熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

二月大歌舞伎・・・松本幸四郎の「一谷嫩軍記」「梶原平三誉石切」

2006年02月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   二月の歌舞伎座は、松本幸四郎と中村吉右衛門兄弟が重要な役割を果たした。
   吉右衛門の方は、尾上菊五郎や田之助、玉三郎等と共演していたが、幸四郎の方は、少し若手との共演で一寸違った味を出していた。

   私が、興味を持ったのは、昼の部の「一谷嫩軍記」の「須磨浦陣門の場」と「浜辺組打の場」の方で、昨秋、仁左衛門の「熊谷陣屋」を観て感激したので、その前座とも言うべき「陣門」と「組打」なので、それに、定評のある高麗屋の舞台なので、大いに期待して出かけた。
   この歌舞伎は、平家物語の話にひねりを入れて、敦盛(中村福助)を後白河院のご落胤と言うことにして、義経の敦盛を助けよとの命令を受けて、直実が自分の息子小次郎直家を身代わりに殺すと言う話に変えてしまっている。
   平家物語の話だけで十分であって、私は、改悪だと思っているが、この小次郎を身代わりにしたと言う話は、最後の「熊谷陣屋」を観ないと分からないし、それに、この身代わりは、その前の「陣門」で、直実が、傷ついた実子小次郎(実は敦盛)を助け出す時に兜で顔を隠して去って行く暗示以外には、全く、その気はない。
   次の「組打」の場では、敦盛との組打で、敦盛の首を討つことになっているが、実際の敦盛が舞台に出て敦盛(実は小次郎)を演じるので、これを小次郎だと思って見よと言われても、歌舞伎の舞台だから許されるとしても、全くのところ無理がありすぎる。
   この場合、関東武士として育った小次郎が雅な平家の公達敦盛の風情を出せる訳がないし、それに、敦盛として親に討たれる小次郎がどう演じれば良いのか。
   もっとも、この2場は、最後の「熊谷陣屋」の伏線で意外であれば意外であるほど良いのだから、敦盛が討たれたと観客に思わせれば良いだけなのであろう。
   したがって、この場合は、小次郎の演技にはそれを期待できないので、身代わりの苦渋は、ひとり直実が、舞台で演じなければならない。

   私は、10年前の幸四郎の本「ギャルソンになった王様」に、幸四郎が、真実の涙『一谷嫩軍記』の「陣門」「組打」「陣屋」のところで、熊谷の心境を書いているのを思い出した。
   幸四郎は、「武士としての熊谷が、苦悩の末、我が子小次郎の首を討って、敦盛の身代わりにし、義経もその心意気にうたれたと解釈するのが、一番自然な気がします。つまり、俗に言う「武士の情け」です。義経主従を見逃してやる「勧進帳」の富樫にもいえることですよね。」と言っている。
   主君には絶対服従なのだから背く訳には行かないが、ただそれだけだと、武士としての熊谷が薄っぺらくなって、義経も温情とか人間味が全くなくなって、魅力ある存在ではなくなってしまう、と言うのである。

   私は、幸四郎直実の一挙手一投足をジッと観察しながら、その苦渋のカゲを観ていたが、ひとり芝居の、孤独な心の葛藤を丁寧に噛み締めながら演じていたのを流石だと思って感激して鑑賞していた。
   自分の子供を、断腸の思いで殺さざるを得なかった武士としての苦痛と悲しみを、運命の非情さに心で慟哭しながら敦盛への哀悼に変えて直実を演じており、あの仁左衛門とは違ってはいるが、同じ無慈悲な運命への怒りが胸に沁みて哀れであった。
真面目一徹で一寸不器用な幸四郎の演技が、更に、「人生僅か16年・・・」の無常観を胸に叩きつける。
   福助の凛々しくも美しい敦盛(小次郎)が華を添えている。
幕が開いて最初に耳にして小次郎が感激した敦盛の妙なる笛の音(儚く消え行く雅な文化)が、やはり、この哀れな平家物語の一つの重要なテーマ。軍記物だが、美しい舞台でならなければならないと思っていたが、熊谷と敦盛の波打ち際での組打、玉織姫を演じた中村芝雀の艶姿など綺麗な舞台であった。

   ところで、夜の部の「梶原平三誉石切」であるが、実に舞台に良くかかる演目だが、今回は、初代吉右衛門型で、舞台を背にして手水鉢を切り袱紗を使っていた。
   幸四郎はお家の芸だから別として、幸四郎が、本当の主役は二人だと言っている六郎太夫(歌六)と梢(芝雀)父娘だが、実に上手く情感豊かに演じていた。
   アクの強い彦三郎の大場三郎景親もさすがにベテランだが、いい男の筈の愛之助が厳つい奴姿の俣野五郎を憎憎しく演じていたのが面白かった。

   二月大歌舞伎には、玉三郎と菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」、芝翫、菊之助と橋之助の「浮塒鷗」、芝雀、橋之助と歌昇の「春調娘七草」があったが、バレーは一寸別としても、舞踊劇には鑑賞眼がないのが残念であり、コメントは控えざるを得ない。

(追記)昨年3月1日に、この「熟年の徒然文化雑記帳」を始めてから一年経った。
   手術入院とヨーロッパ旅行等で少し抜けたが、大過なく書き続けて来られたのは幸いである。
   別に何の準備をするでもなく、その日に浮かんだテーマを書き続けて来ただけなので、とにかく、政治経済から旅や観劇まで、統一が取れずに終わってしまったが、これも人生。
どこまで続けられるか、また、明日からスタートである。
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本のeコマース・・・やはり書店の方が良い筈だが

2006年02月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日経MJフォーラム「最新eコマース事情」を聴講したが、問題の核心は、やはり、如何に利便性と取引の安全性を確保するのかということである。
   楽天を筆頭にeコマース市場が活発に展開されているが、やはり、決済したのに商品が届かないと言った詐欺紛いの取引から、個人情報の流出、クレジットカードの悪用など、eコマースについては、便利な反面、問題が後を絶たないので、まだ手を出さない友人も多い。

   私の場合は、昔から海外生活や海外出張が多くて、クレジットカードなしには仕事が出来なかった所為もあり、クレジットカードでの取引には全く抵抗なかったので、eコマースにはすんなりと入って便利に遣わせて貰っている。
   旅行の場合は、普通エージェントや代理店を使ってチケットやホテルを予約するのだが、私のように総て自分で手配する人間にとっては、決済手段は総てクレジットカードであり、手配の手段が電話からコンピューターのeメールに変わっただけであり、むしろ、時間的制約のない分便利になったくらいであるし、確認も完全に取れる。
   オペラやコンサートのチケットは勿論、最近では、コンシューマーエレクトロニクス、カメラ関係は殆どeコマースであり、株取引もコンピューターで行っているのは当然である。
   私の場合は、プラハのオペラのチケット、イタリアやイギリスのホテルや観劇チケット、アメリカからのグッズの調達、等々外国相手にもeコマースを使っているが、外国語に堪能でない慣れない人には止めた方が良いであろう。

   幸いなことに、カード決済では、今のところ、大きなトラブルは経験していないので、eコマースでの問題はないが、一時、ヤフーのオークションで得体の知れない反応がありこれは怪しいと思ったことがあるので、オークションはやるつもりはない。

   ところで、シンポジュームに参加していた伊藤元重東大教授が、バーチャルなeコマースと実際の取引とが共存してビジネスチャンスを広げているケースがあることに言及していた。
   イギリスのスーパー・テスコの場合であるが、この会社は結構eコマースに力を入れているようである。
   普通は店に行き買い物をしている客が、所用等で店に行けない場合は、パソコンでテスコに注文を入れ、店員がその指示に従って商品を取り揃えて配達していると言うのである。

   アマゾンを筆頭に、本のeコマースは、非常に活発だが、実際には、直接配達されるよりは、コンビニ受け取り、書店での直接受け取りなどの方が遥かに多いようである。
   私の場合は、アマゾンに予約を入れる場合は配送だが、例えば、旭屋書店にパソコンで注文を入れる時などは銀座店で受け取っている。
   経済や経営、芸術関連の洋書などは、アマゾンやバーンズ・アンド・ノーブルにパソコンでオーダーを入れて配送で受け取るeコマースであるが、はっきりと中身が分かっている本以外は、総て、書店に行って、本を確認してから買っている。
   これは、やはり、首都圏に住んでいて、あらゆる本に直接触れることが出来るからであろうが、いくらeコマースが便利だからと言っても、これには限界がある。
   eコマースと実際のリアル商店との棲み分け、そして、その共存共栄がビジネスチャンスを拡大する道であることには間違いない。
   三省堂の有楽町店では、少し早いが、桜に関連する本を集めて展示していたし、神田の本店では、店頭で結構面白い展示や即売をやっていたりする。しかし、もう少し工夫しないとすぐにだれてしまう。

