~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 十九
先の続き・・・
「あなた達が最も尊いと尊敬をなさっているローマ法王のような格好を、
イエス様はご存命中に一回でもなさったと思いますか。
弟子は先生のように生きるのが、弟子としての姿です。
先生が着たこともないような立派な衣を着るのは弟子のとるべき
態度ではないはずです」「それもそうですね」と、いろいろお話して、
よく理解していただいたのです。
二回目、三回目と来られた時、
「主人も子供たちも是非先生にお目にかからせて
ほしいと言っています」とおっしゃるから
「あなたが想像されたような立派な格好をした人間ではないと、
ちゃんと伝えて下さいよ」とお願いしました。
「それは間違いないように言うておきます」。
次の時、「どんなふうに言うてくれましたか」と聞きますと、
「お百姓のおじちゃんが、
今肥えたごをおろして入ってきたような人だといっております」
「それなら間違いないでしょう」と言ったことがありますが、
キリスト教でも、イエス様がご苦労なさって、
命がけで人の命を救われた姿と、
今の教会の奥におられる牧師さんとか神父さんとかは、
とてもかけ離れた方が多いです。
イエス様のような方は一人もおられませんと言えば怒られますが、
そう言う方は砂の中からダイヤモンドを探し出すほどしかおられません。
お坊様も同じです。
お釈迦様のように生きておられる方はごく稀で、殆どありません。