熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

「ニューヨーク・タイムズ」が見た第二次世界大戦 天皇制維持

2024年08月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   積読の本を整理していて、”「ニューヨーク・タイムズ」が見た第二次世界大戦 上下”を見つけた。   
   興味深い記事の連続で、読めば面白いのであろうが、日本の終戦時の記事が書いてある最終章の2件だけ読んでみた。
   8月15日に近づくと、どうしても、日本の終戦のことが思い出される。まだ、5歳であったが、かすかに、戦争の記憶が残っている。

   読んだ記事は、
   「1945年8月15日 日本降伏、戦争は終わった! 天皇、連合軍の支配を受け入れる マッカーサーが総司令官に」
   「忠実で善良な国民に告げる 天皇の詔勅(玉音放送)」である。

   この天皇陛下の詔勅については、テレビのドキュメントや映画などでさわりだけは聞いてはいるのだが、恥ずかしい話、全文を読んだことがなかったので、あらためて読了し、時流に迎合することなく、日本の使命と歩むべき道を正しく国民に告げているので、感激さえ覚えた。

   ところで、ポッダム宣言を受諾して無条件降伏して、大過なく終戦処理を終えて復興し、今日の日本があるのは、当時の日本国民にとって最も重要であったのは国体の維持であろうと思う。
   詔勅の後半の冒頭に、
   「帝国の国体は守られ、私は常に国民とともにあり、忠実で善良な国民の真心に信を置いている。(朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ)」と述べられている。
   この「帝国の国体は守られ、」と宣告できたのには根拠があったのである。
   
   この国体の維持について、先の15日の記事に触れていて、
   8月11日に、連合国を代表してバーンズ国務長官の名で日本政府の申入れに回答した覚書に、ポッダム宣言が日本の天皇の「君主」としての「特権を否定する」ことがないという理解のもとで、8月10日に日本から送られてきた降伏の申し出への返答として明記されている。
   バーンズ長官が実際に書いた文言は、日本国民の自由意思で選択された場合には天皇制度を残すことができるかもしれないが、天皇は東京にいる連合国軍最高司令官の権威の下に置かれ、正式かつ公の行動は総司令官の責任の下でなされるという内容であった。という。

   しかし、バーンズの回答は、もう少し曖昧だったようである。
   歴史的追跡の余裕がないので、ウィキペディアのその部分を引用させてもらうと、
   この「バーンズ回答」は、「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官に従属(subject to)する」としながらも、「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」というものであった。スティムソンによると、この回答の意図は、「天皇の権力は最高司令官に従属するものであると規定することによって、間接的に天皇の地位を認めたもの」であった。また、トルーマンは自身の日記に「彼らは天皇を守りたかった。我々は彼らに、彼を保持する方法を教えると伝えた。」と記している。

   結局、紆余曲折を経ながら、象徴天皇制として新憲法が制定されて今日に至っている。 
   立憲君主国イギリスとよく似た民主主義体制を取っているが、歴史的にも伝統を重んじる国であるためにも、安定した政体であろう。


コメント
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