VOGUEをチェックしていたら、「炎上しない広告」という記事があった。
VOGUEJapan:原野守弘『クリエイティブ入門』に知る、炎上しない広告のセオリー
今週だったか?テレビ朝日の看板番組「報道ステーション」のWEBCMが炎上し、担当者がTwitterで謝罪、CM取り下げをするということがあった。
毎日新聞:男女格差軽視?皮肉?報ステCM「炎上」の理由を探る
過去にも、様々なCMや広告が「炎上」し、その度ごとに企業が謝罪をする、ということが繰り返されてきた。
最近でも、東京オリンピック2020の開会式の演出統括者が、打ち合わせ時に起用するタレントさんに対して侮蔑的なことを言い辞任することになった。
この件は、問題になる前にオリンピック委員の会長であった森氏の発言から端を発し、組織全体の「意識の問題」ということにまでなってしまった感がある。
それほど根強く、改善すること自体が相当難しい問題なのかもしれない。
ただ、VOUGEの記事を読んでみて「炎上する・しない」の大きな違いは、問題のとらえ方とその表現方法、ということがわかる。
例えば、化粧品のポーラのCMや広告は「女性が抱えている問題」に対して、過剰な演出をしていない。
奇をてらうことなく、その問題に対して「淡々と描き出している」だけだ。
リクルート向けのCMということもあるが、「私がどうしたいのか?」ということをCMでは言っているに過ぎない。
「どうしたいのか?」という自分の問に、企業からの答えはない。
答えは無いが、企業としての回答のようなモノを感じさせるつくりになっている。
違う見方をするなら、「問題を淡々と描きながら、企業が一歩引いている」というCMなのだ。
今ある問題は、動かしがたい事実だ。
それを企業が取り上げる事で、「このような問題に取り組む企業姿勢」というアピールができる。
だが企業の考えを押し付けずに、一歩引くことで、受け手となる生活者に「考える」という、余白を与える。
この「余白」となる部分が、炎上を回避しているのでは?という気がするのだ。
とはいうものの、このようなCMや広告は一歩間違うと、印象の弱いCMや広告になってしまう。
そこに広告の難しさがあり、広告を創る側の醍醐味もあるのだと思う。
ただ忘れてはいけないのは、CMを含め広告は生活者に寄り添うものでなくてはならない、という点だ。
バブルの頃の様に「目指せ!○○」のような成長志向のCMや広告は、受け手となる生活者には「現実は違う」という違和感を与えてしまう。
だからといって、悲嘆にくれるような内容ばかりでは、今のような社会状況の中では、生活者の気持ちも必要以上にふさぎ込んでしまう。
だからこそ「生活者に寄り添う」という感覚で、過剰な演出ではないCMや広告つくりが大切であり、炎上をしないための策のような気がしている。