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日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

劉暁波さんの死去と中国

2017-07-14 18:48:28 | 徒然

ノーベル平和賞を受賞された、劉暁波さんが肝臓がんによる多臓器不全で亡くなられた。
劉さんが、肝臓がんに罹患し治療を求めていたにもかかわらず、中国政府がそれに応じ無かったことが、世界的なニュースとして伝えられたのは、2,3週間前だったように思う。
この時点で、既に末期の状態である、ということも報道されていた。

最初にこの報道があったとき、中国政府側がとった態度は、とても冷たいものであったように感じていた。
劉さんが亡くなる2,3週間前ということは、いくら投獄をしている状況であっても、体調が悪い=何かしらの病気に罹患している、ということが明らかであったはずだ。
にもかかわらず、積極的な治療も行わず、半ば放置という状態だったという報道だった。
もちろん、中国政府側は全力で否定している。

「肝臓がん」そのものは、早期発見が難しく、判明した時点で相当進行した状態で見つかるコトが多い。
「肝臓」そのものが、「もの言わぬ臓器(あるいは「沈黙の臓器」)」と言われるほど、分かり易く肝臓がんであるという分かり易い症状が、出にくいからだ。
「胆管・肝臓・膵臓」のいずれも「もの言わぬ臓器(あるいは「沈黙の臓器」)」と呼ばれ、がんに罹患していても、症状が分かりにくく、分かったときには相当進行した状態で見つかるがん種と言われている。
それだけではなく「難治がん」でもあるため、治療後の5年生存率も代表的な「胃がん・大腸がん」などに比べ、随分と低いのが現状だ。
それは、ある程度の医療設備が整い、全国のがん拠点病院であれば同質の治療が受けられる、日本の場合だ。
中国のがん治療の現実は知らないが、治療の地域差があってもおかしくはない、と感じている。

そのような状況で、患者本人が「治療を受けたい」と言っていても、なかなか治療をさせてもらえず、世界にニュースとして配信されてからの治療開始では、「見殺しにした」という印象を持たれても仕方ないような気がする。
中国側は「内政干渉」と言っているようだが、政治犯であろうとなかろうと、「病人が治療を受ける権利」は、人権の問題なのではないだろうか?
「終末期の状態で治療を開始した」というコトと、「病気をしている当事者が治療を受けたい」と言って、治療が開始された、とでは随分「治療の意味」が違ってくるのではないだろうか?

劉さんが亡くなられてからも、中国政府の発言は耳を疑うようなものだった。
「すぐに火葬をし、海へ散骨を遺族に求めた」という。
毎日新聞:劉暁波氏死去:中国当局は反論
中国側の反発は想像できることだが、「すぐ火葬をし、海へ散骨」という指示を政府がする、ということにも違和感がある。
やはりそこには政治的意図があるのでは?と、感じるのだ。

天安門事件そのものは30年近く前に起きた「民主化運動」だった。
当時の天安門で起きた出来事は、ニュース映像として世界中に配信され、世界中の人たちが見ることになった。
その後、中国は経済については自由主義経済を取り入れ、「世界の工場」と言われるようになり、今や「経済大国」とまで言われるようになった。
しかし、天安門事件により投獄された人や中国から逃げ、亡命をした人達が数多くいる。
そしてその人達の存在を中国政府は、「存在しない人たち」のようにしているように見える。
それが「今の中国の人権という考え方である」というコトを、改めて世界に伝えてしまったのが、劉暁波さんに対する治療や死去後の態度のような気がする。


偏見?それとも・・・不二越会長の「不採用基準」

2017-07-13 20:09:21 | アラカルト

就職活動に奔走している学生さんも、多いコトだろう。
売り手市場とか買い手市場という言葉に惑わされずに、就職活動をして欲しいと願っている。
願っているが、企業の会長さんがビックリするようなコトを、中間決算の会見で話をしたらしい。
北日本新聞:不二越「富山生まれは採らない」会長が会見で発言

不二越は、富山が創業の地となる企業だ。
その創業の地である富山の学生を採用しない、という発言を本社がある富山で、してしまったようだ。
採用しない理由は、「閉鎖された考え方が非常に強い」からだという。
富山出身の方が「閉鎖された考え方が、非常に強い」かどうかは、知らないが、以前から「田舎の人は、閉鎖的」というコトは、よく言われてきた。
そのような一面がある、というコトも実感している。
ただ、それは「閉鎖的考え」とは、別のような気がする。

