今日、バスの中でTTTのサントラを聴いていたら、なんだか涙腺がゆるんで仕方なかったです。(汗)どの曲に、というわけじゃなくて、もう音聴いてるだけでじわーっと来てしまうというか・・・(汗)多分、今頃になって、ようやくこの映画を素直に感動して見ることができるようになったせいかな、と思いました。以下、13回目見た後の日記とかなり内容重複しますが、気にしないでいただけると幸いです(汗)
私が「指輪」が好きなのは、全編に暖かさ、思いやり、が溢れているところです。そして、通奏低音として流れる「悲しみ」も。
映画のTTTにも、原作や映画のFotRと同じように、暖かさ、思いやり、そして悲しみが感じられることを、最近やっと素直に見られるようになりました。
最初はショックだった「のんきで間抜けなエント」も、小さなものを愛する心優しい部分は原作と一緒だなあ、と思えるようになりました。サルマンが森を破壊していたことを知らず、初めて木々が伐られている姿を目の当たりにして怒りを爆発させる木の鬚の姿には、違和感を感じていた時でも思わず涙していたものでした。
それから、評判悪いエルフ軍の援軍も、私は結構好きなんですよね。ガラドリエルやエルロンド、ハルディアの「優しさ」を感じるし、この援軍のためにセオデンはゴンドールを救出に行く決意をするのかも、なんてことまで想像してしまって。
サムが原作と違うことについても、まだ違和感はあるんですが、あの映画のサムもまた、フロドのことを思っていることに違いはないんですよね。フロドも、原作に比べてあまりにももろいかもしれませんが、ゴクリにみせる優しさには胸を衝かれるものがあります。
ファラミアも、ギムリも、レゴラスも、アラゴルンも、メリーも、ピピンも、エルロンドも、ガラドリエルも、エオメルも、ハルディアも、そしてもちろんガンダルフも、暖かさと思いやりに満ちていると私には思えます。
そして、セオデンやエオウィン、グリマ、フロド、ゴクリ、ファラミア、エルロンド、ガラドリエル、アルウェンには「悲しみ」もひしひしと感じます。
原作を知らなければ、きっともっと早く、何の違和感もなく感動できていたんだろうな、と思います。そういう意味ではちょっと損したかな、という気もします。でも、映画のイメージに侵食されずに原作を読むことができたのもまた幸運だったかな、とも思いますが。
私が「指輪」が好きなのは、全編に暖かさ、思いやり、が溢れているところです。そして、通奏低音として流れる「悲しみ」も。
映画のTTTにも、原作や映画のFotRと同じように、暖かさ、思いやり、そして悲しみが感じられることを、最近やっと素直に見られるようになりました。
最初はショックだった「のんきで間抜けなエント」も、小さなものを愛する心優しい部分は原作と一緒だなあ、と思えるようになりました。サルマンが森を破壊していたことを知らず、初めて木々が伐られている姿を目の当たりにして怒りを爆発させる木の鬚の姿には、違和感を感じていた時でも思わず涙していたものでした。
それから、評判悪いエルフ軍の援軍も、私は結構好きなんですよね。ガラドリエルやエルロンド、ハルディアの「優しさ」を感じるし、この援軍のためにセオデンはゴンドールを救出に行く決意をするのかも、なんてことまで想像してしまって。
サムが原作と違うことについても、まだ違和感はあるんですが、あの映画のサムもまた、フロドのことを思っていることに違いはないんですよね。フロドも、原作に比べてあまりにももろいかもしれませんが、ゴクリにみせる優しさには胸を衝かれるものがあります。
ファラミアも、ギムリも、レゴラスも、アラゴルンも、メリーも、ピピンも、エルロンドも、ガラドリエルも、エオメルも、ハルディアも、そしてもちろんガンダルフも、暖かさと思いやりに満ちていると私には思えます。
そして、セオデンやエオウィン、グリマ、フロド、ゴクリ、ファラミア、エルロンド、ガラドリエル、アルウェンには「悲しみ」もひしひしと感じます。
原作を知らなければ、きっともっと早く、何の違和感もなく感動できていたんだろうな、と思います。そういう意味ではちょっと損したかな、という気もします。でも、映画のイメージに侵食されずに原作を読むことができたのもまた幸運だったかな、とも思いますが。