ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

映画のフロドのこと

2003年04月14日 | 旧指輪日記
昨日の続きなんですが、サムのことを考えてるうちに、映画のフロドのこともつかめて来たかなーと思ったので、書いてみます。なんか「今頃かいっ!」て感じですが(汗)
実は私はどうも原作のフロドにあまり思いいれがないので、(好きじゃないとかではなくて、よく理解できていない、というのが正しい・・・)映画のフロドにもあまり違和感がないというか、あれはあれでいいかも、と思っています。というか、映画のフロドもまた好きなのです。
映画のフロドは、原作のフロドよりもずっと「普通の」若者です。ただ優しくて善良な、普通のホビットなのです。その普通の若者が、自分の愛する世界を守るため、自らを犠牲にしてボロボロになりながら進む姿は胸に突き刺さります。
もう一つ、映画のフロドに顕著なのは、「皆の力を借りて進んで行く」という点かなあ、と思います。
映画のFotRでは、エルロンドの会議では旅の仲間たちが皆自分で名乗り出たことになっています。また、ラスト、フロドが一人でモルドールに行くことを決意したことを、アラゴルンもメリー、ピピンも知っていて、送り出してやったことになっています。
これらの変更は、フロドが仲間たちの気持ちに勇気を与えられて進んで行くのだ、ということを表していると思いました。特に最後のモルドール行きを皆が知っていた、という設定には最初は違和感がありましたが、そのうちにそれもいいなあ、と思うようになりました。アラゴルンが、メリーとピピンが見送り、ガンダルフの言葉を思い出し、そしてとどめにサムがついて来てくれたことで、フロドは進んで行く勇気を持てたのだなあ、と。
エルロンドの会議で、旅の仲間たちが一人一人名乗り出て行くシーンでのフロドの表情がすごく好きなんですが、このシーンも、アラゴルンに見送られるシーンも、フロドの表情から、仲間たちの思いに感動していることが見てとれると思うのです。
TTTでも、ファラミアが死罪になると言われながらも「解放しよう」と言った時に見せた表情、そして最後の「サムがいなければフロドはやって行けなかった」と言った時の表情に、フロドが、他の人たちの優しさ、思いやりに支えられているのだ、と自分でもよくわかっているのだということが窺えたように思いました。私はそんな映画のフロドも好きだなあ、と思うのです。もちろん、昨日書いた、サムに説得される?シーンには違和感はあるんですけど。

コメント
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