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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「御垂訓」

2020-07-17 00:06:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

         講演集、 一

   「自然が見せてくれた実相」


以前の私は、ご多分に洩れず、皆様と同じように、
他力の信仰を求めていました。
ところが、信仰の話を聞かせてもらったり、
本を読ませてもらったりすると、これは間違っている、
正しくないとすぐに分かるものですから、
こんなものは駄目だということで、あらゆる宗教を探し求め、
どの組織にも入ることはなかったのです。
或る時S教の信仰がすばらしいと聞いて、電話長で探すと、
岸和田にあったので、
電話をして「入会はようしませんけど、
修行だけさせてもらえますか」と頼むと、
どうぞということだったので、
朝六時から行われている修行に何カ月か通いました。

そんな或る朝、
いつも通っている国道のポプラ並木が光っています。
後光がさして、その国道が何とも言えず美しく、
とてもこの世のものとは思えないほどで、
普段見慣れている道が大層きれいに見えたのです。
何と不思議な感じがするものだなあと思っていました。
心が本当に静まり返った時は、
万象万物が、覆われたものを取り外して、
実相を現わしてくれるのですね。心が調和された時には、
本当のものが見えて来るのです。
ふだん気付かなかった美しいものが見えて来るのです。
さらに与えていただいた環境に感謝することによって、
自然の声を聞くことができるようになります。
或る時は地球の回る自転の音を聞くこともできます。
目に見えない世界の方々との対話もできます。
これは誰にでも可能なことです。


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「御垂訓」

2020-07-16 00:24:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

         講演集、 一

      「八正道」について


お釈迦様は正しく見なさいとおっしゃいます。
人間が幸せになる方法の一つとして、
まず物事を「正しく見なさい」「正しく思いなさい」
「正しく語りなさい」「正しく仕事をしなさい」
「正しく生きなさい」「正しく道に精進しなさい」
「正しく念じなさい」「正しく定に入りなさい」
この八つの正しい生き方を説かれました。
「八正道」ですね。これを日々の生活に生かせたら、
私達は幸せになれるのです。

●正しく見る
  正しくとはどういうことか、なかなか分かりません。
  自分を中心としてものを見ると、
  自己保護と、自我我欲の色眼鏡に振り回されますから、
  常に相手の立場に立って、
  自分中心の見方をしないこと、これが正しい見方です。
●正しく思う
  常に他を生かす愛の思い、これこそ正しい思い方です。
●正しく語る
  相手を思いやり、相手に安らぎと喜びを与える言葉や、
  その方が幸せになるよう、
  生きる勇気を与える言葉を語ることです。
●正しく仕事する
  私達は一人では生きられません。
  この社会の数え切れない多くの人々の恩恵を受けて、
  生きさせてもらっています。
  このいただいた恩恵のご恩返しの行為こそ正しい仕事で、
  金もうけが正しい仕事とは
  違うのです。

●正しく生きる
  常に自分を厳しく見つめて生きていくことです。
●正しく道に精進する
  これはまず家庭の調和を築かなくてはいけません。
  両親からいただいた無条件の愛、その愛に対して感謝し、
  ご恩返しを行うことです。
  これを忘れては、幸せになれません。夫婦が喧嘩ばかりしていて、
  神様に夫婦仲良くさせて下さいといくら拝んでも駄目です。
  家庭の調和に為には、子供に片寄った愛情を持ってはいけません。
  子はわがものではなく、神様から預からせてもらったものです。
  肉体を分け与えたと思ったら間違いです。
  魂は皆独立した立派な人格者ですから、
  神様から預かった子と思って豊かな愛情をもって育てて欲しいですね。
  そして自分が幸せになったら又他の人にもその幸せを分け与えていく
  これが正しく道に精進するということです。

●正しく念じる
  常にしっかりした目的を持って、
  そこに心を向けることが正しく念じることです。
●正しく定に入る
  「定に入る」とは死ぬことではなくて、
  常に反省して安らぎと感謝のひとときを持たせてもらうことです。
  今日一日を反省し、
  間違ったことがあったら悔い改めて二度と再び繰り返さないことを
  誓って、
  そのあとで感謝と安らぎのひとときを持たせてもらうことです。
  このようにすれば必ず幸せが来ます。


