Huffpostにひときわ目を引く記事があった。
Huffpost:京大病院は真っ赤な声明で訴えた。”災害レベル”のコロナに「危機感を感じて」
「真っ赤な声明」というのは、真っ赤な文字で訴えているのではなく、真っ赤な背景に白抜きの文字で、京都市内を中心とした「新型コロナウイルス感染症重症患者受入れ医療機関」の院長連名による、病院の窮状を訴える内容だ。
「赤地に白抜きの文字」というのは、確かに目を引くし、そもそも「赤」という色は、危機的状況を視覚的に訴える効果が高い。
それほどの危機感を持っての声明、ということになるのだと思う。
何故このような声明を京都市内の「新型コロナ感染症重症患者受入れ医療機関」が出したのか?と言えば、ご存じの通り感染者数が、増加の一途をたどり続けているからだ。
そして、「自宅療養中」であった軽症~中等症程度の感染者の方が、いきなり容体が悪化しまともな治療を受けることができずに亡くなる、というケースがここ2週間位の間で増えている、という現実があるからだろう。
「Triage」という言葉がある。
「Triage=命の選別」ということだ。
昨年、爆発的に感染者が増えていた米国・ニューヨーク市では、野戦病院のようなところで横たわる「新型コロナ感染者」の姿をとらえて写真が、ニュース等で取り上げられていた。
この写真を見た時、思い浮かんだ言葉が「命の選別」だった。
「命の選別」という表現は適切ではないと思う。
ただ今の日本の「新型コロナ感染者」に対する、対応策は「命の選別」をせざる得ないのでは?という、気がしている。
1年半以上続く、終わりのない「感染症との闘い」で、医療者自身も限界に達しているはずだ。
そのような状況であるにもかかわらず、「安心・安全」というお題目を繰り返し、なし崩し的にオリンピックを開催し、今日からはパラリンピックが開催される。
「(海外から人を受け入れる)オリンピックがOKなら、自分たちのある程度の自由行動はOKだろ」と、生活者が思っても仕方ない。
そのような生活者の気持ちの中で、感染者が増え続けまともな医療を受けることができず、亡くなる人達がいる。
中には妊婦さんが亡くなる、という状況に陥っている。
いうなれば「既に医療崩壊になっている」と言っても過言ではないはずなのだ。
にもかかわらず「医療崩壊」ということを言わないのは、それを認めることは政府の「新型コロナ対策の失敗」を認めることになるからなのでは?
政治家のプライドではなく、現実を直視した医療体制をつくる時期に来ていると考えている。