「新型コロナ」の感染拡大が、止まらない。
止まらないどころか、感染者数は毎日記録更新という状況だ。
オリンピック等のスポーツの記録更新は、心躍るモノがあるが、「感染者数」の記録更新は、社会不安を呼び起こすだけだと思う。
そしてこのような状況を受け、一昨日菅総理大臣が記者会見を行っている。
そこである記者の方から、鋭い質問が出たようだ。
Buzz Feed Japan:「辞職する覚悟はありますか?」緊急事態宣言の会見で…菅首相が答えたこと、答えなかったこと
「辞職する覚悟はあるか?」という質問は、確かに相当手厳しい言葉の様に思う。
思うのだが、安倍さんの時から自民党幹部の方々は「ごはん論法」と呼ばれる、「ああいえば、こういう」的な返答をすることで論点をずらし、議論を避け、発言に対する責任を避けてきた。
そして「安心・安全」という言葉のみが、何度も繰り返し言われてきたのだが、その「安心・安全」の根拠は何か?ということになると、やはり「ごはん論法」か専門家に発言を丸投げるかのどちらかだった。
確かに専門家の意見は、重要だ。
ただ、専門家の意見を聞き、対応策や政策としてどうするのか?を決めるのは、政治家の仕事だったはずだ。
にもかかわらず、本来すべき仕事を半ば放棄し、終始かみ合わない議論を国会で見せられ、会見で見せられ続けてきた。
時には、菅首相の1964年の東京オリンピックの思い出感動話を延々と聞かされる、ということもあった。
このような事が繰り返されると、生活者の多くは「関心が無くなる」し、質問をする記者さん達もやる気を無くすだろう。
それが、狙いだとすれば、その「狙い」は成功している、ということになる。
ただ「狙い」は成功したが、その結果として生活者は「このような政治家に政治を任せてよいのか?」という疑問がわくようになり、疑問が確信へと変わり「政権与党に政治は任せられない」という気持ちになりつつある。
もちろん、政治家は立候補をした地域の代表でもある、という点から「地方への利益誘導」に対する期待によって、当選を繰り返してきた大物政治家も数多くいる。
「全国区」の名簿には、タレントとして活躍をした人達が名を連ねさせる事で、「政治家」としての期待ではなく「集票」と「議員になった時の頭数」という役割を持たせている。
そんな「選挙戦略」が、今の日本の政治手法であるとすれば、有権者は随分見下されている、ということになる。
「見下されている」からこそ、政治そのものへの関心が薄れ、「議員との利害関係がある人達」や昔馴染みの人たちが、選挙を動かし、そのような政治家を当選させてきたということなのだろう。
それにしても、生活者の想像を上回るほどの酷さが、菅首相の「ごはん論法」にはある。
菅首相の場合、「ごはん論法」だけではなく、「思いで語り+根拠なき楽観」が加わっているようにも感じている。
そしてこのような発言ができるのは、やはり国民をどこかで舐めているからだろう。
「どうせ、政治のことなど、国民には分かりっこない」という、考えがあるのでは?
それどころか、オリンピックの開会式では、今上天皇に対する不敬な態度まであった。
「思考が発言や行動に影響を及ぼす」と言われているが、正にその場しのぎの言葉や態度で、やり過ごせば何とかなる、という考えが今の政権与党(だけではなく、すべての政党かもしれない)にあるのだと感じている。
政治の劣化は、社会保障を中心に国民生活の劣化に繋がる。
有権者は、その当たり前に気づき、行動を起こす必要があると思う。