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日経と日本経済研究センターが、GSR Projectを立ち上げてシンポジウムを、新しい日経本社ビルの日経ホールで開いたので聴講した。
GSRとは、CSRをもじったもので、Global Social Responsibility、言うならば、グローバル・ベースでの企業の社会的責任を追及して持続可能なグローバル経済の実現のために、あるべきガバナンスを考えようということのようである。
先日、書評を書いたビル・ゲイツの創造的資本主義と相通ずる考え方だが、市場原理主義者でサプライサイド・エコノミックスの権化のようであったはずの竹中平蔵教授が重要な役割を果たして進めているプロジェクトのようなので、変節したのかと思って興味もあった。
ご本人は、基調講演を行い、この時、市場原理主義者だと言われているが違うと弁明していたが、これまでの著作や小泉内閣での経済政策を考えれば、紛れもなく、市場原理とサプライサイド・エコノミックスに立った経済学者であったことは間違いない。
その竹中教授が、ある意味では対極にある筈のCSR,今回は、GSRで、企業の社会的責任を、そして、ガバナンスを説くというのであるから非常に興味を持って聴講させて貰った。
冒頭、ブラジル銀行東京支店に電話を架けたら、交換手はサンパウロで受けていたと言う例を引きながら、
1.徹底したグローバリゼーション
2.徹底したデジタル革命
によって、企業を取り巻く経営環境は、完全に変わってしまったと説いた。
グローバリゼーションは、最早チョイスではなくファクトで、企業は、国境を越えて地球規模で活動しなければならなくなった。
また、デジタル革命によって、限界コスト、すなわち、追加コストがゼロになってしまって、これまでのコンバージェンス理論が成り立たなくなってしまった。と言うのである。
このあたりの論理展開は、トーマス・フリードマンのフラット化した世界などで先刻承知なのだが、私が興味を持ったのは、竹中教授が、コンバージェンス・セオリーが成立しなくなった、すなわち、ウイナー・テイクス・オールで、最早、先頭を走る巨大企業が一人勝ちして、これまでのように、弱者が追いかけてきて追いつくと言うことは有り得なくなったと指摘したことである。
これだけで理論を展開するのは危険だが、問題は、現在の資本主義において、競争原理を追及して行けば、それだけでは、必ず、社会的経済的な公正を実現できるとは言えなくなったということである。
もっと言えば、竹中教授がグローバル・アジェンダと言う言い方で、地球環境問題、貧困問題、人権問題、金融秩序の問題など、グローバルベースで、人類が真正面から挑戦すべき極めて重要な問題があるように、市場原理を優先していては、最早、グローバル・ベースでの深刻な課題を解決できなくなった、と言う厳粛なる事実を認識すべきだと言うことである。
今日、GMが、負債16兆円で、破産法申請を行った。
アメリカのある時代の終わりであり、自由を謳歌してきたアメリカの資本主義の大きな挫折である筈なのだが、株は大きく値を上げている。
最大最強であったアメリカの象徴とも言うべきGMの破産・国有化、それに、アメリカ資本主義の本丸であるウォール・ストリートも実質国有化されていると言う考えられなかったようなことが起こっている。
竹中教授は、現在齟齬を来たしているグローバル・ガバナンスについては、法体系が変わってきており、ソフト・ローが重要性を増し、プリンシパル・ルールで世の中が動く傾向が強くなって来ているので、民間が果たさなければならない役割が増大し益々重要になってきた。公的な資源配分について、民が率先して役割を果たすべき時代が来た、と説く。
結局、行き詰ってしまって、十分なガバナンスが機能しなくなって、まず、資本主義が暗礁に乗り上げて世界的大恐慌を惹起し、人類社会は、今、深厚な岐路に立っている。趣旨は分るが、民間企業の問題ではなかろう。
竹中教授は、シュンペーターのイノベーション論を引いて、企業家と金融業者がリスクを取って、この世の中の改革のために先頭切って走って来たのであるから、民間企業が重要な役者として率先してGSRの戦士となれというのだが、その前に、経済が有効に機能するようなルールなり秩序を真剣になって構築することであろう。
市場原理主義に任せたら、また、経済社会が暗礁に乗り上げてしまう。次に、破綻が来れば、最早、人類の未来は危うい。
ところで、ダボス会議の何とか会員をしていると言う竹中教授が、ビル・ゲイツがダボスで問題提起をした創造的資本主義について、一言もしゃべらなかったし、ほかのパネリストも口にしなかった。
資本主義の深刻な問題については、ジョージ・ソロスの提言など非常に重要だと思うのだが、問題の埒外なのであろうか。
