熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

安倍首相に国民は何故NOと言ったのか

2007年07月31日 | 政治・経済・社会
   リーダーシップに欠けるリーダーが国をリードするとどういうことになるのかと言う典型的なケースが、今回の参議院議員選挙である。
   経験・実績も政治的バックグラウンドも希薄な人物がトップに上り詰めたのであるから、八方美人的に四方八方に気を配り論功行賞的な人事政策を取らなければならなかったことは仕方がないにしても、あまりにも、無為無策に走り過ぎたきらいがある。

   首相のリーダーシップの欠如をいみじくも示したのは、赤城農相の経費疑惑問題である。
   選挙直前に出た領収書コピー等は、単純な経理的ミスでは絶対起こりえない、悪質な意図なければあり得ない話であって、それ以前にも、赤城農相が如何にも子供だましの対応で世間を欺き通していたにも拘わらず、首相は、一切、有効な対策を取らずに頬被りし続けた。
   小泉時代にも日銀福井総裁問題で時が経つのを待ってうやむやにしたケースがあるが、安倍首相になってからは柳沢厚生労働大臣問題をはじめ、首相自らリーダーシップを発揮して大臣などの責任問題を明確にして処理したケースは皆無であり、首相に自分の部下は勿論政府を統治する能力のないことを完全に暴露してしまった。

   久間防衛大臣の場合は、公明党の浜四津議員の発言が引き金になったのであって、その前に、首相は注意せよと諭しただけで、当の防衛相も今後注意していきたいと思いますと言った能天気な答えをTVでしていたが、漫画としか思えないような茶番劇場が安倍内閣なのである。
   麻生外相のアルツハイマー病の場合もそうだが、あまりにも程度の低いお粗末な閣僚達の行動に、国民は段々嫌気が刺し始めているのに、相変わらず、首相は美しい国日本などと言う言語明瞭意味不明のスローガンを壊れた蓄音機のように繰り返し続けるので、どんどん民意が離れていってしまった。

   今度の選挙の最大の問題は、やはり社会保険庁の年金問題のあまりにも深刻な役人の腐敗と杜撰な事務処理であり、進んだ民主国家ではあり得る筈のない信じられないような事件である。
   政府は早急に処理すると答えたが国民は、最早、政府を見限り、この自民党政権では、駄目だと思い始めてきた。
   もっと国民を直撃したのは、直前に送られてきた地方税の増税通知であり、それまでにじりじり生活を圧迫してきている税金や社会保障関連費のアップであり、所得が増えずに可処分所得が異常に減ってしまったことである。
   地方の疲弊も含めて小泉改革の後遺症はあまりにも深い。

   こんな状態で、何の手も打たずに無為無策のままで参議院議員選挙に突入して戦えると思ったこと自体が国民をあまりにも馬鹿にした行いであり、民主主義国家の政権政党の国政選挙への対応とは信じられない程の程度の低さである。

   政府や内閣のガバナンスをまとものやれないような全くりーダーシップに欠けた安倍首相が、今度選挙でやった最大の失敗は、安倍を取るか小沢を取るかと言って、自分の統治能力が対等だと誤解してしまって、完全に小沢戦術に乗ってしまったことである。
   前回の小泉内閣の郵政民営化選挙で、郵政民営化に反対するのは総て日本を良くしようとする動きを妨害する反動勢力だと決め付けて、極めて単純に押し切った小泉戦術と同じで、今度は逆に勝負の決まっている負け戦を益々増幅させたのである。

   日本と言う代表的な民主国家の政権政党がここまで程度を落としてしまったのは、ご意見番的な大久保彦左衛門のような筋の通った重鎮政治家がいなくなってしまったことにも原因があるように思う。
   リーダシップに欠ける安倍首相を補佐し、或いは、諭し意見する勢力が自民党に全くない悲劇である。
   選挙後、何故責任を取って辞めないのかと聞かれて、改革の推進を国民に約束したのでそれを果たすことが自分の責務だと答えているが、国民は、その約束を果たす能力がないから辞めてくれと意思表示したのにそれさえ分からない。それにも拘わらず殆どの自民党員が間髪を入れずに続投を鸚鵡返しに答えていることからも明らかである。

   自民党のこのような迷走と経済社会政策への影響が株価に反映している。
   本来、成長戦略を取り、小さな政府政策を採ることは良いことだし、安倍内閣の経済政策そのもはそれほど悪いとは思わないが、問題は、小泉内閣の後遺症もあり、あまりにも庶民政策や地域経済への配慮を欠き、セイフティネットへの注意が欠如し過ぎてしまった。
   日本国民は、強烈な地震災害など大変な危機に瀕しても、極めて冷静沈着に自力で自分たちの生活を立て直そうする秩序正しい文明人であり、余程のことがない限り殆ど不満を言わない。
   しかし、無為無策の失政により綻びた大穴をどさくさに紛れて庶民に押し付けて解決しようとする姑息な政治を今回の選挙では許さなかった。
   文化も豊かで自由な素晴らしい日本だと思うが、政治が一流のなるのは何時のことであろうか。
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人生は、ジェットコースター・・・ewoman佐々木かをり社長

2007年07月30日 | 経営・ビジネス
   「人生は、ジェットコースター」
   「ジェットコースターのようにアップ アンド ダウンするのが人生である。落ちるときにはブレーキを踏まずに大声で万歳して落ちよ」と勇ましいことを言うのはイー・ウーマンの佐々木かをり社長で、日立のuVALUE CONVENTION 2007の基調講演「主役力を高める~元気の夢を実現するヒント」でユニークで面白い人生訓を展開した。
   「自分自身の生き方に責任を持って、人生を主役として生きることが大切で、そのような向上心と責任感のある主体的に生きる人間同士の営みが社会を豊かにして行く。
   自分の人生を一人称で語れるように I statementを書くことに心がけ、手帳に時間単位で行動計画表を書き込んで、アクションプランナーとして生きること、そして、自分の期待している行動と現実の行動の乖離を出来るだけ少なくするように時間管理をすることが肝要である。」
   こんな趣旨の話だったと思うのだが、私のように行き当たりばったりに、とにかく、無計画にやりたいことをやって生きてきた人間には、息の詰まるような話であった。

   たしか、ワタミの渡辺社長も同じ様に独自の手帳を作ってこれが自分の成功の秘密だと語っていたのを思い出したが、最近の起業家の人たちは、手帳にしろ何にしろ目標を掲げてこれに忠実に邁進すべく努力して夢を実現している人が多い。
   諦めたら何にもならない、それだけで終わってしまう。しかし、諦めずに努力しておれば、運が良ければいつかは実現する可能性はあるのだが、中々凡人はそれが出来ず、努力半ばで諦めて匙を投げてしまう。

   ところで、佐々木社長の話で面白かったのは、ジェットコースターに乗る人は落ちる時のスリルを楽しんでいる筈。人生も同じで、どうせ落ちたらまた上がるのだから、落ちる時にブレーキを踏まずに楽しみながら落ちよと言う論理展開である。
   落ち方にもよるが、どうして耐えるのか、他人事だからそんなことが言えるのであって、無責任といえば無責任な話である。

   ブレーキと聞くと何時もシュンペーターのブレーキ論を思い出す。
   「ブレーキは、何の為にあるのか。」
   止まる為にあるのに決まっているじゃないか、と答えたくなるのが凡人で、シュンペーターは「より早く走るためにある。」と答える。
   ブレーキを踏めば、何時でも好きな所で好きな時に止まれるのが分かっているから、思い切ってスピードを出せるのである。
   私は、ドイツのアウトバーンで、200キロをオーバーする速度で、ベンツやアウディを走らせていたが、スピード恐怖症の私にも不安はなかった。
   押して駄目なら引いてみよ、と言うことばと相通じる逆転の発想だが、この発想が出来るか出来ないかででは、人生生き方に雲泥の差が出る。

   佐々木社長の話を、こんな気持ちで聞いていた。
   何故、今、自分は必死になってブレーキを踏んでいるのか、急がば回れで、もう一度考え直してみると、案外、長いトンネルの向こうの雪国が見えてくる。

   余談だが、佐々木社長は、TVの取材で、アフリカ旅行で一緒した黒柳徹子と久米宏の会話を紹介していた。
   黒柳徹子「眠ることも仕事のうち。」
   久米宏「ベッドだけは良いものを買うこと。」
   元気の秘密と言うことで、健康管理の重要性を説明した時に語ったことだが、私自身、若い頃には世界中を歩いていたので、毎日ベッドは変わるし時差ぼけや気候の急激な変化などで体調を整えるのに苦労をしたので、この点は肝に銘じている。
   
