日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

静かに声を上げ始めた、広告人

2014-07-04 19:33:11 | アラカルト

今週「閣議決定」という裏技で、「集団的自衛権の行使」を認めた安倍さん。
どうやら世間は、随分と怒っているようだ。
全国各地で、反対の声が上がっているだけでは無く、安倍内閣の支持率が一気に低下してしまった。
讀賣新聞:内閣支持率、5割切る・・・政府・与党に衝撃
比較的、安倍内閣に友好的と思われる讀賣新聞でも5割を切ったと言うことは、「集団的自衛権の行使」を認める過程を含め、国民から理解が得られていない、と言う目安になると思う。

そんな状況の中で、広告のアートディレクターが集まったADC(Tokyo Art Directors Club)がグランプリを発表した。
ADC:2014年年度ADC賞受賞者名簿
今年度のグランプリ受賞は、葛西薫さんが受賞している。
受賞内容は「HIROSHIMA APPEALS2013」のポスターと環境空間。
葛西さんが書かれた「夏の日のまぶしさ」というポスターが↓だ。


ポスターとしては、シンプルでメッセージ性が感じられないモノだが、このポスターが「ヒロシマ平和創造基金」や「広島国際文化財団」などによるアピールポスターだとすると、その意味合いが変わってくる。
このポスターそのものは、日本のグラフィックアートの先駆者的存在であった、亀倉雄策さんを記念した「亀倉雄策賞」をこのADCの前に受賞する程、グラフィックアートとして高い評価を受けている。

しかし、グラフィックアートとしての評価だけなのだろうか?と、考えてしまうのだ。
それはこのポスターが、「ヒロシマ平和創造基金」などによる「ヒロシマをピーアール」するコトを目的としているからだ。

昨年秋亡くなられた広告批評の天野祐吉さんは、「広告はその時代を映す鏡のようなモノ」だと話されていたと思う。
そして、社会が変な空気になると「広告が、それをユーモア豊かに皮肉ったり、批判したりするのが、一つの役目」だということも話していらっしゃった様に思う。
特に天野さんが嫌いだったのが「政府が、国民のコトを考えずに都合の良いコトばかり言う」というコトだった。
だから、「広告はユーモア豊かに、皮肉ったり批判することが大切だ」と。

葛西さんのポスターは、力強くシンプルなモノだが、この青年の見上げた空にはどんなモノが見えるのだろう?と考えるコトが大切なのだ、と言うことを訴えている様にも思える。
原爆が投下された日は、とても暑く青空が広がる夏の朝だった。
そして、今の若者や未来の若者達が空を見上げた時、見える風景はどんなものにするのか?
そんな問いかけをしている様にも見える。
その問いかけを、社会にして欲しい!とADCは考えたのではないだろうか?

今この時に、この作品をグランプリにした広告人の「安倍内閣への問いかけ」と静かな抗議の様にも感じるのだった。


「観察する力」が必要

2014-07-03 22:16:00 | マーケティング

朝、FMを聞いていたら「大人も褒めよう」というフレーズが、聞こえてきた。
広告の主は、ACジャパン(旧公共広告機構)。
ACジャパン:おとなもほめようキャンペーン(全国キャンペーン)
東日本大震災の時、一般企業のCMが一切取りやめとなり延々と流されたCMが、ACだったこともありご存じの方も多いと思う。

これまでACのCMで、「褒める」対象は子どもだったような気がする。
どちらかと言えば「大人、しっかりしろ!」という内容が多かったという印象がある。
だからなのだろう「大人も褒めよう」と言われると、チョッとビックリしてしまったのだ。

しかし考えて見れば「褒める」ということは、とても難しい。
何故なら、「褒める相手」をよく観察していなくてはでいないからだ。
何より、最近の社会傾向をみていると「自分の都合ばかりで、相手を見ていないのでは?」と感じる場面が度々ある。
もしかしたら社会全体が「相手を見る余裕が無い」という感じなのではないだろうか。

この「相手を見る」ということを、怠るとビジネスではとても大変なことになってしまう。
違う言い方をするなら「市場を動かしている人を見ていない=市場がわからない」ということになるからだ。
先日政府案が出された「個人情報をビッグデータとして、企業が活用する(もちろん、「個人情報部分はわからない様に加工する」という条件付)」など、データ活用が盛んに言われている。
確かに、データの活用は重要だと思うのだが、その「データが何によって起きたのか?」という、データの本質となるべき点を理解しなくては、的ハズレなデータ活用となってしまう。

「モノ・コトが起きる」のには、それなりの理由がある。
その理由をキチンと理解しなくては、意味が無いと思うのだ。
そのために必要なことは、やはり「観察力」だと思う。
「人を褒める」為には、昨日と今日の違いを見つけなくてはいけない。
違いを見つける為には、相手に興味・感心を持つ必要がある。
そう考えてみると、「自分の都合ばかりで、相手を見ていない社会」というのは、ビジネスが停滞している社会のなではないだろうか?
「停滞」と言う状況だけならまだしも、「減退」あるいは「衰退」している状況なのかも知れない。

「褒められたい」という気持ちは、誰しもが持っている気持ちだと思う。
大人も子どもも関係はない。
とすれば「褒められる社会」というのは、様々なモノ・コトに興味・関心を持って観察することができる社会だと思う。
それはビジネスであっても、同じなのではないだろうか。


地産地消をすすめるには、子どもを味方に?!

