ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

物語の終わり

2003年08月08日 | 旧指輪日記
今更なんですが(汗)昨日3回目の原作読書終了しました。思えば昨年11月くらいから読んでたんですが、途中色々と邪魔が入りまして(汗)こんなに長くかかってしまいました。なんか読んでる間にFotRのSEEが発売され、TTTの公開もすっかり終わってしまったんだなあと思うと、ホント長いことかかってたんだなーと実感します(汗)
さすがに初めて読んだ時の衝撃と脱力感はないですが、やはり灰色港のあたりは読んでいて胸が苦しくなりますね。今回、フロドが灰色港に向かう途中に歌っていた歌の「隠された道」というのがアマンに向かう道のことなのだと初めて気が付きました。というか、詩をじっくり読むようになったのは今回の3回目からなんですが(汗)
それから、フロドがサムに預言する場面を読んでいて、フロドがもう中つ国の現世?の存在ではなくなっているんだなあ、ということに初めて思い当たったりもしました。
それにしても、灰色港での別れを読むとどうして悲しいんだろう、とふと思いました。物語が終わってしまって会えないのは、明るく別れて行ったギムリとレゴラスや、木の鬚や、アラゴルンだって同じなのに。アラゴルンもメリーもピピンも、大往生とは言えいずれ死んでしまうのに。どうしてこの物語の最後のこの別れをこんなに悲しく感じるのでしょうか。フロドが、ガンダルフが中つ国を去ってしまうことがこんなに悲しいのでしょうか。
はっきりした答えは出ませんが、多分、読んでいるうちにいつのまにか自分も中つ国の第三紀の終わりの、彼らと同じ時間に生きているような気持ちになってしまっているからかもしれませんね。他の物語を読んだ時にも同じことが言えるのでしょうけれど。
さて、来年春にはPJ映画でこの「物語の終わり」を再び経験することになります。灰色港を去って行く船の姿を実際に映像で見てしまったらどんな気持ちになるのでしょうか・・・

コメント
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