確か先週に、「トライアル」的に一般入場者を入れ、観客動線や緊急対応のテストなどを行った「大阪・関西万博」。
この「大阪・関西万博」については、誘致の頃から様々な意見があり、決して歓迎ムードでの決定ではなかったような記憶がある。
実は、私も「何をいまさら万博開催?」と、疑問を呈していた。
何故なら、「東京オリンピック2020」からの「大阪万博」という流れは、1960年代、日本が高度成長期だった頃の「夢をもう一度」的な気がしたからだ。
確かに1964年に開催された東京オリンピックは、東京の街を一変させた。
一気に「日本のモータリゼーション」が革命的に起きたのでは?というくらい、東京の街の道は拡幅・舗装、自動車専用道路と立体化されたからだ。
それだけではなく、東京の中心地には高層ビル計画が次々とされるようになり、現在の東京の礎のような街が形成されることになったからだ。
当然、それだけの都市と交通の大改革が起きたのだから、日本経済はそれらの事業によって大きく発展した。
その勢いを関西にもたらしたのが1970年の大阪万博だったのだ。
開催地として選ばれたのは、当時大規模住宅地開発が計画されていた「千里地区」。
私が小学生だった頃は「千里ニュータウン」と呼ばれ、東京の「高島平団地」に続く、都市型の大規模住宅地のお手本として、習った気がする。
これらの団地やニュータウン計画は、その後の地方都市でも起こり、名古屋近郊であれば春日井市の「高蔵寺ニュータウン」がある。
大阪の梅田や難波といった地域からは、少し離れた場所ではあったが、新幹線駅の為に造られた新大阪駅などへのアクセスを考え、公共交通毛が整備されたような印象がある。
それは万博の為、というよりも住宅地開発という目的が大きかったのかもしれない。
そのような時代を経て、「当時の高度経済成長を再び」と夢見たスポーツイベントが「東京オリンピック2020」であり、今日開幕した「大阪・関西万博」なのでは?と感じていた。
残念ながら、これらのイベントが計画された時と、日本の高度成長期であった1950年代後半から1960年代とでは、全く経済状況も国際関係も全く違ってしまっている。
1964年当時の東京オリンピックや1970年の大阪万博の成功を描いても、それは無理な話なのだ。
にもかかわらず、突き進んでしまった。
既に開幕してしまった「大阪・関西万博」を今更やめろ!とは言えない。
しかし、1970年の大阪万博のような成功を夢見るのは、やめよう。
何故なら、既に様々な問題が起きているからだ。
昨年起きた爆発事故に引き続き先週は、同じ工区で高濃度のメタンガスの発生が判明した。
各国のパビリオンについても、当初参加を表明していた国のいくつかは辞退しているだけではなく、未だ建設途中という状態の所もある。
開幕初日から「待ち時間なし」を目的とした事前予約なども機能せず、会場内で現金が使えない、飲食の値段が高いなどなど、問題山積になってしまった。
今できることとすれば、経済効果を含めた成功ではなく「会期期間中、問題なく終わった」ということを目指す、ということだろう。
最新の画像[もっと見る]