   日本の代表的な書店では、ネットブックショップも併設しているが、本の説明が極めて貧弱で、その本がどんな本なのか、ブックの背後にある必要なデータベースが全くなっていない。例えば、著者の略歴等書いてあるだけでも役に立つし、あれば著者のホームページに繋げるともっとベターである。
   何故、ネットショップを開いてデジタル、IT手段を使ってビジネスしているのか、全く分かっていないのが日本の書店である。
   アマゾンの場合には、データベースが比較的充実しているので、翻訳本などはアメリカやイギリスのアマゾンを開いて原書の説明を読んで参考にしている。 
   日本の書店も、他のデータベースをアウトソーシングするなり、もう少し、まともなマーケティング担当や司書を雇うなどして、売り物に付加価値を付けるべきである。 

   ところで、書店だが、本の説明などは、古本屋の主人等の方が遥かに詳しいが、やはり、本に対する知識は店員の必須知識だと思うので、担当の部門の本は熟知しておくべきである。
   ベストセラーや売れている新刊書などはインターネットで買っても良いが、店に来て買うのは、何らかの情報を得て買いたいと思っているのだから、それに対応する姿勢がないとダメである。
   とにかく、東京には大型の書店が沢山あるが、何処へ行っても同じで、少しも面白くない。ワクワクするような喜びを与えてくれるような、何時も行きたいと思うような、そんな店が出来ないであろうか。
   世の中が豊かになればなるほど、知の集積、知識の源である本が重要になってくる筈だが、日本は違うのであろうかと思ってしまう。
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小泉民営化の本当の意味・・・経済改革ではなく統治改革

2006年02月26日 | 政治・経済・社会
   池尾和人慶大教授の、小泉民営化に関する面白い講演を聞いた。
   経済改革か統治改革かと言う視点からの分析で、結論は、後者であって、経済改革としては不十分であると言う見解である。
   ある意味では、極めて本質をついた理論展開であり、興味深い分析なので、これを考えてみたい。

   論旨は、以下のとおり。

   『内容如何に関わらず、日本において政策が決定されるのは、特定の政策決定フィルターを通過せねばならない。
   戦後日本の政策決定過程は、「仕切られた多元主義」、すなわち、中心のない政・官・財の「鉄の三角形」とその中も細分化させた割拠性を持つ利害集団間の利害調整の上に成り立っていて、経済発展を促進する産業政策と各部門や地域間の再分配政策が主体であった。

   このような利益分配型政治、「世界で最も成功した社会主義国」的な路線は、国家の基本的かつ戦略的な方針や政策決定には、全く相応しくない。
   「仕切られた多元主義」が行き詰ったのは湾岸戦争の時だが、その後、橋本行革、中央省庁再編成を経て小泉内閣になり、内閣の執政機能の強化、中選挙区制と直結していた自民党の政策決定体制からの脱却、党指導部のイニシャチブ確立等、統治改革、すなわち、「日本政府の統治機構の改革」が進んだ。
   これが、政策決定と権力構造の変化を促進した。

   この梃子とされたのが道路公団の民営化、郵政の民営化と言った「民営化」であるが、経済政策の意義を喧伝するわりには内容が薄く、実際の関心は統治改革(経世会=平成研の権力基礎の切り崩し)に重点があり、小泉首相も内容には関心が薄く総て丸投げである。
   経済改革としては、極めて評価が低いが、統治改革と言う意味では別問題で、内容のあまりない政策を掲げて権力闘争を戦うことを好む首相のパーフォーマンスが、小泉民営化の真の姿である。』

   国鉄の民営化は、当時相当強かった社会党の支持基盤である国鉄を民営化することによって社会党を潰そうとした政策であることは、中曽根元首相も公言しており、周知の事実である。
   今回、小泉首相は、この方法を、自民党最大の抵抗勢力である経世会を潰す為に、郵政と道路を使った訳で、これに、長期不況のどん底に会った日本経済の活性化と言う経済改革をオブラートにして国民の支持を得たと言うことであろうか。

   池尾教授は、国鉄の民営化と小泉民営化は政治色が強いが、90年代のNTTや日本専売公社等の民営化は、経済的な要素が強かったと言う。
   しかし、郵政も道路公団もその民営化には問題山積であり、官僚体制の残滓である特別会計改革は遅れに遅れている。
   サプライサイド経済学者の竹中大臣は、まさか、小泉首相と同じ次元で、経済改革や民営化に対応しているとは思わないが、歯切れの良かった大臣以前の経済学関係の著作と大きく距離が開きすぎ始めたのが気になっている。
   アメリカ型の資本主義、市場原理を優先した競争社会を強化した結果なのか、或いは解放型経済政策をとった所為なのか、貧富の差が拡大し始め経済社会がギクシャクし始めた。
   経済は、悪ければ良くなり良ければ悪くなる。小泉内閣は、ジャブジャブの金融とゼロ金利政策以外殆ど経済政策はやってこなかったし、むしろ、経済成長の足を引っ張っていたきらいがある。
   経済は、誰がやっても良くなるときは良くなるのだと言うことを、忘れないで欲しいと思う。

   ところで、野党を弱体化させて、自民党の抵抗勢力も叩き潰したが、まだ、問題の官僚制度を含めた政府の改革は緒にさえついていない。
   本当に、本丸を攻撃できるのであろうか。
     
   
   
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人類の文化遺産を守る・・・文化を破壊する戦争の惨禍

2006年02月25日 | 地球温暖化・環境問題
   有楽町朝日ホールで、日伊シンポジューム「人類の遺産 国際協力で守る」が開かれて、日伊の文化遺産の保護・修復に携わる専門家の先生方が出席し、遺産保護の状況の説明および今後の対策や国際協力等について討論を行った。
   世界文化遺産の赤十字運動を推進している平山郁夫氏(ビデオ出演)やイタリア文化省J.プロイエッティ局長などの総括講演の後、日本とイタリアのこれまでの文化遺産保護活動について具体的に説明が行われた。

   日本の場合は、タリバンによって破壊されたバーミアンの大仏やカンボジアのアンコールワットなど中東からアジアにかけての文化活動について説明があったが、やはり、イタリアは世界に冠たる文化遺産を擁するこの道の先進国で、桁外れの活動を行っている。
   クロアチアやモンテネグロなど戦争で破壊された旧ユーゴ諸国、イラン・イラク、アフリカ、中南米、北京の紫禁城を筆頭に中国各地の文化遺産の保護にも手を染めていて、その活動は世界各地に亘っており膨大な専門家を派遣して、文化遺産の修復・保護のみならずローカルの専門家の育成に努めている。

   タリバンが、世界を敵にまわして戦っていた時、バーミアンの大仏を爆破してしまったが、仏教遺跡である大仏破壊は、彼らにとっては、タダの異教の飾り物で痛くも痒くもないのだが、人類の共通の貴重な文化遺産であることの認識が欠落していた。
   イスラムに支配された土地の仏教遺跡の仏像などは、偶像崇拝禁止なので、バーミアンの大仏のように、殆ど、顔が削り取られたり、あるいは、目が刳り貫かれたりして破壊されている。
   しかし、今回の大仏爆破は、バンダリズムの極地、文化文明への限りなき反逆である。

   貴重な人類の文化遺産に対して、戦争ほど恐ろしいものはない。
   ヨーロッパの歴史的な文化都市は、二度の大戦で、容赦なく破壊しつくされたが、幸いにも、アメリカに残っていた最後の叡智によって京都、奈良が破壊から免れて助かった。
   しかし、戦争によって荒廃した日本は、日本人の心まで荒廃させてしまって、当時、現在国宝になっている多くの貴重な仏像など文化遺産が路傍に転がっていたり、良くても湿気が多くて朽ちかけた倉庫におかれて見向きもされなかったと言う。
   米軍に徴用されるのを恐れて、その前に記録を残そうと入江泰吉が仏像を写し続けたのもあの頃。

   戦争は、絵画や彫刻など貴重な芸術品の争奪戦でもあり、特に、ヒットラーとスターリンの虚虚実実の争奪戦争は凄まじかったし、その間に、失われていった文化財も数限りない。
   日本軍も、中国での戦いで、故旧博物館の芸術品輸送中に多くを喪失しており、北京原人の骨も移送中になくしてしまっている。

   イラク戦争で、バグダッド博物館が略奪されたが、文化遺産を守るイタリア隊が必死になって復旧作業をしたと言う。
   玄奘三蔵が、バーミアンを訪れた時、大仏は金色に輝き、巨大な大仏が涅槃姿で横たわっていたと記録しているが、それを頼りに塵一つも逃さじと日本隊が復旧作業に気の遠くなるような努力を続けている。
   戦争だけは絶対にしてはならない。ひよわな文化文明が真っ先に犠牲になって消えていってしまう。
   

   今回のシンポジュームで、イタリアのカンパニア州文化財・景観監督官のステファノ・デカーロ氏は、「遺跡の発掘は、発見ではなく学問である。根源的な人間のニーズを、追及することであって、個々の人間の文化的、歴史的アイデンティティを明かしてくれるが、究極は、人類共通の偉大な存在と価値を教えてくれる。」と言っていたが、偉大な文化遺産の与えてくれる教訓は限りなく豊かで深い。

