社が、エンブラエルの小型ジェット機の顧客となって需要が拡大している。

   このERJ145は入りに面した左側は一列、反対側は2列の可なり座席がしっかりしたジェット機で、ヨーロッパでの都市間移動時に、シティ・ホッパーと言う感じで何度か乗った経験がある。
   ボーイングもエアバスも小型機に力を入れたようだが、大型機を小型にした感じで、小型機専門メーカーの徹底的な工夫と拘りに勝てなかったようである。
   最近、アメリカの地方に行って空を飛んでいないので分からないが、ヨーロッパでは、大小取り混ぜて多くの空港があり、都市間の航空連絡が頻繁であり、旅客数もそんなに多くないので、乗客数120人以下の小型ジェット旅客機が頻繁に飛んでいる。
   そして、その航空運賃が結構安い。

   私は、全日空やJALが経営悪化で苦しんでいるが理由は簡単で、世界の航空業界の常識に反した経営をしているからである。
   何故かというと、地方空港間の路線サービスが少なく、また、地方空港からハブへの、或いは、地方空港を結ぶローカル線の運賃が異常に高く、その路線に競争相手がなければ千載一遇のチャンスとばかり高くして下げないことである。
   北海道内をローカル移動する運賃が千歳から羽田までの安い運賃より高いのは異常だと思わない感覚である。
   運賃は国交省が決めているのなら、国がバカだとしか言いようがない。

   このブログで、坂村健教授の話を引用して、「富山プートラム」が、儲からないからサービス本数を減らしたのを逆に本数を増やして使い易くする等、老人や障害者などの利便性を向上して顧客でなかった顧客を取り込んで増収を図り黒字化した話を書いた。
   サウスウエスト航空の経営方式を勉強して徹底的に地方路線の合理化を図って、運賃を安くし航空便数を増やして顧客を掘り起こすこと、誰も喜んで乗らないような路線を何時までも維持していても駄目である。
   都市間移動で飛行機で飛ぶと新幹線より安い、そんなことは簡単に出来るはずだが、国交省がそれを妨げているのなら、観光立国などと言う看板は外すべきである。日本で一番価格破壊していないのは、交通運賃で、運輸行政の貧困度は世界で群を抜いている。
   サウスウエスト航空方式を導入して経営合理化を図り地方都市間の航空需要を掘り起こせば必ず業績は向上する筈で、まず、損して得取れと言う戦略である。
   
   ブラジルの話が飛んでしまったが、これもグローバルビジネスの一環かも知れない。
   
   
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ブラジルは未来大国なのか・・・その2

2006年12月17日 | 政治・経済・社会
   日経ビジネスの記事で、当時、活躍していたイシブラス(石川島播磨のブラジル法人)や進出直後のホンダについて書かれていたので面白く読んだ。
   イシブラスは、リオ・デ・ジャネイロに巨大な工場を構えて活躍しており、その現法の社長が日本本社の社長に横滑りしたのだから良好な業績を上げていたのであろう。
   しかし、その後の日本での造船不況でブラジルから撤退したようである。

   一方ホンダの方は、アマゾンのマナウスに新工場を建設して生産を始めた直後に、サンパウロの日本商工会議所の団体で視察に行ったことがある。
   ブラジル製の鉄の質が悪くてプレスすると割れてしまって燃料タンクが生産できないのだとエンジニアが嘆いていたのを思い出す。
   当時ブラジル政府は、国防上やアマゾン流域の開発を進めるために、北伯・アマゾン開発の為の税金を賦課して取っており、マナウスにフリーゾーンを設けて関税等で外資を優遇していた。
   現在、ブラジルの二輪車市場の8割をホンダが抑えていると言うが、市場から遠く離れていて、ろくに部品を生産できる下請けもなく、自然環境の熾烈なところで、それに、政変や異常な経済社会環境の中で、良く耐えに耐え頑張ってきたと思っている。