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「御垂訓」

2020-07-15 00:11:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

           講演集、 一

      「神の使徒としての決意」


お釈迦様は、弟子を布教に出される時、
「あなた達はあなたの赴くところの天と地と、
その地の多くの人々の幸福と利益の為に赴きなさい」
といって弟子を出されたのです。
私も頭は坊主ではありませんが、
お釈迦様の直弟子の一人としてどこへ行かせてもらいましても、
その地の天と地、
多くの皆さんの利益と幸福の為に少しでもお役に立てたら、
仏の弟子として自分の使命が果たせるのではないかと思って、
あちこちに行かせてもらっています。

次にお話するのは、人のあるべき行いについて、
或る光の大指導霊(シルバーバーチ)の
言霊です。私達の心掛けるべき言葉だと思います。
「自分自身の日々の生活の中で数多くの体験から、私は大人の霊、
つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと。
決意しました。
真理をできるだけ分かり易く説いてみよう、
常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい、
そうすることによって私がなるほど神の使者であるということを
身をもって証明しよう、そう決心したのです。

同時に私は過去世の姓名は絶対に明かさないという
重荷を自ら背負いました。
仰々しい名前や称号や地位や名声を捨て、説教の内容と、
私の思いと、行いだけで勝負しようと決心したのです。
結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何者でもないと
いうことです。
私が誰であるかということが一体何の意味があるのでしょう。
私がどのような程度の霊であるかは私のやっていることで
判断して下さい。
私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、
暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、
それだけで私は幸せなのです」
高い高い光の霊が、
こんな風にして私達人間の生き方を思って下さるということですね。
よく「私の過去はお釈迦様である」とか
「私の過去はイエス・キリストである」とか
言われる方がありますね。

ほんとうの高い意識の霊魂は自分の名称を明かされることなく、
ただ説かれるもの、また霊的現象としてあらわれる現証の中に
神の子としての証をされます。行いをもって証をされるのですね。
私達も皆神の子です。神の子として自分の行いを行じた時、
みんな神の子として証ができるわけです。
先程の決意の言葉を福山の会場で話していました間に、
いろいろ病気を持った方が、その話を聞くだけで治っていかれました。


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「御垂訓」

2020-07-14 03:39:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

           講演集、 一

      「黄金の光と金粉の現象」


こんな話をしても余り信じていただけませんが、
先日香川県へ行きまして、
その時も殆ど夜も寝ずに三、四日四国を回って来たのです。
車を運転して下さった方が
「先生こんな大変な悪霊をあちこち救ったりして、
お疲れになりませんか」と言われましたが、私達は、
自分という我があった時に疲れます。
しかし、ただ人々が、また迷える霊が救われてくれ、
喜んでくれたら、
自ら何の求めることなしに行動を起こしました時、
これは神の使いです。
そして神のお使いとして肉体を持った者が行動を起こした時、
その人は光につつまれています。

香川県から徳島県へ抜ける峠の山道に入って行きました時、
私は助手席に坐っていましたから、左側の山肌を見ていていました。
すると車の黄色いランプで照らしたように山肌が光って見えましたから、
後ろからトラックが来るのだろうかと何回も後ろを見たのですが、
何も来ていません。
そして山肌がず―っと光るのを見ていました。
その後帰って来てから、運転してくれた人と、
もう一人いっしょに行った人と三人が会った時に、
「先生あの時パアーッと前の方が光に包まれていたのを
知っておられましたか」と言われますので、
「あの峠に入る時でしょう。
あの時は後ろからダンプガーが来るのかと、
何回も後ろを見ていたのですよ」と話したのです。
運転する人はずっと前のほうを見ていて前方が光ってきたので、
何度か後方を確認したと言い、
そして後の右側の席に坐っていたもう一人の方は、
崖ふちに付けられたガードレールが普通は白いのに、
黄色に見えるので、
黄が塗ってあるのかと思って見ていたというのです。

つまり車の周囲が全部黄金の光に包まれていたのですね。
三人が三人とも各方向を見ていて黄金の光に包まれたのを見たわけです。
しかも、肉体を持った者の目で見るというような現象も見せてもらいます。
寄せてもらう場所によりましたら、会場にたくさんの金粉が出て来ます。
山口の婦人会でお話をさせてもらいました時もたくさんの金が
出て来ましたが、
ああいう現象も、肉体を持った人間、私のような者ですが、
神の使いとしてその行いが間違いないと自然が認めた場合に、
そういう不思議なことを自然が示して下さいます。
今日この会場におられる長門のAさんの例ですが、この方は半年ほど入院しておられて
とうとう医者から見放されて、自宅で療養して下さいと家に返されたのですね。

