ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

デネソールとピピン

2005年09月10日 | 指輪物語&トールキン
昨日ファラミアのことを書いたらデネソールのことも書きたいかなーと思ったので書いてみます。本当は「デネソールのホビットへの優しさ」としようかと思ったんですが、ホビットっつってもピピンだけだなあ・・・と気がついたのでこのタイトルに(笑)
今日も基本的に原作の話ということで。
デネソールのピピンへの態度というのは、セオデンなどと比べると到底「優しい」と言えるような態度ではないですね。もちろんファラミアのような親切さもありません。
誇り高く、頭の回転も速いデネソールの態度からは、ピピンに対して気持ちが動いたかどうか、というのはあまり読み取れません。ガンダルフに、ピピンがボロミアのためにデネソールに奉公すると言った言葉はデネソールを感動させたのだ、と言われなければ、ピピンだけでなく読者もデネソールが感動したのだということはわからなかったと思います(笑)
それでも、よくよく考えてみると、デネソールが小さなホビットの奉公を受け入れたこと自体、デネソールがピピンに心を動かされた証拠でもありますよね。
まあ、原作のデネソールはまだこの時点では充分に正気だと思われるので、ガンダルフに対する人質のような意味合いもあったとは思いますが・・・実際、ピピンと話すことで多くのことをデネソールは読み取っています。
それでも、それだけではないなあと思えるのは、デネソールが次第に正気を失って行く過程でのピピンへの態度です。
ピピンを利用する用がなくなったら、この小さなホビットのことなど放って無視しても良かったかもしれません。
それでも、デネソールはピピンをそばに置き、時には会話をし、最後にはちゃんと奉公を解き、どこでも好きなところで死ぬが良い、と言います。最後までちゃんとピピンの存在を認識していたのですよね。
最後まで認識していたからと言って、いきなり「デネソールはホビットに優しい」と言ってしまうのは強引かもしれませんが・・・(汗)それでも、デネソールがピピンをそばに置いたことには、どこかホビットにそばにいて欲しいと思っていたのではないかな、なんて思ってしまうのです。セオデンがメリーをそばに置いたように。
そういう意味では、映画のセオデンなんかよりははるかにホビットに優しいと思うんですけど・・・映画のセオデンは本当に単にホビットにちょっと親切なだけで、ホビットへの思いいれとか全然なさそうですからね・・・
映画のデネソールのピピンへの態度は、私の解釈を拡大したような形になっていたので、実は結構好感度高かったりしました。
映画のデネソールは、ピピンに忠誠を誓わせて面白がっていましたし、原作では歌わせなかったけれど、本当に歌わせていたりしました。
原作のデネソールも、ピピンを面白がったりとか、そういう面もあったんじゃないかなあと思います。映画ほど露骨ではないにしろ・・・
実は映画のデネソールが、ピピンをラス・ディネンから引きずって連れ出す場面が結構好きな私です。何も自分で引きずらなくてもいいのに・・・そのあたりにピピンへの愛着?を感じたりして、なんだかデネソールがかわいく思えてしまうのでした。
「どこでも好きなところで死ぬが良い」という言葉、原作でも映画でも出てきますが、これも絶望したデネソールなりの思いやりを感じるのですが。「皆死ぬ」としか思えないデネソールにとっては、「好きなところで死ぬが良い」というのは最も相手を思いやった言葉でもあるように思います。
「奉公を解く」というのも、他の従者には言ってませんですから、やっぱりピピンのことを特別に認識していたということですよね。(映画ではいきなり皆に「逃げよ」とか言ってましたけど・・・(汗))
とまあそんなわけで、デネソールにはピピンへの優しさがある、と思うのもあり、結構デネソールが好きな私なのでした。
時々、ピピンとメリーが逆の立場になっていたらどうなってたかなあ、なんて想像してみるのですが、パランティアを覗くのはピピンしかあり得ないので、逆というのはあり得ないんですよね(笑)
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