左が若き日の塚田泰明で、右が同じく若き日の中村修。『将棋世界』最新号のこの二人の対談のページから。
そういえば塚田泰明さんはタイトル戦に出ることが決まった時、故塚田正夫元名人の夫人から申し出があって、塚田元名人の使っていた和服を提供してもらったというエピソードがありました。苗字がたまたま同じだというだけで、親戚関係でもないし、また、師匠の筋でも縁はないのですが。塚田泰明の師匠は大内延介。
塚田さんはなんといっても、このまえの「電王戦」の将棋。“奇跡の引き分け(持将棋)”でしたが、僕の中でのクライマックスは塚田さんが何度も何度も「指さし確認!」で駒の数を数えているシーン。一人で観戦していましたが、思わず声を出して笑いころげました。プロの対局のあんな面白いシーンがリアルタイムで観れるなんて! 想像もしなかったことが目の前で映像として流れていて、まったく“夢のような”出来事でした。
解説の聞き手役の安食総子さんの、「盤面を広く使っていますねえ。」という名セリフとともに、あの日の対局は、今後も忘れられないであろう濃密な記憶となりました。
今日はその塚田泰明さんの妻でもあり、女流棋士でもある高群佐知子さんの中飛車の将棋を鑑賞しようと思います。失礼ながら、僕は塚田泰明さんと結婚して高群さんは女流プロを引退したとばかり思い込んでいたのですが(どうやら福崎夫妻と混同してしまっていたようです)、そして高群さんの将棋もまったくどういうものか知らなかったのですが、このところ女流棋士の将棋をよく並べていますので、高群佐知子の将棋にも注目するようになりました。特徴があって面白いんですよ、これが。
高群佐知子(たかむれさちこ)、1971年生まれ、滝誠一郎門下。
中井広恵-高群佐知子 1991年
まずは「居飛車党」だった時の将棋から。
20歳の高群佐知子さんはレディースオープントーナメント戦で準優勝。これはその棋戦の対局。
高群さんは居飛車党だが、矢倉は指さず、当時の得意戦法は「雁木(がんぎ)」だった。一般(男子)プロでこの「雁木」を使う人はいなかった。「雁木」は、女流ではこの高群佐知子と、あとは林葉直子が時々使っていた。林葉さんの「雁木」は袖飛車にして右桂を跳ねて敵を一気に攻め倒す将棋だったが、高群さんはちょっと違う味を持っているようだ。
「右四間」に構えていま、後手が4五歩と角道を開けたところ。これは「攻めますよ」という合図にも見えるが、高群さんの場合はそうやって相手の攻めを誘っているのかもしれない。
先手の中井広恵、4六歩。これで戦いが始まった。
後手高群の飛車の位置を見ていただきたい。これは6三からまわってきたものである。
「雁木」という形は、囲いとしては美しいが、あまり頑丈ではない。そういう実感があって一般プロ棋士はこれを用いないのだが、高群さんは闘いながら形を整えていくという独特のセンスを持っているようで、囲いのリニューアルが得意なのだ。高群佐知子でなければできない、という感じの不思議な指しまわしをする。
ここから後手の高群は、角を5三→3五→4六と先手の手に乗ってさばいていくのである。
高群の勝ち。
まずは高群さんの相居飛車、「雁木」の将棋を見ていただいた。
清水市代-高群佐知子 1993年
これは少しばかり変則的な出だし。ここで先手が2五歩とし、後手が3三角となれば、3三同角成、同金となって、これは「阪田流向かい飛車」の出だしである。しかしそう進むとは限らず、先手がすぐに角交換しない場合もある。(現代なら8八角成から「後手一手損角換わり」の可能性も大。)
2五歩に、後手の高群がどう指す予定だったかはわからない。僕の想像だが、「阪田流」を指すつもりではなかった気がする。
清水は、「7八金」と指した。
その手に対し、高群佐知子、「5四歩」。 さらに「2五歩」には、「5二飛」。
なんと、居飛車党の高群が飛車を5二に振ったのである。