   余談だが、私は、幸いにも、ヴァチカン宮殿のシステナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」と天井画、それに、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会のレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を、両方とも、修復前、修復中、修復後、と何回か見る機会を得ており、イタリア人専門家の修復技術の途轍もない実力を垣間見ている。
   大学生の時、気が触れた京大生が、太秦の広隆寺の半跏思惟像の弥勒菩薩の指を折ったことがあった。修復後見に行ったが、何処を修復したのか分からなかった。
   ヴァチカンのミケランジェロのピエタ像も、ロンドンのナショナル・ギャラリーのヴェラスケスの「ヴィーナスの化粧」も、いくら近づいて見ても、何処を修復したのか全く分からない。
   それほど、重要な人類の文化遺産の修復・保存は進んでいるが、その前に、人類全体が、先人の偉業に対して敬意をはらうことで、そして、その貴重な文化遺産を大切にすることであろう。

   文化財の修復・保存・維持については、日本の技術は世界でも最高水準だと言われているので、イタリアに伍して十分に歴史貢献は可能であると考えられる。
   しかし、あの高松塚古墳の壁画にカビが生えて消えかかっているとは、一体、何たることか。お粗末極まりないとも思っている。
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日本とドイツにおける公企業の民営化・・・国有鉄道と空港

2006年02月24日 | 政治・経済・社会
   24日と25日、東京ドイツ文化会館で、独日法律家協会と早稲田大学21世紀COE「企業法制と法創造」総合研究所主催で、日本におけるドイツ年2005/2006に一環として、国際シンポジューム「日本とドイツにおける公企業の民営化」が開かれていて聴講した。
   参加者の大半は、法律家や大学関係、役所関係であったが、勉強の為に参加した部外者の私にも結構面白かった。
   ドイツの民営化の場合には、共産主義体制の旧東ドイツの国有・公有企業の民営かをも含んでいるので、日本より複雑で、そのあたりも興味深い論点である。

   日独の公企業の民営化についての問題や法制度等について一般論を皮切りに、実例として、鉄道、即ち、JR東日本とドイツ鉄道(DB)、そして、空港、即ち、成田空港とフラポルト(フランクフルト空港)の具体的な民営化について説明が行われて、質疑応答があった。

   前回の早稲田のシンポジュームで、ドイツポストの民営化について総裁の説明があった時にも、民営化以前の状態が官僚的退廃的な組織になり下がってしまっていて如何に惨めであったかを語っていたのだが、ドイツ鉄道も大同小異であった模様。
   しかし、リシャッフル後は、経営改革の結果、多額の設備更新投資や政府補助金の削減を賄っても余りある利益確保を成し遂げたと言う。
   JRと違って、まだ、株式の一般公開には至ってはいないが、鉄道以外にロジスティック等業域の多角化を図るなど、意欲的に改革を推進していると言う。
   ドイツ鉄道は、ドイツには競争する私鉄がないし、それに、ヨーロッパ急行はあるが高速の新幹線はないし、それに、人キロ当たりの効率は極めて悪くて、多くの問題を抱えている。
   それに、ヨーロッパ鉄道網の一環を形成しているのでドイツだけでは解決出来ない問題もある。

   私は、ドイツ国内移動の時は、航空網が小型機しか飛んでいないので、自動車と鉄道を使ったが、やはり、日本の方が遥かに国内交通システムは便利である。
   今あるのかどうか知らないが、昔、ルフトハンザが、デュッセルドルフからフランクフルト経由でロンドンに飛んだ時、デュッセルドルフからフランクフルトまではルフトハンザ仕立ての鉄道列車が走っていて、ライン川沿岸風景を楽しみながら優雅な旅をした経験がある。
   凄いドイツ美人のスチュワーデスが、機内食を運んできてくれるのも同じで、ドイツの白ワインが美味しかった。

   ところで、フラポルトの方だが この方は比較的当初から営業成績は良いようだが、今、IPO,株式公開準備に忙しそうで、話を聞いていると、ドイツも、結構アメリカナイズされた株式市場に変質しているような感じがした。
   この空港は、イギリスのBAAをターゲットに考えているようだが、やはり、空港の商業化の拡大を企図している様である。
   成田空港も、現在改修中の第一ターミナルの拡張部分に立派な商業施設「仲見世」を作るようだが、とにかく、空港のショッピング・センター機能の拡充と整備は、JRの駅中ビジネスと同じで、業績向上の切り札であることには違いなさそうである。

   成田空港の黒野匡彦社長が、ロンドンのヒースロー空港をスペインの建設会社が買収するニュースがあるとして、完全民営化で株式を一般公開した時の、敵対的買収の脅威を語っていたが、時価総額が、3000億円程度ではあり得る話である。

   それ以前に、「民間で出来ることは民間で」と言うポリシーだが、民と公の区別を何処に置くのかが最重要なポイントである。
   私は、今でも、公企業の能率・効率の悪さと、時には発生する腐敗は、公企業だから起こる現象ではなく、あくまで、経営者に経営能力がなくマネジメントが悪い所為だと思っている。
   民間企業には民間企業の日向と影があり、公企業にも公企業の日向と影がある。
   民営化が行き過ぎると利益優先の経営となり公的企業としての重要な使命がないがしろにされることもある。
   あの尼崎で起こったJR東日本の事故であるが、どうしょうもなかったJR福知山線を阪急宝塚線に勝つためには、ある意味では必然の安全軽視であったかも知れないのである。

   今、役所に行くと極めて親切であり、郵便局など見違えるようになり、場合によっては、銀行や百貨店の方がサービス精神に欠けていて態度が悪い。
   私の言いたいのは、公共福祉の為に、或いは、国民の幸せのためには、政府公共団体が死守しなければならない業域があると言うこと、そして、その業域とは何なのかを十分にわきまえて民営化を叫ぶことである。
   アメリカでは、軍事や基礎教育、保安、厚生医療福祉等々、民営化が行き過ぎて社会に問題を引き起こしているケースがあると言う。
   何でも民営化しさえすれば良くなると言う極端な風潮が一寸気になっている。
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文楽二月公演・・・天網島時雨炬燵「心中天の網島」

2006年02月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の文楽の第三部は、近松門左衛門の「心中天の網島」の改作で、近松半二等作「心中紙屋治兵衛」の「新地茶屋の段」と、管専助等作「置土産今織上布」の「紙屋内の段」を一つに纏めたもので、「天満紙屋内の段」等大分話の中身が大衆的に変わってしまって近松の原作から離れてゆく。

   この心中天の網島は、近松最晩年の最高傑作でもあり、改作とは言え、この演目はやはり今回の2月文楽の目玉で、「河庄の段」の竹本住大夫の浄瑠璃と野澤錦糸の三味線、そして、次代の文楽界を背負う3人のエース、桐竹勘十郎の紙屋治兵衛、吉田和生の紀の国屋小春、吉田玉女の粉屋孫右衛門の揃い踏み.
そして、「天満紙屋内の段」の豊竹嶋大夫の語りと鶴澤清介の三味線に、健気なおさんを遣う吉田簔助の至芸など見所が多く素晴しい舞台であった。

   今回の心中物語は、大店の紙屋の主人で、従妹のおさんと言う貞女を妻に、6歳の勘太郎と4歳のお末と言う子供を持つ分別盛りの28歳の紙屋治兵衛が、3年越しに渉る紀の国屋小春との恋愛関係を清算して情死を遂げたのがテーマ。
   しかし、これだけでは話にならないので、近松は味付け脚色をする。
   夫婦の関係が行き詰まり心中しようとしている夫を助ける為に、おさんが、小春に関係を絶ってくれるよう手紙で依頼して、小春もこれに応えようとするが、身請けされる江戸屋太兵衛を虫唾が走るくらい嫌いで、治兵衛も小春が太兵衛に身請けされると思うと悔しくて居ても立っても居られない。
   おさんが、夫と小春を思い、夫を許して見受けの金まで工面し、親に連れ戻されて実家に帰るが、周りの思いやりもなんのその、治平衛と小春は、最後の死に場所網島の大長寺に向かう。

   河庄の段では、治兵衛の義兄粉屋孫右衛門が、小春の本心を確かめる為に侍に身を変えて河庄に行く。
   義兄に治兵衛との心中は嘘でと別れ話を語っているのを外で立ち聞きした治兵衛が、怒って入り込み小春と取り交わした起請文を叩き返すが、孫右衛門が小春の胸から取り出した起請文に別の一通の手紙があり、おさんからだと知って小春の心変わりの訳を知る。

   次の紙屋内の段では、おさんが、涙にくれる治兵衛を見て、そんなに私を嫌いなのかとかき口説くのだが、夫の話から小春が自殺するのを察して身請けする為の金の工面までする、しかし愛想をつかした親に実家に連れ帰られる。
   ところが、今回の改作では、更に、小春が二人の祝言の真似事まで手配しており、二人を訪れて来た娘お末の白衣に、怒った筈の義父が150両の金まで家に残し、お末共々おさんを尼にしたことが書いてある。

   近松門左衛門の原作は、最後の段は、治兵衛が、小春を連れ出しに河庄に出向き茶屋の諸払万端を済ませて待っていると、孫右衛門が探しに来たのを陰から見ていて知る。それをやり過ごし、周りの善意も無視して網島に向かって死出の旅に発つ。
   「悪所狂いの、身の果ては、かくなりゆくと、定まりし」。
   橋の多い大坂をかけて、最後の「道行名残りの橋づくし」が始まり、二人してあの世への道行きとなる。
   最後の心中の場は、小春を刺し殺した後、自分は離れて神社の鳥居に帯を掛けて死ぬが、せめてものおさんへの義理と思いやりであろうか。

