今回の東京オリンピックで、これまでとは違う光景が幾つも見られた。
その一つが、新種目となったスケートボードだ。
特に10代の選手の活躍が目立った、スケートボードでは優勝候補の筆頭に挙げられていた選手が、大技に挑戦し失敗したためメダルを取ることができなかった。
にもかかわらず、メダルを獲得した選手だけではなく、参加した選手たちが駆け寄り抱き上げる、という場面があった。
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スケートボードのようなスポーツとしての歴史が浅く、指導者たちの年齢も他の競技と比べ若いスポーツでは、このような「結果」ではなく、競技そのものについて選手たちが互いに讃え合う、という場面が見られた。
スケートボードのような新しいスポーツだけではなく、今回が初めてとなった「空手の演武」等は、試合後相手コーチに対して挨拶に行くなど、「空手」というスポーツファミリーのような場面もあった
日本の様に「勝利至上主義」的なスポーツ思考が強い国では、ある意味新鮮な驚きとなる場面だったはずだ。
これはJOC理事をされていた山口香さんがスポーツ紙に「本来の五輪の精神を体現している」とコメントをされていることでもある。
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メディアが「本日もメダルラッシュになりました」と、メダルの獲得数を報告するよりも、ラグビーでいうところの「ノーサイド」の精神をいくつもの競技で見ることができたことは、オリンピックという「勝敗を決める場」ではなかなか見ることができなかった。
トランスジェンダーの選手が出場が認められた、という点も今回の東京オリンピックは画期的であった、と思う。
もちろん、男性から女性へ性を変えた選手が、ウェイトリフティングのような競技に女性として出場するのは、いかがなものか?という、問題提議はあっても良いと思う。
むしろ、そのような問題がクローズアップされることで、競技そのものの形態が変わっていくことになるかもしれない。
そして、高飛び込みでメダルを獲得したイギリスの選手は、競技ではない所でも注目を浴びることになった。
同じイギリス代表の選手たちの競技を見ながら、観客席で熱心に編み物をする姿がテレビ中継等でとらえられていた。
最初は「男性が編み物?」と、いぶかしがる方も多かったのではないだろうか?
出来上がった作品を見ると、手編みの上手な方が編んだカーディガン。
ユニオンジャックと日の丸のついた「メダルを入れるポーチ」まで、編んでいらっしゃった。
実は、男性で編み物をされる方は、以前からいらっしゃった。
作家の故・橋本治さんは、編み物の本を出していらっしゃったし、NHKの「すてきにハンドメイド」の編み物だけではなくビーズ刺繍等も男性講師が10年位前から登場されている。
イギリスの選手は、自分にとって「集中と癒しの時間」として、編み物をしていただけであった、ということが分かりこれから「編み物は女性のもの」という、世間の見方が変わっていく切っ掛けとなるかもしれない。
そもそも趣味の領域のものを、女性・男性と区別すること自体、ズレているのでは?という、ことを気づかせてくれたような気がする。
このような「勝利至上主義からの脱却」や「LGBTとジェンダーの問題」等、もしかしたら「東京オリンピック2020」は、エポックメイキング的な大会として後々言われるようになるかもしれない。