たまたま大阪にお姉さんがおられたご縁で、
山口県の長門から弟さんが車に乗せてわざわざ連れて来られたのです。
その時は本当に車椅子がなかったら動けないという状態でした。
お姉さんのお宅で初めてお目にかかった時に、
「どうにか立てますか」と言って手で支えましても、もう一歩も動けません。
また右手も指が動かなくて、左手で字を書く練習をしているということでした。
それが治療をさせてもらいましたところ、ぼちぼちと歩かれたのです。
「手を見ましょう」と言って見ますと、手も動いたのです。
紙と鉛筆で上手に字を書かれました。

「お上手な字ですね」と言ったのですが、
初めてお会いしたその方の周囲に金粉がいっぱい出て来ました。
今日も長門から来ておられますが、今はもうピンピンとして元気にしておられます。
その後も山口県と大阪と離れていて、そのAさんに「どうか光を当てて下さいと祈って下さい。
私も同時に祈りますから」と言いまして祈らせてもらいますと、顔中がピカピカに
なる程何回も金粉が出て来たということでした。
全く動けず、現代の医学では見放されてしまったAさんが、何もしないのに、
手も触れないのに治っていただくという事実は、普通では信じられないことです。

≪Aさんが皆の前に出て来られて、先生が実験をされました。
合掌をして坐られたAさんに向かって先生がお祈りの言葉を述べられると、
暫くしてAさんの額の辺りにキラキラ光る金粉が認められ、
一同不思議な現象を見せていただきました。≫




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「御垂訓」

2020-07-13 00:22:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「講演集」より ~

           講演集、 一

      「無我の境地、神の使途」


このようにお話させていただいて、
あちこちに寄せていただくのですが、
もう一睡もせず走り回っている時があります。
それでも何ら疲れないですね。
普通の常識で考えましたら、
とてもたまらないだろうなと思われるでしょうが、
しかし疲れも知らないこのエネルギーは自分が自らを、
自分の思いをすべて捨てて、待っていただいている方に、
たとえ一人でも二人でも安らいでいただけたら、
喜んでいただけたらというその思いが、
私のエネルギーになります。

「しんどいなあ」とか「もうあかん」という状態になることは
ありません。
仏教でよく「無我の境地」と言います。
お坊さんが坐禅をされて無我の境地に到達されたとか、
私は悟ったとか言います。それも一つの無我ですけど、
「自らの自我をなくした日々の生活」これが無我で、
私には私の自我は何もありません。
他の方から私の自我について質問を受けた時、
私は次のように答えます。
「私のすべては神のもの、私のすべては人々のもの、
私の時間は神のもの、そして私の時間は人々のもの、
このように祈らせてもらい、このように実践させてもらっています」と。
自分という我をなくしていまったら、
その生活の実践は神の御心のままに為したことです。


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「御垂訓」

2020-07-12 00:23:00 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師のご著書「講演集」より ~

              講演集、 一

            「喜びの現証」


小学校五年生の男の子ですが、
牛乳瓶の底のような物凄い度の強い眼鏡をかけているのです。
視力は検査表の一番上のあの大きなのが、
0.一ですか、その字が見えないのです。
ですから自分の履物さえ眼鏡がなかったら履けないのですね。
勿論階段などあったら大変です。
眼鏡がなかたらお尻で這って下りなければならない、
そういう子が来られまして、
「どうか安らぎをお与え下さい」と祈りますと、
瞬間に眼鏡が要らなくなりました。

帰り際にお母さんが泣いて喜んでおられましたけれど、
その子は元気に外に遊びに行っておりました。
これも一つの現証です。
全部そんなにうまいことはいきませんよ。
その縁によって、そういう奇蹟を現わしてもらうことがあります。
四国の方で、
24歳のものが言えない方が突然に耳が聞こえて
ものを言われるようになりました。
これも現証だと思います。
ものが言えませんし、
耳も聞こえませんから聾唖学校に通っていたのですが、
全く聞こえなかったその方に、私の前に坐ってもらって
「どうか光をお与えください」と祈りました時、
突然聞こえてきたのです。

