はんどろやノート

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林葉の振飛車 part5

2013年07月25日 | しょうぎ
 写真は第2期倉敷藤花戦の第1局の終局時のもの。1994年の秋の対局です。
 この対局の話は最後に。


 今日のメニュー。
  (1)中井広恵-林葉直子 1992年 女流王位1
  (2)中井広恵-林葉直子 1992年 女流王位3
  (3)関浩-林葉直子 1991年
  (4)藤井猛-畠山成幸 1998年
  (5)関浩-林葉直子 1991年
  (6)林葉直子-清水市代 1993年 女流王位 挑決
  (7)林葉直子-清水市代 1994年 倉敷藤花1


   テンコ盛りですな。 (テンコって何?)

 
中井広恵-林葉直子 1990年
 さて、これは『林葉の振飛車part1』ですでに紹介した将棋ですが、居飛車の「天守閣左美濃」に対してのこの林葉の作戦について考えたい。
 まずこの1990年の将棋は林葉直子が快勝しています。1990という年は、「藤井システム」の藤井猛はまだ奨励会員という時代です。 


(1)中井広恵-林葉直子 1992年 女流王位戦五番勝負 第1局

 「女流名人」と「女流王将」の2つのタイトルを立て続けに失った林葉直子。しかしすぐに次の「女流王位」の挑戦権をつかみます。その挑戦者決定戦の対戦相手は強敵清水市代でしたが、清水の「居飛車穴熊」を「振飛車」で見事に撃破して得た挑戦権でした。(→『林葉の振り飛車part3』で紹介しました。)

 
 後手の林葉直子は「5三銀型の向かい飛車」、そして先手の女流王位中井広恵は「天守閣玉の左美濃」。林葉は中井のこの「左美濃」の作戦をある程度想定して、狙い撃ちしたのかもしれない。
 6四銀と出る。林葉が次に7四銀~8二飛という正面攻撃を狙っているのは、ここまでくるともう明らかですから、中井もそれに備えます。
 7七桂、7四銀、7九角、4五歩、5七角、5二金、2六飛、4三金、8八玉、8五歩。


 8五同歩、8二飛、7九玉、9三桂、5五歩、8五桂、同桂、同飛。


 後手林葉の作戦成功。局面をリードしました。


 8七銀成に、中井は8四歩、同飛、7七銀という受けを用意していた。
 以下、5七桂、8六歩、7七成銀、同金、7四飛、7六歩、6五銀、6六桂、8四飛。


 中井、3三飛成と飛車を切る(角と交換)。 苦戦の先手の勝負手。
 3三同桂、5三角、7五角成、6六銀、同馬、5四飛、6五銀。
 5三角に林葉は6二金と受けたが、7二玉のほうが良かったようだ。これなら、7五角成、8一飛、6五馬、4九角成で後手良し。


 本譜はすでに後手が厳しくなっている。林葉は飛車を取らせる代わりに、先手の馬を盤上から消した。
 7四桂、5四銀、6六桂、同歩、3五角、8三桂。
 そして3五角。
 

 林葉期待の「3五角」だったが、中井広恵の「8三桂」がより厳しかった。


 中井広恵の逆転勝ち。



林葉直子-中井広恵 1992年 女流王位
 そして第2戦。林葉直子は「相掛り」で、「中原囲い」を採用しました。
 中原誠名人がこの「中原囲い」と呼ばれるようになった囲い(実は江戸時代からある古い囲い)を使い始めたのは、この女流王将戦第2局の1カ月前。(中原と林葉が、さて、この時すでに“そういう関係”にあったのかなかったのか、筆者は知らず。)
 中井広恵が勝って2勝目。



(2)中井広恵-林葉直子 1992年 女流王位戦五番勝負 第3局

 
 第1局と同じ展開に。
 「左美濃」の先手中井広恵は、3五歩、同歩、3八飛と仕掛けます。先に攻めれば林葉流の8二飛振り戻し作戦も空振りに終わるだろうということか。
 それでも林葉直子は、8二飛~8五歩~7四銀。


 3四歩、4二角、8四歩、6五歩、5九角、8四飛、8六歩、6二銀、7七銀、8二飛、3六飛、8五歩、同歩、8六歩、7八玉、8五銀、8八歩、9五歩、同歩、同香。
 中盤の攻防。中井も技を駆使して対応したが、林葉の攻めが優って振り飛車が優勢に。