「田舎の人の閉鎖性」があるとすれば、それは人付き合いのことのように思うからだ。
「自分たちのコミュニティーの中へ、よそ者を受け入れることが苦手」という表現のほうが、分かり易いかもしれない。
このことは、私自身が経験したコトがあるので、間違ってはいないと思う。
だからと言って「思考が閉鎖的」なのか?と、聞かれると「違う」と思っている。
この不二越の会長さんが言っているように「思考が閉鎖的」と、「よそ者を受け入れるのが苦手」というということは、まったく別のことだと思うからだ。

「思考が閉鎖的」ということは「頑固で人の意見や考えを受け入れない」というコトから始まり、「現状維持で十分」という、新しいコトにチャレンジオしない、しようとしない、ことを指しているのでは?
とすれば、このような思考の持ち主は田舎の人に限ったコトではない、と思う。
この違う「閉鎖的」を、一つの思考と行動にまとめてしまったことが、今回の問題発言に結びついているのでは?という気がしている。
それを、ステレオタイプ的に一括りにしてしまい、それが「(田舎の)富山の人は、・・・」というのは、「富山の人」に対する、思い込みから発生した「偏見」のような気がする。
そして一度認知されてしまった「偏見」は、なかなか脱出するコトができない。

就活生の皆さんには、このような「偏見」を堂々と述べ、自分が正しいと思っているような企業は「こちらから、ねがい下げ」というくらいの気概を持って、就職活動をして欲しいと思っている。


社会を変える力があるかもしれない、CM

2017-07-11 21:05:29 | CMウォッチ

昨日、「炎上(狙い)CM」という内容で、エントリをした。
「炎上」という話題で、商品を注目させる狙いで、あえて「(生活者が)不快」だと感じさせ、SNSなどで商品名を拡散させる、という手法だ。
サントリーの「頂」というWEBのCMだったのだが、サントリーは以前から「炎上商法」と噂されるコトがあった。
それが、「好評につき、生産が追い付かず一時商品出荷を見合わせる」という、広告だ。
サントリーの場合、このような「お詫び広告」を出すことが最近多い為、「あえて初回生産を少なくして、話題づくりを狙っているのでは?」という、指摘もされている。
「生産が追いつかない」為だとは思うのだが、度重なると生活者は「炎上商法なのでは?」と、疑ってしまうというコトだろう。

昨日の「炎上CM」とは全く違うテレビCMの記事が、Huffpostに掲載されていた。
企業の商品CMではなく、テレビ局が制作した一種の「社会啓蒙」という目的を持ったCMだが、このようなCMが社会を変える力になるのかもしれない、と感じる内容だった。

Huffpost:「私は死ねない」葛藤と覚悟をうつすテレビCM LGBT当事者も「勇気をもらった」の声
東海テレビ:「この性を生きる」

このテレビCMを製作したのは、名古屋にある「東海テレビ(フジテレビ系)」だ。
CMとしては長い4分以上あるため、「テレビCMを見ている」というよりも、「ショートドキュメンタリーを見ている」という錯覚に陥る。
ただ映像から感じられるのは、制作者側の真摯な思いだ。
「社会を変える!」というような意気込みよりも、ありのままの姿を見てもらうコトで、LGTBの人たちが特別な人たちではない、というコトを伝えている。
だからこそ、このようなテレビCMが社会を変える力になるのでは?という、気がするのだ。

CMと言っても、昨日エントリをしたような「生活者を狙いすました」ようなCMは、今の生活者はすぐに制作者側の驕りのようなものを感じ取ってしまう。
「真摯に伝えたい」という思いがあるCMは、受け手となる生活者にもその気持ちが伝わるのでは?
そんな気がする優れたCMだと思う。


「炎上CM」は、見たくない‐サントリー「頂」のCM‐

2017-07-10 18:20:01 | CMウォッチ

先週だったと思うのだが、サントリーの新しいビール「頂」のWEBのCMが、「表現が不愉快」などの理由で取りやめになった。

そのCMについて、制作をした電通側の社員(?)から「炎上を狙うこともある」という話が、BUZZ FEEDに掲載されている。
BUZZ FEED:サントリーのビールCM炎上の舞台裏 電通社員「炎上を狙うことがある」