「聞こえます、聞こえます」と言われたので、
皆さんびっくりしていただきましてね。
こういうことも絶えず見せていただきます。
今私の所に来てくれているSさんのお父さんが
下半身無力症というのか、全身動かなくて、
指一本動かすことが出来なかったのですが、祈りますと、
その晩から足が動くようになり、
三日目には松葉杖も持たずに歩いて来られて
「先生歩けるようになりました」と言われました。
これなども奇蹟と思います。
これらは見えない世界からのものであって、私の力ではありません。
私以外の神の力が働いて下さって、
信じられないような奇蹟を現わしていただけるのです。


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「御垂訓」

2020-07-11 00:34:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

講演集、 一

「現象・理証・文証」


なぜそんなことが起こるのかと言いますと、
法に従って生活し、感謝と安らぎの中にいますと、
この世の学問とか常識を超えた世界が現実に現れて来るのです。
これは正しい生活、安らぎの中に現れて来る現象で、
その場に坐っておられた方は皆さん共に体験されておりますね。
自分一人だけではないのです。
おとなしい方は身震いしたと言われ、
また或る方は私の胸の中から鳴って来たと言われ
人によっては、絶えず頭痛のしている方は痛い所に響いて、
それ以後頭痛が消えてしまったなど、いろいろとおしゃっています。
このような現証は別にとらわれることはないのですけど、
正しい教えと言いますのは、それを行じた時、
必ず現証が自然とついて回るのだそうです。

正しい生活の副産物ですね。
そしてそれは理論的に証明できます。
正しい教えには、現象・理証・文証がついて回るそうです。
私は字を書くことは下手で、
文証はとても駄目であろうと思っておりますと、
このお話会のテープをちゃんと文字に起こして、
今日までの分のコピーを送っていただきました。
皆さんも非常に喜んでおられます。
この間も或る方が、このコピーしたものを読まれて
「何か知らないけれど泣けて泣けて、
涙を流して読ませていただきました」と喜んでおられました。
そのように文証も、私は十分書けなくても又縁をもってこうして
文字に表していただけるのですね。



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「御垂訓」

2020-07-10 00:37:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

            講演集、 一

      「反省会場に起こった現証」


先日来、とても不思議なことが起こっています。
反省のあとに禅定、感謝と安らぎの時間を持たせてもらっています。
その時、
その場にいた皆さんは聞いておられるのですが、
何もない空間から声が聞こえて来るのです。
しかも地球上の言葉とは違う男の方の厳かな声で話をされるのです。
勿論日本語とは違います。
英語ならばこれは英語やなとか、これは中国語やなあ、
インド語やなあぐらいは私も分かります。
しかし全然耳になじみのない言葉がずっと響くのです。
そういうことがこの間から三回程ありました。

そしておとといの晩でしたか、
禅定の一番最後に「神よ、どうぞこの場に集う方に光をお与え下さい、
すべての方々に調和と安らぎをお与え下さい」
と言って祈ることばを唱えました時、
テレビでUFOが飛んで来た時に
ああいう音を流していますけれど突然ギィーという音が
鳴り響いてきました。
そして一瞬、不思議なことですがそういう音が響いて来ますと、
私の合掌していた手の形が自然に開いたり、
ものを受ける形になったりして、
それにつれての音の響きが自然に変わるのです。
皆さんの頭の中が一瞬しびれる程の大きな音が鳴り響いて、
その後、「ありがとうございました」と言いましたら、
音はパッと止まりました。
こんな不思議な現象もちょいちょい起きております。


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「御垂訓」

2020-07-08 00:19:49 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

          講演集、 一

      「毎日の反省会」


私は今日のように外に出ました時はお休みですけれど、
家に居ります時は、夕方六時十五分から約一時間、
今で五年になるのですが、
この一時間は反省と祈りの時間として持っているのです。
最初は今助手をしてくれている二人の人達に
「あなた達の心の掃除をしましょう」と言って、
二人の人を相手に始めたのです。
毎晩一時間坐りましょう、
これは私の心に問いかけますからあなた達も
自分の心に問いかけて下さい、
過ちがあれば明日の生活に正して下さい、
ということで始めました。

●今日一日、腹を立てることはなかったか。
●愚痴を言う事はなかったか。
●両親の恩を感じ、
   その恩に対して万分の一でもお返しができたか。
●人々に心から慈悲を、愛を与えたか。
●人の命は明日の保証のある者は一人もいない、
 その時が来て後悔のないような 今日一日を過ごしたか。
●明日に家族の人に死がおとずれても、
 後悔のないように接することができたか。