 林葉優勢――のはずだった。
 ところがここで、9五歩、同歩、同香と攻めたのが指し過ぎだったらしい。代わりに7四歩~7五歩の攻めを狙えば、先手は困っていたようだ。
 9五香、同香と捨てて、9六銀と攻めていくのが林葉の狙いだったのだが、香車をただで一枚渡して、その上に9一香成とされ、ちょっと攻めの代償が大きすぎた。「王飛接近」の後手は、近くに敵の攻め味をつくってはいけなかった。


 後手は竜をつくり、馬もつくった。しかし5七玉となってみると、先手玉はまだまだ捕まらない。
 中井、8三歩。


 後手は「8三歩」を、結局は放置できないので竜で取ったが、すると「7五桂」がくる。
 林葉はこれを、同馬。
 中井には飛車を成る手もある。完全にもう、先手が良い。


 中井は3五歩と「敵の打ちたいところに打て」で、先手玉の一手詰を消す。
 これで後手はこの先手玉に迫る手段がむつかしい。


 中井広恵の勝ち。

 こうして3-0で中井広恵が「女流王位」を防衛しました。3連覇です。



(3)関浩-林葉直子 1991年

 女流王位戦では結果は出せませんでしたが、しかし、林葉直子の「対天守閣玉左美濃、7四銀作戦」は戦術的にはいずれも成功しているようです。
 もう一局、「中井-林葉、女流王位戦」の一年前に林葉さんがこの作戦を採った棋譜がありますので、次にそれを見てみましょう。
 「関浩-林葉直子戦」です。


 これは銀河戦(非公式戦)の、男性棋士との対局です。
 この将棋は序盤で先手が「8六歩」とした手に、後手の林葉がすぐに「8四歩」と指しています。こうなるとどうも「8七玉は危険」と見て、先手の関さんは、7七角~8八銀としました。次に8七銀から「銀冠」に構えることができます。
 それでも林葉は正面からの攻めを始めます。「9四歩、同歩、同香」。
 対して関は、おとなしく「9六歩」とし、そこで林葉が「8二飛」と飛車の“振り戻し”をしたところ。 


 林葉は角を4二~7五~3九と展開して、敵陣に成りこみます。
 一方、先手の関は「香得」となりました。


 林葉の「8八歩」に、関は「8四香」。
 これは痛い。


 以下、林葉さんも頑張りましたが、先手関浩の勝ち。

 この将棋は、関さんが8七玉と上がっていないので、林葉さんの攻めに対処しやすかったようです。

 しかし「天守閣玉(8七玉)」に対しては、“林葉流7四銀型正面攻撃”は有力な戦法と思われます。対中井広恵戦では3局ともに作戦成功となっています。ただ、成功といっても、振り飛車の玉がうすいので、その後もうまくやらないと、逆転されやすいようですね。



(4)藤井猛-畠山成幸 1998年

 さて、1998年ですが、この“林葉流”を、あの藤井猛が使った棋譜があります。
 1998年の藤井猛といえば、4―0で谷川浩司を吹っ飛ばして、「藤井竜王」が誕生した年。
 この「藤井猛-畠山成幸戦」は、その竜王戦の少し前の対局で、新人王戦の準決勝です。藤井さんはこの新人王戦をその前回、前々回と2年連続で優勝していたので、「藤井、3年連続なるか」ということで、これも大いに注目されていた勝負なのでした。
 その将棋はどうなったでしょうか。


 素人的に見た“感じ”としては、「すでに先手作戦成功」に見えます。 


 ところが、「3三桂」と後手に備えられて、藤井さんは2五歩とはいかず、「6八飛」とまた四間飛車に戻したのでした。手損ですが…。
 うーん、2五歩、同歩、1七桂という攻めは成立しなかったのでしょうか?
 桂馬の交換になって2筋の攻めが収められると、桂馬を持ち合っていることが後手に有利になるのかもしれませんね。
 それと、後手の右四間にして5四銀という形が、すぐに6五歩と仕掛けられると、通常の居飛車の攻め(7~8筋)よりも先手の玉に近いところで戦いが起こるので、それで先手がダメということもありそうです。
 ともかく、藤井さんは2五歩から仕掛けたら負け、と読んだのですね。


