メチャクチャ進みの遅い原作読書ですが、昨日ようやく指輪棄却されました(汗)
まず、サムがゴクリを殺すことができなかったシーンで、サムがゴクリをおぼろげに理解することができたシーンの文章にハッとしました。「指輪のとりことなり、もうこの世では二度と安息を見出すことはできない」というこの文章に、後にフロドが中つ国を去らなければならなかった理由が既に書いてあったのですね。
同時に、ゴクリを理解しながらも、「言うべき言葉を持たなかった」ために、ゴクリに乱暴なことを言ってしまうサムにも胸を衝かれました。そう言えば、映画ではサムがゴクリに時折見せる優しさが全然描かれてないのですよね。辛くあたった後に「かわいそうだったかな」と思うところとか。少し残念です。
それから、滅びの亀裂でフロドが「指輪は私のものだ」と宣言するシーン、三度目にして初めて背筋がゾクっとしました。以前どなたかが(はいねさんだったのではないかと思いますが記憶が定かでないので(汗))映画のフロドがTTTで既に指輪に捉われている姿を見せてしまっているので、滅びの亀裂でのこのシーンに原作で受けたような衝撃は受けないだろう、とおっしゃっていたのですが、今回初めてその「衝撃」を感じました。うーん、確かに映画のフロドなら「あーやっぱり指輪に負けたか」くらいの感覚になってしまうかも・・・(汗)
そして、その後ゴクリが指輪を手にして喜ぶシーンが今までになく泣けてしまいました。今までになく、最後に指輪と一緒になれて良かったね、という気持ちになりました。映画のゴクリは原作よりもかわいくて可哀想に描かれているので、ゴクリに関してはこのシーンは期待してもいいかな、と思っています。
そして、滅びの山が噴火する中、周りの絶望的な状況にもかかわらず、フロドが解放されたことで喜びを感じるサム。後の方で出てくる、ファラミアがエオウィンに出会って、明日には世界が滅びるかもしれないというのに希望を感じずにはいられない、というシーンもそうなのですが、歴史の大きな流れよりも個人のささやかな幸せの方が大きいのだという、すごく新鮮な感動を受けます。このあたりが「指輪物語」のすごいところだなあ、と思います。そういう物語だからこそ、ホビットが主人公なのでしょうね。
まず、サムがゴクリを殺すことができなかったシーンで、サムがゴクリをおぼろげに理解することができたシーンの文章にハッとしました。「指輪のとりことなり、もうこの世では二度と安息を見出すことはできない」というこの文章に、後にフロドが中つ国を去らなければならなかった理由が既に書いてあったのですね。
同時に、ゴクリを理解しながらも、「言うべき言葉を持たなかった」ために、ゴクリに乱暴なことを言ってしまうサムにも胸を衝かれました。そう言えば、映画ではサムがゴクリに時折見せる優しさが全然描かれてないのですよね。辛くあたった後に「かわいそうだったかな」と思うところとか。少し残念です。
それから、滅びの亀裂でフロドが「指輪は私のものだ」と宣言するシーン、三度目にして初めて背筋がゾクっとしました。以前どなたかが(はいねさんだったのではないかと思いますが記憶が定かでないので(汗))映画のフロドがTTTで既に指輪に捉われている姿を見せてしまっているので、滅びの亀裂でのこのシーンに原作で受けたような衝撃は受けないだろう、とおっしゃっていたのですが、今回初めてその「衝撃」を感じました。うーん、確かに映画のフロドなら「あーやっぱり指輪に負けたか」くらいの感覚になってしまうかも・・・(汗)
そして、その後ゴクリが指輪を手にして喜ぶシーンが今までになく泣けてしまいました。今までになく、最後に指輪と一緒になれて良かったね、という気持ちになりました。映画のゴクリは原作よりもかわいくて可哀想に描かれているので、ゴクリに関してはこのシーンは期待してもいいかな、と思っています。
そして、滅びの山が噴火する中、周りの絶望的な状況にもかかわらず、フロドが解放されたことで喜びを感じるサム。後の方で出てくる、ファラミアがエオウィンに出会って、明日には世界が滅びるかもしれないというのに希望を感じずにはいられない、というシーンもそうなのですが、歴史の大きな流れよりも個人のささやかな幸せの方が大きいのだという、すごく新鮮な感動を受けます。このあたりが「指輪物語」のすごいところだなあ、と思います。そういう物語だからこそ、ホビットが主人公なのでしょうね。