実はこの局面、実戦例がほとんどない形で、ここでの「5二飛」は高群佐知子の“新手”なのである。
よく見ると、この局面、「ゴキゲン中飛車」のオープニングに、先手7八金、後手3二金の交換を加えた局面となっている。
なぜ居飛車党の高群佐知子がこの手をここで指したのか…、不思議な人だ。
しばらく進んでこうなった。高群、2三歩を打たず、5三飛と飛車を浮いている。
なんとも面白い将棋を指す。
図から、3七桂、4三飛、5四歩、3五歩、2六飛、3六歩、同飛、3三飛と進む。
高群、飛車をぶつける。清水は5六飛とかわす。
以下、5二歩、5五銀、3四飛、6四銀、8八角成、同金、4二銀、3五歩、2四飛、2五歩と進み、清水は高群の飛車を抑え込み――
清水市代が勝った。
序盤から清水ペースの形勢だったようだが、高群佐知子のちょっと変わったセンスが現れていたと思う。
「中飛車党」の蛸島彰子さんが“初手5六歩”を指し始めたのは1999年ですが、高群佐知子さん、じつは、その蛸島さんよりも早く“初手5六歩”を指しているのです。
つまり、“初手5六歩”を指した順番でいえば、女流棋士では、林葉直子(1991年)→高群佐知子(1997年)→蛸島彰子(1999年)、というわけ。
高群佐知子-山田久美 1997年
1997年。この頃から高群さんは、徐々に「中飛車」を指し始めているようだ。
ただ、“初手5六歩”は、(20世紀中は)この一局だけかもしれない。
注目点は、まず、「角道を止めていない」ということ。従来の中飛車は角道を止めていたが、高群はまったく角交換をおそれておらず、むしろそれを待っているかのよう。
この将棋が指されたのは近藤正和はプロデビュー1年未満の時で、つまり「ゴキゲン中飛車」の愛称も生まれていない時期。この時期に、角道を止めずお互いの角がにらみあったまま駒組みをすすめる――こういうセンスを持っていた振り飛車党の棋士はほとんどいなかった。(1991年頃から武市三郎さんが似た感じで指している。) “初手5六歩”も、近藤正和より早い。
もう一つの注目点は、「4七銀、3七桂、3八玉」という玉形である。
少し前の記事『世紀末 田村康介の闘い』の中で、「この玉形では勝ちにくいようだ」と田村が判断したらしいと僕は書いた。たしかにそうなのだが、ところが高群佐知子はこの玉形を上手に使いこなすのである。
ここで3三角成。高群から角を換えた。
高群さんは、1996年頃から、相居飛車の時に、「右玉戦法」をよく使っていてそれを得意戦法としていた。
そういえば元々、「中飛車」と「右玉戦法」とは形がよく似ている。高群さんの中飛車はそういうところから始まったのかもしれない。
さて、将棋は戦いに突入した。後手の山田久美が、8六飛~7六飛と“横歩”を取った。
先手高群、7三角~5五角成と馬をつくる。6四角には、5六馬。
こういうところが、「右玉戦法」でこういう形をよく経験している高群佐知子の感覚の良さが出ている。高群は、この先手の囲いの「弱点」をよくわかっている。ガンガン攻めていくにはちょっと薄すぎるのだ。だから無理に攻めたりせず、闘いながら自陣を厚くしていく。「雁木」の時もそうだが、ちょっと薄い玉を補強しながら戦うのが“高群流”。
戦いになることを恐れない。うすい玉を恐れない。戦いながら囲っていく中盤が好き、という感じ。
山田、5七角。
5五馬、6八角成、5六馬、5五歩、同馬、5七桂成、同金、同馬、4八銀、6七馬、5四桂…
高群は、これで二枚の「桂馬」を手にした。それを使って2度の「5四桂」から後手陣の金をはがしてゆく。
こうなると飛車で攻めている高群が有利。
高群佐知子の勝ち。
こうして、高群佐知子の“初手5六歩”からの中飛車は成功となりました。
やっと「ゴキゲン中飛車」が注目されはじめたこの時期に、高群さんがどれくらい中飛車を指していたのかは、確認できる棋譜が少ないのでよくわかりません。