   何れにしろ、佐々木社長の言うように「人生は、ジェットコースター」。何か良く分からないうちに、アップ アンド ダウンしている時が一番幸せなのかも知れないと言う気がし始めている。
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JR東日本のコアビジネスのインソーシング戦略・・・山之内秀一郎元会長

2007年07月29日 | イノベーションと経営
   中国の新幹線事業を視察してみて、日本の民営化後の新幹線の技術水準の高さと信頼性について、フランスやドイツと比べて、中国では非常に高く評価されているのを知って嬉しかったと、JR東日本の山之内秀一郎元会長は語った。
   一方、山之内会長は、今や文明の利器となったSuicaについてこれまでの発展や苦労などその推移を興味深く語った。
自動改札システム実現のために導入されたSuicaが、今や、Pasmoと乗り入れて改札でかざすだけで首都圏の交通機関を自由に乗り継げるようになり、更に、電子マネーとして使われ始め、非常に便利なクレジットカードになった。
   この改札の自動化は、国鉄時代のタブーの一つであったようだが、今回の山之内会長のスピーチで興味深かったのは、もっと重要なタブーであった車両新製造工場など、今まで下請けに丸投げしていた最も重要なコアビジネスを、自社に取り込んでインソーシングしようとした改革である。

   国鉄時代は、車両の製造は一切メーカーに任されていて、国鉄は車両の保守点検修理だけを行って来たが、
   社員から不満が出るのみならず、修理専門から創造的かつ基幹的技術分野への再回帰、すなわち、自分たちの業務の最も重要な部分である車両の設計・製造から運行・保守までの一貫した技術的知識財産の保有とフィードバック・システムの構築を行おうと戦略転換した。

   それまでの技術集団の工事量拡大路線に傾斜していた考え方が間違っていたのではないか。
   最も貴重な研究開発・設計・建設・製造などの創造的な基幹業務の多くを外部に発注し、割の悪い保守管理と言った分野だけ残して、コアコンピタンスを消失したのみならず有能な人材を活用していなかった。
   発注技術者と仲良しクラブ集団とも言うべき体制の構築が災いして、殆ど技術革新に努力しない製造メーカーの言いなりになって異常に高い車両代を払ってきた。
   1級建築士など1000人以上もいると山之内会長は言っていたが、工事などについても、業界との過去の清算が必要である。
   こんな反省が強烈に意識されて、改革が進んで行った。

   独自の発想による車両(寿命半分、価格半分、重量半分)や通勤車両に6扉車(収納式腰掛)が生まれた。
   建築、機会、情報システムなどの事業の分社化や、基幹分野の内生化戦略が急速に進んだ。
   もっとも、車両の質の低下がJR西日本の尼崎事故を悲惨にしているのかも知れないし、それに、家畜車同然の収納式腰掛車が顧客満足に貢献しているのかどうかなど疑問もあるが、駅ビルの整備やエキナカビジネス等の多角経営などJRの変身振りは顕著である。

   ターミナル駅の至近距離の一等地にビジネスの場(?)を持ち、ほって置いてもどんどん集まってくる膨大なお客を持ち、とにかく、ビジネスとして最も恵まれた経営資源をふんだんに所有しているJRが発展しない筈がないのだが、まだまだ、ビジネスモデルが貧弱で、私企業としてのビジネスやマネジメントの経験不足など問題が多いのも仕方ないのであろうか。

   ついでながら、山之内会長の話で面白かったのは、Suica導入で、ソニーのfelicaを使うことを決めていたら、世界的なクレジットカード会社が外交的な圧力をかけて国際入札にしろと迫ってきたと言う。
   ISO問題を持ち出し、デファクトスタンダードでないなどと難癖をつけて来たので、期限を切って提案を出してくれと言ったが、それまでに出来なくて沙汰止みになったらしい。
   欧米の企業は、切符を手に入れる為、チャンスを掴む為には、恥も外聞もなく迫ってくるので用心すべしと言う教訓でもある。
   もっとも、今後注意しなければならないのは、あまりにも巨大過ぎるので、独占禁止法上の問題が起こる可能性があると言うことである。
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新日本フィル定期公演・・・ソル・ガベッタの素晴らしいエルガー・チェロ協奏曲

2007年07月28日 | クラシック音楽・オペラ
   優雅なロングドレスの小柄で綺麗なおねえさんソル・ガベッタが大きなチェロを引っさげて登場したかと思うと、豪快にチェロを奏で始め、主客一体となって生き物のように動くチェロから素晴らしいエルガーの調べが奔流のようにほとばしりでる。
   エルガーの故郷イングランドの美しい田園風景が、走馬灯のように、私の頭の中を駆け巡る。
   交響曲はある程度普遍的なような気がするが、独奏楽器との協奏曲は、何故か、作曲家の生まれ育った風土を色濃く体現しているような気がしており、この朗々と流れ出るチェロの調べは、正に、四季折々に変化するイングランドの森や村を髣髴とさせる。何度もロンドンから、北に向かって車を走らせたあの頃が懐かしい。
   
   繊細でどこか寂しげだが優雅なフルニエのチェロと違って、印象から想像できない様なソル・ガベッタの大らかでどこか豪快な感じの演奏がチェロの低音に上手く合っていて心地良い。
   このエルガーの協奏曲は、ジャックリーヌ・デュ・プレが弾いて有名になり女性の演奏曲と言う感じのようだが、伸びやかで実に温かい人間味を感じさせるソル・ガベッタのエルガー・サウンドは、妖精のようにしなやかに抱え込んだチェロを実に流麗に歌わせ、伴奏に合わせて頭で拍子を取っている。
   残念ながら、デュ・プレをフィラデルフィアで聴いたのはエルガーだったのか忘れてしまったが、やはり、この曲は、ロストロポーヴィッチやヨーヨーマには一寸違和感がある曲のような気がした。

   ソル・ガベッタは、1981年に、ロシア系フランス人としてアルゼンチンのコルドバで生まれて、10歳でブエノスアイレスのコンクールで優勝したと言う。
   チェリストであったトスカニーニが、エーリッヒ・クライバーの代役で指揮者としてデビューしたあのブエノスアイレスであり、イタリアやイギリスなどヨーロッパからの移民が多くて、殆どヨーロッパの国である。
   ゲルバーやアルゲリッチなど素晴らしい音楽家を生んだ国だが、テアトロコロンの凄さが分かれば偉大な芸術家が生まれるのも当然だと頷ける。
   感激した聴衆の大変な拍手に応えて、アンコールに、バスコス作曲の「チェロのための本より抜粋」と言う無伴奏の美しい曲を演奏した。初めて聞く曲だが、蚊の羽音のような弱音から入って、実に美しいチェロの旋律が会場を包み込み、再び、チェロのため息に似たような儚いサウンドで終わる

   ところで、今回の定期公演最後のコンサートの呼び物は、新日本フィルが始めて作曲を委嘱して世界初演となったギリシャの作曲家アタナシア・ジャノウ作曲の誘惑をテーマにした「聴け、神秘なる季節へと誘惑する風を」である。
   アルミンクのコンサートの時は何時でもプレトーク・セッションがあリ、今回も、作曲家のジャノウ女史が壇上に立ってアルミンクと曲について対話をしていた。
   対話が終わる直前に会場に入ったので、彼女が非常に感激家でモチーフに強いパッションを感じる性質だとか、風の流れを感じて欲しいとか語っていたことだけしか記憶にないし、アルミンクはドイツ語で、ジャノウは、フランス語(?)で中に二人の日本人通訳が入っているので、良く分からずに終わってしまった。

   肝心のジャノウの管弦楽曲だが、いつの間にか分からないうちに終わってしまったと言う感じだが、現代曲的な雰囲気ではなくしっかりと組み立てられたほんの15分の小曲で、違和感を感じさせないオーソドックスな曲であった。
   イメージするのは、当然、ギリシャの春の風であろうが、私には、どこまでも晴れ渡った真っ青な空に光り輝いている古代ギリシャの大理石の廃墟や、その合間から顔を出している真っ赤なケシの花、そして、延々と続く荒れた大地などの風景だったのだが、これにギリシャ悲劇の舞台を重ねて想像を逞しくして聴いていた。


