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朝青龍引退にみる、今の日本

2010-02-05 10:00:04 | 徒然
昨日、横綱・朝青龍が引退を発表した。
一般人への暴行事件をきっかけに、引退したカタチになったのだが、一連の報道を見ていて感じたコトの一つに「今の日本を見ているようだ」というコトだった。

朝青龍のしたことは、許されるべきものではない。
だが、その背景には「叱り切れない親方」や「横綱」という看板を傷つけたくない相撲協会の存在もまた大きかったのではないだろうか。

モンゴルと言う言葉も生活習慣も大きく違う日本と言う国にきて、国技である大相撲と言う世界に入り、その頂点を極める横綱という地位にまで上り詰めると言うのは、大変な努力が必要だったと思う。
その努力は、認めなくてはならない。
その一方で、数々の蛮行を「横綱」という地位にまで上り詰める過程の中で、許してきたと言うコトがあったのではないだろうか?
「国技・大相撲」を、教えることなく「相撲を取る」コトだけを教え、「勝てば官軍」のような指導があったような気がしてならない。
それを象徴するような言葉が、引退記者会見の中であった。
「品格について」という質問を、記者がした時の朝青龍の答えがそれだ。
「品格、品格と言われるが土俵に立てば、鬼にもなる。」という答えから、朝青龍の考える「品格」とは、土俵の上にあるモノで、土俵を降りた後の生活全般に求められているモノではない、と言うコトを端的に現しているように感じたのだった。

しかし、言葉こそ違え今の日本の社会では同じ様な考えが当たり前になっているのではないだろうか?
例えば「勉強ができれば・・・」と、所構わず騒ぐ子供を叱ることなく見過ごしている親御さんの姿。
「儲かればOK」とばかりに、マネーゲームに熱狂するディトレーダー。
上っ面ばかりの「成果主義」という名の、評価基準などなど。
いつの間にか「品格」などは、どこかへ置き去りにし「いかに効率よく、周囲を出し抜いてでも自己利益を求めることの何処が悪い!」という、社会の雰囲気になってきているように感じるのだ。

もう一つは、「叱ることへの抵抗感」だ。
「子供は褒めて育てる」というのが、育児書に登場してから随分経つと思う。
そのことを否定する気はない。
何よりも、私自身「親から褒められたことが無い」から「親から褒められたい」という欲求は、他の人よりも強いと感じている。
だから「褒めるコト」で、子供が得られる自信ややる気はプラスだと思っている。
ただ、「褒める」のと同じくらい、「叱る」というコトも大切だと思う。
最近、「しつけ」と称して子供を虐待する親がニュースなどで頻繁に取り上げられるが、叱られた経験の無い親からすれば、「叱る」というコト自体分らないのではないだろうか?
だからだろう、最近頻繁に「きちんと叱ろう」と言う公共広告機構のテレビCMが流れる。

もし朝青龍が、親方や周囲の大人たちから「きちんと叱られて」いたら・・・平成の大横綱として名を残したのではないだろうか?
そう思うと、朝青龍の引退はイロイロな意味で「日本の今」を現しているような気がした。