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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「垂訓」

2025-02-21 23:51:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

◆お写真はイスラエスのガリラヤ湖を背景にカメラを

 構えられている恩師「長尾弘」先生です。

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

      正しく見る


先の続き・・・

その自己保存によって、

怒り・妬み・謗り・愚痴あるいは貪欲、
いくらあっても欲しい欲しいという、

足ることを知らない思い、
そういうものによって心がその時その時に

煮えくりかえってはいけません。
水が古くなって腐って真っ青になってしまえば、

これも顔が映りませんし、
水草が生えたり水ゴケが上をいっぱい

覆ってしまっても顔は映りません。
心もそのように、

私たちが疑心暗鬼にとらわれた時には、
もうとても正しく見られません。
「あの人、あんなん言うてんの違うか、

こんなん言うてんの違うか」と、
言ってもないことを言っていると、

自分で決めてしまって、
正しく見られないのです。


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「垂訓」

2025-02-21 00:09:11 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

◆お写真はインドの霊鷲山にてその昔、お釈迦様が

 瞑想禅定されたと言われている正にその場所で

 恩師「長尾弘」先生も瞑想禅定をされています。

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

      正しく見る


先の続き・・・

煮えくりかえるのは、
ちょうど器に水を入れてガスにかけて

グラグラ煮えくるかえるのと同じような状態です。
器に水を入れて、そっと置いてのぞきましたら、
自分の顔もきれいに映りますけれど、

グラグラ煮えくりかえったらもうとても見えません。
心もそれと同じような状態なのです。
怒り・愚痴、これはもう不足の心から出ます。
では、不足はどこから出るのかといいますと、

やっぱり自己保存からです。


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