中野京子の「花つむひとの部屋」

本と映画と音楽と。絵画の中の歴史と。

モーツァルト未亡人の愚痴(世界史レッスン第67回)

2007年06月12日 | 朝日ベルばらkidsぷらざ
 朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」に連載中の「世界史レッスン」第67回目の今日は、「モーツァルト・ジュニアの挫折」⇒ http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/06/post_7c7b.html#more
 モーツァルトのふたりの息子たちが、音楽家として全く大成できなかったエピソードを書きました。

 未亡人コンスタンツェは夫亡き後、猛烈な蓄財能力を発揮し、借金は全て返済したばかりか、人に高利でお金を貸したりしている。下宿屋も始めた。そして部屋を借りにきたデンマーク人の外交官ニッセンと再婚した。
 
 ニッセンは退職したあと、資料がたくさんあるのを利用して『モーツァルト伝』を書き、まもなく病死する。再び未亡人となった67歳のコンスタンツェのもとに、はるばるロンドンから訪れたのが、熱烈なモーツァルト・ファン、ノヴェロ夫妻だった。彼らは未亡人が貧しい生活をしていると勝手に解釈し、募金をつのってお金まで持参してきた。
 
 「我が生涯における最大の喜ばしくもまた興味あふれる日」(ミスター・ノヴェロ)
 「何という感激、私は胸がいっぱいになって、涙を流しながら彼女を抱擁しました」(ミセス・ノヴェロ)

 いかにもロマン主義の時代らしいが、それにしてもこのトンチンカンは何だろう?モーツァルト本人とその未亡人をすっかり混同しているとしか思えない(まあ、微笑ましいと言えば言えるけれど・・・)

 このときコンスタンツェは相変わらずの性格の悪さを露呈し、すでに中年になった息子を目の前において、夫妻にこんな愚痴を言っている、「この子が怠け者すぎるのがわたしは残念でなりません」「意気地なしなのです」。

 これじゃあ、ジュニアもいろいろ辛かっただろうなあ。

☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪

怖い絵
怖い絵
posted with amazlet on 07.07.14
中野京子 朝日出版社 (2007/07/18)


①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」

☆新訳「マリー・アントワネット」(角川文庫)
☆☆アントワネットは後年モーツァルトがパリに来たとき、招待すらしなかった。どうも関心がなかったようだ。

マリー・アントワネット 上 (1) マリー・アントワネット 下 (3)
     
◆マリー・アントワネット(上)(下)
 シュテファン・ツヴァイク
 中野京子=訳
 定価 上下各590円(税込620円)
 角川文庫より1月17日発売
 ISBN(上)978-4-04-208207-1 (下)978-4-04-208708-8










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13 コメント

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訂正 (Caecilia)
2007-06-26 22:31:05
 ホーエンシュヴァンガウ城のシュヴィントのフレスコ画のことを書いていて、はたと気づきました。
 シューベルトをいかがわしい交友関係に誘ったのは画家のシュヴィントではなく、スウェーデン貴族で詩人のフランツ・フォン・ショーバーでした。

 シュヴィントは、ローエングリン伝説などでも、夢のように淡いパステルカラーで描いてしまう、自画像を見ても、いかにもロマンチックな青年です。
 ショーバーは財産があるためか、遊び方が派手で、コンヴィクト時代からの友人達、例えばシュパウンなどは、快く思っていなかったようです。

 音楽学者でも、一次資料に基づいて、ほとんど伝記事実専門に研究、などという人もいます。
 そういう人は、細かな伝記事実、通説の間違いなど、実によく知っています。
 
 ただ、私は、楽譜資料の方が専門で、伝記資料は、必要ならもちろん一次資料でも調べますが、必要がないと何も調べないので、数多くいる友人達の名前などは、つい、まちがえてしまいます。
 悪しからず。
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メッテルニヒ体制下の結婚の自由 (Caecilia)
2007-06-25 09:48:46
 今思い出しました。モーツァルトの時代は、まだ、メッテルニヒ体制下じゃないから、結婚するのにも、収入証明は要らなかったのでした。