   このマナウスは、イギリス人がゴムの木の苗を密輸してマレーシアに持ち出すまでは、ゴムの唯一の生産地でゴム景気に沸く黄金郷であり、黄金張りの教会が建てられたり、素晴らしいオペラハウスが建設されエンリコ・カルーソもステージに立ったことがある。
   私の訪れた時は、滔々と流れて対岸の見えないアマゾンに河イルカが飛び跳ねていたが、暑過ぎて高級ホテルでもクーラーが効かず寝られなかったのを思い出す。
   この地域が工業化されて、地球上に残された唯一の巨大酸素供給源である熱帯雨林が破壊し続けられればどうなるか。エコシステムの破壊で、完全に人類は死滅してしまうことは間違いない。
   BRIC’s、BRIC’sと言って騒いでいる人類の愚かさ加減が、無性に悲しい。

   サンパウロに住んでいた頃、日本やアメリカから帰る時に、丁度空が白みかけた頃に、アマゾンの熱帯雨林の上空にさしかかる。
   何時間もこの景色が延々と続いていて途切れないほど巨大なのだが、濃緑の中を蛇行して光っているアマゾンを見ると、何故か何時も堪らなく懐かしく感じてブラジルに帰ってきたと言う感激を味わっていた。
   しかし、悲しいかな、この濃緑のジャングルも今やアバタだらけだと言う。
   
   サンパウロの南方のクリチーバやポルト・アレグレなどやウルグアイ国境にかけて、イタリアやドイツ移民の多い温暖で民度の高い開発された豊かな地方があるのだから、アマゾンに手をつけずに、何故この地方の開発で満足出来なかったのか疑問に感じたことがある。
   日本の場合にも、日本全国を同じ様に開発しようとしたが、特に、ブラジルの場合のアマゾンは特別の地域であるので、場合によっては、世界の国々がブラジルへ十分な見返りを提供してでも、国際管理にすべきほどの重要な意味を持つと思っている。

   日経ビジネスでは、味の素や日本の商社の活躍について書いているが、当時は、銀行や商社、保険会社等多くの日本企業が進出していたが、大体、ブラジルでの地場産業として活躍していた企業は少なくて、殆どは、進出していた日本企業間の仕事をしていたので、謂わば根無し草であった。
   従って、ブラジルが不況になってブラジルブームが収束すると殆どの企業が撤退した。現在日本企業が活躍しているのなら、第二の日本企業の進出回帰かも知れない。
   この傾向は、私がいたロンドンなどでも同じで、ブームだと大挙して進出するが、不況等で日本企業が撤退し始めると連鎖的に日本企業が撤退し、一挙に日本レストランや日本の百貨店の出店などで閑古鳥が鳴き始めて閉鎖に至る。
   今日では、日本の企業もメーカー等を筆頭にグローバル化した大企業が世界各地で地場産業として根付き始めているが、サービス産業の場合は、まだグローバル企業として伍して行く実力と実績には程遠く国際化の遅れを感じる。

   話は飛ぶが、BRIC’sの中では、中国とインドが脚光を浴びているが、私は、日本にとって、ブラジルが一番アプローチに適した国だと思っている。
   100万人以上の優秀な同胞の民が居ると言うことが最大の武器で、中国ビジネスでの華僑とのチャイニーズ・コネクションを見れば分かるし、インドと世界各国の印僑との強力な結び付きを見れば一目瞭然である。
   今も昔も、サンパウロには1%の日系人しか居ないのにサンパウロ大学の学生の10%は日系人であり、まだ、日系社会の日本社会への帰属意識は強いと言う。
   昔のように日系人を手足として使うのではなく一切のブラジルでの事業を任せる積もりでアプローチするのである。
   地球に残された数少ない秘境アマゾンにアプローチするのは反対だが、他のBRIC’sと比べても凌駕するような膨大な天然資源を擁するブラジルとのコラボレーションの価値は無尽蔵である。
   それに、時差が12時間あるので24時間ビジネスを展開できる。
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