さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

五浦温泉

2011-01-16 18:22:58 | 温泉紹介
□五浦観光ホテル本館、別館大観荘
風光明媚な五浦海岸には数軒の宿や民宿がある。今回は五浦観光ホテルにて昼食付き日帰りの温泉を楽しみました。五浦観光ホテルには本館と少し離れた場所に別館の大観荘があり、本館の露天風呂から眺める五浦海岸の景色は素晴らしかった。
泉質  ナトリウム・カルシウム塩化物泉
泉温  本館76.8度、別館 大観荘71.0度
効能  腰痛・リューマチ・火傷・皮膚病
所在地 茨城県北茨城市大津町722
    電話 0293-46-1221
交通  自宅より車90分、 常磐自動車道北茨城I.C.から11km、車30分
営業時間(日帰り入浴)11時~19時
料金  入浴700円(食事をすれば500円)

□五浦(いつうら)の歴史
岡倉天心が明治39年に橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山など、弟子を呼び寄せて日本美術院を五浦海岸に移した。横山大観画伯が好んで描いた松と日の出と月のモデルが五浦海岸。五浦は近代美術のメッカとなり、日本近代美術の発祥の地となった。
天心が海を眺めながら思索にふけったといわれる六角堂や、横山大観画伯の別荘などの遺跡が残っている。五浦海岸の大小の入江と美しい松林は「日本の渚100選」に、海岸の波音は「日本の音風景100選」に選ばれている。

□茨城県天心記念五浦美術館
開館時間 9:30から17:00まで(月曜休館、月曜日が祝日の場合は開館、翌火曜日休館)
住所   l〒319-1703 茨城県北茨城市大津町椿2083  TEL0293-46-5311
入館料  企画展 600円 所蔵品展180円、満70歳以上は無料
天心記念五浦美術館は、岡倉天心や横山大観をはじめとする五浦の作家たちの業績を顕彰するとともに、優れた作品が鑑賞できる美術館として平成9年11月8日に開館。
横山大観
明治元年~昭和33年(1868~1958年)茨城県水戸市に生まれる。21才の時、東京美術学校の一期生として入学。のち同校助教授となるが、校長岡倉天心に殉じて辞職、日本美術院創設に参加した。36年天心の勧めで菱田春草とインドへ、37~38年アメリカ、ヨーロッパを巡遊し各地で展覧会を開く。39年日本美術院第一部(絵画)の五浦移転に際し、一家を伴い移住する。大正3年(1914)天心亡きあとの日本美術院を再興し、その中心的な存在として活躍した。昭和12(1937)文化勲章を受章。
菱田春草
明治7年~明治44年(1874~1911)長野県飯田市に生まれる。16才の時、東京美術学校に入学する。卒業後、同校嘱託になるが31年美術学校騒動に際し、校長岡倉天心に殉じて辞職する。同年日本美術院創設に参加する。36年天心の勧めで大観とともにインドへ、37~38年アメリカ、ヨーロッパを巡遊し各地で展覧会を開く。39年日本美術院第一部(絵画)の五浦移転に際し一家を伴い移住する。
木村武山
明治9年~昭和17年(1876~1942)茨城県笠間市に生まれる。14才の時、上京し川端玉章に師事する。翌年東京美術学校に入学、29年卒業し、同校研究科で学ぶ。31年天心の率いる日本美術院に副員として参加する。39年日本美術院第一部(絵画)の五浦移転に際し、一家を伴い移住し、制作に励む。代表作の「阿房劫火」は五浦で制作した。
下村観山
明治6年~昭和5年(1873~1930)和歌山県和歌山市に生まれる。狩野芳崖、橋本雅邦に師事、16才の時、東京美術学校の一期生として入学、明治27年卒業と同時に同校助教授となる。31年美術学校騒動に際し、校長岡倉天心に殉じて辞職し大観らとともに日本美術院の創設に参加、36~38年文部省給費留学生としてイギリスに渡る。39年日本美術院第一部(絵画)の五浦移転に伴い、家族と伴に五浦に移住する。


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