朝日新聞ブログ「ベルばらkidsぷらざ」で連載中の「世界史レッスン」第62回目の今日は、「ルイ14世に仕えたペロー兄弟」⇒http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2007/05/post_80ed.html#more
兄弟ともに官僚として大いに出世したことについて書きました。
とはいえ300年が経ってみれば、残ったのはペローの童話だけ。
そしてペロー童話といえば、サンドリヨン(=アッシェンプッテル=シンデレラ)だろう。以前書いたものですが、またここに再録するとーー
--驚くなかれ、シンデレラの類話は、世界中に500以上ある。
もっとも古いのは9世紀の中国といわれ、もし彼の地がこの民話の発生源であるならば、シンデレラは纏足だったことになる。なぜなら彼女の足は誰よりも小さく、彼女の靴をはくことは誰にもできなかったからだ。そして纏足のシンデラレラは、もともとは働く必要のない階級、姉たちより上の階級に属していたことを意味する。
それはさておき、夥しい類話に共通するのは2つ。まず、主人公の身分がもとは高く、次いで低く、さいごはもっとも高く、と烈しく変化すること。もう1つは彼女の持ちもの(ほとんどが履物)によって本人と確認されること。
このふたつに、それぞれ土地柄や文化や時代の影響が加わり、少しずつ違うヴァージョンのお話になっている。中でもっともよく知られているのがペローとグリムによるもの。
シャルル・ペローは、ルイ14世に仕えた宮廷人。詩才があったため、乳母から寝物語に聞かされた民話を巧みに換骨奪胎し、独自の作品へ仕上げた(「ペロー童話集」)。シンデレラの姉たちが舞踏会へ着てゆくドレスは、17世紀フランス宮廷の最新ファッションであるなど、当時の<現代性>がうかがえる。
一方、グリムは学者として民話を採集したので、勝手な改変は極力避けた(ただし7改訂もしているので、次第に手を入れるようにはなった)。
そこで2つのシンデレラには、いくつか目立った違いが生じることになる。どちらが良い悪いの問題ではないが、ペローのには物語自体がもつ華やかさがあり、グリムのには民話本来の残酷さと精神性がある。
たとえば、最後に地悪な姉たちは、ペローではやさしく許されているのに、グリムでは小鳥につつかれて眼をつぶされてしまう。落とした靴もペローのはガラス、グリムのは金だ。王子の行動力にも差があり、ペローでは家来まかせ、グリムでは自らがさがしにゆく。
もっとも大きな違いは、シンデレラがどうやって舞踏会へ行けたか、の描写にある。グリムのは小鳥がドレスをくれるという地味な展開なのだが、ペローのは魔法使いが派手に登場し、畑のカボチャを4輪馬車に、ネズミを馬に、トカゲを従者に変えてくれる。しかも夜中の12時までに帰らなければ魔法がとける、というハリウッド映画ばりのサスペンスが加わり、読者をはらはらさせてくれる。
☆拙訳「マリー・アントワネット」(角川文庫)。画像をクリックするとアマゾンへいけます。
☆☆アントワネットはコンシェルジュリで初めて読書の面白さに目覚めるが、もっぱらノンフィクションの冒険ものばかり読んでいたようなので、ペロー童話には関心がなかっただろう。
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪
①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」
兄弟ともに官僚として大いに出世したことについて書きました。
とはいえ300年が経ってみれば、残ったのはペローの童話だけ。
そしてペロー童話といえば、サンドリヨン(=アッシェンプッテル=シンデレラ)だろう。以前書いたものですが、またここに再録するとーー
--驚くなかれ、シンデレラの類話は、世界中に500以上ある。
もっとも古いのは9世紀の中国といわれ、もし彼の地がこの民話の発生源であるならば、シンデレラは纏足だったことになる。なぜなら彼女の足は誰よりも小さく、彼女の靴をはくことは誰にもできなかったからだ。そして纏足のシンデラレラは、もともとは働く必要のない階級、姉たちより上の階級に属していたことを意味する。
それはさておき、夥しい類話に共通するのは2つ。まず、主人公の身分がもとは高く、次いで低く、さいごはもっとも高く、と烈しく変化すること。もう1つは彼女の持ちもの(ほとんどが履物)によって本人と確認されること。
このふたつに、それぞれ土地柄や文化や時代の影響が加わり、少しずつ違うヴァージョンのお話になっている。中でもっともよく知られているのがペローとグリムによるもの。
シャルル・ペローは、ルイ14世に仕えた宮廷人。詩才があったため、乳母から寝物語に聞かされた民話を巧みに換骨奪胎し、独自の作品へ仕上げた(「ペロー童話集」)。シンデレラの姉たちが舞踏会へ着てゆくドレスは、17世紀フランス宮廷の最新ファッションであるなど、当時の<現代性>がうかがえる。
一方、グリムは学者として民話を採集したので、勝手な改変は極力避けた(ただし7改訂もしているので、次第に手を入れるようにはなった)。
そこで2つのシンデレラには、いくつか目立った違いが生じることになる。どちらが良い悪いの問題ではないが、ペローのには物語自体がもつ華やかさがあり、グリムのには民話本来の残酷さと精神性がある。
たとえば、最後に地悪な姉たちは、ペローではやさしく許されているのに、グリムでは小鳥につつかれて眼をつぶされてしまう。落とした靴もペローのはガラス、グリムのは金だ。王子の行動力にも差があり、ペローでは家来まかせ、グリムでは自らがさがしにゆく。
もっとも大きな違いは、シンデレラがどうやって舞踏会へ行けたか、の描写にある。グリムのは小鳥がドレスをくれるという地味な展開なのだが、ペローのは魔法使いが派手に登場し、畑のカボチャを4輪馬車に、ネズミを馬に、トカゲを従者に変えてくれる。しかも夜中の12時までに帰らなければ魔法がとける、というハリウッド映画ばりのサスペンスが加わり、読者をはらはらさせてくれる。
☆拙訳「マリー・アントワネット」(角川文庫)。画像をクリックするとアマゾンへいけます。
☆☆アントワネットはコンシェルジュリで初めて読書の面白さに目覚めるが、もっぱらノンフィクションの冒険ものばかり読んでいたようなので、ペロー童話には関心がなかっただろう。
☆新著「怖い絵」(朝日出版社)
☆☆アマゾンの読者評で、この本のグリューネヴァルトの章を読んで「泣いてしまいました」というのがありました。著者としては嬉しいことです♪
①ドガ「エトワール、または舞台の踊り子」
②ティントレット「受胎告知」
③ムンク「思春期」
④クノップフ「見捨てられた街」
⑤ブロンツィーノ「愛の寓意」
⑥ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」
⑦ルドン「キュクロプス」
⑧ボッティチェリ「ナスタジオ・デリ・オネスティの物語」
⑨ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」
⑩アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」
⑪ホルバイン「ヘンリー8世像」
⑫ベーコン「ベラスケス<教皇インノケンティウス10世像>による習作」
⑬ホガース「グラハム家の子どもたち」
⑭ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」
⑮グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」
⑯ジョルジョーネ「老婆の肖像」
⑰レーピン「イワン雷帝とその息子」
⑱コレッジョ「ガニュメデスの誘拐」
⑲ジェリコー「メデュース号の筏」
⑳ラ・トゥール「いかさま師」