テレビCMとWEBのCMの違いは、WEBの場合アクセスしてくれる人がいないと視聴が、「0」というコトになる。
そのための「話題づくり」が必要だった、というのが「炎上を狙う」というコトだったようだが、「炎上」によって様々なイメージが生活者に植えつけられる、という発想はなかったのだろうか?と、疑問に感じたのだ。

WEBのCMだけではなく、個人が発信するSNSなどでも「話題になりたい」という人達はいる。
過剰だと感じるほど、SNSで「リア充」をアピールする人達なども、心理的には「話題になりたい。注目されたい」という気持ちがあるからだろう。
そう考えると、今回の電通社員の「炎上を狙う」という発想は、必要以上に「リア充」をアピールする人達と同じなのでは?という、気がしてくる。

ただ、その発想はあまりにも短絡的で、商品や企業を「どう伝えるのか?」という部分での発想が無さすぎる、という気がしてならない。
テレビCMは、ダラダラと流れているわけではない。
時間帯によって、流されるCMは変わってくる。
ビールを含むお酒のCMが、夕方以降に多いというのは、テレビを視聴している生活者のことを考えてのことだ。
「購買層となる生活者の時間帯に合わせる」というだけではなく、」見てほしくない層(お酒の場合は、子どもというコトになる)が視聴しにくい時間帯を考慮する」という、意味もあるはずなのだ。
まして今のように、テレビを視聴するスタイルが様々になってくると、テレビであってもCMそのものを見てもらいにくい、という状況になりつつあるはずだ。
「WEBだから」という理由で、「炎上やむなし」とはならないのが、今のテレビ視聴スタイルの状況なのではないだろうか?

youtubeなどで、昔懐かしいCMを見ることがある。
今のCMに比べると、粗削りな表現も多いし、今では放送禁止?!となるような表現のCMもある。
しかし、作り手側の商品や企業に対する思い、生活者に届けたい・・・という、気持ちが伝わってくるものも多いような気がする。
テレビCMそのものは、多くの生活者にとって「邪魔モノ」扱いをされてきた。
だからこそ、作りて側は「見てもらうための努力」をしてきたはずだ。
受け手となる生活者が、思わず「ハッとする」ようなCMであれば、WEBであろうとテレビであろうと、生活者を引き付け、商品や企業のイメージアップへと繋がっていくことには、変わりないと思う。


視聴率と違いすぎる「意識調査」

2017-07-08 22:17:59 | アラカルト

Yahooが、独自に行っている「意識調査」がある。
トピックスのニュースを開くと、右側の下あたりに出てくるものだ。
その「意識調査」で、興味深いものがあった。
それが「17年、春ドラマ」満足度調査だ。
Yahoo!ニュース:「17年、春ドラマ」一番満足したのは?

ネットユーザーを対象にしたデータで、投票データと投票コメントを公開している。
現在も、投票実施中なのでこれから先、結果が大きく変わる可能性もあるのだが、個人的には意外な結果だと感じている。

テレビそのものがないため、テレビドラマそのものを見る機会はほとんどない。
「見る機会がない」のではなく「ほとんどない」としたのには、理由がある。
現在民放各社が共同でネット配信をしている「ティーバ」で、話題のドラマを見ることがあるからだ。
例えば、昨年の「逃げるは恥だが役に立つ」や「カルテット」などは、すべてではないが話題となった回は「ティーバ」で見ることができた。
この春のドラマに関していえば、「小さな巨人」の最終回だった。

「ティーバ」というネット配信放送がされるようになったことで、リアルタイムでドラマを見たり、録画で見るという視聴以外の新しい視聴方法ができたことで、話題のドラマは「視聴率」以外でも「視聴する人」が増えるようになってきた。
それが「総合視聴率」と呼ばれる、視聴率だ。
この「総合視聴率」のほうが、どのような方法であれ「ドラマを見ている」という判断材料に、なりつつあるようだ。

その視点で見ると、今回のYahoo!ニュースの「満足度意識調査」の現在までの結果は、随分違っているような印象を受ける。
何も私が「『貴族探偵』を見ていなかったのに、満足度が高い」というコトを、言う気はないのだが、春ドラマで「惨敗(という表現がよいのかわからないが)」とまで言われた、「貴族探偵」に対する満足度がとても高いのだ。
「貴族探偵」が話題になったのは、豪華俳優陣で臨んだ割りには、リアルタイムでの視聴率や「ティーバ」などを含めた「総合視聴率」が低かったというコトくらいしか覚えがなく、「満足度の高いドラマであった」という話題を聞いてはいなかったからだ。

