熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

七月大歌舞伎:海老蔵の「夏祭浪花鏡」

2009年07月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の歌舞伎座は、江戸の侠客幡随院長兵衛が主役であったが、今月は、大坂の男伊達団七九郎兵衛(海老蔵)を主人公にした「夏祭浪花鑑」である。
   演じる役者が江戸オリジンなので、上方歌舞伎と言うか、大坂の夏祭をバックにした上方ムードがむんむんするような土俗性からは一寸距離を置いた、幾分、からりとした普遍的かつ視覚的な舞台に仕上がっていたような気がした。
   大阪の梅雨時は、比較的過ごし良い東京と違って、蒸し暑くて耐えられないくらい息苦しいのだが、あの感覚と言うかムードが沁み込んだのが、この芝居の本来の姿であるはずで、それ故に、バックに流れる夏祭が、強烈な意味を持つのである。

   この夏祭は、1745年に、竹本座で人形浄瑠璃として初演され、その後、歌舞伎でも演じられるようになったのだが、その前の元禄期に、「宿無団七」として「団七もの」が、仁左衛門によって上演されていたと言う。
   「義経千本桜」など時代物三大名作を生んだ並木千柳など3人が、合作した始めての世話物だが、3人の侠客「団七九郎兵衛・釣船三婦(市蔵)・一寸徳兵衛(獅童)」を主人公にして展開される9段目まである本格的な芝居である。

   ところで、全編見ないと分からないのだが、物語の中心となるのは、この3人の男伊達の男気と義侠心で、これに気風の良い夫々の女房が絡む。
   早い話、主人公の団七だが、実際は、「度々追剥などの悪事あり、父茂兵衛を殺し・・・千日にて首切られ曝されるよし。」と言った無宿人で無頼、破壊型の青年だったと言うことで、幡随院のように、大義名分を引っさげて旗本に挑んだような大物侠客ではない。
   この芝居でも、孤児であったのを、義理の親父三河屋義平次(市蔵)に拾われて育てられて、その娘お梶(笑三郎)を妻にして一子をもうけ、魚の行商人を生業とする男である。
   他の三婦も徳兵衛も、普通の生業を営んで生きている庶民であり、大層な人物でも、また、大層な話でもなく、一井の庶民男伊達の生き様を義理人情の世界に仕立てたのである。
   そんな話をネタにして、これだけの視覚的で見せ場の多い舞台に仕上げた演出の妙は大したもので、ある意味では、江戸時代の上方の粋と意気の発露であろう。

   さて、先に触れたが、この夏祭は、大坂が舞台であるから、当然、大坂弁が重要な意味を持つ。
   2年前に、国立劇場の文楽で、この夏祭を勘十郎の団七、簔助のお辰、玉女の一寸徳兵衛などで見たのだが、あの時は、3段目から8段目まで連続の半通しで、今回の歌舞伎より本格的なので、良く分かったのだが、やはり、床本が大阪弁なので、私には、この方がストレートに入り込む。
   従って、今回の舞台の演出などは大坂型を踏襲しているようだが、しかし、大阪弁のニュアンスが色濃く出ている舞台でありながら、演じる役者が、総て東京ベースなので、言葉の上でも仕草でも、大坂と言うのが抜け落ちて、全国普及スタンダード版になっている。
   どこがどうなのか分からないのだが、先の仁左衛門が、上方色の乏しい東京の役者の舞台を見て、藤十郎(当時扇雀)に、「上方歌舞伎の冒涜や、あんさん手本に、団七をやっておくれやす」と指示したとかウイキベディアに書かれてあるのを読んで、分かるような気がした。

   私は、20代の後半まで、関西で過ごし、特に意識して、大学生以降はどっぷり関西文化と伝統に浸かり切って生活して来たので、動物的感覚と言うか嗅覚と言うか直感的と言うか、関西オリジンの歌舞伎、特に、関西弁を使って演じられる舞台を見ていて、微かなニュアンスの差とか違いが気になることがある。
   今のままだと、上方歌舞伎の伝統なり芸の世界は、完全に消えてしまうと思うのだが、文楽と同じように、文化庁も、上方歌舞伎を絶やさないように、何か手を打つべきだと思っている。

   この歌舞伎で、大坂の特色が出ているのは、大坂女の生き様で、団七と一寸徳兵衛とが争っているのを、団七の女房お梶が割って入り喧嘩を止める気丈さ。
   それに、若い男を国許へ帯同して送り届けるのを色気があり過ぎるから駄目だと反対されたので、火鉢で厚くなった鉄弓で顔を焼き、「これでも思案のほかという字のある色気がありんすか」と心意気を示す姿。
   丁度、近松門左衛門の心中ものの大坂女のように、人生にきっぱりと見切りをつけて、不甲斐ない大坂男を引っ張って自分から死に急ぐ、あの姿と同じ気風の良さと強さ、これこそ、大坂女の真骨頂なのである。

   つまらない能書きが長くなってしまったが、この「夏祭浪花鑑」は、団七の海老蔵の絵を見るような清々しい美しさと格好良い写楽ばりの連続写真を見るようなスカッとした見得の数々を筆頭に、見せる舞台であった。
   格好良く味のある男伊達一寸徳兵衛を演じた獅童をはじめて、焼き鏝で顔を焼く勘太郎のお辰の気品と勢い、控えめながら毅然として笑三郎の団七女房お梶、それに、始めてみた笑也の優男の玉島磯之丞、いつもながら美しくて魅力的な春猿の芸者琴浦など、若くて溌剌とした助演陣も人を得て、メリハリの利いた素晴らしい舞台を展開していて、非常に良かった。
   それに、何よりも、八面六臂の活躍で舞台を盛り上げたのは、猿也休演で、その穴を埋めて、釣船三婦と三河屋義平次を演じた市蔵の活躍ぶりは特筆に価する。悪役専門と言うと語弊があるかも知れないが、性格俳優として脇に控えていたはずが、一挙に表舞台に飛び出した。海老蔵との泥場での壮絶な殺戮劇のリアルさとダイナミズムは秀逸であった。
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