まだ、この時期は相居飛車からの「右玉」のほうが主流だったのではと思います。
高群佐知子-山田久美 1999年
1999年の将棋。この図を見ても、高群中飛車が独特であるとわかります。
5五歩と突かない、角交換もしないけれども6六歩も突かない、8六歩からの後手飛車先歩交換は許容。早く2八玉と囲うということもせず、5九飛。この「おっとり」した感じ。
でもって、8七歩も打たない。“横歩”を取られることも心配しない。
できるならこの「一歩」を1筋や2筋の攻めに使いたいと考えているのだ。しかし、攻めるのはまだ早い。2九飛~5七銀が高群調。
戦いながら、金銀を右に集めていく。
振り飛車党の中飛車ならなんとか中央突破とか考えるところだが、元々が居飛車党で「右玉」の使い手、桂馬を跳ねて1~3筋を攻めた。
まあ、この将棋は先手負けなんですけどね。後手山田の「銀冠左美濃」が強力すぎました。
高群佐知子-林まゆみ 2002年
さて、高群流中飛車の本格的始動はこの頃からか。2002年。もう完全に「中飛車党」です。
初手は“5六歩”。
4七銀型が好きなんです。
こんな形で、攻めていく。4五歩。 (でも、大丈夫?)
角交換から、お互いに「8二角」、「8八角」と角を敵陣に打ちあう。
4七成香、同金、5四飛、同馬、6一飛、5一香、6一桂、5八銀…
林まゆみ、5四飛!
先手の玉がうすいので、林は「今がチャンス!」と思ったのだろう。5四飛と飛車を切って、5一香から5八銀が期待の攻めだったが、やはりこれは乱暴すぎた。
次の3四桂を防ぐ手段が後手にはない。高群勝ち。
高群佐知子-山田久美 2002年
“初手5六歩”から先手中飛車に。「4七銀、3七桂」が高群好み。
こうやって陣形をいつのまにか厚くしている。そして玉頭から攻める。
激烈な玉頭戦に勝利。
20代の高群佐知子さんはタイトル挑戦の経験がありません。棋戦優勝もありません。
しかし「あと一歩」のところまで進んだことは何度かあります。
林葉、清水、中井の「女流3強」時代に、斎田晴子と並んで4、5番手の位置につけていたのが高群佐知子。
その高群さん、30代になって「中飛車党」となり、「中飛車」という新しい得意手をもって勝ち続け、またタイトル挑戦のチャンスが巡ってきます。
高群佐知子-千葉涼子 2004年
2004年。倉敷藤花挑戦者決定トーナメント準決勝。
相手は強敵千葉涼子。千葉はまだこの時はタイトルを獲ったことはなかったが、タイトル挑戦はすでに何度か経験していた。
一方、タイトル戦の番勝負をまだ経験したことのない高群佐知子――タイトル戦は棋士にとって“憧れの舞台”だろう。
高群、“初手5六歩”。 (この将棋は「千日手指し直し局」らしい。)
角交換。“田村流”だ。
これは“近藤流”。
角交換中飛車で、この図のように、「7八銀、6八金」型をつくるのが近藤正和考案の工夫。
後手の千葉は、「玉頭位取り」。
そして、やっぱり“さっちゃん流”は4七銀、木村美濃なのね~。
いま、高群の「7一飛」に、「9三角打」と千葉が角を重ねて打ったところ。
この「9三角打」は良い手に見える。ところがこれが失着かもしれない、という局後の結論。
高群は「9三角打と打たれても大丈夫」という読みで7一飛と打ったのだ。
「9三角打」と打てば、ここで3九銀と急いで攻めることになる。次に先手に8四香という手があるので、行くしかないのだ。
3九銀から清算して――
5五桂。先手が危なそうだが…、先手高群はどう受けたか。
5五桂に、3八銀。 続く4七金に4九銀とかわし――
7九飛打ちには――
7五角。
これが「詰めろ逃れの詰めろ」。
千葉は6四歩としたが、2一銀、2三銀、5六角、3一金、3四銀。
「詰めろ」で迫る。
かっこよく高群佐知子が決めた。
以下、2一玉に、2二金。ここで千葉涼子が投了。2二同玉以下は3手詰。
さあ、勝った。次だ。
次に勝てば、タイトル戦出場だ!