このように項目をつくりまして、言わせてもらうのです。
そのあと静かに安らぎの時間を持っております。
だんだんと人が増えてきまして、
この頃では多い時で四十名近く来られますが、
大抵は二十人ぐらい毎晩おいでになっております。
しかし来ていただく方は用事があれば休まれますし、
今日はちょっと行って坐って来ようかという方は来て下さいますね。
私は一日も休みがありません。

特につらいのは、心の中に良くない思いを持ったり、
過ちを犯した時、自分が言わせてもらうのですから、
これは針の筵の上に坐っているよりも、もっと辛いです。
今日はしたくないなあ、止めたいなあと思っても、
人が来てくださったら止めるわけにはいきません。
私も凡夫ですから、「今日これがなければ楽だろうなあ」と
思う事もあります。

見方を変えたら、私は大変怠け者で常に過ちを犯し易い、
皆さんよりもたくさん過ちを犯して来た、
そんな私でもこうして毎晩自分の過去の過ちを悔い改めれば、
神はお許し下さるし、また未来の喜びを与えていただくことができます。
そんなことを繰り返しながら、もう五年が過ぎました。         


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「御垂訓」

2020-07-08 00:13:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の「講演集」より ~

           講演集、 一


先の続き・・・

やがてその人のお母さんが半年も経たないうちにリューマチが
進んで悪くなって、再度私の所に来られ、実は母のリューマチに
ついてその偉い先生のご指導を受けたということでした。
その偉い先生は「私が天上界に行って聞いて来てあげましょう」と
言って、この話は今から数年前の十月の出来事ですが、
「来年の二月十五日になったら最期だから精一杯尽くしなさい。
これは私が神のご託として聞いて来たから間違いない」と言われたと
いうのです。
これは大変なこと、十月から二月までならあと四カ月の命かと思って、
家に帰って来てお母さんを含めて皆が信じたわけですね。
信じたものだから一月の末頃になると、
完全に顔が死相をあらわしてきて、
もう死の寸前になっていたのです。
そして死ぬ前にもう一度私に会いたいので
顔を見せて欲しいと言う事で本人が来られたのです。
その後重ねて頼みに来られたので、私が行きましたところ、
「二月十五日に死ぬということなので、
その前に先生に一度お会いしたかったのです」と言われますから、
「そんな馬鹿なことは信じなさんな。
神様がそんな無慈悲はことをどうしておっしゃいますか。

信じたらあなたはほんとうに死にますよ。
人の命がいつまでなどと神様はそんなことは絶対におっしゃいません。
神は黙々としてその日までちゃんと私達を見守って下さいます。
本当の神様の御心は慈悲愛にあふれています」
そこで「私が神様にお願いしましょう」と言って、
その人に光を与えて戴きましたら、
今まで明らかに死相が出ていたものが、
瞬間にハッと生き返って来られました。
それから二年半経ちますけれど、
段々元気になって来ておられます。
言葉によって人は自分の命さえ落とす場合があります。

次の話は私の先生である高橋信次先生がよくおっしゃっていたものです。
人間は思うことぐらい自由にさせて欲しいということになるのですが、
その点についての一例です。
電車の中で一人の紳士が自分の前に坐っている美しい女性に目をやっている。
その紳士の心の内をこちらから見ていると、始めはああ美しい人がいるなあと
思っているが、その心がだんだんエスカレートして、この女の人を裸にしたら
どんなだろうと思うようになり、裸にするだけならまだいいのですけど、
自分の思いの中でみだらなことを思っている。

自由に思っている紳士の心の内がまる見えなのですが、いくら形、姿、恰好が
良くても、その思いができていなかったら、何にもならないということです。
卑しい思いを退けることですね。
今日の私は良い服を着せてもらっていますが、いつもはボロを纏っています。
私が日頃余り身を構わない面白い風をしているので、
「先生、これを着て下さい」と言って、いただいたのです。
いただけば着せていただかないわけにはいかないと思い、
今日は着て参りましたけれども、実は窮屈でしようがないのです。
いつもはほんとうに着のみ着のままの姿で生活させてもらっています。


