中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

ギャンブル狂だったドストエフスキー(世界史レッスン第35回)

2006年10月17日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」に連載中の「世界史レッスン」、第35回目の今日は「銃殺刑を言いわたされたドストエフスキー」。⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/10/post_3328.html#more ロシアの近代化を願ったインテリ青年たちが次々に抹殺されていった中に、危うくドストエフスキーも入るところだった。有名なそのエピソードについて書きました。

 以下はトーマス・マンのドストエフスキー評。
 「この人は全身これ神経の塊だった。ぶるぶる震えていて、絶えず痙攣におそわれるのだ。彼の感覚鋭敏なことは、まるで皮膚がはぎとられて、空気に触れることさえ激痛を与えるというほどだ。にもかかわらずこの人は60歳まで生きた。そして40年間にわたる文学活動で、無数の人物の住む、かつて見たことも聞いたこともない新奇と大胆さに満ちた詩的世界を創造した。この世界には巨大な情念が荒れ狂っている。この世界は、人間についての我々の知識を押し広げるような、「限界を超える」思想と心情の激発が見られるが、またそこには愉快な気分も生き生きと湧き起こっている。というのもこの磔にされた殉教者のような男は、諸々の性質に加えて、驚嘆に値するユーモリストでもあったからだ」。

 なるほど「ユーモリスト」であったればこそ、あれほどにも過酷なシベリア流刑を耐えられたのだろうか・・・
 
 ところでドストエフスキーは、ギャンブル狂だったことでも知られている。始まりは41歳のとき。当時の賭博のメッカ、ヴィースバーデンで、いきなり一万フラン儲ける。ビギナーズラックというものだろう。これが泥沼の始まりで、パリ、バーデン・バーデン、トリノと賭博場を渡り歩き、何度も一文無しになっている。

 再婚相手のアーニャに、「ぼくは獣以下の人間だ.昨晩は1300フラン勝った。だのに今日のぼくは1スーも持っていない。有り金全部すってしまったんだ」と書いている。それこそ同じような手紙を何度も何度も書いている。彼のギャンブル狂時代はなにしろ丸々8年も続いたのだから。

 生と死を賭けるようなギャンブルは麻薬と同じであり、むしろ完全に手を切ったドストエフスキーの精神の強靭さに感嘆してしまう。しかも彼は賭博以前も最中も以降も、ずっと傑作を生み続けていた。


☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
posted with amazlet on 07.07.14
中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」

コメント (11)
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