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女性マーケターから見た日々の出来事

8月6日に思いをはせる

2019-08-06 20:18:45 | 徒然

今年のまだ寒さを感じる春先だったと思う。
新聞の新刊欄に「原民喜」の文字があった。
数年前、若松英輔さんのエッセイに登場していたので、原民喜という作家の名前と彼が残した作品は知っていたのだが、何故、今原民喜なのだろう?と、疑問に感じたのだった。

Wikipediaなどで検索をしていただければわかると思うのだが、原民喜は1951年に亡くなっている。
そして、若松英輔さんが取り上げていた作品「夏の花」という作品は、広島に原爆が投下された直後、広島の街を妻を探しさまよい歩く一人の男性を描いた作品だ。
そのような冒頭だけを知ると、原民喜の実体験のように思えるのだが、原民喜の奥様は原爆が投下される以前に亡くなっている。
もちろん、原民喜自身が広島で被爆したことは事実なのだが、この原爆投下後、町が消滅した広島で妻を探してさまよい歩く男性は、原民喜自身の姿ではないようなのだ。
原民喜自身が広島の街を歩きながら、であった数多くの人たちの姿なのでは?という、気がする。

今年、広島原爆記念館の展示内容が変わった。
原爆投下による熱線で、歪んだ三輪車や黒く煤けたごはん(と言っても、麦飯か何かだろう)の弁当箱、被ばく当時着ていたであろう服装など、そこに「日常生活があり、原爆によって一瞬に日常を奪われた人たちのリアルな姿」を、服や持ち物などを展示する、という内容に代わったのだ。
確かに「戦争」は、非日常的な世界のことように思われるのだが、実は日常生活のすぐ隣にあるモノなのだ、ということを実感できる。

それをより実感させるのが、先週末NHKで放映された「この世界の片隅に」だろう。
終戦記念日に合わせ「戦争」をテーマにした映画やドラマ、アニメなどが放映されてきた。
その多くは「戦争の悲惨さ」を強く印象付けるものだったように感じるのだが、「この世界の片隅に」は「日常の隣にある戦争」という、これまでとは違った視点で、「戦争の悲惨さ」を描き出していた。
だからこそ、受け手となる私たちは、現実味を持って戦争というものを感じることができ、第2次世界大戦だけではなく、その後世界各地で起きた戦争や紛争が起きた場所は、特別な場所ではなかった、ということを知ることができるのだ。

原民喜が見たであろう、被爆後の広島の街をさまよい歩く人々の姿もまた、日常生活をある日突然失ってしまった人たちが、日常を取り戻すためにさまよい歩いていたのかもしれない。
しかし、それまでの日常は戻ってくることは無く、会いたい家族が既にこの世にいない姿でもある、ということなのだと思う。

幸いなコトに、日本は第二次世界大戦後「戦火に見舞われる」ということは無かった。
自衛隊のPKO派遣などは別にして、戦後〇〇年という年数は日本が平和だった年数でもある。
その年数の長さは、当たり前のことが当たり前のこととして、家族と過ごす時間であったり、自分の好きなコトができる時間の長さでもある。
この時間が、日本だけではなく様々な国で続くことを願うことが、原民喜が被爆後の広島の街でさまよい歩く人々への弔いとなるのかもしれない。

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