   休憩後の最後の曲は、ベートーヴェンの「交響曲第4番 変ロ長調 作品60」。
   毎年、大晦日にベートーヴェン交響曲全曲演奏会に出かけるので、一年に必ず一度は聞く曲だが、そんなに、しばしば、聴ける曲ではない。
   シューマンが、「二人の北欧神話の巨人の間に挟まれたギリシャの乙女」と表現したと伝えられている曲だが、やはり、9曲のうち駄作を一曲も作曲しなかったというベートーヴェンであるから、この曲一曲でも単独に演奏されると聳えている。
   来シーズンの最後もベートーヴェンの第2番でプログラムを閉じるようだが、アルミンクは、新日本フィルにベートーヴェンに挑戦させようとしているのかも知らない。

   私の手元にあるのは、アバドのDVDとカラヤンのCDで両方ともベルリン・フィル,明日の日曜日に久しぶりに聴いてみようと思っている。
   

   
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究極のレシペ牛丼が消えた経営・・・吉野屋D&C安部修仁社長

2007年07月27日 | イノベーションと経営
   長年の改善の連続で磨き上げられた究極のレシペで作り出された吉野屋の牛丼、たった一碗380円の牛丼だが、今や、象徴的な日本食である。
   この牛丼として単品サービスで日本を制覇していた吉野屋にとって、狂牛病騒ぎで材料である米国牛の輸入が止まった時には完全に商売上がったりになった。
   こんな危機的な状況に追い込まれた吉野屋の経営、そして、その試練と更なる飛躍について、安部修仁社長が、INNOVATION Summit 2007で語った。

   私に興味深かったのは、その前に実施された
   「牛丼400円を280円に値下げするが、質を落とさず利益率も下げない」と言う戦略である。
   安倍社長は淡々と喋っていたが、これは正に宇宙へ飛び立てと言うのと同じで、並みの発想では実現不可能な技術的にも限界を追求せよという従業員全員に対する檄でもあった。

   安部社長は、イノベーションと吉野家との関係を聞かれて、何度も「深堀(ふかぼり)」と言う考え方を強調していた。
   吉野屋の成功の秘密は、この深堀による改善の連続にあり、考えに考え、実験に実験を重ねて、たゆまぬ改善と向上に余念がなかった。
   初代から、例えば、たれの改善に白ワインが合うかどうか何日も試み続けたと言うし、とにかく、その深堀スピリットは、常人にはイメージ出来ないような努力の積み重ねで、死屍累々の駄目だしの連続であったという。

   普通に考えれば、なぜ、そんなに拘るのか、たかが牛丼ではないかと言うことだろうが、自分たちは勿論のこと、お客さんを満足させるために、安い値段で最高の牛丼を提供するためには、東大藤本教授風に言うと牛丼をイメージした設計思想を如何に無駄なく顧客まで運ぶかと言う大変なサプライチェーンの改善と工夫が必要なのである。
   そのチェーンの根幹たる究極の味を追求する牛丼の設計がまず第一で、その後にも、材料の調達から調理システム、店舗設計、店舗展開・・・気が遠くなるような仕事の連続を総て最適化しない限り無駄のないサプライチェーンなど開発出来ない。

   以前、TVで、店員達の牛丼よそい競争が放映されていたのを見たが、レシペ通りに、如何に早く均等に牛丼をどんぶりに盛り付けるか、これ一つとっても大変な匠の技の習得が必要なのである。
   味の素、コカコーラ、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、これらはもう既に普通名詞だが、単品でスタンダードナンバーとなって永年にわたって顧客満足を続けると言うことは至難の業であるが、吉野屋は、これに挑戦をし続けている。
   安部社長は、牛丼と豚丼は、定着したが、うな丼やその他はまだ開発途上だといっていたが、牛丼が店頭から消えていた時に色々奇天烈な(?)新商品が生まれては消え、生まれては消えて行ったが、新商品の開発は、大変な冒険と努力を伴う。

   米国牛の輸入禁止が決まった時には、売る商品がなくなったのだから丘に上がった河童同然で、正に、創業時と同じ状態になった。
   危機管理の最前線に立たされたあの時、私自身、セミナーの合間で時間がなくて吉野屋に入ったのだが、ファーストフードの吉野屋なのに20分待たされても品物が出てこなかった。
   従業員を減らしてコストを抑えて危機を乗り切ろうとした吉野屋に、こんな経営をしているようでは未来はないなあと思った経験がある。
   その後、吉野屋の業績が急落して、しばらく迷走を続けた。

   新商品の開発は、リスク管理のためにも至上命令だが、安部社長は、丁度、米国産牛肉問題が、危機だったが幸いチャンスにもなったと言っていた。
   何も斬新なものを求めるのではなく普通の極ありふれた商品に傾注して、突出した価値を生み出した商品を完成させる。
   足元にある材料を如何に問題意識を持って掘り下げて、どこの何に着眼して価値も実践も突出した商品を作り出して行くか、この継続に、事業改革のイノベーションの種が潜んでいると言うのである。

   マクドナルドが多少グレードアップするとかで、分からないうちに、いつの間にか商品の値上げを行っているらしいが、所詮、ファーストフードのマクドナルドはマクドナルドである筈である。
   しかし、マクドナルドのブランド名は超絶的な強さと確固たる固定票を持っているので、今回の「スーパーコンビニエンス」など斬新で付加価値の高いファッション性豊かなビジネスモデルや商品を開発して打って出ると一挙に市場を押さえる実力を秘めている。
   既に成熟衰退産業である外食産業は、競争会社を蹴落として、他社のマーケットシェアを食う以外に生きる道はないのである。

   日本のファーストフード吉野屋は、これからどんな路線を取って行くのか。
   元々、江戸前の寿司は、関西のように手を加えた寿司ではなく、素材だけのファーストフードであった筈なのだが、いつの間にか、高級料理になり、世界中で愛好される料理に昇格してしまった。

   その点、吉野屋の牛丼は、徹底的に磨き上げられたレシペによって生産されているマスプロダクションの工業製品のようなもので、そのサプライチェーンは、商店で売り出されている消費財と同じで、最新の経営手法を駆使して事業が営まれている現在の申し子のような商品である。
   たかが牛丼、されど牛丼、しかし、経営学的には侮れない立派な現代的価値を持った商品なのである。
   色々なバリエーションのあるおにぎりと違って、吉野屋の牛丼は唯一無二のところまで達してしまったので、これからが難しい。

   
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ハイテクもローテクが基礎・・・岡野雅行代表取締役

2007年07月26日 | イノベーションと経営
   刺しても痛くない注射針を披露した岡野工業の岡野代表は、同業他社に頼まれてこの注射針の図面を公開し、その従業員を2年にわたって預かって修行させたが、とうとう同じ完成品を作れなかったと言う。
   カバンからジャラジャラ言わせて鈴を出して、この小さな鈴が一枚板の金属で出来ているが、とっくに特許が切れているのだが、誰も同じものを作れない。これこそ本当の特許だと言う。
   この鈴の金型を一社だけに貸与して独占生産させているが、100歳に近い先代が亡くなると、他社にも金型を作ると言ってあるので、息だけでも良いからしていてくれとそれこそ大切に扱っていると笑わせていた。
   このローテク、すなわち、雑貨の金型を作れない人間には、ミクロン単位の精度を要求する先の細い刺しても痛くない注射針など作れるはずがないと言うのである。
   蚊の針のように細くて先に行くほど更に細くなる針は、穴あけでは出来る訳がなく、一枚板を丸くまげて合わせてつくるのだ。生産が止まると生命に関わるので、一切、自分たちの6人の町工場で製作している。

   ものづくりには最も重要な筈の金型屋は、金型製作専門で、その金型をプレス屋に下ろしていた。
   ところが、メーカーに部品を納めるプレス屋が大量生産して儲けているにも拘らず、金型屋は、一回限りの生産で一向に利益にならない。
   プレスもやろうとしたが、業界の慣習と掟は厳しく、プレス屋から村八分になるのでそれも出来ず、結局、何処の金型屋もプレス屋も出来ないものを作ろうとしたのが、岡野工業のオンリーワン戦略の始まりだと言う。