   ところで、河庄の段、「魂抜けてとぼとぼうかうか、身をこがす」。
   治兵衛の舞台への登場であるが、前回玉男が遣ったどうしょうもないほど傷心して落ちぶれた治兵衛の姿を思い出しながら、勘十郎の治兵衛を観ていたが、やはり上手い。
   ガシンタレでアカンタレで救いようのない治兵衛を如何に演じて見せるか、昨年、坂田藤十郎が、鴈治郎最後の舞台で見せたあの大坂の優男の真髄を必死になって人形に吹き込もうとしている勘十郎の意欲を感じながら、先日観た曽根崎心中の徳兵衛を思い出していた。

   俄か侍孫右衛門を使う吉田玉女、武士の威厳とふっと本性が出る町人の綯交ぜの個性を出しながら、義弟への生身の対応、遊女小春へのおさんの手紙を見た前後の心の揺れ、等何時も豪快な立役イメージの強い玉女の繊細な芸が滲み出て人間的な孫右衛門を上手く遣っていた。

   小春の吉田和生だが、出だしは別として前半は殆ど頭を下げて傷心している姿ばかりの小春。(歌舞伎の時は、雀右衛門が、絶えに耐えて忍び泣く小春を感動的に演じていた。)
   しかし、この舞台は、おさんと小春の女の絡みが主題なので、僅かな動きの中にも女の優しさ強さを感じさせてくれ、やはり、最後の道行きの小春は魅力的で実に上手い。

   一頃なら、正に、女の鏡として称えられた筈のおさんだが、この舞台の本当は一番重要な人物かもしれない。
   天満紙屋内の段の前半、父親に実家へ連れ戻される場までの出であるが、健気で優しい、しかし、強いおさんを、簔助は実に繊細に情愛を込めて演じていて、その一つ一つの仕種の鮮やかさに感動しながら観ていた。
   今回の改作版では、義兄と母に誓紙を書かされる場は省略されているので、冒頭から涙ぐんで炬燵に寝ている治兵衛が出て来て、おさんが、「睦ましい女夫らしい寝物語をしようものを、楽しむ間もなくほんに酷いつれない」と恨み辛みを言う。
   しかし、自分の手紙で小春が死ぬ覚悟で居ることを知ると必死になって、治兵衛に助けを求めて金の工面に画策、この心の機微を簔助は実に巧みに演じる。
   そして、治兵衛を攻め立てる父親に説得抗議し連れ帰りに抵抗する健気さ強さ、生身の女優以上に人形が訴えている。
   この場を語る嶋大夫と清助のコンビも実に上手く感動的である。

   ところで、北新地河庄の段で、治兵衛の出から、孫右衛門と絡んでの小春との別れまでを語る人間国宝竹本住大夫の語りだが、本当に感動モノで、何時も、感激しながら聞いている。
   住大夫の語りの醍醐味の一つは、どうしようもない阿呆の治兵衛と常識人の兄孫右衛門とのすれ違いの会話で、歌舞伎では、藤十郎と我當が実に感動的に演じていたが、あの絶妙な大阪弁の会話を髣髴とさせる人間味豊かな、可笑しくて悲しいあの語りである。
   有名なオペラ歌手が、自分は、テノールしか歌えないが、文楽の大夫は、ソプラノもメゾもバリトンもみんな歌って、その上ナレーションまでやると言って舌を巻いたと言うが、この言葉は、住大夫の為にあるのであろう。
   野澤錦糸との名コンビでの語りに合わせて、3人のエースが、治兵衛、小春、孫右衛門を、縦横に演じ羽ばたいている。

   3人の人形遣いが人形を遣い、1人の大夫が、単調なはずの三味線の豊かな音楽に合わせて、物語を総てを語って素晴しい舞台を作り上げてゆく、文楽とは素晴しい総合芸術だと何時も感激して、聴いて観ている。
   
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能楽堂のシェイクスピア・・・市川右近&笑也、藤間紫の「マクベス」

2006年02月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大変意欲的な、シェイクスピア戯曲を日本の古典芸能で昇華した舞台が登場した。 
   能楽堂を舞台にした歌舞伎役者を主体としたシェイクスピアの悲劇「マクベス」であり、新潟のりゅーとぴあで生まれて東京、名古屋、大阪の能楽堂で演じられたのを、東京の梅若能楽院会館の能楽堂で観賞した。

   私は、もう20年近くも前、ロンドンのナショナル・シアターで、蜷川幸雄演出の素晴しい「マクベス」の舞台を、イギリス人の歓声の中で鑑賞して感激した。
   仏壇を舞台セットにして、その中で東北の小藩の武士の世界での権力争いに置き換えた日本版の「マクベス」が演じられた。
   イギリス流の簡素な舞台ではなく、本格的な演劇の舞台で、障子様のスクリーンを通して映し出される素晴しい桜吹雪のシーンからイギリス人の観客を魅了、勿論日本語の演出だが、イギリス人にとっては知り過ぎている舞台だから、反応は素晴しく良かった。
   
   その後、蜷川幸雄は、今度はロンドンのRSCの本拠地バービカン劇場で、佐渡の能舞台をセットに使った「テンペスト」を演じて、これまた、イギリス人を魅了しつくした。  
   竜安寺の石庭を舞台に取り入れた「夏の夜の夢」もそうであった。
   今度の能楽堂のシェイクスピア「マクベス」とは、まったく違う能楽堂の舞台の使い方だが、蜷川幸雄は、もう既に、シェイクスピア戯曲と日本芸術との接点をいくらも追求し発展させてきている。

   今回の「マクベス」は、歌舞伎役者市川右近と市川笑也が、夫々マクベスとマクベス夫人を演じているが、舞台設定は、歌舞伎と言うよりは、能の方に近く、演劇よりは、幻想的な詩の世界である。
   右近のマクベスは、凛々しく実に優雅であり、猿之助劇団の流石にエースであり適役であるが、やはり、生粋の歌舞伎役者としてのシェイクスピアが前面にでているので、欲を言えば、能舞台、もう少し幽玄さと詩情が欲しい。
   笑也の悪女としての凄さと狂乱の場での演技は秀逸、右近との相性が良く、昔観た栗原小巻のマクベス夫人を思い出した。
   重厚な演技を見せるダンカン役の菅生隆之、風格のあるバンクォーの谷田歩など脇を固める役者も器用である。

   特に印象的なのは、わらべ歌を歌いながら舞台のバックを支えるゼンマイ仕掛け人形のような6人の可愛い魔女と、それを、と言うよりは、マクベスとマクベス夫人の運命を操る魔女達の盟主ヘテカ(藤間紫)の存在である。
   魔女達は、マクベス達の運命を予言する魔女であると同時に、他の役者の役を演じたり小道具を運ぶ後見役であったり、歌と踊るような仕種で舞台を装飾しながら溶け込んでいる。
   女性陣のコロスを上手く使って演出した蜷川幸雄の「メディア」を思い出させる。
   また、もう随分よいお齢だと思うが、藤間紫の堂々とした立ち居振る舞いと演技は流石で、冒頭の能のシテのように静かに登場する瞬間からその存在感は抜群である。

   元々、シェイクスピア戯曲は、聴かせる芸術で、イギリスの本舞台でも、舞台セットは極めて簡素で、それに、数行の台詞で、舞台が、ギリシャからイタリアに移るなど瞬時に場面が展開することはざらであるので、何の舞台セットもない簡素な、しかし、素晴しい芸術空間を提供してくれる能舞台は、理想的な劇場かも知れない。
   その場合、やはり重要な役割を果たすのは衣装。
時広真吾の衣装は、総て和装だが、当時のスコットランド風のイメージを加味しながら実に豪華で美しく、それに、乞食でも錦を纏う日本の能や歌舞伎の伝統芸能の精神が光っていて十分にシンプルな舞台をバックアップしている。

   やはり、今回の舞台の功労者は、演出家栗田芳宏氏であろう。
   藤間紫、市川猿之助門下で、日舞・歌舞伎を学んできており、今回は、その成果である和の精神と技法を活用したと言うが、もともと、シェイクスピア劇は極めてコスモポリタンで、外国に一歩も踏み出したことのないシェイクスピアが書いた戯曲だから、どんな手法で演じても出来さえ良ければ通用する。
   この栗田の試みは、日本の古典芸能の世界と日本の凝縮した美意識の頂点でシェイクスピアを凝視し、舞台を作り上げている。
   能舞台での演出に比重を掛けて、能のように、極めて切り詰めて省略し象徴化した形での舞台を演出しているので、「マクベス」そのものを十分に消化し理解した上でないと少し分かりにくいところがあり、ある意味では、相当高度な演出と云えるのかも知れない。
   シェイクスピアには、ヴェルディ等のオペラもあればバレーもあり、演劇でも多彩なバージョンがある。この能舞台の「マクベス」は、蜷川シェイクスピアと違った日本発のもっと日本古典芸能を昇華させた舞台であり、これからの挑戦が楽しみである。
   