 ということで、この将棋は3六銀~2八飛作戦は不発です。
 しかし、この図では先手のみ「銀冠」に組めているので、作戦失敗ということでもない。
 ただ、先手からの仕掛けがなくて千日手模様になりそうな局面。それを打開する意味で、藤井は7七桂。角は9七から使うつもりです。 


 しかし結論的には、藤井の先の「7七桂」は不利を招いた疑問手とのことです。
 この図では、後手畠山成幸優勢。
 ところがここで畠山、間違えます。9九竜。これが疑問とされた手。(6三銀なら後手の優勢は揺るがない。)
 9九竜、5三と、5九竜、4三と、6八竜、4四と、4九馬、4八金打、8九飛。


 ここで「3五歩」とすれば先手にも勝機があった。
 ところが、藤井猛は5四と。
 5四と、3八馬、同銀、2九金、1八玉、1五歩。  
 

 畠山成幸の勝ち。

 ということで藤井猛の新人王戦3連覇はならず。
 畠山成幸が決勝に進み、その決勝三番勝負を2―1で制した三浦弘行が、1998年新人王戦を優勝しています。


 さて、林葉さんのこの「7四銀型(先手なら3六銀型)」の対天守閣美濃用正面攻撃作戦、僕の探した限りでは、林葉さん以外の採用は、藤井猛のこの一局しか見つかりません。



(5)関浩-林葉直子 1991年

 もう一つ、別の内容ですが、「関-林葉戦」があるので、それを紹介します。


 王座戦の予選。林葉直子の中飛車。ノーマル中飛車です。
 林葉の6五歩。 7七銀に、9二玉。 そして3七角に、4四銀。
 以下、6八金上、5五歩、同歩、同銀、5六歩、4四銀。


 これで林葉、指しやすい、という。 次の△5六飛が防げない。
 6五歩からのこの一連の手順を見て、才能あるなあ、と思うのです。6五歩~9二玉で指せるなんて、僕などには全然思い浮かばない指し方。


 林葉は5一角と引いた。この手があまり良くなかったらしい。ここは後手から4五歩と打って局面を落ち着かせれば十分だった。しかし林葉さんは3三桂~4五桂が指したかったようだ。苦しめな関が、紛れを求めて8五歩と攻めたが、後手はこれを「同歩」と取って、それでまだ後手が優勢だった。
 ところが林葉は、8筋を放置して、5七歩。8四歩と先手が取り込めば、8四同角で調子が良い、ということだろう。5七歩、これが林葉の狙いだったが、これは関を逆に助けた。
 5七同金、3三桂、5五歩。


 5五歩が好手。6四飛に、5六金と立って、これで逆に先手良しになった。一歩が手に入り、金が自然に前進できた。


 林葉はいったん攻めをあきらめ、5二金から自陣の整備をしようとしたが、関の2三歩がまた好手。これで林葉を焦らせる。


 ここはもう後手勝てないようだ。林葉は4五桂と跳ねたが、7三角成~4五飛となって、“二枚換え”。 次に8四桂があり、先手勝勢。
 関の逆転勝ちとなった。

 女流プロが、いつ男子プロに勝利してもおかしくはないのだがなあ…、と言われていたのがこの時代。(女流プロの公式戦初勝利は1993年12月中井広恵の対局。林葉はしかし、1991年6月に非公式戦の銀河戦で男性棋士に勝利している。)



(6)林葉直子-清水市代 1993年 女流王位戦 挑戦者決定戦

林葉直子-清水市代 1993年 女王位 挑決
 1993年女流王位戦の挑戦者決定戦。ちなみに、この時期の女流王位戦は紅白の2リーグ制で、紅組は林葉直子と斎田晴子、白組は清水市代と高群佐知子の“4戦全勝者同士の最終局決戦”の結果、この組み合わせの挑決戦となった。「女流王位」は中井広恵である。
 さて、この序盤。なんとなく“現代的”と21世紀の今、感じさせる林葉の序盤である。
 ここで6六歩と突いて、それから8八飛と「向かい飛車」に。