   この話は、伊藤元重教授のスマイルカーブ論と違うが、これはデジタル時代の理論で、マスプロダクションのアナログ時代には、上流や下流でなくても中流の大量生産メーカーが利益を上げられれたのである。
   日本の製造業が世界を制覇していたのは、このマスプロダクションの工業化社会の時代のことであった。

   現在、岡野工業では、このように最先端を行く金型を作り出して、自社で独自製品を生産しているが、これは、ニコンの優秀なエンジニアであった義理の息子がニコンで習得した生産管理や品質管理などの手法を駆使してやっているからで、欠陥品はゼロだと言う。
   1から10まで何でも一人で出来なければ、独立した金型屋は出来ない。
   大企業には、技能オリンピックで金賞を取った技術者や素晴らしいエンジニアが沢山いるが、みんな専門的な技能や技術に秀でた人間で、一人だけでは何も出来ない半端人間ばかりを作っていて、独立など出来る訳がない。

   ところで、どこでも出来ないものを岡野工業に製作を依頼に来る大企業は、いくらでも出すからやってくれと言う。
   話を聞いて判断し、「出来る」と答えると、急に態度が変わって「いくらかかるか、見積もりを出してください」と言う。
   出来るか出来ないか、どうすれば出来るか分からない段階で、山勘で答えているのに見積もりなど出せるわけがない。
   岡野工業は、いわば町医者で、大学病院が見放した患者を最後の綱として「助けてくれ、いくらでも出すから治してくれ」と患者を持ち込まれるようなもので、こんな時に、「見積もりを出してくれ」と言うか、と聴衆を煙に巻いた。

   「予算を取らなければなりませんので」と言うことなので、それもそうなので、
   岡野代表は、2000万円かかると思うと1億円と答えることにしているようだが、勿論、ここは信用の問題で、実際には実費精算すると言う。
   
   最後に、岡野代表は、、飲みにくいので、切り口のタブ穴を大きくしてくれと言うビール第三位の会社からの依頼で作成したと言って、ビールのアルミ缶を二つ取り出した。一つは普通のビール缶で、もう一つはタブ穴の大きな缶で、遠くからでもその大きさの差は良く分かる。
   35度に暖めたビールを詰めた缶を1メートル上から落として爆発しないようにして開発したのだが、過去のしがらみと利権などの関係があって、実際には製造されていないのだと言う。
   「良いものは出てこない。高くてインチキなものばかりで、良いものは潰されてしまう。」と顔を曇らせる。
   ものづくり日本の悲しい現実を寂しそうに語っていた。
   
   2年ぶりに、INNOVATION Summit 2007に登場した岡野代表だが、東京の下町向島の懐かしい雰囲気を漂わせた江戸落語を聞いているような威勢のよい語り口は益々冴え渡って健在であった。
   ものづくり日本なら、こんな人こそ、人間国宝に指定すべきである。
   
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役人を出し抜いた骨太の方針・・・竹中平蔵教授

2007年07月25日 | 政治・経済・社会
   ”経済財政諮問会議の「骨太の方針」とは、本来ネガティブなもので、総理が委員から大所高所から諮問を受けるということで、役人の意図は、何もするな何も言うなと言うことであった。
   それなら、それを逆手にとって、報告書を出せということは決まっているので、この中身を充実させることにして、小泉首相の意向を盛り込もうということになって、不良債権の処理、小さな政府、郵政民営化等を正面きって歌い上げた。役人達が事務局を作らせていなかったのが幸いしたのである。
   ところが、これを閣議決定するためには、自民党の総務会の了承を取らなければならない。
   袋叩きにあったが、民意だと言ってよく相手が分からないうちにどさくさに紛れて了解を取った。”

   社会保険庁の問題は、役人の事務屋のチョンボで、年金問題ではない。これで総理の責任問題になるのはおかしい、と口火を切った竹中平蔵元大臣は、日経と日立主催の「INNOVATION Summit 2007」のスピーチ「構造改革 激動の5年半を振り返って」で、冒頭から、持論の役人批判を華々しく展開した。

   ”翌年には、総務会の意見が、中身は賛成しないが閣議決定は了承すると変化し、その次からは、骨太の方針に書かれていないと予算が付かないので、書いてくれと擦り寄るように態度が変わってきた。
   おかしいのは、この骨太の方針以前は、12月の予算編成は、クリスマスも返上してドサクサに紛れて大蔵省の意向によって予算が決定され、政府方針は大蔵省の方針に沿って後追いで決まっていた。
   ところが、骨太の方針が出てからは政府の方針が事前に決まっているので12月の早い段階で決定するようになった。
   それまで予算決定権限を持っていた大蔵省の権力が削がれたので、門前市をなしていた地方からの陳情がぱたりと止まった。”

   逆転の発想で、役人を出し抜いた話であるが、逆に、今度の社保庁の保険料徴収については、いつの間にか、財務省に「移管」すると言う文言を「委任・委託」にすり替えて自分たちの権限を守るために国民を欺いたと言って姑息な役人の手口を披露していた。
   これが、日本の政府の役人のすることであろうか。明治維新の役人達は、殆ど貧しい庶民上がりであったが、天下国家のために身を粉にして清廉潔白に働いていたような気がするが幻想ではなかった。

   もう一つ、郵政民営化について
   ”道路公団の改革は、事務局に国交省の役人を使ったから結果的に思わしくなかった。自分たちの利権を守ろうとする役人を使えば結果は明らかである。   
   郵政民営化については、総理直轄として、基本方針は、経済財政諮問会議で決定し、法律等準備は一切内閣官房でやり、国会答弁は独立した担当大臣が行うように小泉首相に進言した。
   首相は了承して、郵政民営化準備室の看板を自分で書き、職員30人一人一人に握手をして激励した。”

   面白かったのは、郵政民営化に反対した人々は、全国の郵便局を全部残せと言ったという。
   ユニバーサルサービスは必要だが、合理化するためには銀行でも本支店の統廃合は当然であり、近い所は130メートルしか離れていない郵便局の改廃は当然である。
   設置基準に「全国あまねく」とあり、これを盾に主張していたようだが、これを「あまねく全国へ利用されることを旨として」と書き換えたら、騙されてOKしたと言う。
   とにかく、竹中教授の話は、並みの漫談家より聴衆を笑わせ、マンガのように面白い。しかし、後味悪い面白さである。

   今年の骨太の方針は、「長い、長すぎて少しも面白くない。」と言って、役人の作文であることを臭わせた。
   竹中教授の前のスピーチが、高市早苗イノベーション担当大臣だったのだが、あの長くてボリュームのあるイノベーション25は、当然役人の作文であると言って笑っていた。
   似非秀才の作文と言う感じがぷんぷんしているのだが、実現させる心算なら悪くはないが、あまり実が挙がるようには思えなかった。

   イノベーションのために世界の叡智を集めると言う方針だが、現実に、ポスドク制度で育成した東大はじめ多くの日本人博士に、職も夢も希望も与えられなくて、路頭に迷わせて苦しい生活を強いているような国に、外国から頭脳を勧誘し大学改革をするなど、と言う資格があるのか。
   竹中教授は、世界20位の東大をまず民営化してレベルアップすべしと言っていたが、文部科学省の管轄から離すだけでも効果がある。
   京大がビジネススクールを作ったというので、全く特色のない時代遅れのカリキュラムに驚いて、吉田学長に言ったら、これでないと文科省の認可が下りない言っていたが、グローバル時代のビジネスの最前線を理解出来る筈のない役人のあまりにも過剰な権限の弊害ここに極まれりである。早く、京大も民営化する方が良い。
   世界最古のボロニア大学は、勉強したい者たちが集まって自分たち独自の大学を自分たちだけで作った。多くの世界に冠たる大学は、カリキュラムの官撰などは有り得る筈がなかった。
   
   
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役人に手を付けなかったアメリカの戦後処理が今ツケに・・・出井伸之前ソニーCEO

2007年07月24日 | 政治・経済・社会
   ”お役所主導で「だれが何をしなさい」みたいなこと言っているのは、自由主義経済じゃないですよ。地上デジタル放送もそうです。アメリカは戦後、日本の農地改革をやり、財閥を解体し、労働運動を改革したわけですが、役人だけ触らなかった。そのツケがいまごろきているわけですよ。行政があらゆるところまで深くコントロールしているというのが日本の現状じゃないですか。”