高群佐知子-清水市代 2004年
高群佐知子、倉敷藤花挑戦者決定戦、決勝戦に登場。
決勝の相手は清水市代。
ここでも先手番になった高群さんが“初手5六歩”からの先手中飛車に。
7七銀。先手から銀をぶつけて銀交換。
今、5七角成と、1三の角を後手が成ったところ。この手で8七飛成とするのは、8八飛で先手ペース。それで清水は角を成った。
ここからの高群の指し方が彼女らしく、そして、素晴らしい。
3五歩、同馬、4六銀、2四馬、3五歩、同歩、3六歩、同歩、3五銀、1三馬、3四歩、2二銀、3六銀。
これぞ高群佐知子の将棋! 戦いで得た二枚の銀で、うすい木村美濃をリフォーム。立派な“高群城”を築きあげた。これは、振り飛車優勢なのでは?
たしかに、先手の高群が優勢。これに勝ったらタイトル戦初出場だ。対局中、胸が高鳴ったのではないだろうか。
ここで高群、4五桂。当然こう打ちたくなるが、清水に4四歩、5三桂成、同金と対応されてみると、イマイチだった。
ここでは3四歩がよかったようだ。
この図から、3四同銀、4四銀、5二玉、5三銀成、同玉、5五歩、6三玉、5四歩、5二歩、3三角成、3七歩。
3七同銀、3五歩、4七銀、4五銀、5一馬、6二銀、6一馬、8七飛成。
図の3七歩を同銀と高群さんは取ったのだが、僕は「同金」と取りたい気がしたがどうだろうか。
(2五桂があるが、同銀と取って、5五桂が打てる。しかし3七同金は8七飛成がいやか。)
さすがに清水市代はしぶとい指し方をする。ここで7二金と攻めたいが、それは5一金と打たれて困る。
そこで高群は8八金。ここに金を打つのでは、形勢はあやしくなった。
8八金、8五竜、7七桂、5五竜、5八飛。
高群は5八飛と飛車をぶつける。(これ以外の手段があったのか、なかったのか。『将棋年鑑』の解説はそこに触れていないのでわからない。)
清水はこれに同竜と応じた。
清水市代の攻め。
4六桂は詰めろ。高群の負け。
悔しい悔しい逆転負け。この将棋に勝っていれば、生涯の自慢の一局となっただろうに。
さて、21世紀の高群佐知子さんは、「中飛車党」。
でも中飛車も定跡研究が進んで、さすがに高群さんも4七銀型(後手なら6三銀型)はやめたかな、と思ったのですが――
井道千尋-高群佐知子 2007年
こんなの、見つけました。 お好きなんですねえ、6三銀型が。
こちらのブログで高群佐知子さんの現在のお姿が拝見できます。→『森信雄の日々あれこれ日記』
(羽生、森内、佐藤、郷田と揃っていて超豪華なメンバーでの滝誠一郎引退慰労会)
そして塚田夫妻の娘さん恵梨花さんの写真はこちらに→『第7期マイナビ女子オープンチャレンジマッチ』
ほう、女流プロ棋士をめざしていらっしゃるんですね。 ていうか、高群さんにそっくり!