   ところで、本場の「マクベス」であるが、印象に残っているのはイギリスでの舞台ではなく、日本で観たロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの「マクベス」で、サー・アントニー・シャーが、実に個性的なマクベスを演じていた。
   今回の能楽堂の「マクベス」は、日本的な美意識が先行して悲劇性にやや欠けたきらいがあるが、サー・アントニーの演じたマクベスは、悲劇の主人公そのもののマクベスで、彼の演技には芸術性よりもリアリズムが先行していた。
   舞台の後、カクテル・パーティーで、サー・アントニーに、直接話を聞いたが、マクベスについてどんなことを言ったのか忘れたが、
オテロは、色の黒い役者しか演じられないこと、
女優(名前を失念)がリア王を演じる事については日本の歌舞伎でやっているし芸には男女の区別などない、
蜷川幸雄演出の「リア王」はあまり感心しない、
等と云っていたのを思い出す。
   その後、オテロでは、個性的なイアーゴ役で来日したが、シェイクスピア役者としての自負は凄かった。

   
   

   
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世界らん展・・・日本大賞2006はアンデスの可憐ならん

2006年02月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   週末まで、東京ドームで恒例の「世界らん展日本大賞2006」が開かれていて、華麗な花の祭典が繰り広げられている。
   らんとは、かくも華麗で豪華絢爛たる美しい花であったのかと感嘆させられる素晴しい饗宴。
しかし、あまりにもショー化されてしまっていて、何となく違和感を感じ始めていたところ、今回の日本大賞2006は、アンデスの山で育った原種2種を勾配した可憐なはなであった。
   故郷はアンデスの高地、寒いところだと言うが、蔵王山麓で、藩世英さんによって育てられたと言う。
   このらん展に向けてタイミングよく沢山の可憐な花をつけて咲いたので、日本の桧舞台に登場したのであるが、アンデスに住むインディオの人々の魂が里帰りしたのかも知れない。

   ブラジルのサンパウロに住んでいた時、何度か、ペルー、エクアドル、チリ、ボリビア等に出張したので、雪を被ったアンデス山脈の上を何度か飛んでだし、ボリビアでは、チチカカ湖の畔やアンデスの高原を歩いたこともある。
   空はぬけるように深く真っ青で、空気は肌に痛いほどピュアーである。
   そのアンデスの山の中の、鬱蒼とした森林の中に咲くのか、高原の岩場に咲くのか、らんを見たことがないので分からないが、あの人里遠く離れた地にひっそりと咲いていたらんの子孫が海と山を越えて東京に来た。
   生命の不思議、DNAの不思議、自然の摂理の不思議に胸を打たれながら、ジッと、「マスデバリア ツアカウ キャンデー ”ラブリー”」のピンクのストライプが入った白い可憐なアンデスらんを眺めていた。

   この世界らん展には、良く出かけて来るが、私が最初にらんの花を意識してみたのは、ブラジルに行ってからである。
   どんな花だったか全く忘れてしまったが、最初に強烈な印象を受けたのは、イグアスの滝を見に出かけた時に、鬱蒼としたジャングルの大木に絡み付いて咲いていたらんの花である。
   らんは、こんな所でこうして咲くのか、と思った。
   その後、ブラジルの植物園やらんの花栽培している農場などを訪れて、美しい花に触れた。
   
   帰国してからは、東南アジアに出かけることがあり、植物園に出かけた時にらんを見たり、バンコックやシンガポールの空港などに安いらんの花束が売られていたので買って帰る事もあった。
   ロンドンにいた時も、キューガーデン等を訪れてらんを見て少しづつらんに興味を持ち始めて、帰国してからは、結構熱心にらん展に出かけてシャッターを切っている。

   多少、植物を栽培していると分かるが、この世界らん展に、沢山の素晴しいらんが展示されているが、その背後には、栽培した人の大変な丹精と苦労、そして、花への限りない愛情が凝縮している筈である。
   はなの呼吸とささやきを感じながら、育てた人とらんの花との素晴しい対話が昇華したのが、これらの花かも知れない、そう思いながら、会場を歩いた。
   
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冬の受粉鳥メジロ

2006年02月20日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   冬に何故か目立つのがメジロ。
   木々の間を敏捷に飛び回り、殆どじっとしていない。
   群れるのだが、雀のように大群ではなく、大概10匹足らずの群れで庭に来て、ひとしきり餌を漁ったかと思うとすぐに飛んで行ってしまう。
   何故か里の野鳥は、茶色や黒、白と言った見栄えのしない色の鳥が多いのだが、メジロは目の周りがリング状に真っ白で、鶯色の緑がかった綺麗な色をしているので目立つ。
   
   ピラカンサなどはすぐになくなってしまったが、硬くなって褐色に変色したムラサキシキブの実を殆ど食べつくして、今、椿の蜜を吸う為か侘助椿の花をつついている。
   冬になって寒くなると、蝶や昆虫がいなくなって花の受粉を助けてくれる生物が消えてしまうので、その役割をこのメジロが請け負っている。
   真冬に咲く花は少ない、しかし、風媒花などは別だが、虫媒花の場合は、このメジロが選手交代で縁結びを司っていてくれるので助かっている。

   昔、ブラジルに住んでいた時には、色々なハチドリが、南国の美しい花に長い嘴を差し込んで蜜を吸っているのを、楽しみながら見ていた。
   当時、135ミリの短い望遠レンズしか持っていなかったし、今のように安くて便利なマクロレンズもなかったし中々良い写真が撮れなかったが、とにかく、ものすごい速さで羽を動かせて静止しているので、その点近づけさえ出来れば良かった。
   小さな鳥だが、それでも大小あり、それにカラーも黒っぽい単色から美しく光り輝くカラフルなハチドリまで、色々あるのに気がついた。

   ところで、先日ブログで書いたヴェトナム椿のハルドゥンキングが、昨朝目を覚ましてリビングに下りたら、花びらがぽとりと下に落ちていた。
   10日間の短い命であったが、美しく咲いて楽しませてくれた。
   写真を絵葉書にしたら家内が友に送っていた。
   花びらが光っていたので、舐めてみたら蜜で、癖のない爽やかな優しい甘さであった。

   少し暖かくなって来た所為か、庭の植えっぱなしの球根が目を出し始めてきた。
   スノードロップやクロッカス、ムスカリ、花韮、シャクヤク等は間違いなしに花が咲くが、水仙はまだしも、チューリップ、ヒヤシンス、百合等は、余程球根が大きく育たない限り花は無理である。
   芝が後退した所に花や球根を植えているのだが、何時も少しづつ掘り起こし忘れた球根が出てくるので、可愛そうになって残していたら、花壇が花のちゃんぽんになって、突然、忘れたような花が出てきてビックリすることがある。
   それも面白く、春の到来を楽しみに待っている今日この頃である。
   
   
   
   
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新日本フィルのオネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」と都響のスメタナ「我が祖国」ほか

2006年02月19日 | クラシック音楽・オペラ
   今月は、2回、日本のオーケストラのコンサートに出かけた。

   最初は、新日本フィルハーモニー交響楽団の定期公演で、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」で、指揮は音楽監督のクリスティアン・アルミンク、字幕つきのコンサート・オペラ形式の演奏であった。
   舞台中央に、前に傾斜のついた逆三角形の小さな舞台が設営されていて、中二階のオルガン演奏用バルコニーとオーケストラ前を上手く使って歌手がセミ・パーフォーマンスを行っていた。
   三角舞台の頂上にマストのような十字が立っていて、最初から水平の柱が右肩上がりで斜めになっていたが、終曲でジャンヌが火刑台上で昇天した時点で水平に戻された。

   合唱は、栗友会合唱団は、オーケストラの背後の格子状の柱の背後から、そして、東京少年少女合唱隊は、中二階のバルコニーで歌っていた。
   ジャンヌ・ダルクは、独仏で舞台や映画で活躍しているアンヌ・ベネットで、シャンソンの夕べを開いて劇場で歌うくらいだから、歌うように語るフランス語が耳に優しく心地よい。
   ジャンヌが対話する修道士ドミニクは、やはり、映画やテレビ、劇場で活躍している役者フランク・ホフマン。
   指揮者から少し離れて、ジャンヌが左手、ドミニクが右手に位置して語る。
   聖処女を歌った品田昭子の澄んだ清らかな歌声など、総て日本人男女の歌手が歌っていたが水準は随分高くなっていると感じた。
   舞台でジャンヌを演じるのは可愛い少女の阿嘉真理之、演出は、アルミンクが依頼してこのシリーズの「サロメ」「レオノーレ」も手がけている三浦安浩。

   何しろ、このオネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」は、初めて聴く曲であり、当日ぶっつけ本番で解説書を読んでも良く分からないので、コメントのし様がないのだが、やはり、初期の映画音楽に関わったオネゲルなので、劇的オラトリオと言うこともあって、色々な音楽がごった煮で入っているかなりメリハリの利いたスペクタクルな感じがした。