「満足度」と「総合視聴率を含む視聴率」とは、まったく別のモノというコトなのだろうか?
「貴族探偵」に主演をしていたタレントさんのファンの「組織票」というコトも考えられるのだが、それにしても視聴率と違いすぎることに、驚いている。
その一方で、視聴率は芳しくなかったが、DVDやBlu-ray化後人気になる、というドラマもある。
「貴族探偵」の場合、DVDやBlu-ray化されれば、人気が出るドラマというコトなのだろうか?
そのようなことも含め、視聴率と「満足度調査」という、意識調査の結果の違いに驚いている。


 


「単純化」と考える力

2017-07-06 21:44:51 | 徒然

陸上選手として長い間活躍をされていた、為末大さんのブログに面白いコトが書いてあった。
為末大:単純化したい欲求

この内容を読んだ時、思い出したのが私の担当主治医の言葉だった。
おそらく、乳がんの手術をし、退院後の最初の経過検診の時だったと思う。
私が「乳がんの再発はありますか?」という趣旨の質問をした時のことだ。
担当主治医は「僕は、わからない。それが分かったら占い師だね」と、明快に回答をしたのだった。
余りの明快な回答に「確かにそうですね。先生は、占い師じゃないですよね」と、答えた記憶がある。
その後で「現在の私の状況から、予想される再発リスクは何でしょうか?」と、質問の内容を変えて聞いたような気がする。

おそらく担当主治医であるドクターは、同様の質問を数限りなくされてきたのだと思う。
そのたびに「わからない」と、回答しているのだと思う。
この「わからない」という回答に対して、「医師なのに、なぜわからないのですか?」と、重ねて質問をする患者さんも多いのでは?という気がしたのだ。
何故なら、「〇〇である」という回答は、患者にとって一つの安心材料になる場合が多いからだ。
もちろん、その逆の場合もある。

その後、がんという病気を通して様々ながん種の医師から話を伺う機会を得て分かったコトは、「わからない」という明快な回答をするのは自信がないからではない、というコトだった。
むしろ「臨床医として、数多くの患者と接し、生と死に立ち会ってきた」からこそ、「わからない」と回答しているのだ、と思えるようになってきたのだ。
それほど人の体は不確定で分からないことに満ちている、だからこそ謙虚に「わからない」と話しているのだと。

しかし、今の社会を見てみると「単純化した言葉」が多いような気がする。
「単純化した言葉」には、「考える」というコトを停止させる力がある(ように感じている)。
特に肩書が立派な人から、「単純な言葉で言い切られると」、変に納得してしまうことはないだろうか?
それが時には「偏見」をうみ、社会に閉塞感をつくりだしているような気がする。

「単純化された言葉」には、分かり易さと納得のしやすさがある。
何より上述した通り「思考を停止」してしまうような、言葉の強さがある。
最近の政治家の言葉は「✖✖は〇〇である」というような、単純化された表現が多いように思う。
それは「思考を停止させ、話し合うことを拒絶したい」という気持ちの表れかもしれない。

そんな社会だからこそ、「単純化された言葉」に翻弄されないように、気を付ける必要があるのかもしれない。


愛知県下の喫茶店の「モーニング」文化

2017-07-05 12:36:08 | ライフスタイル

朝日新聞に、愛知県下以外では話題になりそうもない記事が、掲載されていた。
朝日新聞:モーニング王国に黒船襲来 NY人気店 コメダを脅かすか

ご存じではない方の為に説明すると、「モーニング」というのは午前11時頃まで喫茶店などで提供される軽食のことだ。
愛知県下の喫茶店では、この時間帯にコーヒーを注文するともれなく厚切りトーストとゆで卵、または小皿に盛り付けられたサラダなどが付いてくる。
名古屋市内の多くに喫茶店は、このようなメニューがスタンダードなのだが、一宮や豊橋などに行くと、コーヒーの値段で、パンが食べ放題になったり、サラダバーが設置してあったり、おにぎりが食べられたりするところもある。
喫茶店そのものが、様々な軽食サービスを提供しているのが、愛知県下の喫茶店の「モーニングメニュー」だ。
値段も上述した通り、コーヒー1杯の値段で提供するところがほとんどだ。