2014-07-02 22:40:33 | ビジネス

先日、朝日新聞のWEBサイトに「白バラ牛乳が飲みたくて・・・」と言う記事が、掲載されていた。
朝日新聞:白バラ牛乳が飲みたくて 鳥取県、給食の入札拒否を決意

「白バラ牛乳」というのは、鳥取県の大山乳業という会社のブランド名。
鳥取に実家のある私も、帰省した時に飲む牛乳というのは「白バラ牛乳」が定番となっている。
記事にある様に、実家で「白バラ牛乳」を飲んで名古屋に戻ってから飲む大手の牛乳とでは、味が違う様に感じるのだが、「不味い」と思ったコトはない。

それが、毎日の様に同じ牛乳を飲んでいる子ども達にとっては、随分味が違う様に感じたようだ。
「牛乳が薄い」という声が、子ども達から上がった、と言うことは、子ども達にとって「牛乳の味」の基準は「白バラ牛乳」なのだ。
基準よりも「薄かったり(別に水で薄めている訳ではない)、コクが感じられない」と、人は「不味い訳ではないが、自分の好みでは無い」ということになる傾向がある。
世間でよく言われる「おふくろの味」というのは、これまで慣れ親しんできた味と食の思い出が一緒になって「一つの味」を作り出している。
マザコンの男性でなくても、「おふくろの味」というのは自分の味覚を作ってきた大きな要素であり、影響されているトコロがあるはずだ。

そう考えると、昨今「地域活性化」でよく言われる「地産地消」を推し勧めるのであれば、学校給食で「特別な日」の地産地消では無く、日頃から地産地消を進めることのほうが大切、と言うことになる。
時折新聞などで紹介される「地産地消」は、地元の漁協や農協などが特別に提供したメニューが多い。
大人がうらやむ様なメニューに、舌鼓を打ち美味しそうに食べる子ども達の姿に「自分の頃には無かった。羨ましいな~」と思う。
この様な「メニュー」はいわば「ハレの日のメニュー」であって、子ども達にとっては「良い思い出」とはなっても、「味の記憶」という点では、どうなのだろう?
むしろ、今回取り上げられた牛乳の様に、毎日当たり前に食べている・飲んでいると言う中で育まれる「地元の味」の影響のほうが、大きい様な気がする。
とすれば、学校給食などを通して出荷するには難あり野菜などを存分に使った給食が、子ども達にとって一番安心できる味であり、費用面から考えてもメリットが高い様に思う。


自民党に投票した人達は、今何を思うのか?

2014-07-01 20:34:40 | 徒然

今日、「集団的自衛権の行使」を閣議で決定した。
安倍さんは、先の選挙公約の一つとして掲げていたことなので、「公約を果たした」ということになるのだと思う。
そうなると気になるのは、自民党に投票した人達だ。

総選挙の頃、日本全体が「アベノミクスで景気回復」というムードが漂っていた。
実際、街中インタビューなどでも「アベノミクスに期待するので、自民党」と答えていた方も多かった様に思う。
そう考えると、先の総選挙で自民党に投票した人のある一定割合で「集団的自衛権の行使」などの選挙公約などには、全く気づかず「アベノミクス」に踊らされて投票した、と言う人がいるのではないだろうか。

これは「特定秘密事項保護法案」の時も同じなのだが、先の総選挙では「特定事項保護法案」についても「集団的自衛権行使」についても、自民党は公約として掲げていた。
だからこそ、安倍さんは「特定秘密事項保護法案」も今回の「集団的自衛権の行使」についても、「国民からの付託を受けた」と強気で、強引に進められるのだと思う。
その意味では、国民が「特定秘密事項保護法案」も「集団的自衛権の行使」も認めていた、と安倍さんに言われても仕方のないことだと思う。

ただ、自民党に投票した人達にも言い分はあるはずだ。
それは「憲法解釈」と「閣議決定」という方法で、「集団的自衛権の行使」を決めたことだ。
日本の政治の基本は「国会」という場であって、「閣議」では無い。
「閣議」というのは、「閣僚の会議」なだけであって、決定権は無いはずなのだ。
それもまた「解釈」という、あやふやなやり方で決めてしまった、と言うことについては多いに反論すべき点だろう。

そもそも「集団的自衛権の行使」ができないと、「独立国家として認められない」とか「金しか出さない恥ずかしい国」になってしまうのだろうか?
米国の主要産業の一つは、軍事産業だ。
どこかで紛争なり戦争なり起きることで、「世界の警察・米国軍」が出ていくことで儲けている産業を、主要産業としている。
もちろん、素材提供を日本もしているとは思うが「武器輸出」そのものは禁止していたと思う。
そんな米国に事情に日本があわせる必要があるのだろうか?
国連では、今でも「敗戦国・日本」なのだから、それを逆手にとる外交があっても良いのではないだろうか?
それこそ「外交手腕の見せ所」だと思うのだが・・・。
むしろ問題にしなくてはならないのは「戦勝国=常任理事国」である、ロシアや中国が他国の権利を蹂躙しようとしていることなのでは?
「戦勝国」だから、何をやっても許される、と言うのでは「国連」の意味が無い。
「敗戦国・日本」だからこそ、国連の場で強く訴える必要があると思う。
その様な戦略を考えるのが、安倍さんの仕事なのでは?

一連の安倍さんのやり方を見ていると、映画「ランボー」や「ターミネーター」のマッチョな主人公に憧れる、ひ弱なお坊ちゃまの暴走発想、という気がしてならならない。