   とにかく、田舎の無学な処女が、神の啓示を受けてフランス(?)を救うと言う信じられないようなことが歴史上起こったこと自身が奇跡だが、イングリッド・バーグマンの映画を思い出しながら聴いていた。
   随分前に、フランスを歩いたときに、ジャンヌの故地を訪ねて行ったが、あの時も、ジャンヌのことが信じられなくて、歴史とは、人智を超えたところで神様が操作されているのに感慨ひとしきりであった。
   それにしても、アルミンクのコンサート・オペラ形式で、新しい試みを試しながらスペクタクルな舞台を見せてくれるのは、新日本フィルの特色でもあり楽しみでもある。

   東京都交響楽団の演奏会は、都民芸術フェスティバルの一つのコンサートで、あのチェリストで有名な父親を持つヤン=パスカル・トルトゥリェが指揮で、ブラームスのハンガリー舞曲1,5&6、モーツアルトのクラリネット協奏曲イ長調K.622、そして、スメタナの「我が祖国」のモルダウ他2曲であった。
   トルトゥリェは、カラヤンのように指揮棒を持たずに、指先に豊かな表情を持たせて可なり派手な指揮ぶりで、感極まると台上で飛び上がっている。
   演奏している曲目そのものがポピュラーな所為もあって、指揮者も都響のメンバーもリラックスしてフルパワーの演奏で、ブラームスもスメタナも、非常にメリハリが利いたダイナミックな演奏であった。
   我が祖国の二曲目のモルダウだが、素晴しいハープのイントロダクションの後、管が奏でるモルダウ川の漣が何となく波が乱れていた感じがしたが、流石に、日本を代表するオーケストラで、楽しませて貰った。

   感激したのは、モーツアルトのクラリネット協奏曲で、バセット・クラリネットを奏した三界秀実が素晴しい演奏を聞かせてくれたことである。
   ウイーン・フィルやニューヨーク・フィルなどでも、モーツアルトの協奏曲は、そのオーケストラの首席奏者がソロを奏することがあり、これまでにもコンサートで聴いているが、この三界秀実も都響の首席奏者で、都響の音楽家の水準の高さが分かると言うものである。
   小澤征爾が、神様が手を取って書かせたとしか思えないとモーツアルトの音楽を語っていたが、フルートとハープの為の協奏曲などと共に、このクラリネット協奏曲も天国から聞こえて来るような素晴しく美しい曲である。

   
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蜷川幸雄のシェイクスピア・・・間違いの喜劇

2006年02月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   彩の国さいたま芸術劇場で、蜷川幸雄演出で、シェイクスピアの『間違いの喜劇』が上演されている。
   とにかく、シェイクスピアの戯曲の中でも飛びぬけて面白い喜劇なので、蜷川幸雄の舞台も、男優ばかりでの上演だが、これが、抜群に愉快で、身体全体からシェイクスピア劇の楽しみが伝わる感じで2時間が瞬く間に過ぎてフィナーレになる。

   あの「恋に落ちたシェイクスピア」で御馴染みの様に、シェイクスピアの頃は、総て男優が劇を演じていたのだが、蜷川もこれに倣って、前回の「お気に召すまま」に引き続いて今回も男優ばかりで上演している。
   歌舞伎などは、元々、出雲の阿国が創設したにも拘らず、風紀の乱れを理由に男ばかりで演じられるようになったが、シェイクスピア劇の場合は、後年、女優が加わるようになった。
   オペラも、昔は、去勢された男の歌手カストラートが、ソプラノを歌っていた。とにかく、逆な場合の宝塚も含めてだが、モノセックスで演じられるパーフォーマンス・アートは、それなりに、味があって面白い。

   一度、ロンドンのイングリッシュ・オペラで、ギルバート=サリバンのオペラ「パシフィック・オーバチュア」が、男性歌手ばかりで演じられたのを見たが、開国時代の日本を舞台にしているので歌舞伎に倣ったのであろうが、歌手が総て欧米系で、これが、中途半端な歌舞伎役者のような恰好で出てきて歌うのであるから、かなり強烈な違和感を感じたことがある。

   しかし、今回の蜷川の舞台は、主役アンティフォラス兄の妻エイドリアーナを演じる内田滋など西洋人の夫人のような顔立ちで実にチャーミングであり、あのじゃじゃ馬馴らしのキャタリーナのようにおきゃんでパンチの利いた個性豊かな婦人像を巧みに演じていて素晴しい。
   それに、その妹ルシアーナを演じる月川悠貴は、胸の膨らみさえあれば正真正銘の女であり、控えめだが実に魅力的な女を演じている。
   エミリア役の鶴見辰吾は、義経の平宗盛の印象の為か、一寸、男を感じたが、とにかく、この舞台の女形(?)は、台詞も演技も実に上手くて、女優さながらであった。

   私は、シェイクスピア戯曲を見始めた最初の頃、もう20年ほど前になるが、一度だけ、ロンドンのバービカン劇場で、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの「間違いの喜劇」を見たことがある。
   舞台は、左右に、八の字型に立った出入り口の多い建物の壁があり、そこから、役者たちが派手に出入りしていたのを覚えているが、とにかく、単純な舞台セットで、役者も派手な衣装を着けていた。
   英語の中途半端な解説を読んだだけなので良く分からなかったが、良くも似た二組の役者を揃えたものだと思った印象がある。

   この劇は、双子の兄弟が幼い時に生き別れて異国で別々に住んでいる。成人してから、弟が、兄を探しに旅に出て、偶然シラクサに来てそこに住んでいる兄と間違えられて引き起こす周囲を巻き込んだ兄弟のどたばた喜劇である。
   更に、兄弟の夫々の召使が同じ双子の兄弟であり、名前も二組の兄弟とも完全に同じと来ているので、本人たち主従も間違えるし家族も街の人々も兄弟の区別がつかなくて間違うので、思いもかけない誤解を招き色々な悲喜劇を捲き起こす。
   シラクサに朝着いて、その日の夕方までに起こる悲喜劇だが、最後には、二人の両親ともめぐり会いハッピーエンドで終わる。
   有り得ない話だと思えばそれまでだが、こうなれば自分が一体誰なのかアイデンティティの危機を感じざるを得ず、また、実際にも良く似たそんな取り違えの人生を結構おくっているのが人間なのである。

   舞台は、カメオの様に彫像で装飾された黒いガラス張りの貴族のパラッツィオ風のファサードが衝立のように立っていて、真ん中に大きな玄関口、左右に小さな通用口があり、ここから登場人物が出入りする。
   このファサードの前で、劇が演じられるのであるが、街の雰囲気を出す為に、舞台の袖左右に3~4人ずつ四六時中住民役の役者が座っている。
   下手舞台下に楽士が3人いて色々な楽器を器用に演奏しながら舞台を盛立てているが、雰囲気を出す為のバックミュージックは、スピーカーから流れている。

   ところで、双子の兄妹が取り違えられる劇がシェイクスピアにもう一つある。昨夏、歌舞伎座で同じく蜷川幸雄が演出した「十二夜」で、この場合は、兄と妹で、男装して男になっていた妹ヴァィオラと兄のセバスチャンとが間違えられる。
   両劇とも最後の場面で両者が一緒に登場するまでは、かち合う場面がないので、夫々、兄弟、或いは、兄妹は、1人で二役を演じることが出来るが、最後は一緒に出ざるを得ないのでそうは行かない。
   「十二夜」では、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの時は、セバスチャンは舞台大詰めになってからしか出てこないので、二人で演じていたが、歌舞伎では、菊之助が二役で通し、最後は、別な役者が菊之助のマスクを被って出てきた。
   「間違いの喜劇」では、最後に良く似た別の役者が出て来て舞台を締めくくるが、どれほど良く似ているかが興味の対象でもある。

   今回の蜷川版では、アンティフォラス兄・弟は、小栗旬、召使のドローミオ兄・弟を、高橋洋が演じていて、畳み掛けるようなテンポの速い舞台展開を小気味よく演じていて、面白かった。
   小栗は颯爽とした良い男で、沢山観に来ている若い女の子の視線が熱い。高橋は、コミカルな道化風で実に器用で愉快である、それに、一寸中途半端だが、ドローミオ兄弟の台詞を使い分ける腹話術が効果的であった。
   私には、アンティフォラス兄弟の父親役を演じる吉田鋼太郎だけが本格的なシェイクスピア役者であるような気がした。実に堂々とした素晴しい役者で、何時も上手いと思って観ている。
   商人バルサザーを演じた瑳川哲郎は、控えめだがやはりベテランの味、とにかく、芸達者な先輩が有能な若手を自由に泳がせて素晴しい舞台を作っていて、蜷川が役者の個性を実に上手く引き出している。

   全体的には、蜷川幸雄の何時ものサプライズの舞台ではなく、極めてオーソドックスな正統派のシェイクスピア劇のような気がした。
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東大「ものづくり経営とひとづくり」・・・日本の国際競争力を問う