『“初手5六歩”の系譜 間宮久夢斎とか』
『蛸ちゃん流中飛車』
『蛸ちゃん流中飛車Ⅱ』
『林葉の振飛車 part2』
『“初手9六歩”の世界』
そういえば塚田泰明さんはタイトル戦に出ることが決まった時、故塚田正夫元名人の夫人から申し出があって、塚田元名人の使っていた和服を提供してもらったというエピソードがありました。苗字がたまたま同じだというだけで、親戚関係でもないし、また、師匠の筋でも縁はないのですが。塚田泰明の師匠は大内延介。
塚田さんはなんといっても、このまえの「電王戦」の将棋。“奇跡の引き分け(持将棋)”でしたが、僕の中でのクライマックスは塚田さんが何度も何度も「指さし確認!」で駒の数を数えているシーン。一人で観戦していましたが、思わず声を出して笑いころげました。プロの対局のあんな面白いシーンがリアルタイムで観れるなんて! 想像もしなかったことが目の前で映像として流れていて、まったく“夢のような”出来事でした。
解説の聞き手役の安食総子さんの、「盤面を広く使っていますねえ。」という名セリフとともに、あの日の対局は、今後も忘れられないであろう濃密な記憶となりました。
今日はその塚田泰明さんの妻でもあり、女流棋士でもある高群佐知子さんの中飛車の将棋を鑑賞しようと思います。失礼ながら、僕は塚田泰明さんと結婚して高群さんは女流プロを引退したとばかり思い込んでいたのですが(どうやら福崎夫妻と混同してしまっていたようです)、そして高群さんの将棋もまったくどういうものか知らなかったのですが、このところ女流棋士の将棋をよく並べていますので、高群佐知子の将棋にも注目するようになりました。特徴があって面白いんですよ、これが。
高群佐知子(たかむれさちこ)、1971年生まれ、滝誠一郎門下。
中井広恵-高群佐知子 1991年
まずは「居飛車党」だった時の将棋から。
20歳の高群佐知子さんはレディースオープントーナメント戦で準優勝。これはその棋戦の対局。
高群さんは居飛車党だが、矢倉は指さず、当時の得意戦法は「雁木(がんぎ)」だった。一般(男子)プロでこの「雁木」を使う人はいなかった。「雁木」は、女流ではこの高群佐知子と、あとは林葉直子が時々使っていた。林葉さんの「雁木」は袖飛車にして右桂を跳ねて敵を一気に攻め倒す将棋だったが、高群さんはちょっと違う味を持っているようだ。
「右四間」に構えていま、後手が4五歩と角道を開けたところ。これは「攻めますよ」という合図にも見えるが、高群さんの場合はそうやって相手の攻めを誘っているのかもしれない。
先手の中井広恵、4六歩。これで戦いが始まった。
後手高群の飛車の位置を見ていただきたい。これは6三からまわってきたものである。
「雁木」という形は、囲いとしては美しいが、あまり頑丈ではない。そういう実感があって一般プロ棋士はこれを用いないのだが、高群さんは闘いながら形を整えていくという独特のセンスを持っているようで、囲いのリニューアルが得意なのだ。高群佐知子でなければできない、という感じの不思議な指しまわしをする。
ここから後手の高群は、角を5三→3五→4六と先手の手に乗ってさばいていくのである。
高群の勝ち。
まずは高群さんの相居飛車、「雁木」の将棋を見ていただいた。
清水市代-高群佐知子 1993年
これは少しばかり変則的な出だし。ここで先手が2五歩とし、後手が3三角となれば、3三同角成、同金となって、これは「阪田流向かい飛車」の出だしである。しかしそう進むとは限らず、先手がすぐに角交換しない場合もある。(現代なら8八角成から「後手一手損角換わり」の可能性も大。)
2五歩に、後手の高群がどう指す予定だったかはわからない。僕の想像だが、「阪田流」を指すつもりではなかった気がする。
清水は、「7八金」と指した。
その手に対し、高群佐知子、「5四歩」。 さらに「2五歩」には、「5二飛」。
なんと、居飛車党の高群が飛車を5二に振ったのである。