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「御垂訓」

2020-07-07 00:21:09 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

           講演集、 一

    「思い」の力と「言霊」の力


想念、思いはものを造り出すのです。
まさに「思いはものを造る」といって、
人間の思いはものを造る力を持っています。
悪いことを思ったら必ず悪いことが起こってきますし
良いことを思えば良いことが起きる。
思いはエネルギーです。
常に建設的な安らかな思いに心を満たしていくことが大事ですね。
心配はしたらきりがないものです。
できるだけ正しく、
できるだけ過ちのない思いを常に描くようにすることです。

私の幼い頃の友達で、
恵まれた人だったから神も仏もないという考えの人がいました。
ところが、
肝硬変になって寝たり起きたりの生活をしておられました。
この人がお医者さんから肝臓が悪いと言われて、
お医者さんに病状をいろいろ尋ねるけれど、
余りはっきり教えてもらえない。
そこで心配して医学書を読みあさり、
更にお医者さんの勉強する本を借りて来て、
肝硬変について勉強を始めたのです。
初期、中期と経て末期症状になると、
手に持った箸がポトッと落ちると書いてある。
恐ろしいなあと思っているうちに、食事の時、
箸がポトッと落ちた。

それを「ああ私はもう末期だ、いよいよあかん」と思って、
お医者さんに箸が落ちたと話したところ、
「そんなことはない、あなたはそんなに悪くないですよ」と言われて、
その途端に病気が治ったというのです。
そんなもので、余計な心配で悪いように思ってくと、
実際に悪くなっていくもので、
非常に恐ろしいことです。
しかも、もっと恐ろしいのは人の言葉です。
言葉は「言霊」といって物凄い力を持っています。

ましてや信じた人の言葉は余計に強いものです。
私を信頼してくれていた或る方が、私より偉い方があると聞いて、
その先生の所へ掛かって行かれました。
私は全く自然のままに生きさせてもらっていますから、
私のほうに来ていただきましたら、
どなたが来て下さっても平等にお迎えします。
しかし去って行く人はあとを追って行きません。


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「御垂訓」

2020-07-06 00:13:25 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

           講演集、 一

        「心が主で肉体は従」


ある方から相談を受けました。
私は元来、餅肌のように白く綺麗な肌をしていましたが、
こんな蟇蛙のようにブツブツいぼのある体になっています。
O大学の皮膚科の偉い先生に診てもらいましたら、
これは目に見えない霊にとりつかれているのだから、
医者では治らないと言われました」というのです。
私もその背中を見せてもらいましたが、
何とも言えない不気味な感じです。
そこでいろいろと心の持ち方について話させてもらいました。
その方は「心を入れ変えます」と言われるので、
「では神様にお願いしてみましょう」と
祈らせてもらいましたところ見ている前で
すっかり綺麗になったのです。

こんなことを言いましても、「瞬間に消えたなんて、
そんな馬鹿な」と言って信じてもらえないでしょうが、
私もわざわざ嘘をつきにここに来ているわけではありません。
また、こういうこともありました。
二十四、五歳の耳の聞こえない女性の方が来られました。
生まれつきの難聴なのですが、
電話などとてもかけられなかったその方が、
やはり心の持ち方を変えて治療をさせてもらいますと、
その場で電話で話ができるようになったという
不思議な現象も現実に現わしてもらいます。
それは心の在り方を変えた時に、奇蹟が現れるのです。
今まで痛い痛いと言っていたのが消えるのは、
心というものがいかに大切かということを示しています。

心の持ち方や、自分の思うことぐらいでまさかと思われるでしょうが、
私達の肉体を支配している心が変な方向に向かっていたら、
肉体もまた変な方向に向かうのです。
心が主で肉体が従です。
皆さんにこの会場に来ていただいたのも、
大阪からこういう人が来ると聞いて、
心が納得してその日を待って下さったからこそ、
おいでいただけたわけです。
心で決めて集まって下さったからこそ、
今こうしてご縁がいただけたのですが、
もし「私はそんな話は聞きたくない」と心で決定を下したとしたら、
この場には来られません。



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「御垂訓」

2020-07-05 00:00:51 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の「講演集」より ~