2006年02月17日 | 経営・ビジネス
   始めて東大の安田講堂に入って講演会を聞いた。
   大学の大講堂に入るのは、大体、入学式と卒業式の時だけだが、流石に東大、歴史を感じさせる素晴しい半円形の講堂で、二階席もあり、大きくはないがオープンで天井も高くてなかなか立派である。
   我が母校、京都もフィラデルフィアもどんな講堂だったか忘れてしまったが、講堂に入ると何となく威儀を正したくなるのが不思議である。

   昨日は、東大21世紀COEものづくり経営研究センターと日経の主催の「ものづくり経営とひとづくり」と言うシンポジュームを聴講した。
   聴衆の大半は、年配の企業の管理職風で、中に学生がちらほら、日経主催の他のシンポジュームやセミナーと雰囲気が完全に違う、流石に東大である。
   
   日本のものづくりとひとづくりを研究しながら、ものづくりインストラクター養成基礎講座も開設して教育している「東大ものづくり経営研究センター」の謂わば研究成果の発表の場でもあるのだが、伊藤元重教授のオープニング・リマークや、藤本隆宏教授の基調講演「ものづくりとひとづくり」やトヨタとアサヒビールの経営とひとづくりの話など結構興味深くて勉強になった。
   2007年問題で、ものづくりの中枢を担ってきた有能な技術者が引退して行くのが問題となっており、如何にこの技術を維持継承して行くかがテーマになっている。
   東大の調査では、引退予定の中高年のインストラクターへの供給も需要も産業界にはかなり高いと報告している。
   しかし、現在東大では、個々の卓越した製造技術よりも、より汎用性が効き重要な「現場管理技術」の継承育成に重点を置いていて、日本のトップ製造業のトップ技術者をものづくりインストラクターとして養成する講座を進めていると言う。

   伊藤教授の話は、最近の急激な経済社会の変化に触れ、ものづくりを取り巻く環境も大きく変わっており、これに如何に対処すべきかを説いていた。
   最後に、少子高齢化で人口が減って行くが、経済成長と人口減とは大きな直接的関係はなく、経済成長を維持して行く為には、付加価値生産性を上げて行く事が重要で、イノベーションの追求が必須だと強調した。

   藤本教授の講演は、この伊藤教授の理論に立っての工業立国の話であるが、面白かったのは、日本の製造業の競争力の強さの根源についての分析である。
   日本は、現在、工業製品を輸出し、工業製品を輸入しながら原材料・燃料・食料を輸入する時代になっているが、貿易立国として日本が比較優位にあるのは、環太平洋唯一の「擦り合わせ・つくり込み大国」としてで、米国・中国と言う2大「寄せ集め大国」の間にあって補完的な存在なので十分競争力があるので自信を持つべきだと言う。
   自動車を筆頭にチームワーク型で育成して来た日本の擦り合わせ型アーキテクチュアの製品は、世界に冠たる競争力を持っている。
これは、他社の真似の出来ないカイゼン等現場でのレベルアップや、お客からは見えない生産性アップ努力等の能力構築競争を企業内部で必死になって行っていて裏の競争力で強いからであると言う。
   面白いのは、強い工場・弱い本社と言う理論で、日本の製造業は極めて高い現場力を持っているが、本社の戦略構築力と他との組織能力が低いとして、競争力を多層的にバランス良く涵養せねばならないと指摘していることである。

   この東大のひとづくり経営研究センターは、この現場力を担う「現場管理技術」の育成を目的としており、極めて重要なことだが、あのアベグレンが老骨に鞭打って日本の経営の素晴しさを再びアピールしてくれているのであるから、今度は、欠けている日本の戦略経営学等トップ経営論の再構築を目指すことであろうか。

   キヤノンもそうだが、アサヒビールも、神様の様な技術を持った人のためのテクニカルマスター制度を創設し、その弟子入り制度まで作ったと言う。
   ドイツのものづくりの古くからのマイスター制度であるが、ものづくりの根幹は、世の中が如何に変わろうとも、究極はものづくりの技術で、機械もコンピューターも及びもつかない技術があると言うことである。
   ただ、トヨタの説明では、レクサスは抜群だが、その他のトヨタの製品の質については韓国勢の追い上げが急だと指摘していたが、藤本教授が言う日本だけが得意の筈の擦り込み技術でも韓国の追撃を受けているのであろうか、一寸気になってきた。

   ところで、口絵のお雛様は、高島屋で展示されていたスペインのリヤドロとハンガリーのへレンド製だが、所詮はイミテーションと思うのだが、偏見であろうか。   

   
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二月大歌舞伎・・・平成の菊吉時代「幡随長兵衛」「小判一両」

2006年02月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   二月歌舞伎で一寸話題は、中村吉右衛門と尾上菊五郎の共演で、新しい菊吉時代と云われているとか。
   戦後一世を風靡した初代中村吉右衛門と六代目尾上菊五郎を並び称して菊吉と言うのだが、吉右衛門は孫、菊五郎は養子梅幸の長男であるから縁戚であり、それに二人とも東西期っての人気随一の役者であり、話題性は十分である。
   昔の菊吉時代は知らないが、歌舞伎を救った男マッカーサーの副官フォービアン・パワーズも入れ込んだと言うのであるから、大変な人気があったのであろう。

   ところで今回は、昼の部の「幡随長兵衛」で、吉右衛門がタイトルロールで菊五郎が敵役の水野十郎左衛門、夜の部の「人情噺小判一両」で、菊五郎が笊屋安七で吉右衛門は浅尾申三郎で、夫々、前者は玉三郎が女房お時で、後者は田之助が小森孫市で色を添えているが、二人が主役である。

   前者は、吉右衛門が町人で菊五郎が武士で、後者は町人と武士が逆になっているが、やはり町奴の大親分は吉右衛門であり江戸人情噺の町人は菊五郎であるのは当然過ぎるほど当然であろう。

   小判一両は、宇野信夫の作・演出で、今戸八幡の前の茶店を舞台に幕が開く。
   しんみりした安七の昔語りの後、凧を取られたと子供を追いかけてきた凧売り吉六(権十郎)と大喧嘩、江戸下町の風情ムンムンとした雰囲気である。
   ところが、この子供小市(男虎)は、浪人小森孫市の息子で糊口を凌ぐのがやっとであることが分かり、安七は、親父から貰ったなけなしの一両をやってしまう。
   これを見ていた侍(吉右衛門)が、感心して安七を持て成す為料亭へ誘うが打ち首かと思って安七はビクビク、ところが褒められて酒をご馳走になり、しこたま酔って、「見ていたのなら何故浪人に声を掛けなかったのか」と詰問する。
   侍は「声を掛けないのが情け」と答えるが、人間皆同じと感じて孫市に侘びに出かける。
   しかし、孫市は、我が子1人さえ養えず行きずりの安七から情けを受けたことに身の不甲斐なさを感じて自害していた。

   侍同士、情けをかけぬのが情けと言う武士の世界には通用しない町人達の美談が悲劇を招く泣き笑いを、こよなく落語を愛した宇野信夫のしんみりした、しかし、胸にジンと来る話を、菊五郎が実に爽やかに、そして、感動的に演じている。
   立場によって人生観が違う、人生は切ないものだと感じたと言う吉衛門、淡々と、しかし、菊五郎との対話を通して人生を語っている。
   人間国宝・田之助、しょぼくれた浪人を演じているが、存在感抜群で、現役の吉右衛門との対象の妙が涙を誘う。

   「幡随長兵衛」の舞台は、やはり江戸が舞台だが、がらりと変わった江戸で、火事と喧嘩は江戸の華と言う切った張ったの任侠の世界で、町奴と旗本奴との対立抗争。
   太平楽を決め込んだ江戸の謂わば徒花の世界だが、町人が武士に挑んだ町のヒーロー大親分をやんやの喝采で囃す。
   今回の舞台は、「公平法問諍」の場で、村山座の喧嘩から水野邸に呼ばれて湯殿で殺害されるまで。
   旗本8000石と渡り合って意地と美学に人生を捧げる幡随を吉右衛門が豪快かつ繊細に演じていて、自分勝手な道理で手を下す水野を菊五郎が風格と権威を示して上手く演じていて、二人の対決が素晴しい。

   玉三郎の女房お時はやはり秀逸、覚悟を決めて生きてきた人生だが最後の心の揺れを実に上手く表現している。
   門口で「早く帰ってきて」と駆け寄る倅長松(橋之助の次男国生)を抱きしめてほろっとする吉右衛門の涙が唯一の揺れで、死に場所を求めて生き続けてきたシガナイ渡世人人生に見切りをつけた幡随には、最初から最後までぶれも揺れもない。
   太平とは云え、何にも世の中の為にやってくれずに威張っているだけの武士への鬱憤が爆発したのがこの舞台、歌舞伎座でやんやの喝采を受けるのは当然であろう。

   江戸は、ある意味ではアウトローがヒーローであった世界で、ここでも、村の長の役割を、幡随のような口入家業の親分が仕切っていた。
   談合の世界も、官民の癒着もこの歴史と伝統の延長で、競争することが共倒れと考えて長いものに巻かれてお任せして秩序を保とうとした庶民の知恵が、裏目に出てしまった。

   それは兎も角、平成の菊吉の舞台、観て損はない。
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文楽二月公演・・・簔助師弟の曽根崎心中