   日本の将来を憂えてこう言っているのは前ソニーCEOの出井伸之氏で、新著「出井伸之 多様性への挑戦」で、役人の無定見と時代錯誤を厳しく糾弾している。
   ”携帯にしろ、テレビ放送にしろ、独特のシステムに拘る、世界に目を向け、世界を変えて行こうと言うビジョンは、この国にはない。製品も、生産体系も、コンテンツ産業も、広告宣伝も、あらゆる分野で革命が起こっているのに、何にも起きていないように「ワンセグ」を推進している。”
   オールIP化の流れの中で、全く新しい情報端末が生まれつつあり、急速に進むデジタルコンバージェンスの時代に逆らって・・・と、止まる所を知らない。

   尻馬に乗って、多少、役所批判に便乗してみよう。

   ノーベル賞学者小柴昌俊博士が、「役人がやるとロクナことはない」と科学技術への役人の関与に疑問を呈していたが、最近は、その批判を考慮してか、政府は、「産官学」協働をスローガンにし始めているが、一般の正直な受け止め方は、産学協働で十分であって、役所は邪魔をしてしてくれなければそれで良い、と言うことであろう。
   戦後の復興期においては、社会主義的な役人主導の国家戦略と産業政策が機能して目覚しい経済発展を遂げたが、
   工業化段階を脱して豊かになり、知識情報化社会に突入し、IT化とグローバリゼーションの進展で経済社会が急激に発展し始めると、最早、政府の干渉や官の指導・監督が著しく障害になる。
   民営化の本来の意味は、公企業の民への移管のほかに、あらゆる組織活動において、民によるマネジメント手法の方が優れているということであって、役所は小さければ小さいほどよく、要するに、夜警国家を目指せば良いということである。

   もっとも、出井氏は、官の役割を否定しているのではなく、世界的規模での未来プロジェクト、例えば、インターネットを越えたセキュリティの高い次の新世代通信網を開発するために、新しい官民協働の「パブリック・プライベート・パートナーシップ」を提言している。
   多少回復したとは言っても、民間企業にはその力がなく、やはり国家プロジェクトは政府の資金が必要だと言うことであろうか。

   今回のこの本は、朝日新聞の「論座」の「キーパーソンが語る 証言90年代」を纏めたものだが、正に、インターネットが主役に躍り出てデジタル化が急速に進展したIT革命の激動期において、アナログのソニーが如何にデジタル化の波に翻弄されたか、
   同時に、世界を制覇していた日本のアナログ方式のコンシューマーエレクトロニクスと産業用エレクトロニクス産業が、テクノロジーの大転換点デジタル化に如何に乗り遅れて主導権を失って行ったかなど、貴重な歴史の証言を聞いているようで興味深かった。

   更に印象深かったのは、出井氏がIT戦略会議議長の時に、NTTの宮津社長と1対1で話してブロードバンドを実現したこと、日本のインターネットが急速に普及したのは通信の世界にも競争を持ち込んだ孫さんの功績が大だと思います、と語っていることである。
   
   この本は、著名な学者とジャーナリストが質問に立ち、正鵠を得た質問でインタビューが展開されているので、今までの、出井氏の自伝や多くの著書やスピーチを総合したような書物になっていて非常に面白い。
   経営論については、稿を改めて考えてみたい。
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日本発経営学の時代到来・・・東大藤本隆宏教授

2007年07月23日 | 経営・ビジネス
   グローバリゼーションの進展によって、世界規模の経済競争が激しくなり、各国の各企業・各産業は、個々の得意技に益々特化して、競争優位・劣位が明確になって来ているが、やっと200年を経て、リカードが提示した比較優位・国際分業に最も近い時代が実現して来た。
   ところで、経営学は、個々の企業の経済活動全体をより良く行うのが良い企業、良い経営であり、これを研究する学問である。
   なぜこの国の企業は強いのか、企業活動における各国の強み・得意技を研究するのが経営学であるから、経済社会のグローバル化が進展すればするほど、経営学はローカル化してくることになる。
   こんな視点に立って、日本発の経営学の立ち上げを、東大ものづくり経営研究センターの藤本隆宏教授が、同センター、日経、三菱総研主催の「日本の成長戦略を考える」セミナーで説いた。

   日頃、藤本教授が展開している「開かれたものづくり」は、生産だけではなく、開発・購買・販売など企業のシステム全体、そして、モノ・サービス、すなわち、製造業・非製造業両方を包含した広い概念である。
   サービス業であれ製造業であれ、企業の仕事は、お客さんの喜ぶ機能や形を持った「人工物(モノ・サービス)」をお客さんに届けることで、誰かがお客さんを喜ばせるために予め設計したこの設計者の意図(思い)をお客さんに届けることであるから、このお客さんへ向かう「よどみない設計情報の流れ」が、ものづくりの根本だと言うのである。 
   従って、お客さんを満足させるために企業が提供する製品やサービスは、総て設計情報が媒体(モノ)に転写された人工物であるから、お客さんを喜ばせ満足させ、価値を生み出す主役は「設計情報」であって、モノではないと言うことである。

   このものづくりにおいて、得手・不得手は、日米では全く異なっている。
   移民の国アメリカの特色は、分業、モジュール化、市場重視で、本社の構想力が強く、「モジュラー型、組み合わせ型」アーキテクチュア製品である。
   一方、日本は、ヒト・モノ・カネ不足の中をチームワークで輸出拡大に対応してきたので、統合、擦り合わせ、組織重視で、現場の統合力が強く、「インテグラル型・擦り合わせ型」アーキテクチュアに秀でている。 
   分業のアメリカ、統合の日本と言うことである。 

   このようなものづくりの背景を背負って、アメリカの経営学は、全体的に、複雑なシステムをいかに上手に切り分け、うまく、分担し、調整の労を減らせるか、と言った点を強調する「分業重視の経営学」である。
   一方、日本は、擦り合わせの妙で勝負する「インテグラル型」製品に強みがあり、過剰な分業を抑え、多能的な従業員のチームワークで複雑性を処理するプロセスや組織に関する研究が多いようで「統合重視の経営学」である。と言う。

   トヨタの経営については、アメリカの学者の本が沢山出ているが、藤本教授は、トヨタの特質は、看板方式だとか色々言われているが、「無駄をなくして流れを作る」であると言う。
   何れにしろ、日本の擦り合わせ・インテグラル型の超優良企業は無数にあるのだから、その強み・得意技・特色を説いた日本発の経営書は幾らでも生み出せる筈である。
   たまたま、現在は、アメリカ経済が強くてグローバリゼーションの先頭を走っていて、英語で書かれているので、アメリカ経営学が発信力が旺盛で一世を風靡しているが、藤本教授の意向を踏まえてその心算で書けば、世界を啓蒙出来るような日本の経営学を確立できるのではないであろうか。

   ところで、藤本教授は、現場のものづくりを極めて重視しているので、イノベーションを起こせば、経済成長を図れるとした短絡的な発想は戒めるべきで、
   ものづくりの現場の進化の方向を見極め、「未来のものづくり現場」のあるべき姿を構想しない限り必ずしも成長像が見えてこないと強調する。
   日本の擦り合わせインテグラル型企業においても、益々複雑化して来ているので、綻びが出てきており心配であるとも指摘していた。
   
   人工物に託して、設計情報を創造して、転写し、発信し、お客に至る流れを作り顧客満足と経済成果を得る、これが藤本教授の「開かれたものづくり」である。
   価値を生むのはあくまで設計情報であって、媒体はそれを伝える器。「設計情報の良い流れ」を作ることが企業の使命と言うことで、そう考えればイノベーションを生む領域はあまりにも広い。

   もっとも、この日本発の経営学と言うポイントは、今回の藤本教授の主要論点ではなかったが、グローバリゼーションが国の強さ・得意技を際立たせ益々国際分業が進み、その企業経営を追求する経営学が益々ローカル化して行くと言う視点に興味を持ったので、取り上げてみた。
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青いバラ・・・サントリーのイノベーション

2007年07月22日 | イノベーションと経営
   2004年6月、サントリーが、絶対に自然界では不可能だと言われ続けていた青いバラを作出したと発表した時には、遺伝子組み換えを行えば時間の問題だとは思っていたが、やはり、新鮮な驚きであった。
   近くの京成バラ園でも多くの世界的に有名なバラが生まれているし、欧米生活でも色々な機会に美しいバラに接しているので、バラは椿同様に私の好きな花で、随分レンズを通して眺め続けてきた。
   日経の「技術立社」セミナーで、サントリーの辻村英雄取締役のイノベーション戦略の説明を聞いていて、青いバラの開発や、既に市場に出ている青いカーネーションなど、バイオテクノロジーの進化を考えさせられた。
   