              講演集、 一

            「反省の一例」


道場のほうに「反省させてください」
といって次々に訪ねて来られます。
最初はどなたも皆「私は何も間違いをしていませんが、
なぜこんなに苦しい目にあうのでしょうか」と言われます。
「幼い時から一度ふり返ってみて下さい」と言って、
反省をしてもらいます。一日や二日ではなかなか出て来ません。
ずっと続けて反省されますと、あるお方の場合は小学校低学年の頃に
お母さんの財布から十円盗んで、
それでお菓子を買たことを思い出されたのですね。
こんなことは反省をしなかったら、
全く記憶の底に沈んでいるものです。

そして、その部分について深く掘り下げて行ったのです。
なぜそういう行為をしたか、なぜ十円盗んだか、
その時にお母さんがどんな思いをされたか、
十円盗んだことをお母さんは知らないでおられたか、
もし知っておられたらどんな思いをされたか、
それらをよく考えて下さいと言って、
その方は翌朝までそのこと一つに
絞って反省をされたのです。
そうしますと、
お母さんはわが子のことはどんなことでも知っていて下さいます。
子供は隠してしたことであってもお見通しです。

お母さんが、わが子の十円盗んだ行為について思うことは、
「今ここで注意をすべきか、或いはお父さんに話すべきか、
このまま放っておいたら又繰り返すのではないだろか、
家でお金をきちんと片付けたら、
今度は他所のお金に手をつけはしないだろうか」ということです。
ましてや終戦間もない頃で、
お母さんは買い出しをしておられたそうですが、
その買い出しの大事な十円だということに
この方は気付かれたのですね。
反省しておられる部屋に私が入ろうとしましたら、
その方は大きい声をあげて泣き叫んでおられたのです。
その泣き方はまるで幼い子の泣き叫び方をして泣いておられました。

それでもう少し泣いてもらおうと思ってそのままにして、
私は部屋の外に出まして、
その後、もうこれくらいで自分の過ちに気付かれたのだからと思って、
「どうかこの方の罪をお許し下さい。
この方は今自分の心に目覚められました。
この方の過去をお許し下さい」と祈りますと、
泣き声はピタッと止まりました。
私が部屋のなかに入って行きますと、
「お母ちゃん堪忍してや、堪忍してや」と全く幼い子のように
繰り返していました。自然にこういう文句が出てしまうのです。

この方は十五、六年来、腰から下が筋無力症で全く動けなくて、
松葉杖で歩いていても足を交互に振り出すようにして歩いておられました。
その足が動きだして、全く健常者とはいきませんが歩けるようになったのですね。
反省をさせていただくことによって、現代医学ではどうすることもできなかった
下半身不随の筋無力症の病気が治ってしまったのです。
自分の中にそんな心の原因があったとは、
まさかその方も思いもかけなかったでしょう。
しかし「反省」によってこんな不思議な例も見せていただけます。
私も幼い頃を反省して泣き懺悔をさせてもらいましたが、
本当に反省をさせてもらいますと、涙が滝のようになって出て来ます。
そして鼻水も出て来ますけど、鼻水も涙も拭う間もありませんね。
私達の心の中に知らずに曇ってしまったスモッグを、反省することによって
晴らすことができるのです。
反省は、お釈迦様が私達を心の苦しみから救う為にお説き下さった心を磨く
一つの方法です。


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「御垂訓」

2020-07-04 00:16:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「講演集」より ~

            講演集、 一

      反省の体験


私は十年前、
山の中で四日間程坐って反省をさせてもらいました。
「お母さんと自分」について反省をさせてもらいました。
ずっと幼い時から振り返ってみますと、
お母さんにはいろんな恩恵をいただいております。
しかしそれに対して私がどれだけのお返しをできたか、
いただいたお母さんの無償の愛に対して、
その万分の一のお返しもできていません。
それどころか、心配をかけたり、
嘘を言ったり、けがをしてお世話をかけたり、
病気の時にはずっとわが子に付き添ってくれた、
そういうお母さんに対して自分が幼い時からしてきたことを
振り返ってみますと、もう、申し訳なくて、
羽があれば今すぐ飛んで帰ってでもすぐにお詫びをしたい、
という心に目覚めてきたのです。

親からいただいたご恩というのはどれ程お返ししても
お返ししきれないものですね。
しかしそれを当たり前のように思っていました。
感謝することも知りません。
そのお母さんに対してせめて万分の一のお返しでも
させていただかなくてはいけないという心に目覚めてきたのです。
これが反省の功徳ですね。
そして山から降りてたまらなくなりまして、
お母さんに電話をかけました。
私もその時は子供が大きくなっておりましたから、
おばあちゃんと呼んでいましたが、
幼い時の記憶に戻って反省をさせてもらいますと、
自分の心がふっと幼い子のようになっていました。

