唐突ですが、映画のセオデンについて語りたくなりました(笑)
原作のTTTで最も思い入れがあって、映画も楽しみにしていた人物がセオデンでした。セオデンが癒されるシーンはTTTでは1、2を争うくらい好きなシーンです。ガンダルフの導きで黄金館の外に出てローハンの平原を眺め、「ここはそう暗くはない」と自ら暗闇から抜け出し立ち上がるセオデン。美しい情景描写と共に、とても心に残る大好きなシーンです。
が、そのシーンが映画ではー(涙)「セオデンはサルマンに憑り付かれていた」なんて陳腐な表現になってしまって、ホント悲しかったですよ・・・。正気に返った後も、アラゴルンと比べて情けない王、みたいな描かれ方をしていて、涙を呑んでおりました。今でもヘルムに避難することを失策みたいに言われるのがどうも納得できないですね。他にどーしろっちゅーのでしょうか・・・
しかし、それにもかかわらず、映画のセオデンもいつのまにか大好きになってしまっていました(汗)バーナード・ヒルの名演による部分が大きいのはもちろんです。
原作のセオデンは、ガンダルフに癒されてすぐに暗闇から抜け出しました。が、映画のセオデンはとりあえずサルマンの呪縛から解かれただけで、まだ暗闇に捉われたままなのだと思うようになりました。そこから抜け出すには自分で立ち上がるしかないのです。エオウィンがアラゴルンに癒されただけでは暗闇から抜け出せなかったように・・・
だから、最後にアラゴルンと共に討って出た時、あの時点で映画のセオデンも原作と同じ地点に立ったのだと今は思っています。
それに、映画のセオデンが見せる苦悩はとても人間らしくて、私はとても共感します。「ゴンドールは来ない。我々は孤立無援だ」というところとか。そんなことを言っていたセオデンがその後ゴンドールを救うために立ち上がるのかと思うと泣けてしまいますー(汗)
そして、一番好きなシーンは、鎧をつけながらギャムリングに「余は何者であろうか」「よい王であろうか」と問いかけるシーンです。王が民を守らねばならないという責務をよくわかっていて、それがとてもできるとは思えないことへの苦悩・・・。ここが一番セオデンに感情移入してしまいます。
なんてことを考えていたら、TTTの映画が見たくなって来てしまう・・・(汗)見られない時に限ってこういうことを考えてしまう私って結構M?(大汗)
原作のTTTで最も思い入れがあって、映画も楽しみにしていた人物がセオデンでした。セオデンが癒されるシーンはTTTでは1、2を争うくらい好きなシーンです。ガンダルフの導きで黄金館の外に出てローハンの平原を眺め、「ここはそう暗くはない」と自ら暗闇から抜け出し立ち上がるセオデン。美しい情景描写と共に、とても心に残る大好きなシーンです。
が、そのシーンが映画ではー(涙)「セオデンはサルマンに憑り付かれていた」なんて陳腐な表現になってしまって、ホント悲しかったですよ・・・。正気に返った後も、アラゴルンと比べて情けない王、みたいな描かれ方をしていて、涙を呑んでおりました。今でもヘルムに避難することを失策みたいに言われるのがどうも納得できないですね。他にどーしろっちゅーのでしょうか・・・
しかし、それにもかかわらず、映画のセオデンもいつのまにか大好きになってしまっていました(汗)バーナード・ヒルの名演による部分が大きいのはもちろんです。
原作のセオデンは、ガンダルフに癒されてすぐに暗闇から抜け出しました。が、映画のセオデンはとりあえずサルマンの呪縛から解かれただけで、まだ暗闇に捉われたままなのだと思うようになりました。そこから抜け出すには自分で立ち上がるしかないのです。エオウィンがアラゴルンに癒されただけでは暗闇から抜け出せなかったように・・・
だから、最後にアラゴルンと共に討って出た時、あの時点で映画のセオデンも原作と同じ地点に立ったのだと今は思っています。
それに、映画のセオデンが見せる苦悩はとても人間らしくて、私はとても共感します。「ゴンドールは来ない。我々は孤立無援だ」というところとか。そんなことを言っていたセオデンがその後ゴンドールを救うために立ち上がるのかと思うと泣けてしまいますー(汗)
そして、一番好きなシーンは、鎧をつけながらギャムリングに「余は何者であろうか」「よい王であろうか」と問いかけるシーンです。王が民を守らねばならないという責務をよくわかっていて、それがとてもできるとは思えないことへの苦悩・・・。ここが一番セオデンに感情移入してしまいます。
なんてことを考えていたら、TTTの映画が見たくなって来てしまう・・・(汗)見られない時に限ってこういうことを考えてしまう私って結構M?(大汗)