   もっとも、サントリーは、新しいものを生み出すだけではなく、植物の育種技術の研究を通じて、環境浄化植物(リン高吸収)、環境モニタリング植物(ダイオキシン等)、アルカリ土壌での作物生産(ムギネ酸トランスポーター)などを開発し、先端技術を環境に生かそうという高邁なビジョンを持っているのだが、私たちに見えるのは、青いバラ(数年のうちに市場に出る模様)とか新種のサフィーニアと言った草花である。
   いずれにしろ、秒単位で時代が動いているIT時代では、メンデルやダーウィンの法則を待っている余裕はなく、勢い遺伝子組み換えで新しい植物を作出しない限り、爆発する人口増を支えきれなくなる。
   私の子供の頃は、人口30億と言っていたのが今や60億、少子高齢化といっても地球全体では、人口100億も、もう真近である。

   ところで、サントリーは、「黒烏龍茶」で好業績を上げているが、この烏龍茶は、ポリフェノールが普通の烏龍茶の2倍の量だが、単純に2倍に濃縮すると苦くて飲めないので、濃くても美味しい味を生み出すのに苦心したと言う。
   「ザ・プレミアム・モルツ」は、ビール後発で苦戦していたサントリーのヒット作品だが、たかがビール、されどビール、これが、差別化のイノベーションの成果である。
   私自身は、ワイン以外の飲料には、銘柄やブランドには一切拘っていないので、特にサントリーのお世話になっている訳ではないが、赤玉ポートワインやトリスで名を馳せ、社長が「水で割ってアメリカン」などと言う発想だからクマソ発言をするのだと東北の消費者に顰蹙を買ったサントリーだが、時代が変わると随分会社の変わるものである。
   
   私がラテンアメリカにいた頃は、本業のウイスキーやブランディが売れなくて、サントリーレストランが流行っていて、ブラジル人やメキシコ人は、サントリーはレストランの会社だと思っていた。
   なぜラテンアメリカでレストランが流行ったか。鉄板焼主体の日本料理なので人気があったのと、日本人客は5時頃から8時頃までだが、ラテンアメリカ人は、9時から深夜にかけて利用するので、夜は2回転するお陰で効率も良かった。

   ところで、昨日、大和證券の「中国株セミナー」で、ペトロチャイナや中国工商銀行など中国の優良企業のトップが来てプレゼンテーションがあったが、中国一の食品会社「ティンイー」の話を聞きながら、サントリーとの落差に興味を持った。
   この会社は、サンヨー食品やアサヒビールなどの資本や技術の入った台湾オリジンの会社なので、純粋に中国の会社ではないのだが、即席麺と茶飲料ではダントツの強さを誇っており、面白かったのはミネラルウオーターの販売である。
   貧しい田舎でミネラルウオーターが売れるのかと思うのだが、とにかく、殆ど周りの水は飲めないと言う水質汚染の中国では、極めて需要が高いと言うのである。
   運送コストを削減するために、町や村ごとに小さな工場を作って製造販売し、ボトルの皮を薄くして対応するなど、安売りのライバルと激しい競争をしているのだと語っていた。

   製品の製造技術や品質などについては日本の提携会社に頼る所が多いようだが、とにかく、中国は途轍もなく大きな国で民族も入り混じっていて、味の好みなど地方によっては千差万別で、その開発に努力していると言うことである。
   イノベーションとは程遠いと思われていた酒や飲料のサントリーが今や技術最先端企業であるが、この域に達するのは、まだまだ先の話である。
   中国食品は、世界中で問題になっているが、大丈夫かと問われて、日本の企業のようにIRや広報に長けた回答をしていたのが面白かった。
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マクドナルドのある国は戦争しない・・・デルの紛争回避論

2007年07月21日 | 政治・経済・社会
   北京の天安門広場にも、カイロのタハリール広場にも、エルサレムのシオン広場横にも、マクドナルドがあるが、マクドナルドのある国は、お互いに戦争しない。
   マクドナルドのチェーン展開を支えるくらいの中流階級が現われるレベルに達すると、そこはマクドナルドの国となって、もはや戦争をしたがらない。
   マクドナルドはグローバル化の象徴であって、グローバル化の価値観は、問題の解決方法として「戦争」を好まないからである。

   この「紛争防止の黄金のM型アーチ論」を、トーマス・フリードマンは、形を変えて「デルの紛争回避論」として新しく「フラット化する世界」で再展開している。
   世界がフラット化するにつれて、古くからあるグローバルな脅威と、新たに台頭したグローバル・サプライ・チェーンが、お互いに影響を及ぼし、それが目を見張るような国際関係の激動を見せている。
   フラット化した世界では、デル・システムのようなジャスト・イン・タイム式サプライ・チェーンで密接に結合された国々の間では、旧来の脅威を駆逐(?)するので戦争など起こらないと言う「デルの紛争回避論」は、マクドナルドに象徴される生活水準の全般的傾向よりも、ずっと地政学的な冒険主義を防止する効果があると言うのである。

   もっとも、デルの紛争回避論でも絶対戦争はありえないとは言っておらず、中国と台湾の紛争については、どちらも世界有数のコンピューターや家電のサプライ・チェーンでがっちり組み込まれていて、ソフトウェアでもそうなりつつあるので、デル理論が有効なのかどうかの試金石となると言っている。
   フリードマン理論に従うと、イラク、シリア、レバノン、パキスタン、アフガニスタン、イランなどは、このデルの大きなサプライ・チェーンには組み込まれていないので、いつ何時暴発しても不思議ではない。
   ブッシュ政権が時々匂わせているように、イランなどへのアメリカの攻撃はあり得るということであろうか。

   私自身は、フリードマンの二つの戦争回避論を持ち出すまでもなく、グローバル化の進展で、雁字搦めに経済関係が錯綜し国境を越えた密接な相互依存関係が成立してしまった今日においては、小競り合いはあっても、その関係国の間には戦争など起こりえないと思っている。
   核抑止力による戦争回避に加えて、グローバリゼーション抑止力である。
   卑怯にも、今回の選挙戦で、あんなに安倍首相が騒いで最も重要な争点であった筈の「憲法改正と9条」の問題を自民党は意識して避けて(自民党の新聞選挙広告に載らなかった)いるが、
私は、平和問題については、地球環境保護を前面に据えたサステイナブルな経済成長と科学技術の振興を図ることが日本の世界への最大の貢献だと思っている。
  
   ところで、書店には、米中戦争と言った物騒なタイトルの本が並んでいるが、ウォルマートが中国から2兆円以上も商品を調達し、自家用の人工衛星2個を打ち上げてサプライ・チェーンを維持・管理している現実を考えれば、米中戦争など罷り間違っても有り得ないと思っている。
   今、ロバート・ブーデリ他の「ビル・ゲイツ、北京に立つ」を読んでいるが、マイクロ・ソフトが社運をかけて北京の「マイクロソフト・アジア研究所」に取り組んでいる姿を知って感動さえ覚えている。
   世界一のドル保有高を積み上げた中国と膨大な物資を入超し続けているアメリカの米中経済関係は、正にグローバリゼーションの大動脈であり、この関係が崩壊すれば、国際経済そのものが危機に瀕する筈である。
   私自身は、グローバリゼーションとIT革命によって張り巡らされた色々な変化と関係が、戦争へのカウンターベイリング・パワーや抑止力として働き始めていて、戦争などはどんどん遠のいて行く様な気がしている。
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アジア連携の日本の製造業・・・新宅純二郎東大准教授

2007年07月20日 | 経営・ビジネス
   中国と韓国・台湾の間にあって、日本の製造業の位置づけが歴史の流れと共に大きく変化しており、その中で競争・協調しながら生き抜いて行くためにはどのような戦略を打てば良いのか、自ら開発した卓越した技術と製品を持ちながら苦境に立つ日本の製造業の新しいビジネスモデルが求められている。

   現実には、コンシューマー・エレクトロニクスの世界でも、5000円の中国製のDVDプレイヤーが秋葉原で売られており、ビデオショップのレンタルビデオを見るのには不都合がないと言う。
   デジタル化、モジュラー化したオーディオ・ビジュアル機器等は、どんな弱小メーカーでも、パーツ・部品を買ってきて組み立てれば出来上がり、それに、パソコンなどでも高校生が自分で組み立てる時代になった。
   どう生きるか、ものづくり立国 JAPAN!