実はこの局面、実戦例がほとんどない形で、ここでの「5二飛」は高群佐知子の“新手”なのである。
よく見ると、この局面、「ゴキゲン中飛車」のオープニングに、先手7八金、後手3二金の交換を加えた局面となっている。
なぜ居飛車党の高群佐知子がこの手をここで指したのか…、不思議な人だ。
しばらく進んでこうなった。高群、2三歩を打たず、5三飛と飛車を浮いている。
なんとも面白い将棋を指す。
図から、3七桂、4三飛、5四歩、3五歩、2六飛、3六歩、同飛、3三飛と進む。
高群、飛車をぶつける。清水は5六飛とかわす。
以下、5二歩、5五銀、3四飛、6四銀、8八角成、同金、4二銀、3五歩、2四飛、2五歩と進み、清水は高群の飛車を抑え込み――
清水市代が勝った。
序盤から清水ペースの形勢だったようだが、高群佐知子のちょっと変わったセンスが現れていたと思う。
「中飛車党」の蛸島彰子さんが“初手5六歩”を指し始めたのは1999年ですが、高群佐知子さん、じつは、その蛸島さんよりも早く“初手5六歩”を指しているのです。
つまり、“初手5六歩”を指した順番でいえば、女流棋士では、林葉直子(1991年)→高群佐知子(1997年)→蛸島彰子(1999年)、というわけ。
高群佐知子-山田久美 1997年
1997年。この頃から高群さんは、徐々に「中飛車」を指し始めているようだ。
ただ、“初手5六歩”は、(20世紀中は)この一局だけかもしれない。
注目点は、まず、「角道を止めていない」ということ。従来の中飛車は角道を止めていたが、高群はまったく角交換をおそれておらず、むしろそれを待っているかのよう。
この将棋が指されたのは近藤正和はプロデビュー1年未満の時で、つまり「ゴキゲン中飛車」の愛称も生まれていない時期。この時期に、角道を止めずお互いの角がにらみあったまま駒組みをすすめる――こういうセンスを持っていた振り飛車党の棋士はほとんどいなかった。(1991年頃から武市三郎さんが似た感じで指している。) “初手5六歩”も、近藤正和より早い。
もう一つの注目点は、「4七銀、3七桂、3八玉」という玉形である。
少し前の記事『世紀末 田村康介の闘い』の中で、「この玉形では勝ちにくいようだ」と田村が判断したらしいと僕は書いた。たしかにそうなのだが、ところが高群佐知子はこの玉形を上手に使いこなすのである。
ここで3三角成。高群から角を換えた。
高群さんは、1996年頃から、相居飛車の時に、「右玉戦法」をよく使っていてそれを得意戦法としていた。
そういえば元々、「中飛車」と「右玉戦法」とは形がよく似ている。高群さんの中飛車はそういうところから始まったのかもしれない。
さて、将棋は戦いに突入した。後手の山田久美が、8六飛~7六飛と“横歩”を取った。
先手高群、7三角~5五角成と馬をつくる。6四角には、5六馬。
こういうところが、「右玉戦法」でこういう形をよく経験している高群佐知子の感覚の良さが出ている。高群は、この先手の囲いの「弱点」をよくわかっている。ガンガン攻めていくにはちょっと薄すぎるのだ。だから無理に攻めたりせず、闘いながら自陣を厚くしていく。「雁木」の時もそうだが、ちょっと薄い玉を補強しながら戦うのが“高群流”。
戦いになることを恐れない。うすい玉を恐れない。戦いながら囲っていく中盤が好き、という感じ。
山田、5七角。
5五馬、6八角成、5六馬、5五歩、同馬、5七桂成、同金、同馬、4八銀、6七馬、5四桂…
高群は、これで二枚の「桂馬」を手にした。それを使って2度の「5四桂」から後手陣の金をはがしてゆく。
こうなると飛車で攻めている高群が有利。
高群佐知子の勝ち。
こうして、高群佐知子の“初手5六歩”からの中飛車は成功となりました。
やっと「ゴキゲン中飛車」が注目されはじめたこの時期に、高群さんがどれくらい中飛車を指していたのかは、確認できる棋譜が少ないのでよくわかりません。