ドラッカーが指摘したように、一番グローバリゼーションから遠い筈の日本から、グローバル・ソーシャル・レスポンスビリティを提言すると言うのだから、どうなることか、先が楽しみでもある。
GSRとは、CSRをもじったもので、Global Social Responsibility、言うならば、グローバル・ベースでの企業の社会的責任を追及して持続可能なグローバル経済の実現のために、あるべきガバナンスを考えようということのようである。
先日、書評を書いたビル・ゲイツの創造的資本主義と相通ずる考え方だが、市場原理主義者でサプライサイド・エコノミックスの権化のようであったはずの竹中平蔵教授が重要な役割を果たして進めているプロジェクトのようなので、変節したのかと思って興味もあった。
ご本人は、基調講演を行い、この時、市場原理主義者だと言われているが違うと弁明していたが、これまでの著作や小泉内閣での経済政策を考えれば、紛れもなく、市場原理とサプライサイド・エコノミックスに立った経済学者であったことは間違いない。
その竹中教授が、ある意味では対極にある筈のCSR,今回は、GSRで、企業の社会的責任を、そして、ガバナンスを説くというのであるから非常に興味を持って聴講させて貰った。
冒頭、ブラジル銀行東京支店に電話を架けたら、交換手はサンパウロで受けていたと言う例を引きながら、
1.徹底したグローバリゼーション
2.徹底したデジタル革命
によって、企業を取り巻く経営環境は、完全に変わってしまったと説いた。
グローバリゼーションは、最早チョイスではなくファクトで、企業は、国境を越えて地球規模で活動しなければならなくなった。
また、デジタル革命によって、限界コスト、すなわち、追加コストがゼロになってしまって、これまでのコンバージェンス理論が成り立たなくなってしまった。と言うのである。
このあたりの論理展開は、トーマス・フリードマンのフラット化した世界などで先刻承知なのだが、私が興味を持ったのは、竹中教授が、コンバージェンス・セオリーが成立しなくなった、すなわち、ウイナー・テイクス・オールで、最早、先頭を走る巨大企業が一人勝ちして、これまでのように、弱者が追いかけてきて追いつくと言うことは有り得なくなったと指摘したことである。
これだけで理論を展開するのは危険だが、問題は、現在の資本主義において、競争原理を追及して行けば、それだけでは、必ず、社会的経済的な公正を実現できるとは言えなくなったということである。
もっと言えば、竹中教授がグローバル・アジェンダと言う言い方で、地球環境問題、貧困問題、人権問題、金融秩序の問題など、グローバルベースで、人類が真正面から挑戦すべき極めて重要な問題があるように、市場原理を優先していては、最早、グローバル・ベースでの深刻な課題を解決できなくなった、と言う厳粛なる事実を認識すべきだと言うことである。
今日、GMが、負債16兆円で、破産法申請を行った。
アメリカのある時代の終わりであり、自由を謳歌してきたアメリカの資本主義の大きな挫折である筈なのだが、株は大きく値を上げている。
最大最強であったアメリカの象徴とも言うべきGMの破産・国有化、それに、アメリカ資本主義の本丸であるウォール・ストリートも実質国有化されていると言う考えられなかったようなことが起こっている。
竹中教授は、現在齟齬を来たしているグローバル・ガバナンスについては、法体系が変わってきており、ソフト・ローが重要性を増し、プリンシパル・ルールで世の中が動く傾向が強くなって来ているので、民間が果たさなければならない役割が増大し益々重要になってきた。公的な資源配分について、民が率先して役割を果たすべき時代が来た、と説く。
結局、行き詰ってしまって、十分なガバナンスが機能しなくなって、まず、資本主義が暗礁に乗り上げて世界的大恐慌を惹起し、人類社会は、今、深厚な岐路に立っている。趣旨は分るが、民間企業の問題ではなかろう。
竹中教授は、シュンペーターのイノベーション論を引いて、企業家と金融業者がリスクを取って、この世の中の改革のために先頭切って走って来たのであるから、民間企業が重要な役者として率先してGSRの戦士となれというのだが、その前に、経済が有効に機能するようなルールなり秩序を真剣になって構築することであろう。
市場原理主義に任せたら、また、経済社会が暗礁に乗り上げてしまう。次に、破綻が来れば、最早、人類の未来は危うい。
ところで、ダボス会議の何とか会員をしていると言う竹中教授が、ビル・ゲイツがダボスで問題提起をした創造的資本主義について、一言もしゃべらなかったし、ほかのパネリストも口にしなかった。
資本主義の深刻な問題については、ジョージ・ソロスの提言など非常に重要だと思うのだが、問題の埒外なのであろうか。
ドラッカーが指摘したように、一番グローバリゼーションから遠い筈の日本から、グローバル・ソーシャル・レスポンスビリティを提言すると言うのだから、どうなることか、先が楽しみでもある。