 シューベルトや晩年のベートーヴェンが生きた時代は、ウィーン会議の後の、鉄の宰相、メッテルニヒの時代で、検閲が厳しく、収入証明ができなければ、結婚もままならない、一番窮屈な時代だったのでした。

 シューベルトも、ベートーヴェンも、違う意味で、そういう厳しい現実から逃避していたかもしれない。
 後世の人間が、そういう歴史検証をしないで、同性愛だの、片思いだのと言い立てるのは、彼らにとっては迷惑なのかもしれませんよね。
返信する
伝記小説の信憑性 (Caecilia)
2007-06-25 08:27:34
 大作曲家の殆どの伝記、特に文学者が書いているものなどは、文献学的な伝記的史実を踏まえていないことが多いので困ることが多いのです。

 例えば、シューベルトが同性愛者だったかどうかは、勿論、伝記的史実から究明することは困難なのですが、少なくとも、成人してからボーイソプラノだったというのは、事実に反しています。

 シューベルトが宮廷礼拝堂聖歌隊を辞めて、コンヴィクトを去ることになったのは、当然ながら、彼が声変わりして少年合唱団にいられなくなったためです。
 ドイッチュの編纂した伝記ドキュメントを読めば判るとおり、シューベルトは、宮廷礼拝堂聖歌隊に入隊したときには、第一ソプラノだったのに、去るときには、一番低いコントラアルトを歌っています。

 友人達との親密な交わりも、コンヴィクト時代、つまり、聖歌隊やウィーン大学の学生など、男友達に恵まれていたためでしょう。
 尤も、シュヴィントとの交際などは、性的にも如何わしいものがあったと言う説もありますが、これは、シュヴィントの性格によるもので、しかも、女性が関与していたようです。

 そして何より、シューベルトも実らなかったとはいえ、女性に恋しています。初恋の人、テレーゼ・グローブや、カロリーネ・エステルハーツィ公爵令嬢など。
 テレーゼは、シューベルトが定職について求婚するのを3年も待った挙句、ついにパン屋の親方と結婚してしまいました。カロリーネは、もちろん、高嶺の花でした。
 彼のリートには、高嶺の花に恋する少年の悲恋がたくさん歌われていますから、彼としては、真剣だったのでしょうね。

 カロリーネへの想いが実らない鬱憤晴らしに、エステルハーツィ家の女中と関係をもって性病を移され、それが原因で入院中に書いたのが「美しき水車小屋の娘」、死因は、実は腸チフスではなく、そのときの性病の悪化といわれています。
 その後も、シュヴィントとの交友関係で、如何わしい女性と関わったとも言われますし……。

 だから、シューベルトを初期ロマン派の淡い夢の中に閉じ込めておきたいファンには申し訳ないけれど、生身の人間としての彼には、やはり、いろいろなことがあったということなのではないでしょうか。
 ということは、逆に言えば、単純な同性愛などではなかったということです。(男性心理としては、ある意味ではまともか……。)

 尚、シューベルトの名誉のために付け加えるならば、彼が結婚できなかったのは、当時のメッテルニヒ政権下では、定職につき、収入証明がなければ、正式な結婚はできなかったためで、何も彼が、女性に対して、ことさらにいい加減な人物であったからではなさそうです。
 30歳近くになって、自由な作曲家としての活動が軌道に乗った頃に、わざわざ窮屈な宮廷副楽長のポストに応募したのも、定職を得て、結婚したかったからだとも言われています。

 その意味では、同じく定職につかない自由作曲家の身でも、結婚できるだけの収入が証明できたモーツァルトは、やはり特別、高収入だったということですね。

 自己処罰願望というのも、シューベルトが、自分の作品を売り込むために、あちこちの出版社やオペラハウスとかけあったり、独自に演奏会を開いていること、作曲家としての自負心が非常に強かったらしいこと(ドイッチュ編「友人達の回想」を参照)からは、あまり信じられません。
 もっとも、「自分は女性には愛されない運命なんだ……」などということはあったようですが。でもこれは、作曲家としての成功とは関係なく、失恋経験もあって、要するに、シャイだったんじゃないですか。