そのような「喫茶店・朝食文化」に、海外で評判の人気店が参入した、というのが、記事の内容だ。
確かに「エッグベネディクト」はもちろん、リコッタチーズのパンケーキなどは、街の喫茶店で提供されているとは思えないし、今後も提供される可能性は低いと思う。
気になったのは、そのような「おしゃれな朝食メニュー」を提供するお店が進出したからと言って、愛知県下の喫茶店の「モーニング」利用者が減るとは思えないのだ。

何故なら、喫茶店のモーニングに来る人達の目的は「常連さんと会いたい」という、コミュニケーションの部分があると思われるからだ。
「モーニング」という軽食を食べるだけなら、時々美味しくて、話題のお洒落なお店に出かけたい!という気持ちにもなるだろう。
しかし、毎日のように喫茶店の「モーニング」に通う人達の中には、自宅で朝食を済ませ、喫茶店の「モーニングを食べる」という人も少なくない。
自宅近所の喫茶店は、「街の社交場」という場所でもあるのだ。

それだけではない。
平日の「モーニング」を楽しむ人たちの多くは、ビジネスパーソンではないという点だ。
利用者の多くは、既に現役を退いた人たちが多いのだ。
現役を退いた人たちにとって、コーヒー1杯の値段で「モーニング」という時間内をゆったりと顔なじみさんといっしょに過ごせる、というのは魅力的なはずだ。
逆にビジネスパーソンが、モーニングの時間帯にいるとすれば、それは出張などで名古屋に来た方だろう。

その様子は、週末になると一転する。
週末には「家族連れ」で、「モーニング」を食べにやってくるのだ。
何故家族連れなのかは、今だにわからないのだが、週末の午前中の喫茶店は家族連れでにぎわうのも愛知県下の喫茶店の特徴かもしれない。
そのような利用のされ方をされている「モーニング」なので、一人1,500円前後の料金がかかる所へ出向くのか?という疑問もある。

記事の見出しには、「コメダ珈琲店」の名前を使っているが、愛知県下の喫茶店でスタンダードなメニューであって、実際のところ「コメダ珈琲店」が中心になって始まったサービスではない。
一宮や豊橋などの喫茶店の「モーニング」が、豪華になっていった理由は諸説色々あり、「コメダ珈琲店」がそれに追従した、というのが本当のところなのではないだろうか?

そう考えると、NYの人気店が名古屋駅前の一等地にオープンしたからと言って、愛知県下の喫茶店の「モーニング」が廃れることはなく、棲み分けが進むだけのような気がする。


「こんな人たち」が突き付けた、投票結果

2017-07-03 20:48:17 | アラカルト

昨日、投開票が行われた「都議選」。
結果はご存じの通りだ。
民進党は、議席数を減らしたものの議席「0」は、何とか避けられたようだ。
公明党については、改めてなにかをいう必要はないと思う。
基本「選挙の風」とは、関係のない党だと思っている。

そして、大幅に議席数を減らしたのは、朝からニュースや情報番組で取り上げられた自民党だ。
安倍さんなどは、「政権与党として5年が経過し、自民党のゆるみに対して」という趣旨のことを話しているようだが、本当にそれだけだろうか?

小池さんが都知事選に出馬した時から、実は自民党に対する逆風が吹いていたのではないだろうか?
自民党都議連のドンと言われた人物や腹心と言われた人たちが、小池さんに対して示した態度に「政党幹部として、どうなの?」という疑問を都民に与え、ネガティブなイメージを植え付けたのでは?
実際、小池さんが大勝して都知事になると、初登庁の日には慣例となっていたはずのお出迎えも無し。
小池さんからの握手すら拒んだり、大人げないという一言では済まされないような態度が数々あった。

もちろん、決定打となったのは「森加計問題」に端を発した数々の問題と、自民党国会議員さんたちの暴言・暴力のニュースだっただろう。
それに追い打ちをかけたのは、投票日前日に安倍さんが街頭演説で思わず言ってしまった「こんな人たちに負けられない」発言だったのでは?
「こんな人たち」というのは、安倍さんが街頭演説をしている最中「安倍、帰れ」などのシュプレヒコールなどをした人達のことのようだが、いくら頭に血が上っていたにしても「こんな人たちに負けられない」という発言は、問題だったような気がする。
何故なら、「こんな人たち」が翌日の投票日に投票をする人達だったからだ。
中には東京都民ではない人たちもいただろうが、ニュース映像として多くの東京都民が観た時「こんな人たち」という言葉を「自分たちに向けて言った言葉」だと感じた、選挙民は多かったのではないだろうか?

