熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

三月大歌舞伎・・・「梶原平三誉石切」

2020年04月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   義経と対立し頼朝に讒言して陥れた悪人扱いになっている梶原平三だが、唯一とも言うべき風格と威厳のある善人として描かれた舞台「梶原平三誉石切」、
    「鶴ヶ岡八幡社頭の場」で、白鸚の極めつきの梶原平三の舞台である。
   これまでに、白鸚と吉右衛門の「梶原平三誉石切」を何度か、鑑賞させて貰ったが、初代の白鸚らから継承された高麗屋のお家の芸として育まれてきた素晴らしい舞台である。

   尤も、冒頭、鎌倉八幡宮に、源頼朝の挙兵を石橋山で破った平家方の武将・大庭三郎景親と俣野五郎兄弟が参詣に来ているところへ、同僚の梶原平三景時が梅を観にやってきて一献汲み交わすシーンから始まっていて、この歌舞伎では、頼朝の忠実なる家来の梶原平三であるはずが、源氏でありながら、心情では平家に加担する武将という設定になっている。
   そして、そこへ、青貝師の六郎太夫と娘梢がやってきて、家伝来の宝刀を買ってほしいと懇願する.
   この刀を売るのは、頼朝に味方する関東の武士の真田文蔵の許嫁の梢に金を渡して、源頼朝再挙の軍資金調達に資するためであることが最後に分かって、梶原平三は、源氏の味方だと本心を明かす。
   刀の目利きの時に、差裏の八幡の文字に気づいて、父娘が源氏所縁の者と分かっており、最後に、石橋山の戦いで頼朝を助けたのは自分であり、「形は当時平家の武士、魂は左殿の御膝元の守護の武士、命をなげうって、忠勤をつくすべし」と素性をあらわす。
   大庭が、梶原に鑑定を頼み、梶原が希なる名刀だと応えるのだが、俣野が切れ味が劣れば鰹かき同然とイチャモンを付けたので、二つ胴の試し切りをすることとなったが、囚人が1人しか居らず、六郎太夫がその1人に願い出て、梶原が試し切りをして、太夫を助けるために、囚人は切ったが、太夫の縄を切っただけであったので、失敗だとあざ笑って場を去る大庭、俣野を見送った梶原は、刀の売却が出来なくなって失望落胆する二人に、真実を語るのである。
   梶原は、なまくら刀と思って絶望する太夫に、まさしく名刀であるとその証拠を見せるために、そばにあった手水鉢を見事に真っ二つに切ってのけ、名刀を買い受けると約束して去って行く。

   主な配役は、次の通り。
   梶原平三景時 白鸚
   俣野五郎 錦之助
   梢 高麗蔵 
   囚人剣菱呑助 橘三郎
   青貝師六郎太夫 錦吾
   大庭三郎 芝翫

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   白鸚と吉右衛門の舞台では、六郎太夫が歌六で、梢が雀右衛門であったが、今回は、高麗屋の渋いベテランの錦吾と高麗蔵が演じていて、新境地を開いた感じで興味深い。
   最近観たのは、坂東彦三郎家の襲名披露公演で、彦三郎の梶原平三、父楽善の大庭三郎、弟亀蔵の猪俣五郎の親子二代が重要な役を演じ、團蔵の父太兵衛と市川右近の梢が華を添え、正に襲名披露狂言に相応しい素晴らしい舞台で、当然、人間国宝祖父十七世市村羽左衛門の継承した羽左衛門型の舞台を魅せた。

   梶原には、名刀の目利き、二つ胴の試し切り、源氏への素性語り、石切などの名場面があって、白鸚は、磨き抜かれた貴重な高麗屋と播磨屋の芸の伝統を継承した決定版を披露したのであろう。
   大仰な型、見得の連続とも言うべき様式美を鏤めながらの名演で、物語もそうだが、まさに、歌舞伎独特の美学の昇華を楽しむべき舞台なのであろう。
   興味深かったのは、梶原は、舞台正面に端座して、殆ど動きのない場面が結構多いのだが、大庭と俣野兄弟が、勝手なことを言って揶揄すると、ちらっと表情を変えて気色ばむ表情に味があって良い。
   芝翫の大場だが、やはり、平家の武将としての威厳と貫禄を示した立ち居振る舞いが流石で、梶原に引けを取らない重厚さが良い。
   俣野の錦之助は、以前にも観ていてお馴染みだが、いつもの二枚目役者とは趣を異にした嫌みな赤面が、中々、味のある性格俳優ぶりで面白い。
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