昨日の未明に発生した、「北海道胆振東部地震」。
夜が明け、土砂崩れがあった地域などは、一部の山が崩れたのではなく、山々の尾根が無残な山肌を見せるほどの大規模なものであった、ということが分かるようになった。
それほどの大きな揺れの地震であった、というだけではなくその規模も大きなものであった、ということをまざまざと見せつけられたような写真だった。
そして今回の地震でより驚いたのは、この地震で北海道全地域で停電になってしまった、ということだ。
地震などによる災害で一部地域の停電ということはあったが、北海道全体という広い地域全てが停電する、ということは前代未聞だ。
そして改めて思うことは、インフラの重要性ということだった。
その中でも「電気と水道」は、私たちの生活の基本となるインフラということだった。
東洋経済:電力から牛乳まで…「北海道地震」の巨大影響
市民生活はもちろんだが、病院などでは入院患者や透析患者など「電力で命を繋いでいる人たち」がいて、その命綱である電力が失われてしまうと、アッという間に命の危険にさらされてしまう。
もちろん、このことは「東日本大震災」の時にも指摘されていたことだが、北海道全体となってしまうと、患者さんたちは助かる道も失ってしまう。
「何故、非常用電源が無かったのか?」という疑問はあっても、その非常用電源もそれほど長く持つようには設計されていないはずだ。
今回の北海道全体で起きた停電は、「想定外」の出来事だった、ということだろう。
これは、公共性の高い施設での問題として考える必要がある、ということを改めて知らしめたのでは?という気がしている。
今回のような事態を避ける為には、自家発電設備を持つ必要性がある、といことが真っ先に考えられる。
真っ先に思い浮かぶのは「太陽光発電」のように、大きな発電施設を持つ必要のない方法だ。
大きなプロペラで風を受ける必要のない、風力発電なども有効だろう。
施設の敷地内に余裕があれば、小型のバイナリー発電など考えられるかもしれない。
そして再び考える必要があるのが、「原発」かもしれない。
今回の地震で「泊原子力発電所」では一時期外部電源をすべて失い(考えてみれば、北海道全域が停電となっているので当然と言えば当然なのだが)、「東京電力福島第一原子力発電事故」の二の舞寸前だった、ということだ。
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外部電源喪失ということも想定して造られているはずだが、「想定外」であったでは済まされないことだったように思う。
その理由は、今でも処理が進まない福島の状況を見れば、明らかだと思う。
安定的な電力供給として原発は有効かもしれないが、外部電源が失われるなどの事故が起きた場合、甚大な被害をもたらすだけではなく、処理そのものも大変な時間と労力と周辺住民や作業員の命に係わる事故となってしまうからだ。
原発再稼働の動きが出ているが、改めて「本当に原発は必要なのか?」、地域、地域にあった「ローカル発電」という発想が必要なのでは?ということを、考える必要がある、と今回の北海道の地震は教えてくれているような気がする。