2006年02月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   満員御礼の立て看板が立った第二部の演目は、近松門左衛門の曽根崎心中と小鍛冶、共に素晴しい舞台で、やはり、吉田玉男と吉田簔助コンビの近松に人気があったのであろう。
   しかし、1月の大坂公演に引き続いて、吉田玉男は病気休演で、代わりを桐竹勘十郎が勤めた。
   曽根崎心中の徳兵衛は、玉男の持ち役で、歌舞伎のお初が、坂田藤十郎の持ち役であるように、何十年も余人が演じることはなかったが、今回は、簔助の一番弟子の勘十郎が徳兵衛を遣ったが、結果的には、呼吸ピッタリの師弟コンビで、新しい曽根崎心中が生まれた。
   桐竹勘十郎、哀愁を帯びた徳兵衛を実に情感豊かに演じていて胸を打つ。

   先月の坂田藤十郎襲名披露公演で、素晴しい藤十郎の曽根崎心中を堪能させて貰ったが、文楽にも、また違った曽根崎心中の楽しみ方があるような気がする。
   特に、台詞主体の歌舞伎と違って、文楽は主役の大夫が浄瑠璃を語るので、近松門左衛門の原作の流麗な文章がそのまま直に鑑賞できる楽しみがある。

   特に、徳兵衛とお初が、心中する為の道行きの「天神森の段」の冒頭の、
   「この世の名残、夜も名残。死にに往く身をたとふれば、あだしが原の道の露。一足づつに消えて往く、夢の夢こそ哀れなれ。
あれ数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響の聞き納め
寂滅為楽と響くなり。」
   簔助のお初が、勘十郎の徳兵衛を後に従えて下手からとぼとぼと出てくる。それまで黒衣を被って演じていた二人が出遣いになり、天神森に向かう。
   七つとは、午前4時、少し東の空が白み始めるころで、最後の一つの鐘の音が鳴ると今生の別れとなる。
   この文章を、荻生徂徠が嘆賞したと言うが、この冒頭の大夫たちの合唱を聴くと胸が痛む。

   住大夫が、近松は字余りやから嫌いでんねん、と言っていたが、やはり、近松の世話物は、近松の原文で聴く値打ちは十分にある。
   上原まりの平家琵琶を聴く時も同じ感慨を感じるが、やはり、美しくてリズム感に富んだ日本語の豊かさである。

   元々、当時の文楽は、総て時代物だったようで、近松が始めて書いた世話物がこの曽根崎心中で、大変な人気となり、倒産寸前の竹本座を救ったと言う。
   実際に起こった心中を題材にしているが、近松は、プレイボーイで道楽息子の九平次を創作して徳兵衛の恋敵に仕立て上げ、徳兵衛を借金証書偽造の罪に陥れて心中に追い込むことにした。
   借用証書を徳兵衛に書かせてハンコを押したので、印判の紛失届を出されたら証拠が残らない、完全に仕組まれた罠に嵌ったのである。   

   簔助の遣うお初は、実に初々しくて涙が出るほど健気で優しい。
   生玉社殿の場で、徳兵衛が語る縁談を断った話を聞く所など、ジッと徳兵衛の顔を見つめながら上目遣いで聴いていて、嬉しくなるとツーと擦り寄る。
   ところが、天満屋の段で、縁の下にいる徳兵衛に、死ぬ覚悟があるかと足で促す時には、瞼を閉じて中空を仰ぎながら微動だにしない。
   徳兵衛が、お初の足首を取って喉笛を撫で「自害する」と知らせると、目を見開いて懐紙を取り出し顔を隠して忍びなく。
   九平次が徳兵衛が死んだら、可愛がってやると言うと、「お前も殺すが合点か」と凄み、「徳様私も一緒に死ぬるぞや」と足で伝える。徳兵衛は、足を押戴き涙に咽ぶ。

   最後の心中の場面だが、「早よう殺して」と言って手を合わせて空を仰ぐが、菩薩の姿を観たのであろう、余りにも美しいので、徳兵衛が仰天して後ずさりをする。
   この心中の場、人魂が飛んでお初が恐れて徳兵衛に縋り付くところとか、最後の心中の時とか重要な見せ場では、お初が後ぶりで身を反らせ、徳兵衛が、上から被さるように抱きしめるが、その姿が実に美しい。
   今、歌舞伎座の舞台の道成寺の玉三郎と菊之助も華麗な後振りを演じていたが、あの美しさとは別な人形にしか出来ない崇高な美しさである。
   
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文楽二月公演・・・弁慶上使の段

2006年02月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の文楽は3部構成で、第一部は、「御所桜堀川夜討の弁慶上使の段」と「関取千両幟の猪名川内より相撲場の段」である。

   昨秋、橋之助の弁慶、福助のおわさで歌舞伎の素晴しい弁慶上使の公演を観ているので、楽しみに出かけたが、やはり、充実した立派な舞台であった。
   歌舞伎と文楽の違いを見ることによって、特に、人形だから出来る素晴しい演技が、舞台を更に引き立たせてくれるような気がして、巾が感じられるので、両方観るのは非常に参考になる。

   弁慶が、自分の娘に始めて会いながら名乗りもせずに、主君義経の北の方卿の君の身代わりとして襖越しに刺し殺さざるを得なかった悲劇を、吉田玉女の弁慶は、しっかりと娘信夫の亡骸をかき抱き、すっくと仁王立ちして舞台に背を向け全身をを震わせながら号泣する。
   「泣くより泣かぬ苦しみは、ナコリヤ鳴く蝉よりも、なかなかに鳴かぬ蛍の身を焦がす、・・・」切豊竹十九大夫の哀切な名調子が肺腑を抉る。

   玉女の弁慶だが、実に風格があって、凛とした十九大夫の浄瑠璃と豊澤富助の三味線に合わせて豪快に演じるが、娘信夫への父親としての情愛を苦衷の中から垣間見せるあたり実に上手い。
   人生、これ一度しか泣いた事のない弁慶の人間性が唯一見える舞台である。
   襖を押し開けて出てくる時から、既に、黒装束の間から真っ赤な振袖を覗かせており、歌舞伎より舞台展開が早いが、さらっとしているあたり悲劇性が強調されて良い。

   桐竹紋寿が遣う信夫の母お物縫いのおわさだが、冒頭、歌舞伎の舞台にはない安産のまじないの「海馬」を持参する場面がある。
   何故、最近来ないのかと聞かれて、紅葉狩りの客からの物縫いが多くて忙しいのだと云いながら、手拍子足拍子で海馬の説明をする。
   卿の君に、「気軽にわさわさ物云やる。おわさとよう付けた」と云われるくらい良く喋るのだが、弁慶が来て暗転する舞台の清涼剤として、その対象の妙が面白い。

   肝心の一生一度の弁慶との契りの場面、
   「頃は夜も長月の二十六夜の月待ちの夜、数多泊りの、その中に、二八余りの稚児姿、こっちに思えば、その人も、擦れつ縺れつ相生の、松と松との若緑、露の契りが縁のはし。ヲヲ恥づかしや、つい烏羽玉の転び寝に、辛や人の足音に、恋人も驚きて、起きゆく袂控ゆるを、振り切り急ぎ往く拍子、ちぎれてわが手に残りしは、この振袖。」
   歌舞伎では十分に分からない艶かしい描写が、浄瑠璃では語られている。
   この語りの途中、浄瑠璃の語りが長い間小休止して、三味線の軽快なリズムにのって、桐竹紋寿のおわさが、情感を籠めて舞うように演じる。
   女としての狂おしいほどの情愛を後姿の艶姿を交えながら人形が心に迫る、実に感動的である。
   このおわさの述懐、そして、信夫が息を引き取った後の哀切なクドキの紋寿の芸の細かさ、それに、十九大夫の胸に染み渡るような語りと富助の三味線の音の三拍子揃った舞台は絶品である。

   淡路で生まれ育った桐竹紋寿、子供の頃から人形を遣っていたが、軽くて楽だからと云われて女形の人形遣いになったと言う。
   何時観ても素晴しい舞台を見せてくれている。

   第一部のもう一つの猪名川内の相撲の場だが、八百長相撲を強いられた関取猪名川が、妻のおとわに助けられて立派に相手に勝つ話だが、おとわを使う人間国宝吉田文雀が、豊竹咲大夫の語りにのせて実に情感豊かに演じている。
   相撲に出かける猪名川の髪の乱れを梳きなおすところ、顔色を伺いながらの優しい仕種など、胡弓の哀調を帯びた音色に合わせて実に感動的である。

   もう一つ感動的だったのは、舞台が猪名川の仮住まいから、相撲小屋の前に変わる幕間に、三味線の鶴澤燕二郎の素晴しいアクロバチックな演奏である。
   最初は、激しく豪快に奏していたが、後半からは、三味線を床に立てたり裏返したり持ち上げて片手で弾いたり、撥を立てて転がしながら爪弾いたり、とにかく、三味線があんなに豊かで変化に富んだ音色を出すのかと思ってビックリしながら聞いていた。
   胡弓の何とも云えない囁き、そして、時には、訴えるように爪弾かれる琴、やはり、三味線は、文楽の重要な三業の一つである。
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