電話をしますと、幸いおばあちゃんが出てくれたのですが、
幼い頃私達は「おかちゃん」と呼んでいましたので、
それでおばあちゃんの声が電話に聞こえて来ますと
「おかちゃん堪忍してや、堪忍してや、とても申し訳ないことでした」
と泣いてお詫びをしたのです。
自分では、
そういう反省をさせてもらうまでは全く気付かないでいたのです。
反省を通してお母さんだけではないですね。
夫婦の場合もそうです。子供に対してもそうです。
その至らない、できていない自分に目覚めるのです。
そして今度はその償いのために善を行っていけば、
それは必ず幸せにつながっていきます。

「家内と私」についても反省させてもらって、
目覚めました時には、もう二時間ぐらい泣き続けました。
ちょうど三月頃で、パッチ二枚とジャージのズボンを穿いておりましたが、
目を開きますと、目に最初に入った二本のものがあり、
これは何だろうかと思いますと、鼻水が切れないで繋がって垂れていたのです。
涙と、その鼻水とでズボンもパッチ二枚も濡れて、
座布団までボトボトになっておりました。
反省というのは、深く入りますと、自分の過ちの深さに目覚めた時に、
涙と鼻水でグチャグチャになってしまうものです。
そのような反省の涙は、自分の魂の汚れを流してくれる法の雨です。
常に反省し反省させてもらうのです。


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「御垂訓」

2020-07-03 00:20:58 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 ~ 恩師の「講演集」より ~

          講演集、 一

   「自然界さえ証明してくれる――例Ⅲ」


こういうこともありました。
これは大阪の柏原市という所に行って
お話をさせてもらった時のことです。
チューリップの固い蕾の細長いのを十五、六本
生けていただいておりました。
「まあ綺麗なチューリップを生けて戴いたのですね」
と坐らせていただいたのです。
私は近くの場所にお話しに行きます時は、
自宅からウイスキーの瓶を持って行きます。
その空瓶には「あなたさまの愛を恵まれない不幸な方にどうぞ。
私も実践しております」と書いて貼ってあるのですが、
五円、十円、一円或いは千円と思いのままに入れて下さっている瓶で、
そのままさげて出掛けます。
お話の受付の所に置いておきますと、
会場の皆さんが又思い思いに入れて下さいます。
私自身はびた一文いただきません。
一杯になりますと、福祉施設とか身寄りのないお年寄りや赤ちゃんの
世話をしていただいている施設に寄付させてもらうのです。

幸い大きな瓶二本が一杯になりましたから、
これをその市の福祉の方に使ってもらって下さいといって
預けたのですね。
その時にもしも神様がいて下さったら、
その神様は私達に何をしてもらったら一番喜んでいただけるでしょうか。
本当の神様は私達よりもまだ恵まれない不幸な人の為に、
お金や物を用立てさせてもらった時、「よくしてくれました。
私はその思いでいっぱいだけれど、それを形に表すことができない。
私の心をあなたはよくやってくれた」
と言って受け取って下さいますと説明しておりますと、
今まで固い細長いチューリップの蕾だったのが、
一斉に全部開きました。
「皆さん見て下さい。私が話をさせてもらいますと、
こんな植物も私の話が間違いないということを証明してくれます」
ほんとうに全部の蕾が一斉にパッと開いたのです。
そしてチューリップの茎というのは、
皆さんもご存じのように生けると首が重たい為に皆曲がっています。

それが見ている間に全部スーッと立ちあがって、
しかも一本だけはこういう形だったというのを示して曲がっていました。
あとは全部ピンと立ち上がりました。
そういう不思議なことを現象として見せていただくことがよくあります。
自然の法の中に生活しました時、自然界さえ変えるといいますか、
普通の現象界では考えられないような不思議なことを見せてもらいます。
それは何も難しいことではなく、山に入って厳しい行をしたり、
護摩を焚いたりというそんなものはいっさい要りません。
日々の生活の中で安らかな調和された気持ちで正しい法の中に
生きる――簡単なことです。
あとから実験してみて戴きますが、
胃の下がっているのも一度に治ります。
これは医学では考えられないことですし、
医学では決して治らないことです。


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