 ベートーヴェンだって、女性に対しても、甥に対しても、片思いみたいですよね。

 でも、彼の場合には、シューベルトのように経済的な理由で結婚できなかったわけではないだろうから、性格的な問題としては、もっと深刻ですよね。
 「永遠の恋人」に対する理想が、シューベルトより高くて、現実の女性に対する要求水準も厳しかったのではないかと私などは思ってしまうのですが……。

 でもだからこそ、シューベルトのように浮気な関係をもって、性病で夭折、などということもない。
 尤も私自身は、現実の男性像としてはともかく、芸術家としてのあり方としては、モーツァルトやシューベルトのようにハチャメチャなほうに惹かれるけれどもなぁ。
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Unknown (Caeciliaさんへ(kyoko))
2007-06-17 11:15:16
 シューベルトについては、ドミニク・フェルナンデスが同性愛説を唱えています(根拠のひとつには、友人たちとの密な交わり、そして成人してからもボーイソプラノだったことなど)。そのため無意識の自己処罰願望があり、それが成功を妨げたというのです。もっともフェルナンデスは、ダヴィッドもジェリコーもツヴァイクも同性愛者に組み入れていますけど・・・
 ついでながらベートーヴェンと甥に関しては、E&R・スターバの、ベートーヴェン片思い説を出版しましたね。こういうのは音楽学の世界ではどんなふうに受け取られているのでしょう?
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天才の現実 (Cäcilia)
2007-06-17 03:30:08
 コンスタンツェが長男カールを預けたのは、天才の地を期待して、英才教育をしてもらうことがしゅがんだったわけでは、必ずしもないでしょう。

 当時のウィーンでは、避妊・中絶禁止のカトリックということもあり、幼児死亡率の高さにも拘らず、子沢山に困る家庭が多かったのです。
 だから、経済的二余裕がなく、共働きをせざるを得ない庶民は、子供を預けて働きに出るのが普通。寡婦の身で借金を抱えたコンスタンツェにしてみれば、手の掛かる病弱な次男を育てながら、借金整理をするのに手一杯で、教育盛りの長男は、当然、預けるということになったでしょうね。

 その際、せっかくならきちんとした音楽教育をしてもらった方が、もしかしたら稼ぎ手になりそうな音楽家に育つかもしれないという期待はあったでしょうね。
(私だって、ウィーンに住んでいたら、息子を寄宿舎制のウィーン少年合唱団に入れたいと思うもの。子育ての手間が省けて、自分は仕事ができる上、息子の方は、手に職をつけてもらえて、人生、万が一のことがあっても、たとえソリストやすたーになれなくとも、合唱団員や合唱指揮なら食べていかれる……?

 その意味では、ウィーン少年合唱団員だったシューベルトの「天才」を過大評価するのは間違いかも。彼は、音楽家の家系の出ではないし、合唱団員としての教育以外に、モーツァルトのような英才教育を受けているわけではありませんからね。
 逆に、コンヴィクトでウィーン大学の学生達とも一緒で、高級官僚や詩人になった友人に囲まれていたから、あの程度の音楽教育で、あれほどのびのびと作曲し、当時としては珍しい、「自由な音楽家」でいられたのかもしれませんよ。
 シューベルトの作曲の仕方を見ていると、天賦の才は、メロディーとその和声での色彩付けだけといっても言い過ぎではない。だから、同じメロディーを、別の詩につけていくつもリートを作曲したり、それをまた器楽に転用したり……。
 よくもまぁ、あんな調子で、オペラや交響曲まで作曲したものだ、と逆に感心することも。)


