熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

エリエッテ・フォン・カラヤン著「カラヤンとともに生きた日々」

2010年07月18日 | クラシック音楽・オペラ
先日、BShiのドキュメンタリー番組で、「ヘルベルト・フォン・カラヤン・その目指した美の世界」を放映していたので、久しぶりに、クラシック音楽の世界にどっぷりと漬かり、懐かしい音楽家たちのインタビューを聞きながら、色々なところで聴いたオペラやコンサートの思い出を反芻していた。
   私が、カラヤンの演奏に直接接したのは、たったの二回で、それも、万博の年に、大阪フェスティバル・ホールで聴いたベルリン・フィルの演奏会で、この時、カラヤンは、ベートーヴェンの交響曲を全曲演奏したが、その内の「運命と田園」、そして、「合唱」であった。
   第5番運命演奏中に、激しいタクト捌きで、指揮棒が折れて吹っ飛び、その後、指揮棒なしでの華麗な指揮姿のカラヤンの演奏を楽しむことが出来たのだが、同じ時期に、バーンスティンがニューヨーク・フィルを振って、「幻想交響曲」のワルツを踊るように指揮していた姿とともに、私自身の長いクラシック音楽鑑賞旅の始めの頃の思い出である。

   このテレビ番組に触発されて、積読だったカラヤン夫人のエリエッテが書いた本「カラヤンとともに生きた日々」を思い出して、読んでみたのだが、これが、実に興味深かった。
   エリエッテとは、カラヤンにとっては3度目の結婚だったが、二人の立派な娘を得て幸せだったカラヤンの後半生の私生活を交えた音楽人生を、実にビビッドに描いていて、興味深いばかりではなく、カラヤンのクラシック音楽に対する取り組み方や思想などが良く分かって参考になる。

   エリエッテは、クリスチャン・デォオールのトップ・モデルだったが、カラヤンとの最初の出会いは、18歳の時で、母の友人の招きで出かけたサン・トロペの船上でのパーティで、気分が悪くなって苦しんでいたのを、助けてくれて、陸に上がってレストランで癒してくれたのがカラヤンだったと言うのである。
   その後、偶然も重なり秘密裏の逢瀬を楽しんでいたのだが、ジーナ・ロロブリジーダのパーティの時に、エリエッテは盲腸に罹って入院して手術を受けた。目覚めた時に、大きな花束が目に付き、カラヤンの心配そうな表情を見て、その献身的な世話を感じて、自分が彼にとって如何に大切な存在であるかを知って結婚を決意した。世界で最も多忙を極めている人物が、病気で寝ている自分の元に駆けつけてくれるほど素敵な愛の証は、他にはないと言うことである。

   次から次へと不安が沸いてきたが、エリエッテは、彼の音楽への献身ぶりを100%理解したいと決心し、学ぶ意欲のある生徒になりたいと彼に告げ、先のことは神を信じて待つことにした。
   エリエッテは、カラヤンのリハーサルや演奏会に殆ど付き合って、徐々に隠されていた音楽に関する能力が目覚めて来た。
   毎夜のように二人は、リハーサルなどについて、その流れや全体の印象や感想や意見を交換したようだが、エリエッテの芸術的なことに対する直感的な見方が、分析的な見方のカラヤンにとって貴重な見解の補足になると彼も指摘していて、彼女自身も、この関係はドリームチームだったと言う。

   オペラやシンフォニーを新しく習得するやり方についても、内容の理解に止まらず、彼の理解ある話し手でありたいと願って、正に解剖の手法でスコアを徹底的に分析し、その尖鋭な理解と能力で音楽を頭で聴き、作品の深みと意義を知ることが出来るカラヤンに対して、感情人間であるエリエッテは、人間の高みと深さ、そしてエモーションのドラマとその行間にある感情で作品を感じてカラヤンに伝えたと言っており、その完璧な補完関係故に、カラヤンは、余人を一切近づけずに、エリエッテただ一人だけをリハーサルに立ち会わせたのである。
   尤も、例外もあって、カーネギーホールでの殆ど最晩年のウイーン・フィルとの演奏会の毎日3時間のリハーサルには、バレンボイム、マズア、小澤征爾が立ち会って、81歳のカラヤンに感服していたと言う。

   芸術家であり、実業家でもあるカラヤンの描写も、非常に鮮やかで、ウイーンを離れてから、取り組んだザルツブルグ復活祭フェスティバルの創設と祝祭劇場の杮落としと言った総ての分野を取り仕切って夢を実現した一連の事業なども、ベターハーフの立場から丁寧に描写している。
   カラヤンの正に臨終のベッドに立ち会った大賀社長や盛田会長などによるソニーの貢献にも言及している。
   ステレオ録音などもカラヤンは遥かに先駆けていたようだが、映画など音響機器をフル活用して映像芸術の深化と発展を追及し続けたカラヤンの提案やアイデェアを実現すべく、最新のテクノロジー駆使してカラヤンをサポートしたソニーの存在も大きいであろう。
   ウィーンとスカラ座の共同オペラ制作を皮切りに、ザルツブルグで実現したオペラシステムを、そっくりそのまま世界のトップ歌劇場で連続上演して、更に、ビデオに残して販売するなどと言うのは、実業家カラヤンの面目躍如であるが、グレン・グールドを限りなく愛していたと言うのも面白い。

   この本には、バーンスティンとの演奏旅行計画の話、マリア・カラスやレオンタイン・プライス、それに、パバロッティとの出会い、ダライ・ラマに病気の指南を受けた話、天才である幼いアンネ=ゾフィー・ムターとの出会いや16歳のエフゲニー・キーシンの演奏に涙した話等々、びっくりするようなカラヤンの逸話が充満しており、とにかく、興味が尽きない。
   カラヤンは、賢いが知的なインテリではなかったと言われているが、この奥方エリエッテは、かなりの知恵者であり、中々の語り部である。
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