さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

シスター・海野さん

2023-01-16 15:24:39 | 海外旅行
ナギリアン道・日本人墓地「シスター海野常世(うんの・とこよ)さんの墓」
日本のマザー・テレサさんとも呼ばれるシスター・テレジア海野、(本名 海野常世さん)シスター海野さんは、昭和5年 東京豊島師範学校卒、大連・撫順で幼稚園園長。昭和17年 フランシスコ修道会に入会(洗礼名;テルジア)
昭和45年ローマ法王パウロ6世訪比時にフィリピンに派遣され、マニラ貧民街の姿に心を動かされ、ローマ修道会に修道女(シスター)として勤務することを願い出て、昭和47年に許可された。(61才)
バギオ方面の福祉施設に行く際、ベンゲット道路を走るバスの中で多くの日系2世が苦労している様子を耳にし、日系人探しを始めた。戦後日系人に対し、様々な迫害があり、日系である事を隠して暮らしていた。戦後間もなく、日系二世の子を持つ親の中には子供が日系である事がわかると、将来苦しむ事になると自爆した人もいたくらい。日系人としての地位を確立すべく北ルソン比日友好協会を設立し、さらに北ルソン比日基金で奨学金制度を設け学生達にも勉強する機会を作った。



◇アンブクラオ湖
アグノ川をせき止めてできたダム湖、フィリピン唯一の水力発電所
◇山下道
山下道とは、バギオを撤退した山下大将らがカガヤン河谷に向けて東進した道筋。この頃の第14方面軍の任務は、本土決戦態勢を構築する時間稼ぎとして、米軍をフィリピンにとどまらせることであった。カガヤン穀倉地帯を確保してうえで、北部ルソン島での持久戦を目指していた。

途中、フィリピン桜とも呼ばれるマドレカカオが咲いていた。
「山下道上り下りに 咲き見みゆるマドレカカオは藤色の花」
「別れ来し遠きふるさと偲びしかフィリピン桜は戦場に咲く」


イリサン鎮魂碑
イリサンは熊本編成・第23師団「旭」と、弘前編成・独立混成第58旅団「盟」を中心にバギオ防衛の最後の激闘が展開された地。道路脇に潜んで、米軍戦車に20K爆弾を身につけた11名の日本兵が特攻。肉攻隊が潜んだ横穴壕が残っている。
ナギリアン道が狭いため、米軍は残骸撤去に難航、1週間の足止めとなり、第14方面軍司令部は整然とバギオを離れ、開通した山下道を通りバンバンへ転進。
「軽戦車ここに特攻炎上す M四戦車を谷にほうりて」
「バギオへの敵を防ぎし勇士らの み魂(たま)は鎮まる谷の斜面(なぞえ)に」


トリニダットの「東地琢磨の墓」(兄の東地輝一の碑が東地琢磨の碑の上に重ねられている)
東地琢磨は日本人の父とフィリピン人の母の間に二世として生を受けた。その語学力を買われて憲兵隊の通訳になった。
戦後、所属したバヨンボン憲兵隊分駐所約20人の日本人はだれ一人罪に服することなく日本へ復員できた。が、東地琢磨ひとりだけ、山下将軍、太田大佐とともに処刑された。
「隊員の名前は一切出していません、ご安心下さい」と上司の松田分隊長に告げたそうである。23歳を目前にした青年は上司らに代わって命を絶たれた。

「人 その友のために おのれの生命をすつる
   これより大なる愛はなし」 (ヨハネ伝)



昼食(鳥肉料理)
左より
森 康一朗氏:静岡市、昭和史と昭和陸海軍の研究家
大西 啓義氏:東京都、経営コンサルタント、人間学、行動学研究家
向後 廣道氏;千葉県、元皇宮警察護衛部長、御陵研究家
一人(私)とんで
河野 義男氏:川崎市、大手住宅メーカー支店長、戦争の記録プロジェクト

■フィリピン
○フィリピン共和国の歴史
フィリピン史はスペイン植民地時代(1565年-1898年)、アメリカ合衆国植民地時代(1898年-1946年)、独立以後の時代(1946年-現在)に大別される。
○人口
2005年の人口は、87,857,473人。国連等の推計では、2020年には1億人を超え、2030年には1億1千万人、2040年には1億2千万人、2050年には1億2千7百万人になるとされる。
○言語
フィリピンは7110の島から成り、面積は日本とほぼ同じ。人種は100種、1972年10月以前は87種の言語。マルコス大統領の厳戒令のもと、マニラ語(タガログ語)を統一言語としたが、タガログ語は衰退言語、アメリカの植民地であったこともあり英語がかなり普及している。
○宗教
フィリピンは東南アジア唯一のキリスト教国。キリスト教はスペイン植民地時代に広まった。スペインが伝えたものは、ローマ・カトリックであった。そのため、今でも人々のほとんどが、ローマ・カトリックの信者である。キリスト教徒は、フィリピンの全人口の90%以上を占める。他には、イスラム教が南部を中心に5%、仏教などが3%。
○火山
1991(平成3)年2月に大爆発した雲仙・普賢岳とピナツボ火山はフィリピンプレートの上にあり、地下のパイプが繋がっている。ピナツボ火山の噴火を地元住民は予想していたが、1991年6月のような大噴火になるとは考えていなかった。
大噴火は米軍のクラーク基地(B52爆撃機)、スービック基地(第7艦隊)を直撃、以前からアキノ政権から基地返還要請もあって、撤退を決断。基地経済で潤っていた両地区の経済は崩壊状態。
○消費税
フィリピンの消費税は12%、しかし、納税意識が低く、集まらない。
○国民の気質
「今が楽しければよい」過去・将来を考えない。中国人、韓国人と大きな違い。
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