豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2012年01月04日 10時11分37秒 | 日記

( Vol 6 )

現代社会では 富めるモノ と 富めないモノ に分けて 話されることがある

人間には 欲望がある
この欲望は 前へ進む点では とても効果がある
否定はできない
しかし 度が過ぎると 否定的になる

富めるモノ の 中には 
富めないモノ 貧しきモノ を指して 「敗者」と
富めるモノを 「勝者」 
と呼んでいる人がいる

これは どうなのだろうか

誰でもが 生きようとして
ガンバッテいる

(そう あると思う)

富めるヒトも 協力する人がいて 成り立っている
その 成り立たせている人(協力者)が 敗者と 呼ばれている

富は 一人では 築けない
さまざまな 協力者がいて 成り立つ

富めるモノの 努力は 認めるが
それをもって 誇らしげに 優越性を 表現するのは 
その人の 人間性を 疑う


いま 日本社会では 富めるモノと 富めないモノ 
との差別化が 見えないところで起きている 

企業においては 正社員と 非正規社員 という 身分の差別化を 行っている

視点を変えてみると この身分の分化は 
企業にとって 働いてくれる労働力としては 
同じである のに
なぜか 大手を振って まかり通っている

企業で働くモノ(正社員)は 自分は 勝ち組側にいて関係ない
自分は そのようにならないと 仮想している

今の社会 いつ 立場が 逆転するか 分からないのを 気づかないでいる

労働者を 一道具としか思っていないようにさえ捉えかねない

労働者も 生きている
同じように 地球上に生き 
同じ場を 空気を 共有して 生きている

誰でも 誰にでも
この場 地球で 生きる権利を持っている
それを 誰も否定することはできない

一人一人を 大切にし
互いに 生きる というココロを持って ほしい

優越性を 享受しようと 人は いろいろな行動にでる
そのことで 人は 人を 傷つける

人の欲望は いたる所に 顔を出す

考え方を変えてみると
これも イジメの 一つではないだろうか

誰かに 力で ねじ伏せられるような(パワハラスメント)
イジメと とられるような行為を 受けると
「いやだな」という感情が こころの 奥から湧き出してくる
そんなことを 感じたことがあると思う

そのようなことを感じても 体感しても
自分は やるまいと思っても

自分の中で 無意識のうちに
その受けた感情を 解消するかのように
自分より 弱いモノへと その行為をしてしまう

そのとき 相手の痛みを 感じることの 気持ちを
思いやるゆとりはどこかへ行ってしまう

他人を責めても 自分は責めない

自分の 感情を 優先させてしまう

人間とは なんだろう







 







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