 モーツァルトの収入については、ウィーン・フィルのメンバーがウィーンに新設した博物館 Haus der Musik (ここに展示されているシューベルトのメガネは本物です!)の展示に詳しいのですが、ともかく、通常の庶民とは桁違いだったらしい。借金するのは、ギャンブル狂だったからにすぎない。
 ちなみにシューベルトですら、作曲家として売れ出してからは、庶民を上回る収入があり、彼の場合には、金銭感覚のなさと、金欠病の友人たちに常にたかられていたことが、貧乏の真因と言われています。

 ともかく、そんな風だから、コンスタンツェが、借金返済のためにも、遺児たちを神童に育てたかったことは間違いない。
 なんたって、コンスタンツェはかのウェーバー夫人の娘。息子たちがだめでも、それでも借金は完済し、高利貸しや大家で生計を立てられるようになったのは立派です。

 著作権も確立していなかったはずの当時、モーツァルトの作品を演奏・出版することで、コンスタンツェに収入が入る道があったのか、それとも、未出版の遺作の版をを出版社に売り渡したとか……。
 意外にもコンスタンツェは、生活費のために自筆譜その他を売り払うようなことは、あまりしていなかったらしい。尤も、当時、モーツァルトの自筆譜が、現在のような値段で売れたわけではないでしょうが。

 いずれにしても、天才とはいえ、ギャンブル狂でどうしようもない夫の借金の後始末をした上、遺品資料を整理・保管し、それを元に伝記を書いてくれそうな人と結婚し、モーツァルト研究にも寄与しているのだから、コンスタンツェも、一部で誤解されているほど、悪妻とはいえないでしょうね。
 ちなみに、ニッセンは、結婚前からコンスタンツェの保管している資料に興味を示しており、逆にコンスタンツェのほうは、ニッセンの資料調査には協力しても、だからすぐに結婚、というわけでもなく、かなり迷ったようです。

 ジュニア達の教育にしても、自身が楽長だったレオポルトが、ヴォルフガングを楽長にしようと欧州中の宮廷を回って売り込んでも、結局、希望が叶わずに定職に就けなかったことを思えば、フランツ・クサーヴァーは音楽家としてきちんと定職につき、所轄の楽団のレヴェルを上げることにも貢献している。
 だから、父のヴォルフガングが、求職活動が実らずに、自由で不安定な芸術活動の果てに残した作品群が、死後、ますます評価が上がっているからといって、何も彼は萎縮する必要はなかったのですよ。

 所詮、学問や芸術の活動などというものは、そういうものです。
 定職を得て、肩書きがつき、収入も安定すれば、本当にやりたいことは逆にできなくなることが多い。尤も、いつまでも、ポストにもつかず、定収入もないと、やりたいことができなくなるというのも一面の真理ですが。
 
 だから、安定と不安定、地位や名誉と、活動の充実を秤にかけて、皆、悩むことになる。
 そう思うと、ウィーンで羽を伸ばして好きなことをやっているヴォルフガングに、「人気は長続きしないから、定職を探しなさい」と言ったレオポルトも、そのヴォルフガングの天才と、凡庸だが安定した宮仕えの音楽家の道を選んだ息子を比較して愚痴るコンスタンツェも、どちらも無い物ねだりの贅沢を言っているように、私には見えるけれどもなぁ。
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Unknown (ハルウララさんへ(kyoko))
2007-06-14 10:24:05
「不滅の恋」ではなかなかうまい解釈をしていましたよ。甥の母親というのは、ベートーヴェンのかつての恋人で、行き違いからふたりは別れ、彼女は彼の弟と結婚した、というふうに。
 「ジャン・クリストフ」のベートーヴェン像は、どう考えてもロマン主義者の理想像でしょう(小説としては面白いですけど)。現実のベートーヴェンはもともと気むずかしいところへもってきて、難聴になってからいっそう度が増したようです。
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ベートーベン (ハルウララ)
2007-06-13 09:48:00
ウ~ン、でもその解釈は苦しくないですか?息子なら、なぜ、一緒に生活しなかったのか?(経済的に可能なはず)やはり、甥で、遺伝子(つまり、同族の血)と、彼の孤独から溺愛したのでは?
 「敬愛なるベートーベン」では、伯父さんの金を盗んだりする小悪党として描かれていました。それにしても、ベートーベンは、この映画では、傲慢な性格だったみたいです。「ジャン・クリストフ」の英雄的人間像は、間違いなんですか?
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Unknown (ハルウララさんへ(kyoko))
2007-06-12 22:25:42
ベートーヴェンの甥に関しては、ハリウッド映画「不滅の恋」で、実は彼の息子だったという解釈をしていましたね。確かに異常なほどの執着度でしたから、実子説があってもおかしくないかも、と思いました。
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日本の場合 (ハルウララ)
2007-06-12 18:42:28