まだ、この時期は相居飛車からの「右玉」のほうが主流だったのではと思います。
高群佐知子-山田久美 1999年
1999年の将棋。この図を見ても、高群中飛車が独特であるとわかります。
5五歩と突かない、角交換もしないけれども6六歩も突かない、8六歩からの後手飛車先歩交換は許容。早く2八玉と囲うということもせず、5九飛。この「おっとり」した感じ。
でもって、8七歩も打たない。“横歩”を取られることも心配しない。
できるならこの「一歩」を1筋や2筋の攻めに使いたいと考えているのだ。しかし、攻めるのはまだ早い。2九飛~5七銀が高群調。
戦いながら、金銀を右に集めていく。
振り飛車党の中飛車ならなんとか中央突破とか考えるところだが、元々が居飛車党で「右玉」の使い手、桂馬を跳ねて1~3筋を攻めた。
まあ、この将棋は先手負けなんですけどね。後手山田の「銀冠左美濃」が強力すぎました。
高群佐知子-林まゆみ 2002年
さて、高群流中飛車の本格的始動はこの頃からか。2002年。もう完全に「中飛車党」です。
初手は“5六歩”。
4七銀型が好きなんです。
こんな形で、攻めていく。4五歩。 (でも、大丈夫?)
角交換から、お互いに「8二角」、「8八角」と角を敵陣に打ちあう。
4七成香、同金、5四飛、同馬、6一飛、5一香、6一桂、5八銀…
林まゆみ、5四飛!
先手の玉がうすいので、林は「今がチャンス!」と思ったのだろう。5四飛と飛車を切って、5一香から5八銀が期待の攻めだったが、やはりこれは乱暴すぎた。
次の3四桂を防ぐ手段が後手にはない。高群勝ち。
高群佐知子-山田久美 2002年
“初手5六歩”から先手中飛車に。「4七銀、3七桂」が高群好み。
こうやって陣形をいつのまにか厚くしている。そして玉頭から攻める。
激烈な玉頭戦に勝利。
20代の高群佐知子さんはタイトル挑戦の経験がありません。棋戦優勝もありません。
しかし「あと一歩」のところまで進んだことは何度かあります。
林葉、清水、中井の「女流3強」時代に、斎田晴子と並んで4、5番手の位置につけていたのが高群佐知子。
その高群さん、30代になって「中飛車党」となり、「中飛車」という新しい得意手をもって勝ち続け、またタイトル挑戦のチャンスが巡ってきます。
高群佐知子-千葉涼子 2004年
2004年。倉敷藤花挑戦者決定トーナメント準決勝。
相手は強敵千葉涼子。千葉はまだこの時はタイトルを獲ったことはなかったが、タイトル挑戦はすでに何度か経験していた。
一方、タイトル戦の番勝負をまだ経験したことのない高群佐知子――タイトル戦は棋士にとって“憧れの舞台”だろう。
高群、“初手5六歩”。 (この将棋は「千日手指し直し局」らしい。)
角交換。“田村流”だ。
これは“近藤流”。
角交換中飛車で、この図のように、「7八銀、6八金」型をつくるのが近藤正和考案の工夫。
後手の千葉は、「玉頭位取り」。
そして、やっぱり“さっちゃん流”は4七銀、木村美濃なのね~。
いま、高群の「7一飛」に、「9三角打」と千葉が角を重ねて打ったところ。
この「9三角打」は良い手に見える。ところがこれが失着かもしれない、という局後の結論。
高群は「9三角打と打たれても大丈夫」という読みで7一飛と打ったのだ。
「9三角打」と打てば、ここで3九銀と急いで攻めることになる。次に先手に8四香という手があるので、行くしかないのだ。
3九銀から清算して――
5五桂。先手が危なそうだが…、先手高群はどう受けたか。
5五桂に、3八銀。 続く4七金に4九銀とかわし――
7九飛打ちには――
7五角。
これが「詰めろ逃れの詰めろ」。
千葉は6四歩としたが、2一銀、2三銀、5六角、3一金、3四銀。
「詰めろ」で迫る。
かっこよく高群佐知子が決めた。
以下、2一玉に、2二金。ここで千葉涼子が投了。2二同玉以下は3手詰。
さあ、勝った。次だ。
次に勝てば、タイトル戦出場だ!
