ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ゲド戦記「ドラゴンフライ-アースシーの五つの物語」「アースシーの風」

2009年06月02日 | 読書

ハードカバーも持ってるけど、文庫を持ち歩きたくて岩波少年文庫を買ってしまった2冊。
最初に邦訳された当時はまず「アースシーの風」が出て、その後に「ゲド戦記外伝」という形で今の「アースシーの五つの物語」が出たのですが、タイトルまで変わったんですねー。
訳も、比較はしてませんが少し変わってるようですね。「カワウソ」の中でのアニエブの台詞が変わってるのに気がつきました。
アイリアンの名前も、トンボと訳されていたのにご自身でも違和感があったそうで、ドラゴンフライと変えられてました。確かに名前の中にドラゴンとフライがあることがアイリアンの存在を示唆しているので、トンボだと違う気がしてしまうでしょうが、女性の名前でドラゴンフライというのもちょっと違和感ある気もしますが。
本のタイトルも、「アースシーの五つの物語」だけでも良かったような気もしないでもないですが。
で、その元外伝、現在は「ドラゴンフライ-アースシーの五つの物語」の感想から。
まず「カワウソ」は、「帰還」で提示されだした、女性がなぜ魔法にかかわらなくなったのか、という原因の萌芽が現れるまでの物語で、まだ女性も魔法にかかわっていた時代の話。女性にも大きな力を持っている者がいたことが、アニエブやモエサシの存在からわかります。
女性だけでなく、カワウソが得意としたものさがしの術がその後ロークの長から外されたりと、次第にロークが変化して行ったことも示唆されています。
この話と、最後の「ドラゴンフライ」は特に、最終巻「アースシーの風」で書くことの前段階、準備のように感じるのですが(いやでも他の話も考えてみればそうだな)、「ドラゴンフライ」は先のことを考えて書いたわけではないとのことなので、このあたりの話を書きつつ、最終巻の構想を固めて行ったのかなあなんて思います。
初読時はアニエブのエピソードがとにかく強烈で印象に残ってました。今回もそうではあったんですが、今回はもう少し話の本質にちかづいて読めた・・・かな?
またしばらくしたら再読してみたいです。
「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」については初読時と印象かわらず。
「湿原にて」は、すっかり話を忘れていて、イリオスが実はゲドなのでは、とか思ってしまった(汗)考えてみたら顔に傷ないですよね・・・(汗)
ゲドが大賢人時代とか、もっと若い時でも、活躍する外伝みたいな話がもっとあってもいいのになあ、なんてちょっと思ってしまいました。
「ドラゴンフライ」は、これで読むのは3回目なんですが、ようやく話が飲み込めて来ました(汗)
外伝がハードカバーで出る前に、文庫のアンソロジーに入っているのを読んだことがあるのですが、その時は本当にちんぷんかんぷんで・・・(汗)特にロークの長が色々出てくるんだけど、誰が誰やらよくわからなかったんですよね(汗)
今回は、「さいはての島へ」や「帰還」の記憶も新たなうちに読んだので、やっと話が通じた気がします(汗)
アイリアンは、ロークの魔法使いの世界をぶち壊す存在だと思いますが、それが女性だというのが面白い・・・というか、だからこそ女性なのだろうと思いますが。
テハヌーもそうですが、「アースシーの風」で重要な人物に選ばれたハンノキも、物を修繕する力という、ロークでは軽視されている力の持ち主なところが、世界が壊されて変わって行く徴なんだろうなあと思いました。

で、最終巻「アースシーの風」です。
初読時にはゲドの出番がすごく少ないな・・・と思いましたが、今回読んだら少ないなりになかなか印象的で良かったな、と思いました。
しかし、相変わらずアレン=レバンネンの気持ちがよくわからないなあ・・・
セセラクのヴェールが、当時よく取り沙汰されていた、アフガン地方のブルカをもろに思わせるのはちょっと・・・ですが(汗)
ずっと世間の目を気にして縮こまって生きてきたテハヌーが、ドラゴンになることで自由に空を飛び回る姿はやはり感動的ですね。
テハヌーを思ってル・アルビから西の空を見るテナーとゲドの姿も。最後のシーンが二人のなんてことはない会話なのもいいなあと思います。
全体としては、「帰還」で消化不良気味だったドラゴンのこと、アースシーの魔法のこと、などが上手いこと収束されているなあと感じました。まあ、これからアースシーの魔法がどうなるかまでは書かれていませんが・・・
ところで、以前琥珀の望遠鏡を読んだ時に、死者たちの開放があまりにも「アースシーの風」と似ていたのでびっくりしたんですが、ライラの冒険シリーズの方が先なんですね。ル=グインはあのシリーズは知ってたんでしょうか?
「ライラ-」では死者の魂を閉じ込めていたのは宗教だった、と書いてしまったので教会から大顰蹙をかったようですが・・・
「ゲド」では、死者を閉じ込めてしまったのは「永遠に生きたい」と願う魔法のせいだったわけなので、違うと言えば違うのかもしれませんが、人間の思想?が作り上げたものだった、という点ではやはりかなり共通点を感じます。外に出たとたんに溶ける様に消滅して行くという点も、閉じ込められていることが死者たちにとって苦痛であるという点も。
初読時には、ドラゴンたちが西へ行ってしまうことで魔法も失われていく、というあたりにトールキンとの類似をすごく感じたのですが、今回はこっちの方が気になりました。

というわけでゲド戦記シリーズ再読終わりましたが、なんだかんだと間が少し空いたりしたので、まだシリーズ通しての感想にはならないなー。まあ、作品自体途中かなり間を空けて書かれていますが。
文庫も手に入ったことだし、またそのうちシリーズ通し読みしたいです。
やっぱりル=グインのファンタジーは面白いなあ。やっぱり今度「西のはての年代記」シリーズも読もう。

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