熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画「アンソニー・ホプキンスのリア王」

2024年08月18日 | 映画
  シェイクスピア最高の悲劇「リア王」の2018年版
  映画の舞台は、今日になっているのが面白い
  監督は、リチャード・エアー
  主要な役者は、シェイクスピア劇等の名優ぞろいの豪華版

アンソニー・ホプキンス 





リア王
エマ・トンプソンゴネリル
エミリー・ワトソンリーガン
フローレンス・ピューコーディリア
ジム・ブロードベントグロスター伯爵
ジム・カーターケント伯爵

   あまりにも有名な戯曲なので筋書きなど無用だが念のため、
   リア王は、退位を決意して、愛する3人の娘に領土を与えるのに際して自分への思いを確かめる。姉二人ゴネルリとリーガンは父への偽の愛と忠誠を誓うのだが、最愛のコーディアは実直に応えて期待を裏切るので腹を立てて領土分割を拒否して、無一文でフランス王に嫁さす。諫める忠臣ケント伯を追放する。分割後、熱いもてなしを期待していた姉達に屋敷を追放されたリアは、荒野で乞食同然の放浪生活。時を同じくして、リア王に仕えていたグロスター伯も自らの息子に裏切られる。王から浮浪者へと転落し、狂気と化したリア王は、変装して仕えるケントなどに助けられて 、リア王救助のために、ドーバーに上陸したフランス軍のコーディリアに助けられて、再会を果たす。しかし、フランス軍は敗れ、リアとコーディリアは捕虜となる。コーディリアは既に獄中で殺されており、助け出されたリアは、娘の遺体を引きずって現れ、悲しみに絶望して息を引き取る。 

   アンソニー・ホプキンスは、丁度同年代のリア王を地で行っている感じで、冒頭の絶対権力者の威厳を備えた頑固一徹な老翁の風格から素晴らしい芝居を展開する。
   舞台俳優として、シェイクスピア映画の作品としてのキャリアーはないようだが、舞台と違って映画は、微妙な映像の変化と音楽のコラボが劇的効果を増幅するのであろうか、生身の感動的なリア王であった。
   私など、シェイクスピア劇は舞台の方が多いので、想像力を旺盛に働かせて観ていることが多いので、映画の方が分かりやすいように思って観ていたが、シェイクスピア役者のエマ・トンプソンなど、ゾクゾクするほど魅力的であった。

   サブストーリーとして面白いのは、リアの重臣グロスターの愛人の子である次男エドマンドの暗躍で、 正妻の子である長男エドガーを陥れて父を欺いて、その領地を引き継ぐ。グロスター伯になったエドマンドが己の野心のためにゴネリルとリーガンに言い寄って口説き、二人とも エドマンドに好意を抱くようになり、姉妹はエドマンドを巡って恋のさや当て 。リーガンがゴネリルに毒を盛られて殺され、ゴネリルも短剣を胸に刺して自害する。
   エドマンドも、エドガーと決闘して負けて死ぬ。

   どれもこれも、この舞台の人々の生きざまは因果応報、
   シェイクスピアにこんな仏教の思想が流れていたのかどうか、

   さて、在英5年で、RSCのシェイクスピア劇鑑賞に通い詰めていたので、何回か「リア王」を聴いていると思うのだが、記録に残っているのは、30年ほど前のストラトフォード・アポン・エイボンでの大劇場の舞台。
   この映画の鑑賞記もこれに近いので、再録すると、
   
   帰国前でもあったので、貴重な機会だと思って、「リア王」を、二回続けて聴いた。(シェイクスピア戯曲は、観るではなく聴くという。)
   ヘンリー4世のファルスタッフを演じたロバート・ステファンスが、タイトルロールを演じていて、非常に人気が高かった。イギリス人が最も愛するシェイクスピアのキャラクターの一人である無頼漢のファルスタッフを演じて、全くと言っても過言でない程性格の違った悲惨な主人公「リア王」を、それも、間髪を入れずに演じるのであるから、その力量の凄さは分かるというもの。観客の先入観を取り除く必要もあったのであろう、残酷な運命を畳みかけるように切々と語り続ける芸の確かさは格別であった。
   気が触れた後半、正気と狂気の間を、まさに鬼気迫る迫力でリア王を蘇らせるステファンスの役者魂が凄い。第4幕第6場のドーヴァーに近い野原の場で、眼を抉られて追放されたグロスター伯爵に再会したときに、リア王がグロスターに語りかけるのを聞いた伯爵の息子エドガーが、「ああ、意味のあること、ないことが入り交じって。狂気の中にも理性がある。」と独白するシーンがある。狂気か正気か、そのはざまで、リア王が、「人間、生まれてくるときに泣くのはなあ、この阿呆どもの舞台に引き出されるのが悲しいからだ。」と、肺腑を抉るような真実を述べる。理性と真実と正気の入り交じった狂気の世界を彷徨うリア王を、魂が乗り移ったように演じるステファンス、悲しくも辛い感動的な舞台である。大詰めで、コーディーリアの死体をかき抱き、断腸の悲痛に絶叫するリア王が、真実の父親に戻って絶命する場面も、真迫の演技で涙を誘う。
   この「リア王」は、エイドリアン・ノーブルの演出による素晴らしい舞台であった。

   「リア王」は凄い戯曲だと思うが、領土分割に当たって、冒頭から、娘たちに誰が自分を最も愛しているかはっきりさせたいと野暮な質問をするバカ老王を登場させるという締まらない話、
   しかし、2時間を超えるこの戯曲の中には、素晴らしいシェイクスピア劇のエッセンスというか魂が込められていて感動する。

コメント
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