   東大ものづくり研究センターの新宅純二郎准教授が、日経新聞主催の「日本企業のものづくり戦略」セミナーの基調講演「グローバル時代の日本企業のものづくり戦略」で、いくら頑張っても思うように利益の出ない日本のエレクトロニクス産業の現状について、アジア市場のダイナミックな合従連衡、虚々実々の市場の動きを追いながら興味深い話をした。

   エレクトロニクス製品の激烈な競争の背後には、産業構造が、設計、生産、検査、販売までの一連の工程を一社でやる垂直統合型モデルが主流であったが、段階ごとに他にアウトソーシングする垂直分業型が主流になってきたことがある。
   アメリカ半導体企業の場合には、設計はアメリカの半導体設計専門メーカー(ファブレス企業)、生産は、台湾のファンドリーが行うと言った垂直分業が普通になっており、それを使ったAV製品の組み立てなどは中国で行われる。
   オープン化、モジュラー化してしまったパソコンの世界では、アーキテクチュアをインテルやマイクロソフトが実質的に決定し、それに従ってパソコンメーカーはパソコンを設計・生産するので殆ど自由度は限られており、部品メーカーは、パソコン本体と関係なく互換性の利くパーツを自由に生産する体制をとるので、最初から最後まで一貫生産するメリットがなくなる。

   貿易構造は、日本で製造された素材や部品、製造設備が韓国や台湾に輸出されて、これらが韓国と台湾で半製品になって中国に輸出されて、中国で組み立てられて完成品となる。最終的に、これらの商品が主にアメリカへ輸出されて貿易連鎖が完結すると言う経路で、このルートで大きな出超の流れとなっている。
   韓国や台湾の輸出が増大すると日本からの輸出が増えると言う相関関係が顕著で、日本企業にとっては、韓国や台湾は強力なライバルであると同時に重要な顧客でもある。 

   DVDなどエレクトロニクス関連の完成品においては、日本が辛苦に辛苦を重ねて開発した製品でも、擦り合わせアーキテクチュアでクローズド標準の段階では日本企業が利益を享受出来るが、
デジタル技術の進歩によって、モジュラーアーキテクチュアとなりオープン標準になってしまうと、後発国のキャッチアップが極めて早くなり、韓国や台湾に一挙に市場を押さえられて日本企業が敗退して行く。 
   ところがモジュラー化の流れとは別にインテルの供給するCPUや高度な単体部品等はむしろ統合化が進み益々ブラックボックス化しており、
利益を確保出来るのは、アーキテクチュアを定めたり部品を設計する領域と、販売やアフターサービスなど顧客に直結する領域に集中して、中間に位置する製造・組み立てでは利益が稼げないと言うスマイルカーブの成り立つ由縁でもある。

   ところで、台湾が日本の製造業を出し抜くために、日本に頼らずに独自で国産化を進めるために「重要部品・製品発展法案」を実施して努力した。
   しかし、一部は成功したが、プリンター、ハードディスクドライブ、光ディスク夫々のヘッド、すなわち、3headsの国産化には失敗したと言う。

   さて、技術大国日本に急速にキャッチアップしつつある韓国や台湾、そして、中国に対して如何に日本の技術優位を維持し、イノベーター、イニシアイターとしての創業者利潤を追求し続けることが出来るのか、日本企業の新しいビジネスモデルの構築が求めれている。
   新宅教授は、製造機械設備、部品、製造ノウハウ等ワンセットにしてブラックボックス化して後発国へ輸出するシステムなど新しい手法を説明していたが、
   ビル・ゲイツでさえ、リナックスに切り替えると中国政府に脅されて秘密コードを一切開示せざるを得なかったと言うのであるから、余程、強力なバーゲニング・パワーがない限り、今日のグローバル市場ではクローズドシステム戦略など無理であろう。

   ビル・ゲイツは、既に北京に途轍もない高度なマイクロソフトアジア研究所を稼動させて、天才科学者を糾合して最先端テクノロジー競争で世界を制覇しようとしている。
   技術立国日本、工業立国日本、一寸世界の潮流から取り残された感じだが、腐っても鯛は鯛、頑張らなければならない。
   しかし、モジュラー化、デジタル化、アウトソーシング出来るようなコモデティを作って価格競争や並の差別化戦略を打っているようでは明日は暗い。
   オンリーワンの製造業を目指さない限り競争には勝てない。
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再び問う、円安は喜ぶべきか

2007年07月19日 | 政治・経済・社会
   ロンドンの地下鉄の初乗りが、4ポンドで円換算すると1000円となり、日本人観光客が悲鳴を上げていると時事通信が報じていた。
   1ポンド250円と言う交換レートは、この20年間でも異常な円安レートで、1985年に初めてヨーロッパに赴任した頃から考えても殆どなかったように思う。
   円高の頃は、何故か1ポンド138円くらいの頃の記憶が鮮明にあるが、1990年頃は200円以下で推移して、ポンドが欧州通貨に比べて弱かった所為もあって、イギリスの物価が円換算で可なり安かった。
   ジョージ・ソロスの攻撃に曝されてポンドが大暴落した頃とは様変わりで、今日シティの金融産業の好調でイギリス経済が活況を呈しており、ユーロに参加せずともポンドは益々強くなっているのである。

   ここ2年間はイギリスにご無沙汰しているが、2年前でも1ポンド215円位で、イギリスの物価は円換算すると非常に高く感じたし、日本の観光客も少なく日系のみやげ物店は閑古鳥が鳴いていた。
   今日、ユーロも168円をオーバーしており、最安値の90円頃から比較すると殆どこの10年くらいの間に倍近くなっている勘定で、パック旅行などはまだ安いようだが、通常での欧州旅行が極めて苦痛になってきてしまった。
   私自身は、1985年から1993年までヨーロッパにいて、その後は、1~2年ごとにヨーロッパを訪れていたので、ポンドや欧州通貨が弱い頃、すなわち、円が強かった頃にヨーロッパを移動し旅をしていたので、幸いにも、円高を享受出来たと言うことになるが、今では、ヨーロッパが遠くなってしまって一寸考えざるを得なくなった。

   難しい経済論を離れて考えても、世界全体が不況になった時の為替の切り下げ競争は別として、本来、国家の舵取りは、自国通貨を強くすることが国策であるべき筈である。
   日本の経済が強くなって国際競争力が増せば、円が強くなって、海外のモノやサービスの価格が安くなり、国民生活が豊かになるのは当然である。
   
   ところが、日本の経済そのものが、バブルの崩壊とデフレ不況で大変な10数年を過ごさざるを得なかったので、外需頼みの円安政策を続けて、貯め込んだ膨大なドルをアメリカの財務省証券などに投資して海外に還流し、
更に、金融緩和で、低利の円をジャブジャブに放出し、国際市場に資金を供給し続けてきた。
   その結果、日本は世界の金融の供給源として貢献し、あらゆる側面から、最早安易に、円高金利高の金融方針を取れなくなった。
   更に、日本の国際競争力と経済力の弱体化によって国際的な地位が低下してくると、円安要因が継続する。

   もっとも、昨今では、為替レートは、貿易やその国のファンダメンタル等で決まるわけではなく、国際間を流通する膨大な資金の動きによって、時には、投機筋の思惑や政治経済情勢などで動くので予測など当たらないと思って間違いない。
   この件は、数年前、円が100円近辺まで円高になった時に、セミナーでミスター円が更なる円高予測をしていたので、その旨知人に伝えたら、その後急速に円安になって、知人から円を売って大損をしたと怒られたことがあったし、
実際に、ロンドンで、大きな不動産を抱えていたので、毎日のように銀行などのプロ・外為トレーダーに聞きながら円ポンドの転換を見守っていたが、殆ど予測が当ったことがなかった、等々身に沁みて色々経験している。

   株も同じで、サルがダーツを打って当てた株を買った方が、プロのトレーダーが組み立てた投資信託より利回りが良かったという話はよく聞くし、第一に、ランダム・ウォーカーのバートン・マルキール先生がテクニカル戦略など当たる筈がないと言っている。
   インサイダー疑惑はとも角も、ものを言いすぎたきらいはあるが、やっていたことはバフェット流のバリュー投資手法を我流展開していただけ(?)の村上世彰を袋叩きににするのもどうかと思うが、とにかく、為替や株は分からない。