高群佐知子-清水市代 2004年
高群佐知子、倉敷藤花挑戦者決定戦、決勝戦に登場。
決勝の相手は清水市代。
ここでも先手番になった高群さんが“初手5六歩”からの先手中飛車に。
7七銀。先手から銀をぶつけて銀交換。
今、5七角成と、1三の角を後手が成ったところ。この手で8七飛成とするのは、8八飛で先手ペース。それで清水は角を成った。
ここからの高群の指し方が彼女らしく、そして、素晴らしい。
3五歩、同馬、4六銀、2四馬、3五歩、同歩、3六歩、同歩、3五銀、1三馬、3四歩、2二銀、3六銀。
これぞ高群佐知子の将棋! 戦いで得た二枚の銀で、うすい木村美濃をリフォーム。立派な“高群城”を築きあげた。これは、振り飛車優勢なのでは?
たしかに、先手の高群が優勢。これに勝ったらタイトル戦初出場だ。対局中、胸が高鳴ったのではないだろうか。
ここで高群、4五桂。当然こう打ちたくなるが、清水に4四歩、5三桂成、同金と対応されてみると、イマイチだった。
ここでは3四歩がよかったようだ。
この図から、3四同銀、4四銀、5二玉、5三銀成、同玉、5五歩、6三玉、5四歩、5二歩、3三角成、3七歩。
3七同銀、3五歩、4七銀、4五銀、5一馬、6二銀、6一馬、8七飛成。
図の3七歩を同銀と高群さんは取ったのだが、僕は「同金」と取りたい気がしたがどうだろうか。
(2五桂があるが、同銀と取って、5五桂が打てる。しかし3七同金は8七飛成がいやか。)
さすがに清水市代はしぶとい指し方をする。ここで7二金と攻めたいが、それは5一金と打たれて困る。
そこで高群は8八金。ここに金を打つのでは、形勢はあやしくなった。
8八金、8五竜、7七桂、5五竜、5八飛。
高群は5八飛と飛車をぶつける。(これ以外の手段があったのか、なかったのか。『将棋年鑑』の解説はそこに触れていないのでわからない。)
清水はこれに同竜と応じた。
清水市代の攻め。
4六桂は詰めろ。高群の負け。
悔しい悔しい逆転負け。この将棋に勝っていれば、生涯の自慢の一局となっただろうに。
さて、21世紀の高群佐知子さんは、「中飛車党」。
でも中飛車も定跡研究が進んで、さすがに高群さんも4七銀型(後手なら6三銀型)はやめたかな、と思ったのですが――
井道千尋-高群佐知子 2007年
こんなの、見つけました。 お好きなんですねえ、6三銀型が。
こちらのブログで高群佐知子さんの現在のお姿が拝見できます。→『森信雄の日々あれこれ日記』
(羽生、森内、佐藤、郷田と揃っていて超豪華なメンバーでの滝誠一郎引退慰労会)
そして塚田夫妻の娘さん恵梨花さんの写真はこちらに→『第7期マイナビ女子オープンチャレンジマッチ』
ほう、女流プロ棋士をめざしていらっしゃるんですね。 ていうか、高群さんにそっくり!
『“初手5六歩”の系譜 間宮久夢斎とか』
『蛸ちゃん流中飛車』
『蛸ちゃん流中飛車Ⅱ』
『林葉の振飛車 part2』
『“初手9六歩”の世界』
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