先日小林麻央さんが亡くなり、ご主人である海老蔵さんが記者会見をされた。
奥様を亡くされた直後の記者会見での姿は、見ている側にとっても辛いものだったように感じている。
ご存じのように小林麻央さんは「乳がん」に罹患され、闘病を続けていらっしゃった。
公表された時には、既に転移が見つかっており「乳がん」の進行状況はステージⅣだった。
「ステージⅣ」という状況を知って、「余命がわずかなのでは?」という憶測もあったように記憶しているのだが、今のがん治療において「余命宣告」そのものはあまりされない、と言われている。
理由は、「余命宣告」にあまり意味がない、と言われているからだ。
「がん」という病気は、進行状況だけで余命がわかるような病気ではない。
「余命3カ月」と告げられてから、3年以上元気に過ごされ、その方らしい最期を迎えられた方を、何人か知っている。
ある方は、余命宣告後海外旅行をし、夢だったアロマサロンを開き、がん患者さんやそのご家族の悩みを傾聴する、「ピアサポーター」として活躍をされていた。
「生きる」目的を持つコトで、余命そのものが大きく変わってくる、というのが「がん」という病気の特徴でもあるのだ。
その意味で、小林さんがほぼ毎日のように更新をされていたブログは、小林さんにとっては「生きがい」のような存在になっていたのかもしれない。
もちろん、小林さんのブログを読んで勇気をもらった人たちも、多かったのではないだろうか?
一つ残念なことがあるとすれば、治療の最適な時期を逃してしまった、ということのように思う。
小林さんの場合、「授乳期に乳がんが見つかった」ということも、進行を速め、治療効果が思ったような結果にならなかった原因ではないかと思う。
日本乳癌学会 乳癌治療ガイドライン:妊娠期・授乳期の乳癌は予後が不良か
「授乳期」という、特殊な時期での「乳がんの疑い」というのは、考えたくない出来事だったと思う。
「でも、もしその時に、治療を始めていれば・・・」という、残念な気持ちはある。
小林さんのように、フリーアナウンサーとして活躍をされ、その後梨園の妻としてご主人の海老蔵さんを支えるようになられても、マスコミは小林さんを追いかけていた。
そのような活躍をされていた時の「乳がん」というニュースは、衝撃的であったしマスコミの注目にもなった。
そして今回、亡くなられたことでマスコミは「亡くなった」ということを、報道し続けている。
海老蔵さんが頻繁にアップされるブログについても、批判的なコメントがあったようだ。
最愛の家族を失った時の感情は、人それぞれだと思う。
「慟哭」というカタチで、悲しみを表す人もいらっしゃれば、日々の生活を当たり前に過ごすことで、喪った哀しみをやわらげようとする人もいる。
その表現の仕方に、家族でもない私たちがアレコレ言うことではないと思う。
むしろ「亡くなった」ということではなく、小林さんが生きてきたことにフォーカスし、小林さんの生き方をシッカリ受け止める必要があるように思う。
何故なら、小林さんご自身が自分の社会的スタンスを理解した上で、積極的に様々な情報をブログというカタチで発信し続けてきたからだ。
私は小林さんのブログの読者ではなかったが、自宅での「在宅治療」に切り替えられた理由を考えたり、乳がんという病気そのものを知る切っ掛けになれば、それが小林さんが生きてきた証なのだと思う。
「人の死」はいつか忘れられていく。
そのことが悪いとは思わない。
「死」にフォーカスするあまり、前に進めないこともある。
前に進むためには、「忘れる」ということも時には必要なのだ。
だが、亡くなった人が生きていたにフォーカスすることで、その思いを引き継ぐことのように思うのだ。