熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場歌舞伎:南総里見八犬伝

2022年01月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   コロナで行けなかった歌舞伎公演に、久しぶりに、本当に久しぶりに、出かけた。
   この南総里見八犬伝は、2015年の正月に、この国立劇場で観ていて、私としては2回目だが、当時のブログを読み返すと、前回は、冒頭の八犬士の生みの親である伏姫や愛犬八房を登場させるなど、いくらか演出を代えているようである。

   圓朝もどきの長大な物語であるので、ストーリィの切り口次第で、いくらでも面白い芝居になるのであろう。
   この歌舞伎では、冒頭の「武蔵」で、欲に長けた蟇六夫婦(亀蔵、萬次郎)が、信乃(菊之助)と相思相愛の養女浜路(梅枝)を無理に切り離して、浜路を陣代の側妾に差しだして金策を図ろうとするのだが、それを悲観した浜路は縊死を試みようとしたところを、浜路に横恋慕する網乾(松緑)に攫われて、本郷円塚山までて連れて行かれ、網乾が本物の信乃の大切な刀村雨丸をすり替えて所持していると知った浜路はこれを取り返そうとしたので、逆上した網乾に殺されてしまう。そこへ、浜路の兄犬山道節(菊五郎)が現れて仇を討つ。
   この辺りくらいが、ストーリィになっては居るのだが、その後の展開は、悪者の足利成氏(楽膳)や扇谷定正(左團次)を討つ過程での八犬士達の活躍や活劇を見せている感じで、膨大なストーリィを簡略化しすぎたために、物語性の良さが薄れてしまっている。
   
   私など、冒頭の八犬士の誕生が、この物語の不思議性の根幹であるから、もっと真面に取り入れるべきだと思っている。
   前のブログにも書いたが、
   結城の戦いに敗れた里見義実が、安房へ落ち延び、安房国滝田の城主に治まるのだが、隣国の館山城主安西景連の攻撃にあう。
   愛犬八房に、敵将景連の首を取って来れば、娘の伏姫を与えると言ってしまったので、その功績で、伏姫は仕方なく、八房を連れて富山の洞窟に籠る。
   伏姫は、絶対に体を許さなかったが、八房の気を感じて懐妊してしまったので、犬と交わったのではないとの身の純潔を証するため、自害して果てるのだが、この時、役の行者から授かった護身の数珠から八つの玉が飛び散って、この八方へ飛んだ八つの仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持った八犬士が生まれ出る。
   実際の物語は、伏姫は、八房を寄せ付けず、洞窟に籠って仏道三昧で、許婚の金碗大輔が、鉄砲で八房を撃ち殺すのだが、前の歌舞伎では、伏姫に挑みかかろうとした八房を、伏姫が、抵抗しながら刺し殺すと言う展開になっている。
   いずれにしても、この話の表現が中途半端になると、なぜ、八犬士なのか、その妖術めいた不可思議さストーリィの奇抜さが十分に実感できないのである。

   そんな野暮なことを言わずに、正月のめでたい歌舞伎公演であるから、スカッとするような派手でスペクタクルな八犬士たちの格闘や戦いのシーンやたての醍醐味を楽しめばよい、そして、千両役者の菊五郎の素晴らしい威風堂々粋で華のある大きな芸を堪能すれば良いではないかということではあろう。
   しかし、少し気になったのは、大御所ベテランたちの芸に、迫力と清新さが少しずつ消えてしまっていたことである。

   さて、少し遅れて最初からは観られなかったが、正月なので獅子舞が始まっていた。
   初日で満員御礼、
   劇場は、新春ムードで華やいでいた。
   
   
   
   

   
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