 積極的に動く。しかしこの4五銀は良くなかったらしい。清水の次の手、2四角があったから。
 5七角成を防ぐために林葉は6七金。
 うわずったその金を見て、8六歩と清水は行く。8六同飛、同飛、同角、6九飛、8一飛以下、戦いに。
 これは居飛車に分のある戦いとのことだが、居飛車の穴熊も未完成の状態なので、振り飛車にとって、「これはこれであり」なのかもしれない。


 5八金。こう受けるしかないようで。


 振り飛車も我慢強く対応して、こうなった。
 林葉から、6七金右と、金銀交換を迫る。銀が入れば、8七銀がある。
 7五角、7六金、同竜、7七銀。


 7七銀。竜が逃げるなら、9六竜だが、すると7六歩と打てば、後手の角は死んでいる。
 このあたり、林葉がうまくやったようだ。
 5七歩成、7六銀、4八金、7五銀、3九金…
 局面は一気に激しくなってきた。


 形勢苦しめの清水市代が、勝負、勝負と来ている。


 4八同玉、7五角、5九玉、5七歩成、6八金上、6五桂、4四角。


 4四角は後手玉の「詰めろ」になっている。それを防ぐ3三歩に、先手は6六銀として、これは先手の「勝ち」も近い。
 ところが次の後手清水の4二歩が粘り強い手。
 対して先手の、3二成香、同香、5八歩はふつうの応手に見えるが…


 4三銀、と清水にこの銀を打たれてみると、先手忙しい。いや、忙しいどころか、どうやら「逆転」しているらしい。(先手はどうするのがよかったのか。)

投了図
 192手の熱戦を勝って、清水市代が挑戦者に決定。
 林葉さんにとっても“勝てた将棋”だったのですが。


 その「女流王位戦」の五番勝負は3-0で清水が奪取。中井広恵の女流王位戦の連覇を3で止めました。

 この1993年度の清水市代の女流棋戦での年間成績は26勝3敗、勝率.897です。
 清水さんはこの時24歳。女流棋士の有望な若手は10代で活躍しタイトルを獲ることもよくありますが、だいたいは20代でのび悩む。しかし清水市代さんは、ここからむしろ強さを増していったのでした。そこが、“清水市代”の価値。
 男子プロでもそうですが、20代、30代でさらに伸びる棋士こそが本当に強い棋士になる、と言えそうです。



(7)林葉直子-清水市代 1994年 倉敷藤花戦 第1局

 林葉さんが日本将棋連盟に休暇届を提出してイギリスへ突然に旅立ってしまったのが1994年の春。 
 あまりに突然だったので、対局を「無断欠勤」のような形となり、大騒ぎとなりました。林葉さんはこの時、初代「倉敷藤花位」のタイトルホルダーでもあったこともあり、連盟としても、はいそうですかと簡単に休暇を認めるわけにもいかないのです。
 そうして、何か月かの対局禁止のペナルティの後、林葉さんはこの倉敷藤花戦で対局復帰。
 第2期倉敷藤花戦の挑戦者は清水市代さんでした。
 
 その対局は林葉直子さんが先手となり、“初手6六歩”を指しました。
 結果は清水市代の勝ち。(この内容は別記事part6でお伝えできればと考えています。)


 
 林葉直子さんの振り飛車の将棋を1991年~1992年を中心に『林葉の振飛車』と題してシリーズで書いてきました。
 これを書きつつ、いろいろ調べてみると、この1991年~1992年という年は、将棋の進歩に関して、大変に面白い年であるということを発見するに至りました。
 たとえば、「ゴキゲン中飛車」のオープニングが始まったのが、1991年ですし、この年に藤井猛がプロ棋士になっています。アマ棋界で「立石流」が流行ったのもこの頃ではないかと(憶測ですが)思われます。そして1992年には、「中原囲い」が出現します。
 『林葉の振飛車』シリーズは、あと1回か2回、書く予定でいます。



 『“初手9六歩”の世界
 『林葉の振飛車 part1
 『林葉の振飛車 part2
 『林葉の振飛車 part3
 『林葉の振飛車 part4
 『林葉の振飛車 part5
 『林葉の振飛車 part6
 『“初手5六歩”の系譜  間宮久夢斎とか
 『内藤大山定跡Ⅴ 「筋違い角戦法」の研究
 『鏡花水月 ひろべえの闘い

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