更に悪いことに、今日菅官房長官が「(安倍さんの)こんな人たち」発言に、問題がないと記者会見の場で言っている、という点だ。
中日新聞:首相のやじ批判、問題なし 菅氏「極めて常識的」

確かに「安倍、帰れ」などの言葉は、「中傷した」とはいえないが、誹謗した言葉なのかもしれない。
問題なのは「こんな人たち」という、聴衆を見下したような印象を与える言葉を思わず言ってしまっている、という点なのだ。
それを、首相の女房役とも言われる官房長官が、「問題ない」と言ってしまうのは「自民党は、国民を見下しているのが常識なのですよ」と、言っているような印象を与えてしまっているのでは?

「こんな人たち」が突き付けた投票結果を、冷静に客観的に考える必要があるような気がする。


都議選で負けたのは、自民だけなのだろうか?

2017-07-02 22:25:48 | 徒然

今現在、刻々と開票作業が進められている「都議選」。
既に、小池さん率いる「都民ファーストの会」が圧倒的多数となりそうだ、というコトが分かっている。
そして、自民党が大敗を期すというコトも、大体判明しているようだ。
この「自民党大敗」の報道を聞いて、大敗をしたのは自民党だけだろうか?という、気がしている。

新聞各社の出口調査などを基にした「当落予想」によると、確かに自民党の大敗は決まっていそうだ。
しかし、数的な問題よりも深刻な問題を抱えているのは、民進党なのでは?という気がしている。
というのも21時現在、民進党の候補者の当選が「0」となっているからだ。
改選前の議席数も多くはなかったようなので、目立つような「大敗」という印象はないと思うのだが、数が少なくてもこれまであった議席数が「0」になってしまう、というのは議席数を持つことができた自民党よりも、問題としては大きいような気がする。
なぜなら、「都議会で民進党の意見を反映させる」事が、できなくなってしまうからだ。

今回の都議選は、国政選挙並みに注目されていたのは、ご存じの通りだ。
本来であれば、東京都という自治体の議員さんを決める選挙なので、国政選挙のような全国的な影響はないはずだ。
実際、これまでの都議選の結果などは、名古屋に住む私にとって全く興味も関心もないコトだったし、ニュースとして話題になったような記憶もない。
ところが今回は、「小池さん率いる政党VS自民党」という、構図が出来上がってしまい、都議選そのものが注目されるようになってしまった。
それだけではなく、今回の都議選の結果を受け国政での自民党の影響力が低下するのでは?という、ことも言われていた。

都議選なので、当然のことながら今現在の国政レベルので自民党の影響力が、急激に低下するとは思えない。
昨日、安倍さんが自民党都議選候補者の応援演説に駆け付けた時、聴衆からは「帰れ」などと言われ、安倍さんが逆切れしたとか、しなかったとか・・・というニュースはあったが、あくまでも「都議選」と国政とは別ものであるコトには変わりない。
ただ、今回の都議選では自民党国会議員というよりも大臣クラスの人たちの「暴言・暴力」という話題があったことも確かだ。
特に稲田防衛大臣の「防衛大臣、防衛相、自衛隊・・・」という応援演説は、言ってはいけないコトだったように思う。
改めて理由を述べる必要はないと思うが、「このような人が大臣をするような政党には、都政を任せられない」と、感じた有権者は多かったかもしれない。
何故なら、自民党東京支部(という表現でよかったと思うのだが)は、自民党という政党の支部組織で、政治的思考や行動は同じだからだ。

東京都の選挙民ではない私には、小池さん率いる「都民ファーストの会」がどのような政策を掲げ、選挙を戦ってきたのか知る由もない。
ただ、自民党や民進党などが大敗を期すというコトは、これまでの既成政党に対する期待感がなく、新しい都民ファーストの会への期待感だった、というコトなのだと思う。
それは欧州で吹き荒れた?選挙で既成政党が次々と敗れた理由と、同じようにも見える。
本当のところはわからないが、少なくとも「2大政党」に対する期待が薄かった、もしくは期待できない!と感じた結果というコトになると思う。

一つ忘れてはいけないことは、小池さんは「政党の代表であり都知事」であって、都議ではない、というコトだ。