 漱石の、子供たち、特に息子たちは、凡庸で、苦労したみたいです。鴎外の、息子も、娘も(特に、茉莉)は、才能の花を咲かせました。芥川の息子は、演劇などで、才能があったし、有島の息子は、俳優。
 遺伝と生育環境の問題です。ベートーベンの甥も無能でしたが、可哀そうなところもあります。
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Unknown (ぷーさんのママさん&しじみさん&Masakoさんへ(kyoko))
2007-06-12 16:39:15
ぷーさんのママさん、
 O選手といえば、ライヴァルN選手に息子さんがいて、ずいぶん期待されていましたっけ・・・けっきょくわたしたちの側に、血統への信仰があるのもよくないのかもしれませんね。

しじみさん、
 お久しぶり♪
 ヴェルディは全く突発的な天才ですよね。周囲の援助者のひとりでも欠けたら、絶対に世に出られなかったと思うと、神秘的な見えないものの手を感じずにはいられません。それに彼の血はけっきょく途絶えてしまいましたし・・・

Masakoさん、
 シューベルトの眼鏡のエピソード、初めて知りました。創作への意欲というのは、凡人には測り知れない凄まじさですね。
 そういえばこのところなぜか、弦楽四重奏「死と乙女」ばかり聴いています。同名の映画を思い出してしまうのが困りものですけど(あの映画のテーマが何とも重くて)。
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芸術家と運命 (Masako)
2007-06-12 13:21:06
シューベルトの夭折も不遇ももったいないと云えば云えますが、「狭い世界」で生きたからこそインティメートで、内省的な翳りのある、独特なあの世界が生まれたのでは、とも。だいたい詩人も不遇な時によい詩を書いてますしね。キーツ、チャタートン等々夭折詩人群。。。

でも、シューベルトの生涯は胸に迫りますよね。寝る間も惜しんで作曲し、朝起きたらすぐ仕事にかかれるようにと眼鏡をかけて眠ったんだそうで、先日テレビでその眼鏡を見たのですが、少しひびが入っていて、
涙に暮れました。
返信する
才能の活かし方? (しじみ)
2007-06-12 10:46:14
ご無沙汰をしております。
宿屋の息子に生まれ、突然変異のように大作曲家になってしまったヴェルディを思うと、天才の息子であろうがなかろうが子どもに必要なのは、才能を見抜く周囲の目と適切な指導なのではないかと思ってしまいます。
そして、何より本人の意欲を高めることでしょうか。
いま、シューベルトについて考えておりますが「シューベルティアーデ」に象徴される狭い世界に閉じこもり、夭逝した彼の才能がもったいなく思えてなりません・・・。
返信する
親が偉大すぎるのも・・・ (プーさんのママ)
2007-06-12 10:17:10
今回のモーツアルトの息子のことは巷で読んだよりもはー、でした。
関係ないのですが、ある有名な野球選手のO選手(ばればれですね。)の奥様がご健在のときに「子どもが娘ばっかり3人で、男の子がいたら・・・と以前思ったことがありましたが、今では良かったと思います。」とインタビューに答えていらしたのをおもいだしました。音楽家としては偉大だったけれども、父親としてみれば「???」のモーツアルトと、負けず劣らず賢母?の二人のもとに生をうけたジュニアに、私は限りなく同情しました。
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