   何れにしろ、色々な国際指標において日本の弱体化が際立ってきているのは、円安のためで、円高の時と比べてその分ディスカウント計算されて表示されるので当然だが、
世界の品物が何でも安く見え、海外旅行が安くてバーゲン価格であった強い円の頃が、懐かしい。
   
   
   
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瀬戸内寂聴展・・・高島屋日本橋店

2007年07月18日 | 展覧会・展示会
   日本橋高島屋で「瀬戸内寂聴展」が開かれていて、大変な人出である。
   文化勲章受賞と作家生活50周年記念と言うことで、可なり幅の広い総合的な展覧会だが、壁一面に飾られた寂聴さんの著作の多さにビックリする。
   比較的熱心に読んだ方だが、それは殆ど最近の著作で、それも氷山の一角にしか過ぎない。
   もっと驚いたのは、このITデジタル時代に、ペンや筆で一字一字原稿用紙のマス目を埋めて丁寧に書かれた自筆原稿の量で、いわば、天然記念物的存在である。

   会場には、そっくり、寂庵の寂聴さんの書斎の部屋がセットされている。
   実際の机は執筆中の写真を見ると違うようだが、谷崎潤一郎の机を模したとかで引き出しの多い立派な机が中央に置かれていた。
   川端康成からのマガジンラックもあったが、部屋全体は、綺麗に整理整頓されていて快適な執務空間を作っていて、窓から見える木漏れ日に揺れる竹林から小鳥の鳴き声が聞えてくるような感じである。
   嵯峨野の一寸奥に入った静かな雰囲気が漂ってくるようで心地よい。
   ここだけ、「記念写真をどうぞ」と書いてあったので、沢山の客を避けて撮ったのが口絵写真である。

   岩手県天台寺の荒削りの聖観音立像なども展示されていたが、私には、寂聴さん自身が彫った木彫りの仏像や、それに素焼きの土で作った沢山の実に可愛くて愛らしい仏像や合掌している人々の小像が印象的であった。
   貝合わせの平安貴族のカップルを描いた絵をはじめ、自筆の絵画など味があって実に良い。笑顔の爽やかな寂聴さんの素顔が見えていて素晴らしい。

   一寸異質な感じだが、目に留まったのは、2003年3月4日付けの「朝日新聞」の反戦広告である。
   下段2段全面をぶち抜いた紙面に、「反対 イラク武力攻撃 瀬戸内寂聴」と書かれた極めてシンプルだが、パンチの利いた広告である。
   新聞広告の高いのに驚いた、自分の出せる精一杯の広告がここまでだと言いながら、断食に体力の自信がなくなったので、そのかわりに意思を伝えるために、信仰者として、作家として、そうしなければならない義務があると信じたから広告したんだと言ったことが添え書きされていた。

   このブログでも書いたが、寂聴さんが鶴見俊輔と対談した「千年の京から「憲法9条」私たちに生きてきた時代」で、憲法9条改正反対の座り込みに参加して、牢にぶち込まれても死んでも良い、一緒に平成心中しようと言う件があったのを思い出した。
   昔の宗祖は総て革命家でした。情熱のある・・・牢獄に入れられても、殺されても、それは言うべきだと思う。と言っている。

   面白かったのは、出口近くに展示されていた横尾忠則画の「寂庵ポスター」で、梅原猛の「桃源郷ここにあり」と書かれた額を奉げた勇ましい法衣姿の寂聴さんの写真を真ん中に、上にはモボスタイルの若き日、そして、幼い娘を抱いた写真などをアレンジしながら仏像や源氏物語、阿波人形等々色々なモチーフを描き加えた作品であった。

   自分が良くなるために出家したんだと言っていた有髪最後のウグイス色の色留袖と嵯峨錦の帯が展示されていた。
   寂聴さん縁の人々との色々な品物が沢山展示されていて交友の深さを感じて興味深かったし、全体を通じて、寂聴さんの知らなかった一面などを発見して面白かった。
   
   私が寂聴さんを時々見かけるのは劇場で、一度は、歌舞伎座で、ご自身の新訳「源氏物語」が公演されていた時であった。
   一階正面の前の方の席におられたが、ファンの海老蔵の光源氏に胸を熱くされていたのであろうか。

   嵯峨野も念仏寺までは、何度か行ったことがあるのだが、今度は、寂庵の近くまで散策しようと思っている。
   
   
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セレンディピティは幸運な偶然か

2007年07月17日 | イノベーションと経営
   大科学者の大発見や大発明がセレンディピティによってもたらされることが多いと言われている。
   一般的には「幸運な偶然」と言うように理解されているが、
   広辞苑によると、セレンディピティとは、「お伽話「セレンディプ(セイロン)の三王子」の主人公が持っていたところから、思わぬものを偶然に発見する能力。幸運を招き寄せる力。
   オックスフォード英語大辞典では、偶然から、予期せぬ幸運な発見をする能力。と書かれている。
   発明や発見にとって重要なことは、偶然や洞察力の鋭さだけではなく、人間がその偶然に何らかの価値を見出すかどうかと言うことで、見過ごされてしまったらセレンディピティにはならない。

   このお伽話だが、王子の一人が、道の左側の草は右側の草と比べて貧弱なのにそちらの方の草だけ食べられていたことから、右目が見えないラクダがつい最近この道を通って行ったとか、ほかの王子も、歯が一本欠けていただろうとか、足を一本引き摺っていただろうとか、想像で言うのだが総て当たっているのでラクダ泥棒と間違われる。
   牢にぶち込まれるがラクダが見つかったので釈放され、皇帝が推察の根拠を聞いてその洞察の深さに感心して褒美を取らせた。
   英人のホーレス・ウオルポールがメディチ家の紋章に面白いものを発見して、友人に、今回の発見は「セレンディピティ」としか呼べないと、お伽話と一緒に書き送ったことで、この言葉が生まれたという。

   人間がのめり込めばにのめり込むほど、洞察力は鋭さを増す。
   試行錯誤のプロセス総てが、その人物の感覚を、問題の領域内においてのみ研ぎ澄まし、誰も目を留めないような出来事に重要性を見出すまでに冴え渡り、その現象との関わりからセレンディピティが生まれる。
   すなわち、現実の世界では、人が鋭い洞察力を発揮するのは、その人が偶然を「幸運な偶然」に転じることが出来る領域、つまり専門知識や職歴、生活、気質、関心と言った極限られた領域内でだけ起こる。
   下手な鉄砲数打ちゃ当たるとか、犬も歩けば棒に当たるといった次元の話ではないらしい。
   
   アラン・ロビンソン等は、デュポンのコーティング剤テフロンを、エヴァン・シュワルツは、ノーベルのダイナマイト、電子レンジ、ナイロン製の面ファスナー、人工甘味料アスパルテーム等をセレンディピティの発明の例としてあげている。
   セレンディピティを生み出すためには、「頭脳と幸運を手に入れ、素晴らしいアイデアが浮かぶまで腰を据えて待つべし」と言う学者もいれば、「勤勉と忍耐力と注意深さ、そして型に嵌らない発想が出会った時に、科学者は、しかるべき時にしかるべき場所でセレンディピティを見出す」と言う学者もいる。
   偶然は洞察力の源だと言うことのようだが、チャンスは引き寄せるものだと気付けば、偶然を装ったチャンスを如何に上手く掴むかと言うことである。
   
   話は飛ぶが、今日の日経の「私の履歴書」で、長嶋茂雄監督が、オリンピックのコンパニオンだった亜希子夫人に一目ぼれして、夜討ち朝駆け、とにかく、恋病にドライブされて全身全霊をかけてアタックしたと言う涙ぐましい話が載っていたが、これも言うならば一種のセレンディピティであろう。
   一目ぼれを直覚の愛とも言うそうだが、人間、いくら頭が良くなり、科学が進歩して世の中が進もうとも、理屈ではなくどうしようもない心の動きに引っ張られて生きているのが面白い。

   しかし、長嶋もイチローも、人よりもはるかに厳しい練習と訓練に明け暮れた結果の上での大選手であり、学究たちの科学上の発明発見の世界も、底知れない研究と修練あってのセレンディピティであることを忘れてはならないと思っている。
   そう考えれば、セレンディピティは、決して、幸運な偶然ではなく、幸運な必然だったかも知れないのである。
   
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